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■オープニング本文 ●青龍寮卒業試験 護大を巡る決戦を終えて数ヶ月―― 護大は開拓者らの心に耳を傾けて空へ消えた。護大派との和議も成って、大勢の陰陽師たちが古代文明が遺したものを探ろうとして旧世界を飛び回っている。青龍寮の寮生らにとっても、少し落ち着かない日々が続いていた。 そんな折、決戦後の慌しさもようやく落ち着いた頃になって、彼らは学堂へと集められた。 「皆さま、よくお集まり下さいました」 寮生たちを前に、菅沢がぺこりと頭を下げる。 「卒業試験の話は、覚えていらっしゃるでしょうか」 菅沢が問う。 『瘴気の根幹とは何か』 授業としてではなく、青龍寮生としてだけでもなく、これから赴くであろう戦地において、一人の陰陽師として何を得て来るのか―― 先の、儀の探索中に出された言葉である。 「今回は、卒業試験の仕上げについて皆さんに説明するため、時間を取って頂きました」 「……」 寮生たちがじっと、言葉に耳を傾ける。 「皆さんの中には、既に答えに値するものを見出された方も、或いはまだ迷っている方もいらっしゃると思います。そこで皆さんには、これからの一ヶ月を最後の仕上げの時として過ごして頂きたいと思います」 これはひとつの区切りだ。 護大を巡る事件が解決し、開拓者たちは世界そのものの根源に迫った。 新たな世界への扉が開かれた先には、かつて失われた古代の遺産が眠っている。新たな技、新たな知識、根源と真理。護大と対峙し、陰陽を巡る根源の一端に触れたことは、陰陽師らに鮮烈なる衝撃を与えている。 だが、あるいはだからこそ。 必要とされているのだ。その『衝撃』を受け止める為に。 「我々は、我々の哲学を、世界観を、今一度問い直さなければなりません」 あるいは一生掛かっても答えの出ない問い。 「これを示す為の手段は、制限致しません」 論文でも、新たな術でも、自らの心の中にだけ答えが在っても良いのだ。 陰陽師たる存在を問い直す以上、それは当然のことだった。 「改めて、整理いたしましょう」 卒業試験は瘴気とは何かを問い、ひいては陰陽師とは何者か。そのあるべき姿とは何かを示すこと。 重要なことは、この課題は、瘴気と精霊力の関係を正確に解明することでも、大系化して理論的な説明を起こすことでもない。瘴気という存在の根幹を『問う』ことにある。その根幹を問い、陰陽師たる存在とは何かを、その姿を示すのだ。 ただ――ここで示されるべき答えに「正解」というものはない。「真実」でもないだろう。 即ち、「今この時」における答えであればよく、また、そうでなければならない。 その在りようは「普遍」ではあっても「不変」ではありえないからだ。 「そして最後に……」 菅沢は、やや躊躇を見せた。 彼の眼前には、一冊の竹簡が横たえられている。古えに記録された陰陽寮の黎明期。陰陽寮が成立した最初期に一度だけ採られた試験基準。彼はそれを用いるつもりであるらしい。 「試験の可否は、寮生である皆さんそれぞれが、自分自身で下さなければなりません」 菅沢は言う。 卒業課題の取り組みについて、他の寮生と相談することは構わない。けれども、自らが卒業に値するか否かは、他者の評価や助言を求めてはならず、あくまでも自らの判断と評価において下さなければならない。 寮生らの間にどよめきが上がる。 「皆さん……探究者に求められるべき資質とは何でしょうか。ひとつは、温故知新の精神です。先人に学び、古えの知より新しき知を生み出さねばなりません。次に、開拓精神です。決して恐れず、常に一歩を踏み出して前へ進んでいく精神。これについては、まさしく開拓者たる皆さんは開拓精神を体現する立場にあるでしょう」 顔を見合わせる寮生たち。 「そして最後に、己自身に対して真摯に向き合う冷静な心……つまり、自己評価です」 過大評価は誤りに繋がり、過小評価は可能性を潰す。 「皆さんは技としての陰陽術を磨く者、陰陽術の理論を解き明かす者である以前に、陰陽師とは何かを識る者でなければなりません。人に、陰陽師とは何かを示すことができなければならないのです」 彼は、ひとつひとつの言葉を慎重に選びながら話していく。 「青龍寮出身者に、軍人にも研究者にもならず、野に下りて独自の道を歩む者が多いワケを……皆さんはご存知でしょうか」 菅沢は一度大きく深呼吸して、卓上の竹簡をじっと見つめた。 物言わぬ竹簡が、今は語りかけてきているようにさえ感じられた。 「それは、決して青龍寮が『変わり者の集まり』だからなのではありません。寮生たちが、常に無限の可能性と想像力と向き合ってきたからです。技を極めるのでも、新たな探求でもない、第三の道しるべ。無限の荒野にひとり在って、自らを問い直すことのできる深い洞察力と確かな自己。それを備えてきたからなのです」 この竹簡はその理念を、そして想いを告げている。 学府としての陰陽寮が成立したとき、彼らはみな先駆者であった。 陰陽術――儀において極めて特異なるこの術が作り上げてきたもの、それは世界そのものだ。陰陽師という存在は、常に可能性であり続けてきた。儀という世界における鏡であり、鏡の中に新たな世界が存在することを示し続けてきた。 文字通り、彼らは世界を創世したのだ。 ならば、ここで再びそれを問い直そう。 「皆さんは、青龍寮を卒業した後もそれぞれの道で『永遠の問い』に向き合うことになるでしょう。この卒業試験は、その第一歩であるとお考えください」 菅沢の言葉は、そうして静かに締めくくられた。 「私からは以上です……皆さん全員が、それぞれの答えに出会えることを願います」 |
■参加者一覧
胡蝶(ia1199)
19歳・女・陰
樹咲 未久(ia5571)
25歳・男・陰
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
无(ib1198)
18歳・男・陰
成田 光紀(ib1846)
19歳・男・陰
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ |
■リプレイ本文 ●ある日 菅沢が告げた卒業課題に接して、彼ら青龍寮の寮生たちはさっそく意見交換に取り掛かった。もっとも、それは殊更に具体的なものではなく、雲を掴むようなその課題に対する各々の反応をお互いに口にするといったごく自然な雑談であった。 「難しいお題だねェ、頭から煙出そう」 晴雨萌楽(ib1999)が呟く。 「私もよ」 胡蝶(ia1199)もため息交じりに首を傾げた。普段通りの冷静な様は崩さないが、その内心は複雑だ。彼女にとって開拓者であること、そして陰陽師たることは生活の糧である。いわば実学としての陰陽道を志してきたと言ってよく、フィールドワークを中心とする実践ともまた違うこの課題には少なからず戸惑いを覚えていた。 「……参ったわね」 「俺は悪くないと思うぞ?」 成田 光紀(ib1846)が笑う。 「私も別に、課題が悪いと言ってるのではないわ。ただ少し参っただけ」 小さく肩をすくめる胡蝶。 光紀は煙管を取り出し、煙草を詰め始める。 「しかしここまで放っておかれながらも残っておったのだ。それぞれ心の中に己を持っていることだろう? それを問い直せば良いと思うぞ。これまでの歩みと、その始まりをな」 少なくとも俺はいつも通りに観るだけだ、と付け加え、窓際へ寄って煙草をふいっとふかす。 「始まり、ですか……幼い頃、瘴気やアヤカシのことを知りたくて部屋に篭って本を読んでいたことを思い出しますね」 過去の合戦や瘴気についての資料を集めながら、樹咲 未久(ia5571)が懐かしげに話す。一人目の義弟に問答無用で外へ引きずり出され、二人目以降の幼い義弟らをあやす為に人魂を構築していた。 きっかけは素朴なものだった。 胡蝶も陰陽師として開拓者の道を歩んだのは前述の通り生活の糧を得るためだ。案外、そういうものなのだ。未久はそう思った。 「ぐるりと廻って、原点とも言える位置に戻ってくるとは」 「確かにそうですね」 小さく笑みをこぼした无(ib1198)が皆を見回した。 寮生の皆と、こうして青龍寮で再び言葉を交わすことは何事にも変え難い。 青龍寮に入寮してよりどれほどの時が経ったのだろう。開拓者としても様々な事件を経験してきた。他の皆もきっとそうだろう。入寮した頃と今とでは環境も世界も、自分自身にも変化があったが、それでも変わらないものがある筈だ。 瘴気の根源を問い、何より己自身、ひいては陰陽師自身に対する認識を再び定める時なのかもしれなかった。 とはいえ当面の問題は―― 「さて、どのように課題にあたりましょうか」 資料巡りは無論としても、やはり実践を重視して野外へ出てはどうかと付け加える无。 「ま、篭って唸るのも性分じゃないわね」 萌楽がうんうんと頷く。 この提案は賛同する者も多い。むしろ、多くの寮生は元よりそのつもりでいた節もある。 「ってことで、ここはひとつ、足使うよ、足!」 話題は自然と、どういった資料を事前に準備するか、そしていかなる場所を巡るべきかへと移っていった。 ●世界を巡る 緑茂、鬼咲島、武州、諸外国その他――過去に大規模な合戦が行われた地を巡る寮生たち。 宿奈芳純(ia9695)は瘴気と精霊力を計測しながら、ひたすら値を記すことに務めていた。情報は力なり。どんな些細なことであれ何が判断材料になるか解らぬとばかり、次々と手帳に記していく。 「几帳面だのう」 光紀がからからと笑う。 「術の構築に挑戦するつもりなのです。その為には比較対象となる値が欠かせません」 幾つか解ったことはある。 大規模な瘴気と精霊力の衝突が起こった地域は、一時的には両者が渦巻いているが、時を経ればやがて安定化の徴が見られる。 もっとも、それが戦場へ大量に投入された精霊力と瘴気が散逸する為に起こるのか、あるいは結合して空へと転ずるためかまでは解らない。そこまで調べようと思えば計画を立てて長期的な観測を行わなければならないだろう。 「まずは確実な情報からと思いましたが、これ以上は、すぐには探れそうにありませんね」 「瘴気と精霊力の関係、か……あの先は……確か龍脈か?」 水平に差し込む陽の光に目を細めて、光紀は背後を振り返る。 「この神社は龍脈の影響を受けているのだったか」 「ええ、その筈ですね」 龍脈それ自体はいわば点と点を繋ぐ一種の管である。それ自体が何か力を持つのではない。瘴気でも精霊力でも関係なく、遠く離れた飛び地へと力を飛ばし、それぞれを繋ぐものだった。 それはまさしく文字通り世界を巡っている。 「今のところは、予想の範疇に収まっているのは残念です」 未久が神社から山々の連なりを眺めながら言った。 精霊力で満たされた神社は厳かな雰囲気をかもしだし、ちょっとやそっとの瘴気は寄せ付けないでいる。 やはり精霊力の強い空間と瘴気の強い空間とでは、直接的に受ける印象がまったく違った。精霊力のそれが強いところでは、それが仮に重圧となってのしかかってきたとしても、それはあくまで『畏れ』としてのものであった。 無論、瘴気を司る空間やシンボルから、もっと言えばアヤカシから威厳を感じる、ということもある。 だがそれは本質的には同じ種類の者ではない、と彼は感じていた。 「やはり、旧世界へも足を延ばしてみる必要がありそうですね……」 一方、胡蝶は自宅でため息混じりに空を眺めていた。 曇り空からはしとしとと雨がしたたり、頬杖をつく彼女の脇には、陰陽寮で調べてきた資料の束が広がっている。 そこに記されているのは合戦の詳細、調査報告、瘴気と精霊力に関する論文、研究結果……公にされた情報だけでもかなりの量がある。彼女自身、一通り目を通してみた限り、これらの情報を元に課題に解答することはできると思われた。 しかし―― (何か違うのよね) これらをなぞらえてそれらしく整えた言葉が自らの答えで良いのだろうか。 「そうね……やっぱり、自分が得心できる答えを出すべきね」 彼女は意を決したように机に向き直り、自らの言葉で筆を走らせはじめた。 「やっぱり景色からして違うよね」 萌楽たちは大地を踏みしめ、遠く地平線に目を向けた。 荒涼とした大地に空を覆う厚い暗雲、吹きすさぶ風に混ざる瘴気の気配。先の護大を巡る戦いを通じて、雲の一部には切れ間が生じ、旧世界の空にも時折太陽が顔を覗かせるようになっている。 地上における戦いの舞台となった墓所周辺には護大派らが使役する労働用の式が修繕活動に従事し、天儀より派遣された官僚や商人らは護大派と何事か話し込んでいる。 「少しずつ交流も進んでるのかな」 墓所周辺での調査活動はすんなりと下された。 護大が護大であることをやめて消滅した今、彼らもまた自分たちの新たな道標を模索していた。 いわばここへ調査に来た寮生らとその手で記される『新たな可能性』は、彼ら残された護大派にとっても大いに参考と刺激となるかもしれないかららしかった。 連れたって墓所へと進む寮生たち。 「ここが護大の……」 改めて足を踏み入れて、无は神経を研ぎ澄ます。 ここの主は既にない。 遺跡は静まり返り、いまここで感じられるのはまさしくここへ足を踏み入れた自分たちの気配だけだった。 「……」 『瘴気回収』を用い、移籍内部に漂う瘴気へ直接触れる无。特別な何か、というものは感じられない。 精霊力を操る者たちは、時にその精霊力に違いを感ずることがある。あるいは陰陽師などが瘴気からそれぞれに違いを感じると言葉にすることもある。もちろん、それが確かなことなのかは解らない。志体本人がそう思いこんでいるだけなのかもしれないのだから。 だがいずれにしても、ここからは何も感じられない。 あるのはただ純然にして無味な瘴気だけだった。 「あるいは瘴気に善悪など……意味などないのでは……」 ぽつりと呟いた。 「何が?」 「いえ、確信は無いのですが」 瘴気と精霊力に善悪も意味もなく、本来は同一のものであったのではないか。 「なるほどね」 あくまで推測ですが、と付け加える无に、萌楽は頷きながらも。 「でも、私はまだ時間かかりそう」 「どういった題材を設けられるのです?」 「うーん……瘴気の正体を探るんじゃなくって、瘴気が何故生じたか、ってカンジかな。だからもうちょっと足を使ってみるよ。簡単に答えが出るとも思えないしね」 それならば、と光紀が腰を上げた。 「俺も付き合うとするか。何、俺は面白ければそれでいいのでね。幸い、今一度見回ってみるつもりだったからな」 元より、天儀の龍脈からはじまり、アル=カマルやジルベリア、泰といった諸外国は無論、これまでに目にした面白いものをあちこち見て廻るつもりだったのだ。それらは既に巡ったのだから、旧世界の墓所や遺跡などをじっくり廻るのも良い機会だろう。 こうしてフィールドワークをひと段落させた者たちは天儀へと戻り、残った二人は、それからも暫くの間、旧世界に残された痕跡を求めて調査を続けることとなる。 部屋の中に瘴気が漂う。 印を結ぶと共に放たれた瘴気の霧が部屋を満たすと、芳純は、続けて瘴気回収を用いて自らが発した瘴気の霧に触れる。 「ふむ」 手元の懐中時計「ド・マリニー」の計測値は激しく乱れている。元より濃いか薄いかを調べるものだということか。あちこちを旅して大まかな平均値を取るような使い方ならばともかく、こうして精密な調査を行うのには向いていないようだ。 となると、やはり瘴気回収を通じて自らの感覚で違いを拾わなければなるまい。 「……」 今、瘴気回収を通じて感じるものはない。 ならばもう一度、と瘴気の霧を部屋に放出する。 我々が精霊力なども用いているならば、あるいはその複合によって瘴気が別の存在に変化するのではないか――自らが立てた仮説に従って、彼はひたすら試行錯誤を繰り返していった。 ●胡蝶 未来への恐怖――瘴気の根源たるは、人が未来へと抱く恐怖ではないか。 未来に不安を覚え、恐れを抱くことが、瘴気の根源であるならば。精霊力を同じく未来への希望と仮定した時に、瘴気と精霊力の両者は対の存在となる。 「少し飛躍しているところは認めるわ。けれど、やっぱり、既にある記録や情報を綺麗にまとめただけの結論では良くない、と思うの」 一度は纏めた資料の山を思い浮かべ、小さく笑う。 「私は、私自身にとっても得心のいく答えを出したかった」 そうして心に浮かぶ言葉に答えを求めて出されたのが、恐怖という答えだった。 「恐怖も希望も、いずれも未来に対して人が抱くもの」 「それが、瘴気という形をとって現れると?」 頷き、胡蝶は続ける。 「えぇ。人は皆、未来に希望を見出すだけでなく、不安や恐怖を抱くわ。そしてそれらは、どんな武器や術を用いようと完全に消し去ることはできないわ」 彼ら開拓者たちの歩んできた道程には、常に事件があった。 それはおかしな出来事であったり、ひと時の夢のようであったり、或いは争いや悲しみに彩られもしていた。そこには常に可能性があった。希望という可能性を追い求めると共に、胸に去来する恐怖と戦ってきた。 未来には、常に両者の可能性が存在していた。 「瘴気は不滅なのよ」 ならば、と菅沢は問う。 「希望たる精霊力と、恐怖たる瘴気を対としたとき、陰陽師に求められる姿とは?」 「恐怖を担うこと」 空気が張り詰める。 陰陽師はこれより先は、アヤカシという実存の恐怖のみならず、人が未来に抱く無形の恐怖からも学び、希望を祝う巫女とは別の形で、恐怖を担う存在に変わっていくことが必要なのではないか。 「陰陽師は恐怖そのものたれ、というのとは少し違うわ」 胡蝶は少し落ち着いた様子で、ひとつずつ言葉を選んでいく。 「人の営みの中にも、凶事や忌みごとといった形で、不安や恐怖が潜んでいる。そうしたアヤカシを祓うために、陰陽師は恐怖を担う……そういった形で陰陽師が必要となっていってほしい」 人の営みの中に現れる恐怖、それらは謂わば『姿無きアヤカシ』なのかもしれない、と胡蝶は考える。 生きることは未来へと進むことだ。人は常に、希望の裏からこちらを伺う恐怖と対峙しながら未来へと歩み生きていく。ならば、きたるべき未来において希望を招来しこれを祝う者とは別に、そうした恐怖と対峙し、恐怖が何たるかを識る者たちが必要になるのではないか。いや、必要となってほしいのだ。 「これからの陰陽師には、人の営みにとって、なくてはならない必須の存在となっていってほしいの」 地に足を降ろすこと。遠く未来へと続く地平線の中に潜む恐怖を見つめ、担っていくこと。 「卒業、しかないわね」 自らもまたその一助となることを願う、と結んで、彼女は静かに発表を終えた。 ●樹咲未久 少し日焼けした様子で、未久は小さく咳払いをした。 「中々考えが纏まらなかったのは、確かですね」 期間中に、彼は様々な場所を廻った。 過去の資料にあたったり、合戦場跡はもちろんのこと、神社や霊山といった、瘴気と対極をなす精霊力の強い地域にも方々足を運んできた。 最後は雪中行軍を敢行してあやうく凍え死ぬところで、この日焼けも雪の照り返しだ。 「そこから導かれた答えとは、どのようなものでしょう」 「……解らなかった、という答え、でしょうか」 少し困ったように微笑んで、彼は答える。 「瘴気が、死や淀みといった穢れであり、精霊等と対をなすことは考えました。もちろん、皆さんの中にもそう考えられた方がいらっしゃると思います」 しかし未久の中では、それが答えとはならなかった。 考えが纏まらなかったという面も強いが、それでけではない。この問いに対して、おいそれと答えを出そう、という気にはならなかったのだ。 課題内容は『現時点での答えで良い』ということだった。ならば先の二者対極がその答えとなるであろうが、それを答えとして一区切りとしてしまうことを彼は恐れた。今は答えを出すべき時ではないと。 「青龍寮へ入寮し、皆さんと出会い学んだことでここまで来ることができました」 思い起こせば、これまでの日々が脳裏に浮かんでは消えていく。 「護大を巡る事件も、多くの人たちの繋がりがあったからこそ、乗り越えられたのでしょう」 陰陽寮で、色々なものを貰ってきたと思う。人と人の繋がり、お互いに学び未来へと進むこと。それらは全てかけがえの無い存在だ。それは自分にとっての財産であり、心強い武器であり、なによりそれこそがひとつの答えをなしている。 それを認めた時、自分はこの問いに回答が出せぬことに気がついたのだ。 自らが出す答えは、そのかけがえのない仲間たちの答えでもある。立ち止まるべき理由は、ない。 「ですから、卒業の可否は否です。瘴気とは何かを問う言葉に、私なりの答えは出ていないのですからね」 それに、と彼は続ける。 「私が青龍寮で学んだことは、技術や知識だけではないのです。人との出会い、繋がりによって新たなことを学び、未来を変えていくことです。ならば私は、これからも、市井にてその繋がりを紡ぎ、学び続けていくつもりです」 「そうですか……解りました」 菅沢が小さく頷くと、未久は微笑ながら頭を下げる。 求めていく『答え』は別に存在していたのだ。これまでも、そしてこれからもそうであったように、人と人の繋がりの中に答えを探していく――故に答えはなく、これからも永遠の問いは続くのだと。 ●宿奈芳純 菅沢が論文に目を通し終わるのを待って、彼は指で印を結んだ。 瘴気の霧が辺りに漂いはじめ、部屋の中へ広がっていく。だがそれは、よく知られた術としての瘴気の霧の範疇を出ていない。 菅沢は、読み終えた論文を思い起こして、芳純に問いかける。 「術を改めることは、上手く行かなかったのですね」 「えぇ」 大柄な芳純が小さく頷いただけでも、ぐうんと頭が動いたように思えた。 「残念ながら、未だその域には達していません」 瘴気とは別の角度から見たときの、世界を護り巡るものである、と彼は考えた。陰陽師には、他の術や技を扱う者たちとは違った観点から理に触れ、関わっていくことが重要であるのだと。 故にこの術は、その狙いにそって試みられた術のひとつであった。 天儀を発祥とする陰陽術の系譜は、護大派から見れば『紛いもの』である。芳純はまずその事実を認めた。事実か否かではない。彼らと我らとで視点が違うのだ。導かれる答えが違うことも当然なのだ。 この『瘴気の霧』はアヤカシにとっても異質であるが故に一定の悪影響を及ぼす。 「アヤカシにとっても異質な瘴気という結果が、想像の始まりです」 無意識に精霊力が加わる故に異質であると。 であるから、まずは異質であることを前提として、その想像を具体的なものへと一歩前進させることとしたのだ。九字護法陣なども併用しつつ瘴気の霧と瘴気回収を繰り返し、瘴気をより異質なものへと、瘴気を別の存在へと変化させること。それが彼の試みたものだった。 結論から言えば、その試みは上手く行かなかった。 可能性は常にあった。しかしこの想像を、具体的な形で示すまでに至るには、まだ何かが足りないのだと感じた。手法を変えることでその可能性に至れるのか、それともはなから不可能なことかは解らない。 「私の現時点での成果は、これまでに得られた研究結果がそうと言えます」 彼は紙の束に手を置く。 結果は失敗であったが、得られた情報は全て細かく記録した。失敗は次なる成功を生むための母体となる。それを信じて残したこれらの情報は、必ずや新たな可能性を拓くために役立つ筈だ。 「大切なのは学ぶこと。己の意志。私の命題は『皆がより良い生活を送れるようにする』ことです。可能性は潰えておらず、私はこれからも手段を探していこうと思います」 一人でやろうと思うのではなく、他者と交わり、誤りや失敗を乗り越えて進んでいくことを覚悟する。 故に卒業という道を選ぶ、と。 ●无 陰陽の陰は瘴気、陽は精霊力、対であるそれぞれが触れ合って空となる。 「瘴気とは……混沌というひとつから瘴気と精霊力として別たれ、形を成したもの、ではないでしょうか」 それを起こりとするならば、瘴気と精霊力は根源的に同一のものである筈だ。だからこそ、人に害をなすことはあるとしても、それらは本来善悪で区別されるものではない、という可能性を彼は考えた。 瘴気を、人がおよそ悪と見なす類の想念であると見なし、精霊力がその逆であるとしても、同一の存在から別たれたものであるなら、それらは人が『瘴気ではない側』に近い存在であるが故の結果論かもしれないのだ。 「そうした瘴気と対峙する上で陰陽師にとって重要なのは……いえ、人にとって重要なことは、異質なる存在を知ることです」 異を知り、未来と疎通する為に陰陽を問わず世界を良く知ること。 知を入力とし、そこから導き出される答えと行動を、智として出力し、未来を成していくこと。それこそがこれからの陰陽師に求められている役割ではないのか。 「異質なるそれぞれを繋ぎ、循環させていくことは私たちにしかできませんからね」 陰陽師として、陰陽双方を循環させ、やがてはこれを未来へと成していく。 その答えはある意味、新たに作り上げた答えではなかった。 そうした思いは彼の胸の中に、以前からくすぶっていたのかもしれない。それが、方々の遺跡を巡り墓所を訪れたことで、ひとつの確信めいたものへと昇華したのだ。 「ひとつの答えを得たことで、次へと進めるのです。この答えより発して、次は私自ら、この循環を紡ぐ者の一人になるかを知る必要があるでしょう」 ならば卒業の可否は、と菅沢が問い、无は静かに頷いた。 「一応の卒業、でしょうね」 規定の全課程を終えたことを、まずはひとつの区切りとする。 「教わる立場から、自らを学び教えるものになるのです。つまり、学生としては生業を終え、これからは自らを信じて答えに向かって進んでいくことになるでしょう」 それでも、と彼は一言置いた。 「青龍寮生ではなくなる、とはまた違うでしょうね。青龍寮出身ではあっても、これからは、寮や陰陽師であるという枠を超えて探究し、開拓していかなければなりません。これが青龍寮とその寮生に求められることなのだと思います」 そう答える无の瞳には、未来を見据えた強い意志が覗いていた。 ●成田光紀 瘴気とは、と静かに言葉を始めて、光紀は小さく笑った。 「面白い存在だ」 少し呆気に取られた視線を周囲から向けられて、光紀は肩をすくめる。 「龍脈や魔の森、浮遊島、地上……これらは全て、俺にとってはただ等しく『面白い存在』だ。そのことが、今回の件を通じて再確認できた」 「しかしそれだけでは、瘴気が何かとは答えられない気もしますが……」 「まあ、待て」 彼は首を振って菅沢の言葉を制すると、言葉を続けた。 瘴気が自分にとって面白い存在であること、もっと言えば、自己の外に幾多ある事象のひとつでしかないこと。これは確かなことだ。主観である。誰にもそれは違うとは言わせない。 「世界は愉快だ。俺にとっては何もかもがただ愉快で、珍奇で、好奇に値するひとつの集合体だ」 その中に存在する瘴気もまた、彼にとっては愉快極まりない事象のひとつなのだ。 かつて相反すると目されてきたそれは、それと共に生きる者たちとの融和を通じて、これより先、真に世界の一部であることを人々は知っていくに違いない。 「であれば、我ら陰陽師の融和の下に、世界のあるがままを座して目し、時に巡り、世に無価値なモノなどないことを余すことなく知り、知らしめることも面白いだろう」 護大を巡る戦いを通じて、世界の中には新たな視点に気付いた者も少なくない筈だ。 瘴気は世界の一部を構成する、存在を問われずとも確かに存在している事象のひとつなのだ。 ならば今自分が求めることは瘴気の根源だけではすまない。瘴気を通じて見られる世界そのものである。 今その始まりを自分たちは経験しようとしているのだ。 これを放っておく理由はない。 「儀世界の中で、最も瘴気に近しい我らだからこそ、かつて別たれた世界を今一度、物理的にではなく、概念の上でもひとつにすることができる筈だ」 瘴気の根源を探る、という課題の一部を通じて、彼は世界そのものへの興味をより新たにし、陰陽師の未来の姿をこそ想像した。光紀にとって、求めていた答えはまさしくこちらにあることだろう。 「永遠の問いだ。俺はまだまだ、見るものが沢山ある」 「卒業の可否はなんとしますか?」 「卒業……だな。陰陽師の新たな姿を提示しておいて、俺がそれをやらないでは示しがつかない。世界は面白い。これからは、そのことを自らの意志と行動を以って示していくさ。そうすれば別たれたものがやがてひとつになるかもしれん」 それにな、と彼は付け加え、口の端を小さく持ち上げた。 「そうなったら、きっともっと面白いぞ」 ●晴雨萌楽 最後に順番が廻ってきた萌楽は、少し深呼吸して息を整えた。 短い期間にも、彼女は色々なところを巡った。遺跡、魔の森、旧世界、墓所、遺棄された旧護大派の遺跡や都市にも足を伸ばしてみた。抱いていた疑問は瘴気の根源そのものよりも、まずは『なんで瘴気ってモノができたか』だった。 「実のところ……アヤカシと精霊様は、根源が一緒の力なんじゃないか、って思ってンだよね」 厳しい聖職者などが聞いたら大いに怒りそうな言葉であるが、ここは陰陽寮である。そのようなことを言う者はおらず、誰もがじっと聞き入っている。 「水が雲や氷になるみたいに、自然の循環の中で変化するひとつの姿、それがアヤカシじゃないかなって」 瘴気と精霊力が衝突して空になる、と言われるのが確かならば、萌楽の言葉もまたひとつの真理を突いているだろう。他の寮生の中にも言及者が多いように、そのことは瘴気を扱う彼らだからこそ強い興味を持っていた。 重要なのは、先ほど述べたように、それが何故別たれたのかだった。 「問題はそこなんだ」 と、彼女は少し困った様子で腕を組む。 「あたいら人間が、変化の引き金になっている、ってことはないかなって睨んでるんだよね」 先ほどの言葉には落ち着いていた皆も、その言葉には少し気圧されたらしく、萌楽から続く言葉に聞き入っている。 「興味深いですね」 菅沢が唸る。 今回、根拠になるようなものは得られなかったんだけどね、と萌楽は首を振る。 「けれどそしたら……瘴気って、人間の魂や魄にまつわる何か、なのかなァって」 瘴気と精霊力、練力、そして空。世界がひとつのものであったなら、瘴気と精霊力を繋げた時に、練力と空の存在する意味が宙に浮いていた。空は瘴気と精霊力が別たれる前にあったものだと考えたとしたって、ならば、練力とは何だったのだろう。 空をそれらふたつに別けた理由が仮に存在していて、自分たちの中に確かに感じられる力があるとしたら、それは練力に他ならない。 瘴気とは何かを問う上で瘴気が別たれた理由を知ろうとした彼女は、おのずと瘴気以外の存在について知ることが必要だと気付いたのだ。 「だけど、簡単に答えが出るとは思ってないしね。だけどやっぱり、絶対に違う!って気はしないンだ。だから、このくらいで諦めはしないよ」 彼女は笑い、ちょっと寂しそうに窓の外を眺めた。 ●それぞれの道 「……あたいの試験は、不合格で決まりなんだ」 「それはまた、何故でしょうか」 菅沢に聞かれて、萌楽は首を振る。 「ううん、『学び舎を去る』ってのが、正しいかな」 「不合格とはまた違う、といったところですね」 未久が微笑み、萌楽へ言葉を掛ける。 「そうなるかな。それに不合格の理由はともかく、考えてるところはあなたと同じかな」 「と言いますと?」 大道無門――萌楽が告げる。 「ずっと前に……最後にはそうしよう、って決めてた。あたいが学ぶのに、枠も肩書きもいらないって気付いたから、さ」 「そうですね……新しい世界で、変わり続ける世界とともに新しい答えを探し続けるならば、どこにいてどんな立場でも、それは可能でしょうね」 「うん。だから全部終わったら、あたい、旅に出るよ。本当に知りたいこと……『授かった力で、いかに世界を良くするのか』、それを学び続ける為にさ」 旅というのも悪くないな、と光紀は煙草をふかす。 今後の身の振り方はまだ決めてなかったが、今回の試験準備中も、彼は他の寮生の行動に同行していた。世の中は常に新鮮な驚きと楽しみに満ちているのだ。 「私は研究、でしょうか」 芳純も確定した道ではないが、術の作成と可能性を模索し続け、これを残すことを努力していくことを考えるならば、市井でやるにせよ組織に属するにせよ、術の探究が第一となるだろう。 「結果への批評は後世の方々に委ねるつもりですからね」 胡蝶が首を振る。 「私はあまり肌に合わないみたいだわ」 「では胡蝶さんは何を?」 「そうね……前々から考えていた商人への道、かしら」 少なくとも今は、陰陽寮に居続ける理由はない。 学問としての陰陽師にそれほど興味がなく、権力志向がある訳でもない。第三の道に進むのが自然だった。野に下りて、人の営みの中に道を探すのだ。それは、人の営みの中で必須とされる陰陽師――そうした姿を自ら示すことにも繋がるだろう。 无が皆を見回す。 「先ほども言ったように、それは決して、青龍寮生ではなくなるということではないと思いますよ。自ら考え、自ら学ぶ道を歩むということは、この場所を去るということです。私はいつまでも青龍寮生のつもりでいますから」 「そういうのも、いいですね」 菅沢はそういうと、背筋を質してゆっくりと頭を下げた。 「これにて、全課程を修了します……皆さん、本日までありがとうございました。私は講師という立場にありましたが、実際には、皆さんから学ぶことのほうが多かったように思います」 だからこそ、と彼は言葉を続けた。 「卒業しても皆さんは同じ青龍寮生なのだと、そう思います。もちろん、私もですよ」 「そうね……」 胡蝶が冷たい表情を崩して、ちょっと照れたように笑った。 「それじゃ、俺はそろそろ行くかな」 光紀が立ち上がる。 「またいつか、こうして会えることを願います」 「ええ、またどこかで!」 无が微笑み、頷いた萌楽が拳を突き出す。 彼らはお互いの顔を見合わせて笑うと、それぞれに背を向けて寮を後にした。 卒業四名、不合格につき都合退学二名――それぞれの歩む道もまた違うが、それでも彼らは知っている。お互い歩む道は違えど、かつて共にこの青龍寮で机を並べた者同士であること、そして、それぞれに見た未来と世界を求めて、これからも青龍寮生で有り続けるとを。 |