【大祭】修羅狩り
マスター名:御言雪乃
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/12/04 16:07



■オープニング本文

●安須大祭
 石鏡、安雲の近くにある安須神宮にて二人の国王‥‥布刀玉と香香背は賑々しい街の様子を見下ろしてはそわそわしていた。
「もうじき大祭だね」
「そうね、今年は一体何があるのかしら」
 二人が言う『大祭』とは例年、この時期になると石鏡で行なわれる『安須大祭』の事を指している。
 その規模はとても大きなもので石鏡全土、国が総出で取り組み盛り上げる数少ない一大行事であるからこそ、二人が覗かせる反応は至極当然でもあるが
「はしゃいでしまう気持ちは察しますが、くれぐれも自重だけお願いします」
「分かっていますよ」
 だからこそ、やんわり淡々と二人へ釘を刺すのは布刀玉の側近が滝上沙耶で、苦笑いと共に彼女へ応じる布刀玉であった。人それぞれに考え方はあるもので、石鏡や朝廷の一部保守派には派手になる祭事を憂う傾向もあり、一方で、辛気臭い祭事より盛大なお祭りを望むのが民衆の人情というもの。
 様々な思惑をよそに、お祭りの準備は着々と進みつつあった。


「羅生丸。‥‥修羅、か」
 ざわめきの中に呟く声があった。
 でっぷりと太った男。高価そうな着物の上に丸い顔がのっている。狸に似た、どこか愛嬌のある顔だ。
 先ほどまで開拓者と羅生丸と名乗る若者との戦いが繰り広げられていた。すでに戦いの決着はつき、羅生丸は逃走している。
「‥‥面白い。儲けになるかもしれぬ」
 男の柔和な笑みがさらに深くなった。
 噂であるが、鬼の少年捕縛のために開拓者が駆り出されたという。
 しかし、噂であっても、よくよく考えてみればおかしなことだ。
 鬼とはアヤカシである。人の天敵ともいえる存在だ。そのアヤカシを何故捕縛しなければならないのだ。本来なら滅して然るべきである。
 おまけに捕縛するに際して丁重になどという注文までついているらしい。どう考えてもおかしなことであった。
 何か大きな裏がある。それを掴めば儲けにつながるかもしれない。
 男は考えた。
 もしその目論見がうまくいかなかったとしても、羅生丸は金につながる。なんせあの開拓者数人と互角に渡り合ったのだ。傭兵どもが放ってはおくまい。最悪見世物小屋に売るという方法もある。
 男は背を返した。開拓者達が駆けていったのとは反対の方向。即ち開拓者ギルドにむかって。


 富田屋長兵衛と男は名乗った。商人であるという。
「羅生丸という鬼をみましてな」
 長兵衛は溜息を零した。
「せっかくの祭りであるのに大暴れしておりました。このまま放っておけば、いずれ人死にが出るのは明白。その前に捕らえた方が良いと考えましてな」
 長兵衛は慈父の如き微笑を浮かべた。


 どれほど日が流れたか。
 羅生丸は道を急いでいた。颶風と化して地を駆ける。人間業ではない速度であった。
 その疾走を、彼はこの数日、ずっと続けている。休むのは眠っている時だけだ。信じられぬ強靭さであった。
 すでに開拓者に負わされた傷は癒えていた。この点においても羅生丸は恐るべき頑健さをもっている。
 ただ修羅数百年の悲願のために。羅生丸は疾駆していた。身を包む外套の裾は魔鳥の翼のように翻り、顔を隠す帽子から覗く金色の瞳は妖しく輝いている。
 無論、彼は知らない。一人の人間の抱いた欲望が、必殺の刃となって彼を追跡しつつあることを。


■参加者一覧
アルティア・L・ナイン(ia1273
28歳・男・ジ
神咲 輪(ia8063
21歳・女・シ
ゼタル・マグスレード(ia9253
26歳・男・陰
オラース・カノーヴァ(ib0141
29歳・男・魔
カルロス・ヴァザーリ(ib3473
42歳・男・サ
鉄龍(ib3794
27歳・男・騎
桂杏(ib4111
21歳・女・シ
エーファ(ib5499
17歳・女・砲


■リプレイ本文


 街道をゆく影は二つあった。
 共に女。シノビであった。
「あの少年に会いに行こうとしてるのかしら」
 声をもらしたのは娘だ。年は二十歳そこそこといったところか。長い黒髪を翻らせて疾走するその様はまるで風の精霊のように華麗だ。神咲輪(ia8063)である。
「わかりません」
 こたえたのも娘だ。年頃は輪と同じくらいであろう。が、印象はまるで違う。
 この娘はいかにも地味であった。が、その瞳のみ異様であった。蒼い光がある。もしかすると、今まさに飛び立たんとする若鳥がそのような眼をしているかもしれない。
 名は桂杏(ib4111)。輪と同じく開拓者である。
「でも」
 桂杏は続けた。
「二度続けてやられる訳には参りません。羅生丸はとてつもない化け物だけど」
 桂杏は唇を噛み締めた。
 どれほど前であったか。一度桂杏は羅生丸と戦い、斬られている。
「化け物か」
 輪は睫を伏せた。彼女の脳裏をひとつの言葉がよぎっている。羅生丸がもらしたという言葉だ。
 人の夢に殺された者。
 修羅とは何だという開拓者の問いに対し、そう羅生丸はこたえたという。
「哀しい響きね」
 輪は呟いた。そしてひたすらに羅生丸のことを知りたいと思った。


 同じ時、輪と桂杏を追うように裏街道をゆく五人があった。こちらは共に男である。
 まず一人。
 中肉中背の若者だ。白銀の髪といい、整った容貌といい、おそらくはジルベリアの出身であろう。薄く笑んだその表情は飄然たるものがあるが、瞳の奥には信念のきらめきがある。アルティア・L・ナイン(ia1273)という。
 その傍らを歩くのは、アルティアと同じく異国の若者であった。白銀の髪も同じ故国の光をやどしているかのように輝いている。
 が、二人のもつ雰囲気はまるで違った。その瞳の色がアイスブルーであるからというわけでもあるまいが、若者はどうも冷淡なところがあった。ゼタル・マグスレード(ia9253)という。
 三人めは、二人の後方にいた。かなり大柄であるのだが、鈍重な様子はない。むしろ軽やかな身ごなしをもっている。名はオラース・カノーヴァ(ib0141)といった。
 四人めは不敵な若者であった。左眼には眼帯をつけており、残る右眼には炯とした光がやどっている。名は鉄龍(ib3794)といい、竜の神威人であった。
 そして五人め。
 その男は誰とも語ることなく、最後尾を歩いていた。鉄龍と同じく、男もまた竜の神威人である。が、鉄龍と違い、男の眼には底知れぬ闇があった。カルロス・ヴァザーリ(ib3473)という。
「輪と桂杏は追いついただろうか」
 ふっと声をもらしたのはアルティアだ。
「まだだろう」
 とはゼタルの返答だ。
「なんせ鬼だから、か。が、俺からすりゃ他の者とたいして変わらんな」
 鉄龍がいってのけた。恐るべき自信である。が、それは故なきことではなかった。数々の死線―それは自身の左眼を失うほどの――を潜り抜けてきた経験から導き出したものである。
「正しくは修羅というらしいがね」
 アルティアが訂正した。そして気になる、と続けた。
「商人からの依頼らしいが。鬼を捕縛してどうするつもりなのやら」
「気になるのはそれだけじゃない」
 ゼタルの脳裏に羅生丸が残した言葉がうかんだ。輪と同じように。
「僕は今一度、羅生丸の前に立つ」
「そのためには羅生丸をつかまえねばならんが」
 行き先よ、とオラースはいった。
「俺は奴の最終目標は祭りの中心部である安須神宮であろうとふんでいる。大祭は鬼を鎮める目的があるというからな。羅生丸の目的は祭りの妨害、もしくは遺跡だろう」
「ふん」
 嘲笑う声は四人の後方から発せられた。カルロスだ。
「そのようなことはどうでもいい。要は修羅を狩ればよいのであろう」
 カルロスの口が皮肉にゆがめられた。
 羅生丸など、所詮は彼にとっては獲物にしかすぎない。彼の胸の奥に潜む黒い獣の飢えを満たすための。
 くくく、含み笑い、カルロスは独語した。
「羅生丸がこれだけの能力を持っているのだから、奴が追っている酒天なる小僧はどれほどの力をもっていることか」


 さらに同じ時、八人めの開拓者はいまだ街に残っていた。
 流れる銀の髪は月光のように背に散り乱れ、その瞳もまた月光のごとく神秘に煌いて。
 少女だ。十七歳ほどであろうか。花のように佇む姿は楚々としたものであるが、その肢体は魅惑的であった。スリットから時折覗く太股が白く輝いている。
 エーファ(ib5499)という名の開拓者が立っているのは依頼人である富田屋長兵衛の屋敷であった。
「鬼、ね」
 エーファの口辺にうっすらと笑みがういた。
「聞いたところ、結構な男前でもあるみたいだけれど」
 興味がある。羅生丸という存在そのものに。
 祭りは無論楽しい。が、このように背がぞくりとするほどの面白みはない。そのような興奮を与えてくれる羅生丸とは、そしてその腕前とはどれほどのものか。
 エーファの笑みがさらに深くなった。それでもこの少女は美しく。
 それは花に舞う蝶のようであった。いや、その蝶をとらえる女郎蜘蛛といった方が適切か。
「白ける思惑の糸は何もかも断ち切って相対したいところね」
 すっと笑みを消し、エーファは長兵衛の屋敷の戸を叩いた。


 はっと羅生丸は眼を覚ました。陽はすでに傾きつつある。
 ここまで来て、羅生丸は妙な動きを察知した。どうも裏街道をゆく旅人、そして茶店の店主などの様子が変なのだ。何かを恐れている素振りがあった。無論、それが桂杏の流した噂のせいであることを彼はしらない。
 ともかく森に入り、羅生丸は眠った。夜に動くつもりである。
 夕刻を待って羅生丸は森から飛び出した。疾風と化して疾駆し――すぐに羅生丸はぴたりと足をとめた。その背に吹きつける殺気がある。羅生丸が振りかえった。
 刹那である。美麗な影が瞬く間に羅生丸との間合いを詰め、肉薄した。
 反射的に羅生丸は抜刀した。たばしる白光は影のもつ何かを両断した。
 ふふふ、と美麗な影――輪は微笑った。その手のブブゼラの半分は断ち切れて、ない。
「ぶわわわわわん、って、なりました?」
「――な、何だ、お前は?」
 羅生丸は呆然として立ち尽くした。彼が断ち切る前、ブブゼラは強烈な音を羅生丸の耳元で炸裂させていたのだ。
 そこに開いた一瞬の隙。それこそが――それを生み出す業こそが輪の、桜花一族の秘奥義であった。
 その瞬間である。影が地を疾った。それは桂杏の足元からのび、羅生丸のそれへと――
「ぬっ」
 羅生丸が呻いた。身体が動かない。
「今の私には彼方を倒す術はございません。だけど!」
 印を組みつつ、桂杏が唇を噛み締めた。いまだ影縛りの術の効果時間内であるが、凄まじい圧に術が破れそうだ。けれど――
「負けない! 輪さん、縄を」
 と叫びかけて、桂杏は愕然とした。輪は捕縛の為の縄をもっていない。
 その時、影縛りの術の効果時間が切れた。羅生丸が殺到する。
 咄嗟に桂杏は跳んだ。瞬間移動したとしか思えぬ迅さで後方に疾り退る。
 が、迅さでは羅生丸も負けてはいない。たちまち間合いを詰めると、羅生丸は刀を突き出した。一瞬の光芒の閃きは、鋼の冷たさをもって桂杏の身体を貫いている。
「兄さ‥ん」
 桂杏の口から鮮血が溢れ出た。その瞳から羅生丸は眼をそらせた。
「死ねい!」
 とどめを刺すべく羅生丸は刃を斬り下げ――


「捕まえたらそっちに引き渡せばいいのね?」
 しなだれかかるように、そっとエーファは長兵衛に身を寄せ、囁いた。花の香りのする甘い息が長兵衛の耳をくすぐる。
「そうです」
 長兵衛が肯いた。知らぬ顔をしているが、その眼はエーファの胸元を盗み見ている。
「でもぉ」
 エーファは胸をおしつけた。
「勝手をして上に目をつけられたら、あとあと面倒臭いし。それでも自分のところに連れて来い、っていうなら、私にもうまみをくれないと、ね? それさえくれるなら、いくらでも乗ってあげる。金でも、色でもいいわよ?」
「ほ、本当かの」
 長兵衛がエーファを抱き寄せた。分厚い唇を、エーファの蕾のようなそれに重ねる。待っていたかのようにエーファが応じた。
 エーファは快楽主義者である。どのような状況であれ、快楽は貪らねば損であった。
 エーファは自ら衣服を脱ぎ捨てた。


 羅生丸が飛び離れた。振り向きざま、縦一文字に刃を薙ぎ下す。
 袋が空で断ち切れた。中からしぶいた液体が羅生丸に振りかかる。
「これは――酒か?」
「そうよ」
 輪が肯いた。
「角の生えた子は、もうこの先にはいないわ。だって、仲間がもう知らせたもの」
「何ぃ」
 ぎりっと羅生丸の身裡で殺気がたわめられた。その時――

「‥‥やはり金、か」
 振り返り、エーファは長兵衛の屋敷を眺めた。寝物語に、彼女は長兵衛の真意を聞き出したのである。
 ふん、とエーファは嘲笑った。
「あんな奴に譲り渡すの、勿体ないわ。できることなら私が貰い受けたいわ」
 エーファの笑みが変った。それは蜜の滴るような微笑であった。


「そこまでだ、羅生丸」
 オラースが叫んだ。
「開拓者、か」
 羅生丸の眼がぎらりと光った。
「俺の邪魔をするか」
「ああ」
 肯いたのはアルティアであった。
「しかし、僕は何も知らずに君と刃を交えたくはない。戦いの後にある哀しみを知っている、と僕の友人は君のことをいっていた」
「‥‥あいつ、か」
 羅生丸の脳裏にある娘の面影が浮かんだ。
「そうだ。だから聞かせてくれないか。修羅とはいったい何なのだ」
「前にもいったが、修羅とは人の夢に殺された者だ。そして、今度は俺達が夢をとりもどす」
「夢?」
 ゼタルが口を開いた。
「その夢とは何ですか。復讐? それとも何らかの使命? ――僕は知りたいのです、もっと。修羅の想いを、君という存在を」
「‥‥知って、どうする?」
 羅生丸が問うた。その声音は不思議と静かなもので。ゼタルはこたえた。
「共に歩んでみたい」
「共に、だと!?」
 かっと羅生丸の眼が見開かれた。いまだかつて、彼はこのような言葉を吐いた人間を見たことがない。
 そうです、とゼタルは肯いた。
「僕らの道は交わらないものなのか。君の強き心や力には、相応の理由があると僕は思っている」
「ふっ」
 羅生丸はわずかに眼を上げた。その口辺に刻まれているのは――微笑であった。
「――それも夢か。だからあいつも」
 羅生丸はゼタルに眼差しをむけた。
「名はなんという?」
「ゼタル・マグスレード」
「ゼタル、か。お前のような奴がいれば少しは――だからこそ、お前を生かしておくわけにはいかない」
 瞬間、羅生丸の手が視認不可能な速度で動いた。
 次の瞬間だ。ゼタルの胸で銀光が散った。それには赤い色が滲んでいる。
「羅生丸!」
 鉄龍が飛び出した。その背後では、胸を羅生丸の小刀で貫かれたゼタルが崩折れつつある。
「貴様、俺の仲間をよくも!」
 瞬く間に鉄龍が羅生丸との間合いを詰めた。その全身を縁取る炎は闘気の発露である。
 鉄龍が横殴りに黒の大剣を払った。それを羅生丸の刀がはじく。
「馬鹿め」
「馬鹿は貴様だ! しばらく付き合ってもらうぞ」
 鉄龍が左腕をのばした。黒い鱗様のものが見える龍の腕だ。
 恐るべき戦闘勘の持ち主である彼は、羅生丸の反応を読んでいた。読んでいて、なお鉄龍はダーククレイモアをふるった。すべては左腕を使用するためだ。
 が――
 羅生丸の右腕が繰り出された。鉄龍の左手をがっしとばかりに掴む。
「ぬっ」
「くっ」
 対峙した両者の全身から爆発的な熱量が放出された。腕の経絡を通じて流れたそれは彼らの掌を中心としてぶつかり――
 凄まじい圧のために二人の足の着いた地が陥没した。
 刹那、羅生丸の足がはねあがった。対する鉄龍は身動きもならない。
 ここで人間と修羅との違いが出た。修羅は腕のみならず、肉体そのものが凶器であったのだ。
 羅生丸の蹴りが鉄龍の腹で炸裂した。鉄龍が吹き飛ぶ。
「ええい」
 オラースが杖を掲げた。すでに練気は練り終えてある。鉄龍よりも、なお戦闘勘の優れた彼はこうなることを一瞬にして見抜いていたのだ。
 がくり、と羅生丸は膝を折った。倒れる。寝息をたてていた。
 オラースが再び叫んだ。
「今だ。縄を!」


「わかった」
 アルティアがゼタルに駆け寄った。縄をとり、羅生丸のもとへ。縛り上げる。
 と、羅生丸の眼が開いた。
「これは――」
「終わりだ。話によっては逃がしてやってもいいか、とも思っていたが」
 アルティアの眼が凄絶に光った。
「仲間を手にかけたことは許せない」
「なら、どうするってんだ」
 羅生丸を戒めていた縄が千切れとんだ。
 アルティアが跳ねた。二振りの剣を抜き払う。
 するするとアルティアが羅生丸の左に回りこんだ。迅い。が、羅生丸の方がさらに迅い。
 いや――
 アルティアの身が赤光を放った。刹那放たれたアルティアの一撃は、修羅の身体能力をもってしても躱すのは困難であるほどの鋭さを秘めている。
 衝撃が羅生丸の脇腹を襲った。が、直撃ではない。
 その時だ。羅生丸の身体が揺れた。その脳内で不気味な声が響いている。
 それが呪術的攻撃と知るより早く、羅生丸は発動者――ゼタルの復活を知った。オラースのプリスターにより治癒されたのである。
「お、おのれ」
 羅生丸の鼻からつつうと血がすべりでた。肉体は鋼の筋肉に覆われているが、内部まではその限りではない。
「うおっ」
 羅生丸が跳んだ。飛鳥のように軽々と。降り立ったのは輪の前であった。
「来ないで! 死なせたくないの!」
「やってみろ」
 羅生丸が輪を抱き寄せた。首に刃を凝する。
 輪の手が印を結んだ。が、すぐに指は解けた。
 輪が発動しようとしたのは火遁の術である。が、発動した場合どうなるか。
 炎は一瞬羅生丸を灼くであろう。が、羅生丸に燃え移った炎は、今度は輪を灼く。
 人間と修羅。どちらが炎に対して耐性があるかは問うまでもない。
「どけ」
 輪を抱きかかえたまま走り出そうとし――しかし羅生丸の足はとまった。その眼前にうっそりと立ちはだかる影がある。カルロスだ。
 カルロスはニンマリした。
「ゆかせぬよ」
「この娘がどうなってもいいのか」
「俺はかまわん」
 カルロスは抜刀した。
 羅生丸ほどの修羅の身が凍結した。この男は拙い。そう修羅の本能が告げている。
 その瞬間、待てと声が発せられた。オラースのものだ。
「カルロス、やめろ。仲間を犠牲にすることは俺が許さん」
「ぬるいな、貴様達は」
 嘲笑いつつ、しかしカルロスは刀を鞘におさめた。その鍔が鳴るより早く、羅生丸の身は空に舞っている。
 森に飛び込み、疾駆。天敵ともいうべきエーファがこの場にいなかったことが羅生丸にとって幸いした。

 すまない。
 風を切って飛ぶ輪の耳に届いた囁き。それは風の唸りによる錯覚であったか。
 それを知る術のないまま、輪は解放された。
「やっぱり哀しい眼をしてる」
 輪は、身体に残る羅生丸の温もりを抱きしめた。