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■オープニング本文 ● 不動寺。 宗教国家ともいうべき東房の都である。 その不動寺の海にほど近い山頂に豪壮な建築物があった。天輪宗本山不動寺である。 重い溜息は、その不動寺内に聳え立つ塔内部からもれた。 もらしたのは男。年齢は四十半ば。身形からすれば僧であろうか。 が、袈裟をまとっていてもわかる体躯はとても僧のものとは思えない。鋼の筋肉を身にまとわせていることは明白であった。 さらに、その眼光。白髪白髭は年齢に似合わぬものであったが、その眼には虎の如く炯たる光をうかべている。 男の名は天輪大僧正。東房に君臨する天輪王であった。 「天陽宗、か」 天輪王の口から石のような声がもれた。 現在、彼の頭を悩ませている大きな問題があった。それは魔の森の侵食である。 すでに国土の半分以上は魔の森に覆われ、各地への街道は魔の森とアヤカシによって寸断されてしまっていた。故に食料は漁業と海上輸入、各種税収は他国信者からの寄進に頼っているという有様である。 そのような切迫した状態の中、さらなる問題がもちあがった。それが天陽宗である。 天陽宗とは、東房辺境にある霞寺において突如流行りだした宗教である。教義は人と精霊との共存を説くものであるらしいが、詳しいことはわからない。ひとつ確かなことは、その天陽宗がおそるべき早さで東房に広がりつつあることだった。 通常、このような場合は調査のために僧を派遣する。そして対象の宗教が天輪宗にとってあまりに害あるものと判明したなら何らかの対処をおこなう。その対処方法であるのだが。 天輪王は迷った。僧を派遣することについてである。 理由はふたつ。僧の数と天輪宗内部の強硬派の存在であった。 魔の森とアヤカシに対処するため、優秀な僧はすべて不動寺から出払っている。新興宗教調査にまわす人手はなかった。 さらに迂闊に僧を使い、その結果が天輪宗強硬派の知るところとなった場合、どうなるか。 強硬派の僧達は特に忠誠心が高く、信仰心も高い。が、それ故に一度天輪宗にとっての敵とみなした場合、手段を問わないところがある。最悪の場合、他宗への弾圧につながりかねぬ危険性があった。 そのような悲惨な事態を引き起こしてはならない。そう心に定めると、天輪王は侍僧を呼んだ。 「開拓者に依頼を。天陽宗を調べるに、僧を使うまでもあるまいからな」 |
■参加者一覧
赤銅(ia0321)
41歳・男・サ
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
八十神 蔵人(ia1422)
24歳・男・サ
かえで(ia7493)
16歳・女・シ
狐火(ib0233)
22歳・男・シ
マックス・ボードマン(ib5426)
36歳・男・砲
ユーディット(ib5742)
18歳・女・騎
宍戸・鈴華(ib6400)
10歳・女・サ |
■リプレイ本文 ● 「これが」 怪訝そうに一人の男が声をもらした。 歳は四十ほど。長身で、がっしりとしている。浪人めいて不羈奔放たる気をまといつかせていた。頼りにはなるが、何を仕出かすかわからぬ恐さがある。 男の名は赤銅(ia0321)。天輪王の依頼をうけた開拓者であった。 彼がいるのは霞寺。東房の辺境にある町であった。 その霞寺であるが。 規模は思ったより大きい。さらにいえば賑やかだ。それが赤銅に違和感をもたらした。 東房といえばアヤカシと魔の森の脅威にさらされ、今や貧しく、生きるに厳しい土地と成り果てている。現に、赤銅がここに至るまで、彼は飢えに喘ぐ幾つもの村々を見てきた。 しかるに霞寺はどうだ。通りを行き交う人々の顔には笑顔が溢れ、身形もこざっぱりとしている。とても他の村のように飢えに窮しているとは見えない。 「こいつはどういうわけだ」 赤銅は辺りを見回した。僧らしき者の姿は見えない。 「天陽宗の教義は人と精霊との共存。確か不動寺も精霊との対等な関係の実現がどうって土地だが。教義自体は表向きそう変わらん訳か」 ならば疑問がある。教えに差異がないのならば、何故総本山の教えが急速に浸食されるのだ? そこに何か大きなからくりがありはしないか。もしあるとするなら、それを仕掛けている者は誰だ? そして、その意図は? 「魔の森の拡大は天輪宗に責があるとか食い止めるには役不足だとか、不安煽れる口上が揃う土地だってのも厄介だ。口が上手いのは人間だけじゃないしな」 はだけた胸をぼりぼりと掻くと、赤銅は酒場めざして歩き出した。 ● そこは寺院というより、屋敷であった。門に看板が掲げられており、天陽宗という文字がみえた。 その門の前に立つ二つの人影。一人は二十歳なかばの娘で、もう一人は十歳ほどの少女であった。 娘の方は鮮やかな蒼いの持ち主で、着物の上からでもわかる瑞々しい肉体をしていた。ややかたい表情の顔は端正だ。 少女の方はきびきびとした身ごなしで、まるで少年のようであった。可愛らしい顔立ちであるのだが、その眼には野生の光がある。 娘は名を志藤久遠(ia0597)、少女の名は宍戸鈴華(ib6400)。共に開拓者であった。 久遠は咳払いをすると胸元にちらりと視線をおとした。 「これくらい、か」 そのようなことは慣れぬのだろう。久遠は胸元を緩めた。いつもはきつく巻いているはずのさらしはない。 鈴華が不審そうに久遠を見上げた。 「何してんだ、久遠姉ちゃん?」 「いや‥‥もぐりこむために、少し色気をだそうと思って」 「なら、そんなんじゃだめだ」 鈴華がさらに胸元を緩めた。 「だめよ。何をしているの!?」 「少しくらい見せた方がいいんだよ、男に対しては、さ」 こともなげに鈴華はいった。盗賊まがいのことをしていただけあって、若年でありながら妙に世事には長けている。おかしなことに久遠も納得して手をどけた。 「そ、そうか」 「ああ、そ」 鈴華が肯きかけた時、木戸が開いた。現れたのは男である。年齢は二十歳半ばほどであろうか。端正な顔に薄い微笑をうかべている。身形は僧侶のそれであった。 「随分と賑やかですね」 男はくすりと笑った。 「私は翠峰と申しますが。何かご用事ですか」 「説法をお聞きしたくて参りました」 久遠がこたえた。ほう、と驚いたように翠峰の眼がわずかに見開かれた。 「お若いのに宗教に興味がおありになるとは」 「何も信じられなくなったものですから」 「何、も?」 「はい」 久遠は不安そうに身を震わせた。すると代わって鈴華が口を開いた。 「そんな時に天陽宗のことを聞いたんだ。今まで信じてきた天輪宗とは違うらしいんで、どんなものか説法というやつを聞いてみたくてさ」 「そうですか」 ゆるりと翠峰は肯いた。 「よろしいでしょう。それではこちらへ」 翠峰は久遠と鈴華を屋敷に招じ入れた。木戸が大きく開け放たれる。二人は中へ―― ● 長い階段の上に門が見える。 霞寺。 霞寺における天輪宗の寺院である。 その霞寺の門を一人の男がくぐった。 二十歳ほど。六尺を超える長身だ。が、ひょろりとしているという印象はない。それは燃えるような赤髪紅瞳のせいか。それともしなやかな身ごなしのためか。 「ふふん」 境内を見渡し、男は薄く笑った。嘲りの形にゆがめられた口は男の癖であるのかもしれない。 「寂れてしもうてからに。おっ」 男の眼が輝いた。境内の隅で掃除する老僧を見つけたからだ。男は老僧に歩み寄ると、 「坊さん坊さん、この辺来たの久々やけどえらい様変わりしたみたいで。‥‥一体何があったんですかい?」 「天陽宗のせいじゃよ。‥‥そなたはどちから参られたのかの?」 「わしは北面やが。‥‥ああ、名乗るのを忘れとった。わしは八十神蔵人(ia1422)いうんやけど‥‥その天陽宗というのは何なんや」 「最近、俄かに流行りだした宗教での。多くの信徒が――というより、今では霞寺の全ての者が天陽宗を信仰しておる」 「そいつは」 変だ、と蔵人は眉をひそめた。 元々東房に住む人々は信仰に篤い。そのような人間が簡単に、それも大量に別の宗教に鞍替えするとは思えなかった。 「天陽宗がどんな宗教か知らんが、単なる教義だけで大勢が一度になびくとは思えん。何か理由があるんやないか」 「それは」 老僧は言葉を濁した。蔵人はニヤリとすると、 「おっと失礼、まずは賽銭を、と」 蔵人が懐から金子を取り出した。こういうところ、実に蔵人はそつがない。すかさず蔵人は問うた。 「で、さっきの続きやけど。理由は何や。たとえば脅しとか、または金――」 ふっ、と蔵人は口を閉ざした。 違和感を彼は一瞬だが感じ取っている。蔵人ほどの者でなければ感得できぬもの。 それは殺気であった。蜘蛛の糸のように微細な殺気が風に溶けている。 「なるほど。天輪宗は見張られているということか」 くく、と蔵人は笑った。 「こいつぁ、クロさんの鼻が疼くのう」 ● 「それほど天陽宗とは素晴らしいのですか」 にこやかに微笑んだのは彫りの深い顔立ちの美青年であった。冷たい翳のようなものがその相貌に滲んではいるが、それがかえって青年の美しさを高めていた。 そう、とこたえたのは長屋に住む女達であった。彼女達の前には青年が商っている櫛が並べられているが、どうやら女達にとって気になるのは青年の方であるらしい。さきほどからちらちらと青年の顔を盗み見ている。 「そうよ。蒼貴様のおかげでこの霞寺がどれほど豊かで平安な町になったか」 「豊かで平安‥‥」 青年は独語した。 確かに女のいうとおりだ。半日ほどではあるが、青年は霞寺を見て回ってきた。そして驚いた。 通常東房の町村は貧しい。そして魔の森の侵食に怯え、慄いている。 が、霞寺はどうだ。町に溢れているのは笑顔である。そして飢えている者など一人もいない。 青年は問うた。 「その蒼貴様というのは?」 「天陽宗の教主様よ。貴方と同じで美しい方。あの方のいうことを信じてさえいれば少なくとも食べることには困らないわ」 女は足元においた鍋を取り上げた。青年が覗き込む。 中身は何かの肉を煮たものであるらしかった。おそらく獣のものであろう。 「蒼貴様が分けてくださったのよ。食うに困っている人のためにね。――食べてみる?」 「え、ええ」 青年は口をつけてみた。あまり食したことのない味だ。何の肉かは良くわからない。 「ところで、その天陽宗は何時頃から流行りだしたのですか」 「さあ」 女は首を捻った。 「蒼貴様が霞寺にいらっしゃったのは一月ほど前のことよ」 「一月‥‥」 青年は眼を伏せた。が、女がじと見つめていることに気づくと、再び花の微笑を顔にうかべ、 「で、ここが肝心な点なのですが。天陽宗の教義とは何なのですか」 「人と精霊との共存。そして」 女はこたえた。聞き終えた時、ものに動ぜぬはずの青年の顔に驚愕の色が広がった。 青年の名は狐火(ib0233)。東房に潜入した開拓者の一人であり、この物語の鍵となる人物であった。 ● 「アヤカシとの共存!?」 呻くが如く声をもらしたのは凛然たる少女であった。 年齢は十八ほどか。品のある美貌の持ち主で、海のように澄んだ青い瞳が特徴的であった。 名はユーディット(ib5742)。ジルベリアにおいては名のあるジュノー家の娘で、本来なら宮殿にも出入りできる家柄だ。が、現在では零落し、天儀に流れて開拓者となっている。 ユーディットがいるのは安国寺。霞寺からはやや離れた村であった。 「はい」 肯いたのは若い僧であった。名を理空。 側には別の男が立っている。二十歳ほどの若者だ。僧形であるが、引き締まった肢体の持ち主であるところからみて泰拳士であるらしい。名を紫藤という。 馬鹿な、という言葉をあやうくユーデットは飲み込んだ。 彼女がききかじった天輪宗の教義とは人と精霊との共存である。そして天陽宗のそれには、さらにアヤカシが加わるのだという。 が、だ。人とアヤカシは全くといっていいほど相容れぬ存在である。アヤカシは人を餌としかみなしていない。そのアヤカシと共存などできるものだろうか。 「できるのです。天陽宗ならば。蒼貴様ならば。だから霞寺には飢えはありません。恐れもありません。どうです、貴方も一度霞寺に参られては?」 「霞寺‥‥」 迷うふりをしつつ、ユーディットは理空の表情を窺った。眼には迷いの色は全く見えない。心底から信じているようであった。 今は所用がある、とユーディットは断った。が、彼女の騎士として培われてきた勘が告げている。敵の存在を。 ユーディットと紫藤の視線がその時絡みあい、火花を散らせた。 ● 同じ頃、久遠と鈴華も言葉をなくしていた。彼女たちもまた天陽宗の教義を聞いた故である。 久遠は喉にからまる声を押し出した。 「そのようなことが‥‥できるのでしょうか」 「はい。蒼貴様ならば」 「その蒼貴様ってのに会わせてよ」 鈴華がいった。純粋素朴といえば聞こえはいいが、むちゃくちゃな少女である。さすがに翠峰も一瞬だがきょとんとし――すぐにクスリと笑った。 「面白い子だ。が、すぐに会わせるわけにはいかない」 何故、と鈴華が問いかけた時だ。一人の男が僧に案内された庭に姿を見せた。 三十ほどか。ふてぶてしさというか、侠気が服を着て歩いているような男である。 マックス・ボードマン(ib5426)と男は名乗ると、 「私は仕事がほしい。できるのはアヤカシと戦うことだ」 「それで、この霞寺へ?」 翠峰が問うと、マックスは大きく肯いた。 「霞寺が今一番勢いがあると聞いた。手伝えることはないか」 「ありませんね」 「何っ!?」 マックスの眼がきらりと光った。 「ない、とはどういうことだ。アヤカシとの戦いは僧の務めの内ではないのか」 「違います」 翠峰は微笑を深くし、首を振った。 「愚かなる天輪宗の者達ならいざ知らず、我ら天陽宗の僧にとっては」 「アヤカシと共存するんだってさ」 声が、した。鈴華の声が。 はっ、とマックスが眼を見開いた。 十年前にアヤカシとかかわったことで、その本質についてマックスは承知していた。奴らは全き悪であり、仲間内での共存すら望めぬ残忍冷酷な存在である。 その時、ふっとマックスの内にある反骨心が頭をもたげた。翠峰の薄笑いが気に障ったのかもしれない。 「ならば問いたい。貴方にとって精霊との共存とは何だ?」 「直接尋ねてみられたらいかがですか、蒼貴様に」 翠峰は慈父の如く微笑んだ。 ● 「アヤカシだと!」 叫ぶ声を耳にし、酒場で立ち上がった者がいる。赤銅だ。 村外れに出たと聞き、赤銅は駆け出した。巨躯には似合わぬ素早さで。 「あそこか」 幾人かが集まり、騒いでいるのが見えた。鉄傘を手に、赤銅は騒ぎの中に飛び込んだ。 「どこだ、アヤカシは?」 「心配はいらぬ」 応えとともに振り返った者がいる。その顔を見て―― はじかれたように赤銅が跳び退った。同時に鉄傘を一閃。眼にもとまらぬその一撃は声の主の顔面にはしり―― ぱしり、と乾いた音を響かせ、鉄傘は受け止められた。声の主の掌に。 「早まるな。アヤカシは俺が追い払った」 声の主がこたえた。それは―― 鬼であった。赤黒い肌の巨躯で、四本の腕をもっている。眼は血色で、口からは獣のもののような牙が覗いている。 「何っ!?」 赤銅は呻いた。この鬼は一体何をいっている? その時、赤銅の脇をはしりぬけていった者がいる。五歳ほどの少女だ。少女は鬼に飛びついた。 「紅角様」 「美穂か」 紅角と呼ばれた鬼が少女を抱き上げた。そして笑いかけた。 「もう心配はいらぬぞ。はぐれのアヤカシ如き、一歩たりとも霞寺には踏み入れさせはせぬ」 紅角が眼を転じた。その謎めいた視線をまっすぐに赤銅が受け止めた。 ニヤリ、と。赤銅が笑った。 それは赤銅すら気づかぬ、獣めいた笑みであった。 ● 闇には若葉の匂いが溶けていた。涼やかな漆黒。 と―― ふっ、と気配がわいた。ややあって気配は実体をむすぶ。 それは美しい少女であった。十代半ばほど。開花直前の蕾を思わせる可憐さと艶をあわせもっている。 名はかえで(ia7493)。八人めの開拓者であった。 かえでは先ほどからじっと岩山を見上げていた。 霞山。その頂に蒼貴が住まう天陽宗霞寺がある。至る道はひとつしかない。 「やっぱり潜り込むしかないかなぁ」 かえではやや後悔していた。潜入するにあたり、狐火の力を借りなかったことを。 実は狐火は一緒に行こうと申し出てくれたのだ。が、それをかえでがはねつけた。つまらぬ意地をはって。いや、甘えてしまうのが恐かったのだ。 「大丈夫。独りでも」 かえでは足を踏み出した。練力により増幅された視力は闇を見通す。小さな足音だけをたてて、影のようにかえでは霞山をのぼっていった。 と―― かえでの足がぴたりととまった。何者か、いる。 「ほう」 笑みを含んだ声がした。 「わかったらしいな」 「娘」 別の声。 「ここは聖地だ。許しなく立ち入ることはできぬ」 「くっ」 かえでは卵の殻を投げつけた。それは地で割れ、白煙のようなものを舞い散らせた。灰だ。 「おっ」 狼狽の声が二つあがった。その隙にかえでは背を返している。いや―― すぐにかえでは足をとめた。眼前に立ちはだかる影がある。 「ふんっ」 かえでが跳んだ。軽々と空に舞う。同時に影もまた跳んでいた。 飛翔する黒の鷺と隼。鷺の翼が閃いた。が、隼の爪の方が鋭くて。 地に降り立ったかえでが身を折った。腹に拳の一撃を叩きこまれていた。叩き込んだのは影である。 「女故、此度は見逃してやる。が、次はないぞ」 影がいった。かえでは苦痛にゆがむ顔をあげると、問うた。 「何者なの、貴方達は?」 「琥珀四天王」 影はこたえた。 |