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■オープニング本文 ●序文 神楽の豪商の言葉。 『この世に「便利」だけは存在しない。銭を取られなければ警戒せよ。代償は必ず払わされる』 ●白昼堂々 北面と東房の国境、ちょうど魔の森の近くに、怪しげな男たちの姿があった。 ひとりは大八車に載せられ、それをふたりで運んでいる。まだ日が高いというのに、彼らは周りの目を気にせず、淡々と歩みを進めていた。 「まさかこいつがヘマをするとはなぁ。まさに一寸先は闇、か」 口調は偉そうだが、どこか落ち着きのない若造は何気なく呟く。話の内容から察するに、あまり人様に誇れる仕事ではないようだ。そのせいか、彼は視線を落としたまま話し続ける。 すると、もうひとりの男が口を開いた。こちらは冷静な雰囲気を醸し出している。 「いくら志体持ちの俺たちでも、油断するとこうなるってことだ」 ふたりは不意に、載せられた男に目をやった。大八車の御仁は、何も語らない。彼は一瞬の油断で命を落としたのだ。 冷静な男は「仕事は手っ取り早く済ますのが一番」と、親分が口を酸っぱくして言っていることを改めて聞かせる。若造は「ごもっとも」と返した。 そのうち、目的の場所に到着する。すると奇怪な森のど真ん中に、いきなり沼地が現れた。 その大きさは、大人が腕を広げたくらいという奇妙なものである。周辺の土は濁った色をしており、すっかりやわらかくなっていた。沼の底からたまに水泡が出て、それが不意に割れると、周囲にツンと鼻につく刺激臭が広がる。どうやら酸を含んでいるらしい。 そんな不気味な沼を見ても、男たちは何も驚かない。沼の目前で大八車を停め、慣れた手つきで荷台を傾けた。すると仲間だった男は鞠のように転がり、そのまま沼地に吸い込まれる。最初は体半分が埋まり、その後は時間をかけてズブズブと沈む。 「沈むまで待ってろって指示がなけりゃあな」 「こんな簡単に都合の悪いもんを始末できるとこなんて、そうはないんだ。これくらいは我慢しろ」 男は沼地から視線を外さず、煙管を吹かそうと準備する。ここまではいつもと同じだった。 ところが、ここからは違う。急に沼が盛り上がったかと思うと、早々に男をトプンと沈めてしまったのだ。これは今までの中で一番早い。 「あ、あれ? おかしいな。は、早いですよ‥‥」 「おお、そうだな。今日は浸かりがいいらしい」 若造は思わず後ずさりした。一方、男はじっくりと沼を覗き込む。 この性格の差が、明暗を分けた。死体を飲み込んだ沼の一部が急に動き出し、男を襲うではないか! 「うおおっ! な、なんだこりゃあ!」 「ひ、蛭がっ! デカい蛭が張り付いてる!」 驚嘆に値する大きさの蛭が、多勢で男を捕らえた。若造が短刀を振るうが、いかんせん敵の数が多いため、救出には至らない。 そのうち、男の体から「チューチュー」という耳障りな音が響いた。それが何を意味するのかは、男の悲鳴で判明する。 「うぎゃあーっ! 血が、血がっ!」 男の血色が悪くなるのを見て、若造は完全に戦意喪失。尻尾を巻いて逃げ出した。 「うえ、うっ、お、お助けぇーーー!」 彼の耳に仲間の絶叫は届かない。本能的に男の存在を消失させたのだ。そうしなければ、正気を保てない。 それからまもなくして、彼らの発する恐怖は止まった‥‥そう、あの蛭がすべてを食らったのである。 ●這い寄る脅威 その直後、錯乱状態の若造を国境を警備する北面の志士が保護した。 北面と東房の関係は改善の兆しを見せているが、それを阻むかのように魔の森が横たわっている。アヤカシの進軍は収まったが、また攻撃を仕掛けられてもおかしくはない‥‥志士は日頃から鋭い眼光を魔の森に向けていた。 そんな彼らがあの若造を保護したのだが、どうにも様子がおかしい。ひとまずは時間をかけて落ち着かせるも、あんな場所で錯乱していた理由を話そうとしないのだ。そこで志士は厳しい尋問を強いると、彼は「自分が盗賊団の一員である」と白状する。 「お、俺は盗賊の下っ端だ! とっ、とにかく命だけは助けてくれ! 親分のいるところも話すから!」 あっさり組織を売るところを見ると、まさに下っ端だ。しかし志士にしてみれば、どうにも腑に落ちない。 「親分の居場所を吐くんなら、助けてやらんこともない。だが、なんであんなところにいたんだ?」 すっかり口が軽くなった若造は、すべてを告白した。それを聞いた志士は、一様に眉をひそめる。そして誰もが「開拓者ギルドの出番だな」と思った。 数日後、開拓者ギルドから派遣された草崎流騎(iz0180)が詰所にやってきた。 「ギルドから『魔の森に現れた毒性の沼地に住まう蛭をすべて倒せ』と聞いたのですが‥‥」 こんな話、声で発するだけでも寒気がするというもの。そんな流騎の言葉に、志士も渋い表情で答えた。 「国境の往来に被害が及んでは、困りますからな。我々は盗賊団を撃破する任務があるので、沼地の件は開拓者の皆さんにお任せする。好きにやってくだされ」 彼らは若造から聞いた情報を余すことなく伝える。 問題となる蛭は、おそらくはアヤカシ。敵は1匹ではなく複数おり、どれだけいるのかは不明。毒に耐性を持ち、人にくっついて血を吸うという。 「盗賊団は都合の悪いものはなんでも沼に落として、証拠隠滅をしていたそうです。その話から察するに、おそらく強酸か猛毒の沼でしょう。絶対に沼へ踏み入るは避けてください」 流騎は「どうやら大変なものを見たようですね」と言うと、志士は大きく頷いた。 「問題の沼を浄化するのは難しいでしょうから、何らかの手段で始末していただきたい。必要なものがあれば、我々で準備します」 「わかりました。それではどれだけのものか、我々で見てきましょうかね。そのアヤカシと沼を‥‥」 毒の沼地は、その身に似合わぬ甘美な香りで、開拓者たちを呼び寄せんとしていた。新鮮な恐怖と血液を喰らうために。 |
■参加者一覧
玲璃(ia1114)
17歳・男・吟
ペケ(ia5365)
18歳・女・シ
和奏(ia8807)
17歳・男・志
利穏(ia9760)
14歳・男・陰
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔
エラト(ib5623)
17歳・女・吟
エルレーン(ib7455)
18歳・女・志
雨傘 伝質郎(ib7543)
28歳・男・吟 |
■リプレイ本文 ●恐れる者と脅かす者 問題の沼地に続く道は、若造が知っている。事態の収拾を目指す以上、この臆病者に話を聞く必要があった。 同じ志体持ちの開拓者たちは、縄で縛られた下手人を見て、それぞれの反応を見せる。もちろん彼を肯定的に見る者は、ただのひとりとしていないが。 「シシシッ、兄さんやりますァ」 目玉をギョロリと動かし、ご自慢の凶相を若造に近づけるのは、雨傘 伝質郎(ib7543)であった。彼の物言いや仕草は、まるで若造の心中を察しているかのよう。伝質郎は自分を「いわゆる屑ってやつでごぜえやすよ」と言ったりして、とにかく若造から離れようとしない。 そんな彼から沼地の場所を聞くエルレーン(ib7455)は、伝質郎の動きを気にしつつも、周辺の状況を細かく聞き出す。それを草崎流騎(iz0180)が白地図に書き記す。ところが筆を置くなり、不満をぶちまけた。 「何が何だかサッパリわからん! どこに何があるんだ!」 苛立つシノビに、エルレーンが耳打ちをした。 「こんなザックリした情報じゃ、毒の沼に気づかずに落ちちゃいそう。な、なんだか、怖いねぇ‥‥」 ふたりの聴取が不調だと知るや、伝質郎はニッと笑い、若造の肩をトントンと叩く。 「兄さん、見ましたかい? 草崎の旦那に、お嬢ちゃんのあの表情‥‥まァ、明るくは見えませんなァ」 これを聞いた若造は大慌て。不意に顔を上げ「俺、何かマズいこと言った?」と伝質郎に尋ねる。 騙されやすい狸を相手に、狡猾な狐は次なる言葉を紡ぐ。 「魚心に水心、ここは足らない言葉は誠意で補うべきですぜい。早い話が、水先案内を買って出るってことでさァ」 「そ、それは名案だけど‥‥俺は悪事に関わって捕まったんだからさ。あの、その‥‥わかるだろ?」 臆病な人間ほど、死の匂いに敏感である。若造は「蛭退治のドサクサで始末されるのではないか」と思ったようだ。 この時、伝質郎だけでなくエルレーンも、「確かにこいつは仲間を見殺しにする奴だ」と確信するに至るが、それを諭しても話は前に進まない。伝質郎は少女に目配せしてから、あの笑い声を奏でた。 「なあにィ、退治は、他の腕っこきの旦那がたがしてくれやす。手前らは気楽なもんですぜい。あっしらは沼地に誘うだけ。お気楽なもんでさァ」 伝質郎はなんとも言葉巧みに若造を操り、ついには同行を決心させた。彼は上半身を縄で縛られたまま、外で作業する仲間たちに向かって「道案内をさせてください」と直訴する。 この時、利穏(ia9760)とリィムナ・ピサレット(ib5201)は、詰所で借りた荷車に土嚢を積んでいた。さらに現地でも土嚢を作ることを視野に入れ、麻袋や工具も準備していたが、突拍子もないこの発言を聞いたもんだから、ふたりとも驚きついでに荷物を地面に散らかした。 「ぼ、僕は構いませんけど‥‥そ、そうですか」 利穏は戸惑いながら言葉を発するのがやっと。リィムナはジトーッとした視線を送るのみ。これを見た伝質郎は「しめしめ」と、心の中で笑った。 ●蛭の大群! こうして下手人の案内で、問題の沼地を目指すことになった。もちろん若造は縛られており、伝質郎が縄の先を持っているので、途中で逃げ出す心配はない。 目的地は魔の森。その入口とはいえ、瘴気感染の心配があった。そこでエラト(ib5623)はヴォトカで湿らせた布を仲間たちに配り、マスク代わりに使うよう勧める。これをつけた若造は「酔いそう」と口にするが、今回ばかりはあの伝質郎でさえ相手にしなかった。巫女の玲璃(ia1114)は手早く市女笠と外套をまとい、万全の態勢で挑む。 魔の森に入ってしばらくすると、若造は「もうすぐです」と答える。荷車を押していたペケ(ia5365)と和奏(ia8807)は顔を見合わせ、地面の変化に神経を尖らせた。とはいえ、盗賊団も荷車を使っていたというから、不意打ちの心配はない。 「どくどくなぞんびぃとか出てきたら嫌ですねー」 「強酸の沼という噂もあるから、出てくるなら動く骸骨かもしれませんね」 まだまだ余裕のふたりに対し、若造はすっかり怯えていた。そしてついに見慣れた景色を発見し、伝質郎に泣きつく。 「ひっ! あ、あそこ! あの変色してるところがそうです!」 沼までの距離があると見るや、利穏は単騎で前進。それに追随しようとする仲間たちを、強い言葉で制する。 「僕から離れてください!」 これが戦闘開始の合図と知ったエラトはリュートを構え、天鵞絨の逢引を奏で始めた。それに同調する形で、玲璃も瘴索結界「念」を駆使し、敵の動向を探る。 利穏は大胆不敵にも沼に向かって咆哮を放ち、生き血を啜るアヤカシを誘い出そうと試みた。 「人を食らうのはここまでです!」 そんな少年の挑発を聞いた蛭は、沼の中からウジャウジャと出現。そのおぞましさに誰もが驚き、短く声を発したほどだ。 「相手にしたくない類の敵ですが、決してヒルまずに‥‥」 この緊張感が高まる状況で、まさかのダジャレ。周囲がキョトンとする中、利穏は極めて冷静に悲恋姫で先手を取る。見る恐怖には、聞く恐怖。不運を呪う声は、アヤカシたちを苦しめた。この咆哮と悲恋姫のコンボを2回繰り返して敵を痛めつけると、利穏は後ろへ下がる。 迫り来る蛭たちを食い止めるべく、リィムナは前進しながら先頭の敵にホーリーアローを発射。これによって力尽きたアヤカシは瘴気となって消えるが、この敵は複数が重なっている場合も想定しなくてはならない。そこはアヤカシを検知している玲璃が仲間たちに助言をしながら、とにかく敵に隙を見せぬよう心がけた。 「ペケさん、前方の敵は‥‥」 玲璃からの指示を受け取ったペケは忍拳と奔刃術を駆使し、あっという間に蛭との距離を縮める。そして鋼拳鎧「龍札」で打撃を加え、アッパーでフィニッシュ。空中に瘴気が舞った。 「所詮はアヤカシ蛭です。簡単に蹴りがつくもの‥‥フガフガガガ???」 決まったとばかりに顔を上げると、まるで狙ったかのように蛭が落下し、そのまま着地するという奇跡の事件が発生。全員の動きが、一瞬止まった。 玲璃は今さらながら「前方の敵は、何匹か固まってて‥‥」と説明するも、時すでに遅し。さすがの和奏も、ギョッとした表情を見せた。 「ペ、ペケさん! か、顔に蛭がベッタリ‥‥」 「ほっへ、ほっへー!(取って、取ってー!)」 ペケの口が塞がれているので、何を言っているかよくわからないが、彼女が何を要求しているのかは誰にでもわかる。 ここは和奏とエルレーンがいったん武器を納め、ペケの顔から懸命に蛭を引っぺがした。和奏が敵を地面へ叩きつけると、エルレーンが再び刀と盾を構え、紅蓮紅葉を駆使して蛭を撃破する。 「気持ち悪い、のッ! あっち行けえッ!」 この騒動の隙を突いて距離を詰めた敵は、和奏が瞬風波を用いてダメージを与え、ペケも火遁で確実に数を減らす。玲璃は「乙女のお顔を傷つけてはいけません」と気遣い、このタイミングで精霊の歌を奏で、仲間たちの傷を癒した。しかし沼からはまだまだ敵の気配が消えない。 「ここからが本番、ということでしょうか」 玲璃は気を緩めぬよう、自分に言い聞かせるかのように呟いた。 ●有利と不利 今回の戦いを評するなら「多勢に無勢」だが、この表現だけではしっくり来ない。蛭は数で押すだけで芸がなく、開拓者たちはアヤカシ退治の手順を確立しつつあった。 だがそれは、幾多の戦いを経験した者がわかることで、あの臆病者の若造には想像すらできないだろう。それを証拠に、今の状況を「押されっぱなし」と評し、伝質郎に「一緒に逃げよう」とまで言う始末。狐は「頃合か」と微笑むと、急に本性をあらわにした。 「兄さん。あの蛭‥‥前に見た時より、デカくなってるんじゃありやせんかい?」 さすがは若造、思惑通りビクッと身を震わせた。狐がこれを見逃すはずがない。 「あっしが考えやすに、あいつらは兄さんが育てたんですぜい」 「そっ、それは違うだろっ! お、俺よりも先に沼はあって、きっと使ってたに決まっ」 「シシシッ、やはり兄さんやりますなァ。仲間も親分もほっぽり投げるたァ、なかなかできやせんぜい」 ついに伝質郎の笑みが、本来の意味を取り戻した。現実だけを口から淡々と、矢継ぎ早に放つ狐の言葉に、哀れな狸はただうろたえるばかり。生き地獄が本当の地獄に変わるのも時間の問題だ。若造は訳がわからなくなり、ついには意味不明な言葉を呟き始める。 だが、この男・伝質郎に慈悲はない。あるのは生贄の狸を弄ぶことのみ。 「ありゃりゃ、蛭が来てらァ」 「うひっ、むぷっ! むひゃほひへべぇえぇーーーーーーー!」 大して近くにいない蛭と目が合うと、もう普通ではいられない。若造は奇声を発し、芋虫のようにその場から逃げようとした。 しかし伝質郎は猿叫を発し、相手が竦んだところを柄で殴り倒して、うまく気絶させる。 「ああ、エラト様の演奏と違って、なんとも汚ねぇ金切り声でしたなァ。シシシッ」 さっきとは打って変わって、どことなく愛嬌のある笑顔を周囲に振り撒く伝質郎。エルレーンは白目を剥く若造に対して「罪の償い方がわからないなら、沼にドボン!でもよかったけどね」と本音をぶちまける。すると狡猾な狐は「今からでも遅くはありませんぜい」と囁くが、相手は「後で考える」と答えるに留めた。 残念ながら、若造はこの先に待つ開拓者たちの大活躍を拝むことはできなかった。 後方に控えて戦況を見定めていたリィムナは、ペケによって辺鄙な場所に導かれた蛭たちをメテオストライクで吹き飛ばしていく。気にするのは仲間の動向だけでいいというのは、なかなかお目にかかれないシチュエーションである。このコンビの活躍で、約半数の敵を始末した。 「ペケ、ちゃんと逃げてよー! 今度は顔に火炎弾が落ちるんだから!」 「さすがにドジじゃ済みませんね、それ。自分がどこでも飯綱落としとか、きっと誰も笑ってくれません」 迫る敵が多ければ火遁で焼くが、基本的には拳で処理。メテオストライクの範囲から漏れた複数の蛭を相手しなくてはならないこともあり、さすがに無傷では済まない。 このタイミングでエラトがふたりをサポートしようと参戦。ペケに援護を申し出た。 「私もそちら側に向かいます」 「オッケー、お迎えに行きますよー」 エラトは蛭に対して夜の子守唄を奏で、睡眠による足止めを敢行。狙いを定めやすくなったリィムナは「ラッキー!」と喜ぶ。 「寝たまま消えちゃえー!」 彼女たちは連携を大きな武器にして、この難敵の数を順調に減らしていった。 和奏とエルレーンも、ペケと同じ状況に陥っていた。もう終わりだろうと沼に目を向けても、まだヌメヌメと新手が出てくるのだから堪ったものではない。和奏はたまに秋水を発動させては、長期戦においても自分のリズムを作ろうと必死だった。 「冬なのに、大きな蛭さんは丈夫ですねぇ。巣を突かれたからかな」 それを聞いたエルレーンは「なるほど」と納得すると、同じタイミングで利穏も「ああー」と頷いた。 和奏の読みが正しいとするなら、とことんまでやるしかない。利穏は敵の撃破で濃度が高まりそうな瘴気を薄めるべく、瘴気回収を使って状況の改善に努めた。エルレーンは和奏に倣い、紅蓮紅葉を織り交ぜての戦い振りを披露。玲璃はアヤカシの動きを逐一報告し、それを基にリィムナが範囲攻撃の準備を整える。この公式が確立した時点で、開拓者の負けはなくなった。 ある時を境に、蛭の数が減り始めたと確信すると、そこから全滅までの時間は、まさにあっという間の出来事である。こうして蛭の退治は終わった。 ●埋め立て作業 残された難題‥‥それは沼の処理である。 伝質郎は戦闘の最中、強力を用いて持ってきた石灰を沼に投げ込んでみたが、あまり効果が得られなかったようだと報告。それを聞き、玲璃とエラトは持参した梵露丸を飲んで練力を回復し、沼の毒を無力化に挑むことになった。 「まずは皆さんの傷を癒します」 玲璃は再び精霊の歌を奏で、その後で沼に対して解毒を施す。利穏は瘴気回収を続け、毒と瘴気が抜けかかったところに、エラトが精霊の聖歌を使い始めた。このスキルの完成には時間がかかるため、手の空いている仲間は沼に土嚢をせっせと投げ入れる。最初は鈍い音を立てながらズブズブと沈み、詰めた土を溶かしたかのような珍妙な匂いが漂うも、そんなことも気にせず落としていけば、そのうち気にもならなくなった。 この作業の最中、和奏はポツリと呟く。 「他の水源に流れ込んでないのであれば、油を撒いて火をつけるのも手段のひとつだとは思いますが‥‥」 魔の森を駆除するのであれば、焼き討ちという手段も選択肢としてはあったが、今回は沼に特化した話だったので、埋め立てする方向で落ち着いた。 土嚢の残りも少なくなった頃にようやく底が見える。そして準備した土嚢を全部入れると、ちょうど沼も腹いっぱいとなった。仕上げにリィムナがストーンウォールを作り、これをみんなで倒して蓋にすれば任務完了。あとはエラトの演奏が終わるのを待つばかりである。 「みんなー、こっちから押してね! せーのっ!!」 全員で何度か押せば、石壁はズシーンと倒れた。こうして蛭の飛び出す沼は、あっという間に更地へと姿を変えてしまう。 その後は休憩を挟んでから、詰所へと帰ることになった。どのみち、荷車と若造を返さなければならない。 エルレーンはホッと一息つくと、改めて敵の姿を思い出し、背筋がゾッとした。戦闘中はそれどころではなかったが、今ならじっくりと蛭の姿を思い出せる。 「ううっ‥‥ヌメヌメしてて気味悪いし、血を吸うとかサイテーのアヤカシだったの」 それを聞いたペケが、不意に手を顔にかざす。そういえば、あのアヤカシを顔に載せた剛の者がいたことを、利穏と和奏が思い出した。 「あれはちょっと遠慮したいです、僕‥‥」 「でも大事に至らなくてよかったですね、本当に」 和奏がそう言うと、伝質郎は「こいつも無事で何よりですぜい」と、まだ気絶している若造に目をやって、いつもの笑みを浮かべた。彼に反省を求めるのは難しいと、誰もが思っていただろう。 この魔の森には、このような場所がいくつも存在する。今後、北面や東房に横たわる魔の森に踏み入る機会も増えるはずだ。その時に開拓者は、両国は何ができるのか‥‥和奏は奇妙な森の中で、ふとそんなことを思案していた。 その後、この近辺から蛭のアヤカシは姿を消した。ここを訪れる盗賊団も捕まり、今では静かな時が流れている。 しかし偶然にも、そこを通りがかるひとつの大きな影があった。骸骨を背負う異形の怪物は、巨体を揺らしながら悠然と移動している。彼は石壁の地面に目も暮れず、さっさとその場から去った。 |