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■オープニング本文 屋敷の梅が満開で、日差しが温かさを取り戻してくる。 梅の控えめな香りを乗せて、そよと吹く風は書見台に広げたばかりの新しい本の世界へ誘う。 そんな春を待つ一日。 「三太! 頼んでおいた松脂の粉受け取ってきたかー」 ドスドスと勢いよく三太(さんた)の部屋に入ってきたのは長兄の一助(いちすけ)。一回り近く年の離れた末弟である三太になにかとちょっかいをかけては、からかうのである。 「一助兄! ワシは修行中ですのじゃぞ!」 漢字が書けるようになった三太だが、相変わらずの習字の腕前である。ぴしりと真っ直ぐに伸びた背筋だけは寺子屋でもほめられてはいるが。今日のお題は『もふら様』であった。 「あいかわらずだな。お前‥」 もふら様、の『も』が左右反転しているのを床から見つけては、一助が摘み上げる。 「ああ! 乾かしておるのに。さわらないでくだされ!」 兄が眺めているその一枚が気になってやはり修行が足りない三太は、書きかけで腰を上げるのだ。 「おおっと、筆は置け、筆は!」 「っと、そうだったの!」 慌てて指さす兄に、三太は素直に従って、硯の横に静かに筆を置いた。 これこそ、学習能力である。 ―――が、 「返してくだされというとるのに!」 「おまえ、こんなの乾かしてどうするんだ」 「明日寺子屋に持っていくのじゃ! それは一番の出来なのじゃ!」 「字が違う!」 「‥‥‥!! またそんな意地悪を言うのじゃな、一助兄は!」 背の高い長兄に飛びかかっては、習字を取り返さんとする。一助は面白がってそれを返り討ちにしては、三太をひやかすのだ。 「‥‥‥‥‥」 いつものやり取りを聞きながら、次男である二助(にすけ)は自室で一人、本を読んでいたのだが。 「返してくだされ!」 「恥ずかしいだけだろ!」 「‥‥‥っ」 やむなく読書を中断し、小さく唸りながら三太の部屋へ行く。その間にも、物語の余韻が逃げていきそうで嫌なのだが。 「うるさい!」 「‥あれ、二助」 「二助兄! 丁度よかったのじゃ」 二人が二助の登場にまた話を広げる。 「これ見てみろ!」 「じゃから、渾身の出来なのじゃというとるのに!」 可笑しくてしょうがない風の兄と、その腕にぶら下がって怒っている弟。いつもなら二助も混じって三太をからかっているのだが‥‥今日は違った。 先に気づいたのは、やはり長年暮らしている一助の方であった。怒っている次男を見て、この男が怒る時といえば‥と思い出す。 「今日は新しい本の発売日、か」 「そう。静かにしてもらいたい」 「―――はいはい。三太、今日は静かにしておかないとダメだぞー」 つまらなさそうに言って、三太に習字を返す一助。そのまま二助の横を通り抜けて、一助が三太の部屋を後にした。 急に一助が大人しくなったのに驚いたのだが、思いがけず自分の習字が取り戻せて、三太は嬉しくなった。 「二助兄、ありがとうなのじゃ!」 「頼むから今日だけは静かにしてくれ」 「あい分かった!」 聞いているのかどうか分からないが、よいお返事だけを元気よく繰り出してくる弟は、あいも変わらずの元気なお子様であった。 「すまないな、急にお邪魔して」 「いや、構わん。ところで、もう読んだのか?」 「そうなんだ! この感動を語りたくて!」 二助の友人である実朝(さねとも)は、二助と同じ本を興奮気味に懐から出してきた。読書仲間である実朝と二助は、同い年で本の趣味がとても合うのである。 「こちらは途中だ。話はまだ出来ないな」 「成程。じっくり読みたい気持ちもわかる。だが、いてもたても居られず、早朝から無理を言って買い求めて読んでしまった」 苦笑しながら、実朝が恥ずかしそうに経緯を白状した。 「うちはドタバタしていて落ち着かなくてね。兄弟がいつも大騒ぎだからな」 火鉢の灰をかき回しながら、二助がため息をつく。一助に言わせれば、二助も同類、というのだろうが。 「そうか、でも、兄弟がいるのはいいことだよ」 一人っ子の実朝がほほえましそうに笑う。兄弟とはしゃぐなんて経験は、望んで叶うものではない。無いものほど、憧れるものである。 「弟でもやろうか。実に賑やかだよ」 「三太君か。いくつになったんだ?」 「八歳。生意気になって‥ん?」 二助の言葉を遮るように、部屋の前の長い廊下から何やら音が聞こえてくる。 ジャー‥ゴロゴロゴロ。 ジャ、ジャー‥ゴロゴロゴロ。 「なんの音だろう」 「まさか‥‥」 すっくと立ち上がる二助が、近づいてくる音源に向かって襖を開けた。 「あ、兄上‥‥」 ゴロゴロゴロ。 そこには、足袋に裏返したソロバンを、とじひもでくくりつけた三太がいた。片方で床をけり、その推進力でジャーと勢いをつけ、ゴロゴロとソロバンの珠を転がして進んでくる。 つまり、ソロバンに乗って床を滑ってくるのだ。 「お前‥‥!!」 どこかでみた光景、という言葉を打ち消し、過去に学んだ者ならば、それを止めずにはおられない。 しかも、手には盆をもち、その上に湯飲みを乗せるという、過去に兄弟二人がやったことの無いレベルに挑む三太。 「とにかく止まれ!」 「お茶をお持ちしたのじゃ」 母上様が留守なのでな、と付け足すが、そんなことはもうどうでもよい二助である。 「三太君‥」 「いらっしゃいませなのじゃ」 ぎこちないながらも笑顔を浮かべる三太。愛想よくしようとするが、足元、手元が震えている。 その光景に実朝は言葉を失ったが、次の瞬間腹を抱えて笑い出した。 「‥? どうされたのじゃ」 「いいから、三太! 止まれって!」 「わかったのじゃ。‥‥母上さまがいないときにやってみたかったのじゃ」 ソロバンスケートがなのか、おもてなしがなのか、突っ込みどころは数あるが、とりあえず二助が止めようと手で制した。 「そっとだぞ、そっと‥」 「片方だけなら遊んだことはあるのじゃ」 自信たっぷりに言うが、そんな寺子屋での打ち明け話を聞いている余裕は無い。 盆を降ろそうとして、そろりと三太がかがむと、当然‥‥。 「―――!」 重心が移動して前傾になると、ジャッと珠が後ろに走った。 「三太!」 「わぁ―――!」 盆を放り出して手をつこうとしたため、湯のみが飛んだ。 盆は襖に突っこみ、敷居には引っかいたような大きな傷が出来、湯飲みの一つが火鉢に入ってもうもうと水蒸気を発した。 被害は甚大である。 「びっくりした‥‥」 「やると思った‥」 三太の顔面強打は兄に突っ込んだため避けられたが、実朝がうわ、と小さく呟いた。 「本が‥」 「何?!」 二助が振り返ると、本にまで茶の被害が及んでいた。乾かせば読めないことはないが、続きを楽しみにしていた本である。それがびしょ濡れの有様。 「いや‥あの、これはその‥‥」 三太は流石にまずいという空気を感じて、二助に慌てて釈明しようとしたが、もう遅い。 わなわなと震えだす兄の肩。 三太――――! という二助の魂の叫びがこだました。 |
■参加者一覧
風雅 哲心(ia0135)
22歳・男・魔
平野 譲治(ia5226)
15歳・男・陰
朱麓(ia8390)
23歳・女・泰
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
鞍馬 涼子(ib5031)
18歳・女・サ
平賀 爽(ib6101)
22歳・女・志 |
■リプレイ本文 ●ワシは悪くない! 借りてきた猫状態で三日目の三太が、お菓子の山に埋もれそうだ。 「母上、もういいんじゃないですか」 「実朝さんこそ、三太さんを独り占めして」 寂しそうに実朝の母が言う。 「まぁまぁ、お前。実朝だって弟が出来て嬉しいんだよ、なぁ」 こちらも仕事をそこそこにやってきて、小さな三太に目を細めている実朝の父。 幼い三太に構いたくて仕方ないらしい。実朝は、預かってるのは僕ですよ、と笑い両親の背を押した。 「自分のうちだと思ってくれていいからね」 「‥はい!なのじゃ」 「後で一緒に遊ぼうね」 三太の頭を撫でながら、優しく実朝が笑いかけた。行きがかり上、預ると申し出たのだが、可愛くて仕方がない。 (兄上達とは大違いなのじゃ‥) 優しい実朝を見上げて、三太は使っぱしりとしか見てない兄達とこそりと比べてしまうのであった。 実朝の家は反物卸「三丸屋」であるが、個人で仕立てをする客のためにも販売している。 「こっちの柄も可愛いな〜。でも大人っぽいのも捨て難い‥」 つい依頼を忘れて真剣に悩んでいるのは石動 神音(ib2662)である。 「神音は花が一杯描いてあるのが似合うぞ!」 羽喰 琥珀(ib3263)も色とりどりの反物を楽しそうに眺めた。 「にぎやかだな‥」 鞍馬 涼子(ib5031)が外まで聞こえてくる二人の声に聞きつけられたように入ってくる。その後から、ふらりと風雅 哲心(ia0135)が続けて入ってくると、 「こちらに三太という子供はいるか?」 と実朝に尋ねた。家に寄ったらこちらだと聞いたと哲心は理由を告げる。 意を得ている実朝が三太を呼ぶと、小さな足音がして、やがて三太がおずと顔を見せた。 「‥哲心殿!」 見知った顔をみて、三太がとたた、と走ってきた。 「久しぶりだな。元気そうで何より」 わしゃわしゃと頭を撫でられて、なんだか鼻の奥が熱くなった。三太がぽすと哲心に抱きつく。 「‥こんなところでどうしたんだ?」 「遊びに来ただけなのじゃ‥」 顔を押し付けて拗ねたように小さく答えると、ぎゅっと手に力を込める。 「かわいらしい子だな‥あなたの兄弟か?」 涼子が実朝に聞いてみる。 「‥そうなるかもしれませんね」 実朝が三太に聞こえよがしにちょっと複雑そうな笑顔で答えた。 「よければ奥にもありますから見てくださいな」 くるくると反物をまとめ、実朝が座敷に上がるよう開拓者四人に声をかけた。 「ねーねー、三太くん、おにーさんに怒られて家を追い出されたんだって?」 琥珀の友人と紹介された神音が切り出した。 お手伝いをと思い反物を運んできた三太が、その言葉に足を止める。 「神音にもにーさまがいるけどと〜っても優しーし、美味しーものとかいっぱい買ってくれるんだよ」 「そうなのか。うらやましいのじゃ‥」 「三太くんのにーさまは心が狭くて怒りんぼだね〜」 「そうなのじゃ、神音殿! まったく兄上は怒りんぼなのじゃ!」 三太が激しく我が意を得て、勢いよく座ると悪口を言い始めた。二助の悪口を言って怒らせようと思った神音がしまった、と戸惑っている。 「でもよ、三太も悪いことしたんだろ?」 「ぐ‥。琥珀殿は兄上の肩をもつのか‥?」 しゅんとした三太がうらめしそうに琥珀を見やる。三太の兄に一緒にお仕置きをしかけてくれたのに、と思いつつ。 「ちゃんと謝ったのか? 自分に非があるのなら謝るのは当然じゃないかな」 「哲心殿まで‥。もういいのじゃ!」 唇を尖らせて三太が立ち上がるとぱたぱたと座敷を出て行ってしまった。今の三太は、素直に聞きいれられないようだ。 「やれやれだなぁ」 ちょいと仕掛けを考えないとダメか、と琥珀が呟いた。 「ひらが豆腐店です。ご注文お届けにあがりました」 店先に尋ねてきた平賀 爽(ib6101)の言葉に、実朝の母が算盤を弾いていた手を止めた。 「あら、お豆腐?」 「‥あ、母上。最近旨いと評判なので僕が頼んだのですよ」 慌てて店先に戻ってきた実朝がいぶかしんでいる母に声をかける。 そしてその後に朱麓(ia8390)と平野 譲治(ia5226)が折りよく入ってきた。 「万屋です。三丸屋さんはこちらですね」 「よろず‥?」 「ああ、こちらも僕が。部屋にある本を片付けたいので呼んだのですよ」 「今回は出張無料さーびすなんで他にも言って下さいねー。次回からはきっちり報酬いただきますけど☆」 実朝の両親ににっこりと営業的微笑を投げかける朱麓。その横で譲治が 「助手も無料なりよっ!」 としゃきんと手をあげるのであった。 「今日はなんだか千客万来ねぇ‥」 屋敷に上がっていく三人が開拓者だと知らない母は、不思議そうに見送った。 「兄上! お久しぶりなのだ〜!」 元気よく実朝に抱きつく譲治を、しょんぼりと縁側に腰掛けていた三太が見かけて立ち上がる。実朝は一人っ子だと聞いたのだが。 賑やかにこちらにやってくる二人を黙って見つめる。 「おや。兄上。この子は」 「三太君だよ。今預かってる。三太君、こっちは従兄弟の譲治だ」 従兄弟のふりをした譲治が嬉しそうに手を出す。 「よろしくなりよっ!」 「よ、よろしくなのじゃ」 握手が終わると、実朝が自分の部屋に譲治と共に楽しそうに歩いていく。その二人の背中を見送っているとぽこん、と頭を小突かれた。 「隙あり」 振り返ると、箒を手にニヤ、と笑っていたのは朱麓である。いつの間に現れたのか驚いたが、見知った顔に安堵したのか急に泣きそうになった。 「朱麓殿。‥わしはどうしたらいいんじゃろうかの」 「もやもやしたときは稽古が一番」 三太に木刀を渡し縁側から庭に降りると、箒を得物にして朱麓が手招きする。 「言いたいことがあったら全力で受け止めたげるよ」 「‥‥言いたいこと?」 「あるんだろ。打ってきなよ」 「‥はいなのじゃ!」 サムライ志望の三太も木刀を握って庭に飛び降りた。最初は無言で打ち込んでいたが、ひょいと朱麓に箒で弾かれると三太は躍起になって打ち始めた。 「‥なぜワシが!」 受けては軽く流され、三太が力を込めて打ち続ける。 「寂しゅうなるのじゃ!」 朱麓が無言で箒の柄で受け止める。 「ワシが‥ワシが悪いのはわかっておるのに」 ザッと踏み込む。 「――兄上に謝りたいだけなのに!」 振り下ろした一撃を正面にかざした箒で受けとめ柄を滑らせると、朱麓が三太の手をぎゅっと掴んだ。 「――はい。よくできました。次は直接兄ちゃんに伝えてやんな」 微笑みながらくしゃと頭を撫でられると、三太の目に涙が浮かんだ。男は泣かないと勝手に決めているのだが、堪えようがない。ぼろぼろこぼれて、鼻の奥が熱くなってしゃくりあげてしまった。 「許‥してっ‥‥くれっ‥るかのぅ‥」 「朱麓がいうんだから、大丈夫」 「―――っ?」 二人の会話に入ってきたのは哲心だった。濡れ縁の柱にもたれながら二人の様子を見ていたらしい。 三太は慌てて涙をごしごしと袖で拭いて、一生懸命息を整えた。男として泣いているところを見られて格好悪いとおもいつつ。 「哲心殿。先ほどは失礼したのじゃ‥」 「ちゃんと謝れるじゃないか。修行の成果だな」 「――はいなのじゃ! 朱麓殿が‥あれ、朱麓殿?」 朱麓はというと恋人である哲心とは顔が合わせられない。 「‥何の用」 「俺もお手合わせしてもらおうかと思って」 一部始終を見ていた哲心の言葉に朱麓の耳にまで朱が昇る。あれ?と三太が朱麓を覗きこみに行くと、うるさい、と抱きこまれた。 「‥それはちょっと妬けるかも」 哲心の表情がわかる言葉を背中で受けた朱麓は、行き場がなく三太をぎゅうぎゅう抱きしめていた。 ●兄と弟 「かといって‥」 家に帰ってもむすっとしている二助兄にどうとっつけば良いのか。 「きっかけ作ってやろうか?」 心を読まれたかのような琥珀の一言に、三太がぎくりとして廊下で振り向く。 「琥珀殿! 先ほどはごめんなさいなのじゃ‥」 そんな三太の気持ちが分かるのか、ニカリと笑って琥珀が三太のほっぺをぎゅうと両手で包み込んだ。 「ほはくほの(琥珀殿)?」 「よし! んじゃ、二助がどー想っているのか聞いてみるか?」 「?」 「ちょっと三太の悪口言うけど‥耐えられるよな?」 何かを思いついた琥珀はいたずらっぽく三太に笑うのであった。 「三太が怪我?!」 本も持ってもうすぼんやりとしていた二助に、実朝の屋敷から急な使いがやってきと思ったら――。 仔細を聞かずとにかく実朝のところへ、と二助が慌てて玄関から飛び出した。行きかう人にぶつかり、後ろから罵られようと足は止まらない。 「おや、二助くん」 息を上げて膝に手をついている店前の二助に、実朝の父がおっとりと挨拶をする。 「――三太は?!」 「三太くん? 奥にいると思うけど」 「――二助?! 上がって!」 二助の声を聞きつけた実朝が暖簾から顔を出すとすぐ引っ込んだ。 「失礼!」 切迫した実朝の声に、勢いよくそういって二助が駆け上がっていった。 「賑やかだねぇ」 実朝の父は事情も知らず、のほほんと呟いた。 二助が連れられて部屋にいくと、そこに横たわっている三太に衝撃を受けた。 腹に巻いた包帯に血が滲んでいる。鼻をつく匂い。消毒をしたようだ。 「三太‥」 足に力が入らない様子の二助が、それでも三太の傍まで這って、抱き上げると揺り動かした。 「三太!」 「駄目です。安静にしないと」 爽が冷静に言うと二助の手から三太を奪いとり、そっと横たえた。 「治療の邪魔です、命に関わりますよ」 涼子が医者に扮してわざとそっけなく二助をあしらう。 「なんでこんなことに‥」 「悪い。やり過ぎて怪我させちまった」 二助と面識がある琥珀が、片手を拝むように立てた。その謝罪に二助の頭にカッと血が上る。 「こんなことまで頼んでないぞ!」 「煩くて生意気な弟が静かになっていーじゃんか」 「‥なにぃ!!」 二助が琥珀に掴みかかる。 「からかって遊ぶ以外にとりえがねー弟なんだろ? だったらいーじゃんか。実朝にくれてやろうとしたんだろ?」 「――っ! ふざけんな!!」 「やめろ、二助!」 琥珀に殴りかかろうとする二助を後ろから実朝が止める。 「離せ実朝!」 「よせって!」 振りほどこうと全力で二助が暴れる。 「――よくも、よくも俺の弟を!!」 動かない三太を見て二助が叫ぶ。 「―――俺の可愛い弟をっ! 離せ!実朝!」 「なーんだ、本当は好きなんじゃない」 涼子と爽の傍に控えていた神音がポツリと呟く。 「‥なに?」 二助の手の力がゆるんだ隙に琥珀が身体を引いて咳き込んだ。神音が慌てて、大丈夫?と琥珀の背中をさする。 「嫌いじゃないんだよね?」 「嫌いなわけないだろう!」 神音の言葉に二助が即答する。 「‥だって、三太。よかったな」 うり、と琥珀が三太のおでこをつつく。 するとむくりと三太が起き上がった。 「三‥太‥?」 「‥‥‥兄上」 「無事なのか‥」 へたりと二助が跪く。 みるみる涙が幼い瞳に盛り上がる。 「うわあああ。ごめんなさいなのじゃ〜! 兄上〜!!」 三太が二助に抱きついて謝った。 「細工は上々、ですね」 爽が食紅の瓶とヴォトカの瓶を見せて、三太の怪我が芝居であったことを伝える。 大きく息を吐いて二助が目を閉じた。 「驚かすなよ‥」 「弟なんてものは元気すぎるぐらいで丁度いいと思うのだがな」 涼子が三太を二助から剥がしてみる。 「元気で真っ直ぐ育ってもらえば満足だと思うが。実朝殿も私もいつでも三太殿をもらうぞ?」 「‥余計なお世話だ!」 びぇーと泣いている三太を奪い取ると、ぎゅっと抱きしめる。 「俺の弟だ!」 ――言ってから、にまにまと笑っている実朝と開拓者たちにはっと気づく二助。 「しまった、これって‥」 「反省を依頼したよね。二助」 実朝の言葉にダメ押しをされる。がくりとなりながら、自分が言っ(てしまっ)た台詞を思い出し、また赤くなるやら青くなるやら。 「――帰る!」 無事だと分かるとぽいと三太を放り出す。 「あらお茶‥」 実朝の母の横を二助がすり抜ける。だが、入れ替わりに部屋に入った母は三太の様子をみて長い悲鳴を上げるのであった。 ●依頼とは 「三太君、もふら様の『も』が反対むき」 くすくすと笑いながら爽が三太に習字の手ほどきをする。 「そうか。こっち向きなのじゃな」 「そうそう。字を覚えるのって楽しい?」 「うむ! 楽しいのじゃ!」 「じゃあこの本を読んでみる? 実朝さんから借りたんだけど」 すかさず古い表紙の本を爽が取り出す。 「『はじめての侍』じゃと‥。面白そうじゃの!」 「それ、二助さんが子供のとき好きだったんだって」 「兄上が‥」 うむ、というと大事そうに懐にしまう。もちろん収まらずにはみ出るのだが。 「にゃははっ♪ そろそろきゅーけーはいかがなりかっ!」 ジャッ。ガーガー。 ジャジャッ。ガガー。 「この音は!」 三太がぴくりと反応する。 三太の屋敷よりも直線距離が長い実朝の家の廊下。譲治が大きな算盤を両足にくくりつけて走ってきた。‥否が応でも加速度は増している。 だが、自信満々にお盆でお茶を運んでくる。お茶も満々である。 「譲治殿! お茶はいらな‥」 「わー! 三太! あぶないなりっ!」 部屋の少し向こうで止まる算段でいたものが、急に三太が飛び出してきたので慌てて身体をひねる。だが算盤は急には止まれない。 「だぁあああ!」 「譲治殿―――!」 三太を回避したのはいいが、襖に身体ごとつっこんで止まった。 「今のは何!?」 物音に実朝があわてて店からやってきたが、襖が破れて外れている惨状に目を丸くした。 「大丈夫?!」 「わわわっ! ごめんなりよごめんなりよっ!?」 譲治がむくりと起き上がると、壊してしまった襖に血の気が引く。三太も爽も無事だったからよかったが。 「襖はいいよ」 両足に算盤をくくりつけた譲治を見て、実朝が笑う。自分が子供だったときに考えはしたけどやっている子供がこんなにいたとは。 「よかったなりよ‥」 ほっと胸をなでおろしたが、ああ!と三太が叫んだ。 「ワシの『もふら様』が‥!!」 ―――やはり、びしょ濡れである。 「ごめんなりよっ?!」 譲治が必死で三太に謝るが、むぅ、と三太の頬が膨れる。が、何かを思い出したようで、かくり、と頭を垂れる。 「‥兄上の気持ちがわかったかも、なのじゃ‥」 「そろそろ帰るかい?」 実朝が察したように水を向ける。二助も大人気ないと反省しているだろう。 「うむ。家に帰ったら兄上に謝るのじゃ。じゃが‥」 キッと譲治を振り返る。 「わっ?! だからごめんなりよっ?!」 譲治が怒られると思って身構える。 「教えてほしいのじゃ!」 「え?」 「両の足で滑りつつ、止まる方法じゃ!」 「‥‥‥‥三太くん」 さすが二助の弟。 反省はしたが、好奇心も成長したかもしれないお子様三太。 転んでもただでは起きない、のであった。 |