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■オープニング本文 ●さくら 「今年も綺麗に咲いたわよね」 「本当に」 風に柔らかにゆれる頭上の桜の花を見上げながら、四人の乙女達が楽しそうに微笑む。風呂敷を幾重にも敷いた上に広がる色とりどりのお重。 川ぞいに咲く桜を見に多くの人たちが集まって居り、とても賑やかである。春の日差しも暖かさを増し、時折川面を渡る風が頬に気持ちよい。 おしゃべりとともに、ついつい箸がおいしそうな料理にのびる。 「んーこのお煮しめ、美味しい!」 「こっちの菜の花の辛し和えも!」 「あら、こっちのバラ寿司も素敵♪」 賑やかに乙女達は持ち寄ったお重に舌鼓をうつのである。 「あとで舟に乗ってみましょうよ」 「いいですわね、それ」 「でも漕ぎ手がいませんわね‥」 千津(ちづ)がふと疑問を口にすると、傍らの少女が笑った。 「大丈夫! 志乃さんの――」 「ちょっ‥!」 志乃(しの)が慌てて箸をおくと、友人のその後の台詞を手で塞いだ。 「志乃ちゃんの‥?」 千津が聞きとがめたところまで繰り返すと、志乃がちょっと膨れながら目を逸らした。 「くるっていうから――」 「来るって‥ああ、羽鳥さんね!」 「‥‥‥!」 千津にいわれて志乃が真っ赤になる。志乃がお付き合いをしている羽鳥(はとり)という男性が今日花見をすると聞いてやってくるというのだ。志乃の友人達は興味津々である。 「べ、べつにつきあっているわけじゃぁ‥‥」 いじいじと風呂敷の柄をなぞっていると、ふと志乃の頭上が翳った。 「?」 「よう。志乃さん。待たせちまったな」 桜に寄りかかって覗き込んでいるのは羽鳥である。突然現れるものだから首の筋を違えるほどの勢いで志乃が下を向く。 「だ、だれがっ」 「お、旨そうな花見弁当だな。どれ一つ」 ひょいと志乃の重箱からだし巻きをつまんで口に放り込んだ。 「‥おや? お女中らしくない味付け‥」 「悪かったわね。私が作ったのよ!」 キッと志乃が羽鳥を睨んだ。今日は女中に作らせずに朝早く起きて志乃が作ったのだ。女中の作った方が旨いといわれると涙目である。 「‥いや、これはこれで。うん」 「イヤだったら食べなくていいのよ!」 「だから、そんなこといってないって」 そっぽを向く志乃に困り果てる羽鳥。志乃の友人達もどうしていいかわからないでいると、羽鳥が志乃の腰と膝に手を入れてひょいと持ち上げた。 きゃ、と周りの友人達も驚いたが、一番驚いたのは志乃である。 しかし、羽鳥は片膝を立てて太腿に志乃を座らせると、有無を言わさず志乃に履物を履かせて立たせた。 「じゃ、ちょっと借りますね」 ぺこりと三人にお辞儀する。男前の上に人好きのする笑みである。 「ものじゃないのよ!」 「はいはい。ごめんって。黙ってついてくる、ね?」 「‥‥‥っ」 志乃が手を引かれて黙ってついていく。その様子に皆がため息をついた。志乃の扱いが慣れているという感じである。 「―――あ、あとでだし巻き全部いただきますから」 振り返って一言付け足す羽鳥に、ぽかぽかと志乃が殴りかかっている。 「なんだか、ご馳走様ですわね」 「本当に。予想以上にカッコイイし」 「うらやましいわぁ」 口々にいって三人はため息をつくのであった。 ●サクラと君と お重を片付け、花びらに袖をくぐらせながら千津たちが桜並木の下を歩く。 そのとき、ざうっとひときわ大きく風が吹いた。 はらはらと舞い散る花びらは花吹雪と称するにふさわしかった。 「きれい……」 大きな桜の枝がゆらりと優雅に揺れ、その花弁が風にくるくると舞いながら千津の頭から雪のように降り注ぐ。 行きかう人たちの声も消え、しばらくそれを見上げていた。 やがて、目を移すと少し向こうで同じように桜を見上げている人がいる。 花吹雪の中、二人だけが足を止めて桜を見つめていた。 「―――綺麗ですね」 千津に向き直ると、優しそうな瞳を向けた書生風の青年が言った。 だれが、とも何が、ともいわず。 だが、それが自分一人に向けた桜の感想なのだとわかって、千津もかすかに微笑んだ。 青年もにこりと微笑み返した。 「千津〜! 置いていきますわよ〜!」 「え?!あ‥」 向こうで呼んでいる声にハッとして振り向いた。 (でも‥!) 友達のところに駆け出す前に、千津自身もどうしようと考えていたわけではない。だが思わずもう一度後ろを振り返ってみたときには、もう青年の姿はなかった。 きょろきょろとあたりを見回しても、もう見当たらなかった。 うちに帰って着替えていると、はらり、と桜の花びらが一枚床に落ちた。着物についていたのだろう。薄くやわらかいその花びらをそっと拾い上げると大事に手巾に挟んだ。 もう会えはしない、と思う。 ただ、一言交わしただけなのに。あの姿が焼きついて離れないのはどうしてだろう。 同じく桜を見上げていただけなのに。 あの桜吹雪の中。二人だけが同じ気持ちでいた気がして。 (でも、なんてことはない事なのよね。きっと) ほう、と手巾に手を重ねていると、玄関からあわただしく志乃の声がした。 「すっかり桜餅を渡し忘れたわ! 千津の分‥」 風呂敷包みを大事そうに持って入ってきた志乃の声が止まった。 「どうしたの‥?」 「なんでもない」 すん、と鼻をならしながら千津が首を振る。 「なんでもないことないでしょ?」 志乃がすとんと座って千津の顔を真正面から覗き込んだ。 「千津は嘘がつけないもんね。話してみてよ」 「笑わない?」 「‥笑わないわ。絶対」 しかしこの後、笑わないどころか、しっかりと手首をつかまれた千津が志乃に連れ出されたのである。 「いた、痛いって志乃ちゃん!」 「そんなときのためにギルドはあるのよ! 人相風体は覚えてるわよね!!」 「覚えてるけど‥」 「大丈夫! 桜の宵祭りまで後三日あるわ!」 「えええ、それって!」 「勿論、その『桜の君』とやらを探すのよ!」 かくして、春の嵐と共に花咲く乙女達からギルドに依頼が持ち込まれたのである。 |
■参加者一覧
ニノン(ia9578)
16歳・女・巫
ヨーコ・オールビー(ib0095)
19歳・女・吟
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
ニーナ・サヴィン(ib0168)
19歳・女・吟
八十島・千景(ib5000)
14歳・女・サ
ソウェル ノイラート(ib5397)
24歳・女・砲 |
■リプレイ本文 ●桜の君 「依頼に集まったって‥全員女性?」 開拓者達を見て羽鳥が正直な感想をもらした。 「あら、お久しぶりです。その節はどうも」 「この間はダマしてごめんね?」 八十島・千景(ib5000)とニーナ・サヴィン(ib0168)が含み笑いをしながら志乃と羽鳥に挨拶する。 「あれからお変わりは‥‥‥あったみたいですね」 袖で口元を隠しながら、くすくすと笑う千景に二人が赤面する。 「志乃ちゃん?」 見知らぬきらびやかな女性達に面食らいながら、千津が志乃の後ろから心細げに聞いてくる。 「だ、大丈夫よ。千津。‥‥‥腕は確かだから」 言葉を濁す志乃と空咳で誤魔化した羽鳥に、千景とニーナがにまと笑う。 「‥ええと、探してもらいたいのはこの似顔絵の人なのよ」 志乃が気を取り直して、人相書きを見せる。開拓者達が身を乗り出して覗き込む中、逆に羽鳥があれ、と呟いた。 「もしかして『伊佐』(いさ)‥?」 「ご存知なんですか?」 千津が驚いて振り返る。 「そうか。あいつ『桜守』(さくらもり)だし‥」 「桜守‥?」 アルーシュ・リトナ(ib0119)が不思議そうに小首を傾げる。 「桜の木を手入れして守ることを生業としているんだ。以前山で会ったから‥」 「それなら、『桜の君』も早く見つかりそうですわ。宵祭りにお会いできると素敵ですね」 アルーシュに柔らかな笑みで励まされて、慌てて千津がコクリと小さく頷く。 (伊佐さん、ていうんだ‥) 名前を知って小さく喜びをかみ締める千津である。 「ほな、話は早い! 捜索がてらその宵祭りの警備に混ぜてもらったらどうや?!」 ヨーコ・オールビー(ib0095)は俄然、祭りという響きに血が騒ぎ始めた。桜と宴会と恋話、それが揃ってなんで黙ってられようか。 「私も警備の方にまわって、伊佐さんをつれてくるかな」 うーん、と考え込んだ末ソウェル ノイラート(ib5397)が伊佐を探す方に同行することにした。桜守であれば、祭りの運営側に聞いたほうが早く見つけられそうだ。 「私も是非桜の木の労わり方などお聞きもしたいですし、同行したいですわ」 アルーシュがソウェルとヨーコに賛同する。 「そうか。では、残り三名は千津に同行するかの。目指すは桜並木の奥にあるという枝垂桜じゃ」 ニノン・サジュマン(ia9578)もよし、とばかりに立ち上がる。 「春のローマンス!ええ季節やなぁ」 「やっぱりロマンスよね♪」 「うむ。わしも若い頃は‥」 つい、甘い思い出にうっとり酔いしれ始める。千津はその様子に事情が飲み込めずにいたが、目が合った千景は 「‥‥誠心誠意お手伝いさせていただきますね」 と総括して苦笑した。 ●伊佐 桜の宵祭りは、桜並木の奥の枝垂桜へと導くように明かりを点し、桜の最も美しい姿を楽しんでもらう祭りである。 当然、花見客も多い為、町の青年達が警護と運営を行っている。 「伊佐! ぼんぼりこれでいいか?」 「もう少し外。出来るだけ幹に直接熱を当てないように」 「わかったわかった。お前ホントに‥」 「桜守だからしかたないだろ」 青年達と談笑しながら、伊佐が汗を拭った。準備に大わらわである。 「伊佐、お客さんだぞー」 「?」 梯子の下から警備の者に声をかけられて、伊佐が振り向いた。 「よう。やっぱりここにいたか」 「‥羽鳥さん?どうしてここに?」 伊佐は慣れた様子で梯子を降りた。 「宵祭りの警備を開拓者が手伝ってくれるって言うから、顔つなぎだ」 「よろしくね」 「こちらこそ」 傍に来たソウェルに笑顔で言われて、鉢巻をとって勢いよく頭を下げた。実直な性格らしい。人相書きにそっくりであることから、千津のお目当ての人は伊佐で間違いはないようだ。 「うちらはお客さんの警備に当たるさかい、まかしとき!」 「桜が傷つけられないように注意しますね」 「そうなんですか!ありがとうございます。あとで枝垂桜も見てやってください」 ヨーコとアルーシュに伊佐が礼を言う。 「今日は一番綺麗に咲いてます。丁度満開の時期に合ったんですよ」 はらはらと風に花弁が舞い散る中で、伊佐は心底嬉しそうに笑うのであった。 ●千津 「無理です!」 部屋の隅に追い込まれた千津が裾を乱しながらいやいやと首を振る。 「何を言う。好感度は上げねばならぬ」 にじ。腕まくりをしながらニノンがにじり寄る。 「少しお化粧するだけで違うのよ♪私の腕が信じられないの〜?」 じり。ニーナがにこやかではあるがやんわりと距離をつめる。 「お化粧しても‥。皆さんみたいに綺麗じゃないし‥っ」 千津は唯一の救い、と志乃に涙目で訴えたが、志乃がニコリと着物を携えている。白い肌に黒髪が美しい千津のために、白にうっすら桜色がのった生地を用意してみた。 「志乃ちゃんまで‥っ」 「じゃあ、お着替えからね♪」 「ニーナ殿、腕によりをかけて料理するかのう」 うきうきとする二人が満面の笑みで、がしと千津の帯に手をかけたのであった。 「今何か叫び声が聞こえたかしら‥?」 志乃の家の女中がのんびりと茶をすすりながら店先でそんな一言を漏らしていた。 ●宵祭り ぼんぼりに明かりが点され、昼間とは違う幻想的な桜達に囲まれながら、そぞろ歩く見物客。あちらこちらで風呂敷を敷き詰めては酒を飲む輩もいて大層賑やかである。 「おう、綺麗な姉ちゃんたちじゃねぇか! 一杯どうだ?」 「え。うちらのこと?!」 「ヨーコさん?!」 アルーシュの制止も聞こえずに、遠慮なく宴会の輪に加わって見知らぬ花見客から酒の振る舞いを受けるヨーコ。 「そっちのお嬢さん達も!」 上機嫌の男がアルーシュとソウェルを手招きする。大人数がどんちゃんと楽しく宴会を開いている。 「警備、なんだよねぇ‥」 ソウェルが仕方なくあたりに気を配りながら集団に加わる。 ヨーコがすっかり打ち解けて歌まで披露し始めると、飲めや歌えの大騒ぎである。 伊佐は裏方として祭りの運営者である青年達と打ち合わせながら、走り回っていた。 「忙しそうですわね」 「千津のところにつれていけるかな‥」 ソウェルとアルーシュが心配していると、ザワザワと宴席が騒がしくなった。 「ちょっと、その枝は何なん!?」 「‥ちょっとくらいいいじゃないか、このほうがよく見えるし」 「俺もかかぁに持って帰るかな」 一人の酔っ払いが枝を折って振り回していると、我も我もと低い枝に手をかけ始める。 「あかん!何するんや!」 「やめてください!」 ヨーコとアルーシュの言葉に気づいて伊佐と羽鳥がやってくる。 酔っ払いともみ合いになるかと思った瞬間、酔漢の頬を空撃砲が掠めた。 「それ以上の無粋は見過ごせないよ」 「‥ひっ」 ソウェルが手にしている銃を見て、血が出ていないかと何度も頬に手をやっては男が確認する。もちろん空撃なのだが、他の酔っ払いが腰を抜かした。 「許されへん行為やな。‥宴会はお開きや」 酔漢が文句を言う前に、ヨーコがハープをかき鳴らし、アルーシュも共に歌い始めた。程なく、瞼が下がってきた客がばたばたと倒れ始める。羽鳥がそれを往来の邪魔にならないよう寄せる。 開拓者達の行動を見て伊佐が目を丸くした横で、アルーシュが申し訳なさそうに枝を拾って手にしたが、伊佐は首を振った。 懐から鋏を取り出すと、裂けた断面を綺麗に整えてやる。 「活けてやってください‥捨てられてしまうほうが悲しいですから」 伊佐はにこやかにそう言ってアルーシュに桜の枝を渡した。 一方、千津の方はといえば。 すっかり支度に手間取ってしまい、桜並木の人混みの中を慌てて掻き分けていた。 「ちょっと急がなきゃだめかしら」 「うむ。出来上がりにこだわるあまり、ちと遅れたかの」 ニーナが先頭できょろきょろと仲間と伊佐を探しつつ、ニノンがはぐれないよう千津の手を引いている。 千津はといえば、清楚なお嬢様風に仕上げてもらい、艶やかな黒髪も綺麗に飾り付けられて、通りすがりの男たちが何人か振り返っている。 「あたしまでやることなかったのに‥」 他人事だと思っていたのに、ニーナに化粧をされた志乃が小さくこぼす。 「やっぱり、やりすぎかも‥」 ここにきて、自信のない千津が控えめに抗議をした。 振袖姿に粋に桜の小物の装飾をあしらったニノンを見ていると、慣れない自分の装いが気恥ずかしくて仕方がない。 だがそれを聞きとがめてニノンが呆れかえった。 「今のそなたは美しい。自信をもつのじゃ。伊佐に会いたいのじゃろう」 「そうそう、今がんばらないとですよ?」 千景も千津の気持ちを後押ししながら、千津の髪に挿した枝垂桜の簪を少し直してやる。 「‥‥‥」 (もう会えなくても、いいの?) 自分に問いかけてみる。答はわかっていた。どうでもいいならここにはいない。 だが、そう思い直して歩き出そうとした瞬間、横あいからぬっと太い腕が伸びて千津を捕まえた。ニノンの手が離れる。 「譲ちゃん!一緒に遊ばない?」 「千津!」 千津が男に肩を引き寄せられて怯えていると、次々と男たちが寄ってきた。 「なんだなんだ皆美人じゃないか」 「野郎も一緒にいないしな」 開拓者と志乃を見回して、男どもが下品な笑みを浮かべて近寄ってきた。 「千津さんを離しなさい」 千景が背に志乃をかばいながら睨みつける。が、ニーナ達も荒々しく後ろ手に手首をつかまれる。 「ちょっと!乱暴しないでよ!」 「何をするのじゃ」 周囲の人が割れて、何事かと遠巻きに見ている。このまま、彼女達は連れて行かれてしまうのか。 ――しかし、それは普通の女性、の話。 「‥言うことが聞けないのですね?」 落ち着いた言葉と共に繰り出されたのは、千景の一閃。桜の花びらが二つになって舞い落ちた時には、千津を奪った男の前髪を切り落とし、眼前に刀を突きつけていた。 それに男達が驚いている隙に、ニノンが思い切りよく自分を捕まえている輩の足を踏んづける。 「いたたたた!」 ギリと踵をねじったところで自由になると、ニーナを捕まえている男をねめつける。すると男がビクンと背筋を硬直させた。 「うは‥うひゃああ!」 氷結界の氷を背中に押し付けられた男が順々に肩をすくめてじたばたし始める。開放されたニーナは千津を取り戻すと、千景の後ろへ避難させてその身を庇う。 「どうします?」 「痴れ者め。まだやるか?」 千景とニノンにすごまれて、男たちが唸りながら後退する。 「――そこまで、だな」 騒ぎを聞きつけた羽鳥が間に割って入る。その目が怜悧な光を帯びていることと、ただならぬ雰囲気を感じた男達は捨て台詞を吐いて、人混みに紛れていった。 「よかったぁ、羽鳥さんが来てくれて」 ニーナが胸に手をあてて安堵のため息をついた。 「遅れてすまない。だが、俺の出番もなかったかな」 先ほどとは打って変わって、良いものをみたように開拓者達を見て羽鳥が微笑む。 「遅い。か弱いわしらがどうにかなったらどうするのじゃ」 ぷんと怒るニノン。思わず羽鳥が噴き出した。 「なんじゃ」 「いや。ごめ‥可愛らしいといいますか‥」 「何を言う‥‥っ」 絶句するニノンにごめんごめんと羽鳥が苦笑して謝っていた。もちろん千景にも怪我はないかちゃんと尋ねるのも忘れない。 ニーナはこそりと 「やっぱり相変わらずいい男ね♪」 と志乃に囁いたのだが、やっぱり志乃は少し面白くないのであった。 ●枝垂桜 枝垂桜の元に先に着いたのは千津の方だった。枝垂桜は精霊が宿っているかのように薄く光り、風雪を耐えてきた姿に風格すら漂わせる。 ただそこに在りて、めぐる季節に違うことなく花を咲かせ、散る存在。 だがそこに、人は神々しさと感動を覚える。 王のように並木の桜とは違う濃い花色を身に纏い、枝垂桜はじっと佇んでいる。 千津もその桜を見ながら、ずっと待っていた。 開拓者達に桜の様子を見に行けと警備から追い立てられた伊佐がやってきたのは、人も減り、花冷えのような寒さを覚えるころ。 見慣れた枝垂桜の前に立っている女性。 「あの‥」 一人は危ないですよ、と声をかけようとして、振り向いた千津に伊佐の足が止まる。 ざぁと桜の花びらが舞い上がり、枝垂桜の枝がゆっくりと揺れる。千津が髪を押さえた。 「あなたは‥」 伊佐の顔を見て確信すると、千津はゆっくりと会釈した。 「――こんばんは」 「先日もお会いしました、よね?」 そう言って視線をずらすと、伊佐が鉢巻をはずして、ぱたぱたと己の着物の埃をはたいた。目を逸らされたことに思いがけず千津の心が痛んだ。 「俺、桜守で桜のことしか考えてないから――」 「‥‥‥」 千津が何も言えなくなった。 会えるだけでよかった。何かをあのときに共感できた気がして、もう一度会いたかった。拒絶される言葉を聞く前に――それだけを伝えようと思った。 だが、伊佐がぐっと唇をかみ締めて顔を上げた。 「すいません!」 片腕で口元を覆いながら、伊佐がみるみる赤くなる。 「あなたを見て‥桜の精か?とか、あの‥凄く馬鹿な事思って‥」 ――――運命は、音もなく落ちてくる奇跡。 千津が伊佐の言葉に思わず両手で口元を押さえる。 「また会えるなんて思わなくて‥その‥」 くそ、どういったらいいんだ、と伊佐がごちる。 何処からともなく、美しい旋律のハープの音が流れてくる。三重奏が奏でる旋律に心が温かくなった。雪のような花吹雪が何かをせきたてる。散ってしまうその前に聞きたい言葉を。 大きな枝垂桜を振り仰いで、二人。この気持ちが間違いないがないのであれば、と互いに目を移す。 「私、千津と申します」 「‥俺、伊佐っていいます!」 「桜の話、もっとお聞きしたい、です‥」 勇気を振り絞って言った消え入りそうなその言葉に、伊佐が一瞬おいて、破顔した。 「ええ、ええ!喜んで」 二人のやり取りを歯痒くみていた開拓者達が、思わず両の拳を握り締めた。 「邪魔しちゃいけないけど」 協力してもらった宵祭りの運営者に終わりの合図として、ソウェルが桜の花びらを詰めた祝砲を空に放った。 見物客がわあ、と感嘆の声をあげる。 (見せたかったな、この桜) ソウェルは自嘲気味に笑って、ここにいない誰かを思って歩き出す。 その後ろで、志乃の元に落ちてきた祝砲のコルクを羽鳥が掴んだ。 「‥と」 何気なくその所作を見上げていた志乃に、す、と背の高い羽鳥がかがんだ。ほんの一瞬。 「―――!」 「無事でよかった」 口元を押さえて真っ赤になる志乃に耳元で囁く。 「おーい!あの二人を肴に始めるでぇ!」 運営陣をまきこんで宴会を始めるべく、ヨーコと千景が遠くで羽鳥を呼ぶ。 志乃はニーナの化粧にそっと感謝した。 ニーナとアルーシュはニノン自慢の巻き寿司に大喜びし、ソウェルは花吹雪を惜しみつつ。 過ぎ行く春は、きっと忘れられない思い出を残していく。 枝垂桜が降り注ぐような花枝で手招きする。 この桜の下で、来年も。 そう誓わずにはいられない。 みんな愛しい誰かを思いながら。 |