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■オープニング本文 ●鈍色(にびいろ) 手を止めると、静けさが返ってくる。 一拍置いて、そのあとを孤独が追ってくる。 「………」 溜息で気持ちを切り替えると、落ちてきた黒髪を耳にかけ、微かな蝋燭の明かりの元、またちくちくと針を運ぶ。 絹に施された刺繍は表だけではなく、裏から見ても芸術品のように美しい。 少女が作る衣装は丁寧な作りであることは勿論として、華やかなものや一点もので誂えると、必然として高貴な身分の者たちに買い求められた。 それは多分喜ばしいことなのだろう。 「…………」 だけど、と心の裡で繰り返してきたやり取りを続ける。 (ひとりで生きていくために覚えたんじゃないわ…) 少女は、育ててくれた親代わりの開拓者を助けるために生きたかった。引き取られた時には開拓者が何かは分からず、毎日大なり小なり怪我をして帰ってくる男が不思議でならなかった。 ただ、最低限の会話しかしなかった幼い子供が、鉤裂きになった着物に、下手くそな大きな縫い目で繕った跡を認め、男は目を細めた。 ―――そうか。裁縫が好きか。 うん、とも、いいや、とも言わなかった。 だが、しばらくすると少女は小さな針山を貰った。 それからは、自分のする仕事なのだと思い、日々、繕いものをし、たどたどしくも家事をこなし、親代わりの男の帰りをじっと待った。繕い終えた着物に袖を通すといつも男は礼を言っていた。 自分が、開拓者の依頼がらみの孤児であり、それが縁で男の元へ引き取られたことは長屋の人達から聞いた。少女がもう知っていると思って口にしたのだろうが、初めて耳にした、少女――桔梗(ききょう)は己の置かれた状況にそれで合点がいった。 桔梗はそれを一切養父に質すこともなく、以来、養父の帰りを待つ時間にひたすら静かに針を運び続けた。 だから、帰ってくるはずの日を数日過ぎて、未だ一人でいることに桔梗は不安を募らせていく。 (大丈夫。いつだってそう。この十年そうだった。そのうち、うっかり長くなったって言いながら帰ってくる…) 今回は遠いと言っていた。その分、土産も買ってくるから楽しみにしていろと。 それだけを考えて待てばいい。 養父の着物を繕う為の、新しい針を買ってきてくれるのだから。 手を止めず、縫い続けていればいい。 ●貫くもの 開拓者たちは、仲間を一人失った悲しみにじっと耐えていた。 元より、作戦で使用した焙烙玉の爆発によってかなり大規模な山崩れが起こることは分かっていた。 誰もいなくなっていたはずのその村に、突然子供の泣き声がした。 ―――罠だ。 誰もがそう思いつつ、万が一、を捨て切れなかった。 結局、飛び出していった月英(げつえい)は、人の声を真似たアヤカシの元へ飛び込んでいってしまった。 次いで爆発した焙烙玉で崩落が起きた。 アヤカシも死んだが、月英も帰らぬ人となった。 月英の遺品を前に、開拓者たちはそのおおらかで優しい人柄を思い出す。 ―――娘に土産を頼まれてなぁ。 まんざらでもなさそうに焚火の向こうで笑っていた。依頼の地図にそっけなく、金色を帯びた針が一本挟んであった。それは娘の元へと届けられるべきなのだ。 ギルドへ託ければ、刀や遺髪などと共にギルドから娘に渡されるだろう。 会って話すのがいいのか、そっとしておいたほうがいいのか。 唯一の娘、というその少女の境遇を考えると、開拓者の答えは容易ではなかった。 「桔梗ちゃん。今日は出来あがったかい?」 「ごめんなさい。おばさん。…針が折れてしまって、仕事ができないの」 「またかい? 続くもんだねえ。針子が針なしじゃあねぇ。…大丈夫かい?」 うっすらと目が腫れている桔梗を心配そうに近所の女が覗きこみ、よかったらこれあげるよ、と大小の針を寄こしてきた。 それに小さく礼を述べて受け取ると、桔梗はまた静かに戸を閉める。 暗がりになったかまどの上には、折れた針が何本も並んでいる。 (新しい針なんて、いいのに…) 正しくは折れたのではなく、それらすべて、桔梗が一本ずつ石で叩いて折ったものだった。 振り下ろした石の下で、ぱきり、と小さな音がする。 そのたびに、何かが壊れたように胸が痛くなって、ぽろぽと涙がこぼれるのだった。 手を止めると、静けさが返ってくる。 一拍置いて、そのあとを孤独が追ってくる。 分かっているのに、心のどこか奥深く、頭のほんの隅っこで、帰ってこない理由も知っているのに。 いつものように誤魔化しきれずに、手が止まったままだ。 針がなくなれば、養父がきっと持って帰ってきてくれる。 桔梗はすがるような気持ちでそう願い続けた。 |
■参加者一覧
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
シャンテ・ラインハルト(ib0069)
16歳・女・吟
真名(ib1222)
17歳・女・陰
イーラ(ib7620)
28歳・男・砂
エリアス・スヴァルド(ib9891)
48歳・男・騎 |
■リプレイ本文 ●やわらかな刺 「ギルドから正式に通知も行くのよ。無理に行かなくても大丈夫」 ギルド職員の華 真王(iz0187)が、フェンリエッタ(ib0018)に苦笑しながら答える。 だが、フェンリエッタは真剣な表情で首を横に振ると、受付卓に置いた手を握り締めた。 「まだこの依頼は終わってないの。最期の仕事に、心から敬意と哀悼の念を抱くから…自分達で届けたいの」 開拓者達が、依頼で命を落とした月英の娘の元へ赴くという。ギルドでもつらい仕事だが、同行した開拓者が役目を買って出るのは稀ともいえよう。 詳細な報告は月英の家から戻ってからと言い残し、月英の分の最後の報酬を受け取ると開拓者は休息もそこそこに、娘の元へと急いだのであった。 日が経つにつれ、近所に住む者たちも、桔梗にかける言葉がなくなってきていた。元々静かな娘だが、めっきり口数も減り、井戸に水を汲みにも来なくなった。 そんな折、変わったいで立ちの男女がやってきて、月英と桔梗の家を尋ねてきた。 「やっぱり月英さんは…」 「桔梗様のことを伺っていました。どうしてもお会いしたくて…月英様からのお届け物があります」 沈鬱な表情から、やっとそう言葉にしたシャンテ・ラインハルト(ib0069)が再びきつく唇を結ぶ。開拓者である以上、命駆けで依頼に臨んでいることは理解していたつもりだが、仲間を失うという事実に直面し、胸がきつく締め付けられる。 月英の人柄が偲ばれるように、井戸端に集まっていた村の女達は言葉を失って涙ぐむと、桔梗の元へと言葉少なに案内してくれた。 「最後の、土産…か。…やりきれねぇな」 イーラ(ib7620)がぽつりと、道中、足元の石ころを蹴りながら呟く。思考がまとまらない様子で髪をかき混ぜた。 覚悟はして来たものの、皆、足取りは重い。 (悔いて自分を責めたところで、時の流れは巻き戻せず) 皇 りょう(ia1673)は心の中で己を納得させようと繰り返しながら、それでも、と反問してしまうのだ。 あの時こうしていれば、あるいはそもそも違う種類のアヤカシであれば――と。 りょうは固く瞼を閉じた。 月英が飛び出していったあの記憶が間違いであってくれればと今更ながら願わずにはいられなかった。 案内された長屋には、息苦しいほどの静寂が満ちている。ぴたりと閉ざされた扉からは、逆に、何者をも拒絶するような気配が漂ってくる。 それでも、勇気を出して真名(ib1222)が扉を叩いた。 「桔梗さん。いらっしゃいますか」 声をかけると、躊躇うようにひどくゆっくりと木戸が開いた。 「貴女が…桔梗さん?」 真名が痩せた少女を見て、内心驚きながらも、そう確認する。ここまで、病弱そうな娘だったとは。 帰ってこぬ養父を待つ心労がそうさせたのは想像に難くない。 「……なんでしょう」 託宣を待つかのように、桔梗が先を促した。帯びている武器やただならぬ雰囲気から、彼ら彼女らが何者かは察しが付く。 やがて桔梗は俯いた。何かに耐えているようであった。 そのか細い心を手折るような気がして、誰もが言葉を継げずに間があく。 ややあって、フェンリエッタが静かに、月英が持っていた依頼の地図と遺品を差し出した。地図には、月英の報酬と彼が土産にと用意していた金の針が包まれていた。 桔梗が遺品に目を見張る。みるみる両の瞳に涙があふれてきた。 「…いりません。そんなもの要らない。父さんは、まだ帰ってきてないもの」 「桔梗さん」 「……きっと、道に迷って遅れているだけなんです」 桔梗がフェンリエッタの手に包みと遺品を押し戻す。 「辛くても、悲しくても、受け入れなきゃ…ダメ」 真名が少し厳しい顔になって受け取るよう促す。 「貴女はずっと待っているんでしょ?お父さんの事を。でももうお父さんは…もう、いないの。だから待っていても、帰っては、来ない」 「……そんなの嘘よ」 とうとう、つうと透明な線が桔梗の白い頬を伝った。 「月英様は、桔梗様のことを気にかけていました。私達の事はいくら否定されても、受けます。けれど、貴女の大切なお父様の想いと、遺したものまで否定なさらないでください……」 シャンテが扉を閉ざそうとする桔梗に慌てて話しかける。 「もうやめて、お願い。……放っておいて」 桔梗が途切れがちにそう繰り返す。月英の死を知った彼女の心には何もかもが刺となって突き刺さる。 痛ましい様子にそれ以上無理強いはできず、開拓者達は一旦桔梗の家を辞することにした。 ●輝かしき時 「第三者からの慰めや励ましをもらっても、自身が事実として受け止めぬ限り立ち直れないだろう」 エリアス・スヴァルド(ib9891)は坐したまま、じっと前を向いて、思いを口にした。 一行は、近くの空き家を少しの間借りる算段をとり、不寝番をたてている。 「しつこい女だと嫌われてしまうかもしれないがな」 苦笑しながら、りょうが開け放った戸口に背を預けて、桔梗の家の様子を伺っている。思いつめて馬鹿なことをしやしないかと心配なのだ。 それに、はいそうですかと追い返されてしまうほど、軽い気持ちで訪ねてきたのではなかった。りょうとて、父親を失っている身の上であり、桔梗のことが人事には思えないのだ。 「…それでも、待っているのだろうな」 エリアスが自嘲的に言いながら、枯れ枝を折って、囲炉裏の炎に足した。ゆらゆらと小さく揺れる炎は、桔梗の心のようにも思えた。 精一杯理解しようとしているが、それでも割り切れぬ思いは湧いてくるのだろう。 今少しの時間が必要だ。 エリアスの中では、答えのない問いかけが繰り返され続ける。問うべき月英の影は炎の向こうにもういない。 「…父さん、か」 その言葉を口にして、フェンリエッタは膝を抱いて小さく体を丸めた。祖父が父がわりになってくれていたから、父親とは月英のような感じだろうか、と想像したことがある。一緒に居ると楽しかったし、安心できた。フェンリエッタは桔梗と月英の話がしたかった。どれだけ大切そうに話していたか、伝えたかった。 夜とともに辺りに静けさが落ちてくると、誰もが、あの時、と振り返られずにはいられない。 そして、桔梗の境遇を開拓者たる自らの人生の一部と重ねずにはいられなかった。 次の日も、また次の日も、開拓者達は足を運び続けた。 桔梗は、その度に帰ってほしいと繰り返す。 このまま月英の思い出を置き去りにしても、誰も文句は言わないだろう。 しかし、六人はそれをよしとせず、桔梗に会えるまでと粘った。 三日目の夜が訪れ、桔梗の体が心配になってきたころ。 「…話をさせてくれねぇか」 イーラが閉ざされた扉に額を寄せて、懇願するように伝える。 月英が、あの優しい男が、最後に何を護ろうとしたか。 イーラ達に何を残したか。言葉を選びながら穏やかに語る。 「お前さんのことも必死に護って来たんだろう。帰ってくることがどんだけ安らぎだったのか」 「…………」 「尊敬するよ、人として、男として、開拓者として」 「ただの、お人よし……だわ」 しゃくりあげる声が微かに聞こえた。月英が最期に助けようとしたのが子供だったと聞いて、桔梗が堰を切ったように泣きだした。 アヤカシの罠なのに。それでも飛び込むなんて。 「お父さんの馬鹿……死んじゃったら何にもならない……!」 戸の向こうで草履が滑る音がして、桔梗が力なくうずくまったのが分かった。父さん、父さん、と何度も繰り返す。 「月英殿の話も聞かせて貰えないだろうか?」 イーラと並び、少し口調を改めて、りょうが問いかける。 「ただ――ただ、月英殿という人物を自分の心に深く刻んでおきたいんだ。それが理由では駄目だろうか?」 「お父さんの事、好きだったのよね…」 真名が同じく涙交じりの声になりながら、桔梗に語りかける。 「月英さんもそう。貴女の事を話すときの顔、とても嬉しそうで幸せそうだったもの」 だから話を聞いて、話を聞かせて。 真名がお願い、と繰り返す。 誰もが月英を失った悲しみを抱えている。その傷は一人で負わなくていい、と。開拓者は口々に訴えかける。 「どうして…そんな風に―――」 問いかけようとした桔梗の中で、月英の声が蘇った。 ―――開拓者はな、一人で戦うんじゃないんだ。 誇らしげに言った養父の言葉を思い出した。 やがて、ゆっくりと扉を開けて、桔梗は涙で歪んだ視界に心配そうな開拓者の姿を捉えた。 (最後の、仲間―――) そう思った途端、ふらりと桔梗の体から力が抜ける。 「!」 エリアスが咄嗟に細い桔梗の体を抱きかかえる。 (父さん……) 桔梗の意識はそこで途切れた。 極度の栄養失調と心労がたたって気を失った桔梗だったが、近所の者達の助けも借り、丸二日寝込んで何とか起き上がれるまでに回復した。 シャンテが看病の合間に折れた針を見つけると、桔梗の悲しみと孤独の深さに溜息をこぼした。あのままの状態であれば、桔梗自身も折れてしまう所だっただろう。 一人で沈み込んでいた世界から、救いあげられた桔梗は、請われるままに、ぽつりぽつりと月英との生活を話し始める。 幼い桔梗に見つからないようギルドに武器を預けていたこと。 不器用でいて、優しくて、温かな人柄は、誰からも好かれていた。無口で人見知りの桔梗に向けられた笑顔はまぶしくて。 それでも、裁縫で役に立てることを知り、ようやく、居場所を見つけて、父と呼べるようになったこと。 開拓者達はあの月英がねぇ、と噴き出すやら、激しく頷くやら、桔梗の一言一言を聞きもらすまいと耳を傾けた。 逆に、桔梗も月英の話をせがんだ。まだ、傷は癒えていないが、仲間である開拓者が去っていってしまう前に、話を聞いておきたかった。 報酬の少ない仕事を引き受け、誰よりも張り切っていたという父。 子供に懐かれて、集合に遅れそうになったり、逆に作戦で突っ走ったり。仲間に恵まれて、楽しく騒いでも、最後には帰らなきゃならんと慌てていたとか。 最期の時は、桔梗の知る、父らしいと思えるものであった。 「俺達も命を貰った。あいつが行かなきゃ、他の誰かが行ったかもわからねぇ」 イーラが寂しそうに笑う。 「本当に立派な父上だった。もう少し、早く気付いて止めることができれば今頃…」 りょうが言葉を詰まらせる。どれだけ後悔しても、健気に笑みを作ろうとする目の前の娘に月英は帰せない。 (――糞っ。自分の弱さに吐き気がする……ッ!!) 悔しさを押し殺そうとするりょうの拳に、桔梗がそっと手を重ねる。言葉はないが、唇をかみしめてゆっくりと左右に頭を振る。 「人はいつか必ず死ぬ。出会いがあれば、必ず別れがある。離別は避けられない」 少し離れたところで、一人佇むエリアスが腕を組んで淡々と摂理を説く。 「ならば、出会わなければよかったのか?」 それは、エリアスが自らに問い続けてきた。 しかし、その答えは、涙をたたえた娘が答える。 「いえ……その人の心で生きるためには、出会うべき運命だったのだと思います」 「…………温もりを知ってしまったからこそ、独りが辛くなるのに?」 「―――――」 桔梗は心をぎゅうと掴まれた気がして、黙りこんだ。 どの開拓者も、己と同じ、否、それ以上の大きな悲しみを抱えているのだとひしと感じた。 皆、愛しい人を失った辛さの中、嘆く声を押し殺しながら、開拓者として命を賭けて戦っているのだ。 ―――それ以上、失わないために。護るために。 「それでも…父は…父は、皆さんと居て幸せ、だったんです。きっと」 桔梗の精一杯の答えに、エリアスが少し頷いた気がした。 つつましくも幸せな日々が、月英の愛情が、この娘の中に息づいている。 そうか、と静かにもう一度頷く。きっと月英も同じ答えを返すのだろう。たとえ、死ぬことが判っていてもこの娘と生きて幸せだったと。 娘もまた、泣き笑いの顔で自分は拾ってもらって幸せだったと呟いた。 フェンリエッタが畏まりながら、すっと件の包みを桔梗の前に差し出す。 「少しですが…報酬に足させてもらいました」 「お金なんて…」 「施しじゃあありません。どうしても…どうしても、月英さんに心から敬意と哀悼の意を示したいのです」 「両手いっぱい、抱えきれるだけのもん守って生き抜いた。…大した男だった。畜生、死んじまったら追い越せねぇじゃねぇか…なぁ?」 悔しいような苦しみも憧れも、軽口に混ぜたつもりなのに、イーラが声を詰まらせる。 桔梗はゆっくりと包みを解いて、そこに金色の針を認め、しばらく手を触れずに眺めていた。 シャンテが、最初のころとは違い、やわらかな雰囲気に変わった桔梗にそっと声をかける。 「その針をどうしても貴女に直接届けたかったのです」 「…どうして針なんかを……?」 「月英様が、娘さんに土産を持って帰るのだと照れながらもおっしゃっていました。だからそれは、月英様自身の帰郷なのです」 シャンテの言葉に、桔梗が針を大事そうにつまみあげる。 「父がそんなことを……」 土産を待っていろと言っていたが、本当だったのだ。 「やっと戻れましたね。月英様」 ―――世話ぁ、かけたな。 照れ隠しに大声で笑う月英の声が聞こえた気がして、シャンテが瞳を閉じて耳を澄ませた。 「全てに、貴方への心がこもっている筈です。どうか声を、聴いてあげて下さい」 「貴女の事を話す時の顔、とても嬉しそうで幸せそうだったもの」 フェンリエッタと真名がそう言って涙ぐみながら、互いにねえ?と頷き合う。 「ありがとう…父さん、皆さん……」 その真新しい針は、月英との幸せな日々の色をまとっていた。 そっと両手を針に添えて、枯れるほど泣いたと思った桔梗の瞳から、温かな感情が再びこぼれ落ちるのであった。 「貴殿は真に立派な開拓者であり、父親だった」 出立ぎりぎりまで月英の墓前に、りょうが手を合わせていると、イーラとシャンテが慌てて丘を駆け上がってくる。 「どうしたの?」 墓前へ花を手向けながらフェンリエッタが首をかしげる。 「桔梗さんのこと、を、ご近所の方に頼みこんでいたら、時間が経ってしまって……」 苦しい息の下で、ようやくシャンテが事情を説明する。 「俺の方は、桔梗が悪い奴に騙されないよう、一通り行商の筋を通してきた……」 大車輪で顔の利きそうな得意先を回ってきたらしいイーラはへたり込む。 「桔梗さん、月英さんの報酬を元に孤児院で裁縫を教えるんですって」 真名が先ほど聞いたことを嬉しそうに話す。 「それはまだ準備してなかったです」 「じゃあ、そっちの方も話つけとかねぇと…」 ふらふらと立ち上がった二人が、月英の墓に、あとで(な)!と手を挙げて丘を下っていく。 「此方は相変わらず、だよ。月英殿」 りょうとエリアスが苦笑しながら天を仰いだ。 託された金の針は、すべてを繋ぎ、何をも貫かん。 残された娘の唯一の活計(たずき)の為に。 |