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■オープニング本文 桜の花びらがくるりと風をはらんで舞う。 どんなに望んでも散っていくものは散っていくのだと、いつだったか君は笑った。 だから、また、次の春を楽しみに人は生きるのだろう。 教えてもらったことはみんな覚えている。 「大吾は泣き虫なんだから」 桜の花吹雪の下、真っ白な花嫁衣装の君がそう言って笑った。 とても綺麗だ。 でも幼い時から初めて、強かった君の涙を見た気がする。 立派な花嫁行列の先頭で、朱塗りの鮮やかな傘が君にさしかけられている。少し頭を下げて袂で涙を隠しながら、ゆっくりと進んでいく。 そして僕はただ、ただ、泣き虫なまま、君の幸せを願っていた。 男のくせに、っていつものように叱られないから、涙は止まらなかったんだ。 ●弱虫大吾 「ほぉら、しっかりしろよ大吾!」 遠くの山桜を眺めていた大吾ははっと我に返った。 呆れた風に大声で叱りつけたのは、通りすがった大吾の友人である。どこかしら呆としている大吾は、放っておくと思索にふけって仕事が留守になりがちであった。 「あと日暮れまでにそれだけの薪割って、畑の草むしりもやっとかないといけないんだろ」 「ああ、うん」 お人よしを絵にかいたような大吾は友人の言葉に笑みを返すと、斧を持ち上げ、言われた通りに再び薪割りに精を出す。幼い頃にはそんな性格のせいで、随分といじめられて損をしていたが、しっかり者の幼馴染が大吾をよくかばっていたものだ。 「美郷が嫁いでからますます魂ぬけちまって…」 「―――え?なに?」 「いいや、なんでも」 友人はじゃあなと手を挙げて、背負子を背負いなおすと自分の仕事に戻って行った。 大吾の幼馴染の美郷(みさと)が嫁いでから、三年の月日が経っていた。 それ以外、大吾の生活は何も変わりが無く、同じ日々の繰り返しが続いていた。ただ、春になれば桜が咲いて美郷が嫁いでいった日を思い出すだけだ。 村でも一番美しかった美郷は、遠くの町の大店の息子に見染められ、よい縁談だと美郷の両親は手放しで喜んだ。 雪解けとともにあれよあれよと嫁ぐ日が決まり、さよならもまともに言えずに見送った。 それだけのことなのに、桜を見るとあの日の事を思いだすのだった。 (元気だろうか) 「…………あ」 また手元が留守になりそうになって知らず己で苦笑した。もういい大人になって泣くこともなくなったし、泣き虫と言われることもない。 そうやって、月日は流れていくのだ。 「この子は渡せません」 「子供だけは立派な跡取りにしてやろうってのに。いいから、私に渡しなさい」 夫が苛立ちを隠しきれず、美郷ににじり寄る。その後ろで遊郭から身受けされた女が妻の顔をして、せせら笑っている。 「嫌です、できません」 「三行半を突き付けられた分際で強気だねぇ」 女の言葉に、口を引き結んで美郷は身を縮こませて耐えた。何不自由なく育ってきた夫の遊びが過ぎた結果の離縁であっても、美郷は受け入れるしかなかった。 だが、何と言われようと、文字通り帰るところがなかろうと、美郷は子供を渡すつもりはなかった。 「ほら、寄こしな」 「嫌です」 子供を護るように美郷が覆いかぶさる。 テコでも動かない様子に、夫達は眉をひそめて、今日のところはと引き上げていった。 静かになった美郷の部屋で、思い出したように子供が声を上げる。 「かあさま。どうしたの?」 「何でもないのよ。何でもないの」 「痛いの?」 母親の泣き顔に、子供がつられて不安で泣きそうになる。 「大丈夫。…大悟は強い子ね?」 精いっぱいの笑顔で名前を呼ぶと、笑顔を輝かせながら大悟(だいご)は頷く。 「うん」 幼い手がしっかりと母の着物を握りしめる。 「…………」 美郷は何も言わず抱きしめた。この子だけを置いて、ここを出ていくことはできなかった。 ●うそつきの森 「水戸屋さん、女将が変わったってよ」 「え? なんで?」 「なにやら太夫(たゆう)を身受けしたっていうぜ。あそこの坊も嫁が出来て落ち着いたかと思ったらやっぱり悪い虫が騒ぎだしたってこった」 ひそひそと茶屋で商人達が情報交換をしている。前の女将はどうしたんだというと子供を連れて突然出て行ったという。 「ひぇー、やるねぇ」 「でな、子供を取り返しに開拓者を雇ったってよ」 そこまで聞いて、相手の男が飲みかけた茶を噴いた。 「開拓者ぁ? 引き受けるか?」 「まあ、普通の用心棒じゃあ、見つからないところに潜り込まれたらお手上げだからな」 春駒屋で団子をもぐもぐと食べながら、仕入れてきた噂を男は訳知り顔で話す。 「見つからないところって……」 「アヤカシだよ。そんな奴らがいるところに隠れられたら、ってことだよ」 「生きて出られるわけがないじゃないか」 「そうなる前に、息子だけは取り返したいんだとよ。言わねえだろうけど」 「はあ…業が深い話だねえ」 「……すいません、その話、詳しく聞かせてもらえませんか?」 ゆらりと大きな体をした青年が影を揺らし、噂話でひとしきり盛り上がっている男達の傍にいつの間にか立っていた。 それはたまさか、村の為の買い出しのために久しぶりに町に出てきた大吾であった。 ―――うそつきの森っていってな? 話そうとすると、木霊が嘘をつくんだ。 ―――木霊のアヤカシのせいだろうけど、誰も正体を見たやつはいない。 ―――開拓者? ギルドにいるよ。依頼の参加者はそこで募るからな。 大吾は話の真偽を確認するために、ひたすらにギルドへ向かって走った。 |
■参加者一覧
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
水月(ia2566)
10歳・女・吟
千代田清顕(ia9802)
28歳・男・シ
山茶花 久兵衛(ib9946)
82歳・男・陰
曽我部 路輝(ic0435)
23歳・男・志 |
■リプレイ本文 ●嘘つきの始まり 「妻が息子を勝手に連れ出しちまったんだよ」 水戸屋の主人は、ばつの悪そうな顔で、開拓者に似顔絵を配ってみせた。泣いて帰ってくるだろうと思っていたところ、一晩経っても戻ってこず慌ててギルドに依頼したらしい。 「奥さんを見つければいいのですね」 美郷の特徴と容姿を頭に叩きこみながら、千代田清顕(ia9802)が尋ねると、水戸屋は苦く笑って子供の似顔絵を指し示す。 「いや子供がね、心配なんですよ。まだ小さいものだから」 「…そうですか」 清明が一瞬、返答に間をおいた。 皇 りょう(ia1673)は先ほどからのやりとりに少し眉を顰めている。 依頼人の様子に、それぞれが不審を抱いた。 水月(ia2566)に至っては、嫌悪感が芽生え、下を向いてぎゅっと手を握り締める。 依頼人の背景にある事情を感じ取って、九法 慧介(ia2194)は、小さく成程、と唸った。ギルドの依頼人も様々ということだ。 開拓者は、美郷と大悟の目撃情報を追って街道沿いを探し始めた。魔の森に入ったと思われるならその箇所を特定したかった。 すると、捜索の手伝いをしたいと大吾という青年が付いてきた。水戸屋の指図ではないらしく、荷物持ちでもいいからと同行を願い出る。 「なんだ、知り合いなのか?」 道すがら、美郷と幼馴染であるという事実に、青年が捜索の助けになると考えた一行であったが、青年の素朴な反応も楽しんでいた。 話好きな山茶花 久兵衛(ib9946)があれこれと大吾に美郷に関する質問をしては鷹揚に頷き、おもむろに、 「なんだ、惚れとるのか?」 と総括した。 荷物を落としそうになりながら、大吾がしどろもどろになっている。 「『幼馴染のため』とはいえ…魔の森まで同行するとはやりますねぇ」 慧介が前を向いてふふと笑う。 「ま、少なくとも嫌いな人間と同じ名前を子供につけたりしないよ」 清顕もしたり顔で二人の仲を肯定してみる。 「目的はどうであれ死ぬ気が無いなら、わし等から離れんことじゃの」 曽我部 路輝(ic0435)がにやりと笑いながら大吾の胸を拳で小突く。 「僕は美郷が無事でいてくれればいいだけで…その……」 りょうがじとりとした視線を大吾に向けた。 「……幸せになってほしいの」 水月が首を傾け、少し大吾を見上げながら、美郷の幸せを祈った。母子が幸せになるには大吾がしっかりしてくれなくては。 「うん…僕も願ってます」 小さな水月を見てほのぼのと答えている大吾に、だからお前が…!と全員の苛立ちが募ったところで、目撃情報が途絶えた魔の森付近にさしかかったのであった。 街道からも赤い花が点るように咲いているのが見える。それこそが魔の森である証拠だが、道から離れ、森の奥深く入るにつれ、花が軌跡を描いて散っているのがわかる。 誰かが、奥へ入ったしるしであった。 禍々しいまでの赤い花弁は、発光するようにぼんやりと輪郭が滲んでいる。触れればはらりと地に落ち、木霊が発生する。 その仕組みを聞き及んでいた開拓者は、大吾を取り囲むようにして、森の奥へ進む事にした。 「厄介じゃの」 路輝が歯がみをした。 既に発生した木霊の声が微かに聞こえてくる。 美郷の方は無事ではないかもしれない。 「木霊の位置を探りますか。これ以上は、花を傷つけないようにして」 「そうだな。目の前に現れたヤツは斬り伏せてくれる」 慧介とりょうが美郷の身を案じていることは大吾にも判った。魔の森に入って、無事でいられるものなのか。 「おっと、おんしまで闇雲に動きなさんなよ? 勘定と手元が狂うき」 手首を慣らしている路輝の一声に、大吾がびくりと大きな肩を竦めた。 「大吾さんは呼び掛けを頼む」 「わかった」 大吾の返答に清明が頷くと、素早い跳躍で足元の花を回避しながら森の奥へ消えていく。 開拓者達の雰囲気が先ほどとはうって変わって、戦う者のそれに変貌を遂げるのを大吾は身をもって知ったのであった。 手錬れの開拓者にとっては、アヤカシの存在を把握する事は、さほど労を要しはしない。だが、数の多さと時間との戦いがそこにはあった。 「…三、四…ごちゃごちゃとうるさいな。五、六……」 即刻叩き斬る―――そう決めたりょうの動きに淀みはなかった。閉じていた目を見開いて、肉薄した木霊に閃撃の一刀。少年の形をして驚かそうと構えた木霊は叫ぶ暇もなく二つに割れて霧散する。 「当たり」 ふっと、りょうが笑んだ。 外れていたらどうするのかというのは愚問であり、唯一、それを眺めていたのは、久兵衛の式だった。 「やれ、世の中、美女と馬に蹴られて死にたい奴が多すぎるな。気持はわかるんだが」 豪快な成敗っぷりに感嘆しながらも、久兵衛の梟は更に翼と視野を広げる。 足跡、花の散り方、身を潜めそうな木陰。 奈落の底に突き落とされたような気持でいる娘を探すため、久兵衛の精神は研ぎ澄まされていく。 「美郷ぉ――」 大吾が大声で呼びかける。 すると、あちこちで木霊が反応する。 『ミサと――』『みサト―――』 「「!」」 水月と清顕は、飛び込んできた木霊の声を拾って一瞬耳に手を当てた。右に左に、幾重にも声真似をする木霊の存在。 大吾も怯んだが、木霊が収まるのと同時に再び呼び掛ける。 「助けに来たんだ」 ―――『こっち』『ミサト』 木霊が様々な声音で問いかける。美郷の声に似た女性の声もある。 ―――ビィン。 張り詰めた弦を爪弾く音がそれを制した。慧介の手元から紡がれる音が共振する。音の差から、周辺の存在の密度を測り、瘴気の塊であることを確認する。 黙した慧介が一つの影に狙いを定めた。 幼い髪の少女。綺麗な笑みを浮かべたまま。 「こっち…」 言いかけて、目にもとまらぬ速さで慧介に額を射抜かれ、少女は知らず仰け反る。その体躯は地に落ちる前に瘴気となってさっと辺りに溶ける。 「―――っと。危ない危ない」 怜悧な殺気を発していたと思ったのも束の間、花に弓が当たりそうになって、慧介は苦笑する。 アヤカシの存在を見せ付けられた大吾だが、最早何が何だか分からない。 「迷った時はね、一つの事を願うのが大事なの」 つんつんと大吾の袖を引っ張った水月がしゃがみ込んで枝を拾う。 「美郷さんがどこにいるか教えて。……こうやって願うだけでいいから」 ね?といわれて、大吾は水月の横に座り込んで、一心に願う。 水月の手からポトリと枝が倒れた。 「?」 棒が自分を指して倒れたのを見て、大吾が後ろを振り向く。が、誰もいない。 「大吾さんが頑張るの」 「え?」 「大吾さんにかかってるんだと思うの…」 「ええー?」 大吾の大声に木霊も同時に叫んだ。懸命に捜索している開拓者の神経というか……ここまでくると癪に障った。 「「「う・る・さ・い」」」 全員に今更!と叱られ、挙句、 「離れるなとは言うたが、仕事の邪魔じゃ!」 と盛大に路輝に頭をはたかれる大吾であった。 ●泣き虫と弱虫 ぼんやりとした意識の中、懐かしい声がした。 「かあさま」 「離れちゃ駄目…」 美郷は狭い木のうろの中で大悟を抱きしめた。 木霊に騙されてつい森の奥へ入ってしまった美郷の体には、痺れが残っていた。 (大吾…?) そんな訳がないと頭を振るが、あの心底驚いた時の情けない声に聞き覚えがある。 うろに手をかけて、美郷が外を窺おうとした時、梟が舞い降りる。トトッと着地で跳ねながら、首を捩って美郷を見た。 ややあって、黒影が音もなく眼前に現われる。 「美郷さん?」 清顕は美郷が口ごもるのを想定していたように微笑んで手で制した。 「大吾さんと昔食べ過ぎた物は何?」 「…おはぎ」 「うん、お待たせ。助けに来たんだ、大吾さんもいる」 清顕が手を回して合図すると、梟が煙のように消えた。 「―――え」 「どうしたの?」 「大吾が…いるわけない。ここに来るわけがないもの」 「そんなに疑うなら、会ってごらんよ。さて、こっちがもう一人の大悟くんか」 「おやつ?」 「あとで食べよう、ね。ゆっくりと――」 外へ大悟が出ないように樹に手をかけると、清顕がちらりと目配せをする。美郷が大悟を抱き寄せると、清顕がバネ仕掛けのように勢いよく後転して、抜刀した。 「こっちだよ? 美郷」 そこで偽りの笑みを浮かべているのは、大吾に似た青年だ。先に清顕が出会っていなければ美郷は騙されていたかもしれない。 「一緒にいよう」 「ついていい嘘ってものがある」 皮肉めいた角度に口角を上げて、清顕が構え直す。地表を滑る木霊を押すように、風と化して追いかける。 「おう、揃っておるな」 久兵衛も藪から出てくると、符を挟んだ武骨な指で木霊を指した。清顕の攻撃を何とかかわしていた木霊の動きが鈍る。人型のせいか、己の中で反響する呪わしい声に苦悶の表情を刻む。 「助けて、なんて言わないよね?」 くすりと笑んで清顕が木霊の耳元で囁くと、仕草とは裏腹に躊躇なく忍刀を首筋に突き立てた。引き抜かれると同時に黒い霧と化す。 「ああ? よぅこれだけ化けたもんじゃの」 人間の精気を糧とする木霊が、人の気配に集まって来る。 路輝も木霊退治に加勢する。情熱を真っ赤な炎と化して刃に載せ、素早く斬りつけて弾き飛ばす。 その傍で―― 「美郷!」 「―――おんしっっ?!」 美郷へ駆け寄ろうとした大吾の首根っこを路輝がぐいと捕まえる。 赤い花はゆらりと揺れた…だけだった。 「さてはわざとじゃろう?!」 路輝が思わず叫んだのも無理からぬ話であった。 「体は大丈夫?」 水月が美郷の青白い手を包みこむ。体に残っていた痺れが消えた。久兵衛のいでたちに大悟は泣いたが、お呪いで手足の傷が消えると面白がっていた。 「ありがとうございました」 頭を下げる美郷の表情は暗い。水戸屋の依頼で救出に来たのなら、そこへ戻るしかないのだ。 「大吾、遠くまでありがとうね」 「無事でよかった…」 二人は互いの姿を久しぶりに認め合ったが、それ以上言葉が続かない。 りょうが痺れを切らして、大吾を捕まえた。 「……本当に、このままでいいのか? 美郷さんは気高い心の女性とお見受けするが…だからと言って、寂しくない訳はないのだぞ」 後半は、溜息交じりである。 「そうなんですか?」 大吾がまじまじとりょうを見つめる。 「そうなんですかってお前……」 「………りょうさんがいうと説得力があるな、と思って…」 「―――ば! 馬鹿なことを! 誰が私の事だといっている!」 珍しく真っ赤になりながら、睨みつける。 「この期に及んで美郷殿と他人でいる気はないだろうな? 離さないでやってくれよ」 「―――それは」 どうだろう。美郷にとって迷惑ではないだろうかとずっと秘めてきた。それを口にしたら、おしまいだと大吾は思っていた。 あの桜の門出がよぎる。 美しい花嫁を困らせたくはなかった。 だが、今、幾筋もの涙の跡を必死で繕っている美郷を放り出すこともできない。戻れば、幸せかとは聞けない生活が待っている。 「大悟って名付けたのだし、美郷さんだって大吾さんのこと好きじゃないの?」 水月が美郷の手を引いてやった。 美郷が目を伏せて、黙りこむ。望んだとて今の美郷の状況では望みを口にできないだろう。 「…守りたいんじゃろ? じゃあ今が頑張りどきじゃき! 此処で男見せんでどうする!」 路輝がばん、と背中を叩いた。 「美郷…」 美郷が泣きそうで大吾は焦った。 それでも、伝えていないことを言葉にして伝えるしかない。自分が引っ込み思案で言わずにいたことは、伝えておくべきことだったと皆から叱られた。 膝が笑うし、心臓はやたら大きく鳴るし、声が上手く出ないけど。 「―――― 一緒になろう。僕と、帰ろう。…大悟も一緒に」 大吾が精いっぱいの気持ちを伝えた。それを聞いて、美郷がぽろぽろと涙を零した。あんなに気丈だった美郷が、泣きながら小さく返事をした。 「……お兄ちゃんも、痛いの?」 大悟が大吾へ小さな手を伸ばす。 「はは…そうか。うん。僕は元々泣き虫だからね。…おいで」 美郷が守ってきた小さなぬくもりを抱きしめて、鼻を鳴らすと、大吾は美郷にもう片方の手を伸ばす。 「僕と帰ろう。僕が守る。君と大悟を…弱虫でも、泣き虫でも、守らせてほしい」 「…馬鹿ね。私達…」 頷きながら、美郷が大吾の胸に飛び込んだ。 「…私が言うのも何ですが…皆さんが困ることに」 「お金の為に仕事してるんじゃないしねー」 慧介が気にしないようにと美郷に手を振る。 「あの依頼主に正義があるとはとても思えぬ。契約を反故にする事になるにしても、力になりたい」 「あと、身を隠すところが必要になったら、ここも訪ねてみて」 水月がくれぐれも気をつけるように言いながら見知った場所の地図を二人に渡した。 「元気でね」 「皆さんも」 三人はまるで最初から親子だったかのように、寄り添いながら、何度も頭を下げた。振り返ればいつまでも、佇んでいた。 「さて、もう一仕事…行きますかね」 慧介が手にしているのは、偽物の血をつけた美郷と大悟の衣服だ。大吾が持っていた荷物の中の服に着替えてもらい、捜索対象の二人は死んだところを発見した事にしようと全員で決めた。 開拓者の報告に飛び込んできたのは、水戸屋本人であった。 「で、守備は? 息子はどこだ?」 忙しなく周囲を見回し、子供がいない事に憮然とする。 「話が違うじゃないか」 「申し訳ありません。既に美郷殿と大悟殿はアヤカシの手にかかっておりました…」 畳の上に、血の滲みと泥がこびりついた衣服が並んでいる。 神妙な面持ちで慧介が頭を下げた。言いたいことはさておいて、貫かなければならない仁義である。 「助けに行かせたのにどういう事だ!」 「お力になれず申し訳ありません」 清顕が後ろの新妻に流し眼をやると、あら、とまんざらでもない反応である。夫にも子にも新妻はさほど執着が無いらしい。 「報酬は一文たりとて払わんぞ!」 「それはまぁ、仕方がないな」 久兵衛が耳の穴をほじりながら、生返事をする。 「開拓者ギルドにも文句を言ってやる!」 「なんとでも言えばええじゃろ。ホントのことじゃき、のぉ?」 かりと頭をかいて、路輝がりょうに同意を求める。 「お叱りは覚悟の上」 涼やかな表情でりょうは相手の怒りが静まるのを待つ。 散々、水戸屋が避難しても侮辱しても、誰も顔色を変えなかった。 水戸屋を辞する段になって初めて。 風にのって、水戸屋の後ろで床の間の花が揺れたとき。 それぞれの得物が、ドス、と大輪の赤い花びらを壁に縫いとめた。 「おっと失礼。…嘘つきの森の帰りなもので」 壁に残した大きな傷跡と水戸屋の恐怖にひきつった顔を駄賃に、開拓者達は互いに肩を叩き合いながらギルドへと引き揚げたのであった。 後日ギルドから、報酬を手放したことの調査も入るだろう。 だが、それは、嘘と幸せの対価なのだと誰もが納得した結果であった。 |