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■オープニング本文 ●回天 俵の中央に、矢が突き刺さった。 残心に小さく息を吐く。 日に焼けたがっしりとした体躯の男は、満足そうに頷いた。 「お見事」 その背に声が掛けられ、男が振り向く。その視線の先には、丸眼鏡を掛けた細身の男性が立っていた。東堂俊一。浪志隊の発起人である。邸宅の家人が小さく頭を垂れ、退いた。 「おう、東堂殿か」 彼の姿を認めて、男は白い歯を見せた。 頬骨がぐいと持ち上がる。男は、名を近衛兼孝という。名門貴族の出ながら、詩歌を詠むよりも私兵を囲って調練に勤しみ、山野を駆け巡るのを好むという、珍しいタイプの貴族である。 東堂は辺りをちらりと見やった。 彼を案内してきた使いは既に姿を消し、その場には東堂と近衛、それから極限られた家人だけが残された。 「……お知らせにあがりました」 「いよいよか」 頷き、近衛は弓を下げた。 庭先では拙かろうと、連れたって家へとあがり、部屋に通される東堂。ややして、着替えを済ませた近衛が戻ってきた。 「では。拝見させてもらおう」 差し出された書を開く近衛。 お互いに言葉を発さず、じっとそれに眼を通した。 「うむ……よろしかろう。俺に異存ない」 近衛が顔を上げた。彼が指を鳴らすと、小柄な男が隣より進み出、書を受け取った。そのまま書を手に退席する彼を見送りながらも怪訝な表情を見せる東堂に、近衛は安心しろと笑う。 「彼奴はからくりよ。貴殿も聞いたことがあろう。主の命には絶対に背かぬ。二十体ほど買い入れてな……この間突然停止したときは、どうしたものかと頭を抱えたわ」 と、彼は扇をぱちりと畳んだ。 「それより……貴殿、あの浪人どもは大丈夫であろうな」 「無論です。信頼のおける者を選んで直接の指揮下に置いております。博徒や無頼の輩はよく統制を利かせ――」 「そうではない。あの、森藍可とかいう女に……何と申したかな。田舎者の」 「真田殿ですか」 東堂の問いに、近衛が頷いた。 「おう、その真田何某とか申す田舎者よ」 「どちらも手抜かりはなく。しかし、如何様にもならぬようであれば……」 彼はやや逡巡するような様子で、ゆっくりと眼を伏せた。近衛が眉を持ち上げる。 「俺が念を押すまでもなかろうが、これは乾坤一擲の回天だ。情けは無用ぞ、多少の犠牲はやむを得ぬ」 「覚悟を決めております」 「……ならばよいのだ」 近衛は腕を組み、忌々しげに呟いた。 「今の天儀はバラバラだ。幾つもの国に別れ、もはや、氏族制も分国制も機能不全だ」 彼は己の門閥を中心に、若手の急進派を組織している。 「今こそ氏族と王国を解体し、天儀をひとつの統一国家にせねばならぬのだ」 王国を、天儀を、朝廷の下に再統一し、氏族の垣根を取り払う――その主義は過激であるだけに明確だあり、また、それ故に反発も大きく、これまでも有力者からの理解は中々得られていない。 「御所は秘密主義に過ぎる、が……俺とて何も知らぬ訳ではない」 御所の中央から遠ざけられているのは己の主張もあろうが。と、彼は続けて、 「陛下には帝たる正統性がない。貴殿も知っての通り、そもそもが欺瞞であったのだ。精霊を礎とする我が国にあってはならぬ欺瞞だ。この欺瞞を正さずして我らの回天は成就せぬ」 立ち上がり、障子を開いて庭先を眺める近衛。 「無論、事が成った暁には、貴殿には相応の地位を用意しよう。回天の立役者なのであるからな」 「……」 東堂の目元に険しさが滲む。 「さて。そろそろ酒も来る頃合……まずは前祝と参ろう」 「さようでございますね」 近衛が振り向く。東堂は先ほどと変わらぬ様子で、穏やかな笑みを浮かべた。 ● 月が中天にかかっている。 蒼い月光の中、現れたのはふたつの人影であった。 共に女性。年齢も同じほど。さらにいえば印象も似ている。二人は美貌であるのだが、氷のような冷たさが滲んでいた。 一人は名を柳生有希。そして、もう一人は服部真姫といった。 この二人、浪志組の幹部であるのだが、顔をあわせるのはめったにない。深夜の密会となれば尚更だ。何故か。 理由は浪志組そのものである。 東堂俊一がつくりあげた浪志組であるが。決してそれは一枚岩というわけではなかった。実際のところ、浪志組は数派に分かれている。東堂が率いる一派と森藍可を頭とする一派、そして真田悠を慕う一派と三派に分かれているのであった。 そして、この三派。あまり仲は良くない。当然森の右腕である真姫と真田の懐刀である有希も然り。普段、二人は口をきくこともなかった。 それが、この夜、真姫と有希は対面した。月下において。 「尾行されてはいまいな」 有希がひそめた声で問うた。すると真姫はふふんと嘲るように笑った。 「私を誰だと思っている? 東堂の犬などに気取られるものか。それよりも貴様の方こそ大丈夫なのだろうな」 「心配はいらん。それよりも東堂のことだ」 「様子がおかしいというのだろう?」 「ああ。やはり服部も気づいていたか」 「ふん」 真姫は冷笑した。 「ひそかに動いているつもりであろうがな。所詮は素人。私の眼はごまかせん」 「さすがは服部」 有希はニヤリとした。 有希は下忍ながら、陰殻において名うてのシノビであった。その有希すら舌を巻くシノビが真姫であった。 「が、な。では何故森は動かない?」 「藍可、か」 今度、真姫は苦く笑った。 「東堂が何を企んでいようと、都がどうなろうと藍可は興味などもってはいない。動かぬのは真田も同じだろう?」 「悠さんは違う。というより」 有希は肩をおとし、 「なお悪い。悠さんは東堂さんを信じたがっている」 「ふふん。お互い、頭には苦労させられるな。が、此度ばかりは愚痴るだけではすまされん」 「そうだ」 有希が大きく肯いた。 「あの東堂が企むことだ。並みのことではあるまい。何としても阻止しなくてならん」 「そのためには東堂が何を企んでいるか、その内容は確実に掴む必要がある。とはいえ」 「ああ」 有希が苦いものを噛んだかのように顔を顰めた。そして、浪志組は動かせん、と続けた。 「さすがに浪志組の者達を動かせば東堂も我らの思惑に気づくだろう」 「となれば、やはり開拓者か」 「そういうことになるな。私が依頼を出そう」 「任せて大丈夫なのだろうな」 真姫が皮肉めいて問うと、有希は挑むように笑った。 「私を誰だと思っている?」 |
■参加者一覧
鷲尾天斗(ia0371)
25歳・男・砂
鴇ノ宮 風葉(ia0799)
18歳・女・魔
秋桜(ia2482)
17歳・女・シ
劉 那蝣竪(ib0462)
20歳・女・シ
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
煉谷 耀(ib3229)
33歳・男・シ
カルロス・ヴァザーリ(ib3473)
42歳・男・サ
マックス・ボードマン(ib5426)
36歳・男・砲
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰 |
■リプレイ本文 ● 宿屋の二階。 卓の前に腰をおろすと、十八歳ほどにみえるその少女は、小さな紙片の束とペンを取り出した。 「さあて。これで準備はととのった。あとは……」 少女――鴇ノ宮風葉(ia0799)は勝気そうな顔に小さな笑みを浮かべると、一枚の紙片を指に挟んだ。 符。描かれているのは幾何学模様にも似た呪紋であり、呪文結界により呪力が封印されている。 と―― 障子戸のむこうから声がかかった。宿屋の主の声だ。 「宿帳をお願いいたします」 「ああ」 宿帳を受け取ると、風葉は記帳した。 風堂小雪。 宿帳には、そう記されていた。 ● 十七歳ほどにみえるその少女は、一度足をとめると屯所を見遣った。 その少女であるが。小柄であるのだが、実に魅惑的に風体をしていた。水着姿なのである。初夏の日差しに裸身が輝いていた。 「元気のいいことで」 少女――秋桜(ia2482)はニッと笑った。この暑い中、律儀に剣術の稽古をしているのは真田の一派であろう。 肩をすくめると、秋桜は屯所を通り過ぎた。行く先は近くの居酒屋である。そこは東堂一派の者の行きつけの店であった。 店に入ると、秋桜は卓についた。注文をとりにきた娘の前できょろきょろと周囲を見回し、 「ここには浪志組の方はいないのでございますね」 「そうですね」 娘は肯くと、 「今日はまだお見えになっていらっしゃません」 「それは」 胸を撫で下ろすと、 「浪志組の方々は恐ろしくて。何でも東堂という方は急進派の近衛というお公家様と度々密会を重ね、戦の準備を行っているとか」 「そんな」 娘はころころと笑った。彼女は東堂という男を良く知っている。素晴らしい人物で、そのような大それたことを仕出かすような人物ではない。 「ならいいのですが」 食事を終え、秋桜は席をたった。そしてしばらく後。 数人の男達が居酒屋に入った。東堂派の浪志組隊士達だ。 と―― すぐに男達が居酒屋を飛び出してきた。辺りを見回し、中の一人が駆け出していった。 「東堂先生」 「はい」 書き物をしていた男が顔をあげた。東堂俊一である。 「何か?」 「お知らせしたいことが」 「入りなさい」 東堂が促すと、障子戸が開き、男が入ってきた。それは居酒屋から駆け出した男である。 「先ほど耳にしたことなのですが」 男が居酒屋で聞いた噂を告げた。 「私が戦の準備を?」 東堂の眼がきらりと光った。 「何者ですか、吹聴している者とは?」 「それが。ただ若い娘とだけ」 「若い娘……」 東堂は沈思した。 娘とは何者か。朝廷の手の者か。いや、違う。朝廷ならば、そのような面倒な真似はしない。 「真田か森か」 東堂は呟いた。 ● 賑やかな掛け声と、忙しそうに立ち働く人々の姿がある。 大神大祭。 彼らはその準備をしている人足達であった。 その中。一際異彩を放つ人足がいた。 猫の神威人。長身で鍛え抜かれた体躯の持ち主で、端正な容貌は人足とは見えない。 担いだ木材をおろすと、男――煉谷耀(ib3229)は額にういた汗を拭った。 「浪志組に近衛、そして東堂か」 耀は東堂なる人物を知らぬ。が、報告書から受ける印象、さらには噂を聞くに、端倪すべからざる人物のようであった。 「東堂が単なる書生の分際であれば、今にでも接触し、その言葉にのり、潜入を果たしたい所だが」 そうはいかぬ、と耀は断じていた。東堂といういう男、そう簡単に詐術にのるような人物ではありえぬようだ。 というわけで、耀は人足として大神大祭の準備に潜り込んだのであるが。その理由はひとつである。 東堂の不穏な動き。それと時期を重ねるようにして催される大神大祭。これは果たして偶然であろうか。 耀は人足から離れて立つ数人の者達に眼をむけた。 彼らは人足ではない。浪志組隊士達だ。聞くところによると大神大祭準備が段取り良く進むようにと派遣されたらしいのだが。 彼らが東堂配下の隊士であることを、すでに耀は突き止めていた。 ● すう、と。 軽やかに燕が舞った。それは風葉の肩の上にとまると、咥えていた紙片をおとした。 「ふうん。煉谷は東堂の配下と接触したのか」 風葉の脳裏の一人の男の姿がよぎった。チェン・リャン。東堂に従う者の一人である。そのチェン・リャンの浪志組への勧誘を断った経緯が風葉にはあった。 「まあ仕事をするに、幾分かは楽にはなるんだろうけど」 風葉はぽつりともらした。浪志組に対する彼女の思いはその程度であった。 「さて、と。確か鷲尾達は近衛にあたるっていっていたけど」 風葉は少し迷った。というのも、人魂の効果時間はそれほど長くないからだ。移動速度の速い燕などに符を変化させたとしても、一体の人魂ではとても仲間との往復はかなわない。それでは呪力がもたなかった。 「けど、近衛の動きは掴んでおきたいしね」 風葉はまたもや符を取り出した。 ● その鷲尾天斗(ia0371)だが。 天斗はぶらぶらと豪壮は屋敷に歩き寄っていた。左眼には天と書かれた眼帯、左腕にはぐるぐると包帯を巻いて。異様な風体である。 「マッタク、面倒なもんだなァ。どんな理由にしろ組織に属し、所属しているが故に自由に動けないッつーのはよォ」 くだらぬとばかりに、天斗はくすくすと笑った。そしてちらりと屋敷を見遣った。 近衛兼孝。有力貴族の屋敷だ。 「う〜ん……天儀の再統一、か」 天斗と同じように近衛屋敷を見やっている、十八歳ほどの娘が怪訝そうに声をもらした。溌剌とした美少女。フィン・ファルスト(ib0979)である。 猪突猛進。フィンを知る者は彼女をそう評し、事実フィンはそのような少女であった。故に、あまり策を弄するのは得意ではない。 が、そのフィンにして思う。武力のみを背景にして事を成そうとしても、上手くはいかないのではないか、と。 だよね、という意識を込めてフィンは視線を転じた。その先には遊ぶ童の姿があった。中に、とびきり美しい少年の姿がある。 驚くべきことに、その美少年もまた開拓者であった。名は叢雲怜(ib5488)。 怜はフィンの視線に気づいたが、敢えて無視した。彼もまた近衛を見張っていたからだ。 さらにもう一人。近衛を探っている開拓者があった。 屋敷からやや離れた路地。一人の少女が舞っている。どうやら旅の舞手であるようなのだが。 が、この少女、実は男であった。さらにいえば、彼こそ開拓者で。名を緋那岐(ib5664)といい、女性と見紛うばかりに端麗な容貌をもっていた。 と、緋那岐が緩やかに手をさしのべた。その手の陰から雀が飛び立った。 誰知ろう。これが人魂であろうとは。 その時、大きな声が響いた。天斗の声だ。 「アーアー」 近衛屋敷の門の前で、天斗は大音をはりあげた。 「このお屋敷に浪志組の東堂某ッつーのが入られたのを見掛けたんで、退屈凌ぎに是非お目にかかりたい、ッてかァ」 「何だ、お前は」 門衛の男がじろりと天斗を睨みつけた。 「東堂殿は来ておられぬ。去れ」 「アァ?」 天斗が睨み返した。びくりとして門衛が身をすくめる。彼をして、そうせざるを得ないような凄みが確かに天斗にはあった。 「三下には用は無いワケよォ、どけよ」 「な、な、ならぬ!」 門衛が悲鳴に似た声をあげた。すると、意外にもあっさりと天斗は背を返した。 そのわずか後のことだ。門衛の前に別の人物が立った。仮面で顔を隠してはいるが――フィンであった。 「近衛殿にこれを」 わざとくぐもった声でいい、フィンは書状を門衛に手渡した。 「天儀再統一に関しての意見書だ。近衛殿に伝えてくれ。我々は賛同する、と」 「これは――ま、待て」 門衛が書状に視線をおとしている間、フィンはさっさと逃げ出した。素性を突き止めさせるわけにはいかないのである。 それからわずか後のことだ。 近衛屋敷の裏門から数人の男達が飛び出して来た。それを見とめ、怜は子供達と遊ぶのをやめた。 「また遊ぼうね」 子供達に手をふると、怜は男達を追って走り出した。 姉貴分である森藍可のために。 怜は何としてでも依頼を果たすつもりであった。でも声に出したのは―― 「隊士の隊服、かっこいいのだ」 ● 「なるほど。近衛も動き出したか」 風葉の文を手に、端正だが、どこか野生味をおびた――いってみれば孤狼のような――男が呟いた。マックス・ボードマン(ib5426)である。 そのマックスの前で、一人の娘が大杯を傾けていた。 森藍可。浪志組、最高幹部の一人だ。 「で、話ってのは何だ?」 酒を飲み干すと、藍可がじろりマックスを見た。その視線に臆する様子もなく、マックスは見返すと、 「聞きたいことがある。浪志組の命令系統についてだ。緊急時はどうなっている?」 「緊急時だと?」 「ああ。 例えばアヤカシの大群が襲ってきたような場合、浪士組は何処に集まり、誰の命令で動くんだ?」 「まあ、集まるのは屯所だろうな。命令は」 ふふん、と藍可は笑った。 「勝手さ。俺は、な。好きにやる」 「それで事態に対処できるのか。きちんと制度化しようとは思わないのか」 やや気色ばんでマックスが問うと、藍可は苦いものを噛んだように顔を顰めた。 「東堂と同じようなことをいいやがるな。が、俺は誰とも話し合う気はねえ」 「東堂?」 きらりとマックスの眼が光った。 「東堂も同じことをいっていたのか」 「ああ。指揮者が一人じゃねえと隊が混乱するとかいいやがってな。俺と真田を副長としたいようだったが……ふん」 藍可が再び大杯に酒を満たした。その様を眺めながら、マックスは確信していた。東堂の思惑を。 浪志組は、いってみれば武装集団だ。その武装集団を、何故東堂は設立したか。 通常、武装集団が都を闊歩していれば警戒される。が、浪志組ならばどうか。警戒はされないだろう。つまりは必要に応じ、どこにでも疑いをもたれることなく戦力を差し向けることができるということだ。 「要は大義名分、か」 苦く呟くと、マックスは立ち上がった。 ● 天斗は木剣をすうと上げた。青眼。対する真田は上段にかまえた。 「ほう」 天斗は声をあげた。真田という男、道場をかまえているだけあってかなりつかえる。さらにいえば剣気。これほど澄んだ気をもつ者は珍しい。 それだけのことを一瞬にして見抜いた天斗は木剣をおろした。そして木陰でフィンと饅頭を食べている美麗な少年に視線を移した。 天草翔。天儀における最高の剣の使い手の一人だ。その翔と天斗とは浅からぬ因縁があった。 「フィン。てめえ、俺の饅頭、どんだけ食うんだよ」 「好きなだけ食べていいっていったじゃないですか」 がつがつ。もぐもぐ。 「やはり馬鹿か」 天斗は肩を竦めてみせた。 真田道場から男が走り去った。近衛屋敷から飛び出した男である。 その後を追う者が一人。怜だ。 この場合、怜が少女めいていることが幸いした。男は警戒しているようだが、少女が尾行者であるとはさすがに疑っていない様子である。 次に男が駆け込んだのは東堂の住まいであった。と―― 怜はあることに気づいた。物影に潜む者がいる。秋桜だ。 秋桜も怜に気づいたようで、 「今の男を尾行してきたのですか」 「うん。近衛の屋敷から出てきた男だよ」 怜がこたえると、秋桜は猫のように笑った。 ● 東堂が住まいを出たのは、男が訪れてすぐであった。後を秋桜と怜が追う。 どれほど歩いた頃だろうか。ふと東堂が立ち止まった。 薄闇の中に男が一人立っている。人間ではない。竜の神威人だ。 東堂の手が腰の刀の柄にのびた。男から発せられる凄絶の殺気を感得した故だ。 「何者だ、貴様。私を東堂俊一と知ってのことか」 「ふふん」 男――カルロス・ヴァザーリ(ib3473)は虚無的に笑った。そのようなことは先刻承知である。 東堂の目論見を暴く。それが依頼の内容であった。が、本当のところカルロスにとってはどでもいいことであった。それよりも―― 「抜けよ、剣を」 カルロスが促した。その言葉に触発されたわけではあるまいが、東堂が抜刀した。 「貴様……もしや真田、いや森の手の者か」 「さあて」 カルロスがニンマリした。東堂から放たれた殺気に身裡が震えている。歓喜の戦慄だ。 「やはり女を抱くよりも殺しあいの方が面白い」 カルロスが間合いを詰めた。同時に東堂も。 交差する影。そして、光。 再び向かい合ったカルロスの腕からは鮮血が滴り落ちていた。東堂は肩を浅く切り裂かれている。 「やるな」 東堂が呻いた。が、同時に怪訝そうに眉をひそめた。真田や森の手の者とは思えなかったからである。では―― 「まさか、この」 東堂が声をのんだ。それを確かめて、カルロスは背を返した。東堂が後を追うことはなかった。 「この……近衛か」 ややあって一人の娘が姿をみせた。柳生有希である。 「カルロスめ。無茶をする」 有希は溜息を零した。 カルロスの殺気。あれは確かに東堂を殺すつもりのようであった。 「が、それならばいっそのこと殺してくれればよかったのだが」 有希が不気味に笑った。 ● 「朝廷が位置するのはこの辺りか」 男が辺りを見渡した。東堂配下の隊士である。すると、もう一人の隊士が眼を輝かせた。 「これで桜蘭党の……いや、東堂殿の無念が晴らされることになるな。武帝を弑し奉り、同時に藤原保家や大伴を殺す。さらに開拓者ギルドを制圧しさえすれば」 「黙れ」 別の隊士が制した。 「どこに誰の耳があるか知れぬ。迂闊なことを口にするな」 「確かに聞いた。東堂の真の目論見」 かっ、と耀は瞠目した。 薄闇の中。耀は全身に冷たい汗をうかべている。が、その事実に耀は気づいてはいなかった。 ● 「東堂が来た、だと?」 からくりを相手に戯れていた兼孝が振り向いた。 「断れ」 「断るのでございますか」 一瞬家人は驚いた顔をしたが、すぐに障子戸を閉めた。一家人の身で兼孝に反駁は許されぬ。 家人が立ち去った後、馬鹿め、と兼孝は吐き捨てた。 「ここに真田とか申す田舎者の配下が探りを入れてきているのだ。すでに目論みは露見しておるわ。東堂め。もはやうぬには用はない」 「これは」 布団の上で緋那岐は身を起こした。 そこは近衛家人の長屋の一室。気分が悪いと助けを求めたら門衛が休ませてくれたのだ。何時の世も男は美人に弱い。 その緋那岐の側には一匹の鼠。緋那岐が指で軽く突付くと、それは見る間に消滅してしまった。 「東堂と近衛とが決裂とは」 緋那岐が声を途切れさせた。 彼が知った驚愕の事実。もし長屋に潜り込まなかったら、この事実を知り得ることはなかったであろう。 緋那岐は梟を飛ばした。 ● 「こんなことになるとは、ね」 緋那岐からの報せを受け、風葉は溜息を零した。 東堂の途方もない陰謀。それはたった九人の開拓者によって方向を変えられることとなった。 その行き着く先はどこか。 さしもの風葉も、その未来を見通すことはできなかった。 |