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■オープニング本文 ● 神楽の都、開拓者ギルド。 「うーむ」 身の丈七尺に及ぼうというアフロの黒人職員、スティーブ・クレーギーが唸った。 膨大な量の書類に淀みなく数種の印を押し分けながら、スティーブの上司、佐藤春が静かに言う。 「厠なら早く行ってらっしゃい。仕事は山積みなんだから」 「ち、違うのでござる! 実は仕事で一つ、難事を抱えてござって」 机の前で頭を抱えていたスティーブが顔を上げた。 「先日のこと、武天は黒塚の地にて、幾つもの村が壊滅したと‥‥」 「吸血鬼騒ぎね」 さらりと春は応えた。 「子吸血鬼の犠牲者が孫吸血鬼になって、大変なんですってね」 「ご、ご存知なのでござるか!?」 スティーブは目を剥いた。 「大騒ぎになってるもの。遺体が数百足りないって」 喋りながらも、印を押す春の手は淀みない。 「そうなのでござる。にも関わらず、あの地のお偉方には後ろ暗い所があるらしく、当地に開拓者を二十名以上入れる事、相成らんと」 「消えた村人が全部吸血鬼になってるかも知れないのに?」 春は眉をひそめる。 「今回の吸血鬼、一匹倒せばそれに噛まれて吸血鬼になった者はただの死体に戻るそうなのでござる。それなら多数の開拓者は必要ないと言われてしまい‥‥どういうわけやら、拙者がこの依頼を担当せよと」 「なるほどね」 春は書類を束ね、端を揃えながら頷く。 「スティーブさんの依頼の仕方が悪かったから失敗した、と言えば、ギルドの面子も立つものね」 「そ、そういうことなのでござるか!?」 スティーブの素っ頓狂な声には答えず、春は机に広げられた地図を摘み上げた。 「ま、沢山の人命が掛かってることだし、手伝ってあげる。二十人で、数百のアヤカシを倒せばいいのね」 「で、できるのでござるか」 春は当然の如く頷いた。 「二十人なら、甲乙丙の三班に分けましょうか。甲班は敵が、それも敵の大半が出てこなきゃいけない状況を作る。住処を丸ごと破壊する準備を始めるとかね。これで出てきた敵の足止めが乙班の仕事。甲班と乙班が敵と遊んでる間に、丙班が親玉の元へ突撃。これでいきましょ」 ●死者巡行 永く、黒塚の地を養うために、産出された貴石の後を埋めるのは、空ろな空間であった。 坑道はひたすらに深く長く、アリ塚のように鉱山を侵食しては、要所に洞窟を残していく。 目的の石を掘りつくして一切の立ち入りを禁じて閉山した山もあれば、なお今開拓される山もある。 崩落の危険と隣り合わせになりながら、山を熟知した者達が暮らす鉱山の暮らし―――そこには、生ける者のみが暮らしているはずだった。 だが今、その鉱山には闇を統べる吸血鬼が息を潜め、己が仕掛けた作戦の成り行きを見守っている。 集落を襲い、生きた者を糧として洞窟に収め、手中に飛び込んでくるであろう者達をじっとヴァン・レイブンは待っているのだ。 生きた人間を思いのまま喰らう屍鬼という兵力を洞窟に蓄えながら。 勢いよく孤を重ねて砂利に散った血しぶきは、その鮮やかさを失い、ただの黒い滲みとなり果てた。 深手を負いながら奇跡的に命を取り留めた男が、惨状と化した現場によろりと立ち戻る。そして…妻子が連れて行かれたその場所にうずくまった。 「ちくしょぉ…。守ってやれなかった……」 誰も彼も、死んだか、連れ去られたか。 あのとき、屍鬼の爪で抉られ、血塗れになる自分の眼に映ったのは、赤い目を凶気に閃かせながら、口元から血を拭う吸血鬼だった。 死んだと思っていた者が、むくりと起き上がって手近の者の首筋に牙を埋めたのだ。 「――――」 死者が生者を襲う。 その恐ろしい結果は、死者の巡行を生むまでに繰り返されていることなど―――男が知ることは出来なかった。 『ただ、川さえ干上がらずに流れていれば』 村は救えたかもしれないと、男は天を仰いだ。吸血鬼は流水を渡ることは出来ない、と聞いたことがある。 村の傍にはかつて、西へ下る細い川が流れていた。鉱山の事故を防ぐため、湧出する水を川に集めていたのである。 鉱夫が村で生活するための水であり、山が生きていることの証でもあった。 「……水さえあれば……」 廃山が増えた今となっては、川は大きく山裾を曲がって細くなり、地下水脈へと流れ込む程度になっている。 襲撃はあっという間だった。それに備えて川を変えることなど、出来なかっただろう。 けれど、誰となく乾いた血溜まりに立ち、その無念さを口にする度、傷つき奪われた村人達の悔しさが滲む。 しばらくして、アヤカシが絡む危険な地帯として、ギルドから避難勧告を伝える使者がやってきた。 攫われた大切な者達を思うと…生き残った村人は、このまま去ることが出来なかった。 傷ついた体を引きずるように使者を押しのけると、手に鶴嘴や掛矢を携え、己達の鉱山に向かって一人、二人と歩き始めたのであった。 ●甲班準備 「ちょっと…えっ! 黒塚ぁ?!」 素っ頓狂な声を上げたのは、緊急、と朱印を押された依頼文を預かったギルド職員、マオこと華 真王(iz0187)である。 「……なにこれ、大変なことになってるじゃないの!」 不穏な事件が多発する黒塚の動向が注視されていたところへ、六つの村の襲撃、おまけに村人の大失踪である。しかも多数の開拓者は用意できないときている。 最少の人数で精鋭を募る必要があった。 「これだけの敵を想定すると、正面から乗り込んでの撃破は無理だろうし……あら?」 最後まで読んで、佐藤春の手からなる緊急手配にマオが「さっすがぁ!」と感嘆する。そこには、『甲班』として、注意を引くために水を堰止め、出来る限りの敵をおびき出し、留めるようにと注記があった。 「川の堰止め工作かぁ、鉱道とか水没させない為には詳しい人がいればいいんだけど…」 どうしたものか――― 考え込んでいたマオの視線の先で、暖簾が跳ね上がった。 「黒塚の鉱山地区に、生存者がいます!」 転がり込んできた使者にマオが目を丸くする。 「え? 逃げるように伝えたんじゃないの?!」 「それが、制止も聞かず、一人ではもうどうにも…!」 堰止めをして水で報復しようとした村人を止めに入ったが、逆に派手に脅されたようで、使者の体は泥だらけである。 「冗談じゃない! 開拓者でもないのに、そんなの見つかったら……」 屍が増え、アヤカシの列に加わるだけである。こうなれば村人を説得するよりもその知恵と作業を出来るだけ派手に利用して、足止めをするしかない。 時間はない。人数も少ない。 だが、今出来る最大限の策を実行する――― 「やるしか、ないわね!」 地図を握り締めながら、マオは先駆となる甲班がすぐ出立できるよう、早馬をかき集めに奔走するのであった。 |
■参加者一覧
ルオウ(ia2445)
14歳・男・サ
由他郎(ia5334)
21歳・男・弓
和奏(ia8807)
17歳・男・志
シャンテ・ラインハルト(ib0069)
16歳・女・吟
ラシュディア(ib0112)
23歳・男・騎
神座亜紀(ib6736)
12歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ●死線に臨む 川の傍には村人と思われる怪我人十人程が土嚢や板を積んで、左岸を掘り始めていた。男達はギルドの制止を振り切って、黒塚の番士の諌めにも取り合わない。 「…成程。厄介だ」 駆けつけた一行が馬を下りると、由他郎(ia5334)が状況を把握して呟いた。ポンと馬の尻を叩いて、馬をギルドへ戻らせる。連れ去られた村人達がアヤカシとなって大群を成しているとすると、到底彼らだけで報復などできはしまい。 だが、その圧倒的不利な状況を打破するため開拓者達は来たのだ。 (何百もの人が、アヤカシの犠牲に……) シャンテ・ラインハルト(ib0069)は痛ましそうに村人の背中を見て悲しみに胸を痛める。己の血か、他人の血かは分からないが、村人の衣服には黒ずんだ染みができている。通りすがりに見た村の状況を考えると、失われたものの重さが分かる。 けれど、怯んでいる場合ではなかった。シャンテは一つ息を吸い込んで、心を決める。 開拓者達はゆっくりと歩み寄る。 「何だ、まだ邪魔をするのか!」 頭に布切れを巻いた男が一行に気づいて叫ぶと、他の男達もツルハシを持って殺気立つ。 「そんな格好でここにいたら、むざむざ襲わってくれといっているようなもんだ。血は洗い流して、血のついた服は着替えろ」 由他郎が止血剤を村人に幾つか投げて寄越した。そしてさっと横を通り過ぎて川を見ると、あたりを警戒し始める。 「……手伝ってくれるのか?」 「色々教えてもらわないと、こちらの作戦もうまく行かないのでね」 和奏(ia8807)が呆然としている村人に敵意がないことを伝え、柔和な笑みを浮かべた。土嚢の数、積みあがった板を確認しながら「堰を作って、どうされるつもりですか?」と続けて尋ねる。 「日光もきかねぇ、ていう吸血鬼で、流水が渡れないってきいたから……今更だけど、一矢報いてやりてぇ。化けもんが潜む坑道とやらに水を流し込んでやるんだ」 北西に流れている川を変え、全部を南へ、坑道まで勢いよく流すのだと興奮した様子で男達は作業を説明した。勿論それは日数も人手もかかる大仕事であった。 「それでは他の死者を出してしまいます。今、開拓者の別動隊も近くにいて、坑道の中にはまだ生存者がいるかもしれないのです…」 じっと辛抱強く村人の主張を聞いていたシャンテだが、やはりという思いで静かに現況を説明した。 「なんだって! それじゃあ―――」 「でも化け物と一緒にいたんじゃ、生きてる仲間もその内殺されちまう!」 騒がしく男達が話し始める。助けに行きたい、仇を討ちたい。だが、吸血鬼や食屍鬼は沢山いる。 「皆、落ち着いて」 神座亜紀(ib6736)が混乱を沈めるように大きな声を出して注目を浴びた。 「皆の無念な思い、無下にするつもりはないよ。だから堰作りに協力して欲しい」 亜紀は、慎重に心を込めて説得するように順に見渡した。 「多くの方が犠牲になって、つらい気持ちは分かります。ですが、ここは協力してください」 「僕らには堰を作る知識やあたりの地形を教えてもらいたい。それを利用して、迎え撃ちたいのです」 シャンテと和奏が、亜紀の想いを押すように願い出る。川の流れを完全には変えず、堰止めの様子で敵をおびき寄せられないかと提案する。 開拓者が連携し、多勢を撹乱して敵本隊を討つ作戦らしい。 しばし顔を見合わせていた村人達だったが、自分達の策では危うく死人を出すところだった事に肝が冷えたようだ。 そして短い話し合いの後、開拓者の立てた作戦の手伝いが出来るなら、と川辺の図面を広げて工事を相談し始めたのであった。 ●混乱の誘引 川の水は大人の腿辺り迄と浅くはあるが、幅を狭くすればそれだけ流れも強くなる。 山裾側である川の右岸の一部を深く堀り、水量を多く蓄えるようにしながら、土嚢を左岸から放り込んで高く積み上げる。川の幅半分にせり出すように堤を作り、それを支えに杭と板を打ち込んだ。 最低限の補強と、壊せることを念頭におく難しい作業であったが、村人は黙々とそれに励んだ。 「…来ましたね……」 和奏が食屍鬼の最初の一人を察知した。落とし込みに使う板を杭に縛っていた由他郎が手を止めて肩越しに振り返る。 これだけの人間の血の匂いと大きな音。水も飛沫を上げ始める。やはり気づかないわけがない。 砂利の上を引きずるような鈍い音とともに、漂ってくる嫌な腐臭。食屍鬼と吸血鬼の群れが禍々しい赤い光を点して群がってくる。 「うおお…ざくざくいやがるじゃねえか」 赤い髪を震いたたせ、ルオウ(ia2445)が強気に喉の奥で笑った。 (まだだ。まだおびきだしてやんぜぃ!) 村人の血のついた服を腰に縛りつけ、迎撃するかの如く軽やかに先頭に突っ込んでいく。それを皮切りに由他郎が矢を番え、援護を始めた。 (食屍鬼の中には…村人の家族もいるかも知れない) 見知った姿が見えれば、村人達の心がすくむ。 ルオウの背を守るように淡々とグールの眉間や首を射抜きながらも、由他郎は祈るような気持ちだった。 「絶対に近づくな…辛いだろうが…あれは、既に動く死体だ」 (自分の死体が生き残った家族を襲ったら、誰より本人の魂が嘆くだろう…だから、絶対に近づくな) その悔しい思いは、確かに預かった―――― 「き・や・が・れえええええええ!」 龍の如く大音声で咆哮をあげたルオウに、敵が群がっていくのが見える。勢いよく食屍鬼の千切れた体が飛び散った。 次いで、村人達を背にかばうようにシャンテが立ちはだかり、フルートを口元に当てた。紡がれる旋律は、人ならざるものの耳に突き刺さる。 「後は可能な限り、持ちこたえること……!」 そうシャンテが吐露した願いは果たして、現実の問題となって立ちはだかる。 人間達を発見して、堰へと殺到し始める前方と、その後ろにまたアヤカシの一塊。 「…こんな悲しい出来事は繰り返しちゃいけない」 敵の行軍を隠れてやり過ごし、懐から血のついた服の端切れを取り出したラシュディア(ib0112)が敵後方から単身切り込んでいた。 手裏剣で挑発しながら、更に多くの敵を引き連れては移動する。食屍鬼の腕を切り落とし、胴を裂き、首を掻き切る。寄る者を斬り倒していく。 (……当たり前に暮らしていた人たちがこんな目に遭うなんて、許されていいことじゃない) 怒りがこみ上げる。ラシュディアは吸血鬼に狙いを定めると、真下から忍刀で鳩尾を突き上げて捻る。瘴気が噴き出したがそれを厭わない。 血の匂いと仲間の斬撃に気づいた食屍鬼が群がってきた。 それは、鉱山からもより多く新たな敵一派をおびき出すことに成功したことを意味する。 ―――けれどその分、挟まれる形になり、数は増える。 ラシュディアは素早く移動しながらも、上半身だけになった食屍鬼の爪に脚を掴まれた。 「―――っ!」 地に倒れたところを次々と押さえ込まれ、吸血鬼の牙が襲い掛かる。死臭の漂う息が首にかかる――― 「……仲間入り…て……の、は勘弁!」 寸手のところでラシュディアは無理やり腕と脚を振りほどいた。刀が吸血鬼の牙を折りながら後方へ弾く。ラシュディアは腕に数条の爪跡を受けながらも身を起こし、傷を抑えると囲みをなんとか突破する。 村人達は、鉱山からアヤカシを引き離し、耐えることを役割とする死闘の行方を、息を殺して見守っていた。 ルオウの咆哮が響き渡る。食屍鬼がのそりと反応し、呼応するように低く唸り声を上げる。 「纏めていくぜ!回転、剣舞!!」 回転切りでルオウが向かってくる食屍鬼を一回転して切り刻むと、音を立てて肉片が砂利に落ちる。それらは死の匂いの漂う塊へと戻り、あるいは瘴気となって霧散する。 ルオウは川の堰から可能な限り遠くへ、より敵の懐へと飛び込んでいく。 敵軍の真っ只中、後方から攻めあがってきたラシュディアと合流して、二人が互いの姿を認め、それでも笑う。 「キリがねぇな!」 「全く。…だけど少しでも元凶に報いを与えられていたらいいね」 「―――おうよ!」 ラシュディアはそれに頷き返すと沈み込んで跳躍し、ルオウは前へと駆け出した。 確かに、数に手こずるが―――上位の吸血鬼を倒すと、その吸血鬼に噛まれた吸血鬼は動きを停止する。 敵の行軍は数を減らしながらも、依然、高く天に板を伸ばし大規模に作られる堰へ向かう。 やがて、乙班の作戦が始まったのであろう、爆音が谷に轟き渡っていた。 それでも屍鬼達は指揮官の命令どおり、堰作りを止めさせ、人間の血肉を喰らわんと進む。 倒れた仲間など一顧だにせず、恐怖と生命を貪るため、ただ愚直に前進するのである。 ●開放区 「ああぁ、父さん…!」 堰の仕掛けも跡一歩というところで、一番若い村人が呆然と立ち尽くす。灰色の肌に、潰瘍のような傷を首につけた吸血鬼がやってくる。若者の目が変わり果てた父の姿に奪われた。 「由他郎さんが言ったとおり、近寄っちゃ駄目。逃げて…逃げるんだよ!」 亜紀が駆け寄ろうとする男を押しとどめる。 「しかし、あれは……!」 悲痛な叫びに、亜紀が唇を噛み締める。 「今いる皆には生き残って欲しい。心からのお願いだよ」 「だって…あれは父さんだ……!」 「――――――」 キッと眦をあげて吸血鬼を振り返ると、亜紀は杖をかざして詠唱を開始する。精霊の力は心に呼応し、悲しいまでに優しく光る。 杖が地に打ち降ろされると同時に光の矢が滑空する。 矢に貫かれた老いた吸血鬼の体は、倒れるとそのまま後軍に飲み込まれていった。 「恨んでも憎んでもいい、でもあれはもうアヤカシなんだ!今生きてるあなた達を守る為に、ボクは何体でも倒す。解ったら早く逃げて!」 突き放すように男に言い放つ。男は他の村人達に支えられながら、頭を抑えて慟哭しながらも後退する。 (ボクみたいに親の顔を知らない子を生まない為に、生き延びて…) ゆっくりと瞳をあげて、亜紀が対峙する。 川の堰が形を成すまで、あと少し。 『昔の川の流れを利用してはどうでしょうか』 地図を広げた村人達にシャンテが提案したのは、昔流れていたという西方への川の跡地へ最終的に水を流し、戦列の後退路を流水で分断しようという方法であった。 南へ位置する坑道を水責めにしては生存者を助けられず、また、別動の開拓者をも水没させかねない。 川跡を超えない水量を北西に流れる川から、一過的に流すのである。 それは、地理をよく知る村人達と、極限を知る強靭な精神の持ち主の開拓者がいるからこそ出来る業であった。 黒塚の番士達も手を貸してやりながら、彼らの必死さに作戦の成功を願わずにはいられなかった。 益々苛烈を極める戦線は、堰を作る村人達の近くまで差し迫ってきた。 今、土嚢と板で作った堤は川の半分を堰き止め、幾重にも重ねた板が高く伸びている。勢いを増した水は山裾際である右側だけを流れている。 「村の方達を退避させましょう」 シャンテが曲を切り替えた。戦局における機微を見逃さないように、仲間の開拓者たちの感覚が研ぎ澄まされていく。それは、退き際を考えながら、攻めに出る開拓者への合図だ。 積み上げた土嚢の上に登りながら、高みから由他郎が静かに弦を引き絞った。時間を稼ごうと、左から右へと広範囲にわたって速射する。 (近寄って来い…あと少し) 背後で逆巻く流れになど気にせず、狙撃手と化した由他郎は、吸血鬼の赤い瞳を正射する。次々と吸血鬼が膝折れ、倒れた吸血鬼は他の屍鬼の行進に巻き込まれる。 川音に紛れて、村人達に撤退するよう、由他郎が手で合図した。 ギチリ、と濡れた縄がきしむ音。 堰を壊そうと列を成してきた屍鬼にふらりと歩み寄ったかのように見えたのは、和奏だ。 「堰は落とさせませんよ」 不敵な響きを含ませながらも、どこか茫洋とした雰囲気を纏っていた和奏が、目を伏せたと同時に右足を踏み込む。刀身の一瞬の軌跡を追うように風の刃が一直線に敵を割る。 (…ここに集まってもらわないと、無意味ですね) 村人の退路は確保してある。それを屍鬼に追いかけられては、元の木阿弥である。村人達の血の着いた服を下げると、和奏がその場にぱさりと置いた。ここからは退けない。 「関係者以外立ち入り禁止、ですよ?」 返答など待たず前線を散らしに、和奏の動きが加速した。霊気が霧のように薄く逆巻きながら従う。目に見えない速度で近づく屍鬼を次々と切り伏せる。 ルオウが振りかぶって派手に雄たけびをあげながら、回転切りで食屍鬼を蹴散らす。切っ先は砂利を噛みながらようやく止まると、口の端を持ち上げてルオウが笑む。 「天下一のサムライとは俺の事でぃ!……予定だけどな!」 くるりと踵を返すと堰のほうへ駆け出す。 「邪魔だ、どけぇ!」 「派手な殿だな」 由他郎が一瞬愁眉を開いて感想を口にした。が、目を細め、ルオウとラシュディアが一定線まで戻ったことを確認して、縄を切り始めた。 亜紀の呼子笛に、辺りが白くなり、堰の周辺を敵から隠した。 更に混乱の同士討ちを狙い、シャンテの笛で精霊が暴れ出す。狂おしいほどの精霊の騒乱に死者の足が止まる。 囮のルオウとラシュディアは、それらを合図に、切り結びながらも一気に退避する。 「これ以上の追いかけっこはしたくないからね」 ラシュディアが決別の合図として食屍鬼へ足止めの手裏剣を打ち込む。 二人は堰よりも北へ。 それは、堰を切った後の水の流れを予測してのことであった。 「――行け!」 由他郎が張り詰めた縄を切ると、吊るされていた錘が振り子のように川に落とされた。それに結び付けられた高い板が真横に倒れ、すべての川幅を塞ぐ。ドォ、と一気に堰き止められた水が堰を押す。 水は生き物のように暴れてうねる。 開拓者達はその隙に水のない川底を一気に渡った。 板の向こうで逆巻く水は、左岸側へとあふれ始めるが、土嚢で固定されていない右岸側の板はやはり流されそうになる。 「―――保って!」 亜紀のストーンウォールがその板を補強した。水は溢れて左岸を超え、南へと流れ始めた。 食屍鬼と吸血鬼が水音に何事かと辺りを見渡す。 左岸側の斜面を、水は数匹の食屍鬼を押し流しながら南へ伸び、やがて昔の川跡に至って西へと流れ始める。 長く伸びた敵の戦列が、その後方で本隊のいる鉱山から分断された。食屍鬼達が右往左往している。 黒塚の藩士と村人達がその様子を山に駆け上がって見届ける。後から、開拓者も山に登る。 「…君達の仇は、丙班が必ず討ち果たす筈だから」 由他郎が放った最後の一矢は、縄を切り、限界にたわんでいた板を押し流させた。堰が壊れる。 堤の跡を超えるようにして、川は死者の追随を阻んで静かに流れ始めた。 生きている誰かの為に、村人達の明日を守らなければならない。 開拓者達は誰かの悲しみを作らないために、その悲しみを代わりに背負うのだった。 |