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■オープニング本文 ● それは、オリジナル・サンドシップをめぐる攻防のはじまる数日前のことであった。 アル=カマル。広漠たる大砂漠を前に、ぬうっと立つひとつの影があった。 ねじくれた二本の角に血濡れたような真っ赤な眼。漆黒の体躯は小山のよう。まさに悪念が結実したような禍々しい存在。鬼であった。 名は羅刹童子といい、弓弦童子配下の上級アヤカシであった。かつては単独にて修羅の里を襲い、強大な戦闘力をほこる修羅達をも恐怖の底に叩き込んだ恐るべきモノだ。 「あいつが、そうか」 ニヤリとすると羅刹童子は地を蹴った。砂塵を巻き上げつつ、黒い颶風と化して馳せる。 砂上にあることなど無関係であるかのように、その疾駆には一瞬の澱みもない。瞬く間に羅刹童子はオリジナル・サンドシップとの距離をつめた。 その羅刹童子の圧倒的な殺気に触発されたか、砂を蹴散らして異形が現出した。包帯を巻いた干からびた死霊、そして三つの蠍の尾をもつ半猫半蠍。マミーとジャバト・アクラブである。 さらにはオリジナル・サンドシップからも翼あるアヤカシが飛び立った。 真紅の魔鳥に人面有翼の異形。パンヴァティー・ガルダとハーピーであった。 奇怪な雄叫びをあげて砂漠のアヤカシ達は羅刹童子に襲いかかった。天儀のアヤカシである羅刹童子のことを無論彼らは知らない。 「出やがったなあ!」 哄笑をあげて羅刹童子がアヤカシの群れに飛び込んだ。拳でマミーを砕き、蹴りでジャバト・アクラブを吹き飛ばす。手から放出される瘴気塊により次々と空のアヤカシが撃ち落とされていった。 「はっはは。弱い、弱いぜぇ」 群がるアヤカシを一蹴し、羅刹童子はオリジナル・サンドシップに迫った。下級アヤカシなど羅刹童子にとっては物の数ではないようであった。 「ぶっ潰してやるぜぇ!」 さらにオリジナル・サンドシップに迫ろうとし―― 突如、羅刹童子の足がとまった。その眼前で砂が渦を巻いている。 「何だ?」 「とは、こっちの台詞だ」 声は砂の渦の中から聞こえた。 次の瞬間、砂の渦が消えた。後には凄麗たる一人の若者の姿があった。 黒髪紅瞳。嘲るような笑みをうかべた相貌は端正だ。白の衣服から覗く肌は浅黒く、大量の装身具を身につけている。 一見したところ、若者はアル=カマルの有力氏族の族長のようであった。が、若者は断じて人間ではなかった。不気味なことに、後頭部からは蠍の尾が生えている。 若者は問うた。 「何者だ、貴様。砂漠では見かけぬアヤカシだな」 「俺は羅刹童子。天儀のアヤカシだ。貴様は? 他のクズと違って、少しはやるようだな」 「俺はネフェルト」 若者――ネフェルトはニヤリとすると、 「ジャバト・アクラブどもを可愛がってもらった礼はさせてもらうぞ」 「やってみろよ」 羅刹童子の姿が消失した――ように見えた。一瞬後、ネフェルトの前に現出する。 「はっはは、死ねえやぁ!」 羅刹童子は凄まじい破壊力を秘めた拳をはしらせた。対するネフェルトは茫然と佇んだままだ。 「ぬっ」 呻く声は、しかし羅刹童子の口からあがった。彼の拳はネフェルトの胸をぶち抜いている。いや―― 羅刹童子の拳は飲み込まれていた。砂と化したネフェルトの胸に。 それだけではない。いくらもがこうとも羅刹童子の腕はネフェルトの胸からは抜けなかった。 「ふふふ。貴様では俺には勝てぬ」 笑みをさらに深くすると、今度はネフェルトが手刀を疾らせた。指は禍々しくも漆黒に染まっている。 「お待ちください」 声に、ぴたりとネフェルトの手刀がぴたりととまった。羅刹童子の首寸前で。 「羅刹童子様。ラマ・シュトゥ様がお待ちです」 声の主――小さな鼠に似たアヤカシが告げた。 ● きらりと光が散った。 光の正体は宝珠である。放ったのは妖艶な女の上半身と鳥の下半身をもつ上級アヤカシ。オリジナル・サンドシップの主たるラマ・シュトゥだ。受け取ったのは羅刹童子である。 「こいつが、あれか。牌紋の宝珠か」 羅刹童子は掌の上で光る宝珠を見下ろした。 牌紋の宝珠。 第三次開拓時、牌紋なる魔神が開拓者の手により消滅させられた。牌紋の宝珠とは、その消滅したはずの牌紋が封じられていると思しき宝珠であり、その強大な力が秘められているらしいが、それが真実であるかどうかは羅刹童子は知らない。ただ弓弦童子が異常な執念をもって求めていることだけは確かであった。 「そうだよ」 肯くと、ラマ・シュトゥは燃えるような眼をむけた。 「そんなものでよけばくれてやるよ。けれどただというわけにはいかない」 「わかっているさ」 羅刹童子は顔をあげた。 空に何か、いる。 十メートルを超す体躯。人など簡単に飲み込んでしまえるほどの巨大な口をもっている。 朧大瀧。かつて冥越を滅ぼした冥越八禍衆一体である上級アヤカシであった。 「好きに使ってくれとよ」 「ありがたいねえ」 口の端をつりあげると、ラマ・シュトゥは眼に濡れた光をうかべ、 「で、あんたはどうするつもりだい?」 「喰らう」 「喰らう?」 「ああ。何でもアル=カマルにはエルフってのがいるそうじゃねえか。どんな味がするのか喰らってみてえ」 「いいさ。好きにしなよ」 ラマ・シュトゥはニンマリした。返す羅刹童子の笑みは、血に酔ったような魔性のもので。 ここに、連合軍が成立した。アル=カマルと天儀という二つの世界のアヤカシより成る連合軍が。 目的はただ一つ。 世界を血で染めあげよ! ● 「見たことのないアヤカシだと?」 岩のような声が発せられた。 声の主は壮年の男。精悍な相貌は狼を思わせた。 メヒ・ジェフティ。ベドウィンの有力なシャイフ――族長であり、アヌビスであった。 はい、と肯いたのは十八ほどの若者だ。メヒの手下の一人で、名をシャーヒーン。その名のとおり鷹のアヌビスであった。 シャーヒーンはいった。 「おそらくは天儀よりわたってきたアヤカシ」 「天儀より?」 メヒの眼が怪訝そうに細められた。 「わかった。では開拓者ギルドに依頼を出せ。彼らなら扱いなれているだろう」 ● 二階建ての家屋を軽々と飛び越えた緑色の巨体が、地響きたてて地に降り立った。 「熊若の馬鹿が。一匹踏み潰しやがった」 緑色の巨体――熊若と呼ばれた鬼の肩にのった、これは小柄の鬼がいった。こちらは金色の毛に包まれている。得物は長い棍棒であった。 「エルフとかいう奴をいっぱい捕まえてこいって、羅刹童子様がいっていただろう?」 「すまねえ、猩猩丸」 がりがりと熊若は頭をかいた。 |
■参加者一覧
梢・飛鈴(ia0034)
21歳・女・泰
葛切 カズラ(ia0725)
26歳・女・陰
霧崎 灯華(ia1054)
18歳・女・陰
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
オラース・カノーヴァ(ib0141)
29歳・男・魔
溟霆(ib0504)
24歳・男・シ
ルー(ib4431)
19歳・女・志
椿鬼 蜜鈴(ib6311)
21歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ● 砂を蹴散らし、灼熱の太陽の下を疾走する者がいる。 八人の開拓者。彼らはラクダの背に跨っていた。 「えるふ、か」 呟いたのは妖艶な娘であった。 通常人ではない。薄紅色の髪から突き出ているのは、二本のねじくれた角。娘は龍の神威人であった。名を椿鬼蜜鈴(ib6311)という。 蜜鈴は婀娜っぽく煙管を口からはなした。 「都で見かけたことがあるが、まるで兎の様じゃの?」 「兎、か」 口髭に眼鏡という、一見したところ学者然とした男が苦笑をうかべた。やはり蜜鈴は神威人だけあって動物に例えると思ったのだ。自分ならさしずめ妖精というところ―― 男の名はオラース・カノーヴァ(ib0141)といった。魔術師であるのだが、その事実を知った時、人は首を傾げるかもしれない。オラースの瞳にはどこか物騒な光があったからだ。 と、オラースと同じく苦く笑った者がいた。男で、年齢はさらに若く二十歳そこそこに見える。しなやかな肢体には強靭な発条が秘められていそうであった。 男――溟霆(ib0504)は臆面もなくいいはなった。 「どうせならアヤカシよりも麗しい兎――エルフの歓待を受けたいのだがね」 「そうは上手くいかなくてよ」 二十歳半ばの娘がくすりと笑った。蜜鈴と同じく煙管を手にしている。年齢は上であるようだ。そのせいばかりではあるまいが、実に艶かしい。 「お楽しみはアヤカシを斃した後で、ね」 自身、楽しむところがあるのか、夢見るような表情を葛切カズラ(ia0725)という名の娘は顔にうかべた。 そう、彼女は楽しみにしていた。鬼と戦うことを。いや、鬼と遊ぶことを。 アレが尖って突き刺さって、すると鬼のアレが私に巻きついて貫いて――妄想は果てしなく膨らむ。 その隣では、カズラの想いも知らぬげに、一人の娘が大仰に溜息を零していた。 少女のような相貌の可憐な娘だ。長い髪を三つ編みにしている。手足は細いが、外套の胸元から覗く双球は豊かであった。 「鬼カ‥‥わざわざこっちまで出張とは、勤労意欲旺盛だコト」 娘――梢飛鈴(ia0034)は呆れたかのように慨嘆した。 と、その飛鈴の言葉に対し、ふんと鼻で笑った者がいる。 娘だ。飛鈴と同じ年頃に見えるが、顔立ちそのものはもっと幼い。が、その顔に浮かんでいる冷笑の凄まじさはどうだ。名は霧崎灯華(ia1054)というのだが――。 禍々しい巨鎌を肩に、灯華は誰にともなく告げた。 「天儀のアヤカシって事は負け犬の小物よね。サクッと片付けちゃいましょ♪」 絶大なる自信であった。が、それを思い上がりとは思わせぬ凄絶の殺気を、この小柄の娘はまといつかせていた。 そうね、と肯いたのは、おそらくこの開拓者中、最も端麗で、かつまともな神経の持ち主であった。 娘だ。年齢は飛鈴と同じほど。かつ肢体も同じように華奢で、胸は大きい。が、飛鈴とは決定的に違う点があった。 それは、彼女の瞳である。深い哀しみがやどっていた。 寂しき一角馬の獣人。娘の名はルー(ib4431)といった。そして―― この時も、ルーは今回の一件が己の責であるかのような発言をした。 「天儀のアヤカシは、天儀から来た私達が蹴りをつける。私達が道を開いた事で連れてきたようなものだから、ね」 ああ、と。 同意した、誇り高き馬鹿はもう一人いた。十代半ばほどの少年だ。が、その眼の鋭さはとても若年のものとは思えない。――竜哉(ia8037)であった。 「鬼如きが他所の儀にまで来やがって。‥‥これ以上、他所の儀の者――エルフに迷惑をかけられるかよ」 竜哉はぎりりと歯を軋らせた。そしてラクダの腹を蹴った。感情の制御に長けた彼としては珍しい反応だ。 そう。自らを化物と呼んではばからぬ彼の唯一の弱点があるとすれば、これであった。 民人が虐げられた時。その時こそ、彼は竜となる。悪を喰らい尽くす荒ぶる竜に。 竜と鬼。死闘が繰り広げられる時は、もうそこまで迫っていた。 ● あっ、と愕然たる声がエルフの口からあがった。 ナイフの先端が緑色の肉体におしつけられている。が、ナイフが裂いたのは皮膚のみで。 緑色の巨体が身動ぎした。鬼の顔がエルフを見下ろす。 「ふんっ」 緑色の鬼――熊若が拳を振り下ろした。凄まじい衝撃にエルフの頭蓋が陥没する。馬鹿が、という声が熊若の肩の上から響いた。 罵声を発したのは小柄の鬼であった。金色の体毛が全身を包んでいる。異様に長い棍を携えていた。 「また一匹潰しやがった」 「すまねえ、猩猩丸」 「うるせえ」 猩猩丸と呼ばれた金色の鬼が、熊若の肩の上から跳んだ。地に降り立つなり棍を回転。一気に三人のエルフを薙ぎ倒した。 「他のエルフを捕まえてこい、熊若。今度はぶっ潰すんじゃねえぞ」 「わかった」 肯いた熊若の巨体がすうと沈んだ。 次の瞬間である。砲弾のように熊若の巨体が空にはね飛んだ。 集落の家屋を一つ――いや、三つ飛び越え、熊若の巨体が地に降り立った。衝撃に、地が陥没する。 きゃあ、と悲鳴があがった。女のエルフだ。少女の手を握っている。 「いやがった」 ニンマリ、と熊若が笑みをうかべた。 刹那である。銀光がはねた。 「ぬっ」 熊若の口から呻きがもれた。その顔に血筋がはしっている。苦無によるものだ。 熊若の眼がぎろりと動いた。 「おまえは」 「梢飛鈴。開拓者、ダ」 投擲の姿勢のまま、三つ編みの娘は名乗った。 ● 「くくく。こいつで十匹」 薄く笑い、猩猩丸は踏みつけているエルフの少女を見下ろした。 「さあて。もう少し捕まえておくか」 猩猩丸が地を蹴った。滑るように疾駆する。と―― 猩猩丸の足が突如とまった。一陣の風が吹き、彼の前に茶黄色の砂塵を巻き上げているのだが―― 猩猩丸の鬼の本能が察知した。その砂塵のむこうに、恐るべき敵がいる、と。 やがて砂塵が消えた。その後に、六つの人影があった。 「何だ、おめえら」 猩猩丸が問うた。 「開拓者」 艶然と娘――カズラが微笑った。 「ジルベリアの時も民間人誘拐してるヤツが居たけど、コッチでもやるのね〜。――邪魔してやるわ」 「できるか、女」 「できる。そうそううぬの思い通りにはさせぬよ」 蜜鈴の手がゆっくりと上がった。のばした指先が銃口のように猩猩丸を狙っている。 ちらり、と猩猩丸の眼が動いた。背後に倒れているエルフの少女の位置を確認する。 その動きを見とめた開拓者が一人いた。灯華だ。 灯華は嘲るように美しい顔をゆがめると、 「天儀から逃げて来た負けアヤカシさん、弱いもの虐めしかできないのかしら?」 告げた。 それは挑発だ。己にむかっって来させるための。 灯華は猩猩丸を一目見た時から、その性根を見抜いていた。外道はいつも弱いものを盾とする。 「かかってきなさい。あたしが遊んであげる」 濡れた舌がのび、灯華の唇をぬめりと舐めた。娘とは思えぬ淫蕩な仕草だ。 その瞬間、猩猩丸が跳んだ。灯華にむかって――いや、背後に。倒れているエルフの少女にむかって。 ● 熊若の眼にゆらりと殺意の炎が燃え上がった。 「邪魔するなら殺す」 熊若が動いた。巨体からは想像もつかぬ迅さで飛鈴に迫る。 ぶん、と唸りをあげて熊若の拳が叩きこまれた。はじかれたように飛鈴が跳び退る。その顔面をかすめて熊若の拳が疾りすぎた。 地に降り立ち、再び身構えた飛鈴であるが。その頬からたらりと血が滴り落ちた。かすめた熊若の拳の衝撃波により、飛鈴の頬がぱっくりと裂けてしまったのだ。信じられぬ熊若の拳の威力であった。 「一撃当れば即終了カ」 飛鈴が頬の血を拭った。鮮血とともに冷たい汗が流れ落ちている。 熊若の拳は想像を絶して重い。そして、迅い。咄嗟に裏一重を発動していなければ、今頃はどうなっていたか。 「スリルはあるガ、何回もやりたい事じゃねーアルな、コイツは」 「ぐふふ」 熊若が再びニンマリした。鼠を追い詰めた猫の心境なのであろう。 「何が可笑しい?」 声に。いや、吹きつける灼熱の殺気に、熊若の動きがとまった。振り向く。 「おまえも開拓者か」 「竜哉」 殺気の主は咆哮をあげた。空間を震わせるそれは告げている。貴様を滅すると。 「おまえ!」 熊若が完全にむきなおった。そして竜哉に襲いかかった。 「地獄におとしてやる!」 「何を勘違いしている」 竜哉の眼がぎらりと光った。そして抜刀した。 「俺がいるのはすでに地獄。地獄に落ちるのは、貴様だ!」 ● 開拓者の実力は、主である羅刹童子から聞かされていた。 羅刹童子配下最強と噂された羅刹女ですら葬り去るほどの手練れ揃い。まともに戦うつもりはなかった。 空で身を捻り、猩猩丸が倒れたエルフの少女の上に舞い降りた。棍が稲妻の速度で疾り―― 戛然! 空で火花が散った。そして猩猩丸の口から驚愕の声がもれた。 彼の棍が受け止められている。細身の剣の刃によって。 「馬鹿な」 猩猩丸の眼が、信じられぬものを見るようにカッと見開かれた。彼の襲撃速度を超えて反応できるものなどいるはずがない。が―― いた。猩猩丸は見出している。金色の煌く瞳の娘が彼の棍を受け止めている様を。 「速さなら負けない」 娘――ルーの右手が動いた。眼にもとまらぬ速さで宝珠銃の銃口をむける。猩猩丸の胸をポイントした。 「ぬかせ!」 猩猩丸の棍が閃いた。ルーの銃をはじきとばす。そのまま棍は回転し、旋風のようにルーを襲った。 反射的にルーは跳び退った。エルフの少女を抱えて。が、遅い。エルフの少女を抱えたことによりルーの行動速度は著しく低下していた。 「くっ」 ルーの口から苦鳴とともに大量の息が吐き出された。腹に猩猩丸の棍がぶち込まれている。小柄といっても猩猩丸は鬼だ。渾身の一撃は人間の身体など容易にぶち抜く。 しかしルーはさらに跳び退った。猩猩丸の棍の威力が半減されていたからだ。 猩猩丸の身体に、地を這った影がのびていた。驚くべきことに、その影が猩猩丸を呪縛していた。影の先には一人の男が印を組んで佇んでいる。 「影縛り」 男――溟霆は嘲るように笑った。 「なかなか面白い術だろう?」 「ぐおっ」 猩猩丸が吼えた。呪縛を振りほどく。そして身を折ったまま動けぬルーを再び襲った。 「させぬ!」 蜜鈴が指をむけた。指先の空間に光る魔法円が展開。聖なる力を宿らせた光の矢が指先から放たれ――魔法円が消滅した。 「しまった!」 蜜鈴が呻いた。ホーリーアローを放つに、彼女の練力は不足していたのであった。 その間、猩猩丸の襲撃は続いていた。棍がルーの頭蓋を打ち砕くべく振り下ろされる。 口から血を噴きつつ、ルーは身を後退させた。その身体の寸前の空間を切り裂くようにして棍が打ち下ろされた。 「おのれ」 猩猩丸は歯噛みした。その手に蔦のようなものがからみついている。式だ。 ニヤリ、と灯華が笑った。 「あたしが遊んであげるっていったでしょ」 「あら。三人で遊ぶのも面白いわよ」 カズラが空間に複雑な紋様を描いた。 次の瞬間である。空間を突き破るようにして異様なモノが現出した。蛇に似た触手だ。 触手は空を飛び、猩猩丸の身体に喰らいついた。 「ぎぎぃ」 猩猩丸の口から、耳を塞ぎたくなるような不気味な声が発せられた。式が打ち込んだ神経毒が彼の身体を蝕みつつあるのだった。 「く、熊若!」 猩猩丸は絶叫をあげた。 ● 竜哉がひらりと身を躱わした。熊若の眼の配りや身ごなしを読んだ上での行動だ。 が、凄まじい衝撃が竜哉を襲った。熊若の拳がかすめたのである。 確かに竜哉は熊若の動きを読んだ。が、その行動速度は飛鈴が裏一重を使わねばならぬほど迅速で。読めたとて、おいそれと躱せるものではなかった。 その時だ。 絶叫が響いた。猩猩丸のものだ。 一瞬だが熊若の動きがとまった。跳躍の姿勢。猩猩丸のもとに飛ぶつもりだ。 ゆかせてなるものか! するすると熊若の背後に回り込むと、飛鈴は熊若の膝の裏に脚を叩き込んだ。 「ぐおっ」 さすがにたまらず熊若がよろめいた。その時、すでに飛鈴の姿は空にある。 「旋蹴落!」 重い鉈の一撃にも似て。空間を切り裂きつつ飛鈴の踵が薙ぎ下された。熊若の頭蓋めがけて。 岩と岩が相搏つような轟音が響いた。 「うっ」 ひび割れたような声は飛鈴の口から発せられた。ぶち込んだ彼女の踵は熊若の巨木のような腕によって受け止められていたのだ。 強烈な飛鈴の一撃は熊若の腕の筋肉をひしゃげさせた。が、潰すまでには至っていない。 熊若の右手が飛鈴の足を掴んだ。ぐしゃりと握り潰す。 「死ねえ!」 熊若が飛鈴の身体を振り回した。地に叩きつけるつもりだ。 「させねえ!」 疾風と化して竜哉が殺到した。全精魂を込めた一刀は、光の尾をひいて上段から真一文字に薙ぎ下されて。 熊若の腕が飛んだ。飛鈴を掴んだ方の腕だ。が―― 同時に放たれた熊若の拳が竜哉の顔面に吸い込まれていた。 ● 「仲間は呼ばせん」 オラースが杖をむけた。竜の装飾が施された魔杖である。 彼の脳裏には、集落に放置されたエルフの骸の映像があった。わきあがる怒りの情を、しかしオラースは胸の奥に沈めた。今は精神集中が必要だ。 「アークブラスト!」 呪唱。魔術回路と化した杖の先端から紫電が迸り出た。 「ぐぬうっ」 雷に身を灼かれつつ、しかし猩猩丸もまた棍を振った。地を切り裂きつつ衝撃波が疾り、今度はオラースの身体をうちのめした。 「しぶといのう」 蜜鈴は魔術紋様を変えた。描くのは火の術式である。 「ちと大人しゅうし居れ」 蜜鈴の前に展開された魔法円から火球が吐き出された。そうと知りつつ、もはや猩猩丸は身動きもならない。飛来した炎塊によって黄金色の身体が燃え上がった。 と―― 突如、猩猩丸の苦鳴がやんだ。その胸を溟霆の刃がえぐっている。 いつ襲ったのかわからぬ。それはシノビにのみ成しうる瞬殺の業であった。 刹那だ。落雷に似た音をたてて緑色の巨体が舞い降りてきた。熊若だ。 「猩猩丸よお」 熊若が猩猩丸を抱き上げた。そして跳躍。 と、符水を飲み干したオラースが立ち上がった。ゆらりと持ち上げた魔杖を、まるで狙撃するかのように飛翔する魔影にむける。 「逃すつもりはないのでな。アークブラスト!」 撃つ。魔術によって生み出された雷は地から天に流れて。が、熊若は堕ちない。 「ふふ。強靭なのは好きよ」 カズラの唇の端がつっと動いた。灯華は冷酷に。鬼よりもなお陰惨に笑った。 「この一撃、耐えられるかしら?」 こたえたのは怨嗟の声。二体の禍々しき式神が死を運んでいった。 ● 二匹の鬼は死んだ。が、開拓者も無傷というわけではない。 「さて、えるふの方々は無事かの?」 蜜鈴はルーのもとに歩み寄っていった。そして彼女が守ったエルフの少女を抱き起こした。 するとエルフの少女が眼を開いた。そして大きな声で泣き出した。 「もう大丈夫じゃ」 蜜鈴がエルフの少女を抱きしめた。震える暖かいそれは、命の温もりであった。 |