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■オープニング本文 ●堂 「宗殿がお見えになりました!」 護衛の声が堂内に響く。 宗と呼ばれた修羅は、陽州のあでやかないでたちで現れた。 先導する天儀の護衛が堂へ入って周囲に待機すると、使者に続けて修羅の護衛たちが入る。皆、敷地に入る前に瘴気を確認されている。無論、修羅側の護衛も含めてだ。 巫女たちが敷地内に待機し、シノビたちは裏側より警戒する。 表では、特に忠誠心篤い志士たちが警備を任され、会場には少なからず緊張感が漂っていた。 (よし。これならば問題あるまい‥‥) 警備を任された指揮官は、部下からの報告にゆっくりと頷いた。 ●下手人 どん。 老修羅の首が、音を立てて床に転がった。 「何を――」 叫ぶ使者の先手を打って、再び白刃がきらめく。ひゅっと空気の漏れる音がした。今度は踏み込みが浅かったか、首を断つまでには至っていない。 朝廷の使者は血を吹いて転がりながらも、慌てて首元を押さえる。 「乱心したか!」 「貴様!」 残った護衛数名が、咄嗟に身構えた。 下手人は――今まさに護衛を任されていた筈の志士。朝廷が信を置いて手配した男であった。 「どういうつもりだ、貴様ら!」 小型の手斧を掲げた修羅が、床を蹴って飛び掛る。重い音と共に振るわれる手斧を潜り、志士は駆ける。朝廷側の護衛たちは、一瞬、躊躇した。仲間の護衛が突如豹変したかのように使者の首を撥ねたのだ。修羅から投げかけられた言葉は最もであったが、同時に、反射的な否定を起こさせた。 状況の判断に一瞬の遅れが生じたところで、誰が責められよう。 「誤解だ!」 しかし、そうして護衛が叫んでいる間にも、下手人は壁を寸断して庭へ踊り出している。 「くっ‥‥逃すな!」 「追え、殺さず捕えろ!」 方々から声が沸きおこり、堂の外や庭で待機していた修羅らも、何事かと顔を上げる。 だが、その時にはもう、志士の凶刃が迫っていた。 一人が額を打たれ、得物を掴んだ一人は肩を切り裂かれて倒れる。志士はそのまま、彼らに一瞥もくれずに塀を乗り越えた。 ●証人 「何かしら?」 ひとりの少女が、小首を傾げた。 少女の頭には小さな角――それは修羅の証。少女は胸に小さな風呂敷包みを抱えていた。 その喧騒は、確かに会談場所から聞こえている。 「あっちは確か、お堂の方角だけれど」 何かあったのだろうか。 慌ててお堂へ向かおうかと駆け出したその時だった、隣の雑木林から、刃物でごりごりと肉を裂くような、妙な音が聞こえた。 「‥‥?」 ひょいと中を覗いて、少女は思わず息を飲んだ。 あるいはその時、声をあげることもできないほどに驚いていたことが、却って彼女の命を救ったのかもしれない。 そこにいたのは、一人の男。その背から刃が突き出、前かがみに倒れこむその様子は割腹以外のなにものでもなく。そして、立ちのぼる一筋の影。その影は怪しげな靄をまとって、ぼんやりと人の姿を形作る。 影はそのまま、宙を舞って雑木林の奥へと消えていく。 「‥‥」 へたりこむ修羅の少女。 やがて、追っ手たちの雑木林へと向かって駆けてきた。 ●アヤカシの暗躍 報告書を読み終えた大伴は、深いため息をついた。 「ふむ‥‥困ったことになったのう」 補佐役のギルド職員らも眉を寄せ、渋い表情で互いに顔を見合わせる。 交渉役を務めていた朝廷と修羅の使者が殺された。しかも、会場の護衛役によって。現地は互いに刃を向けつつの解散となり、修羅たちが逗留する寺の周囲は一触即発の空気が漂っている。 だが、希望はまだ失われていない。 「酒天殿からの連絡――随行員であった修羅の少女がアヤカシの姿を見たとの報告は、確かなのじゃな?」 「はい。調べによれば上級アヤカシ『惰良毒丸』ではないかと‥‥」 その言葉に、大伴は強く頷いた。 「あい解った。和議をアヤカシの妨害によって頓挫させてはならぬ。直ちに依頼を準備するのじゃ」 ● 「惰良毒丸だと!」 はじかれたように一人の若者が立ち上がった。 精悍な風貌。金色の瞳が妖しく光っている。そして額には二本の角。――羅生丸であった。 羅生丸の前には一人の修羅が立っていた。たった今、その修羅から惨劇の顛末を聞いたところである。羅生丸と数名の修羅は酒天に従って陽州に渡っていたのであった。 「野郎‥‥」 ぎりぎりと羅生丸は歯を軋らせた。彼は惰良毒丸を知っていたからである。過去に一度、冥越にある修羅の隠里が襲われたのだった。 ある日のこと。 突然一人の修羅が狂乱した。そして長の一人を手にかけた。 その修羅は羅生丸の友であった。羅生丸ほどではないが強い。数人の修羅がかかったが、傷一つ負わせることすらかなわなかった。 それで仕方なく羅生丸が斬った。殺すしかなかった。手加減できる相手ではなかったのだ。それが―― 斬った友の骸から、黒い影のようなモノが立ち上がった。ソレはニンマリ笑うと、自ら惰良毒丸だと名乗った。 「野郎‥‥また」 羅生丸は憤怒に震える手を腰の大太刀にそえた。かちかちと大太刀が鳴る。 あの時、羅生丸は惰良毒丸を逃した。大地すら引き裂く剣が全く惰良毒丸には通じなかったのだ。唯一惰良毒丸に痛撃を与えたのは長の神通力だけであった。 「今度は逃さねえ!」 羅生丸は逗留先の部屋から飛び出した。疾風と化して惨劇の場へと馳せる。 その羅生丸と、惰良毒丸を追っていた志士達が出会ったのは惨劇が行われた堂の前であった。 羅生丸が怒鳴った。 「惰良毒丸はどうした?」 「逃した」 志士の一人がこたえた。鋭い眼の持ち主で、かなりの手練れと見受けられた。後にわかることではあるが、その志士の名は黒瀬勇人といった。他の二人は新田昌助、保科陣十郎という。 「逃しただと!」 羅生丸が勇人の胸倉を掴んだ。 「馬鹿が。何やってやがる」 「貴様にいわれたくはないな」 羅生丸の手を振り払い、勇人は堂に足をむけた。他の二人もまた。 残された羅生丸は凝然とした立ち尽くしていた。 彼は見たのだ。脇を通り過ぎる際、勇人の顔に浮かんだものを。 笑み。 それと同じものを、羅生丸は見たことがあった。 かつて手にかけた友。その友の身体からうかびあがった邪悪な影。 笑みは、その影がうかべたものと同じであった。 |
■参加者一覧
志野宮 鳴瀬(ia0009)
20歳・女・巫
煌夜(ia9065)
24歳・女・志
ゼタル・マグスレード(ia9253)
26歳・男・陰
溟霆(ib0504)
24歳・男・シ
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
煉谷 耀(ib3229)
33歳・男・シ
ディディエ ベルトラン(ib3404)
27歳・男・魔
熾弦(ib7860)
17歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ● 殺戮の現場となった堂にほど近い屋敷。 篝火が明々と焚かれた中庭を抜け、数名の志士が戻ってきた。惰良毒丸捕縛にむかった志士達だ。 「捕らえることはかなわなかったようだな」 志士達を見遣り、男が呟いた。 かなりの背丈をもちながら、しなやかな肢体。猫の耳をもっているところから見て神威人であろう。 名を煉谷耀(ib3229)というその男は鉛の重さをもった溜息を零した。 「では惰良毒丸はどこに?」 「もう!」 綺麗な銀色の髪を揺らし、十代半ばの少女が地団駄を踏んだ。少女――フィン・ファルスト(ib0979)はわきあがる怒りに拳を握り締めた。 「もう少しって時に。惰良毒丸、ぶっ潰す!」 「本当に」 やれやれとばかりに肩を竦めてみせたのは二十代半ばの娘であった。衣服でも隠しきれぬ豊かな胸のせいではあるまいが、どこかふてぶてしく見える。 煌夜(ia9065)という天儀における名をもつその娘は、ジルベリア人らしい端正な顔を顰めると、 「封印された門の向こうの鬼ヶ島。物凄く心躍る状況なのに、野暮な手出しがあったものね」 「仕手としては見事の一言だがね」 二十歳ほどの若者が皮肉に笑った。整っているといえる顔立ちの持ち主であるのだが、どこか得体の知れぬところがある。名を溟霆(ib0504)といった。 「褒めてどうするんですか!」 フィンが可愛らしい顔で睨みつけた。 修羅に一人、彼女が友と信じる者がいる。最強の修羅、羅生丸(iz0248)だ。その羅生丸の同胞の未来がかかっている。今の溟霆の一言を聞き逃すわけにはいかなかった。 すると溟霆はさらに皮肉な笑みを深くすると、 「褒めてはいないさ。事実を述べたまでだよ。鉄壁ともみえる警護網を惰良毒丸というその上級アヤカシは易々と破ってみせた。見事が悪いのなら、恐るべしというべきだろうね」 「その惰良毒丸ですが〜」 嘲弄するかのような笑みを含んだ声が発せられた。声の主は異様な人物で。 名をディディエ・ベルトラン(ib3404)というのだが、黒の魔道帽を目深にかぶり、さらに全身をコートとローブを覆っている。暗色のその姿は、どこか禍々しい鴉を思わせた。 「どういった性質を持つアヤカシなのかをですねぇ、知らずには追えそうにないわけでして〜」 ディディエは血の気の失せたような青白い相貌をニッとゆがめて、告げた。 「知っている」 「何っ!?」 さすがに耀は愕然たる声をあげた。そして声の主に眼をむけ、なるほどと肯いた。 声の主――熾弦(ib7860)は十七歳ほどに見える少女であった。が、人ではない。 額には天を睨むかのような二本の角。修羅だ。 耀が問うた。 「本当に‥‥惰良毒丸を知っているのか」 「ええ。かつて隠れ里が惰良毒丸に襲われたことがあります」 熾弦はゆるりとこたえた。 そう、まさに熾弦は知っている。惰良毒丸のことを。とはいえ直接惰良毒丸を見たわけではなかった。直に対決したのは羅生丸只一人である。 「羅生丸!」 フィンが上ずった声をあげた。まさかここで羅生丸の名が出て来るとは思ってもいなかったのだ。 フィンは好奇心に眼を輝かせて問うた。 「熾弦さんは羅生丸さんを知っているの?」 「ええ」 当然だといわんばかりに熾弦は肯いた。 修羅とは、その名の通り戦闘種族である。故に強さが何よりも重んじられた。隠れ里で最も強い修羅であった羅生丸は英雄であり、修羅の王たる酒天捜索に送り出されたのはそのためだ。およそ隠れ里に住む修羅で羅生丸の名を知らぬ者はいない。 ディディエは熾弦に顔を近づけると、 「で、惰良毒丸とはどのようなアヤカシなのですか〜」 ● 結局のところ熾弦は惰良毒丸について多くを知らなかった。 無理もない。当時熾弦は子供であったのだから。それで―― 涼やかな風をまとわせたような若者が眼を下にむけた。そこには一人の修羅の姿があった。 少女だ。唯一の惰良毒丸目撃者である。 「恐ろしい敵」 独語めいた呟きをもらしたのは神秘的な雰囲気を漂わせた娘であった。名を志野宮鳴瀬(ia0009)というのだが、それでいて優しげに見えるのは日溜り色の瞳のせいであるかもしれない。 その鳴瀬の瞳に恐怖に似た色が滲んだ。 無理もない。此度、警護の要は鳴瀬と同じ巫女であったから。 修羅の少女の話が真実とするなら、どうやら惰良毒丸は人間に憑依するらしい。その惰良毒丸の存在に、技に秀でた術者である巫女達がまるで気づかなかったのだ。そのような敵に、一体どうやって立ち向かえばいいのか。 「今にして思えば」 涼やかな風をまとわせたような若者が口を開いた。 「ギルドで見かける依頼で人に成りすますアヤカシが多かったのは、この為の布石だったのかもしれない」 若者はある感慨を込めて唸った。それも仕方ないことで。 ゼタル・マグスレード(ia9253)というその若者と修羅との因縁は深い。数百年の時を経て、再び修羅が天儀に姿をみせた時、その強大なる修羅――羅生丸と対峙したのは他ならぬゼタルであった。 それから幾度もゼタルは羅生丸と相見えている。時には敵として、また時には戦友として。 戦う度、傷つく度、ゼタルと羅生丸との絆は深くなった。だから放ってはおけないのだ。羅生丸、いや修羅の未来を。 と、ディディエが修羅の少女の前で屈みこんだ。 「目にしたアヤカシはどういった物だったのでしょうか〜?」 「うーん」 修羅の少女は首を傾げてから、畳の上を指差した。そこにはディディエの影が落ちていた。 「影?」 「うん。そう」 「なるほど。それではですねぇ、その影のようなアヤカシは、何かを探しているような風に見えましたでしょうか?」 「ううん」 修羅の少女は首を振った。違う、というよりそこまで知らぬという意味のようだ。 「この少女の存在を知れば惰良毒丸も慌てるでしょうね」 鳴瀬の眼がきらりと光った。修羅の少女に目撃されたのは、惰良毒丸にとっても想定外のことであったろう。その意味で、少女の目撃内容は実に重要な意味をもつ。 「では最後に。アヤカシについて詳しい方がいらっしゃったらお話を伺いたいのですが〜。どなたかご存知ないですかぁ?」 「あっ」 熾弦が突如大きな声をあげた。 「それならば一人。今どこにいるかはわかりませんが」 「だれですが、それは?」 フィンが詰め寄った。熾弦は微かに笑うと、こたえた。 「羅生丸さん」 「あっ」 今度はフィンが大きな声を発した。 ● 耀は手をのばすと、遺骸の衣服をゆるめた。遺骸は下手人とされる志士のものである。 耀は割腹の痕を確かめた。 ただ力任せに腹を貫いたようである。手練の痕跡など微塵もなかった。 耀は痛ましげに顔を顰めた。 「道に死する志士の中に、かような、肉を無理に割いたような、背に至る、切り口、で割腹する者はそうそうおるまい。割腹させたのは恐らく死人に口無し、アヤカシの痕跡を残さず天儀の者に罪を擦る為であろう。が、割腹がこのざまでは」 立ち上がると、耀は堂の裏へとむかった。中ではすでに鳴瀬と煌夜がすでに聞き込みを行っていた。 「気配は?」 耀が問うと、鳴瀬は小さく首を振った。 彼女が発動した瘴索結界の結果。惰良毒丸が存在しないのか、それとも感知そのものが不可能であったのか。真実はわからない。 「言動のおかしな者はいないかと確かめてみたのですが」 誰もいない。それは煌夜も同じで。 「でも上級アヤカシが一度の介入でそうそうに逃げに回ると思わないし、だとすればまだ本堂の辺りに潜んでいる可能性があるわ」 煌夜が油断なく堂を見回した。恐いのは惰良毒丸がまた別の、それも権限ある人物に憑依していることである。 その事実を確認した時、果たしてどのように対処すればよいのか――。 ● ほう、と鳴いて梟が舞い降りてきた。ゼタルの肩の上に。 「久しぶりですね」 「てめえ、か」 堂の裏の林の中。ゆら、と闇の中に立ち上がった者がいる。 七尺ほどの巨躯。圧倒的な破壊力を裡に蔵していることを感じさせる存在だ。羅生丸であった。 羅生丸はゼタルを睨みつけると、瞳を爛と輝かせた。 「今夜はてめえにかまっている暇はねえ。失せろ」 「とはいかないんだ。惰良毒丸のことを教えてくれ」 「惰良毒丸だと!」 羅生丸の顔が不気味に吊り上がった。鬼相。鬼の貌へと。 「てめえが、どうして惰良毒丸のことを」 「私達も惰良毒丸を追っているんです」 「お前は」 別の声に、羅生丸ともあろう修羅が着弱げに呻いた。 声の主はフィン。この天真爛漫な少女のことを、どういう理由でか羅生丸は苦手としていた。 「ちっ」 羅生丸は大きな舌打ちの音を響かせた。 ● 「瑠璃君」 溟霆が呼ぶと、修羅の少女が顔を上げた。ぱくついていたお菓子を口からはなす。 「何?」 「どうです?」 溟霆が微笑をむける。ただその聴覚のみ周囲の様子を油断なく探っていた。 「何か思い出してもらえたかな」 「ううん」 瑠璃はかぶりをふると、再びお菓子を口に運んだ。その様子をじっと溟霆は見つめている。特に落胆はしていなかった。 端から新たな目撃情報を期待などしてはいなかった。それよりも溟霆は瑠璃の身を案じていた。瑠璃の存在を知った惰良毒丸が襲わないとも限らないからだ。 と、溟霆の口元に微かな苦笑がうかんだ。 こういうところ、己はまだまだだと溟霆は思う。任務の完遂のために瑠璃を犠牲にしなくてはならないとしたら、果たして己には成し得るだろうか。 未だ優しさの尻尾を捨てきれぬ溟霆であった。 ● 「あれ、か」 物陰から耀が眼をむけた。そのり視線の先には三人の志士の姿がある。調べたところ、三人の名は黒瀬勇人、新田昌助、保科陣十郎ということがわかった。 「黒瀬勇人に惰良毒丸が憑依してるというのは本当なのか」 「ああ。間違いねえ」 羅生丸がぎりっと歯を軋らせた。その肩をゼタルが掴む。今、羅生丸を暴走させるわけにはいかなかった。 敵は狡猾な上級アヤカシなのである。羅生丸の暴走につけこみ、何をするかわからなかった。 ゼタルは鳴瀬に視線をむけた。鳴瀬が悔しげに首を振る。やはりアヤカシの存在を感知することはできなかった。 「これでは迂闊に手を出せませんね」 鳴瀬が呟いた。 その時だ。つかつかとフィンが勇人に歩み寄っていった。仲間がとめる暇もない。 勇人とすれ違いざま、フィンが勇人の影にむかって小石を投げた。唸りをあげて飛んだ小石は畳にぶち当たり、はねかえった。 「何をしている?」 勇人が振り返り、フィンを睨みつけた。フィンが慌てて頭を下げる。さすがに他の二人の影にむかって小石を投げつけることはできなかった。 「本当にごめんなさい」 フィンが勇人の顔を窺った。その眼には怪訝そうな光が揺れているが、邪悪の翳はない。フィンは小さく首を傾げた。 ● 三人の志士が堂を抜け出た。後を開拓者と羅生丸が追う。 「さて、どうしたものでしょうか〜」 さすがにディディエが困惑した声を発した。 勇人に惰良毒丸が憑依している証拠はない。根拠は羅生丸の勘のみである。それでは手は出せない。 「俺がやる。だろ?」 羅生丸が振り向いた。熾弦が肯く。 「もし惰良毒丸が黒瀬勇人に憑依しているとするなら、それはさらなるいがみ合いを誘発させるため。次はきっと修羅側から人への被害を生みたがるはず。狙うとするなら強力な修羅」 「なら俺だな」 ニヤリとすると羅生丸は闇から歩み出した。 「待てよ」 「貴様は」 三人の志士が足をとめた。 「俺達に何の用だ」 「わかってるんだよ、惰良毒丸。そいつに憑いてるってことは」 羅生丸がしずかに告げた。 刹那だ。昌助と陣十郎の腰から白光が噴出した。夜目にも光る二つの刃が羅生丸の首に凝せられる。 「気づいているなら話は早い」 勇人はニヤリとした。 「おとなしくしていろよ。もう一工夫必要なのでな。それには修羅最強たるお前の力がいる」 すずう、と。勇人の影から何かが浮かびあがりつつある。声は、その何かから発せられた。 ――あれが惰良毒丸! 心中に呻き、煌夜は練力を練り上げた。炎の竜とかしたそれを経絡を通して全身を駆け巡らせる。 敵は上級アヤカシである。おそらく攻撃の機会は一度きりであろう。その一度で決めねばならなかった。 と、影は完全に勇人のそれから分離した。鬼の姿をとったそれは、倒れた勇人を見下ろすと、くくく、と忍び笑った。 「ふん。死んだか。まあ、よい。どのみち開拓者どもが疑い出した奴だ」 鬼影――惰良毒丸はするすると羅生丸の影に近寄っていった。 「もらうぞ、お前の身体」 「そうはさせない!」 鳴瀬が繊手をさしのべた。その指先からやや離れた空間で炎が渦巻き、惰良毒丸めがけて疾った。精霊の力によって呪術的に織り成された炎が。 「がっ」 獣めいた咆哮をあげ、炎に身体を灼かれた惰良毒丸が跳び退った。 「逃がさない!」 フィンが一気に七色の彩光をまとった剣を薙ぎ下した。その剣先から黄金光が放たれる。フィンの闘気の奔流である。 が、するりと惰良毒丸はフィンのオーラショットをかわした。そして木立の影に入り込もうとし――漆黒の影体を硬直させた。その身に紫電がからみついている。くすくすと笑うのは――おお、ディディエだ。 「逃がさないといったはずです〜」 「そうだ!」 ゼタルが空間を剣で切り裂いた。ぬっ、と。空間の裂け目から不気味な様相の式が現出する。 式が吼えた。空間を震わせたそれは、惰良毒丸の頭部で焦点を結んだ。たまらず惰良毒丸が苦悶する。 「今だ!」 「おお!」 煌夜が馳せた。舞わせるその刃には光る経文がうかびあがっている。 「ぬん!」 一気に間合いを詰めた煌夜が刃を惰良毒丸の首に疾らせた。刀身が闇に白光の奇跡を描く。 戛然! 煌夜の刃がはじかれた。はじいたのは陣十郎の刃である。 「惜しかったな」 惰良毒丸の漆黒の顔から声だけが流れ出た。次の瞬間、その鬼影はするりと木陰に溶け消えた。 ● 天儀と陽州の交渉は再開された。 勇人の死体が発見され、また昌助と陣十郎の証言もあり、惰良毒丸の関与が証明されたからだ。 「ともかくも開拓者のおかげってわけだな」 羅生丸は堂に眼をむけた。その金色の瞳は昏い。憎い惰良毒丸を逃してしまったからだ。一旦影に入り込まれると、探知するのは不可能に近い。 「機会はある」 ゼタルは確信を込めていった。 「人と修羅との繋がりがある限り、奴は必ずその絆を断ち切ろうとする」 「そんな絆が本当にあるなら、だがな」 「あるじゃないですか」 澄み切った青空のような、底抜けの明る笑みをフィンは羅生丸にむけた。人と修羅の未来を信じて疑わぬ瞳。 やっぱりこいつは苦手だ。 羅生丸は苦い顔で頬を掻いた。滅多にみせぬ羅生丸のその様子に、熾弦もつられて微笑する。 未だ天儀と、そこに暮らす人々に対して複雑な想いを抱く熾弦である。が、彼らなら―― 少しは未来を信じてもいいかな、と熾弦は思った。 |