貧乏神に残り福?!
マスター名:みずきのぞみ
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/07 17:27



■オープニング本文

●貧乏神
なぜか何をやってもついていない。
人はそれを厄日という。
そんな時は、験をかついでみたり、真逆の事をしてみたり。
はたまた、不貞寝したりしてみたら、昨日の事が嘘のように万事うまく回り出す。

――――はずの、ものが。

「あら、ごめんなさい!」
 晴れた日に道を歩けば、打ち水を掛けられ、
「おっと、兄ちゃん、ボっとしてんなぃ!」
 雨の日に歩けば大八車に泥をひっかけられる。
 そんな生来ついていない男が世の中には、いる。
「お前ももう少ししっかりしておくれよ…」
 長戸屋の店主が、出先から戻ってくる度に、どこかしら、なにかしら、行きと変わった風体で帰ってくる息子に今日も溜息をもらす。
「ん、や、でも、お代は落とさなかったし、怪我はなかったし」
 どこで引っかけたのやら、今日は左の袖が破けている。
「で、掛けは払ってもらえたんだろうな?」
「うん。今日はちょっと具合が悪いって……」
 結局取引先の押しに負けて払ってもらえなかったのだろうが、はは、と正直(まさなお)は力なく笑いながら、また今度行くよ、と付け加える。
 名前通り、まっすぐ育ったのだが、どこか押しが弱くふわふわとした青年で、馬鹿がつくほど人がいい。おまけに、こまごまとした不運を一身に浴びているのが傍目にもわかる。
 結果、損する事ばかりであり、貧乏くじばかりを引いているから、近所でついたあだ名が『貧乏神』。
 商船を使って様々な儀の荷の売りさばきを生業とする長戸屋の店は、前までは大層羽振りが良かったのだが、息子に後を継がせるべく、色々学ばせているうちに斜陽になってきた。それも近隣でささやかれるあだ名の一因だろう。
 正直もまだ二十歳ではあるが、もう二十歳ともいえる。そう遠くはない話、一人息子に店を継がせるのだが、心配で仕方ない正直の父であった。
「しっかり者の嫁でも貰うしかないな…」
「まだ嫁さん何てもらう気ないよ」
 冗談だと思ったらしい正直が至極真剣な父に向かって、たはは、と笑いながら店の奥に消えていく。
「…うーむ。風采はそこそこなのだから、この際、多少中身については黙ってでも……」
 のれんを守る義務感で切羽詰まっている父は、存外、騙しうちに本気なのだった。



●残りもの
「こんな魚を売りもんにするなら、一昨日きやがれ!!」
 ひゃあ、と天秤棒を担いだ男がよけた桶の水が、道を歩く正直の肩にぶちまけられた。「うわ!」と間抜けな声を上げたのが耳に届いたらしく女が桶を持った手を止めて凝視する。
「…あら、ごめんなさい」
 さっきのきっぷのいい声はこの女性のものらしい。難をのがれた魚売りは慌てて逃げていく。
「いや、俺もぼうっと歩いてたから…」
 いつもの『よくあること』であり、正直が何でもないと手を振ると、逆に相手が渋面を作った。
「―――兄さん、どう考えてもとばっちりなんだから、そういう人のいい返答はよした方がいいよ?」
 要らぬお節介だけどね、と女が可笑しそうに笑い、桶を置いた。押しの強いどこかの年増かと思っていたら、意外と若く見え、花が咲いたように笑う。
「こんな傷みかけた魚でお代をよこせっていうから怒鳴りつけたんだけど…焼けば食べられるし、もうけものよね」
 鼻歌でも歌いそうな上機嫌で只になった魚を片手につまんでいそいそと長屋へ戻っていく。
(たくましい…)
 いっそ感心しながらその様子を眺めていた正直だが、商いを思い出し、先を急ぐことにする。
 しかし、その背をパタパタと追ってくる草履の音。
「兄さん、兄さんってば! あっという間にいなくなって……そのなりで行くのかい? ほら、拭くぐらいしなよ」
 先ほどの女性が息を整えながら青い手拭いを差し出す。
「大丈夫、ちゃんと洗ってあるから。持って行きなって」
「あ、申し訳ない」
「こっちこそ悪かったね。手拭いは魚が只になったおすそわけってことで」
 ぽんぽん、と正直の肩を叩き、笑いながら「じゃあね」と、女性は去って行った。
「あ………」
 この瞬間に、名前を聞きそびれているあたりが間の悪い男であった。



●一か八か
 いつもとは違うふらつき加減で戻ってきた息子を見て、長戸屋の主が色めきたった。日がなこっそりと手拭いを見ては照れ笑いを浮かべている我が息子を問いただしても、いつもの曖昧な不幸話しかきけないが、歯切れが悪い。
 どうも違う、これは違う、とふんだ長戸屋はギルドに尋ね人の調査を依頼した。
 調査報告によれば、あの長屋で正直の話に合致する女性は一人しかおらず、名を満(みち)というらしい。年は30歳前。長らく病気の母親を看病し続けていたが、その母親が3か月前に亡くなり、一人になった。
「問題はこの後だ…」
 どこの長屋にも世話焼きがいるもので、一人になった満に縁談を持ちこみ、名の知れた商人の後妻に望まれているらしいと報告書は締めくくられている。
「残り福が…!」
 報告書を握り締め、長戸屋は唸った。これだと思ったのに惜しすぎる。
 だが、息子に惚れてもらう為の手段など父一人ではとんと思いつかない。どうしたものか。
 だが、だがだがだが、このまま手をこまねいていればあの何故だか不運が憑いてるのんびり息子の事……一生嫁が来ない気がする。
 つまり、長戸屋は終わりである。
「うううむ……」
 長戸屋が長らく墨を擦りながら唸っていると、当の息子が戻ってきた。
「ただいま……えっと、今日は猫に………」
 どう絡まれたのか、引っかき傷だらけで苦笑いをしている息子を見て、長戸屋の腹は決まった。
「うぬ…ただし、匿名でだな……」
 恥も外聞もあるが、背に腹は代えられない父親は、懐の手拭いを確かめては呆としている息子を留守番に、ギルドへと急ぐのであった。






■参加者一覧
喪越(ia1670
33歳・男・陰
シャンテ・ラインハルト(ib0069
16歳・女・吟
ニーナ・サヴィン(ib0168
19歳・女・吟
サフィリーン(ib6756
15歳・女・ジ
山茶花 久兵衛(ib9946
82歳・男・陰
佐藤 仁八(ic0168
34歳・男・志


■リプレイ本文

「じゃ、行って来…あれ、お客さん?」
 店に集まった変わった客を見て、正直が立ち止まる。儀の商品を取引する事から、装束を身慣れてはいるが、三人の衣装は多様だった。
「ちょっと商談だ。早く行って来い」
 長戸屋の主人は体よく息子を追い出すと、目の前の開拓者達にさて、と再び身を乗り出す。
「あのお兄さんかぁ…」
 サフィリーン(ib6756)が心配そうに口元に手をあてる。確かに黙っていればそれなりなのだろうが、確かに、頼りない感がある。
「一人で女も口説けんとは、情けない男だな」
 言って、山茶花 久兵衛(ib9946)が膝を打つ。跡取りでもあるのだからしゃっきりしてもらわねば困る。
「尻に敷かれにいけというのも情けねぇ話だが、坊も子供じゃあねえんだ。手前の欲しいもんは手前で取りにいかなくちゃあなんめえ」
 佐藤 仁八(ic0168)もがりがりと頭を掻いて思案する。あの情けない男を助ける為どうしたものか。
「満さんが嫌というなら勿論それまでですが、愚息のこと、言い出す前に終わりそうで…」
と父親が愚痴る。この先も、父親には心配事が山積していそうである。ニーナ・サヴィン(ib0168)がまだまだ肩の荷は下りなさそうね?と宥めた。
「見守りはそおっと、そおっとね。あまりガミガミ言うとお兄さん黙っちゃうよ?」
 気落ちしている父親をサフィリーンとニーナで励ましながら、縁談の世話を焼いた夫婦の居場所を聞き出し始めた。



「一目逢ったその日から〜、恋の花咲く事もあるぅ〜♪」
 上機嫌で高らかに歌いながら、喪越(ia1670)が長屋へ往く。長戸屋からかなり離れた所に満の長屋があり、世話焼き夫婦もそこにいるとのことだった。
「よぉし、それでは満セニョリータの私生活を覗……いや、調べないとな。これは決して趣味でなく仕事。いやさ、いい女の尻を追っかけるのはむしろ義・務☆」
 行ってこおぉい!とやおら手を上げたかと思うと、空中に小さな猿が出現し、屋根を飛び移っていった。
 一方、正直を店から尾行しているのはシャンテ・ラインハルト(ib0069)である。
「また…!」
 辻で出合頭にぶつかったり、野良犬に吠えられたり。存在力があるんだかないんだか、物陰からやきもきし通しである。もっと毅然と、背筋を伸ばして歩けばいいのにとシャンテは歯がゆい気分になる。
(満様に出会うまでが遠すぎる……!!)
 すっかり握り拳でかの父親と同じ気持ちになりつつも、シャンテは正直を尾ける。古釘にローブの裾をひっかけたり、ブーツの紐が切れたり…地味に不幸な目に会っている気がした。



(ん、あの人っぽいわね…)
 ニーナ達は通りがかりを装って、長屋で桶を片手に井戸へやってくる満を発見した。姉さんかぶりで働き者という印象である。
 声をかけようとしたニーナを、後ろにいた久兵衛が引きとめる。
「何?」
「後ろにおまけがいるようだ」
「おまけ?」
 ニーナがきょとんとしていると、中年の女性がいそいそと追いかけてきて、満の隣を陣取る。
「満ちゃん、結納の日なんだけどさぁ…」
「おばさん、またその話?」
「だって、アンタの気が変わらないうちに話を纏めないと!」
「うん、そう…」
 手を止め、濡れた手で前髪を押し上げながら満が仕方なさそうに笑う。
(あああ、危ないじゃない!)
(坊主は出る幕なしか)
 ニーナが角の店の暖簾を握り締め、久兵衛が空を仰ぐ。このままではすぐ嫁いでしまう勢いだ。正直が速攻で口説く…は無理でも、せめて時間を作ってやらねば。こっくりと顔を見合わせた二人は、少し道を戻ってゆっくりと井戸端を通りがかる。ニーナはハープを片手に軽やかな足取りでくるりと舞う。
「楽隊の人…?」
 満が美しく輝く光陽の髪に見とれていると、かしゃ、と音がして、丸い鈴が転がった。ニーナの足飾りから落ちたようだ。
「! 落としものだよ!」
 すぐさま、満がニーナを追いかけて鈴を手渡しに行く。
「拾ってくれてありがとう♪ 私、昔から少しそそっかしいのよね」
「糸でいいなら、うちのを使っていきなよ。すぐそこだし」
「まぁ、ありがとう。…お言葉に甘えていい?」
 立ち寄る気満々だったニーナが満面の笑みで答える。ニーナの後ろに追いついてきた久兵衛が偶然を装い、仲間の礼を述べて同行しようとすると、縁談の話をしていた女が面白そうだと混ざってきた。好奇心が旺盛な性格らしい。



 その夜、六人で持ち寄った情報を整理することとなった。
「駄!目!完全に俺もっていかれた!!俺が立候補する」
 男の影はなく、せっせと働く満の性格の良さと年上の女性の懐の広さ、加えて美しさに完全に参っている喪越である。正直に渡すぐらいなら自分がお付き合いしたい。是非とも。いやマジで。というのを繰り返し叫んでいる。
「腑抜けておらんと仕事をせんか」
「まあほんと、いい人だったわー。働き者よ。面倒見もいいし」
 久兵衛とニーナが情報を補足する。特に意中の男性はなく、三座屋とも面識はない様子だ。
「仲人役に三座屋との縁談を繰り延べか取りやめにするよう話をせんといかんな…」
「正直さんにもがんばってもらわないとなー」
 言いながら、サフィリーンがシャンテの疲れようを見て、そっとお茶を勧める。
「只事じゃないですよ…」
 厄日、というのを身をもって体験したシャンテがぐったりとしながら呟いた。心なしかやつれている気さえする。
「この風体で坊の傍にいて、『長戸屋の若旦那が柄の悪いのとつるみ始めた』なんて噂が立ってもいけねえと思って控えてたんだがよ…」
 今までの情報を聞いて仁八が眉根を寄せる。坊主自体に発破が必要だ。
「明日直接、正直お兄さんをたきつけてみるね」
「わあ、それ楽しそう♪」
「俺は仲人をまず説得しよう」
「皆さん、正道様の不幸に巻き込まれないよう注意してください」
 シャンテの重みのある一言に全員が、お…おう、と頷く横で
「俺は満セニョリータに会いに行くZE☆」
とやる気満々な約一名がいた。



「ではまた…」
 取引先の店を出た瞬間、ばしゃあ、と頭から大量の水を掛けられ、正直が固まった。
「うわ、お兄さん大丈夫?」
 ごめんねー、とサフィリーンとニーナが俯いた正直を覗きこむ。わざと掛けたのであり、流石に怒るかと思ったのだが、上げた顔は苦笑であった。
「大丈夫。いつものことだから」
と袖から青い手拭いを取り出そうとして、はっとしてしまいこむ。大事にしているらしい。
「お兄さん…正直さん、怒らないと駄目だよ!しっかりして」
「? 何で名前を?」
 滴を払いながら、正直が怪訝そうに首を傾げる。聞けば、正直の生活指南に父が開拓者を雇ったらしい。
「悩みと言われても…」
「悩み事があってぼんやりとしているから、不運なことにばっかり出会っちゃうんじゃないかなって」
 言っている傍から、サフィリーンの頭上から「あ」という小さな声とともに木端が降ってくる。大工が屋根から取り落としたらしい。寸手のところでサフィリーンはかわしたものの、地面に転がった木片に少し血の気が引いた。
「…正直さんが気にしなければそれで済むけど、誰かが一緒にいて、巻き込まれたらどうするの?」
 何もなかったように尋ねるサフィリーンの横で、開拓者じゃなければ怪我してるわね…とニーナが力なく笑う。
「お父さまが心配するのも無理はないわ。大事な人を守れるくらいしっかりしないと!」
「そういきなり言われても…」
 正直の態度は相変わらず煮え切らない。
(はっきりしないと満さん嫁いじゃうわよ!…とは言えないか。ああもう、肝心な事ってどうしてこう…)
(よし、二人の所に連れて行こう?)
 二人は目で合図をすると場所を変えましょう、と正直の両脇に立って茶屋まで導くのであった。



「三座屋さんとの縁談を断れって? それ、満ちゃんの為を思って言ってるのかい?!」
「為を思えばこそ!俺はそう思う」
 貫禄という言葉を具現化したかのような久兵衛が仲人役を買って出た夫妻の前で大きく頷く。
「三座屋の後添いであれば、同じように連れあいを亡くした者の方がよかろう。それに満はまだ母親を亡くしたばかりではないか」
「そんなこと言ってたら行き遅れちまうよ。せっかくのいい話を」
 耳聡い夫婦は手を振る。それに怯まず久兵衛は一旦瞑った目をチラリとあけて
「長戸屋の一人息子が満に気がある」
と嘯いた。途端に、夫婦の顔色が目まぐるしく変わった。
「長戸屋って…確かに店は大きいが、あの息子は貧乏神っていう噂だよ?」
「いいや、今でこそそう言われているが、きっと大成する。そのためにはしっかりとした嫁が必要なんだ」
 順序が本当は逆だが、と思いつつも久兵衛は言い切った。
「でも…」
「満本人が断るならそこまで。ただ、そういう選択できる自由な時間も彼女に必要だと思うのだが?」
 安定の三座屋店主か、今後に期待の若旦那か。満の幸せを願い、急いては可哀そうだといわれれば無下にはできない。
 夫妻が何度目かの唸りをあげている時。
「結婚してくれ満セニョリータ〜!」
「突然なんだい、あんた!?」
 長屋の隣から派手に聞こえてくる騒ぎの音。
「もしかして長戸屋のボンが来たのかい?!」
…積極性からいって全く違うと思うが、と久兵衛は唸るのが精一杯であった。



「どういうこと?」
 突然求婚されて吃驚したが…そのことではなく、縁談について満が説明を求めた。
 左頬に真っ赤な手形をつけた喪越はといえば、よし認知度は完璧、と目を輝かせて正座中である。
 三座屋との縁談に乗り気であったわけではないが、次は長戸屋といわれると振り回されているようで満は不満に思う。
「まあ、一度会ってみてはくれないか。見目はいいし、年は若い」
「そういうことじゃなくて…」
 久兵衛に対し、文句の形に口を開きかけたが、見るだけ見て、すぐ帰ればいいんでしょと諦めの溜息をついた。この類は口論しても仕方がないと思ったのだろう。
(これできっかけはできたか…だが…)
 正直の行動を把握すべく、久兵衛がそっと手を伸ばし、雀の形の式を放った。
「…じゃあ、これから行ってくるわ」
 この言葉に慌てたのは久兵衛である。まだ正直はいわゆる説教中であり、何一つといっていいほど駄目っぷりは治っていないだろう。
「じゃ俺が同伴で!」
 喪越が嬉しそうに両手を握り合わせるのを満が冷めた目で見た。



 茶屋は長戸屋への帰り道にあり、さほど遠くはない筈なのに。
「きゃあ、鈴がいっぱい取れてる?!」
「わーん。泥はねいっぱいだよぅ」
 正直は無傷だが、両側の二人は災難避けで疲労困憊である。それでも、なんとか誘導尋問的に想い人がいることを聞き出せたのは流石であった。
「お待たせしまし…」
「熱っ!!!」
 茶屋に着くや否や、運ばれてきた熱いお茶が正直の膝に零れる。勿論運んでいるのはシャンテであった。怒る?と三人が固唾をのむ中、大丈夫、と言いかけたので二人から駄目だしを喰らう正直。
「え…と。君は大丈夫だった?」
 困った正直が発したその言葉に、次はシャンテの方が固まった。
「………なるほど、そっち方面に成長したのね……」
「間違ってはないんだけど、お兄さん、違うよ…」
―――只の女たらしに成長してどうするのか。
 ぎりぎりと歯ぎしりのような音が聞こえると思ったら、茶屋で他人を装っていた仁八が、嗚呼、不甲斐ないねえとしびれを切らして正直に詰め寄った。あまりの迫力にたじ、と正直が逆に三歩位退いた。
「いいか、坊。女てえのぁ怖えぞ。その時だけ取り繕おうったって、その場で見透かされちまうもんだ」
 ふん、と腕を組んで反っくり返りながら仁八が説く。女をたらし込むには百年早い。
「はあ…」
「なんでそんな生半可な声かねえ」
「そんなにもてた経験がないもので…」
「あ、あああ、あたしだってそんなには遊んでな…いや、それは兎に角! 惚れた女には根っこのとこでおめえがどれだけ考えてっか、これからずっとそこを見られんだと思いねえ」
 父親孝行も考えて嫁の事はちゃんと考えろと仁八が正直の薄い胸板を突く。
「そうよぉ。女は怖いんだから」
 さあ、とニーナが正直の腕を取って、元の席へ座るよう肩を押す。
「手拭の人の話を聞かせてほしいな♪」
「新しくお茶を入れました。お菓子も用意しましたし…」
 仁八の時とはまた違う意味で逃げることを許さなれない状況だ。
「あー…」
 大きく嘆息すると、請われるままに、正直が父に黙っていたことをぽつりと話し始めた。



(あの馬鹿者!)
 折が悪い。間が悪い。これも正直の体質かと久兵衛が情景を呪った。
「あの時の…?」
 満が茶屋の前を通りかかると、この間の若者が可愛い女の子三人に囲まれて、楽しそうに談笑しているのが見えた。時折、きゃあと女性陣が囃す声がする。
(へえ、もてるんだねぇ)
 声をかけるでなく、満は通り過ぎる。
「満さ〜ん。俺達もお茶しませんか〜」
 喪越が何かと声をかけて気を引こうとするのだが。
「もう、付いてこないでおくれよ。一人で行けるから」
とスタスタと先を歩いていく。
 その声に聞きおぼえがある正直が弾かれたように顔を上げた。
「…あ」
 立ち上がる。傍目に見ていても判るほど緊張している。
 誰もが、よし追いかけろ、と願う。
 が。
「満さんっていうのか…」
 とごちてストンとまた腰を下ろした。
 正直以外の全員が、ちょっと待て、と突っ込みそうになる。
 その時。
 ふざけながら走り回っていた子供の一人が不幸につられたか盛大に転んだ。起き上がると膝がひどく擦りむけて出血している。すっかり大泣きし始めた。
「大丈夫。これぐらいすぐ治るよ」
 駆け寄った正直が涙を抜いてやる。
 擦り傷など日常茶飯事の正直に言われると説得力がある気がするが、子供は驚きもあってか泣きやまない。
 満も泣き声に気づいてとって戻そうとした。
 すると、正直が袖から青い手拭いを取り出し、怪我をした膝に巻いてやった。
「綺麗な手拭いだから。ほら、ましになったろ?」
「正直様、その手拭いは大事にされていたのでは」
 シャンテが驚いてつい口走った。
「…大事だけど、怪我の方が痛いだろうし」
 これしか今持ち合わせがなくて。
 照れるように言って、子供を立たせ、服をはたいてやる。ぽんぽんと背中を叩かれて落ち着いたのか、泣きやんだ子供はまた元気に友達の後を追う。
 じっとそれを見ていた満と、見送って振り向いた正直の目があった。
「こ、こんにちは」
 急にでくの棒のようになった正直に満がにこりと笑って頭を下げた。言葉はそれ以上交わさずに、満は先を急ぐ。急な用事があるように正直には見えた。
「あ、手拭いのお礼言うの忘れた…。でも手拭いもうないし…本当に駄目だな―――」
 急に訪れた幸福になすすべなしの正直に、新たに、鈍感、という評価が追加されたのは言うまでもなかった。
 ふう、と全員が安堵ともため息ともつかぬ息を吐いた。


 長戸屋の跡取りと満が名乗り合うのは、もう少し先の話のようだ。