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■オープニング本文 ●「からくり」 アル=カマル、神砂船の船室より発見された、人間大の動く人形。 陶磁器のように美しい肌は、継ぎ目ひとつ無い球体を関節に繋がれて、表情は無感動的ながらも人間さながらに柔らかく変化する、不思議な、生きた人形。 あの日、アル=カマルにおいて神砂船が起動され、「からくり」の瞳に魂が灯ったその日から、世界各地で、ぽつり、ぽつりと、新たな遺跡の発見例が増えつつあった。何らかの関連性は疑うべくもない。開拓者ギルドは、まず先んじて十名ほどからなる偵察隊を出した。 「ふうむ‥‥」 もたらされた報告書を一読して、大伴定家はあご髭を撫でる。 彼らは、足を踏み入れた遺跡にて奇怪な姿の人形に襲われたと言うのである。しかも、これと戦ってみた彼らの所見によれば、それらはアヤカシとはまた違ったというのだ。 なんとも奇怪な話であるが、それだけではない。 そうした人形兵を撃破して奥へと進んでみるや、そこには、落盤に押し潰された倉庫のような部屋があり、精巧な人形が――辛うじて一体だけ無事だったものだが、精巧な人形の残骸が回収されたのだ。 「‥‥まるで、今にも動き出しそうじゃのう」 敷き布の上に横たえられた「人形」を前に、大伴はつい苦笑を洩らした。 ● がくりと三人の男は膝を折った。頬を伝い落ちる冷たい汗が石床に染みをつくる。 ここに至るまで、彼らを除いた十八人が死んだ。貫かれ、押しつぶされ、闇に吸い込まれ、灼かれ―― ある遺跡が見つかった。そこにも不可思議な人形が眠っているのではないか。そう考えた天儀の商人がベドウィンの有力なシャイフであるメヒ・ジェフゥティ(iz0208)に接触、一人の若者を紹介してもらった。それが生き残った三人のうちの一人、スハイルであった。 当初、スハイルは簡単な遺跡案内だと思った。が、事はそう簡単ではなかった。 「もう引き返そう」 スハイルは提案した。すると一人の男が怯えた顔で首を振った。探索隊の一人であるである天儀の者だ。 「しかし、後にはあいつらが」 「わかっている。しかし、このまま進めばどうなるか。突破して戻った方がいい」 スハイルは立ち上がった。銃を握りなおす。 「いくぞ」 他の二人を促し、スハイルは走り出した。松明を手に、道を引き返す。 と、通路の中央に何かが蹲っていた。松明の光に浮かび上がったそれは、異様なモノで―― それは人形のように見えた。毛髪のない、つるりとした頭部。硝子玉のような冷たい無機質な眼。表情を欠いた顔。すべてが不気味であった。 「でたな」 男の一人が剣をかまえた。その眼は恐怖のためにカッと見開かれている。 無理もない。これらの人形のために十八人のうち、九人が死んでしまったのだから。 刹那だ。人形が跳んだ。男が剣を突き出そうとし――一瞬早く、人形の身体の前部が開いた。 耳を塞ぎたくなるような悲鳴が響いた。人形の開いた部分に男が挟まれてしまったのだ。それは、まるで巨大な顎に男が噛みつかれてしまったようで。人形の開閉部には刃が仕掛けられていた。 「逃げるんだ」 スハイルが走り出した。もう一人の男が続く。人形に襲われた男にかまっている余裕はなかった。 その時、スハイルは異様な気配を感じとった。カツカツ、と。何かが小さな物音をたてて壁を疾りぬけていった。 何だ? とスハイルが思った時だ。突如、脇を走っていた男が倒れた。 「何――」 反射的にスハイルが足をとめた。その眼前で、男の身体が逆さまにあがっていく。その足には鎖が巻きついていた。そして―― 男の顔に三本の小さな刃が突き刺さった。そこまでがスハイルの限界であった。 恐慌に陥り、わけのわからない言葉を発しつつ、スハイルは走り出した。だから気づかなかった。後から飛びついた来た人形の存在に。 スハイルが人形に気づいた時、すでにその冷たく硬い手足はがっしりと彼の身体にからみついていた。慌ててスハイルは人形をもぎはなそうとし―― 人形が爆発した。 ● しくじった。 そうメヒが気づいたのは、探索隊の消息が知れなくなって三日経った頃であった。 彼が案内を命じたスハイルは、別のシャイフであるが、同じ犬のアヌビスであり、普段から親しくしていた。それで簡単な仕事を任せたのであるが―― それが間違いであった。普段なら、メヒは仕事の難易度を慎重にはかる。 が、此度は違った。安易にスハイルに仕事を任せてしまった。気が緩んでいたとしか思えない。神砂船の件が片付いてすぐであったからかもしれない。 「俺がゆく」 メヒは決断した。どのような理由があろうと、所詮、それは言い訳にしかすぎない。 「生きていてくれ、スハイルよ」 メヒは開拓者ギルドにむかった。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
秋桜(ia2482)
17歳・女・シ
ゼタル・マグスレード(ia9253)
26歳・男・陰
狐火(ib0233)
22歳・男・シ
ディディエ ベルトラン(ib3404)
27歳・男・魔
雪刃(ib5814)
20歳・女・サ
ヘルゥ・アル=マリキ(ib6684)
13歳・女・砂 |
■リプレイ本文 ● 太陽は白く燃えていた。 灼けた砂。ラクダの背から降り立った人影は九つあった。 その九つの人影の前。 砂漠の只中に、石でつくられた建物らしきものがあった。らしき、というのは、それらが朽ち、崩れ去っているため、正確な様相はわからないためである。 「ここか」 遺跡の片隅に空いた空洞を覗き込み、一人の男が呟いた。 黒衣のアヌビス。精悍無比の相貌といい、鍛え抜かれた身体といい、只者ではない。 それもそのはず、男は砂漠の戦士達の頭目であった。メヒ・ジェフゥティ(iz0208)である。 「遺跡の中がどうなっているかは、さだかでございませんが〜」 同じく空洞を覗き込んだ男がきゅっと笑った。 青白くやせ細った身体をローブで包んだ若者で、どこか不気味な雰囲気がある。日の射さない世界の生き物特有の仄暗い雰囲気が。 若者――ディディエ・ベルトラン(ib3404)はちらりとメヒの顔を窺うと、 「危険な場所と想定せずに偵察隊の方々が入られたとするならば、奥までは辿りつけていないということになりますですか」 「だろうな」 メヒは苦い顔で肯いた。 デイディエの推察は正確だ。遺跡地下空洞にもし危険がひそんでいたとするなら――スハイル達が戻らぬ以上、事実として危険はあったのだが――奥までの途中で動けぬ状態になっている可能性が高い。 と―― メヒの手が眼にもとまらぬ速さで動いた。強い日差しに眼が眩み、よろめいた少女を抱きとめる。 それは美しくも儚げな美少女であった。肌は青白く、華奢で、触れれば折れそうだ。 「大丈夫か」 「あ」 少女――柊沢霞澄(ia0067)は口ごもった。大丈夫です、とこたえたかったのに上手く言葉が出てこない。 その焦りが、さらに霞澄の声をつまらせた。何かいわなければ。何か‥‥そう、お礼を。 「ジェフゥティシャイフじゃな」 霞澄を遮るようにして、元気に満ち溢れた声があがった。 振り向いたメヒは、そこにふんぞり返った少女の姿を見出した。メヒと同じくアル=カマルの者だ。さらにはアヌビス。おそらくは獅子であろう。蒼の瞳をきらきら輝かせている。 「アル=マリキのベドウィン、ヘルゥじゃ」 ヘルゥ・アル=マリキ(ib6684)は名乗った。 「我が氏族の名に懸けて、この依頼をやり遂げると誓うのじゃ」 「アル=マリキ?」 聞いたことのある氏族であった。勇猛で、誇り高い氏族として知られている。 「頼むぞ、小さな獅子よ」 「うむ」 こたえると、ヘルゥは背を返した。すたすたと一人の男のもとに歩み寄っていく。 それは流麗な若者であった。彫刻的な顔立ちで、貴公子然としている。名を狐火(ib0233)という。 「狐火兄ぃ」 ヘルゥが身を摺り寄せた。狐火という若者のどこが気に入ったのか、ヘルゥはずっとこの調子である。対するに狐火は戸惑った様子を隠せない。 それがかえって気になるのか、ヘルゥはニカッと笑うと、用意してきたものを広げてみせた。 「準備はこの程度じゃろうか」 「へえ。美味そうなの持ってるなあ」 嬉しそうに声を発したのは細身の若者であった。二十歳ほどであろうか。無邪気に笑っている。荷の中から葡萄酒を取り上げた。 「何をするのじゃ! これは消毒用じゃぞ」 ヘルゥが若者から葡萄酒を奪い取った。そして若者を睨みつけると、 「名は何という?」 「俺は九法慧介(ia2194)」 名乗ると、慧介は素直に謝罪した。頭をぼりぼりと掻きながら頭を下げる様は、ヘルゥよりもさらに子供に見えた。 メヒ殿、と声がかかったのはその時だ。 振り返ったメヒは、背後に立つ一人の少女の姿を見出した。 猫じみた可愛い顔立ちで、十七歳ほどに見える。身にはメヒから借りた布を巻きつけていた。日に焼けるのを防ぐためだ。 「この布、ありがとうございました」 「秋桜(ia2482)といったか。気にするな。お前には借りがある」 メヒはこたえた。 以前のことである。メヒの依頼を受け、秋桜を含めた八人の開拓者がある若者を救った。その恩をメヒは忘れていない。 「また微力ながら、お力添えをさせて頂きます」 いつになく秋桜は真剣な面持ちでこたえた。 彼女も隊を率いる身である。故にわかる、メヒの心情が。 もしスハイルという若者が助からねば、きっとメヒは己を責めるであろう。何故ならスハイルという若者はメヒを信じたのだから。 その信頼にメヒは命懸けでこたえねばならない。人を率いるとはそういうことである。 「必ず連れて帰ります」 秋桜は己自身に誓った。 ● 闇の中に仄明るい光が揺れている。 松明の火だ。もっているのは霞澄であった。 そこは二人が並んで歩けるほどの通路。壁も石、床も石。明らかに人の手によるものだ。 「お待ちください」 先頭をゆく秋桜が足をとめた。 今まで秋桜は通路を調べつつ進んでいた。が、ここに至り感触が違う。 それは通常人にはわからぬ微妙なもので。が、秋桜は通常人ではない。壁に何らかの仕掛けがあることに気づいた。 さらに秋桜は不気味なものが床に転がっていることに気づいた。 二つ。人だ。 「探索隊の者じゃ!」 思わずヘルゥが駆け出そうとした。 次の瞬間だ。手がのびて、襟首を掴み、ヘルゥを持ち上げた。 「危ないよ。いきなり駆け出したりしちゃ」 手の主がいった。ばたばたさせていた足をとめ、ヘルゥが手の主を見上げた。 「おぬし、確か」 「雪刃(ib5814)」 手の主はこたえた。それは凛然とした美しい娘であった。その煌く銀色の髪、そしてぴんと立った獣耳を眺め、 「銀狼のアヌビスじゃな。おろせ」 ヘルゥは雪刃を睨みつけた。そして地に足が着くと、 「危ないとは、どういうことじゃ」 「わからないよ。でも」 雪刃は冷然たる相貌をやや顰めた。鼻をひくつかせ、 「嫌な感じがするんだ」 「信用した方がいい」 違う声。 それは長身痩躯の若者であった。ととのった相貌の持ち主であるが、どこか冷めた感じがある。が、その瞳の奥に閃く情熱の炎をヘルゥは見逃さなかった。 「おぬし‥‥ゼタル・マグスレード(ia9253)か。邪魔をするな。探索隊の者じゃ。まだ生きておるかもしれん」 ヘルゥは懸命な眼をむけた。が、ゼタルは静かに首を振った。 「僕も人形や遺跡には興味がある。さらには人の命もより大切だと思っている。しかし」 ゼタルは横たわった人影を見つめた。生きているのか、死んでいるのか、ここからではわからない。だからこそ迂闊に近寄るわけにはいかなかった。 「確かにその通りだ」 メヒが同意した。 「ここは死の匂いに満ちている。秋桜」 わかるか、とメヒは秋桜に問うた。 「そうでございますね」 秋桜の眼が一瞬光ったようだ。 刹那のことである。彼女の眼は闇を見通した。 倒れているのは二人の男。胸に傷があり、衣服に染みが広がっている。おそらくは血であろう。 問題は、二人の男を死に至らしめた原因だが―― 秋桜は慎重に床を探った。這うようにして、ゆっくりと前にすすむ。そして―― 床に違和感があった。一箇所、わずかに沈むようだ。 「‥‥なるほど」 秋桜が跳び退った。その顔をかすめるようにして槍が疾った。槍は壁から突き出ていた。 ● どれほど進んだか。すでに秋桜の練力は尽きていた。あとは勘と指先の感覚に頼るしかない。 と、指先が違和感を覚えた。 あっ、と思った時は遅かった。天上から無数の矢が降り注いできた。 咄嗟に開拓者達は反応した。かわした者がいたが、遅い。防ぎ得たのは得物ではじき返した者のみであった。 剣を鞘におさめると、メヒは霞澄に笑みをむけた。 「おまえのおかげだな」 「そんなことは」 頬を染め、霞澄は眼を伏せた。そして倒れているディディエの側に屈みこんだ。 「あの‥‥治療を」 「助かります〜」 道化師のように笑うと、次にディディエはメヒに眼を転じた。 「お尋ねしたいことがあるのですが〜。外の世界のことで〜」 「外の世界?」 「はい〜。嵐の壁の向こうにございます天儀やジルベリアの事、メヒ様達のお国の皆様は全く御存知無かったようですが〜。昔話や御伽噺の類の中にでもですね、外の世界の事を語ったものと思われる物があったりしませんでしょうか?」 「いや」 メヒは首を振った。 「俺の知る限り、外の世界に関する物語はないな」 「そう‥‥ですか」 ディディエは首を捻った。 メヒほどの者が知らないとすれば、確かに外の世界に関する伝承はアル=カマルにはないのであろう。では、それなら何故天儀の上層部の者は外の世界を知っているのだろう。 と、辺りが薄暗くなった。松明が燃え尽きようとしているのだ。 「代わりなら俺がもっているよ」 慧介が自身の松明に火を燃え移させた。再び周囲に明るさがもどる。 慧介は松明を掲げると、うんざりしたように溜息を零した。ここ至るまでの間、すでに彼らは数人の探索隊の者達を発見していた。が、全員事切れていた。それが慧介には悲しかったのだ。 「彼らにも待っている人はいるだろうに」 「だからこそ、その最後を僕達が見届けてやらなければならないんだ」 ゼタルが符を取り出した。呪文を囁くと、ふっと息を吹きかける。符の結界が解け、たちまちのうちに鼠へと変化した。 「ゆけ」 ゼタルが命じると、音もなく鼠は走り出した。 うっ、と。ゼタルの口から呻きにモ似た声がもれたのはどれほどたった頃だろうか。 彼の視覚は一瞬、暗黒に飲まれた。視覚を共有する鼠が落とし穴に落ちたのである。 そしてゼタルは知った。人魂が消滅したことを。鼠は落とし穴の底に仕掛けられていた串によって貫かれたのであった。 ● さらにどれほど進んだか。 慧介の松明も尽きていた。今はディディエのマシャエライトが唯一の光源だ。 「あれは!?」 秋桜が足をとめた。 倒れている人影が見える。わずかに浮かぶ衣服はアル=カマルのものだ。 「スハイル!」 メヒが叫び、はじかれたようにヘルゥが走り出した。咄嗟に慧介が手をのばしたが、間にあわない。 次の瞬間だ。闇の中に金属音が響いた。 狐火だ。襲い来たった鎖を彼の剣がはじいたのである。 「何かいる! 上です」 狐が叫んだ。彼の超人的な聴力が天井に蠢く微かな音をとらえたのだった。 はっとして開拓者達は顔をあげた。呪火に照らされ、淡く、天井にはりついた異様なモノの姿が浮かび上がっている。 それは人に見えた。が、真っ白な顔にはまるで表情というものがなかった。さらに異様なものは手足であった。手とも足ともつかぬ細長いものが十本、天井の岩肌をつかんでいる。その一本の手から鎖がだらりとぶら下がっていた。 同じ時、ヘルゥも足をとめていた。彼女の前にするすると不気味なモノが進み出て来たからだ。 それは人形のように見えた。無毛の頭部の中で、無機質な眼がじっとヘルゥを見つめている。 「何じゃ、おまえは」 ヘルゥの頭を一瞬よぎったものがある。ある噂だ。 遺跡には人形が潜んでいるという。その人形の中には自爆したり、鋼線で自由に動くモノが存在するらしい。 ヘルゥの手が腰の刀にのびた。 刹那だ。人形が跳ねた。眼にもとまらぬ速さでヘルゥに飛びかかる。 わあっ、と。ヘルゥの口から驚愕の声がもれた。人形の胸がぱかりと開いたのを見とめた故である。その開口部には獣の顎の如く刃が仕掛けられていた。 ガチィ、と耳障りな音が響いた。 人形の開口部は閉じられていた。そして、そこに一本の刃が突き入れられていた。 「勝手に動くなっていわれていただろう」 慧介が刃をひいた。どたりと人形が落ちる。 が、すぐに人形が身を起こした。確かに慧介の刃は人形を貫いたはずなのだが、損傷を負った様子は見えない。 「ほう」 慧介の顔からすうと表情が消えた。その身から立ち上るのは凄絶の殺気である。 「まだ動けるとは。‥‥微塵に砕かなければならないようだな」 ● 十本腕の人形の腕が三本動いた。風を切る音は三つ。苦無に似た刃だ。 咄嗟に狐火が跳び退った。が、すべての刃をかわすのは、さしもの狐火の体術をもってしても不可能であった。 三条の刃光が狐火の身体に吸い込まれ―― 夜の星にも似た火花が散った。 刃ははじきとばされている。ゼタルが現出させた漆黒の壁によって。 「痛みを感じず、恐れもなく向かってくる相手、か。興味は尽きないが、解剖はまたの機会だな!」 ゼタルの手に符が現れた。呪紋は風。術式は斬。斬撃符だ。 と、その手に鎖が巻きついた。十本腕の人形の別の腕から放たれたものだ。ミシリ、とゼタルの腕が軋んだ。 その時、きらと光がはねた。鎖が砕ける。メヒであった。 大丈夫か、とメヒがちらりとゼタルに眼をむけた。再び天井にもどした彼の眼は、天井を這う影の腕が動くのを認めた。 ぽとり、と。床に落下したのは、その影の腕であった。刃を振り下ろした姿勢のまま、雪刃は背で告げた。 「スハイル君のところに」 雪刃がわずかに顔をむけた。そこには彼女には珍しい微笑がういている。 「仲間なんだから。任せてよ」 「すまん」 メヒが身を反転させた。疾駆する。 小さな影が跳んだのは、そのメヒの背をめがけてであった。 「メヒ殿、危ないのじゃ!」 ヘルゥが叫んだ。同時に狐火とディディエに指をむける。驚くべきことに、この獅子の少女は戦場の全体像を把握し、かつ的確な判断をくだすことができるのだった。 「狐火兄ぃはメヒ殿を。ディディエ兄ぃは天井の人形を!」 わかりました、という声はひとつ。すでに狐火の身は空に舞っている。壁を蹴り、その反動を利用してさらに跳ぶ。狐火が小さな影に躍りかかり――くるりと小さな影が身を翻らせた。 狐火の刃が人形を貫いたのと、人形が彼にしがみついたのが同時であった。次の瞬間、人形が爆発した。 「ぬう」 さすがにディディエの顔から笑みが消えた。その手から放たれたのは眩い雷光であった。 ● 「スハイル!」 メヒがスハイルを抱き起こした。側には砕かれた十本腕の人形の残骸が転がっている。 「メヒ‥‥様」 うっすらとスハイルが眼を覚ました。微かな微笑が、その血の気のない頬に刻まれる。 「きっと‥‥来てくれると」 スハイルの声が途切れた。すでに息はない。 「だめ!」 霞澄がとびついた。形振りかまわぬ真剣さであった。スハイルの胸に手をおく。呪を唱えた。 「逝ってはだめ! 戻ってきてください!」 「そうだ」 雪刃が身を捻った。群がる人形の只中で回転。刃は旋風の如く吹き荒れて。 する、と慧介が進み出た。 「感知できぬ以上、アヤカシではないな。とまれ、砕く!」 「今のうちじゃ! 慧介兄ぃと雪刃姉ぇが人形どもを防いでいる間に」 「わかっています」 ゼタルが狐火の身体を担ぎ上げた。人形の爆発によって瀕死の重傷を負ったが、霞澄の手により回復を遂げている。 同じくメヒもスハイルを担ぎ上げた。 「ゆくぞ。砂漠の太陽が待っている」 「はい」 小さく、しかし確実にスハイルは肯いた。 |