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■オープニング本文 ● 狭い一室の中。 テーブルの上におかれた蝋燭の光をあびて、二人の少女が抱きあって震えていた。 年齢はともに十七。髪の色こそ金と銀と違うが、二人は揃って美しかった。開花前の蕾の恥じらいが滲んでいる。名はカチューシャとマルカ。 その二人を取り囲むように男が数人立っていた。全員荒事に慣れていそうな顔つきをしている。 さらに一人。冷徹な眼をした男が椅子に座していた。 「カチューシャ、マルカ」 椅子に座した男が口を開いた。 「お前達は借金のかただ。明日からは、その肉体でしっかりと稼いでもらうぞ」 「ボス」 男達の一人が口を開いた。すると椅子に座した男がニンマリと笑った。 「わかっている。どのみち明日からは男のおもちゃになるんだ。その前にお前達に味見させてやる」 「ありがてぇ」 男達の眼に獣欲の炎が燃え盛った。そして一斉に二人の美少女に襲いかかった。刹那―― ドアが蹴破られた。はっ、として男達の動きがとまる。 振り返った彼らは見た。ドアのむこう、闇の中に佇む一つの人影を。 「そこまでにしてもらおうか」 人影がいった。すると男達の一人が怒気の滲む声を張り上げた。 「てめえ――。何モンだ」 「アルベルト・クロンヴァール」 「アルベルト、だと」 椅子に座した男の眼が驚愕に見開かれた。 「そうだ」 人影が部屋の中に足を踏み入れた。蝋燭の光に浮かび上がったのは二十代後半の、精悍な風貌の男の姿である。 男――アルベルトは薄く笑うと、 「ダルコ。カチューシャとマルカは返してもらうぞ」 「何だと」 ダルコの眼に殺気が滲んだ。そしてアルベルトを睨みつけると、 「はい、そうですかと女を渡すと思っているのか」 「渡してもらわなくては困る」 ふふん、とアルベルトは笑って、 「ダルコ。お前に損はないはずだぜ。とんでもない利子をふんだくってるんだ。とっくに金は返したもおなじだろう」 「てめえ」 ダルコの配下である男達の身裡で殺気がたわんだ。それをちらりと一瞥し、アルベルトはいいのか、とダルコに問うた。 「俺と戦争になって」 「くっ」 ダルコは唇を噛んだ。 アルベルト・クロンヴァール。最近になって裏社会に勢力をのばしはじめた男だ。 が、その力は相当なもので、捻り潰された裏社会組織の数は片手ではきかない。噂では数多くの貴族とも繋がりがあるという。 もし戦った場合、さすがのダルコの組織とてただではすまないだろう。粉砕されてしまうのは目に見えていた。 ダルコはがくりと項垂れた。 アルベルトは微笑すると、二人の少女に手をさしのべた。 「さあ、帰ろう。父さんと母さんが待ってる」 ● 「アルベルト・クロンヴァール、か」 呟いたのは可憐で美しい娘であった。実年齢は二十歳を過ぎているが、十七歳ほどにしか見えない。アイスブルーの瞳にはしかし、年齢にはそぐわぬ怜悧な光があった。 ユリア・ローゼンフェルド。皇帝親衛隊隊長である。 「それとユーリ、か」 再びユリアは呟いた。 皇帝親衛隊騎士――ジルベリア帝国最強の騎士である十二使徒の一人たるシモン・クッシュが出会ったという二人の青年。アルベルトとユーリ。ユリアはどうにも気になって仕方がなかった。 「シモン」 ユリアが眼をむけた。退屈そうに天井を眺めていた、端正な美貌の少年が見返す。 「何ですか、隊長?」 「アルベルトという男のことだ。お前はどう見た?」 「ただ者じゃないね。度胸はある、頭も切れる。それなりの義侠心もある。けど」 「けど?」 「危ないぜ、あいつは。何かとんでもないことを企んでる」 シモンは悪戯っ子のように笑った。対するユリアの表情は昏い。嫌な予感がする。 「確かアルベルトの故郷はベレベーイだったな」 ユリアは誰にともなく呟いた。 簡単な調査でわかったもの。ベレベーイはかつて小国であった。が、ジルベリア帝国に占領され、今では一地方都市となっている。 「もっと調べる必要があるな」 ユリアはシモンを呼んだ。 ● 「殺ってくれ」 ダルコはいった。倉庫の中である。 彼の前には十数人の男達が立っていた。いずれもが暴力を生業とする連中であった。 「アルベルトさえ消してしまえば、奴の組織などどうとでもなる。頼んだぞ」 「それはまずいな」 声が、した。 はっとして顔をあげたダルコは見た。天井から逆さまにぶら下がった人影を。不気味なことに、それは銀色に輝く仮面をかぶっていた。 ダルコは驚愕に眼を見開くと、 「な、何だお前は?」 「チェーニ」 こたえると、チェーニと名乗った人影は落下してきた。空で身を捻り、軽々と着地。 「馬鹿か、貴様」 わずかばかりの間息をのんでいたが、すぐに気をとりなおすとダルコは嘲笑った。 「貴様一人で何ができる? ここには」 ダルコの声が途切れた。一瞬で距離をつめたチェーニがダルコの顔側面に蹴りをぶち込んだのである。ダルコの首は枯れ木のようにへし折れ、顔が肩と水平になっていた。 「やろう!」 男の一人が剣で斬りかかった。背をむけたまま、チェーニはわずかに身動ぎし、剣をかわした。そして男の腕を掴んだ。 べきりっ。 チェーニの手の中で男の腕の骨がビスケットのように砕けた。 「ば、化け物か、貴様……」 男達がたじろいだ。チェーニの戦う様はとても人間のものとは思えない。 チェーニは振り返ると、くくく、と笑った。 「いいや。俺は人間さ」 チェーニが男達に迫った。間を縫うように走りすぎる。チェーニが足をとめた時、男達の半数が死亡していた。 が、チェーニも無傷ではなかった。手の甲にわずかな掠り傷を負っていた。赤い血が滲んでいる。 チェーニは傷をぺろりと舐めると、 「いっただろう。俺は人間だって」 再び笑った。そして男達に襲いかかった。 |
■参加者一覧
ヘラルディア(ia0397)
18歳・女・巫
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
月酌 幻鬼(ia4931)
30歳・男・サ
狐火(ib0233)
22歳・男・シ
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
ヴィンス=シュバルト(ib5302)
12歳・男・弓
マックス・ボードマン(ib5426)
36歳・男・砲
ミレーヌ・ラ・トゥール(ib6000)
13歳・女・騎
刃香冶 竜胆(ib8245)
20歳・女・サ
高尾(ib8693)
24歳・女・シ |
■リプレイ本文 ● 「ユリア親衛隊長からの依頼ですか」 呟いて、玩具のつまった荷をおろしたのは金髪に顎髭をたくわえた男であった。狐火(ib0233)である。 「アルベルト?」 それまで蕩けたような面つきで狐火の貴族的な美貌を見つめていた女の表情が強張った。 「この辺りでアルベルトの知り合いなんていったら命が幾つあっても足りないよ。アルベルトがジェレゾの裏社会の組織を次々と傘下におさめていて、戦々恐々としている奴らが多いんだから」 「ほう」 狐火は大げさに驚いてみせ、 「アルベルトという方は大した人物のようですね。人徳だけでなく、力もある」 「そうだよ」 女はにこりと微笑んだ。そして遠い眼をすると、 「故郷は大変なことになってしまったけれどね」 「故郷が大変なこと?」 狐火の胸がざわりと騒いだ。が、その動揺を表に出すほどこの男は単純ではない。 「アルベルトさんの故郷をご存知なのですか」 「ああ、知ってるよ。ベレベーイさ」 ● 「皇帝親衛隊隊長…ユリアからの依頼…ね」 狐火と同じ呟きをもらし、街をゆく者があった。 身形は騎士のようだが……少女であった。十三歳ほど。華奢で小柄で、軟らかそうな薄紅色の髪がよく似合う可愛い女の子だ。 名はミレーヌ・ラ・トゥール(ib6000)というのだが、そのミレーヌはひどく深刻そうな表情をうかべていた。 「そう、此処で上手く依頼を達成すれば、きっと私の実力を認めてくれる筈…!」 ミレーヌは我知らず拳を握り締めていた。 と、ミレーヌは足をとめた。 ある貴族の邸宅。社交界には噂が飛び交っている。 ミレーヌは門扉をおした。 ● 「アルベルトさんかぁ……救助依頼を受けた時以来ですけど」 ジェレゾの下町。遠い眼をした者が重い声をもらした。まっすぐな眼差しのその少女の名はフィン・ファルスト(ib0979)といった。 すると、フィンの傍らを歩いていた日溜りのように優しげな少女が、やや驚いた顔をむけた。これは名をヘラルディア(ia0397)という。 「アルベルトさんを知っているのですか」 「うん。他人の幸せを願える人だと思うんですよね。だから……あまりヤバい事してないと良いんですけど」 「そうですね」 こたえはしたものの、ヘラルディアの表情は暗い。 と、ヘラルディアは足をとめた。そこは自警団の詰め所の前であった。 「少し待ってください」 ヘラルディアがフィンをとめた。そして合掌。呪文を唱えると、ヘラルディアを中心にして、呪力回路と化した術者にしか見えぬ不可視の結界が展開した。 「大丈夫です」 ヘラルディアは手をはなした。結界内のアヤカシの存在を確認したのである。 「では」 ヘラルディアが自警団詰め所のドアを押した。 「友人が恩義を受けたので、お返しできないかと探しておりまして。けれどアルベルトさんの居所がわからなくて」 ヘラルディアはにこりと微笑んだ。その柔らかな微笑に疑いの眼差しをむけることは難しい。自警団のリーダーである男はふむと肯いた。 「確かに奴はいい男さ。奴のおかげでこの辺りの揉め事もなくなり、俺達自警団は開店休業中だ。が、同時に奴は危険でもある」 「危険? それはどういう――」 「わからん。が、妙な噂があるんだ。アルベルトに逆らうと死が訪れるという噂が」 男は、喉にからまる声を押し出した。 ● 鬼が歩いている。 まるで大地が我が物であるかのように悠然と。 「何が楽しみって娼館だろ、娼館。嫁に情報収集能力が足りないなんてもういわせねえ」 豪快に笑うと、指でついと顔――鬼面を持ち上げた。中からは現れたのは紅髪紅瞳の、ごつい男の顔であった。月酌幻鬼(ia4931)である。 幻鬼は娼館のドアを押して中に入った。 「いらっしゃいませ」 中年の女が姿をみせた。 「どの娘がお気に入りましたかしら」 「そうだな」 幻鬼は舌なめずりすると、ソファに座した十人近い女達を見回した。 「いやあ、美人ばかりでおじさんには勿体無いぜ? ところで」 幻鬼の声が途切れた。女達が彼の身体に身を摺り寄せてきたのである。 「こ……こらこら、くっつかないくっつかない。それはアトで……先にこっちの質問をな。アルベルトっつーイケメンのこと、知ってる者はいねーか?」 「あたしが知っているわよ」 数人の女が声をあげた。 ベッドの軋む音がやむと、幻鬼は汗ばんだ身体を起こした。女は喪神したようにぐったりとしている。 「よかったぜ」 幻鬼はニヤリとすると、 「ところでだ。アルベルトの巣はどこなんだ」 「それは」 女はある建物の名を口にした。 ● ユーリが領主である街。 その街の酒場にフェルル=グライフ(ia4572)の姿はあった。 いつもは陽光のように輝いている彼女の顔であるが。今は欝とした翳がその横顔を覆っている。何故か。 気になるのである。ユーリのことが。 ごろつきに協力を願い出る依頼。それは、フェルルの知るユーリが考えそうもないことであった。 では、誰がユーリに知恵を授けたか。 アルベルト、とフェルルは推測している。ユーリは光であり、アルベルトは影ではないかと。 では、アルベルトとは何者か。 大切な人からの贈り物である十字架の首飾りを握り締めると、フェルルは酒場の娘を呼びとめた。 「あの……こういう背格好の二人を見かけなかったでしょうか」 「知っているわよ」 娘は肯いた。 「吟遊詩人の人でしょ。綺麗な顔してたから良く覚えてるわ。アルベルトって人も。いっぱいチップくれたから。時折ここで会ってたわよ」 「そうですか」 飲み物を注文し、フェルルは項垂れた。やはりユーリとアルベルトは繋がっていたのだ。 と、フェルルの肩をぽんと叩く者があった。はっとして振り返ると、それは酔った眼をした男であった。 「アルベルトを知ってるのかい? だったら頼んでくれよ。金を返すのを少し待ってくれって」 「金?」 「ああ。この街の組織、今はアルベルトのもんなんだろ」 「アルベルトさんが裏社会の組織を」 ごくりとフェルルは唾を飲み込んだ。アルベルトの張り巡らせた黒い糸が次第にジルベリアを覆い始めた、ような気がフェルルにはしたのであった。 ● ジェレゾの下町。 優雅に歩くのは二本の角をもつ修羅の娘であった。まるで人形のように整った相貌は美しい。刃香冶竜胆(ib8245)である。 と、竜胆は足をとめると振り向いた。 背後。いつの間にか小さな少年がついてきている。 背に黒い翼もつ神威人。ヴィンス=シュバルト(ib5302)である。 瞳の奥にのみ嫌悪の光やどらせ、竜胆は会釈した。 「ヴィンス殿、よしなに」 「ああ」 ヴィンスが顔をあげた。妙に大人びた笑みをうかべると、 「今回は俺の出番だな。ヴィンスはこういう事には向かないからな」 「そういうことで、ありんすか」 竜胆の口がゆがんだ。 そう。まさしく竜胆にはわかった。ヴィンスの変貌の理由が。ヴィンスは二重人格者であったのだ。 「いこうぜ」 ヴィンス―レイヴァスが促した。酒場に入る。奥のテーブルに数人、いかにもならず者という風体の男達がいた。 「目つき、気に入らない、でありんす」 竜胆がいきなり男の一人を殴りつけた。どれほどの力が込められていたのか、男が吹き飛ぶ。 「な、何しやがる」 残りの男達が気色ばんで立ち上がった。すると、テーブルの上にふわりと舞い降りた者がいた。レイヴァスだ。 「ギャーギャー喚くな、耳障りだ」 冷たく告げると、レイヴァスの手足が舞った。 一瞬後のことである。男達はすべて床に這っていた。 「つまらない、でありんす。叩き潰しても金、ならない」 竜胆が嘆いてみせた。と、一人の男が立ち上がった。 「金になる仕事があるぜ」 ● 「どうして……アルベルトのことが……知りたいんだ」 喘ぎ声を交えつつ、仰向けに寝転がった男が問うた。その身体に跨った女が艶っぽく笑う。 女――高尾(ib8693)は修羅であった。真っ白な裸身が花の香りを放ち、女郎蜘蛛のように男にからみついている。 「陰の有る男って、いいじゃないか。その理由を知りたいのさ」 「それは……奴は家族を殺されたからだ。が、奴はやめておけ。何かやばいことをやらかすつもりだ」 「野心のある男は好きだよ」 高尾は酔い痴れたように身体の動きを速めた。が、その精神はしんと冷えている。シノビである高尾にとっては造作もないことであった。 ● 「開拓者稼業から足を洗う予定なんだが」 口を開いたのは美形の男であった。それでいて只者ではない凄みのようなものがある。 男――マックス・ボードマン(ib5426)がいるのはフェルアナの街であった。対するのは酒場の主である。 マックスは問うた。 「商売を始めるつもりなんだが、誰かに話を通す必要があるかね」 「とりあえず挨拶をしておいた方がいいのはボリスさんだな」 「ボリス?」 「ああ。かつてはこの街の裏側を牛耳っていたボスさ。が、今じゃアルベルトさんの部下に成り下がっている。まあ領主様の後ろ盾があるんじゃ喧嘩にもならないがね」 「ほう」 マックスの瞳の奥に刃の光が閃いた。 ラスリール。アヤカシを踏み台にのし上がったと陰口を叩かれるような男で、治める町を見ても平凡であり行政的な手腕に優れているも思えない。あのアルベルトという男が肩入れするにはそれなりの理由があると思っていたが――。 やはりアルベルトは狼であった。首輪つきの飼い犬にはなれぬ男。マックスは無意識的に同じタイプの人間と見抜いていたのであった。 それだからこそマックスにはわかる。アルベルトは危険な男だ。 ● 少女の名はカチューシャといった。アルベルトに助けられたという。 仮面で顔を隠したフィンが問うた。 「その兄さんに興味があってさ。何をやってるか、教えてくれないか」 「戦ってる」 「戦う?」 「ええ。彼は戦ってる。とっても悪い奴を倒すって。力をつけようとしているわ」 「悪い奴って……誰なのですか?」 今度はヘラルディアが問うた。するとカチューシャは首を振った。 「知らない。でも最近、そいつを倒すための武器を手に入れたっていってたわ」 ● 「お前は」 立ち止まったアルベルトの眼がやや見開かれた。 「確か開拓者の」 「覚えていてくれたのかい」 薄く微笑すると、高尾がすすうとアルベルトに身を寄せた。 アルベルトは野太い笑みをうかべると、 「俺は好い女の顔は忘れないんだ」 「だったら」 高尾はアルベルトを見上げた。濡れた、恋する乙女の瞳で。無論、それは高尾の演技である。が、誰がその無垢な瞳の光を疑えようか。 アルベルトは高尾の唇を自身のそれでふさいだ。 「俺との道行きは地獄の道となるぞ。それでもよければついてこい」 ベッドの上。ふと高尾は目覚め、愕然とした。 身体をあわせた後、二人は眠ったのだが、隣にいるべきはずのアルベルトの姿が見えない。 「シノビのあたしに気づかれずに……」 信じられぬものを見るように、高尾は開いた窓に眼をむけた。 ● 「アルベルトを殺る?」 竜胆とレイヴァスは顔を見合わせた。 ああ、こたえたのは彼らに声をかけた男であった。組織のボス、テオドールだ。 「礼ならたんまりはずむぜ」 「どうして、私達でありんすか」 竜胆はちらりとテオドールの配下の男達を一瞥した。場所はテオドールの息のかかった酒場である。 「奴には化け物がついてる」 テオドールは苦々しく吐き捨てた。 「化け物?」 竜胆の表情が動いた。 「ああ、化け物だ。何でも銀の仮面を被ってるらしい」 「ふふん」 嘲笑をうかべると、レイヴァスは背をむけた。 「愛想が尽きたぜ、お前らには。化け物が恐くて俺達に助けてくれ、か」 「待ちな」 テオドールが呼び止めた。凄みをおびた声で、 「話を聞いて、そのまま帰ることができると思ってやがるのか」 「だったら、どうする、でありんすか」 竜胆がすうと顔だけをむけた。テオドールが息を飲む。竜胆が放つ凄絶の殺気に身が凍結してしまっていた。 その時、空を飛んだテーブルがテオドールと数人を薙ぎ倒した。 「あまり暴力沙汰は良くねえなあ」 テーブルを投げた主――椅子にどっかと座った幻鬼がニッと笑った。 ● 石畳に響く足音が夜気に溶ける。 ミレーヌであった。時はすでに夜。 先ほどまでミレーヌは貴族や商人などの間をまわり、アルベルトついて調べていた。が、何の情報も得られなかった。が、それが返って怪しいともいえた。 と―― 突如、響く靴音がやんだ。ミレーヌの背に氷のように冷たい殺気が吹きつけていた。 はじかれたように振り返ったミレーヌは見た。闇の中にうかぶ銀色の仮面を。 「何故アルベルトのことを調べている?」 銀仮面――チェーニが問うた。が、この場合、ミレーヌはふふんと不敵に笑った。 「聞きたいことがあるのは私の方だ。銀仮面。お前は何者だ。アルベルトとどのような関係がある?」 「しゃあ!」 獣のような声を発し、チェーニが飛んだ。同時にミレーヌが剣をたばしらせる。が―― 刃は銀仮面の顔寸前でとまっていた。ミレーヌの手をチェーニががっきと掴んでいたからである。ばきり、とミレーヌの手首の骨が砕けた。 「くあっ」 ミレーヌの口から苦鳴がもれた。剣ががらりと石畳に落ちる。 チェーニは素早くミレーヌのもう一方の腕をとると、 「貴様、開拓者だな。ということは、貴様に依頼を出した者がいるはず。いえ。誰に頼まれた」 「だ、誰がいうか」 ばきり。今度は腕が掴み潰された。人間とは思えぬ握力である。 「今度は足を潰す」 チェーニがミレーヌの足を踏みつけた。 「いえ。誰に頼まれた?」 「ば、馬鹿め」 涙で満面を濡らし、それでもミレーヌは笑った。恐怖で失禁している。が、ミレーヌは気高く、美しい。ミレーヌの裡にユリアが見たもの――英雄の資質は間違いなく存在していたのである。 ばきっ。肉と骨が踏み潰される音が闇に響いた。 その時である。悲鳴が発せられた。女のものである。 「命冥加な奴。が、おおよその見当はついた」 チェーニはくくっと笑った。 ● 地方都市ベレベーイ。 いまだ寒風の吹くこの街に狐火の姿はあった。ここでの調査のため、ジェレゾでの探索を中止したのであるが。 意外なほど時間がかかった。そして、ようやく狐火はアルベルトを知る老婆と知り合ったのである。 「二十年ほども前のことさ。ベレベーイはジルベリア帝国に滅ぼされ、アルベルトも両親と妹を失った。そしてアルベルトもいつの間にか姿を消してしまった」 「両親と妹……」 狐火の脳裏にアルベルトの姿が浮かんだ。あの男の昏い瞳の正体がわかったような気がした。 「ところでお婆さん。このベレベーイには伝承のようなものがありませんか」 「伝承? ああ、チェーニのことだね」 「チェーニ?」 「魔物さ。影に潜む魔物でね。けど、最近は姿を見せないねえ」 「姿を消した?」 狐火の眼がきらりと光った。 「それはどれほど前からですか」 「二十年ほど前だよ」 老婆はこたえた。 |