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■オープニング本文 ● 濡れた舌がちろりと紅色の唇をなめた。 それは背筋の寒くなるほど艶のある美少女であった。十七歳ほどであろうが、とてもそうは思えぬほどの色香が真っ白な肌からにじみ出ている。 そこは神楽の都。裏通りである。 すでに薄闇が降りており、人通りは少ない。それは、この辺りには物騒な連中が夜ともなれば徘徊し始めるからで。 その時も十人ほど、ごろつきらしき男達が酔眼に澱んだ光をうかべ、裏通りに姿を見せた。そして少女に気づいた。 男達は飢えた野良犬のような連中である。何で縄張りに迷い込んできた美肉を見逃そうか。 「俺達と遊ばねえか」 男達が美少女を取り囲んだ。美少女が男達を見回す。怯えた様子はなかった。 「見れば見るほど良い女だな」 一人の男が美少女の顎に手をかけ、ついと顔を仰のかせた。 「名は何てんだ?」 「九蓮」 美少女は名乗った。開いた真っ赤な唇の間から甘酒のような香りがする。それを嗅いだ男の獣気がはじけた。 男が九蓮の唇を自身のそれでふさいだ。九蓮は抵抗することなく、男の接吻に応じた。濡れた音が流れる。 どれほど湿った音が続いたか。突如、悲鳴がその音を断ち切った。悲鳴の主は接吻していた男である。 男が九蓮から飛び離れた。その口からはたらりと血が滴り落ちている。 九連の唇の間から、異様なものが覗いていた。それは噛み千切られた男の舌であった。 ニィ、と笑うと九蓮は男の舌をずるうと口の中におさめた。くちゃくちゃと咀嚼する。 「あまり美味くないのう」 「て、てめえ」 男達が後退った。何かとてつもない怪物を目の当たりにしているという恐怖感があった。 ニィ、と再び九蓮が笑った。 「この面はやはり男どもに好かれるようじゃ。では、こういうのはどうじゃ?」 九蓮の顔が一瞬歪んだかのように見えた。 次の瞬間、九蓮の長い黒髪がすうと短くなった。眉が太くなり、鼻梁は細く高く、切れ長の眼は鋭くなった。現出したのは人とは思えぬほどの美少年の相貌だ。 同時に少女とは思えぬほど豊かであった胸が小さくなった。代わって胸板が厚くなる。背はずずうと高くなっていた。 「この前、遠くから見かけた少年じゃ。これも気にいっておる」 刹那である。何かが疾った。 あまりの迅さに男達がそれの正体を視認することはかなわなかった。そして、その機会は永遠に男達に訪れることはなかった。何故なら男達の肉体は切り刻まれてしまったから。 血煙の中、九蓮は鮮血に濡れて立っていた。顔に飛び散った血を、異様に長い舌でぬめりと舐めとる。 今度は甲高い悲鳴が響き渡った。女のものだ。 三度、九蓮はニィと笑った。 ● 「くそっ」 罵りの声を発したのは鋭い眼をした青年であった。名を真田悠という。 「騒ぎを聞いて駆けつけたら、もう後の祭りだ」 「仕方ないさ」 こたえたのは冷徹そうな若者だ。真田の親友である柳生有希である。 基本的に開拓者ギルドは依頼があって動く。役人はそもそも動きが鈍い。突発的な事件には対処できずにいるのが現実だ。 「わかってはいる。だがな」 真田はきりきりと歯を噛み鳴らした。 殺戮の様子からして下手人は人間とは思えない。おそらくはアヤカシであろう。が、逃走する化け物を見たという証言もない。もしかするとアヤカシは人の姿をしているかもしれなかった。 ならば尚更厄介であった。人の溢れるこの神楽の都で、どのようにして人に凝態したアヤカシを見つけだせばよいのか。 「見回ればいいんじゃねえの?」 声は寝転がった少年の口から発せられた。 男らしく整った容貌は神像のよう。天草翔である。その顔―― もし天に眼と口があったなら、驚愕の声を発していたに違いない。翔の顔こそ九蓮が変化したものであったからだ。無論この時、翔はおろか悠も有希もその事実は知らぬ。 「なるほど」 有希が合点した。誰も動かぬのであれば、自分達が動けばよいのだ。 「悠さん、やろう」 「ああ。翔、お前もだぞ」 「やだね」 翔は悠に背をむけた。 「雁首そろえて歩き回るなんざ面倒くせーや」 「翔!」 有希が翔をじろり睨みつけた。とはいえ翔が一度いいだしたらきかぬ性分であるのは承知している。 やれやれとばかりに首を振ると悠は立ち上がった。 「俺達だけでやろう。もはやじっとしていることなどできん。俺の耳にはあの娘の泣き声がいまだに響いているんだ」 「あの娘?」 ぴくりと翔が身動ぎした。 「ああ。ごろつきの他に女が一人殺害されている。酒場で酔客の相手をしている女だ。その女は五歳になる娘を育てるため、一生懸命に働いていた」 むくりと翔が身を起こした。悠が問う。 「やるのか?」 「ああ。寝てるのにも飽きた」 翔の手が大刀にのびた。 |
■参加者一覧
香椎 梓(ia0253)
19歳・男・志
真亡・雫(ia0432)
16歳・男・志
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
蒔司(ib3233)
33歳・男・シ
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ● 「どうぞ」 十六歳ほどの少女が小さな箱を差し出した。 美しい少女だ。貴人のような美貌の持ち主なのだが、それでいて胸は意外なほど豊かであった。名を柚乃(ia0638)というのであるが、どうやら彼女はその事実が気に入らぬらしい。 「えっ、何?」 柚乃が差し出した小箱を覗きこんで、フィン・ファルスト(ib0979)という名の少女は瞳を輝かせた。同じ年頃でありながら、慎ましやかな柚乃と違い、フィンの反応はあけっぴろげだ。嬉しそうに手を叩いて飛び跳ねた。 「わーい、キャンディだ」 「ほんとなのか、フィン姉ちゃん」 同じように小箱を覗き込んだのは、二人の少女よりもさらに年下の少年であった。 まるで少女のように可憐な少年――名を叢雲怜(ib5488)というのだが――は、神秘的な蒼紅妖瞳を煌かせ、これはフィンと同じように躍りあがった。 くすりと微笑むと、柚乃は小箱を移した。一人の少年の前に。 怜も美しいが、その少年もまた美しい。年齢は十七歳ほど。形の良い眉は濃く、黒曜石の瞳は謎めいている。鼻梁は高く細く、まさに青春の美の結晶といったところだ。 「翔さんもお好きなものをどうぞ。‥甘い物はお嫌いですか?」 「嫌いってわけじゃねえけどよ」 ちらりと翔と呼ばれた少年は怜とフィンに眼をむけた。二人とも美味しそうにキャンディを頬張っている。 と、フィンが少年――天草翔(iz0237)にぐっと顔を近づけた。 「ひょうひゃん、りゃんれえ、いりゃにゃりんれすか」 「何いってんだ、てめえ」 「らからあ、りゃんれえ、いら」 「口に飴入れたまんまで喋んじゃねえ!」 「私が選んであげましょう」 細くしなやかな指が一つのキャンディを摘み上げた。 指の主は流麗な若者であった。あるかなしかの微笑を口元にためている。 「私は香椎梓(ia0253)と申します」 梓は翔の唇にキャンディを運ぼうとし――梓の手を、翔のそれががっしと掴んだ。 「何の真似だ」 「飴ですよ」 「それはわかってらあ。何でおめえが俺の口に飴を運んでやがるのか訊いてんだ」 「いらないんですか」 梓は薄く笑った。 実のところ梓は翔のことが気に入っている。己の心に正直なところ、冷淡にみえて本当は正義感もあるところなど。可愛らしいとさえ思っている。 「いるか」 翔はそっぽをむいた。 「何が嬉しくて野郎にむかってあーんて口を開かなけりゃあならねえんだ」 「だったら女ならいいの?」 「あん?」 翔が問う声の主に眼をむけた。 それは二十歳ほどの娘であった。鋭い眼には冷たい光がたゆたっているが、冷然たる風貌は端麗といえる。狼の耳をもっているところから見て神威人であろう。 「おまえか」 翔の表情が緩んだ。その娘の顔を彼は良く覚えている。 「確かおっぱい」 「雪刃(ib5814)だよ」 慌てて雪刃が遮った。そしてじろりと翔をにらみつけると、 「注意するようにね。きみはすぐに飛び出すんだから」 「余計なお世話だ」 翔は舌をべえと出した。 「煩い真田さんも有希さんもいねえんだ。好きにやらせてもらうさ」 「だめですよ」 フィンが思わずといった様子で声をあげた。 「今回のアヤカシは得体がしれません。だから単独行動は危険なんです。あの」 フィンの頬に突然紅が散った。 「もし‥ちゃんとしてくれたら‥頬にキスしてあげても‥きゃー」 羞恥に眼を閉じたフィンが翔の胸倉を掴んだ。何がなんだか良くわからない。きっと本人も。 わかっているのはフィンが細身ながら怪力の持ち主だということだ。翔の美しい顔が青く染まった。 「く、首」 「だめですよ、首にまでなんて。あ、アイツにもした事無いんですからね」 ぎゅう、と。 ぐっと両手に重量がかかったのでフィンは眼を開いた。白目をむいて翔が気絶している。 「あの‥翔さん。どうしたん」 「かわいそうに」 翔を横たえ、秀麗な美貌の少年が首を振った。それから意志の強そうな大きな瞳にわずかな怯えを滲ませてフィンや雪刃を見た。 この真亡雫(ia0432)という少年、見た目はひどく落ち着いている。十六歳とは思えぬほどの冷静沈着振り。しかしなんといっても年頃であった。以前の依頼では年上の女性に誘惑され、身体が反応してしまっている。雫の眼には、女の子は時として怪物に映った。 「はてさて」 肩を竦めると、男が屈みこんだ。二十代半ばほどに見える。巌のような顔と体躯をもっており、いかにも漢くさい。今時珍しい型の男であった。 男――大蔵南洋(ia1246)は翔を抱き起こすと、背中に膝を押し当て活を入れた。 「天草殿、気がつかれたか。ならば一つお尋ねしたいことがござる」 「な、何だ」 「あてでござる。見廻るのは構わぬが、アヤカシの元へ案内してくれるあてのようなものはござろうか?」 「ないでござるよ、んなもの」 翔は首を撫でさすると立ち上がった。そして告げた。 「わかってんのは現場だけだ。それと殺された女には小さな娘が一人いた」 「それが大事なところだな」 男の眼がきらりと光った。 歳は翔と同じくらいであろうか。若年とは思えぬ凄愴の気を裡に秘めている。 竜哉(ia8037)と名乗るその少年、信念としているものが一つあった。それは普通の民人の生活を守ること。そのために彼は独り荒野をゆき、地獄の底で吼えるのである。 竜哉はいった。 「その娘のため、アヤカシには死をくれてやろう」 ● 「ここか」 低く呟く声は男の口からもれた。 三十ほどの黒獅子の神威人。褐色の肌には無数の傷痕が刻まれている。それが男の歩んで来た道程の過酷さを物語っていた。 名を蒔司(ib3233)というそのシノビは辺りを見回した。 路地裏。昼というのに人通りはほとんどない。事件現場であった。 「どうりで目撃者が見つからんわけや。せやが」 被害者の数は十を超える。それでいて一人の目撃者がいないというのはやはりおかしい。 「見た者全ての命を奪う残忍さか、用意周到さか。それとも人に紛れる術を持つものか」 今、そのこたえはない。が、わかっていることが一つだけある。 「いずれにせよ食い気だけの低級な輩とも思えんのぅ」 「確かに、な」 同意の応え。南洋である。 「被害者のことを調べてきた」 「何かわかったか」 「うむ。まず女だが」 名は瑛。やや離れた酒場で働いていた。自宅である長屋に戻る時、いつもこの路地を使っていたらしい。 蒔司は鉛色の溜息を零した。 「それで巻き込まれたか。可哀想にのぅ。で、他には?」 「ごろつきどもだ」 さしたる感慨もなく南洋はこたえた。調べた結果、男達はこの辺りを縄張りとするごろつき連中で、泣かされた女も多くいるらしい。 「もしかするとアヤカシは女の姿をしているのかも知れんのぅ」 「ふうむ」 南洋の灰色の脳内で何かがかちりと音たてた。 「ならば次に狙われるのは」 「ごろつきどもがうろつく裏路地ということやな」 蒔司の眼がきらりと光った。 現場の近く。小さな茶店がある。 その茶店の縁台にフィンは座っていた。怜から無茶はするなと忠告されているからだ。フィンは怪我を負っていた。 そのフィンの視線の先、怜が数人の子供達と話していた。 フィンが茶を啜った。その時だ。怜が走り戻ってきた。 「どうだった?」 「だめなのだぜ」 怜は肩をおとした。事件が起こったのが夜であったため、すでに子供達は家に戻っていたという。 「そっか」 湯呑みをおくと、フィンは茶店の老婆に声をかけた。 「おばあさん。訊きたいことがあるんだけど」 フィンは事件のことを尋ねた。さすがに老婆は覚えていて、 「大勢がひどいめにあったらしいねえ。あんな綺麗な子が巻き込まれなくて良かったっていってたんだよ」 「えっ」 フィンと怜が顔を見合わせた。怜が慌てて 「ばあちゃん、事件の時、誰か見たのかだぜ」 「ああ」 老婆は人相風体を話して聞かせた。直後、雷に撃たれたかのようにフィンが立ち上がった。 ● はっとして柚乃は立ち止まった。 アヤカシの気配。場所は―― 柚乃は前方を指差した。 華奢な人影。濡れたような美しい黒髪をもつ美少女だ。 美少女はちらりと振り返ると、ニィと笑った。 「野郎、気づきやがった!」 翔が駆け出した。柚乃もまた追うが、翔の疾駆にはかなわない。 「待ってください。一人じゃ」 「んなこといってる場合か!」 翔が道を曲がった。塀があるため姿は見えない。 その瞬間、アヤカシの気配が消えた。 息せき切って柚乃もまた道を曲がった。と―― あやうくぶつかりそうになって、慌てて柚乃は足をとめた。翔が佇んでいる。 「アヤカシは?」 「逃がしちまった」 翔が地団太を踏んだ。柚乃が周囲を見回す。いまだ瘴索結界は発動中であった。もしアヤカシが側にいれば感知できるはずである。 「仕方ねえ。いくぞ」 翔が背を返した。柚乃が従う。翔を独りにするわけにはいかなかった。 ● 「目印は?」 梓が問う。すると雫は襟元を緩めてみせた。梓が覗き込む。何もなかった。 「いいでしょう」 梓が肯いた。他の六人がほっと詰めていた息を吐く。 そこは居酒屋の前であった。夕刻に落ち合う手はずとなっている。 雫は仲間の顔ぶれを見回すと、 「柚乃君と翔君は?」 「まだや」 蒔司がこたえた。と、怜が口を開いた。 「その翔のことなのだぜ」 「目撃者がいたんです」 フィンが続けた。 「現場から歩き去る人影を見たって。それがどうも翔さんらしくて」 「何っ!?」 竜哉が呻いた。 実はこの時、彼はある情報を手に入れていた。瓜二つの顔を時々見かけるというものだ。 それは開拓者達の予想を確たるものとした。アヤカシは人に凝態するだけでなく、そっくりに化ける。 その時だ。欠伸を噛み殺しながら近づいてくる人影があった。夜目にも輝くその美しい姿は――翔だ。 南洋が問うた。 「柚乃殿は?」 「知るもんか。勝手にどこかいっちまいやがった」 「ふうん」 怜の身裡に凄愴の殺気がたわんだ。もし翔の正体がアヤカシであるのなら、一瞬の遅れが致命の一点となりうる。 「何の真似だ、てめえ」 すう、と。翔の手が腰の大刀にのびた。うっと開拓者達が息を詰める。翔が放つ殺気は、いまだかつて開拓者達が感得したこともないほどの凄絶のもので。 「し、翔」 雪刃の口から喘ぐかのような声がもれた。 「目印は?」 「知るかぁ、そんなもん」 翔が刀の鯉口を切った。その時―― 「思い出した!」 翔が胸元をめくってみせた。そこには何もない。 ふう、とフィンは息をもらした。 「翔さん。早く思い出してくまださいよお。てか、じゃあ柚乃さんは?」 ● 「そろそろ約束の居酒屋にいかないと」 柚乃がいった。足元には闇がまとわりつきはじめている。 「まだいいじゃねえか。それよりも柚乃よ」 翔がすうと柚乃ににじり寄った。 「俺といいことしねえか」 「いいことって?」 柚乃が小首を傾げた。 「こういうことだ」 ニンマリすると、翔は柚乃を抱き寄せた。 「やめてください」 柚乃がもがいた。が、翔の手が離れることはない。 「この面が嫌いか。なら」 翔の顔の筋肉がぼこりと蠢いた。まるで皮一枚下にひそむ虫が蠢いたようで。 次の瞬間、柚乃の口から愕然たる叫びが迸り出た。 柚乃は見たのだ。翔の顔が、柚乃のそれに変化するのを。 だけではない。身にまとった衣服すら変化していた。柚乃のそれと同じように。 柚乃の顔が嫌らしく笑った。 「これならいいでしょう?」 「アヤカシ!」 その時、柚乃は悟った。アヤカシは、彼女の瘴索結界に抵抗できるのだ。 柚乃は呼子笛を手に取った。吹く。鼓膜をかきむしるような甲高い音が響いた。 「無駄じゃ」 アヤカシ――九蓮が柚乃の衣服を引き裂いた。闇の中に白い柚乃の上半身が露わとなる。 九蓮は柚乃の顔で舌なめずりした。 「美味そうじゃ。おまえはゆっくりと喰ろうてやる」 「やれるか」 薄闇を切り裂くように声が響いた。 ● はじかれたように九蓮が振り返った。 闇の中に黒々と立つ影がある。蒔司であった。 「まさか」 九蓮の眼が赤く光った。 「笛の音が聞こえたというのか」 「わしは耳が良いもんでのぅ」 ニヤリと蒔司が笑った。同時に結印。九蓮が跳び退った。 「針、か。味な真似をする」 腕に突き刺さった針を九蓮が抜き取った。刹那―― 風が唸った。音すら凌駕する迅さで何かが疾っている。しぶく血煙は闇よりもなお黒く、空の月すら暗く翳った。 開拓者達はがくりと崩折れた。立っているのは柚乃と翔、それとわずかに後ろにいた梓、さらには怜! その怜の手には銃が握られていた。筒口からは硝煙が立ちのぼっている。 「フィン姉ちゃんが守ってくれたんだ。その想いに応えるのだぜ」 再び怜の銃が火を火を噴いた。 「ぬかせ」 九蓮が吼えた。そして尾で怜が放った弾丸をはじきとばす。その肩の傷から瘴気が噴出していた。最初に放った怜の弾丸によるものである。 「尾、か」 梓の頬をつつうと冷たい汗が伝い落ちた。 彼は見たのだ。アヤカシの九つの尾が疾ったのを。それは刃のように開拓者を切り裂いたのだった。 くくく、と九蓮は嘲笑った。 「見えたとて、かわすことはできぬ」 再び九蓮の尾が疾った。怜めがけて。さしもの怜も避けもかわしもならず―― 槍のように尾が貫いた。怜を――いや、竜哉の身体を。 「確かにかわすことはできんな」 竜哉の満面を血笑が彩った。九蓮の口が嘲弄に歪む。 「盾になるしか能がないか。ぬっ」 九蓮の顔色が変った。竜哉の身体から尾が抜けぬ。尾はがっちりと竜哉の筋肉によって締め上げられていた。 「俺自身が最後の罠、だ。逃がさんぞ」 「おおっ」 一斉に五人の開拓者と翔が飛んだ。九蓮に迫る。 疾る光流は六つあった。迎え撃つ刃風は八つ。鋼と鋼が相搏ったとしか思えぬ音が響いた。 次の瞬間、空に二本の尾がはねとんだ。切断したのは雫と翔である。 雫の刃から白光が散った。 「いくらお前の尾が剛かろうが、僕の刃は邪悪そのものを断つ」 たまらず九蓮が跳び退った。竜哉にとらわれた自らの尾を引きちぎって。 九蓮は月光によってできた木の陰に飛び込んだ。ずずうと、まるで黒い沼に沈み込むように身を没していく。 「覚えておれ。この恨み、忘れはせぬぞ」 九蓮は血の滲む呪いの言葉を吐いた。そして、影の中に消えた。 ● 老婆に手をひかり、小さな女の子が都を去ろうとしていた。 「待て」 呼びとめたのは南洋であった。 南洋は女の子に歩み寄ると、その手に簪を握らせた。 「何故あの日、そなたの母が遅くにある道を通ったか。そなた、今日が誕生日であろう」 はっとして女の子が顔を上げた。無愛想な南洋の顔が見下ろす。その眼には無骨だが優しげな微笑の光があった。 「そなたの母は、そなたのことを愛していた。それだけは忘れてはならぬ」 女の子は再び歩き出した。もはや老婆の手を借りる必要はなかった。 見送る翔もまた歩き出した。何か大事なことを忘れているような気がした。 「あっ、ほっぺにチュ!」 |