|
■オープニング本文 ●ギルド(裏方) 「すっかり寒くなったわね〜」 ギルド職員の華 真王(iz0187)ことマオが、こそりと受付の裏に引っ込むと、『春駒亭』からの差し入れにほっと一息つく。 小ぶりの椀に注がれた汁粉は、すさんだ気分も疲れた身体も甘く優しく癒していく。 一口含んでは、ふぅ、と堪能していたマオだが、差し入れを運んできた張本人である小桃(こもも)が隣に座って塞いでいるのにやっと気がついた。 「…なに?お腹でも痛いの?」 「違う」 「ちょ…っ?! まさかこれお代とるの?!」 「ちがーう。違うわよ!せっかく差し入れ持ってきたのに、もうちょっと違うことに気がついてよ」 頬を膨らませながら小桃がマオから椀を取り上げる。 「何よ。家を焼け出されて、恭一郎のところに世話になるよう口きいてあげたじゃないの〜」 マオが更に高い上背でひょいと椀をとりもどす。言葉や仕草が女っぽくても体格は男性である。 「それは感謝してるけど!…んもぉ!依頼!依頼があるの」 「じゃあ、ちゃんと受けてあげるわよ。表回ればいいじゃない。どうしたの?」 「じ、実は…」 「うん。実は?」 話せば長くなりながら。 所々しどろもどろになる小桃が話し終えるのを聞いていると、すっかり汁粉が冷めてしまった。マオが大人しく聞いていたが、口を開く。 「小桃ちゃんそれって…」 「―――やめていわないでわかってるからばかなことはっ!」 一気にまくし立てて耳まで赤くなる。 「町火消しに惚れたってことだけじゃないの」 「きゃー!」 マオの口を慌てて塞ごうとした小桃の口を、逆にマオが押さえる。サボってるのがばれるじゃないっと小声で釘を刺しながら。 「しかも…どこの町火消しか半纏も見てなかったですって…一目惚れが聞いて呆れるわ…」 「火事だったんだもの!逃げるのに精一杯だったんだもの!」 といいながら、思い出したのか膝を抱いて小さくなる。 家財も持てず外へまろび出た小桃を助けおこし、手拭を裂いて小桃の足から下駄が離れないよう結びつけてくれた。 ――――譲ちゃん、走りな。まっすぐ。 そう言ってぽんと背中を一押しして、その男性は火の方へ駆け出した。纏(まとい)が熱風をはらんでくるりと回った。炎という熱の灯りに照らされながら、精悍な横顔だけがちらりと見えた。 それだけ。あとは人に紛れた。名前を聞ける暇などありはしなかった。 命は助かったが焼け出されてしまい、今、小桃は恭一郎の店『春駒亭』に世話になっている。 けれど、生活の中で折に触れ、思い出すのはその時のことばかりだという。 名前が知りたい、声が聞きたい。話がしたい。ただ、町火消しは火事にならない限り、日ごろは別の仕事をもっているだろう。 「『もう一度火事を起こしてください』なんて大罪、依頼できるわけないじゃないのよ…」 うー、とマオが唸る。 「だから……依頼する前にマオちゃんにこうやって相談にきたんじゃない…」 小桃が前掛けの端をぎゅうと握り締める。 「とりあえず平和的にいうと、捜索の人手を集める…とかかしら……?」 「ありがとう!マオちゃん!」 開拓者がさじを投げてくれないことを祈りつつ。依頼文を練るためにも、マオは冷めた汁粉を温めに厨へと向かうのであった。 ●すれ違い 「ここ、ここ! 八つ時には甘味を出してるってぇ、妙な定食屋」 ガヤガヤと昼から甘味を食べに来た男たちでごった返す店先の暖簾をくぐり、道具箱を担いだ大工達が四人入ってくる。『春駒亭』は本日も盛況である。 「妙な定食屋って酷いな。棟梁みたいに心置きなく甘味を楽しんでもらおうって寸法なんだけどね。…俺だって女性客の方がいいに決まってる」 注文をとりに出てきた恭一郎が、後半は本気でごちた。 「おおっと。くわばらくわばら。カカァやガキには知られたくねぇもんで」 「ご注文は?」 「なんでぇ、今日はあの娘いねぇのか? いよいよ女っ気がねぇな」 「『得意先』に配達に出たっきりなんでね」 「へぇ、そりゃ残念。…よし、決めた!俺は『天儀風パフェ』だ。おう、辰。お前もたまには甘いもんでもどうだ」 店を見回したきり、品書きを見もしない一人の青年大工に、棟梁が声をかける。 「申し訳ねぇ、俺あまり甘いもん得意じゃないもんで」 辰、と呼ばれた青年は頭を申し訳なさそうに下げる。実直を絵に描いたような人間である。 「じゃあ、みたらしでも。それ位なら喰うだろ? そうだ、長屋のもんに土産でも持って帰ってやれ。この前てぇへんだったんだろ?」 くるりと指を立てて回してみせる。纏のつもりらしい。 「仕事ですから。でも…確かに色々世話になってるし。そうします」 「そうしてやれ、そうしてやれ! おめぇが甘味に来るこたぁ滅多にねぇしな。存外ここの土産、評判がいいんだよ」 「存外は余計」 「ここであの譲ちゃんなら、愛想笑いのひとつもあるのになぁ」 「作ってるのは俺!」 恭一郎が不満げに言うと、がははと棟梁が笑った。 辰と呼ばれた青年は一緒に笑うと、土産を包んでくれるように恭一郎に注文した。 (そうか、この間の譲ちゃんは元気にやっているのか) 辰治は先日春駒亭の店前で見かけた様子を思い出し、内心ほっとしたのであった。 ギルドの受付ではマオが唸りながら依頼文を書いていた。 『火の用心。火消しの手伝い求む』 「タダより高いものはないわね…」 しぶしぶと一番目立つところに貼ってやる。 会えたとして小桃の想いの先まではどうなるかはわからない。 しかし、じっと息を呑んで依頼文の筆の跡を見つめている小桃を見ているとふう、と息をついた。 「一目、会えるといいわね」 花も嵐も、火事もものともせず。 マオのその言葉に小桃がはにかんだ。 |
■参加者一覧
水月(ia2566)
10歳・女・吟
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
ニーナ・サヴィン(ib0168)
19歳・女・吟
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
繊月 朔(ib3416)
15歳・女・巫
ライ・ネック(ib5781)
27歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●火のない所 簡潔にして謎な依頼の詳細を聞いて、小桃に力と知恵を貸そうと開拓者達が集った。 『春駒亭』の暖簾を小桃がいそいそと仕舞うと、何かと理由をつけて恭一郎を奥に追いやる。 六人分の席を用意し、いつもの流れでお茶を出すと、厨房から小さな椅子を持ってきて、小桃は開拓者達の卓の傍らにちょこんと座る。 「何からお話していいか…」 といいつつ、経緯を話し終えると、饒舌な自分に気づいてはっと小桃の顔が赤くなる。 「火の手迫る中で燃え上がる恋! いいわぁ、ロマンチック♪」 火消しの青年と小桃の一瞬の出会いに、ニーナ・サヴィン(ib0168)がきゃあと両手で頬を押さえる。 「町火消しさんとはいえ…恋の炎まで消されちゃわないようにご縁をしっかり掴まえなくっちゃね?」 小桃の話を促すようにフェンリエッタ(ib0018)がふふっといたずらっぽく笑う。その気持ちは良くわかる、という雰囲気だ。 「恋のお助けなら開拓者におまかせ……なの」 水月(ia2566)もフェンリエッタ達に同意とばかりにこくこくと頷く。 小桃の表情が明るくなる。心が軽くなる。どうにかして会いたいとその特徴を話した。 「恋の手伝いってところですね! 私なりに頑張らせてもらいますねっ♪」 繊月 朔(ib3416)は、小桃の話に俄然やる気である。 「無事鎮火出来た後なら話しやすいでしょうからっ!被害は最小限に抑えましょう」 「ええ!そうですね!」 朔の話に小桃も身を乗り出した。 大手を振って火事を望む事はできないが、『その時』がきたら、火消しの手伝いをできるよう開拓者たちは準備を進めることにした。 「俺達はそろいの半纏とか用意したらどうだろ?」 ニカリと笑って提案したのは羽喰 琥珀(ib3263)だった。 火事の現場は混乱しているだろうから、紛れないようにと考えられる手段を話し合う。小桃の件はあるが、勿論、開拓者達は消火活動も抜かりなく行うつもりだ。 「もし暗闇の中であれば、目や耳になります」 ライ・ネック(ib5781)が飛び交う相談に微笑みを浮かべ、仲間との連携を確認する。 小桃はひとしきり感心しながら、準備と段取りに熱心に耳を傾けた。 ●炎と纏 相談から数日後、凍えそうな寒々とした黄昏時に、ギルドから火事発生の一報が入った。 数町先の『扇町』辺りが火元らしい。小桃と開拓者達はそろいの藍染の半纏に袖を通す。幸い、下調べを行った範囲で、すぐに場所と通りの配置が頭に浮かんだ。 琥珀、ライ、フェンリエッタが先遣隊として火元へ全力で駆けた。鐘の音が近づくと、逃げ出してくる人たちが道に溢れ始めていた。 「火元はどこですか!」 フェンリエッタが、息を整えている男を捕まえて尋ねる。 「…扇町、高砂長屋の一番奥らしいぜ」 「兄ちゃんありがとうな!…よし!」 琥珀がひょいと身軽に屋根に飛び上がる。火消しの姿が無いか確認する。 「火元は一番混乱しているでしょうから、この流れを遡ります」 視覚と聴覚を研ぎ澄ましていくライ。フェンリエッタも瞳に決意を込めて頷き返す。 「どこ行く!危ねぇぜ?!」 驚く男を尻目に、三人は半纏を翻した。 半鐘の音の間隔が短くなる。 風呂敷を首にかけたり、大八車に家財を積んだりしていた町の人が、それぞれの軒先からちろと見える炎の舌に、わあと騒ぎ始めた。 「あれは?」 背中の大紋、鏡に九十九(つくも)を表す『白』の一文字。 腰柄に大きく扇の染めが特徴の半纏を着た火消し達が、屋根の上で振られている旗に気がついた。 「ありゃ誰だ。危ねぇな」 自分達がいる火元に近づいてくる。 火消しの一人が火元であることを示そうと、屋根の上で纏を掲げる。 火の粉が舞い始め、それを散らすように回る纏に、逆に逃げることもなく少年――琥珀が近づいてきた。 「おい!おまえ…―――んん?どこのもんだ?」 見覚えの無い半纏と小柄な体躯に、屋根に居た頑健な男が訝った。 「火消しの手伝いに来たんだ!仲間もいる」 すぐ下の通りで一緒に避難を誘導していたライとフェンリエッタも合流してきた。華奢な女性二人を見て、男共は驚きに目を瞠る。 「火消しは遊びじゃねぇぞ!」 鳶口や刺又で類焼を防ぐ為、家屋を倒している男達は気性荒く叫ぶ。大団扇が負けじと火の粉を叩き返している。 「こちらも本気です。少しでも被害を少なくして、命を助けたいのです!」 ライが家屋の倒壊する音にかき消されぬよう、大きな声で説得する。遊びや興味本位ではなく、逃げ惑う人々を助けたいと切に願う。 「―――指示を下さい! 天儀式の消火に従います! 開拓者ですから体力なら十分にあります!」 熱にあおられながらも、ひるむことなくフェンリエッタが置いてあった掛矢を掴む。かみ締めた唇は不退転の覚悟を滲ませている。 「うう…む」 三人に気圧され、壮年の男が返答に困っている。 その時、やり取りを聞いていた青年が、突き上げていた纏を降ろした。先ほどの頑健な男にそれを預けると、梯子も使わず屋根から飛び降りる。 「そのままじゃいけねぇ。水を被るんだ」 消火用に積まれた桶の一つを掴むと、ざばりと頭から水をかけた。 「辰治おまえ…素人を信じるのか?」 「火消しは度胸と心意気。技術なんざ、あとからついてくる、でさぁ」 水の滴る顔を撫であげると、仲間を振り返って辰治が笑う。 「この肝の据わり様、この人達只者じゃないでしょう」 「おう!絶対頑張るからな!!」 辰治の信頼に琥珀も満面の笑みを返した。 「…大丈夫かなぁ」 火事現場に混じることができない小桃は、扇町の風下、広小路になっている場所で水月と共に待機中である。 さりげなさを装いつつも、休憩所と称して火消しの人たちが帰るのをひきとめようという作戦であった。手ぬぐい、おしぼり、飲み物…と水月を一緒に用意をする。 日が落ちて、火が空を焦がして煙がたなびいている。 水月が暗くなった辺りを見回して表情を曇らせる。小桃も自分の町の火事を思い出し、人々の無事を祈っていた。 小桃はニーナの言いつけを守り、いざという時は微力ながら自分も手伝えるよう、動きやすい格好に着替えていた。 『男性はね! ギャップに弱いのよ!』 と、びしっとニーナに作戦指導されたのも実はあったりするのだが小桃には目から鱗であった。火事現場に着飾るのは確かにおかしいし、成程と思う。 「まだ行っちゃだめですよ……」 そっと背伸びをして火元の方角を見つめると、小桃をなだめるように水月がくいと袖を引く。 仔梟が白い翼で昏い空を滑っていた。まだ九十九組は消火活動中だ。 「…皆さん大丈夫でしょうか」 「きっと大丈夫。それに恋のお手伝いまでが依頼ですもの……」 「はい……」 ぶわっと耳まで赤くなって小桃が俯く。 「さっきから聞いていると、そんなに素敵な人なら、もう恋人さんとか居るかも………」 「ええっ?!」 今度は小桃が水月の袖を掴んで瞳を潤ませる。焦って水月が冗談ですと首を振る。 一途でわかりやすい。 袖で口元を押さえながら思わず笑ってしまう水月であった。 ニーナと朔は、火元へと近づきながら動けない人達を救出していた。 「大丈夫。まだ慌てないで平気よ♪足元に気をつけてね」 「おお、ありがたや…」 努めて平静にニーナが老人の手をとって外へ連れ出す。子供やお年寄りを一人、また一人と体格のよい男性の背に託す。 朔は足を挫いた人や怪我をした人々の治療に余念が無い。 「これで万全…ではないですが、少しは楽になるはずです。気をつけて避難してくださいっ!」 「お姉ちゃんありがとう…」 泣きべそをかいていた女の子が、立ち上がった母親に連れられ、振り返りながら礼を言う。 「音のする方へ逃げるんですよっ!」 朔が思わず口元に手を当てて叫んだ。 ライが提案して吊るした風鈴が、澄んだ音で鳴っている。 安全な経路を示す目印となって逃げ遅れた人々を誘う。 それを目標に逃げるんだ、と人々も口々に励ましあう。 「朔さん、大丈夫?」 「平気です。ニーナさんも大丈夫ですか?」 「ええ。そろそろ火元に近いわね…三人は会えたかしら」 「熱いですね…」 朔が火照る顔を庇いながら、その熱量に息をつく。 「安心してください。火消しの九十九組の皆さんとは合流できました」 静かに降りてきたのはライである。二人の声を聞き分けて合流したようだ。 「ライさん!良かった」 ニーナがほっと胸をなでおろすと、守備も上々です、とライは付け加えた。 「辺りの燃え移りそうなところは倒し終わったみたい。あとは鎮火させるのみね」 そう言いながらフェンリエッタが現れると、ぱんぱんと手の平を叩いてふうと息をつく。煤が頬についているが、その輝く微笑みは達成感に満ちている。 「残っている人がいないか、確認しないとな!」 からからに乾いた半纏をはたきながら、琥珀があとひと踏ん張り!と気合を入れる。旗は端が焼けているが、まだ誘導はできるだろう。 残っている者は居ないか、今一度確認して、見つけ次第逃げるよう手助けをする。 すると一台の荷車にまだ家財を積もうとする男が居た。火の手がそこまで来ているのに諦めがつかないようだ。 ニーナがつかつかと歩み寄り、腰に手を当てて息を吸い込んだ。 「モノなんて後からどうにでもなるの!命の方が大事でしょ!」 男を一喝していると、後ろでくすりと笑う声が聞こえた。 「いい声だ」 火消しがニーナを頼もしそうに見やると、不貞腐れている男の前に進み出た。 「…辰治じゃねえか」 「おやっさん、この人の言う通りだ。町も家も何遍でも作る。今は誰かの手を引いて逃げてやってくれないか」 男はふんと鼻から息を吐いたが、何も言わず荷車を置いて辰治の傍をすり抜けていった。 やれやれという風に苦笑しながら踵を返し、ニーナに目礼すると辰治も戻る。 精悍な横顔。短髪。キリとした太い眉に涼しげな目元。よく日に焼けた肌。すらりとした背格好、落ち着いた物腰。 小桃の話はこの人のことではないか、と思われる人物であった。 九十九組が猛烈な勢いで作業を追い上げ、火の包囲を完了させた。あとは消火用の桶を使い、開拓者も含め全員で鎮火させる運びとなった。 ●消えないで 扇町の被害は最小限に食い止められた。 九十九組の出動も自らの町であり、迅速であったこともあるが、開拓者の助けは何より人を逃がすことに成果を収めた。ギルドからもいくらか上乗せで報酬があるだろう。 「やるじゃねえか、琥珀!フェンリエッタ! うちの組に来ないか?」 纏を抱えた男は、潔い働きっぷりに惚れ惚れしたらしく、あの一撃は凄かったと繰り返す。 「ライのあの、びゅーって水柱が出るの、あれも凄かったな!あれは便利だよなぁ」 感想を述べながら、道具を担いで引き上げる男達を、慌ててフェンリエッタとニーナが引き止める。 「あの!仲間が食べ物を用意してくれているのですが、いかがです?」 「? 店なんか開いてないと思うぞ?」 「先日、同じように火事で大変な目にあったお嬢さんが、知り合いにいて、役に立ちたいと協力してくれまして…」 「ありがたいけど…いいのかね?」 顔を見合す九十九組。辰治も不思議そうな顔をしている。 「行こうぜ! せっかく用意したんだし!」 「そうそう、火傷している方の治療もできますし」 ぐいぐいと総出で男達の背中を休憩所の広小路の方向へと押すのであった。 「ひゃー。冷てぇ。腕がヒリヒリしてたんだ」 「甘酒はほっとするな」 休憩所で待ち構えていた水月と小桃が、飲み物や手拭を配って回る。顔や手足を拭き、ライと朔がこの為に持参した甘酒も温めてあり、緊張感から解き放たれ皆上機嫌であった。 おはぎと漬物やを置いておくと、瞬く間にそれらは無くなった。腹が減っていたのだろう 小桃の反応といえば、半纏を見てあの柄!とドキドキし、青年を見つけて緊張は一気に高まっていた。顔がまともに上げられない。 扇町の辰治さんていうんだ…と聞き耳は立っているが、給仕をしていても訳がわからず頭がぼうっとしてきた。 水月は、火傷や切り傷が沢山ある火消し達を順番に治療している。だから忙しいのだ、という状況に持ち込む。 皆なにかと辰治には小桃を給仕に使った。行け!と視線が物語っている。 当の辰治は、小桃に気づいておや?という顔をしたが、礼を述べて受け取るだけで、話が発展しない。 (ああっ!) 内心やきもきしながら、開拓者は次の手に出る。 「小桃さんは春駒亭の看板娘でね…」 「火事のときに助けてもらった火消しさんを探してて…」 「辰治さんって…恋人居るのかしら……」 そこまでいろいろ情報を吹き込まれると、流石の気性の荒い男共もははあ、と状況に察しがついた。にやりと面白そうに笑って、野暮天にも春だなと呟く者もいる。 「譲ちゃん、この間の鍵町の火事で辰治に助けられたんだって?」 がっしゃん、と小桃がそのかまかけに盆ごと湯飲みを取り落とした。 「…ああ、やっぱりそうか」 辰治が茶をすする手を止めて得心したように頷く。小桃はバレたやら恥ずかしいやらで固まっている。だが、辰治はじっと眺めているだけだ。 (あああっ!) 九十九組もそれ以上言葉は無いのかと辰治に焦れる。 「後日、慰労会にご招待をと思うのですが……」 「そうだな、お邪魔させてもらおうか、小桃ちゃんのいる春駒亭さんに!」 水月の笑顔に頭領格が言うと、皆が大きな声でそうだ、と強く賛同する。 「急にどうしたんです…?」 「いーからいーから!!」 かくして、大工と火消しの腕は超一流だが、とんと恋路には疎い辰治を、迂遠ながらも春駒亭に送り込む算段が整ったのであった。 ●春駒亭(裏方) 「舞台は整えたから、あとは仕上るだけっ。上手くなくていーから、自分の精一杯の気持ち伝えなって」 「は、はいっ」 「会って顔を見てお話が出来るのは、大切で幸せなことだと思うの。彼を探したいって動き出した小桃さんだから、大丈夫。応援してるわ♪」 「はい…!」 琥珀とフェンリエッタに順番に手を握ってもらいながら、小桃は深呼吸を繰り返す。あと少しで貸しきった店に辰治が来る時間だ。 「うーん♪可愛い小桃さん♪」 火事のときと全く違う美しい着物に着替えた小桃の唇に、ニーナが仕上げの紅を差してやる。 「これで大丈夫!お礼を言って…あとは頑張りどころね♪」 こっくりと小桃が頷く。 言おう。 また会えなくなってこの気持ちが伝えられなくなるのは、嫌だから。 春駒亭に来てくれるなら、聞いて欲しいと思う。 約束の時間。 すう、と呼吸を整えて。 暖簾の向こうに影が見えて、小桃の心臓が跳ねた。 この恋が消えませんように。どうか、消えませんように。 そう願いながら、照れくさそうに暖簾をくぐる辰治の姿を見た。 それだけで、小桃の笑顔は花のようにほころんだ。 小さな恋の炎は消えずに心を温めるのであった。 |