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■オープニング本文 ● 「これが」 若者が声を途切れさせた。 精悍な風貌は若い狼を思わせる。金色の瞳を爛と光らせた彼の名は羅生丸といった。 その羅生丸の額からはぞろりと二本の角が生えている。が、鬼ではない。彼は修羅であった。 羅生丸の眼前には一人の少年の姿があった。背丈は羅生丸の半分には満たないだろう。が、その小さな身体にひそむ気は強大であった。酒天童子である。 「これが」 再び羅生丸は呻いた。呻かざるを得ない。 修羅すべてが待ち望んでいた鬼の王。それがこのような小僧であったとは。 どうしても信じられない。もし今戦えば、眼前の少年を斃すことなど赤子の手をひねるようなものであろう。いや、修羅の子供であってもそれほどの難事ではないであろう。 「本当にお前が酒天童子か」 「そうだ」 少年が肯いた。そして告げた。 「お前に頼みたいことがある。修羅の隠里まで案内してやってくれないか」 「修羅の隠里まで?」 「ああ。あいつを」 酒天童子がちらり眼をむけた。 開拓者ギルドの中。奥に一人の男が座していた。三十ほどで、穏やかな風貌の持ち主であった。 大伴能宗。ギルド長である大伴定家の家人であった。 「隠里の長と話がしたいんだと」 「馬鹿な」 羅生丸はわずかに口をゆがめた。 修羅と人の間には深き因縁がある。かつて人は酒天を騙して封印した。そして邪魔な修羅を迫害したのだ。 多くの修羅が殺された。残ったわずかな修羅は生きるため、隠れるしか方法はなかった。 何故修羅が隠里にひそむ必要があったか。すべては人のせいである。生き残りの修羅の血には今も人に対する怨念が刻み込まれているのだ。 それをを今になって話をしたいと? 何を話す必要があるのだ。 馬鹿な、と繰り返すと、 「俺がここに来たのは人を隠里に連れて行くためなどではない。酒天童子。あんたに会うためだ。修羅すべての夢があんたにかかっている」 「わかっている。が」 酒天童子はがりがりと頭をかいた。 「それはいずれのことさ。その前にあいつを隠里まで連れていったやってくれ。もう数個年も待ったんだろ。あと数日くらいどうってことはない」 「‥‥わかった」 不承不承といった態で羅生丸は肯いた。そして能宗に挑むような眼をむけると、 「酒天童子の頼みだ。里まで案内してやる。が、里は冥越の中だ。簡単には辿り着けない。覚悟しておけ」 「わかった」 能宗が立ち上がった。羅生丸の刃のような視線を受け止めると、 「しかし私達はやらなければならない。今、天儀には人と神威人がいる。そこに、もしかすると新たな友が加わるかもしれない。素晴らしいことだとは思わないか」 ● 「まずいことになった」 苦々しく呟いた者がいる。 老人だ。眼に冷たい光がある。藤原保家であった。 「羅生丸なる修羅が大伴能宗を修羅隠里まで案内することとなった。知っておるか、芦屋?」 「はい」 娘が肯いた。 年齢は二十歳半ばほどであろうか。理知的な相貌の美しい娘である。 藤原保家側用人、芦屋馨であった。 「護衛の家人数名と開拓者を伴うとも聞いております」 「芦屋よ。もう一度お主に働いてもらわねばならぬ」 保家が馨の眼をじっと見た。 「共にゆけ。手筈はわしがととのえる。そして隙あらば‥‥」 「隙‥‥あらば? いかがするのでございますか」 「能宗に深手を負わし、引き返させるのじゃ」 保家はいった。 「人と修羅との和議。何としても防がねばならぬ」 「それは」 馨は言葉をなくした。 ● 「羅生丸を喰らうじゃと?」 人骨を敷き詰めた寝床に身を横たえた小柄な少女が笑った。 可憐とも見えるその姿形。が、その身から漂う瘴気は空間を歪ませるほど濃密なものであった。 「ふん」 こたえは闇の中から響いた。膨れ上がった瘴気は少女のそれにも劣らぬ凄絶なもので。 少女のいう羅生丸とは修羅であった。安須大祭で賑わう町に現れ、大暴れした異形。開拓者とも互角にわたりあう、恐るべき戦闘力を備えた存在であった。 「奴らがあんなにだらしがねえと思わなかった」 闇の中のモノは吐き捨てた。 奴らとは、そのモノの配下のアヤカシである。 金狼童子、星鷲童子、蠍童子。その三アヤカシを使い、そのモノは羅生丸を抹殺しようとしたがしくじっている。 「今度は俺がやる」 闇の中から、ぬっとそのモノが姿を現した。 鬼。 ねじくれた二本の角に血濡れたような真っ赤な眼。漆黒の体躯は小山のよう。まさに悪念が結実したような禍々しい存在であった。 「ほう、お前自らとな?」 「ああ。この羅刹童子がな」 鬼――羅刹童子が肯いた。 「できるか」 少女が嘲笑った。 「できるか、だと?」 羅刹童子が真紅の瞳を少女にむけた。その身から立ち上る瘴気の濃度が増す。さすがの少女の顔が強張った。 かつて羅刹童子は少女の配下であった。が、多くの命を喰らい、増大した彼の力は少女のそれに匹敵している。 「たかが修羅一匹。どうということはない。それに」 羅刹童子はニンマリした。 「此度の隠里行、潰すためには羅生丸を殺さずとも」 くくく。 可笑しそうに笑う羅刹童子の身が変化しはじめた。ずずず、と角が小さくなっていく。 どころではない。その身もまた小さく、細くなっていく。 幾許か後。 そこには長身の若者の姿があった。漆黒の肌をもった端正な相貌の。 「さあて。誰を喰らおうか」 「お待ちください」 呼び止める声がした。振り向いた羅刹童子は、そこに妖艶な女の姿を見出した。 「羅刹女か」 「はい」 肯く女――羅刹女の眼が爛と光った。額には二本の角。この女もまたアヤカシであった。 「羅刹童子様が出向かれるまでのことはありませぬ。ここは私が」 「よかろう」 羅刹童子は歩み寄り、羅刹女の細い顎を持ち上げた。口を吸う。甘い瘴気の味がした。 羅刹女は開拓者ギルドで区分されるところの上級アヤカシではない。が、並みの中級アヤカシを遥かに凌ぐ力をもっていた。 「お前にまかせる」 |
■参加者一覧
鷲尾天斗(ia0371)
25歳・男・砂
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
ゼタル・マグスレード(ia9253)
26歳・男・陰
オラース・カノーヴァ(ib0141)
29歳・男・魔
雪刃(ib5814)
20歳・女・サ |
■リプレイ本文 ● 未明。 凍えるような薄闇の中、開拓者ギルドの前には、この時刻にはそぐわぬ人の数があった。 二十一。 そのうちの一人は落ち着いた物腰の男であった。 大伴能宗。ギルド長である大伴定家の家人であり、此度の依頼人でもあった。 その能宗を取り囲むように十の人影。これは能宗の供の者である。 そして一人。これは女であった。 怜悧な美貌の持ち主。藤原保家側用人、芦屋馨であった。黙然と立ち尽くしている。 さらに、一人。これは人と呼んでよいか、どうか。 狼を思わせる精悍な風貌の若者である。が、この若者の額には異様なものが生えていた。角である。 そう、修羅。羅生丸である。何が気に入らないのか、口をへの字に結び、他の者達を良く光る金色の眼で睥睨していた。 残る八人。こちらは開拓者であった。 男が三人で女が四人。顔ぶれは様々だ。そして想いも様々で。 男の一人。鷲尾天斗(ia0371)はそもそも此度の依頼のもつ意義そのものに興味はない。 彼の興味の対象は一つ。一族郎党を滅ぼしたモノを見つけ出し、抹殺することだ。その誓いとして、天斗はそのモノによって傷付けられた眼を自ら抉り取っている。天の一字を染め抜いた眼帯の下の彼の左眼はかたく閉ざされていた。 「人と修羅の共存ねェ。‥‥人と人がいがみ合ってるのにそんな事出来るのかなァ」 「だよね」 肯いたのは、これは女の一人であった。 二十歳ほど。銀狼の神威人であり、しなやかな体躯の持ち主であった。ただ防寒胴衣から覗く胸は思いのほか豊かである。 雪刃(ib5814)という名の開拓者であるが。それきり黙り込んだ。 本当は酒天童子と会ったことを、そしてその酒天童子の望みの後押しをしてもいいと思っていることを天斗に伝えたいのだが、どうも他人との会話は苦手であった。 と、別の娘が溜息を零した。その眼は能宗を見つめている。 「大伴殿が出向かれますか。その思想や、事をなす為に自らが動かれる意思は立派ですが、自らが重要人物であることの意味をもう少し考えて頂きたい気もしますね」 娘はいった。 その台詞に似合った真面目そうな顔立ちをしている。志藤久遠(ia0597)という。 「能天気なんだと思います」 と、こたえたのは表情の乏しい少女であった。 小柄で華奢。触れただけで折れてしまいそうに見える。十三歳くらいであろうか。 「能天気?」 久遠が顔をむけると、鈴木透子(ia5664)という名の陰陽師の少女はこくりと首を縦に振った。そしてとことこと歩み寄っていった。 どこに? 羅生丸のもとに。 「ありがとうございました」 ぺこりと透子が頭を下げた。 先日のこと。透子は羅生丸と出会っていた。その際、羅生丸は透子に毒消しの薬を与えていたのだった。 「なんだ。おまえか」 透子の首根っこを掴み、羅生丸は持ち上げた。 「元気になったみたいだな」 「はい。ところで一つお聞きしたいことが」 「何だ? 面倒臭いことはこたえねえぞ」 「人はお嫌いですか?」 「はあ?」 羅生丸は呆れたかのように眉をはねあげた。 「あったりめえだろ。人が好きな修羅なんぞいるもんか。実際に見てみたら甘っちょろい奴らばっかしだし。他人のために命ははるわ、明日なんぞというものを信じてやがるわ」 「お褒めいただいているのですか」 小首を傾げ、一人の少女が羅生丸を見上げ、微笑んでいた。年齢は十八ほど。金髪に大きな碧の瞳の、愛くるしい美少女である。 そして、その隣にも少女がいて、同じように羅生丸を見上げていた。十六歳ほどに見えるが、顎の細さからもっと若年であることがわかる。が、瞳の力が強く、聡明そうであった。 羅生丸は金髪の美少女――フェルル=グライフ(ia4572)を睨みつけると、 「馬鹿か、お前。誰が褒めてるんだ?」 「あれ? そうですか」 戸惑ったように眼をばちくりさせると、再びフェルルは微笑をうかべ、羅生丸の手をとった。 羅生丸はぎくりとすると、 「て、てめえ! 何しやがんだ!」 「握手です」 フェルルは楽しそうにこたえた。 「ジルベリアではお友達の証として手を握り合うのです」 「お友達だと」 羅生門がフェルルの小さな柔らかい手を振り払った。 「てめえはホントに馬鹿だな。修羅と人が友達なんぞになれるもんかよ」 「どうして?」 フェルルが問うた。真剣に理解できぬようだった。 「どうして修羅と人はお友達にはなれないのでしょうか」 「そりゃあ、おまえ」 羅生丸は言葉を失った。 どうして? そう、どうして修羅と人は友とはなれぬのか。 私は、とフェルルは続けた。 「羅生丸さんと友達になりたい。そして笑顔で一緒に手を結べる未来を作りたいって思っています」 「うるせえ」 羅生丸は顔をそむけた。これ以上フェルルと話していると、腹の底に溜めていた何かが壊れそうな気がしたのだ。 「お前は嫌いだ。二度と俺に話しかけるんじゃねえ」 「ならこれだけは聞いておいて」 もう一人の少女――柚乃(ia0638)が口を開いた。 「気をつけてね。あなたにもしものことがあったら修羅の里にはいけなくなるのだから」 告げる。全く怯むこともなく。こいうところが柚乃の子供らしくないところであり、柚乃自身嫌いなところであるのだが、性格は変えようもない。 羅生丸はニヤリとした。 「お前は気にいったぜ」 ● 冥越。 天儀の最北端に位置する、すでに滅びた国だ。国土の大半は魔の森に侵食されてしまっている。その冥越の中に修羅の隠里はあった。 どれほどの時が経ったか。 一行は魔の森の只中にあった。足取りは重い。 すでに能宗供の者七人の姿が消えていた。アヤカシの襲撃のためである。 が、一行の足取りを重くしているのはアヤカシの襲撃のためばかりではなかった。魔の森そのものが原因であった。 見よ、眼前を。黒い霧の如きものが渦巻いている。無限の嘲りをこめて。 供の者の一人がよろめいた。吐く。魔の森が発する瘴気によるものであった。 「少し休もう」 声を発した者がいる。 冷然たる風貌の若者。白銀の髪もアイスブルーの瞳もこの若者には良く似合っていた。 若者――ゼタル・マグスレード(ia9253)は供の者に手を貸すと腰を下させた。 「まさか魔の森がこれほどとは思いませんでしたね」 「ああ」 肯いた男はゼタルと同年配であった。が、どっしりとした風格の持ち主で、とてもそうは見えない。 名をオラース・カノーヴァ(ib0141)という魔術師は顎の無精髭をまさぐると周囲を見回した。 確かにゼタルのいうとおり、魔の森の瘴気がこれほど凄まじいものだとは思わなかった。志体をもたぬ者が入り込めば数時間で狂死してしまうのではなかろうか。 「あまり時はかけられぬ。このままでは俺達がもたん」 オラースはいった。 数多くのアヤカシの襲撃により、開拓者達は多くの練気を消費していた。これ以上の消費が続けば、いざという時にどれだけ戦えるかわからない。 ゼタルは同意した。幾多の戦場をくぐりぬけてきたオラースの判断は的確だ。 ゼタルは焦慮の眼を羅生丸にむけた。 修羅である羅生丸の戦闘力は無尽蔵に近い。むざとアヤカシにやられることもなかろうが。 問題は大伴能宗である。能吏であるようだが、肉体的な能力は皆無といっていい。 今は透子が何やら質問してはいるが、どうやら口止めされているらしく、多くを語ろうとはしない。 さらに気になるのは芦屋馨である。修羅の里の確認が目的と称しているが、何を考えているのかわからない。一応はアヤカシ撃退に手を貸してくれてはいるが。 「危ねえなあ」 とは天斗である。じっと馨に眼を据えると、 「ありゃあ何かを企んでいる顔だぜ。なんせ此処で始末しても遺体は見つからない、責任は修羅や開拓者に押しつけられるんだからな」 ふふん、と天斗は笑った。 「あと十歳若ければ好みなんだがネェ」 ● 「馨さんは、甘いって思います?」 フェルルが声をかけると、馨はびくりとして顔を上げた。 「甘‥‥い?」 「はい。羅生丸さんにいわれちゃいました。甘ちゃんだって」 「甘ちゃんか。確かにそうかもしれない」 自嘲気味に馨は笑った。 主である藤原保家の命は大伴能宗に深手を負わせることだ。家人であるならば当然主の命には従わねばならぬ。が、迷いがあった。 「でも柚乃はいってみたい。まだ見ぬ地平へ」 何時の間に近寄っていたのか、柚乃がいった。 その時だ。突如、透子が立ち上がった。 「アヤカシが――鬼が来ます!」 叫び、透子が不気味に曲がりくねった樹木の間を指差した。彼女は式を飛ばしており、いち早くアヤカシの接近を見とめたのであった。 直後、樹間から幾つもの異形が飛び出してきた。二本の角と獣の牙と爪をもつアヤカシ――鬼だ。 はじかれたように立ち上がると雪刃は羅生丸の前に立った。 「またかよ」 羅生丸が不平をもらしたが、雪刃は知らぬ顔だ。 「嫌かもしれないけど、守るよ」 「邪魔だ」 羅生丸が地を蹴った。慌てて雪刃が追う。 「勝手なことをしないで!」 ぐん、と。雪刃の疾走の速度が増した。たちまち鬼との間合いをつめると、雪刃は袈裟に刃を疾らせた。 あがる血飛沫は黒。それはすぐさま瘴気と化して霧散する。鬼の骸もまた。 「やるな!」 さすがの羅生丸が感嘆の声をあげた。 刹那である。久遠ははっとして眼をあげた。樹上にひそむ何者かの気配を察知した故だ。 その瞬間、樹上から何かが飛んだ。 女だ。妖艶ともいっていい美しい相貌の持ち主である。が、額には二本の角がぬらりと生えていた。 それを天斗のみ見とめた。が、後方と馨に等分に注意を払っていたため、咄嗟に対応はできなかった。 「はっはは。大伴能宗、死ねい!」 鬼女の手が消失した。それほどの迅さで手刀が疾った。能宗は身動きひとつならない。 次の瞬間だ。血の花が開いた。 あっ、という愕然たる声は能宗の口から発せられた。 彼の眼前、一人の少女が立ちはだかっている。透子だ。その胸を鬼女の手刀が貫いていた。 「チッ」 舌打ちの音を響かせると、今度は鬼女は左手を疾らせた。鋭利な爪が能宗の首に迫り―― 空気を切り裂く音が響き、鬼女の手がはねあげられた。 「ぬっ」 女鬼が跳び退った。そして真空の刃を放った敵を睨みつける。久遠を。 「おおっ」 久遠の身裡で練気が凝縮された。高密度の熱をもったそれを腕に送る。さらに薙刀の刃に―― 「ええいっ」 久遠が薙刀を横殴りに払った。散りしぶく紅葉に似た燐光をぬうようにして赤光が疾る。 同時、鬼女が右手を突き出した。獣の咆哮に似た音とともに掌から漆黒の破壊熱量が迸り出る。 空で二つの破壊的な力がかみ合った。凄まじい衝撃波が空間に亀裂を刻んでいく。たまらず久遠が吹き飛ばされた。 「見たか、羅刹女の力!」 鬼女――羅刹女が再び能宗を襲った。 「はぁ」 さすがに見過ごすわけにはいかず、溜息を零しつつ天斗が殺到した。槍を突き出す。 白光をまとわせた槍の穂先が地を切りはねつつ疾った。速さといい角度いい、常人にはかわしえぬ一撃である。 が、羅刹女は常人ではない。槍をぐいと掴むと、さらに前に出た。一気に能宗との間合いをつめると―― ● 馨の右手がすうと上がった。その指の間には符がはさまれている。 全護衛の者の注意が羅刹女に集まっている。今が好機であった。式を能宗にむかって放てば―― そう。殺すわけではないのだ。ただ潰すだけ。人と修羅の和平を。天儀の未来‥‥を!? 羅刹女の手刀が突き刺さった。能宗の首に――いや、その前に現出した漆黒の壁に。 「何っ」 羅刹女が呻いた。そして馨にぎろりと血走った眼をむける。 「貴様。邪魔をするか」 「そうだ」 馨は肯いた。 「私も見たくなったのだ。まだ見ぬ地平というものを」 「ぬかせ」 漆黒の壁を粉砕し、羅刹女がかっと口を開いた。灼熱の炎を吐く。その前―― 柚乃が立ちはだかった。能宗の盾になる覚悟であった。そして炎は―― はねた。再び現出した漆黒の壁によって。 「羅生丸も能宗殿も明日の天儀の希望だ。何としても望みは絶えさせぬ!」 ゼタル、絶叫。それは時代の雄叫びでもあった。 「ええい、またしても」 羅刹女の背に怖気がはしった。何故かはわからない。ただ銀髪の優男が恐くなった。 悲鳴に似た叫びが発せられた。 「うぬら、何をしている。一斉に能宗を襲え!」 「そうはいかぬ」 氷嵐が空間を白く染め、凍てつかせた。鬼どもがたたらを踏む。魔杖を掲げたオラースが指示した。 「今だ、雪刃! 羅生丸!」 「おお」 動きの鈍くなった鬼どもめがけ雪刃と羅生丸が馳せた。 「おのれ」 羅刹女が能宗に殺意の眼をむけた。退くことはできない。その場合、待っているのは羅刹童子による完全なる抹殺だ。 フェルルの咆哮が轟いたが、羅刹女に動揺はなかった。魔の森の瘴気によって彼女の妖力は賦活化されている。 「がっ」 羅刹女が能宗を襲った。天斗が肉薄する。 槍が羅刹女を切り裂いた。が、羅刹女はとまらない。天斗の胴を爪で抉り、さらに能宗へ。脚が唸って柚乃をはねとばした。 羅刹女が哄笑した。 「終わりだ」 「お前が、だ」 空間が青白く染まった。 オラースの魔杖から発せられた稲妻が羅刹女を撃ちぬいた。 ● どれだけ時が流れたか。 アヤカシの襲撃が減り、ついには全くなくなった。修羅の里が近くなった証である。 と、突如、どこからともなく人影が現れた。 数は十。全員が男であり、屈強な体躯の持ち主であった。 さらに額には角。修羅である。 「貴様ら、ここに何用――あっ」 修羅の一人が眼を見開いた。 「羅生丸ではないか」 「ああ。ちょっとばっちゃに用事でよ」 羅生丸ががりがりと頭をかいた。 「お婆様に、と?」 修羅の男は戸惑いの声をあげた。 羅生丸が連れているのは明らかに人である。それを里に導こうとは由々しき事態であった。 が、ならぬとは簡単にはいえなかった。羅生丸は里において最強の修羅であった。それ故にこそ酒天童子を迎えるために天儀につかわしたのである。何か理由があるに違いなかった。 「よし。婆様におうかがいしてくる。待っていろ」 一人の修羅が背を返した。樹間に駆け込んでいく。 ふっ、と。何かの光景が見えた。どうやら家屋であるらしい。 と―― 修羅が消えた樹間から顔が覗いた。 角があるが、あどけない相貌をしている。修羅の子供であった。 「羅生丸の兄ちゃん」 修羅の子供が駆けてきた。羅生丸に飛びつく。それから開拓者達に奇異の眼をむけた。 「誰? 角がないよ」 「柚乃」 柚乃が足を踏み出した。 「これ、食べる?」 クッキーを差し出した。一人の修羅がはねのけようとしたが、その手を羅生丸が掴んだ。 「いいじゃねえか。美味いんだぜ、こいつは。なあ」 羅生丸が微笑んで見せた。すると修羅の子供がおずおずと手をのばした。 柚乃の指と修羅の子供のそれが―― ちょっぴり触れた。 |