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■オープニング本文 ●恩賞 大広間、大股開きに立つ志士が書面を読み上げる。 「緋赤紅殿、銭二十五貫。高遠重衡殿、斉藤玄馬殿、共に銭二十三貫――」 読み上げているのは褒賞の目録だ。今回の戦における俸禄の加増や出世の沙汰は無く、金銭のみだった。 「――以上の者、銭二十貫文」 銭一貫につき銭一千文。瑞鳳隊に参加した志士の多くは二万文の銭を受け取る事となった。数名の戦死者が出て、出発時より人数は減っている。戦死者とその家族には、遺児の養育費等別途恩賞が下されるとの事だ。戦も終わった事から瑞鳳隊はこれにて解散となり、志士達も普段の生活に戻る事となるだろう。 彼等は最後に、芹内よりの言葉を聞き、祝宴会を予定しているとの計画を知らされた後、大広間を辞した。 「あぁ、緋赤殿。ちくと」 「ん? なんで御座いましょう?」 呼び止められてきょとと首を傾げ、男の話に耳をかたむける。 「宴会の準備を頼みたいのだ」 「私に‥‥?」 「うむ。芹内王より、戦勝祝宴会を催せとの命が下っておってな。他の幹部とも相談の上、宜しく取り計らって戴きたい」 その言葉に、紅の顔が輝く。ついでにおでこも輝く。 「わ、解りました! では早速準備に――」 「あぁ、待たれよ」 ぱっと駆け出す彼女を呼び止めて、男が続ける。 「宴会で御座るが、芹内王も参られるのは既に承知の事と思うが、それから、開拓者達の参加も許すようにとの御達しだ」 「‥‥えっ」 ぎょっとして振り返る紅。 対する男は大仰に頷いて、おでこから眼を逸らした。 「粗相を起こさせぬように。もし何か問題を起こせば‥‥」 男は平手を持ち上げ自分の首をトンと叩く。 「コレじゃぞ。コレ」 「‥‥」 思わず息を飲む。男は意地悪そうな笑みを浮かべると、そそくさと部屋を逃げ出す。 なるほど、読めたぞ。むすっと頬を膨らませる紅。 参加者が問題を起こして責任を取るのが嫌だから、他に適任者が居る等と言って断ったに違いない。これは一杯食わされたぞ――彼女はがくりとうな垂れ、髪を掻きつつ部屋を後にした。 ●不満 「二十貫文ですか‥‥」 一人の志士が、包み紙を手に呟いた。 どことなく不満そうな表情を浮かべて手の中をじいっと見やる。 「少のう御座いますね」 隣より聞こえた声に、驚き、顔を上げる。 「な、なんと!」 「少ないと申したのです‥‥貴殿もそう思っておられよう?」 その女志士からの言葉に、志士は慌て、懐の中に銭を放り込んで腕を組む。 「せ、拙者、銭勘定をするほど卑しく御座らぬ」 「嘘を申されるな」 また新しい声がして、志士は表情を曇らせた。見やれば、他に二、三名の志士が立ち、厳しい表情を向けている。観念した志士は、辺りを見回し、周囲の者達がこちらを見ていない事を確認してから、ぐっと声を落とした。 「確かに、それがしも不満は御座る」 「で御座ろう!」 食いつく他の志士達。 「じゃが、ここは城中で御座るぞ、場を弁えられよ」 「しかしだな――」 「廊下の真ん中で、何の相談を?」 突然の言葉に、志士達は慌てた。 ばっと振り返ると、紅のおでこがきらりと光っている。見やれば、とうの紅はニコニコと笑顔で、今の話を聞いていたようには思えない。 「あ、え、いや! 褒賞金の使い道を考えておってな!」 「う、うむ。その通りじゃ! 褒賞金の使い道の相談でござる!」 「‥‥?」 眼をぱちくりとさせる紅。 素早く、一人がフォローを入れた。 「そうじゃ、緋赤殿は、褒賞金を何に使われる予定で?」 「えっ、私? うんと‥‥」 使い道を指折り数える。まず、武具の修繕。それから、留守を頼んだ小物に小遣いを渡し、祝宴用の着物を準備し――もう足が出た。そのくらいで終わりです、と彼女が告げるや、男たちはそれと喰い付いた。 「緋赤殿は名家の出身。二十五貫程度では足らぬでしょうなあ」 「いや、まったく。十分報いられているとは言えません」 カマをかけようと話題を振る男。 その言葉に紅は、ぷうと頬を膨らませた。 頬からおでこまで真赤に染まり、その様は赤鬼――というより、茹蛸のような顔をして鼻を鳴らす。 「わっ、私は褒賞金如きの為に戦った訳では無いっ!」 がなるや、肩をいからせてどすどすと廊下を後にした。 その様子を眺めていた見物人達もまた、悪いものを見聞きしてしまったなと、そそくさとその場を離れて行く。 「ふん。聖人ぶるで無いわ」 先程の女志士が苦々しそうな顔で吐き捨てる。 「‥‥我らが吝嗇家とでも申すか」 同調し、口々に不満を募らせる志士達。 紅は、若いが故もあって、相手の気持ちを察するのが下手だった。 元々彼等が何を話していたのか知らなかった事もあり、単に見くびられたと思って反発しただけであったが、対する彼等にしてみれば、公衆の面前において『お前たちは褒賞金「如き」に拘っている』と言われたのと同じだ。 志士達は再び額を突き合わせ、苛立たしそうな表情を向け合う。 「‥‥緋赤め。意を汲むなら、彼女から口添えをとも思ったが、こうなれば仕方ない」 「それよ。今度の祝宴会は無礼講との事だ。殿も参られる故、その場にて陳情致すのだ」 彼の提案に頷く志士。その言葉に続いて、更に。 「緋赤の事もだ。若輩である事を忘れ、同輩のみならず、先輩をも見くびっておる」 「うむ、侮辱されてこのまま引き下がる訳にはいかん」 「宴場にて恥をかかせてやるか‥‥いや、陳情と共に、奴の無礼な振る舞いをご注進申し上げる手もある」 数名の志士達は、周囲に人影が無い事を確認し、そのまま暫し相談を続けていた。 |
■参加者一覧 / 静月千歳(ia0048) / 井伊 貴政(ia0213) / 柚乃(ia0638) / 葛切 カズラ(ia0725) / 鴇ノ宮 風葉(ia0799) / 相馬 玄蕃助(ia0925) / 柳生 右京(ia0970) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 霧崎 灯華(ia1054) / 朧 焔那(ia1326) / 巴 渓(ia1334) / 八十神 蔵人(ia1422) / 水津(ia2177) / ルオウ(ia2445) / 斉藤晃(ia3071) / 赤マント(ia3521) / 平野 拾(ia3527) / 真珠朗(ia3553) / 平野 譲治(ia5226) / 設楽 万理(ia5443) / 流星 六三四(ia5521) / 菊池 志郎(ia5584) / 雲母(ia6295) / 与五郎佐(ia7245) / 浅井 灰音(ia7439) |
■リプレイ本文 宴会場の出入り口、お腰のものをと求められ、皆、武器を取り出す。多少の武器は誤魔化しもできるだろうが、多くの開拓者は快く得物を差し出した。 「剣士の誇りではあるが‥‥止むを得んな」 柳生 右京(ia0970)の斬馬刀を前に、店員達が唖然とした表情で顔を見合わせる。慌てて人を呼び、二人掛かりでこれを受け取った。志体持ちでなければ、たとえ歴戦の戦士であっても、これを一人で持ち歩けるのは体格に恵まれた者だけであろう。 「さて‥‥」 宴会の会場には、既に北面の志士達と多勢の開拓者達が集まり、膝を並べていた。座布団は人数分揃っている。北面の士分達には相応の席次というものがあるだろうが、開拓者達にそれは無く、来た順に着席する。 一方、席についていない者も隣の部屋に三人。 「ちいむ名を考えてきたぜよっ」 他の二人を前に平野 譲治(ia5226)が懐より紙を取り出した。 顔を寄せる拾(ia3527)と流星 六三四(ia5521)の前で、『流平拾』と書かれた紙を勢いよく広げてみせる。 「わあ、良いですねっ」 ぱっと表情を輝かせる拾。多少安直な名前ではあるが、気に入ったのであればそれで良し。三人は顔を見合わせると、大きく頷き、楽器を手に大広間へと戻る。彼等のように出し物の準備をしていた者もいれば、霧崎 灯華(ia1054)のように、先に風呂を浴びてさっぱりしてきた者も居る。 そうして参列者が徐々に増え、大広間も程よく騒がしくなり始めると、頃合を見計らったようにして、芹内王が姿を現した。 ●宴と演奏 「本日は、存分に楽しんで貰いたい」 宴会が始まって開口一番のその挨拶。 芹内の挨拶は、武家らしく飾り気の少ない物言いだった。 重臣の一人が乾杯の音頭を取り、杯を掲げる。彼に応じて皆が一斉に杯を掲げ、祝宴会はゆっくりと始められた。 (さて、どうも嫌な予感がするな) 巴 渓(ia1334)は腕を組んだ。表向きは無礼講。その無礼講にかこつけて無粋な真似をする輩はいないかと、辺りを見回す。今のところは誰も動いていないが、酒も進めばどうなるか分からない。 くいと杯を傾け、右京はちらりと眼をやった。 「あれが芹内王か‥‥」 末席に目立たぬよう腰掛け、特に他と交わる事も無く杯を重ねる。興味の源は、ただ剣士としてのみ。話しかけたりする積もりも無く、この場に置いて先に動いたのは、より積極的な開拓者達、中でも女性達だった。 設楽 万理(ia5443)が芹内の前へと進む。彼女は正装に身を包んでしゃんと背を伸ばし、芹内の前で膝を折る。 「理穴氏族、設楽家の万理と申します」 深く頭を下げ、言葉を続ける。 「理穴の者か」 「ハ。この度の祖国の危機に当たってご尽力頂きまして、小人の身で差し出がましいとは思いますが、国の者に代わりましてこの場で改めて心より御礼申し上げます」 その言葉に頷く芹内。 「苦労であった。理穴も、緑茂の里も、これからが大変であろう。今後も励まれよ」 「‥‥ありがたき御言葉」 謝意と共に御前を辞し、そのまま酒を手に重臣達へ注いでまわる。 正面から謝意を伝えられて嬉しくない者はそういない。彼等は万理の言葉に様相をやや崩し、酒を注がれる間にも二、三言葉を交わす。重臣たちの席に漂っていた堅苦しい雰囲気も少し和らいだかという頃、続いて、朧 焔那(ia1326)が進み出た。 畳を静かに踏みしめるその所作は、慎ましやかかつお淑やか。 なのだが。 「‥‥」 現れた朧を見上げて、重臣達がぽかんと口を開いていた。 それはそうだろう。その優雅な振る舞いとは裏腹に、朧の身長は220cm、恰幅の良い肩をぐっと張り、ゆっくりと背を屈めて挨拶する様は、巫女というより荒武者の風である。 「本日は、招待の儀感謝し候」 その声も、まるで地の底より揺れ響くかのようだ。 「う、うむ」 百戦錬磨の諸将達も、思わず息をのむ。 「つきましては、本日は舞などごろうじてお楽しみ頂ければと思い‥‥」 「舞か‥‥それは良いな」 焔那の申し出に頷く芹内。 彼女は扇子を一枚取り出し、ゆらと舞い始める。優雅に、そして華麗に――なんて事は無かった。そこには、どこかから迷い込んだとしか思えぬ世紀末覇者が居た。 「っ!?」 ずんと迫る舞いに、近習は慌てて立ち上がり、芹内の下へ駆け寄る。 「よい、下がれ。無礼である」 駆け寄る近習を、芹内が制した。が、芹内は意に介しておらずとも、周囲の諸将はまるで戦場にでもおるような緊張感を以って、彼女の舞を凝視している。焔那はそれに気付かなかったのか、一通り舞い終えると、不思議な空気にきょとんと首を傾げた。 「俺はサムライのルオウ! よろしくなー」 ルオウ(ia2445)は、小柄な身体で精一杯胸を張って瑞鳳隊の志士たちと挨拶を交わした。興味があるのは合戦の話。膳を手に膝を寄せ、料理や酒もそこそこに、軍談に華を咲かせる。 「景気付けにどんどんいこかー、まずは本マグロ一本!」 八十神 蔵人(ia1422)の注文に、店員は申し訳無さそうな表情を浮かべた。 「なんや、無理か?」 「丸々一本は流石に難しいそうですね‥‥」 フォローを入れる柚乃(ia0638)に、別のものを注文する蔵人。彼等のやり取りが続く間、ひっきりなしにぺちぺちと音が鳴る。小気味良いその音は、やり取りのあいだ絶える事も無く聞こえてくる。柚乃と、蔵人の間から。 「‥‥何してるのかなぁ?」 二人の間で、紅は箸を震わせた。 「?」 きょとんとした表情で振り返る柚乃。 手を止めた彼女は、普段通りの変わらぬ様子で、紅の顔を覗き込む。 「‥‥だって、おでこが叩いてと‥‥主張してるから」 「ンな訳ないでしょっ」 ぷうと頬を膨らませ、それに伴ってなおのこと輝きを増すおでこ。柚乃はあまりの眩しさに顔を逸らしたが、一方の蔵人は紅のおでこを見やりもせずに叩き続けている。怒りでますます赤くなる紅の頬。 ぐわと怒りかけた瞬間、その機先を制するようにして、女性が一人身を屈めた。人影に、反射的に振り向く。 「元気そうでなによりです」 静月千歳(ia0048)だ。 「この度はお疲れさまです」 「千歳殿」 「一杯、如何ですか?」 互いに見知った顔。千歳は静かに頭を下げると、徳利をつまんで差し出す。紅もこれを杯で煽り、返杯にと差し出す。千歳もまた、ついと杯を飲み干した。 「それでは皆様方、ちょっと良いかい?」 少年らしい、元気な声がぴんと張られる。 普段通りの橙色の服に身を包んだ六三四であるが、その手には手裏剣ではなく、太鼓のばちが握られている。 「俺の名前は流星六三四。此の度は祝宴会に呼んで頂き、更には美味い料理も振舞って貰い感謝の念に堪えないぜ」 彼が口上を述べる傍ら、譲治と拾も共に並ぶ。 「そこで、俺たちからもお返しに一曲披露させてくれねぇか」 「ほう‥‥何を聞かせてくれるのかな」 子供と思って――事実拾と譲治は子供だが――重臣は頬を綻ばせた。 許可が出たと思って間違いはない。三人は目配せして頷き合うと、譲治は三味線を、六三四はばちを手に身構える。太鼓がどんと叩かれ、三味線の弦は震える。二人の楽曲が音の響を増したその時、拾がすうと息を吸い込んだ。 「神楽の都は楽しい処――」 二人の調子に合わせた、明るく朗らかで、ゆったりとした歌。 彼女自身の柔らかな声もあり、ふんわりと暖かい。 都ではよく耳にされるその歌、参加者の中にはおやと気づいた者も多いが、ここは北面。一部の人間は初めて聞く曲にじっくりと耳を傾けた。目を閉じれば、様々な文化や人の流入する都の風景がありありと浮かぶ。 ふいと消え入るようにして、拾の声が止んだ。 続けて、二人の手もその動きを止め、楽曲は文字通り部屋の隅々へ消え入った。 「‥‥」 静かにお辞儀する三人。 参加者たちから、囃す声があがる。重臣たちも口々に見事だったと褒め称える中、六三四は大満足で、拾はちょっぴり照れながら席へ戻っていった。 ●酔っぱらい、襲来 「それにしても‥‥皆さん‥‥杯の進みが早いですね‥‥」 「まぁ、好きなだけ呑めるとあれば当然じゃのう」 あちこちで酌み交わされる酒の早さに、水津(ia2177)はきょとと首を傾げた。 かくいう彼女も、下戸であっても徳利を手にし、斉藤晃(ia3071)が杯を空ける度、すかさず酒を次ぐ。晃は元々、酒好きも酒好き、大酒飲みだ。注がれれば注がれただけ、ぺろりと舐めるようにして飲み干してしまう。 (が‥‥楽しい宴会で無粋は無しにしたいもんや) 水津に注がれた酒を飲み干しながら、周囲を見回す。 揉め事は勘弁被りたいし、酒は楽しく呑むもの‥‥と、見回す目が部屋の一点で動きを止める。 数人で固まって酒を呑む志士たち。宴の喧騒の中では、単なる雑談に見えなくも無いが、どうにも違和感の残る雰囲気だった。というのも、宴を楽しむでもなく小声を交わすその様子はまるで密談で、ちらちらと芹内や緋赤を見やるのも、どことなく不可解だ。 「いやぁ、それにしても――」 突然、よく通る声が彼らの耳に飛び込んだ。 声の主は井伊 貴政(ia0213)。 「瑞鳳隊をはじめとした皆さんの献身、これは中々真似できませんねぇ」 料理に舌鼓を打ちながら、上機嫌な様子の彼は、さりげなく、しかし彼らにも聞こえるよう大きな声で言い放った。 「私なんかは命がけの褒章がこれだけかと不満もありましたが、志士たちからはそういった声も聞こえません。大したものです!」 その言葉に顔を見合わせる件の志士たち。 一方芹内の前には赤マント(ia3521)が座り、大きく頷いていた。 「それに文句を言わず、こうやって「明日に向かう気力」を充填する為の祝勝会を開けるっていうのは、流石だよね」 芹内に酌をしながら、言葉を続ける。 「芹内王の元に、未来の為に苦労を惜しまない家臣たち‥‥この二つが揃えばこの国は安泰だね!」 笑顔で、芹内へと顔を向けた。赤マントの酌を受けて杯を煽る芹内。やや面食らったような面持ちをしながらも、大袈裟なくらいに参列者を褒める貴政と赤マント、二人の意図するところをおおよそ察してか、鷹揚に頷いて見せる。 「どうする‥‥」 宴会場の空気に、躊躇する志士たち。 「今更引き下がれるものか」 「‥‥よし」 彼らは小さく頷きあう。 機先を制された事もあって、場の空気は不利だ。ただし、恩賞に関して話題があがっていたのもまた事実だ。 「ならば俺が‥‥」 頷き合うに応じて一人の志士が立ち上がろうとする。 「おお! 貴殿らも良い尻探し遊山でござるか!」 座敷の中にわっと踊り込む声。志士たちが振り向くと、相馬 玄蕃助(ia0925)が顔赤く、酒を手にしたまま歩み寄っていた。 「何用にござるか?」 「いやぁ、何と言う訳ではござらぬが――」 怪訝な表情で応じる志士に、構わず顔を寄せる玄蕃助。 「――良い尻は見つかりもうしたか」 酒臭い息を吐きながらにかーっと笑う。 「お主、酔っておられるな」 ついと逃げようとするが、貴殿は呑まぬのかと肩を手に掴まれる。志士はとっさに腕を振り払おうとするも、事を荒立ててしまいかねぬ事に気づいて、慌てて腕をおろし、杯をとった。 「いやぁ、拙者、さほど呑めませぬので‥‥」 勤めて笑顔を取り繕い、杯をぐわと煽る傍ら、他の志士へと目配せを贈る。四人居るのだ。一人動けぬのであれば、他の誰かが動けば良い――そう考えての目配せだったのであろう。 が、二人めが腰を浮かせるよりも早く、彼の隣には浅井 灰音(ia7439)が腰掛けた。 「お酒が進んでいない様子ですね」 ほろ酔い気分で腰掛けた彼女は、すっと酒を差し出し、杯を受けるよう誘導する。 「今回の合戦、貴方達瑞鳳隊は、いわば主役と言っても過言ではないんだよ? ほら、もっと飲んだらどうかな?」 戦っぷりを褒められ、男は少なからず動揺する。 彼女の杯を受け、二三受け答えて応じる。その様子に、灰音は首を傾けた。 (存外単純なのだな) 酔っているにしては冷静なその思考。というのも彼女、酔っているように見せかけているだけで、実はざる。更に言えば、『酔わない』ですらなく『酔えない』ので、ざると言っても網すら無いざるだ。外枠しかなく、網目に引っ掛かりさえしない。 そんな彼女相手に飲まされている男も、今でこそ気丈に杯を重ねているが、その後どうなるかは言うまでもなく。 いずれにせよ、二人目も動けぬとあり、三人目がぐっと片膝を立てた。 (よし。ならば俺が‥‥) 片膝を立てた彼に、逃すまじと玄蕃助が手を伸ばす。 「どこにいかれる。もう少し呑ん――」 「貴殿は女人がお好きなのでしょう?」 伸ばされた手の先を、女志士が遮った。 「であれば、私がお酌を‥‥」 にこりと笑い、徳利を差し出す。 彼らとて、そうそう同じ手をくうつもりは無かった。玄蕃助は彼女の動きに鼻先を抑えられ、やむなく酌を受ける。ただし、その態度自体は努めて『自然な酔っぱらい』を装いつつ。 (已むを得んか) 赤い顔で酒を煽り、酔っぱらいらしく、じいっと尻をみやる。が。尻ばかり見ていて膝を抓られたのはまた別の話。 何とかして玄蕃助の制止をかわした志士は、席の合間を縫うようにして進み、芹内王の前で膝を折る。 「殿っ」 頭を垂れながらずいと膝を進め、迫るようにして芹内へと額を上げた。 「‥‥如何致した」 気づいて、芹内は応じる。 彼は仲間内で話あっておいた口上を思い出しつつ、口を開かんとして――視界に入ったソレを前にして、はたと動きを止めた。 「おや‥‥あたしは邪魔になるでしょうか?」 志士を前に、振り向く真珠朗(ia3553)。芹内に酌をしていたらしい彼の胸には、勲章がわりの勾玉がさがっていた。緑茂における戦いで戦功のあった者に送られたというそれを見て、暫し逡巡する志士。 考えても見れば、開拓者の受け取った報酬は、彼ら北面諸士より安いのだ。 それも、仮にも実力主義の北面国。中でも戦功を認められた者が礼儀正しく振舞っている中、恩賞の不満をぶちまければ、己の『格』を下げかねぬ。 が、ここまで来ては引っ込みが付かない。誤魔化すにも良い思案が浮かばず、口篭る。場に漂う不穏な空気。芹内もその事に気づいてか、その表情をやや曇らせた。 「その‥‥」 「何じゃ何じゃあ!」 返答に窮する中、豪快な声に、男はびくりと背を伸ばす。 晃だった。 巨体が、もたれかかるようにして座り込み、男の肩に腕を回す。 「おぬしら下戸かと思ったが、案外いけるやないか!」 「‥‥」 「祝いの酒や。しけた面せずに呑め呑め」 呆気に取られる志士。だが、晃から呑め、呑めと杯を押し付けられて、ハッとして杯を煽る。 「ふん、それがしが下戸とは言いよるわ」 「おうそれこそ武士の呑みっぷりや」 豪快に笑う晃。 「二人とも、酔うておるな」 荒武者のような老臣が、しわくちゃの顔をむっと怒らせた。が、芹内もこれを好機と見、老臣を制し、二人に扇子を向ける。晃の意図を察しての事だ。 「構わぬ。無礼講ではないか。ましてや酒席であるぞ。酔うておる事を咎め立ててやるな」 「殿、何を申されますっ、殿がそうやって甘い事を申すから‥‥」 芹内の言葉を受け、歯の抜けた顔で老人特有の説教を始める老臣。 しかし、そこへ更に、ダメ出しとばかりに与五郎佐(ia7245)が現れる。 「いやぁ、これは申し訳ございません」 晃と志士、二人の前でさっと頭を下げる。 「二人は、私が夜風に当たらせて参りますから、何卒お目こぼしの程を」 老臣はぐちぐちと嫌味を続けるが、与五郎佐にとってはどこ吹く風。笑顔で対応し、反発するでもなく卑屈になるでもなく、嫌味をのらくらと聞き流していた。そうして一通りの嫌味を言い終えたであろう頃合を見計らない、晃と志士の二人を立ち上がらせた。 「さ、縁側にでも参りましょう。月見酒も風流なものですよ」 背を押すようにして促す。 晃も志士の首をがっちりと掴んで話さず、ぐいと引っ張るようにして縁側へ向かう。与五郎佐は志士に肩を貸すようにしてこれを支え、耳元に口を寄せた。 「瑞鳳隊が、このような場で揉め事を起こされては‥‥」 「‥‥」 「亡くなったお仲間がなんと思われるでしょうね?」 与五郎佐自身、卑怯な物言いだとは感じている。 だがそれでも、当の志士は彼の言葉に何か恥じ入ったのだろう、目を伏せ、黙ったまま、促されるようにして共に外へと出た。 ●夜更け 途中、不満の陳情をぶつけんとした者もいたが、それらが問題に発展する事もなく‥‥そうこうしているうちに、夜もふけて、時刻は九時を過ぎた。 「では‥‥私はこれにて失礼しよう」 すっくと立ち上がる芹内。 「あとは、皆で気を休めて楽しんで頂きたい」 彼がそう告げるや、彼に従い、重臣や老臣たちも席を立ち上がった。いくら無礼講だ何だと言ってみたところで、身分の高い者がいれば場の空気が強張るのはやむを得ない。元より、程々で席を払う予定となっていた。 芹内以下の上級士分は駕籠へ乗り込み、それ以外の者も提灯をぶら下げる。 開拓者たちも、カズラのように上級志士の一人を捕まえ、しなだれ掛かるようにして街の夜辻へと消えていく大人もいれば、その一方、拾や譲治のように、年少の者も早めに宴を辞す事にしている。 「それでは、お先に失礼しますね!」 ぺこりと頭を下げる拾。 となりの六三四が、提灯を手に立ち上がった。元々、九時以降どうするかは決めていなかった。共に演奏を披露した仲だ。譲治と拾の二人を送り届けるつもりだった。 「‥‥おや」 にわかに出入口が騒がしいと見て、貴政はひょいと首を伸ばした。 彼はしゅんしゅんと湯気をたてる土鍋を手に、廊下を覗き込む。 「お帰りになるんですか?」 彼の問い掛けに、幾人かが足を止め、振り返る。 「土鍋‥‥?」 「雑炊ですよ。食べてから帰られては?」 彼はにっこりと笑い、土鍋を持ち上げる。料理人としての修行も積んできた彼の手製だ。味は折り紙付きであろうが、しかし。彼女は、万理は残念そうに笑いかけてこれを辞した。 「折角ですが‥‥これから、まだアヤカシ退治に赴かねばなりませんから」 彼女は一人、深く頭を下げると、駆け出すようにして闇夜へと消えていった。 事は穏便に済んだ。殆どの者は志士と晃が酔っ払っていたとしか見ていなかったし、違和感を覚えても、その理由が何であるかまでを察せたのは更に少数だ。 とはいえ、気づいた者ももちろん居る。紅とてそうだ。 彼女は廊下で報酬についてやりとりをしたのを覚えている。その事もあって、彼らの意図に気づくのはそう難しい事ではなかった。 「さっきの人、どうしたのかな‥‥」 柚乃が呟く。 「報奨金が少なくて不満があったんだろう」 答える紅の言葉に、柚乃はきょとと首を傾げた。 「芹内王かて、出さないんやのうて、出せへんねんやろうけど‥‥そこを察せんかったんかねぇ、あいつらは」 「くっ、武士は死ぬのが仕事だというにっ」 飄々とした態度を崩さぬ蔵人に、ぷいと言い捨てる紅。 そのやりとりに、柚乃は思い余って口を開きかけたが、しかし、実際に紅の言葉に応じたのは柚乃ではなかった。 「そんな言い方しないで」 鴇ノ宮 風葉(ia0799)の声だった。 静かに、だがハッキリと言い切る声。顔を俯け、膝に手を置く風葉の肩が、小さく震えている。自分勝手、好き勝手に生きている自覚は、ある。それでも彼女には、大切な一線があった。 「なっ‥‥」 キッと視線を返す紅。 金の事でとやかく言うのが嫌なのは、風葉も紅も、二人とも同じだった。 ただ、その想うところはまったく違っていた。風葉は、生死に人一倍敏感だから、生きて帰れなかった者の事を慮れば報酬に言及したくないのだ。 鋼線を張ったように、空気が軋む。 近くで見ていた渓も、紅に自制を促すべきか迷う。 「やめようよ」 だが、その軋んだ空気に割って入ったのは、風葉の隣に腰掛けていた天河 ふしぎ(ia1037)だった。 芹内も参加すると聞いてひどく緊張していたが、暗く沈んでいた風葉を前にすれば、緊張もどこかへ消え失せていて。 「みんながあれだけ大変な思いをして、やっと勝利を掴んだんだよ‥‥嬉しくないの?」 生きて帰る望みを、叶えられなかった者もいる。その事実には、誰も異を唱えられない。紅もぐっと押し黙った。 「嬉しいって気持ちがあるなら、今は、それを明日への力にしようよ」 せっかく設けられた祝いの席なんだよ、これからも頑張って行こうって、そう思う為の席じゃないの――静かに言葉を紡ぐふしぎ。笑顔ではあったが、笑顔であるが故に、その表情はどこか悲しげだった。 風葉は顔をあげて彼女を見やり、紅はぷいとそっぽを向く。 「‥‥悪かった」 ぼそりと呟き、だけどと言葉を続けて振り返る。 「場の空気を悪くしたのを謝っただけだから。か、勘違いしないでよっ」 ゴーグルのレンズに光を反射するおでこ。 彼女は、腕を組み、再びぷいとそっぽを向いた。 (ふふ‥‥稼ぎ時とはこの事だな) 冷や汗を浮かべる相手を見やりながら、雲母(ia6295)は煙を吹く。 九時前、芹内らもいるような場では流石に止められたが、今とあっては、眉をひそめる者こそいれど、無理にでも押しとどめようというものはいない。実際、対する志士のように、勝負に乗ってきた者もいる。 先程、晃らに押されて縁側へ出ていた男だ。 「おや、また私の勝ちだ。運が向いてきたかな?」 「なっ‥‥ぐぬ‥‥もうひと勝負だ!」 削り潰すようにして、少しずつ勝ちを重ねる雲母の手口に、相手はすっかり頭に血を上らせてしまっていた。賭け事というものは、『本気』になってしまうと、勝てる賭けにも勝てなくなる訳で‥‥その上酔いも廻っているとなれば、どうなってしまうかは言わずもがな。 数百文程度で済んだのがまだ幸いといったところだろう。 肩を落として暗い表情で酒を喉へ流し込む男。 「今日は散々だ‥‥何なんだ一体」 彼は腰掛け、後ろを通った店員を呼び止めた。 「すまんが、酒を」 「‥‥少しお待ち下さい」 青年は快く応じて酒を整え、酒を持ってきてやる。 自棄酒気味に喉へ酒を流し込む男に応対して、そのまま四半刻。男はむすっとした顔で座り込んでいた。 「だからよう、俺は‥‥って、あんちゃん、ちゃんと聞いてるか?」 「えっ。あ、えぇ、はい。聞いておりますよ」 大部屋の一角。酒に酔った赤い顔で愚痴愚痴とくだを巻いていた。これに応対するのは先程の店員――であるが、実のところ、彼は店員ではない。菊池 志郎(ia5584)、彼は、さり気なく白湯等を置いてやりつつ、愚痴にも笑顔で応対していた。 (‥‥何だか、働きに来たみたいですね) 内心で苦笑を浮かべる士郎。 どこにでも溶け込めてしまう、平々凡々とした人畜無害の様相。シノビとしては、ある意味特異な才能ではあるが。 (それにしても) ちらと、紅へ目を向ける。 「やっぱり、身分の高い人なんですねぇ」 視線の先で、紅はあたふたと歩き回っている。幹事をやっている上に、立場柄、挨拶だ何だの応対も多いのか、結構慌ただしそうにしていた。とはいえ、今は与五郎佐の酌を受けていて、与五郎佐は彼女の額を、紅は彼のつるりとした頭頂部を互いに見つめていた。 両者共に顔を見て話していない辺り、かなり変な光景だ。 「俺も、あの時おでこを叩いておけば良かったかな‥‥」 ふと残念そうな顔をした彼の後ろで、誰かが床に倒れた。 その崩れる音が誰のものか、考えずとも解る。先程の志士だ。とうとう酔い潰れた。士郎は、小さな溜息と共に、男を担ぎ上げた。 酔い潰れた志士を、士郎と灰音が担いでいた。 あれだけ呑んでいてなおケロリとしている灰音に気づく者はいなかった。あまりに平気な顔をしているが故に、殆ど呑んでい無いのだろうと、誰もが勘違いしてしまったのだ。 「では、お先に失礼します」 「夜道に気をつけて」 ぺこりと頭を下げる二人に、紅はへろへろと手を振った。 だって幹事だ。最後でないと帰れない。 それから改めて店主らへ挨拶に出向き、帰り支度に取り掛かる。と、その段になって、紅の肩をがっしと掴む影。 ぎょっとして後ろを見上げる。おでこが蝋燭の灯に照らされる。 「お疲れ様。どう、これからもう一杯?」 そこには、強気な表情の灯華がいた。 額から顔を覗きこむようにする彼女を前に、紅は、ややげんなりとした表情を浮かべた。が、彼女もそれを察してか、断られるよりも早く口端を持ち上げた。 「それとも、もう呑めない?」 灯華の言葉にぴくりと反応して、紅は、にやりと八重歯を見せる。 彼女は、そう問われて否と言える性格ではなかった。 「‥‥まさか!」 「なら決まりね。ふふふ、今夜は寝かせないわよ♪」 腕組みをして仁王立ち。 朝まで飲み明かして、どちらが先に酔い潰れたか――それはまた、別のお話。 |