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■オープニング本文 ●ウサギ 「お嬢様、これではとても渡れませんね」 お供の女中が橋の壊れた川をみて、志乃の横で脱力した。 長雨で橋が壊れたせいで、隣町から帰ってきた志乃と女中は足止めを食らった。町人達は逞しく、荷を担いでわいわいと川を渡っている。 誰も彼もが忙しい。渡しの人足も見当たらない。 水はというと、もう彼女たちの膝下程度まで引いているのだが、志乃の家であり店である『三丸屋』(みつまるや)から渡しを手配してもらうしかあるまい。 お嬢様育ちの志乃に、着物をはしょって川の中を歩けといえるはずもなかった。 「仕方ない。私は少し手前の茶屋で待っているわ」 志乃はおもしろくなさそうに言いながら、待つことを了承した。 「わかりました。でもお一人にするのは‥」 「いいから。早くよんできて頂戴」 「なんだ、渡りたいのか?」 突然会話に割り込んできた声に二人がぎょっとして振り向いた。 そこには荒縄を片手に持った見知らぬ男が立っていた。 しかも、前が見えているのかわからぬほどのボサボサ髪に着物の上に獣皮をまとった珍妙な姿。髭も伸び放題である。一体何歳なのかもわからない。 そんな男とは係わり合いになりたくはない。 「関係ないでしょ」 汚いものを見る目で、志乃が言い放った。生来の気の強さである。 完璧に怪しい男をフンと無視して、女中に向き直ったところで、視界が斜めになった。 (めまい?!) 「お、お嬢様!」 「渡しを待つよりこっちの方が早い」 「―――ッ?!」 上等な着物を着込んだ志乃をひょいと肩に担ぎ上げたのである。そのままざぶざぶと濡れるのも構わずに男が川へと入っていく。 「はっ‥はなしなさいよ!!」 自分が荷物のように担がれているのだと思うと顔が赤くなった。周りからも、おお、と控えめながらも驚いた声が聞こえる。志乃が拳で背中を叩いても、全く気にしない。なおもザブザブと男は渡る。 「はなせ――!」 「気の強い譲ちゃんだな。今離したらこの着物が濡れちまうぞ」 男が呆れて、兎みたいにじっとしてな、と付け加えた。 横で揺れているものに志乃がぎょっと目を見開いた。もう片方の肩には仕留めた野ウサギが数羽、荒縄で足をまとめられてぶら下がっているのだ。 (―――っ!) 悲鳴を上げそうになったが、高い位置から水面に落ちるのもゴメンである。 ぐ、と悲鳴を飲み込むと、そのまま川を渡りきるまで我慢するしかなかった。 志乃にとってはとても長い時に思えたが、時間にすればさほどかかってはいない。 川を渡りきり、男がよっこらしょ、と志乃を降ろして立たせた。 「志乃様!」 女中が濡れるのも構わずザブザブと二人を追ってきた。得体の知れない輩の出現に蒼白である。 恥ずかしいやら屈辱的やら、いろんな感情が志乃のなかで混ぜこぜになっているのだが、男は川辺で自分の薄い着物の裾をジャッと絞って、そのまま立ち去ろうとする。 「‥‥待ちなさいよ!」 「うん?」 振り向いた男に、志乃が駆け寄り、その手にじゃら、と金を押し付けた。 「これで借りはなし! 湯屋にでもいけばいいわ」 「いや‥」 「いい?! 貸し借りなしよ!」 行くわよ、と女中に言うと、憤然と志乃は家へと歩き出した。 ●二目(ふため) 翌日、志乃の部屋に番頭がやってきた。 「お嬢さんに会いたいというお客様が‥」 「‥‥?」 志乃が不審に思いながら店に出て行くと、 「やあ。やはり三丸屋さんだったか」 と気安く言って、すらりと立つ若い男。店のものに勧められた着流しをさらりと着こなしている。 「あの‥?」 「返しにきたぜ」 ちゃり、と店のあがりに金を置く。 「親切は受け取っとくもんだ」 「あら、ま」 代わりに驚きを発したのは、後ろにいた女中である。 「まぁまぁ、見違えましたわ! 昨日の方ですわね」 「やぁ、お女中。風邪はひかれなかったかい」 ニコリと笑って男は答える。 (昨日の男?!) そういえば‥目の前の精悍な顔立ちの男の『声』には聞き覚えがある気がする。それににこにこと女中と話し込んでいる。 「――こっちこそ、いい店教えてもらってすまないな」 「いいえ、お似合いで――」 そのあとの会話が耳に入らない。 屈託なく笑うその姿をぼうっと見ていたらしい。 男と目が合った。 「‥‥‥!」 慌てて目を逸らす志乃。 「じゃ、ありがとさん。これで失礼するよ。志乃さん」 名前を呼ばれて心臓がはねた。 「あ。これ、そこで売ってたんだ。嬢ちゃんの口に合うかわかんないが」 ぽんと置いた小さな包み。 じゃあ。 男は人好きのする笑顔を残し、片手を上げて三丸屋を後にした。 包みのなかには、ウサギの形の飴細工がひとつ。 それをこそりと日がな開けては見つめる志乃を見て、女中の胸に浮かんだ依頼がひとつ。 そして、いらぬ節介といわれないうちにギルドへと赴こうと決心したのであった。 |
■参加者一覧
土橋 ゆあ(ia0108)
16歳・女・陰
ニーナ・サヴィン(ib0168)
19歳・女・吟
ロゼオ・シンフォニー(ib4067)
17歳・男・魔
紅雅(ib4326)
27歳・男・巫
蒼井 御子(ib4444)
11歳・女・吟
八十島・千景(ib5000)
14歳・女・サ |
■リプレイ本文 ●兎追いし 「急病ですって?」 「申し訳ございません、お嬢様」 あいたたた、と急に差込みがきたように、腹を押さえる女中。此度は山を越えてまでの商談と聞いて、準備も万端に抜かりなく手配していたはずの本人が、出発前に腹痛を訴えたのだ。 志乃は困ったように眉根を寄せる。 取引としては、今回初めての相手である。山ひとつ向こうの村に、腕の良い絵師がいると聞いて、反物の図案を描いてもらいに行く予定だった。 「面目ございません‥あ。丁度良いところに」 女中が海老のように曲がっていた腰をしゃんと伸ばして、店先に集まってきた女性達を呼び止めた。三人の若い女性が連れ立って店に入ってくる。 「こちらが三丸屋さんですね」 巫女袴に流れるような美しい黒髪が映える八十島・千景(ib5000)は礼儀正しくお辞儀した。黒曜石のようなつぶらな瞳には、振る舞いとは別の、年相応の幼さも宿っている。 「手前どもが三丸屋ですが‥」 「この柄素敵!」 志乃の疑問を遮って、華やかな着物の元となる反物に歓声をあげているのは、ニーナ・サヴィン(ib0168)であった。 ぽかん、と志乃の口があいている。 無理もない。金色の髪を持つ女性に会ったことがないのだ。 「お嬢様の護衛の依頼を受けたのですが、合ってますか」 「はい、お願いします」 「護衛? お願いって‥お前‥‥」 我にかえった志乃が女中と土橋 ゆあ(ia0108)の顔を交互に見比べた。ゆあも金色の美しい髪を持つ開拓者だった。その瞳が輝石のような緑色であることも志乃にとっては不思議で仕方ない。 「これで準備は整いましたわね」 女中の声が弾んでいる。 「なにが準備なの?」 志乃は反発したが、彼女達は立派な開拓者であり、普通の男性よりずっと腕が立つし、なにより道中、異性ばかりを護衛につけるより格段に安全であると力説されてしまった。 「‥いざとなったら、引き返します」 「大丈夫です。あとで三人が合流しますから」 千景がニコリと放つ一撃。 「え、あと三人?」 「大丈夫よ♪ 腕は確かなの」 「小隊の一個くらいは軽く撃破できます」 ニーナとゆあの追撃にぐうの音もでない志乃である。これで『護衛が使えないから帰ってきた』という理由は許されない。 「というか、どんなとこなのその村って‥‥」 アヤカシの巣窟の真っ只中だとでもいうのだろうか。商談なんてしている場合ではないのではなかろうか。 そんな心配も深慮も一片たりとて感じさせない女中は、晴れやかに 「いってらっしゃいませ」 と自分の荷物をゆあに手渡している。 「ん?‥お前、腹痛は」 「え? あ?! あいたたた!」 ―――今度は頭を押さえている女中である。 めっきり胡散臭い話になりそうなところを、そそくさと開拓者が志乃を連れ出したのであった。 ●彼の山 山村の冬というものは、もの悲しくひたひたと迫ってくるものである。 そして、中でも天から降りてくる冬の景色をいち早く享受するのは里の村ではなく、山に在るものである。 今、羽鳥が居を構えている小屋にも白い冬が訪れようとしていた。 息はすでに白くなり、置きっぱなしの桶にも薄い氷が張っていた。やがて来る寒波に備えて、薪となる枝を取りにいったり、わずかばかりの食糧を蓄えたりとそれなりに目まぐるしく動き回っているのであった。 そんな彼の耳に、複数の足音が飛び込んできて、枝を拾う手を止めた。 (‥誰だ?) 元開拓者としての鋭い感覚。 敵でもあるまいに、と自嘲的に笑って枝を拾い続ける。およそ、山を越えようという商人達の一行だろう。麓に沿った蛇のような山道を行けば三日とかかるところ、強行すれば一日で通過できるからだ。 尤も、獣のアヤカシは羽鳥が狩ったこともあり、今では襲われる心配もない。 心配すべきは、道に迷うことだ。無事越えていってくれるとよいのだが。 だが、そんな羽鳥の心配をよそに、足音がぴたりと止んだ。羽鳥が立ち上がって小屋の方を見ると、三つの影がちらり。 「誰だ‥?」 今度こそ、そう呟いて羽鳥はゆっくりと歩き出した。 「突然だけどお邪魔します! ちょーっと話を聞かせてほしいんだけど、イイ?」 蒼井 御子(ib4444)が大声で挨拶すると、さっと筆記用具を取り出した。一言たりとて逃すものかという心構えがにじみ出ている。 とはいえ、突然の来訪者に羽鳥は目が点状態である。記憶の底を探っても目の前の三人に覚えがなかった。 「御子さん、いきなりはダメですよ」 僕も聞きたいことあるんですから、とロゼオ・シンフォニー(ib4067)がやんわりと小声で付け足した。羽鳥には皆興味津々らしい。 「ご挨拶がおくれてすみません。ギルドからこちらにお住まいであることを聞いて、依頼のついでと言ってはなんですが、立ち寄らせていただきました」 代表するように紅雅(ib4326)が優雅にお辞儀をした。それにあわせて、御子とロゼオも一礼する。 「ギルド‥」 同じ志体もちだと知ると、羽鳥の身体から緊張が抜けた。ギルドからの討伐をうけるような行いはした覚えがなかったからだ。 「‥見てのとおりのあばら小屋ですが、どうぞ、好きなだけ寄っていってください」 女中の情報どおり、羽鳥は快活な笑顔を向けて、三人を招き入れたのであった。 ●恋花咲きし 「あの人横顔が素敵よね♪」 「ニーナさんもう十人目です‥」 ゆあがやや呆れ気味に数えていた。志乃の恋心を高揚すべく、どの男性が好みか話の矛先をもっていこうとしているのだが、ニーナが本気で楽しんでいる。 それに、右に左にきょろきょろと首を振っているとなかなか前に進めないものである‥が。 「兄様たちに色々教えてもらいましたが、そういえば本当の恋をしている暇がなかったかもしれないです‥」 なにやらこちらも恋という存在に気づき始めた感のある千景である。 「そっか、じゃあ、志乃さんの好みは? どれどれ?」 「わ、私の好みは関係ないでしょ」 一瞬よぎったあの笑顔は、誰にもいえなかった。名前さえ知らない、それが未だ恋だと認めたくない志乃であった。 「だって志乃さんだって好きな人いるでしょ? 可愛いのにもったいない」 「かわいい?」 思わず声が上ずってしまった。店に来る客に世辞を言われることはあっても、目の前の三人の横に立てば比べ物にならないことくらいわかっているのに。 「知りません。――行きますよ」 つむじを急に曲げて志乃がすたすたと歩き出す。ほめられて嬉しくないことはないが、今の志乃にとっては、叶わない想いだけを思い知らされた気がした。 ―――これは一筋縄では‥と思うのが普通なのだが。 「次は甘いものを取りながらお話をききましょう」 持参した飴をゆあが見せると、三人はぐっと拳を握った。まだまだ策はある。 怒って先を行く志乃を見てほほえましくなると同時に、俄然やる気の燃える開拓者(女子)魂なのであった。 「成程。そういう結末かぁ」 羽鳥は開拓者達との話に興が乗ったらしく、ひとしきり頷いては感想を述べていた。やはり元開拓者だけあり、依頼の話には表情が生き生きとしてくる。 囲炉裏の灰をかきながら、とっておいた炭を惜しげもなく客人の為に振舞った。 「本当に今日は楽しいや。本来なら酒でもといいたいが‥普段嗜まないもので、面目ない」 「いえいえ、お構いなく。こちらも依頼の途中ですので」 「さすが紅雅さん。そうですね‥ん? 先ほどからずっと書き留めてるが、蒼井さん、それは?」 「良い歌の予感‥」 「?」 「あ、いえ。なんでもないです! あの着流し‥他のものとはちょっと違うみたいだけど――どしたの?」 聞いたはずが質問で返されるとは思っていなかった羽鳥は、分かり易いほど狼狽した。全員の目が部屋の隅に置かれた衣文掛けにかかっている黒い着流しに注がれている。黒一色に染められたように見えるが、近くに寄ってみると光の加減でその格子の地紋が浮き上がる粋の一品である。 「前に町に下りた時、よい店を教えてもらったので買ったのだが。ま、男の一人暮らしに不似合いだと笑ってださい」 「というと、結婚はされてないのですね? 男前なのに勿体無い」 「男前? 滅相もない」 紅雅の言葉に、さもおかしな話を聞いたように羽鳥が無邪気に笑う。この真っ直ぐどころが志乃の心を射止めたのであろうと思わせた。 「羽鳥さんは好いた方がいらっしゃいますか?」 「い?! 何故俺にそのような事を?!」 「さっきからお話を窺っていると、羽鳥さんは言い寄られることも多いのではないかと‥ですね。ロゼオ君」 「そうそう! 是非女心の掴み方を教えて欲しいんだ」 ロゼオが真剣な眼差しで羽鳥を見つめ、狼の耳をピクンと立てる。 「恋愛は‥現在進行形なんだ♪ 片思いかも知れないけれど‥‥」 「ほえー。こちらにも恋話! 忙しい!」 猛烈な速さで筆を走らせる御子は、着流しの特徴を書いたり、ロゼオの恋を書き留めたり目まぐるしい。 「ロゼオさんの参考になるような経験など‥」 さてなぁ、と一緒になって悩んでしまうあたり、やはりお人よし気質なのだろうか。さんざっぱら悩んで、そういえば‥と羽鳥が言葉を次いだ。 そして。 志乃を担いだくだりだと分かった瞬間、『機会到来!』の文字が開拓者達の心に、ババンと大きく極太でしたためられたのであった。 ●連理の枝 「結構この山大変ね」 息が上がってきた志乃は、軽々と登る三人に追い抜かれそうになりつつ、根性だけでついていっていた。 「そろそろ休憩しましょうか」 預かった女中の荷物には、しっかりと食料と風呂敷が入っていた。ゆあが山道の少し広がったところにそれを数枚敷いて休憩所を陣取る。 疲れた喉に岩清水が染み透っていく。 啖呵を切った手前、自分から休むと言い出せなかった志乃も、このときばかりは礼をいってゆあの飴をひとつ貰った。 ―――『親切は受け取っとくもんだ』 何でこんなときに思い出すのだろう、と今更ながら不思議に思いながらも口に広がる甘い飴の味が何故だか志乃の心を締め付ける。 「女中さんが仰っていましたが‥何か悩み事でも?」 「‥‥え?」 「行きずりの者では信が置けぬやも知れませんが、だからこそ話せることもありましょう?」 小首をかしげて、千景が尋ねる。 「行きずりだなんて思ってないわ」 視線を落とすと、苦笑しながら志乃は答えた。依頼とはいえ、開拓者は自分ひとりのためにこれだけ協力してくれている。有り難かった。 「この山を越えたところに、今日私が行くのを待っている人だっている。‥頑張らないと」 「あー商談相手ね‥‥」 ニーナがええと、と嘘の商談がばれた時の反応を考えていた。もちろん、絵師の話は女中の真っ赤な嘘なのだが。 いまや信頼を寄せてもらって言い出しにくくて仕方がないところへ、ロゼオが山道の向こうから駆け下りてきた。 「良かった! 小屋までもうすぐだよ」 御子が書き付けた羽鳥の様子をすぐに読んでほしくて彼は走ってきたのだった。今、御子と紅雅で羽鳥の外出を足止めしているようである。 千景、ニーナ、ゆあがそれぞれその紙に目を通すと、すう、と息を吸い込んだ。ここからが見逃せな‥いや、踏ん張りどころである。 「じゃあ、張り切ってお支度しないとね♪」 化粧、帯の形、髪の毛の一筋にいたるまで、全てに抜かりがあってはならない。 「え? ええ?!」 先ほどとは打って変わった殺気にも似た迫力に、今度は志乃が気おされるのであった。 「志乃さんの護衛?!」 「騙していたわけじゃないんですよ。これも依頼なので」 相好崩さず、にこにこと話を続ける紅雅。女中の企てに乗って、もうすぐ志乃がここまでやってくるという段になって、羽鳥が外に出ようとする。 「志乃さんは関係ないだろう」 「志乃さんが関係ないわけないでしょう?」 当事者の二人にそろってもらわないと今更‥である。先ほどロゼオに話して聞かせた自分の『過去の出来事』もぶり返してきて‥兎に角恥ずかしい羽鳥である。 志乃が来る前に隠れようとしていると、ここだよ、というロゼオの声がした。 「あら。ほんとにいい男ね」 扉を開けてニーナが正直に感想を口にすると、志乃の心に嫉妬という炎がちり、と爆ぜた。もう立派に熱々の焼餅である。 「はいはい、ここからは残念ながら外でーす」 御子が皆の背を押しながら二人を残して小屋を出たかと思うと、閉めた木戸に張り付いた。取材の一等席は譲らない主義である。 ずるい、と抗議しそうになったニーナであるが、思いなおして「心の旋律」で気まずそうにしている二人を応援することにした。 「‥‥商談だと思っていたのに」 「あー‥えーと。俺も今知ったんだけどさ。開拓者は依頼で動くから‥」 「依頼達成なら何をしてもいいわけ?」 「そういうことじゃない」 毅然とした羽鳥の言葉に、叱られた子供のように志乃が体を硬くした。 「――て。ああ、すまない。怒ったつもりじゃなくて」 「なによ。‥わけがわかんないわよ」 ほっとしたのか気疲れが過ぎたのかわからないまま、ずるずると志乃が腰砕けになって座り込んだ。 「名前も知らないで、どうしたらいいかわかんなくて」 「‥‥‥」 「ギルドに頼めばよかったなんて、思いつきもしなかったわよぅ」 志乃の濡れた瞳が羽鳥を真っ直ぐに見つめる。本当に気の強い子だ。羽鳥が観念したように一度天を仰ぐと志乃に歩み寄る。 「ごめんな。気の利いたことは出来なくてな」 あがり框に志乃を座らせると、しゃがんで目線を同じくした。 「俺は羽鳥。この山で暮らしている元開拓者だ」 「馬鹿! そんなのもう知ってるわよ! ばか羽鳥‥ッ」 ばかと言うたびに涙の珠が志乃の目から零れ落ちるのであった。 「そうか。もう知ってたか」 見ていたいのに涙で歪んで見える笑顔。 知っている。よく通る声。照れたような苦笑い。髪が伸びた。髭はきちんとそっている。着流しは大事にしてくれている。名前は羽鳥。‥もうきっと忘れない名前。 小屋の外では、聞かずにはいられない開拓者達が、固唾を飲んで二人の話の行く末を見守っていた。なんとはなく、もはや割って入りづらい状況‥というのもあるが。 志乃が怒っているのを辛抱強く羽鳥が聞いてやっている状況である。それだって、なんとも思っていない相手なら出来はしないだろう。 羽鳥の声は優しく穏やかに響く。 小屋の外にいる開拓者たちの存在を忘れているわけではない、と思うのだが。 「なるほど。そういう手があるのかぁ‥」 ロゼオが神妙な顔で頷いていているかと思うと、 「上手くいったら、それはそれで嫉ましい‥‥いえ、なんでもないです」 とゆあが本音をもらしてみたり。 闘いに明け暮れている開拓者達にもそれぞれ思うところがあるのかもしれない。 「どうやら美味しいお茶になりそうですね」 この寒さに耐えた代償は、温かな至極の一杯へと変わるのだろう。 |