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■オープニング本文 開拓者ギルド。 御隠居さんと係員が世間話をしている。 「そうそう。先の件ですが、好評でしてね」 「お恥ずかしいですな。今だから云いますが、鋤や鍬など握ったことも無いという輩も少なくないのでして」 恐縮して頭を下げる係員に、隠居は微笑む。 「ですが、一生懸命におやりになった。それが評判になるのでしょうな」 「たまたまです」 へりくだる係員の前で、隠居は煙管を取り出す。 「まあ、その件はまた――実はね、今日寄らせて貰ったのは他でもない、別の仕事を頼めないかと思いましてね」 云いながら火を付け、ぷかりと吹かした。 「今度は井戸掘りですか?」 「違いますよ。ふむ、ちょっと私の話を聞いて下さいな」 隠居が聞かせたのは千代と久蔵の話である。 千代の家族は、貧乏長屋に暮らす父親だけ。彼女の父は武士だったが、戦傷が元で病気がちになり、役を辞して浪人になった。僅かな内職と千代の稼ぎが一家の家計を支えている。極貧生活であるが、逃げてきた娘を父親は温かく迎えた。 「そのような身勝手な主人の所へ戻るには及ばぬ」 「待った。御隠居の話は脈絡が無いですなぁ。えーと、千代さんはどこから逃げて来たのかな。そこから話して貰わないと分からないじゃないですか」 「急かさなくても、そう長い話では無いので。まあ今から説明しますとも」 渋面で手帳を取り出す係員に、一服やりながら隠居はのんびり続けた。 久蔵は、千代が奉公する重村家の嫡男。下女として働く千代と久蔵に、特別な関係は無かったというが、或る日。洗濯物を干していた千代は、突然背後から久蔵に抱きすくめられ、好きだと告げられた。仰天した千代は、久蔵を突き飛ばして遁走したのだった。 「ほう。勝気な娘さんですな。しかし、久蔵とやらは不様な。使用人を手ごめにしようとして逃げられた格好だ、武士の風上にも置けない」 「まあね。そこで話は終わらなかった」 隠居の聞いた話では、久蔵は千代の長屋まで乗り込んで来た。千代を連れ戻そうとする久蔵は、止めに入った父親を殴り飛ばしてしまう。長屋の者が集まってきたので、その場は立ち去った久蔵だが、また来ると捨て台詞を残したらしい。 「随分と、千代さんにご執心なのですな」 「それはもう。久蔵さんは、千代さんと祝言をあげて夫婦になるのだと、話していたそうでございますよ」 「えっ」 父親の負傷は、それを聞いて逆上した彼を久蔵が返り討ちにしたものらしい。 「ふーむ、どこまで本気か分かりませんが、はた迷惑な男でございますねぇ。千代さんの方は、久蔵のことをどう思っているのです?」 「奉公の際に間に立ってくれた仲介人に話した所では、嫌いでは無いが好きでは無い。強引な求婚は無礼千万、今は恐い、と」 もっともな話だと頷く係員に、隠居は依頼内容を語った。 「お願いしたいのは、この久蔵さんに千代さんの事をね、諦めさせてほしいと、そういうことですな」 「なるほど。そのくらい、開拓者たちなら訳も無いですよ」 安請け合いする係員に、隠居は一つ条件を付けた。 開拓者がやったと、分からぬ方法でやって欲しいと。 「どういう訳です?」 「話を大きくしたくないんですよ。うーん、悪い云い方をすればね、今回のは痴話喧嘩みたいなものでしょう」 現代風に云えば民事事件。奉行所などを頼らず、開拓者ギルドを選んだのも、つまりは大事にしないためだ。千代も久蔵も未婚者ならば、分からぬ配慮でも無い。 「ふむ、つまり闇討ちで久蔵を消せと?」 「悪い冗談ですなぁ」 条件は良くないが、これも修行と思って引き受ける開拓者も居るかもしれない。係員は隠居の依頼を預かった。 |
■参加者一覧
鷲尾天斗(ia0371)
25歳・男・砂
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
テーゼ・アーデンハイト(ib2078)
21歳・男・弓
ルー(ib4431)
19歳・女・志
アムルタート(ib6632)
16歳・女・ジ |
■リプレイ本文 「ごめんくださ〜い」 九尺二間の裏長屋。 事情を説明しようとアムルタート(ib6632)とルー(ib4431)は千代の家を訪れた。 「場違いだぜ」 アムルタートの後ろをトボトボ歩く鷲尾天斗(ia0371)。戸の陰から物珍しげに覗く長屋の住人に、天斗は露骨に顔をしかめた。 「見んな」 「こんにちは〜! ご隠居から話は聞いたよ! 思い込みって怖いよね〜。何とかしたげるから安心して♪」 満面の笑顔で宣言するアムルタート。 「まあ。御隠居様とは、どなたでございますか?」 千代は開拓者を真直ぐ見た。小柄で丸顔、大きな瞳が印象的な少女。 「疑問は当然だが。こちらにも事情がある、話を聞いて頂ければ有り難い」 ルーの言葉に、奥から男の声が応えた。 「このようなむさ苦しい場所に、都の開拓者が何用かな?」 床で寝ていた父親は、千代の支えで起き上がり、三人と向い合う。 「その前に、なぜ開拓者だと?」 「一目瞭然」 シノビ装束のルー、これから合戦に赴きそうな天斗、キラキラなアムルタート――この取り合せ、開拓者でなければ変態である。 「故あって名乗れぬ者としれい」 「天斗は呼ぶまで黙ってて。今ね、久蔵の所に話をしに行ってる人達が居るの。久蔵の所だけじゃなくて、何とか出来ないか色々と調べてくれてる人も居るんだよ」 と話し始めたアムルタート、千代と父親は黙った。 世話好きの隠居から千代と久蔵の話を聞き、何とか力になりたくて仲間と共にやって来たのだと、2人に説明する。 「皆、千代の味方なんだよ♪」 側で聞くルーの耳にも、強引な話だ。 「お節介とは思うけど。用心棒くらいに思ってくれないかな」 見ず知らずの人から厚情を受ける理由が無いと断る千代と父親だったが、アムルタートは笑顔を『強化』し、押し切るつもりで粘る。 「いいじゃないか細川の旦那、助けてくれるって言うんだから味方になって貰いなよ」 「そうだぜ、久蔵も、まさか開拓者には敵うめぇ」 意外な加勢は、話を聞いていた長屋の住人達。貧乏長屋の壁は薄い。 「長屋の衆に迷惑をかける訳には行かぬ。ご助勢、有り難くお受け致す」 「こちらこそ、済まないね」 「千代の縁者に、貴殿ほどの人が居たとは初耳でござる」 重村久蔵は、巴 渓(ia1334)の来訪を訝しんだ。 「構えねえでくんな」 見事な装備に身を包んだ開拓者が突然やってきて構えるな、という方が無茶だが。 「以前見知った娘の話が、たまたま聞こえたのさ」 渓は非礼を詫びつつ頭を下げる。 「お前さんが、千代を嫁に欲しいって云い出したからなんだぜ。まどろっこしいのは無しだ――――訳を聞かせて貰いてぇ」 浮かべた微笑は誤解しようの無い威圧。 「判り易い御仁」 久蔵は少し困ったような表情。 「ですが、お引き取り願いたい。私と千代の間の事でござれば、余人にお話しするような話ではなかろうと存ずる」 「むっ」 目を吊り上げる渓。 「この俺が、頭を下げているのを門前払いか」 「巴殿が拙者の立場なら、いきなり現れた開拓者に大事な想いを話しますか」 「‥‥話さねえ。けど、そいつを話させるから開拓者って言うんだぜ」 久蔵の職業にも通じるしつこさである。 「ふーん、大変だねぇ兄さんも」 夜鳴きソバをすするテーゼ・アーデンハイト(ib2078)は、偶然を装って勤務中の久蔵に接触した。この日久蔵は隣町まで所用に出かけて遅くなり、空腹を抱えて蕎麦の屋台に座った。 「にーさんの話を聞きたいなぁ俺」 テーゼは博打で良い目が続いた上機嫌を装い、久蔵に近づく。 「なあ、何でも相談に乗るぜ? 仕事の愚痴から体の悩み、恋煩いまで俺に任せとけって。おっと、金の相談にだけは乗れないけどな」 「ほう、それは助かる」 身を乗り出すテーゼ。 「ここ数日、名のある開拓者が何人も街に入っている。何か、あるのだろうか」 「‥‥さ、さあ?」 目が泳ぐテーゼ。 「旅人ならば、何か道中で気になる噂を耳にしなかったか?」 「御免。俺、遊び人だから、にーさんの悩みは解決できそうにないかなぁ(‥‥す、すげぇやり難い人だ)」 テーゼは作業着に見習いの靴、という身軽な姿で武器と言えば懐中にナイフ一本、無防備な旅人と見えなくもない。この時点で見破られる懸念は無いが、同心の視線が痛い。 「ただ開拓者が集まっただけで、何があると決まったものではないのだ。しかし、役目柄、気になってな」 「ふーん。そんなに気になるなら、直接尋ねてみたら?」 テーゼの何気ない相鎚に久蔵は頷き、蕎麦を一気食いして立ち去った。 表と裏から、久蔵に当った巴とアーデンハイト。 2人が見た久蔵は、仕事に真面目な同心という姿。 「だから、開拓者と分からないようにって依頼人は言ってたのかな? だけど、それならもっとハッキリ言ってくれても良いのに」 「人柄を確かめただけで上出来かね。思ったほど酷くはねえようだ。あの娘も前から嫌いだったとは言ってねえし、普段はまともなんだろう」 真面目で女心の分からぬ男は、何処にでも居る。しかし、それだけか? 「御隠居の?」 口入屋の西海屋籐兵衛は、ジークリンデ(ib0258)が依頼主の名を出すと、納得した様子で彼女を奥に案内した。 「では御用件を伺いましょう」 「久蔵さんと千代さんの件です。西海屋さんなら、事情をご存知と思いまして――差し支えなければ、詳しい顛末を教えて頂きたいのですが」 籐兵衛は一つ頷いて、話し始めた。 「私がその事を知ったのは、細川さん――千代さんの父上が知らせてくれたからでして。吃驚しまして千代さんからも話を聞きました」 細川剛三郎は世話になった西海屋への義理として報告し、仰天した籐兵衛はともかくも事実を確かめようと長屋へ向ったらしい。 籐兵衛の話はギルドで聞いた話と同じだった。 (隠居の情報元は西海屋で間違いなさそうね) 「重村様の屋敷の奉公人は千代さん一人なのですか?」 「まさか。重村様は勘定方の重役でございます。中間、小者に女中が、えーと確か、合わせて6人でございました」 千代の他に5人の奉公人が居るらしい。西海屋は重村家に千代を含めて三名を仲介したが、今回のような事は初めてだという。 「久蔵様にも困ったものです」 籐兵衛の呟きに、ジークリンデは違和感を覚えた。 西海屋を出たジークリンデはその足で重村家の屋敷に向う。奉公人にどう接触したものかと思案する彼女の背に、声がかかる。 「やあ」 先客はテーゼだった。彼はジークリンデを屋敷から少し離れた路地に誘う。 「?」 「どうも俺達、久蔵さんに疑われてるみたいなんだよねぇ。だから屋敷の周りの聞き込みは、ちょっと問題があってさぁ」 「そう言えば、同心さんでした。偏執漢と思って、うっかりしてました」 父親は街の重役、息子は同心。 息子の醜聞を開拓者が嗅ぎ回る図は、世間の好奇心を集めそうだ。 「存外に、容易くない依頼です。砦を落とす方が、よほど簡単ね」 ジークリンデの顔に一瞬、酷薄な笑みが浮かんだ。 渓とジークリンデ、テーゼの三人は協力して重村家の内情調査に掛かった。その成果が表れる前に、再び久蔵が千代の居る長屋にやって来た。 「ははぁ。ここで何をされているのか、お聞きしても宜しいか?」 千代の側には三人の開拓者。久蔵はまず開拓者に問う。 「見ての通りだが。我らの千代の友人、今日はお父さんの見舞いだ」 「本当か、千代?」 立ち上がったルーは、久蔵と千代の間に立つ。 「聞けば、この怪我はあなたが原因とか。千代の友達も知らない男では、お父さんが怒るのも無理は無い」 そうだそうだと長屋の住人が味方した。 「‥‥そうか。千代、お前が開拓者を雇ったのだな。拙者のことを、そこまで」 久蔵の顔色が青白い。 (今だよ、千代さん) ここが勝負所と、アムルタートは千代の背中を押した。思いを決した千代に、ルーは道を開ける。 「千代」 「久蔵様、私は貴方のことを何とも思っておりません。それを祝言などと、お戯れが過ぎます。私は、貴方の妻になる気はございません。もう二度と、来ないで下さい」 はっきりと拒絶した千代。開拓者が控えているとは言え、心の強い娘だ。 断られた久蔵は、笑っていた。 「良かった」 「え」 「お前の気持ちが聞けて、拙者は嬉しい。急な話で、お前が戸惑うのも分かる。だが拙者は千代が好きだ。諦めるつもりは無いぞ」 一歩踏み込んだ久蔵に、ルーは慌てて千代を庇う。無腰で良かった、もし武器を持っていたら、抜いていたかもしれない。 (こりゃ駄目だ!) アムルタートが後ろを振り返り、手を振る。それに呼応し、背後に控えていた男が動いた。 「どーれ」 用心棒よろしく立ち上がった男、鷲尾天斗はアムルタートに顔を寄せた後、舌打ちして久蔵の前に立つ。 「てめぇ‥‥さっきから黙って聞いてたら、俺の前で女敵(めがたき)とは恐れ入ったぜ。おい久蔵、命知らずとはてめぇのことよ」 それまで存在感を消していた天斗の豹変に、久蔵も近所の住人も動けない。 「女敵だと?」 「ニブイ野郎だな。‥‥‥‥だァァァ! イイか良く聞け! 俺はコイツの事が大好きだ! イヤ!! 愛してると言ってもイイ!!」 ビシッと千代を指差す天斗。 「なぁにぃぃぃぃぃ!?」 どよめく見物人。 「嘘だ!!」 「黙りやがれ。俺の女を横から攫おうたぁ、てめぇ‥‥同心の風上にもおけねえ悪党だな!!」 よろめく久蔵。 「千代がお前の女だと?」 「俺の恋人を呼び捨てにするんじゃねえ!」 肩を震わせるアムルタート。 「こ、恋人‥‥まさか、契りを交わした仲だというのか」 「言うに及ばず! 年を越したら子供が生まれるって深ぇ仲よ!!」 お腹を押さえるアムルタート。 「ななな」 赤面する久蔵。 「武士の情けだ、先に抜くがいいぜ」 事ここに至り、長屋の住人は開拓者がやって来た本当の理由を悟った。 彼らは偶然訪れたお人好しでも千代が雇ったのでもない、女敵討ちに来たのだと。そう考えれば、天斗の出で立ちは至極真っ当。いや、そうでなければおかしい。 閑話休題。 ここで話を少し戻す。 重村家の内情を調べていた三人は、久蔵の両親に面会を求めた。 「どうも武士ってのは、回りくどくていけねえ」 「用件を承ろう」 久蔵の父親は街の実力者らしい威厳を保っていた。 「その前に、一つ確認したいことがあるのですが‥‥久蔵さんに縁談のお話があるそうですね」 ジークリンデの予想は当たった。まだ内々の段階だが、久蔵とさる領主の姫との間に縁談が進んでいた。上流武士の世界の話だから、政略結婚と言って良い。珍しい話では無いし、良縁らしい。しかし、現在は話が進んでいない。 千代との一件が発生したからだ。 「久蔵さんはこの縁談に反対だった、そうですね?」 「そのような筈は無い」 両親共に顔色を変えないのはさすがだが、状況証拠は揃っている。 「ちょいと久蔵のことを気にしてる娘さんがいてね。頼まれて、話を聞いて回ってんだよ」 テーゼの聞き込みで、千代に告白する少し前から久蔵が何かに悩んでいる様子だったことを複数の人が証言した。久蔵の気持ちに踏み込めなかったのは残念だが、事件の後で久蔵と父親の言い争う声を聞いた人も居た。 「今回の件を内々に処理したいって目的は同じ筈だろ。俺達は協力出来ると思うが、どうだい?」 巴は久蔵の両親を説得する。 「そちらの息子が根に持った挙句、痴情のもつれで刃傷沙汰なんざ、もう目も当てられん。下手をしたら、心の闇を妖魔に喰われるかも‥‥な」 「‥‥分かった。わしらも出来る限り、協力しよう」 「有り難ぇ。俺達も今回の一件は他言しないと約束する」 両親は久蔵の翻意に協力すると三人に約した。最初から反対の様子だった為か、交渉はすんなりとまとまる。 あとは頑固な息子をどう説得するか――そこへ重村家の家臣が息を切らせて飛び込んできた。 「久蔵様が、」 開拓者達を前にして云いよどむ家臣。 「構わぬ、申せ」 家臣が告げたのは長屋での騒動。重村久蔵は鷲尾天斗と一騎討ちを行うという。 「馬鹿息子めが!」 「待った。俺達が力を合わせないと、この騒ぎは収まらんぜ」 場所は郊外の野原。 一方に立つは髑髏のマントを羽織り、神威風の戦装束に身を包んだ眼帯の志士。 一方に立つは鉢巻を〆、襷掛けした同心。 2人を囲むように、離れた場所に多数の見物人が固唾を飲んで見守っていた。さらに見届け人として、久蔵の父親が家臣を連れて出張っている。 「久蔵様は勝てるやろうか?」 「無理じゃろ。あの鷲尾天斗という開拓者、都でも知られた豪の者だそうじゃ」 「女敵討ちだそうな」 「しかし、あの鷲尾という男、妻が居るというぞ?」 「ガチロリという噂じゃ」 好き放題に言われている。 (何で、こうなったっ!?) 遠くからは、凄みのある笑みを浮かべている天斗だが、心の中は吹き荒ぶ嵐。頼みの綱の義妹は、悶絶しすぎて転がっている。 「やれやれ、依頼の条件はどこに飛んだ? 片をつけてきな」 「奥様に言い訳は考えましたか」 「藪蛇な事だけはやらないように‥‥うん、もう遅いか」 「せめて、久蔵は止めてやれ」 「‥‥」 仲間達の声援を受け、勇者は舞台に立つ。 「今日の勝利を、愛するコイツに捧げるッ!!」 振り返った天斗は悪鬼羅刹の貌。もはや一瞬でも早く久蔵を倒し、この場を去る以外の事は考えない。 「お前が悪い!」 走り込んで来る久蔵に、天斗は皇帝を抜いた。 全ては終わった。 歓声と罵声を背に受けて、天斗は千代に近づく。 「まァよォ‥‥俺の発言は忘れろ。周りからナンか聞かれたら『あの男はだらしないから別れた』とでも言っとけ」 耳打ちされた千代は腕を上げ、そっと隻眼の戦士の顔に触れる。 反対の腕で拳を固め、思い切りよく叩きつけた。 「私は、モノではございません! 貴方も久蔵様も嫌いです!」 不意を打たれた志士は棒立ちになり、そのまま倒れる。 一瞬、静まり返る。 「この勝負、千代の勝ちと致す!」 久蔵の父がそう宣言し、場はどよめきと歓声に包まれた。 よろよろと立ち上がった久蔵は、紅潮した顔で千代を見つめる。 「あの鷲尾殿を一撃で‥‥到底、拙者の及ぶ所ではござらん」 久蔵は千代に無礼を詫び、二度と近寄らないと誓った。 「ねぇ、今どんな気分?」 アムルタートは大の字に寝転ぶ男に声をかけた。 「計算通りだ。やる気はなくても依頼を成功させる、それが真の悪党」 誰はばかることなく大笑いするジプシーの少女の声が、夏の空に消えた。 |