【首斬り日記】遺言の村
マスター名:御言雪乃
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/10/30 22:52



■オープニング本文


 銀の針のような雨が降っている。
 その雨に濡れて、一人の女が座していた。紙で顔を隠されているので人相はわからない。罪人であった。
 と――
 けむる雨の中、ぼうと人影が浮かび上がった。
 左手で傘をさしている。腰に一刀をおとしていた。
 傘の主はゆっくりと女に歩み寄ると、その傍らで足をとめた。わずかに傘を揺らす。顔が覗いた。
 年の頃は二十歳をわずかに過ぎたくらいであろうか。寒気のするほど美しい相貌の若者だ。切れ長の眼の中に氷のように蒼く冷たい光が宿っている。
 その若者を見つめる数人の男達の姿があった。いずれも北面国の役人である。
 傘を右手にしたまま、若者は腰の刀に右手をのばした。すうと抜き払い、片手で上段にかまえる。
 若者の手にした刃は肉厚で、かなりの大業物であった。千人切り、または鬼包丁と呼ばれる代物である。雨滴が刃に触れ、霧となって散った。
 きらっと。
 何かが光った。役人達が見とめたのはそれのみである。
 役人達が我に返ったのは、若者の腰で鍔鳴りが響いた瞬間であった。
 傘を手にしたまま、若者は役人達に会釈した。背を返し、歩き去る。何事かが起こったようには見受けられなかった。
 が、役人達は慣れているのか座したままだ。
 ややあって――
 罪人の女の首に朱線がはしった。そして、ごとりの女の首が落ちた。血がしぶいたのはその後である。
 ほう、と。
 一人の役人から溜息がもれた。若い男である。
「あれが‥‥」
「おぬし、見るのは初めてだったか」
 若者の隣に座した壮年の男が口を開いた。
 はい、と若者はこたえると、
「噂には聞いておりましたが‥‥まさか、これほどとは」
 若者は呻いた。
 彼とて志士。腕におぼえはある。
 が、その彼にも見えなかった。主水の太刀筋が。
 芹内王が選抜した首斬り役であるからには手練れであることは当然である。とはいえ眼前で今見た剣技は鬼神のそれかと思われるほどだ。歴代の首斬り役の中で最も優れた手練れといわれているが、あながち嘘ではあるまい。
 若者は首斬り役が消えた方に眼をむけた。無論、そこに首斬り役の姿はない。ただ白く煙る雨が風景を朧と見せているだけだ。
 若者は再び呻くが如く呟いた。
「あれが首斬り役‥‥村雨主水、か」


 その日、開拓者ギルドを一人の若者が訪れた。
 ギルドの男はほっと息をつめた。思わず見惚れてしまったのである。それほど若者は美しかった。
「い、依頼でございますか」
 ギルドの男は咳払いすると、口を開いた。ああ、と若者がこたえた。
「ではお名前をお聞かせ願えますか」
「村雨主水」
「村雨主水様――く、首斬り主水!」
 叫びに近い声を発し、慌ててギルドの男は口をおさえた。生ける死神の名を知らぬ者は北面にはいない。
 ややあって男は筆をとると、
「‥‥で、ご依頼の内容は?v
「ある村をならず者が占拠している」
 主水はいった。
 前日のことである。彼は一人の罪人の首を斬った。
 いつものとおり、顔はわからない。名も知らなかった。
 いいのこすことはないか。
 首を斬る前、主水は罪人に問うた。罪人は首を振った。ただ、すまない、と罪人は呟いた。さらに俺はおまえたちを助けられなかった、と。
 その時、主水は罪人の頬を伝わる雫を見た。その日も雨が降っており、罪人は濡れている。頬の雫が雨滴であったのか、それとも他の何かであったのか主水にはわからなかった。
 
 その日の午後のことであった。
 主水は何を思ったか、取調べの役人のもとを訪れた。今朝首を斬った罪人のことを調べるためである。
 罪人の名は宗太郎であることがわかった。北面辺境にある村の住人である。
 宗太郎の告した内容によると、こうだ。
 ある日、その村に四人のならず者が住みついた。当初大人しかった四人であったが、すぐに彼らは狂犬としての牙をむいた。村を蹂躙しはじめたのである。
 四人は娘を犯した。村の乏しい蓄えを喰らった。が、志体をもつ彼らに村人は抗するべくもない。地獄は際限なく続くかに思われた。
 その時、宗太郎が村を抜けた。役人に助けを求めるために。
 が、すぐに役人は動かなかった。官僚体質と化した北面国役人はあまりに鈍重であったのだ。さらにいえば、彼らにとって辺境の村がどうなろうとたいした問題ではなかった。
 思いあまった宗太郎はある商家に押し込んだ。金を得るため。彼はその金を使った開拓者を雇おうと考えたのだ。
 が、慣れぬことはするものではない。押し込んだ商家の内儀に騒がれ、動転した宗太郎は彼女を短刀で刺してしまった。慌てて逃げ出したものの、すぐに彼は役人に捕らえられてしまったのであった。

 宗太郎の首を斬ったことについて、主水は別段何とも思わない。
 宗太郎は一人の女を殺した。理由はどうあれ、その罪は償わなければならない。
 彼が殺した女にも人生があった。それを踏みにじる権利は誰にもありはしないのだから。
 が――
 主水は宗太郎の最後の言葉を聞き取った。それは宗太郎の遺言だ。遺言は果たさなければならない。
「そのならず者を退治してくれ」
 主水はいった。


■参加者一覧
紬 柳斎(ia1231
27歳・女・サ
若獅(ia5248
17歳・女・泰
神咲 輪(ia8063
21歳・女・シ
宿奈 芳純(ia9695
25歳・男・陰
溟霆(ib0504
24歳・男・シ
天霧 那流(ib0755
20歳・女・志
カルロス・ヴァザーリ(ib3473
42歳・男・サ
ルー(ib4431
19歳・女・志


■リプレイ本文


「雨は苦手」
 ぽつりと呟き、その娘は空を見上げた。
 鈍色。今にも泣き出しそうだ。
「でも、たまに濡れたくなるのよね」
 娘は掌を上にむけてみた。雫はまだ落ちてはこない。
 娘はふっと微笑んだ。見ている者が切なくなるほどの微笑だ。
 神咲輪(ia8063)。シノビである。
「村雨主水、ね」
 声に、輪はふと眼を転じた。
 少女が一人。名は天霧那流(ib0755)、年下の十八と輪は聞いているが、本当なのかと疑わざるをえない。実に大人っぽいのだ。
 藤色の長い髪は雅に背に流れ、そして切れ長の眼はあくまで涼やかに。まさに姫様という容姿である。
 が、那流は淑やかな姿態からは想像もつかたあけっぴろげな口調で、
「なかなかの美形。同行出来ないのは残念だわ」
「そうだな」
 肯いたのは、那流よりもさらに年下の少女だ。
 名は若獅(ia5248)というのだが、浅黒い肌といい、引き締まった体躯といい、一見したところ少年にしか見えない。が、その相貌の美しさは隠しようもなかった。
 若獅は、那流がむけている視線の先に、自身のそれを転じた。
 そこには一人の若者が立っていた。
 二十歳をわずかにすぎた年頃だろう。天の名工の手によって造形されたとしか思えぬ玲瓏たる美貌の持ち主であった。
 村雨主水。北面国の首斬り人である。
 主水の前に立つと、つっと若獅は顔を上げた。
「罪人の罪を知れども、背景まで知ろうって役人はなかなかいない。村雨主水、並々の人物だとお見受けする」
 まるで挑むかのような声音で若獅がいった。主水が見下ろす。蒼氷の光をうかべた眼は深き深淵のようで、一切の感情は窺い知れない。
 が、まだ年若い若獅には主水の表情など読み取ることは困難であった。というより、憧憬に近い想いを抱いた若獅は盲目的であった。幼き頃より屈強な戦士達に囲まれ、そして鍛え上げられてきた若獅にとって、強さは至宝であったのだ。
「その心を映す業の冴え、目の前で見る事が叶わないのは残念だけど‥‥」
 若獅は声を途切れさせた。眼を伏せる。溌剌とした彼女としては珍しい。
「依頼が終わったら報告しに来ていいか?」
「ああ」
 無愛想にこたえると、主水は若獅の顎に手をかけ、仰のかせた。
「若いな。年は幾つだ」
「じゅ、十五」
「ふむ」
 主水の眼がちらりと動いた。すぐに手を離す。
「まずは」
 主水は呟いた。
 最初、主水は若獅の若年であることを危ぶんだ。が、一瞬にして彼は若獅の肉体が鍛え抜かれたものであることを見抜いたのである。
「ふふん」
 薄く笑い、一人の男が背をむけた。しなやかな肢体の竜の神威人である。
「俺は調べることがある。先にゆくぞ」
 男――カルロス・ヴァザーリ(ib3473)は背をむけたまま告げた。
 斬りたい、この男を――とは主水のことである。この場にいるとどうなるかわからない。その恐れが、彼をこの場から遠ざけたのであった。
 言い訳めいて、カルロスは独語した。
「戦う相手を知るも一興、か」


 その村は山間に隠れるようにしてひっそりとあった。すでに暮色は濃い。
 と――
 村のはずれにある一件の家屋の陰で人影が動いた。数は三。
「シノビだね」
 人影の一つから囁くような声がもれた。
 蒼い闇に染まったその顔は男。端正ともいえるそれに、どこか皮肉めいた薄い笑いをうかべている。
 溟霆(ib0504)。開拓者であった。
 溟霆が見上げる家屋の屋根に男が座している。おそらく見張りであろう。
「どうしてわかるの?」
 冷淡な声音で問うたのは二十歳前の娘であった。闇の中にあってさえ、金茶の瞳をもつ美しい相貌であることがわかる。
 ルー(ib4431)。彼女もまた開拓者であった。
「僕を誰だと思っているんだい」
 溟霆の笑みがさらに深くなった。
 彼はシノビ。同じシノビは身ごなしでわかる。
「残る三人は」
 輪は視線を下ろした。見張りの男が座した家屋だ。明かりがもれている。
 すすり泣くような声を輪の超聴覚がとらえた。さらに別の声――
 輪の頬がうっすらと紅色に染まった。声の正体がわかったからだ。それは抑え切れぬ女の喘ぎ声であった。
「どうやら村の娘を犯しているようだね」
 冷静に呟くと、溟霆は耳に手をあてた。
「声は三つ。となれば残る三人はあの中か」
 カルロスの調べで、ならず者の数は四人と知れている。
 ふっと溟霆は横をむいた。ルーの様子がおかしい。
「どうかしたのかい」
「触らないで」
 さしのべられた溟霆の手を、ルーは激しく払った。
 その一瞬後のことだ。泣きそうな表情をうかべ、ルーは顔をそむけた。
 一角馬の神威人。それがルーの正体であった。
 無論、その事実を他の仲間は知らない。それは彼女の額にあるはずの角がないからだ。
 何故か。
 それは幼き日の出来事に起因する。
 その頃、ルーの家は困窮の極みにあった。なまじ志体をもっていたのがルーの不運であったのかもしれない。わずかの金のため、ルーはある傭兵団に売られたのである。
 待っていたのは苛烈な日々であった。オーガと侮蔑され、酷使される毎日。
 ただ逃れるために、ルーは自らの角すら切った。それを身代わりとし、ようやくルーは自由の身となった。が、心にはまだ枷がある。癒しきれぬ傷は、他人の接触を彼女に忌避させたのである。
 人を求める心。人を拒否する本能。それら二つを併せ持つ哀しき一角馬こそルーなのであった。
 と、怪訝そうにルーを見つめていた輪が何を思い出したか手裏剣を取り出した。

 きらり、と。
 何かが光った。村のはずれだ。
 肯いたのは、木陰に身を潜めた一人の男であった。身形からして陰陽師であろう。整った相貌には高貴の光が満ちていた。
 宿奈芳純(ia9695)。開拓者である。
 芳純は懐から一枚の紙片を取り出した。呪符である。
 芳純は素早く指で呪符をなぞった。呪文を展開させるための引き金となる呪言である。
 最後にふっと息を吹きつけると、芳純は呪符を放った。それはたちまち梟へと変じ、暮れなずむ空へと翔け去っていった。
「世はままならぬもの、か」
 遠くなる飛影を見つめながら、溜息に似た声が流れた。
 声の主は一人のサムライ。かなりの長身であるが、胸元をおす豊かな膨らみや腰の丸みからして女であろう。相貌は凛として美しく、美青年といっても通じるほどだ。
 紬柳斎(ia1231)。八人めの開拓者は哀しげに眼を伏せた。
「村を救いたい一心が、逆に悲劇を生むとはな。‥‥村を救えば少しは救われるかな、彼は」
 芳純はこたえない。代わりにこたえたのは那流であった。
「救われる、と信じたいわね」
 そうじゃないと哀しすぎる。那流は思った。


「どう?」
 輪が袖をもって首を傾げてみせた。小さくルーは肯いた。村娘に見えるということなのだろう。
「じゃあ、いくわね」
「あっ」
 ルーが声を発した。輪が足をとめる。
「どうかした?」
「い、いや」
 ルーは再び顔をそむけた。気をつけてといおうとしたのだが、声が出ない。
 輪はふっと微笑むと、
「ルーさんは、きっと過去に辛いことがあったのね。でも」
 輪は胸に手をおいた。
「それがルーさんなのよ。逃げちゃだめ。微笑みも涙も、すべては宝物だから。貴方の素敵な物語の一頁。私なんてね、子供の頃の思い出なんかないのよ」
 笑みを消すと、すっと輪は振り向いた。
「いくわ」

 村から走り出る村娘を見とめ、屋根の上の男が立ち上がった。
「女が逃げるぞ」
 叫び、飛び降りる。猫の身軽さで着地した。
 戸が開き、三人の男が飛び出して来た。
 一人は筋肉質な体躯の持ち主で、もう一人は痩せている。どこか死神を思わせた。
 三人めの男は小柄で、にやにやとした薄ら笑いを顔にへばりつけている。赤ら顔で、猿のようだ。
「女が逃げただと? 本当か餓童」
 低い声で筋肉質な体躯の男が問うた。
「ああ」
 餓童と呼ばれた男が肯いた。
「修理よ、どうする?」
「餓童は追え」
 首領格の男――修理は命じた。
「先日も若造を逃した。今回はしくじるな。そして猿丸は見張りだ」
「わかった」
 猟犬のように餓童が駆け出した。それを見送り、又四郎、と修理は促した。
「俺達は戻るぞ」


 疾駆しつつ、ふと餓童は首を傾げた。
 いくら慣れているとはいえ夜道、おまけに村娘の足だ。シノビが追いつけぬはずはない。もしや――
 ぴたりと餓童は足をとめた。身を低くし、耳を澄ませる。
 いる、何者かが。それも複数。
 瞬間、餓童は身を翻らせた。忍び寄る足音をとらえたのだ。
「ええい」
 闇の中、一気に間合いをつめたのはカルロスであった。が、すでに餓童は気づいている。
 下方より餓童の刃がはねあがった。それを横殴りにカルロスの刃が払った。散る火花に二人の顔がぼうと浮かぶ。共に鬼の相を刻んでいた。
 次の瞬間だ。袈裟に薙ぎ下ろされた餓童の刃がカルロスを斬り下げた。が、浅い。
「ぬっ」
 カルロスにとどめを刺そうとしていた餓童が反射的に振り返った。熱風の如き殺気が背に叩きつけられたからだ。
「くらえ」
 餓童が手裏剣を放った。
「ふん」
 手裏剣をあえて殺気の主――若獅は手で受けた。速度を殺すことなく肉薄。渾身の力を込めて肘を餓童の胸にぶち込んだ。
 刹那だ。餓童の口から鋭い音が発せられた。


 村の中央、男が一人佇んでいる。猿丸と呼ばれた男だ。
 ゆらり、とルーが動いた。
 あっ、と溟霆が思った時には、すでにルーは地を蹴っていた。見えぬ鎖を振り放すかのように加速。瞬く間に猿丸との距離を詰めた。
 剣光一閃。
 疾らせたルーの刃が鮮血の尾をひいた。さすがの猿丸もルーの急襲をかわしきれなかったのだ。
「痛いか」
 ルーが問うた。そして解放者という名の剣をかまえなおした。
「それが虐げられた者の苦しみと知れ」
「ぬかせ」
 猿丸の脚がはねた。眼にもとまらぬ素早さで蹴りを放つ。
 かすめただけで火ぶくれができそうなその一撃を、しかしルーは避けた。飛び退る。
「敵だ!」
 猿丸が叫んだ。やや遅れて笛の音に似た音が鳴った。餓童の発した声だ。
 戸が開き、修理と又四郎が姿を現した。修理の手は一人の娘の腕を掴んでいた。
 修理がじろりとルーを見据えた。
「逃げた若造が助けを求めるとは思っていたが‥‥貴様、役人ではないな」
「開拓者だ」
 ルーは剣をおろした。
「お前のいうとおり、依頼を受けて一人で来た」
「とは嘘だ。餓童を襲った者がいるはずだ。いえ。仲間は何人いる? いわねば」
 刹那、又四郎が抜刀した。唐竹に刃を振り下ろす。
 次の瞬間である。ルーの衣服がはらりと断ち切れた。
 反射的にルーは衣服をかきあわせた。蹲る。ニヤリとすると、修理は告げた。
「殺すには惜しいほどの美形、そして身体だ。先ずは身体にきいてやる」
「‥‥好きにするがいい」
 ルーは唇を噛み締めた。
 知らぬ男に抱かれるくらい、どうということはない。あの飼われていた時に比べれば――
「よくはない!」
 静かなる絶叫。ましらのように馳せる黒影ひとつ。溟霆だ。
 が、又四郎の剣風に溟霆は飛び退った。いくら早駆といえど、襲撃を予期している相手には通用しない。
「まだまだ僕も甘いということかな」
 ニンマリすると、溟霆は眼鏡を指でずりあげた。その眼がぎらりと光っている。戦闘の予感に戦いて。
 刹那、来た。又四郎の斬撃が。
 迅い。さらに溟霆は飛び退ったが、かわしきれない。
 一瞬後、血の花が開いた。朱に染まって舞うのは――ルー!
「何故――」
 庇ったという言葉を溟霆は発することができなかった。その背に弧を描いた猿丸の脚が叩き込まれたからである。
 ゆっくりと二人の開拓者は崩折れた。


 又四郎はゆらりと刀を振り上げた。
 上段。示現流における必殺のかまえだ。その眼は殺戮の喜悦に濡れ光っている。
 と――
 又四郎の刀がとまった。闇の彼方から吹きつけてくる凄愴の殺気をとらえた故だ。
「そこまでだ」
 ずい、と。一人の男の姿が現出した。カルロスだ。
「とまれ」
 修理が命じた。人質の娘が呻く。が、カルロスはとまらない。するすると歩み寄る。
「ふっ、下衆どもが」
 カルロスはニヤリとした。その眼の光は又四郎と同質のものだ。
 この時、カルロスは歓喜していた。アヤカシではなく人、それも己と同じ化物を斬ることができる。カルロスの中の黒い獣がゆっりと身を起こしはじめていた。
「待て!」
 雷鳴に似た叫びが響いた。柳斎だ。ちっと舌打ちし、カルロスが足をとめた。
「おぬしたちの罪、地の獄で償ってもらうぞ」
 柳斎が抜刀した。そして吼える、来い、と。
 まるで火に誘い込まれる蛾のように又四郎と猿丸が動いた。修理までも。いや――
 修理は足をとめた。が、その一瞬で十分であった。
 鋭い呼気を発し、輪が手裏剣を放った。その流星の如き煌きを、咄嗟に修理が横に飛んでかわした。娘から手を放して。
 しまった、と修理が気づいた時は遅かった。すでに芳純は術式を終えている。
「疾っ」
 芳純が符を挟んだ指をふると、修理と娘を遮るように壁が現出した。
「今だ!」
 柳斎が叫び、他の開拓者が動いた。

「ふんっ」
 踏み込むと同時に修理は刃を横薙ぎに繰り出した。
 迅い。故にあえて柳斎は刃を身体で受けた。そうでもしなければ勝てぬと彼女の天賦の剣才が告げている。
「柳生無明剣」
 たばしる柳斎の刀が光をはねた。それは乱反射したように見えた。
「何っ」
 修理の口から愕然たる呻きが発せられた。彼はこの時、無数の柳斎の刀身を見たのであった。
 その一瞬後、首から血をしぶかせた修理がゆっくりと倒れ伏した。

 二つの影が交差した。
 カルロスと又四郎。二人の死神。使うは共に示現流!
 互いに位置を入れ替え、カルロスと又四郎は振り向いた。
 ややあってカルロスの口から血があふれ出した。カルロスは又四郎に斬り下げられていたのだった。それは彼がすでに手負いであった故か――

「しゃあ」
 猿丸の手が疾った。それは獲物を狙う蛇の動きに似ていた。
「遅い!」
 猿丸の拳をすり抜け、若獅が迫った。勢いを上乗せした肘を猿丸の胸に叩き込み――
 寸前、猿丸の拳が若獅の頭部を襲った。拳が赤光を放っているように見えるのは凄絶の気を内包しているためだ。まともに受ければ若獅の頭蓋は粉砕されてしまうだろう。
 死ぬのか。
 そう若獅が思った刹那、猿丸の拳がはねあげられた。横から疾った月光色の剣によって。
「負けるわけにはいかないのよ」
 那流の刃が翻った。
「今まで好き勝手した報い、受けて貰うわよ」
 右袈裟。蒼白い亀裂が闇にはしった。


 村は救われた。が、又四郎のみは逃げた。いずれ決着をつける時が来るだろうが、それは別の物語だ。
 村娘に湯浴みさせるのだと、若獅は風呂の用意をしていた。その村娘の中に宗太郎の妹がいると那流は聞いた。
 告げよう、貴方の兄の最後の言葉を。彼は貴方達を守るために命をかけたのだから。
 これでいいのね。
 那流は眼をあげた。孤独な月の中に、さらに孤独な美しい顔が浮かんで見えた。