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■オープニング本文 ● 樹間を走る影があった。疾風と化したその速さは断じて人間のものではない。 影が跳んだ。重力を無視した跳躍。高さは二十五メートルにも及んでいる。 蒼い月を背にしたそれは異形であった。 額からぬらりと生えた角。鋼のような筋肉をまといつかせた真紅の巨躯。鬼であった。名を紅角という。 「おのれ、開拓者め」 紅角は歯噛みした。 先日のことである。彼が仕える上級アヤカシである陽貴が滅せられた。開拓者の手によって。 陽貴はかつて未綿の里を滅亡の淵にまで追い込んだほどのアヤカシであった。その野望は開拓者の介入により潰え去ったが、さらなる野望の炎を陽貴は燃え上がらせた。天陽宗なる邪教をつくりあげ、実に東房の半分ほどを支配してのけたのである。 が、その野望もまた開拓者の手により叩き潰された。そして陽貴もまた。 「見ておれよ、開拓者め」 紅角の眼が憎悪に爛と光った。 級でわけるならば、紅角は中級のアヤカシであった。が、戦闘能力のみにおいて彼は陽貴にも負けぬと自負している。その高い戦闘力を活かし、紅角はいつか必ず開拓者どもに復讐しようとかたく心に誓っていた。 音もなく紅角は地に降り立った。再びの跳躍に備えて膝をまげ―― 紅角はぎくりとして動きをとめた。 彼の眼前。人影のようなものがある。 いや、それを影と呼んでいいものか、どうか。それはまるで空間を人型に切り取ったように見えた。空間にぽっかりと開いた虚無の深淵。 反射的に紅角は瘴気を両の拳にためた。膨大な熱量が彼の拳にやどり、空間をゆがませる。小さな林くらいなら消滅させるに足る破壊的熱量だ。 その熱量を雷気と炎気に変換。紅角は影にむけて放った。中級ならば当然、上級アヤカシであっても只ではすまぬ一撃である。 が―― 迸る雷と炎がすうと消えた。外れたのではない。確かに影にあたった。いや、飲み込まれた――ように紅角には見えた。 本能的な恐怖を覚え、紅角は跳び退った。一気に数十メートルの距離を。 あっ、という愕然たる声が紅角の口から発せられた。地に降り立ったはずの彼の足が、ぬぶりと沈み込んでしまったのだ。まるで底なし沼に足を突っ込んでしまったかのように。それは闇であった。 抜け出ようと紅角はもがいた。が、それはかなわなかった。急速に彼の身体が分解されつつあったからだ。 喰われている。 紅角にはわかった。闇は彼を喰らっているのだと。紅角の存在そのものを。 ここに至り、紅角は悟った。天地ほどもかけはなれた圧倒的な力の差を。 あまりの馬鹿馬鹿しさに紅角は哄笑をあげた。東房を危機に追い込んだ陽貴の一番の配下であった紅角が何たる様か。成す術もなく、ただ喰らわれようとしとている。その間も彼の身体は闇に飲み込まれつつあった。そして―― 哄笑が途絶えた。 闇に地に雷がおちた。 「――蛮十郎か」 闇の声。はい、と肯いたのは雷の中から現れた男であった。精悍な風貌は人間の如きものだが、断じて人ではない。 「お目覚めと聞き、急ぎ駆けつけてまいりました」 蛮十郎と呼ばれた男は恭しく頭をさげた。 「急ぎ、か。おまえならば千里とて一瞬であろうが。で、今まで何をしていた?」 「都に。凶風連と呼ばれるアヤカシどもを束ね、遊んでおりました」 蛮十郎はこたえた。 凶風連とは一時期都を跋扈したアヤカシ集団である。一体一体が強力で、それ故に頭をいただいた集団ではないと考えられていたが、どうやらそうではないらしい。 「今は九蓮というアヤカシに任せておりますが。で、お許しいただきたいことが、ひとつ」 「何だ?」 「生成姫より手を貸してほしいとの頼みあり。どうやら九蓮は乗り気のようなのですが――かまいませぬか」 「好きにするがいい」 闇はあまり興味なさそうに告げた。 ●襲撃 開拓者ギルド総長、大伴定家の下には矢継ぎ早に報告が舞い込んでいた。 各地で小規模な襲撃、潜入破壊工作が展開され、各国の軍はそれらへの対処に忙殺され、援軍の出陣準備に手間取っている。各地のアヤカシも、どうやら、完全に攻め滅ぼすための行動を起こしているのではなく、人里や要人などを対象に、被害を最優先に動いているようだ。 「ううむ、こうも次々と……」 しっかりと守りを固めてこれらに備えれば、やがて遠からず沈静化は可能である。が、しかし、それでは身動きが取れなくなる。アヤカシは、少ない労力で大きな被害をチラつかせることで、こちらの行動を縛ろうとしているのである。 「急ぎこれらを沈静化させよ。我らに掛けられた鎖を断ち切るのじゃ」 生成姫がどのような策を張り巡らせているか、未だその全容は見えない。急がなくてはならない。 ● 「……というわけだ」 真田悠は沈鬱な顔でいった。都の治安を守る浪志組としてはこのまま捨て置くわけにはいかない。 「都を荒らしているアヤカシはどうやら凶風連らしい」 「凶風連?」 それまで面倒臭そうに寝転がっていた少年が身を起こした。輝くばかりに美しい少年だ。名を天草翔(iz0237)という。 「凶風連で思い出したけど、そういや九蓮とかぬかすアヤカシがいたなあ」 どれほど前のことであったろうか。九蓮なる上級アヤカシが翔に化けるという事件があった。 「まあ九つの尻尾のうち二つはぶった斬ってやったけどな」 くすくすと翔は笑った。強力無比であるアヤカシとの戦いを思い出したのだ。 「その九蓮とやらが凶風連を操っている」 ひやりとする声。氷のように冷然たる美貌の娘が立っている。――浪志組副長・服部真姫(iz0238)であった。 翔は眼をぱちくりさせると、 「服部……じゃねえ。副長じゃねえか。どうしてそんなこと知ってやがんだ?」 「尾行したのだ、アヤカシを。九蓮は都の中にいる。色里だ。太夫に化けている」 「やるか」 翔が立ち上がった。 「奴とは因縁があっからな。今度こそ始末する」 「頼むぞ、翔」 悠はひたと翔の美貌に視線をすえた。 「凶風連の脅威が去れば、二百ほどの戦力を動かすことができるはず。生成姫の野望をくいとめることができるかどうかは、お前と開拓者の手にかかっている」 ● 小さな蝋燭の光をあびて、妖艶な女は命じた。 「次はここだ。ここを潰せ」 女が地図の一点を指し示した。すると影のようなモノから舌打ちの音が響いた。 「九蓮。どうして俺達が生成姫を助けねばならんのだ」 「うるさいのう。私がやりたいからやっている。お前達は私のいうとおりに動けばよいのだ。それとも何か。蛮十郎殿から凶風連を託された私に逆らうというのか」 九蓮と呼ばれた女の眼に殺気がゆらめいた。再び舌打ちの音を響かせ、それでも影のようなモノは立ち上がった。九蓮はそれほど恐くはないが、蛮十郎を怒らせるのはまずい。 「わかった」 「ならば、よい」 九蓮はニンマリとした。その髪をゆらし、疾風がはしりぬける。殺気をたわませて。 |
■参加者一覧
真亡・雫(ia0432)
16歳・男・志
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
孔雀(ia4056)
31歳・男・陰
ウィンストン・エリニー(ib0024)
45歳・男・騎
狐火(ib0233)
22歳・男・シ
不破 颯(ib0495)
25歳・男・弓
レイス(ib1763)
18歳・男・泰
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰
雪刃(ib5814)
20歳・女・サ
草薙 早矢(ic0072)
21歳・女・弓 |
■リプレイ本文 ● 「凶風連?」 柳眉をひそめてみせたのは彫刻的な顔立ちの美青年だ。名を狐火(ib0233)という。 「前に話を聞いた事あったけど、まだ都に居たんだね」 飄然と笑ったのは九法慧介(ia2194)という名の若者であった。実は恐るべき使い手であるのだが、その春風駘蕩たる姿からは窺い知ることはできない。 そしてもう一人、知らぬ者がいる。巨漢だ。鍛えぬかれた身体は巨岩すらも平然と持ち支えることができそうであった。 男――ウィンストン・エリニー(ib0024)は自らに問うが如く呟いた。 「ふむ、神楽の都を賑やかす凶風連は、いわばその都の守護者足る浪士組の仇敵なれど、中々尻尾を掴ませぬものであったが、副長の尾行により幹部の存在を見つけたものであろうな」 「で、だ」 ふっ、と口を開いたのは、薄く笑みを口辺に漂わせた若者であった。不破颯(ib0495)という名の弓術師であるのだが、その金色の瞳は謎めいていて、何を考えているのかわからぬところがある。 「九蓮というアヤカシを知っている者はいるのかい?」 「僕は直接相見えたことはありませんが」 穏やかな口調でこたえたのは鮮やかな紅髪の若者であった。華奢で、整った顔立ち。レイス(ib1763)というのだが、その鳶色の瞳にぞっとするような敵愾の炎が燃え上がってきたようだ。 「我が主が知っています。どうやら尻尾で斬りつけてくれたらしい。憶えてますよ。なんせその日は主が壁にしかなれなくて悔しいって地団駄踏んでましたから」 「僕も知っています」 こたえたのはレイスと印象の良く似た少年だ。華奢で容姿端麗。レイスに比べて小柄である分、より少女っぽい。真亡雫(ia0432)である。 「九蓮を? 本当か」 やや驚いて眼を見開いたのは毅然とした風情の娘であった。名は篠崎早矢(ic0072)。その名の示す通り弓術師であり、早番えの早矢の通り名をもっていた。 はい、と雫は肯いた。 その通り、雫は九蓮を知っている――どころではない。現在九蓮の九つの尾のうち二尾が欠落しているが、その一尾を斬ったのは雫その人であった。 「その九蓮とはどのようなアヤカシだ?」 「最も特徴的な業は変化でしょうね」 雫がこたえた。その通りだ、と蒼髪紫瞳の少年が肯く。 少年の名は緋那岐(ib5664)。上品で秀麗な容貌。が、時折覗く野放図な表情はどうしたことであろう。 早矢が眼を転じた。 「あなたも知っているのか」 「ああ。変幻自在で凶行を働く……妹を喰おうとした奴だ」 緋那岐が忌々しそうにこたえた。 「妹!?」 早矢の顔色が変わった。 「まさか九蓮があなたの妹御を」 「ああ。まあ、喰われちゃいないがな。が、許せねえ。滅する、ぜってぇ」 緋那岐の紫の瞳がぎらりと光った。獲物を狙う獰猛な肉食獣の如く。 「で、具体的にはどうやって九蓮を斃す?」 冷然たる美貌の娘が口を開いた。雪刃(ib5814)という名であるが、この娘、人間ではない。銀狼の神威人なのであった。 「できることなら問答無用で殴りこみたいくらいだけど……」 「それは無理だね」 慧介が苦笑した。 「なら誘き出すしかないわねえ」 ニンマリと、その男は笑った。異様な男である。年齢は三十ほどであろうか。肌は青白く、唇は紅でもさしているのか血を塗りつけたように赤い。名は孔雀(ia4056)。 「誘き出す?」 「そう。近づけなければ誘い込むまで。大体女を追いかけるなんて、想像しただけで虫唾が走るのよね。アタシにお触りして欲しければ自ら向かってこないとねぇ」 「ちょっと待ってください」 狐火が遮った。それから皮肉めいた口調で、 「誘い込むのはいいのですが、具体的にはどうするつもりですか? そう簡単におびき出されるとは思えないのですが」 「心配は無料よ。良い餌がいるじゃない」 再びニンマリし、孔雀が眼を転じた。十七歳ほどの一人の少年にむかって。 それは天上の存在としか思えぬ美貌の持ち主であった。そのくせ狼のような精悍さもあわせもっている。――浪志組一番隊隊長・天草翔(iz0237)であった。 「ああん、俺か?」 翔が自身にむかって指をつきつける。すると雪刃がなるほどと肯いた。 九蓮が化けた者。それはまさしく翔であった。 探るように雪刃が問うた。 「どうする、翔? 囮役、やる?」 「うーん、囮かあ。待つってのは、どうもなあ。それに俺は遊郭ってとこ、いってみてえ」 あまり乗り気ではない。すると颯がくすりと笑って、 「しかし面白いとは思わないかい。化かすのが得意なアヤカシを、逆にこちらが化かすんだよ」 「化かす、ねえ。そういわれれば面白いかもしんねーな。この面盗まれて、けったくそわりぃと思ってたんだ。よし、やってやるぜ」 翔がニヤリとした。 ● 夜半。 が、そこには夜はなかった。煌々と灯がともされ、闇を払拭している。 色里。 ある遊郭の前に、一人の男がふらりと姿をみせた。颯である。 何気ない風を装い、颯は手にした弓をの弦を指でぴいんと弾いた。さらにもう一度。 爪弾いた音が広がり、反射し、再び颯の耳に届いた。 「なるほどねぇ」 颯はくるりと背を返した。 「遊郭にアヤカシは確かにいるよ」 戻るなり、颯は告げた。 鏡弦。音色の音により、颯はアヤカシの存在を知覚できるのだった。 「九蓮か?」 勢い込んで緋那岐が問うた。すると颯は首を振った。確かにアヤカシの存在は探知したが、それが九蓮かどうかはわからない。 「それがわかれば上等です」 闇の底からすうと狐火が立ち上がった。 ● 「これがあれか」 胸の内で呟き、煌く銀髪を黒く染めて若旦那に扮した狐火がちらりと視線を流した。 座敷の中。やや離れたところに女が座している。 息を飲むほど妖艶な女。九重太夫である。 しかし九重とは…… どこまでも人間をなめたアヤカシだ。苦く笑って狐火は杯を口に運んだ。 色里のしきたりとして、初会は太夫は口もきいてはくれない。いや、会えただけでも僥倖だ。この色里において太夫は公家の誘いすら断ることができる。 では何故九蓮は初見の客に会う気になったのか。 その理由は知らず、レイスは用意していた情報を酌をする女に告げた。 「さすがに太夫はお美しい。一目惚れした主にも困ったものですが――内心レイスは主に謝罪しつつ――あれでは仕方ありませんね。ところで大伴定家のこと、知っていますか?」 「大伴定家って……あの開拓者ギルド総長の?」 女が問い返した。すると狐火が皮肉に笑って、 「ええ。生成姫とかいう大アヤカシが暴れているらしいのですが、夜な夜な出かけているらしいですよ。おまけに浪志組一番隊隊長である天草翔を警護としているというのだから呆れるじゃないですか」 「ええ! あの天草さんを」 女の瞳に憧憬の光がゆれた。 「知っているのですか」 「知らないわけないじゃないですか。あんな綺麗な人」 刹那だ。レイスはぞくりと背に悪寒をおぼえた。 視線。針のように鋭く尖ったもの。 食いついたな。 レイスは酒を喉の奥に流し込んだ。 ● 闇の道をゆく駕籠があった。 前後で駕籠を担ぐ者は男が一人ずつ。さらに供の者が二人。揺れる提灯の光に浮かび上がるのは緋那岐と翔だ。 「うん?」 翔が駕籠をとめた。彼の鋭敏な知覚は夜気に滲む不穏な気配をとらえている。さらに緋那岐も。夜気に不気味な瘴気が溶けている。 翔がいった。 「いるぞ。わかるか」 「い、いや」 駕籠の前を担ぐ男が首を振った。ウィンストンである。 その時、闇の中から白い人影が現れた。 少女だ。年は十七歳ほどであろうか。真っ白な肌の、楚々とした美少女であった。 「あれが九蓮?」 闇に身をひそめた雪刃が問う。 雫が眼を眇めた。精神を研ぎ澄ませ、索敵開始。 「わかりません。しかし、います。アヤカシが一体。迅い。空を疾っています」 「私達がやってみる」 早矢が弓の弦を指ではじいた。慧介もまた。が、雫が見出した以上の成果は得られない。 「これは大伴定家様の駕籠である。どいてもらおう」 ウィンストンがじろりと美少女に視線をくれた。すると美少女は不安そうに身をよじり、 「夜道は心細くて。途中までご一緒させてはいただけませんか」 胸の前で手を組み合わせた。 豪胆なウィンストンもさすがに息を詰めた。眼前の美少女は上級アヤカシかもしれないのだ。その事実は無視できぬ緊張感を彼に与えている。 「かまわぬ。送っていってやれ」 駕籠の中から声がした。 刹那だ。白光が散った。翔が抜刀したのである。たばしらせた刃は地に突き立っている。 「ちっ、浅かった」 翔が舌打ちした。次の瞬間だ。駕籠の影から何かが躍り出た。 巨大な影。それには目も鼻も口もなかった。 影は駕籠を躍り越え、反対側に着地した。手刀を駕籠に突き入れようとし――影は激しく身悶えした。その足に、地から生えたような手がからみついている。 「九蓮、だなぁ」 緋那岐が顔をあげた。美少女の表情がわずかに変わる。良く似た顔を知っていたからだ。 「やっぱりなぁ。この顔を知っていたかよ」 緋那岐が砂を投げつけた。その砂から逃れるように美少女が一気に十数メートルの距離を跳び退る。同時に影も。そして建物の影に潜り込もうとし―― 「私が相手だ!」 雪刃が叫んだ。その絶叫に引き込まれるようにして影が再び跳躍した。雪刃めがけて。 「遅い!」 目にもとまらぬ速さで早矢が矢を番えた。放つ。 剛い矢が空を流星の如く流れ、影を射抜いた。 「ふん!」 雪刃の腰から白光が噴出した。迅雷の速さを備えた刃が影を両断する。 「慧介、翔。無茶は禁物だからね」 「君の方こそ無茶はだめだよ」 飛び出してきた慧介がこたえた。そして溜息を零す。 その時である。駕籠の戸が開いた。姿を見せたのは大伴定家――ではない。孔雀であった。 ● 「他者の姿を借りて振り向いてもらおうなんて、気の毒なアヤカシもいたものね、ンフフ。その辺の簡単なおブスなんて真似てないで、常日頃からこの絶世の美人であるアタシを寸分の狂いも無く再現する努力をすべきだわ。――さあて。貴方は最期にどの姿で散っていくのかしら? 見せてちょうだい」 孔雀がニィと笑った。 「よう喋る。虫けらが」 九蓮が嘲笑った。 刹那だ。何かが空を疾った。 その気配に孔雀は気づいた。が、身体の反応速度が追いつかない。 どん、とウィンストンが孔雀を突き飛ばした。一瞬後、ウィンストンの身体から血がしぶく。が、そのようなことには頓着せぬのか、 「来い。俺を殺ってみろ」 ロングソードをかまえ、ウィンストンが駕籠の後方に走った。殺意の塊のような風が追う。 「これで取り巻きはいなくなりましたか」 「お前は!」 声の主を見、九蓮が声をあげた。すると声の主は眼を爛と光らせ、 「覚えていましたか、僕の顔を。また逢いましたね。名は雫…今宵、闇路へのご案内仕る」 「ぬかせ!」 九蓮の美しい顔が醜くゆがんだ。その背後から七つの尾が迸り出る。疾風と化したその攻撃を、翔と慧介、そしてレイスのみはかわした。いや、緋那岐もまた。舞うが如く、ひらりと尾の一撃をかわしてのけている。 「ええいっ」 早矢が矢を放った。が、九蓮の身体を取り巻くように蠢く尾によって叩き落されてしまう。 「ちっ、邪魔な尻尾だな。全部ぶった斬ってやるか」 翔が雫とレイスを見た。雪刃はかなりの深手を負っている。動けるのはこの二人しかいなかった。 「面白そうですね」 酷薄に笑うと、レイスが地を蹴った。後を追うように雫と翔が疾駆する。九蓮の尾が唸りをあげて三人に襲いかかった。 ● 風にひそむアヤカシは迅い。さすがのウィンストンですら追いきれぬほどに。 このままでは――。 ウィンストンはロングソードをすうとおろした。その瞬間である。風にひそむアヤカシがウィンストンの背後に迫った。 くるりと振り向き、ウィンストンがロングソードでアヤカシを一撃を受け止めた。受けに専念すれば何とかなる相手と彼の戦闘勘が告げている。 噛み合う刃と刃。アヤカシの手は鎌のようになっていたのであった。 かっ、と颯が眼を開いた。その心は限りなく澄んでいた。アヤカシの位置など手に取るように良くわかる。 流れるように動きで颯は矢を放った。空を裂いて飛ぶそれは正確にアヤカシの急所たる眼を射抜いている。 化鳥のような声を発し、アヤカシが空に溶け消えた。 孔雀が九蓮を指差した。陰惨な相をもつ式が九蓮に襲いかかる。わずかに九蓮の身がゆらいだ。 何でその隙を見逃そう。一気に雫、レイス、翔が九蓮に迫った。 が、怒涛のように荒れ狂う尾が迎え撃つ。 白光二閃。断ち切れた二つの尾が空に舞った。 その間、レイスは尾の攻撃をたくみに抜けて、さらに九蓮に肉薄していた。流水の如きその動きにはさしもの九蓮の尾もとらえきれぬようであった。 唇の端をきゅうと吊り上げると、レイスは九蓮に告げた。 「主から伝言です。翔さん達に斬られたり自分で千切った尻尾は治ったか、だそうで」 その台詞が終わらぬうち、レイスは九蓮めがけて拳を叩き込んでいる。瞬時にして三回。常人の眼には一度の攻撃と映ったであろう。 「馬鹿め」 今度は九蓮が笑った。そしてレイスは呻いた。何となれば彼の攻撃はすべて尾によって防がれていたのだ。それは断ち切られたはずの二本の尾の仕業であった。 「切り札は最後までとっておくもの。多くの人間を喰らい、すでに尾は修復してあったのじゃ」 九蓮の尾がレイスの腹を貫いた。そのままぐうと持ち上げる。 「嬲り殺しにしてやろう」 九蓮が舌なめずりした。その視界の隅、九蓮は一人の開拓者の姿をとらえた。慧介だ。茫乎として佇み、矢を弓に番えている。 この時、慧介は忘我の境にあった。その脳裏からは雪刃のことも九蓮のことも消し飛んでしまっている。ただ魂の命じるまま、すっと慧介は矢を射た。 それほどの威力とは見えぬ矢であったが、まるで何かに導かれてでもいるかのように矢はすべての尾の防御を潜り抜け、九蓮の額を貫いた。 「今だ。疾ッ」 緋那岐の前で空間が割れた。のそりと現出したのは九尾の白狐である。空をしなやかに馳せ、白狐は九蓮に襲いかかった。行く手を阻む尾に牙をたてる。 破壊的瘴気の流入を防ぐために、九蓮は尾をちぎり捨てた。そして後方に跳ぶ。 損傷を負い過ぎた。ここは逃走するに如かず。 「そうはさせませんよ」 声は背後からした。なに、と九蓮の口から愕然たる声がもれる。九蓮ほどの上級アヤカシが、何時背後をとられたかわからなかったからだ。 「終わりです」 声の主――狐火の刃がぬるりと九蓮の首に潜り込んだ。 「や、やめ」 「聞こえませんね」 狐火が一気に九蓮の首を掻き切った。 大伴定家のもとに九蓮殲滅の報がもたらされたのは、夜明け前のことであった。耳にした定家ははっしと膝を叩き、こうもらしたという。 「さすがは開拓者。これで都からも援軍を送ることができる」 |