蜘蛛の糸
マスター名:まれのぞみ
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/06/09 19:11



■オープニング本文

 朝も早くなった。
 老人は障子を開け、庭に降りると、大きく背伸びをした。
 さて、きょうはどこになんの絵を描きに行くか――
 老絵師は井戸からくみ上げた水で顔を洗うと、手ぬぐいで顔を拭いた。
 朝餉まで、まだいくぶんか時間がある。
 しばらく瞑想をするか、物思いにふけるか、なんにしろ弟子たちが起き出すまでのしばらくは一人になれる時間だ。
 廊下を歩いていると、障子越しに寝息がしている。
 弟子たちは、まだ夢の中か。
 途中、ひとつの部屋の前で足を止めた。
 ここからも寝言がする。
(あの弟子の部屋じゃったな――)
「――おっ‥‥か――!?」
 突然、悲鳴にも似た声があがり、その声が終わらぬまに、すさまじいまでの咳となった。師匠が障子を開けると、弟子が激しく咳き込み、指の隙間からは血の滴が落ちていた。師匠は手助けをしようとはしなかった。ただ、やがて落ち着いた弟子に濡れた手ぬぐい渡すだけである。
 無言で、顔をぬぐい、口をふき、手を清めると少年は床に落ちた自分の血を見つめた。
 なんと澄んだ眼差しなのだろうか。あるいは死期を悟った若者は、通常の者には悟りえない領域に心があるのかもしれない。
「よいかなよいかな」
 白い髭を揺らしながら師匠は笑った。
 どんな時にもよいかなよいかなというの師匠の口癖だ。
 少年は床を拭く。
「夢を見ておりました‥‥両親の墓のある森に行きたいと思います」
 その日のことを話していると、少年がそんなことを言った。
「墓参りにか? よいかなよいかな――」
「いえ」
 少年は首を横にふる。
「墓参りではない?」
「墓のある、あの森を描きとうございます」
「森を、か‥‥」
 少年に残された時間がどれほどあるのかはわからぬが、思い残すことがないようにしてあげるのが、両親を失い、そして自らの生命すら失おうとしている者への、せめてもの慰めであろう。
(惜しいの――)
 その才を見込んだ少年を、まるで孫を見るような目で老人は見つめる。
 しばらくなにも応えずにいると弟子がたずねてきた。めずらしく、よいかなよいかなと言わなかったことが気になったのだろうか。
「なにか問題でもあるのでしょうか?」
「あ、いやな‥‥わしもあのあたりの写生をしようかと思っておったのじゃが、村人たちが言うに、あの森には最近、性質の悪いアヤカシがたむろっておるから行くのを止めておくようにとのことなのじゃよ――よいかよいかな」

 ●

 いつの時代にできたものだろうか。
 森の奥にたたずむ一体の像がある。
 石でできた体はすでに朽ち、長年の間、雨風にさらされた顔は崩れ、本来の姿を失っていた。しかし、同時に不思議なまでに森と同化してもいた。あたかも自然の岩に苔がはえ、蔦がからみつくごとく像にもまた時間が刻まれていた。あるいは人の手が入れられた岩がもとの岩へ戻るように、像もまた自然に戻ろうとしているのかもしれない。
 ここは、かつて何があった場所なのだろうか。
 もはや転がる石となった廃墟に昔日の面影はなく、人影もまたない。
 かつてひとの手にあった場所も、いつしかひとであらざる物の手の内にある。
 梢を揺らす音がした。
 あたりの木々に止まっていた鳥たちがいっせいに飛び立ったかと思うと、一匹の鳥がそれにかかった。
 白い罠。
 幾重にも巡らされた糸が森には張り巡らされていたのだ。
 ぴぃぴぃと鳥が悲鳴をあげる。
 もはや仲間の姿はなく、取り残されたものの断末魔にも似た悲鳴が森に響き渡る。
 そして、それは死を招くものを招来する呪詛でもあった。
 どこからか、その黒い影が近づいてきた。八本の足を、みずからが描いた死線の上で踊らせ、音もなく、それは鳥に近づき糸でからめとった。
 哀れ。もはや鳥は姿を失った石像のごとく、鳥という姿を失い糸の固まりになってしまった。毛におおわれた丸い体が器用にも、それを巣からつるすと巣の上をゆっくりと去って行った。
 見れば、あたりにはいくつもの影がある。
 数匹の巨大な蜘蛛が、あたかも像に愛撫するかのようにまとわりつき、糸を吐いていたのだ。村人たちは言う。森の中には人をも殺める蜘蛛がいるのだと――


■参加者一覧
風雅 哲心(ia0135
22歳・男・魔
水津(ia2177
17歳・女・ジ
菫(ia5258
20歳・女・サ
白蛇(ia5337
12歳・女・シ
ハイネル(ia9965
32歳・男・騎
リディエール(ib0241
19歳・女・魔
晴雨萌楽(ib1999
18歳・女・ジ
ヤマメ(ib2340
22歳・女・弓


■リプレイ本文

「相手は大蜘蛛、であるならば、注意すべきは糸。罠として、張り巡らしている可能性が高い」
 ハイネル(ia9965)が仲間たちに訓示をたれると、うら若き――見た目だけかもしれぬが、乙女にそれは言わぬが花――娘たちがうなづいている。
「まるで遠足だな」
 風雅 哲心(ia0135)が苦笑すると、水津(ia2177)がいかにも彼女らしい受け答えをする。
「いいじゃないのかな‥‥」
 自信があるのか、ないのか。いいのか悪いのか、どうもはっきりとしない口調はいかにも彼女らしい口ぶりだ。
 もっとも、以前に比べればこれでもだいぶ性格ははきはきとしたものに変わっているらしい。
「それが経験――」
 白蛇(ia5337)がつぶやくと、誰にも届かなかったであろう、その言の葉は風にのり、木々の枝葉の揺れる空へと溶け込んでいく。
「雨がくるかな?」
 精霊の声でも聴いたのだろうか。リディエール(ib0241)が空を見上げると、木々の間からのぞく空には黒い雲がひろがっていた。
「雨の匂いがするな」
 鼻腔をくんくんとさせながら山に育ったヤマメ(ib2340)も、そんな予感がするのだろう。こちらも山に囲まれた里を故郷とするモユラ(ib1999)がうんうんと頷く。
「山の中じゃないから、急に変わったりはしないだろうけど、つくころには雨が降り出しているだろうな‥‥」
 なんにしろ、まだ開拓者としてこれから経験を積まねばならない娘たちの声はあでやかなもので、ときどき聞こえる鳥の声にも似ている。
 どちらの歌声の方がよりにぎやかなのか比べたくなるが、これだけ騒がしければ引率の先生‥‥もといハイネルが頭をかかえたくなるのもわからないではない。
 ハイネルの肩に風雅が手をまわす。
「ハイネル、お互いいい年齢だから自重しような」
「心配無用、問題はない」
 遠雷が響いてきた。
「雨の音が‥‥聞こえる‥‥」
 しとしとと雨が降りはじめる。
 もっとも木々の茂った、この森では木々の葉が傘の代わりとなり、それほどひどく濡れるようなことはない。
「‥‥人を殺める蜘蛛か‥‥どんな物かは知らないが、人に害をなすなら斬って捨てるのみ‥‥」
 菫(ia5258)の心の声が、音声化して外に漏れたのは、たぶん無意識の力みのせいだったろう。
 ちょっとちがうな――という声がした。
 菫が声の方向を見れば、はぁいと紅い髪の少女が手をふって、こんな風に解説をしてくれる。
「アヤカシじゃなければ、蜘蛛も益虫なんだケドね。救いの糸でヒトを食らう、か‥‥こりゃチョットばかし、懲らしめてあげなきゃーいけないカナ」
 学者の娘がくすりと笑うと蜘蛛に憎しみすらおぼえる娘は問うた。
「あなたは蜘蛛は大丈夫なの?」
「虫の類は全然平気だから、恐怖心とかはないよ」
 そんなふたりを見つめながら、水津が小さくため息をついていた。
(あの娘は、力みすぎだな‥‥)
 ここで開拓者の先輩らしく、いろいろと諭してやってもいいのだが、喉まで出かかっている言葉が、どうしても彼女たちに言うことができない。押しの強さが、まだすこし足りないらしい。
「おや?」
 水津は、ふと足を止めた。
 銀の髪をした少女を見ると、うなづき、
「気をつけて‥‥ここはもう‥‥蜘蛛の巣の中‥‥」
 きらいだと公言する色と同じ色の瞳をかがやかせ白蛇が警告を発し、メガネをかがやかせて水津も断言する。
「やはり瘴索結界にも反応したよ‥‥」
 開拓者たちの空気が一変する。
 事前の作戦どおりにヤマメが動いた。
 あたりに目をくばり、無造作に、しかしあたりに幾重にも張られた蜘蛛の巣にひっかからないようにそっと近づくと、手に持っていた袋の中から鳥を出した。
 鳥が喜んで飛び立ち、そして罠にかかった。
 故郷にいた時代、近所に住んでいた狩人がやっていた罠の応用だ。
 いつのまにか、横に白い姿の少女がいて、こちらはぬいぐるみを巣につけている。
 なんと言っていいんだろうか‥‥ヤマメがそんな表情をすると、白蛇のまなざしが、一瞬だけ、その名前の示すまなざしになった気がした。
「餌に呼ばれてくる‥‥」
「これだけ糸を張り巡らせてりゃ、近くにいるって言ってるようなもんだな。あとはどれだけいるのか、か‥‥」
 しばらくすると雨のカーテンの越しに黒い姿が見えた。
 子馬ほどの大きさはあろうかという蜘蛛だ。
「出てきやがったな」
「化け蜘蛛のようだな」
 男たちが得物を抜いた。
「一匹だけか?」
「多分、最初のうちはな」
「まあ、いいさ。さきに行かせてもらおう!? まずはこいつを食らいな! 神鳴る力よ!?」
 風雅の珠刀が雷神の力を宿し、一撃が蜘蛛の頭を砕く。
 深々とした傷を負った蜘蛛が助けを呼ぶように空に向かって頭をあげると、そこに向かってハイネルの片手剣が突き刺さり、空を見上げた姿のまま蜘蛛は絶命した。
「次がくる‥‥」
 水津のメガネがきらりとかがやくが、まだ閃癒を使うタイミングではないだろう。
 はたして、それが呼び声だったのか、二匹の蜘蛛が周囲から近づいてきた。
「‥‥後ろには一匹も通しません」
 菫が動き、蜘蛛の前に立つと剣と斧をかざし一匹を威嚇する。
 その気配を動物的な勘で察したのか大蜘蛛の動きがわずかに遅くなったような気がした。どうやら敵は毒もない、巨大なだけの動物だと言っていいかもしれない。
 仲間たちがあたりに気を配る中、ひとりが上を見ていた。
「どうしたの白蛇?」
 戦いに心が高ぶっているのか、ふだんは敬語の菫の口調が粗野なものとなっている。
「頭上に敵がいないか気にしている」
「あなたも? わたしも、いやな予感がするんだよね」
「きます!?」
 警句が飛ぶと同時に、一体の蜘蛛の上からするすると降りてきて糸を吹いた。
「きゃあ!」
 背後だと安心していたモユラの符を持つ手に糸がからんだ。
「外套を犠牲にしてでも防がねばなるまい。この場合、破棄しても致し方ないのだろうな」
 ハイネルがあわてて背後に戻ろうとすると、白蛇の吹く笛の音が炎を呼んだ。
「大丈夫‥‥」
 青白く燃える、彼女の望みの生み出した炎が巣を燃やすと、それに別の色が加わった。
「死に逝く者の願いをかなえるため‥‥貴方達にはここで退場していただきますよ‥‥行きます‥‥燃えなさい‥‥」
 それは焔の魔女がもたらしたものだ。
 そこに、ごめんなさいとつぶやいたリディエールの炎が加わる。
「熱くてもちょっとだけ我慢してくださいね‥‥!」
 モユラの腕をとる糸が焼ける音、赤と青の炎はたがいの場を奪い合うように、うごめきあう。その姿は踊るようにも、また互いを食い合う蛇のようにも、あるいは蜘蛛を食らいつくそうとしているようにも見えた。
 巣が燃え、バランスを崩した蜘蛛たちが、つぎつぎと地面に落ちた。
 この機を逃すことはない。
 ヤマメの矢が放たれ、モユラの符が飛び、青い髪が揺れて菫が剣と斧をふりまわし――幾度かの攻撃の後には、それらを死骸となり消えていった。
 雨がやみ、風が止まった。
 予感がする。
 漠とした不安――
「親方の登場かな?」
「そのようだな」
 まだ戦い足りないといった表情をしていた風雅にハイネルがつぶやいて森の奥をにらむと、爛々と燃える炎に似た目がいくつもあった。
「大蜘蛛かな?」
「賭けるか?」
「なんだと思うんだ?」
「無論、こんどこそ大蜘蛛だ」
「同じ物を賭けたら賭けにならないな」
「当然至極――」
 のっそりと巨体があらわれる。
 化け蜘蛛たよりも大きな蜘蛛だ。いかにも重そうな体は巣の上で優雅に動かしているが、モユラの斬撃符が足下の糸を切ると、なんなく落下。
「動かないでください!」
 リディエールの放った符が、大蜘蛛の足を凍らせる。
 動きがにぶった。
「いただき!?」
 ヤマメの放った矢が目を貫く、ふんと力を込めたハイネルの一撃が蜘蛛の足を叩き落とした。
「なかなかしぶといな。ならこいつで決めてやる。雷撃纏いし豪竜の爪牙、その身で味わえ!!」
 最後の一撃を与えると、雨がやんだ。
「終わったな!」
 やれやれ――
 アヤカシの消滅を確認すると、凍てついた緊張の糸がほどけた。
 ヤマメの口調が一変する。
「おぉ、これはこれは‥‥見事に自然に溶け込んでるなぁ」
 雲間から射す日差しに遺跡のごとき建物がかがやき、目をキラキラとさせながらヤマメが、あたりをうろつきはじめた。
「あ、あっちのほうも絶妙なバランス‥‥」
「森の中の廃墟は‥‥寺院、なんだっけ?」
 蜘蛛の住んでいた場所だ。
 まだ敵がいないか用心をしながら後片付けをはじめよう。
「はぁい!」
 どこから持ってきたのかリディエールがにっこりと笑ってヤマメに箒を手渡した。そして、手持ちぶさたな男たちにもぞうきんを渡し、きょとんとする菫を横目に、いつのまにか頭巾をかぶり、白い前掛けまでかけるとリディエールが腰に手をあてながら、えいえいおう!
「さぁ! 掃除ですよ、掃除!? 先生、おねがいします!」
 リディエールが冗談めいて水津にウィンクをしてみせた。
「まあ、こんなものかな‥‥地獄の炎さ‥‥」
 水津が指先を動かすと小さな炎がうまれて残った蜘蛛の巣を焼いた。
「地獄の炎か――蜘蛛ってぇのは、地獄から罪人を助ける神様の使いだって話もあるケド。その蜘蛛が神様の住処で悪さするなんて、チョット皮肉な話だね」
 学者の娘でもある陰陽師は博学なものだ。
「‥‥ここも昔誰かが住んでいたのですかね‥‥アヤカシに追い出されたのでしょうか? ‥‥どちらにせよ、こういうことが少しでもなくなればいいんですけどね」
 ため息をついて、それでもヤマメは掃除をはじめようとして――まず像に向かって手を合わせ祈る。
 そして、彼女が掃除をはじめようとすると、どこからか笛の音が響いてきた。
 その鎮魂歌にも似た寂しげなしらべを聴いていると、濡れた像の顔は、まるで子を亡くした母の顔のようにも見え、だれとなく飾った花が風に揺れると、わけもなく胸を締め付けられるような気がした。

 ●

 後日、老人がギルドを訪れた。
 そして、過日のお礼とともに柔らかな微笑を浮かべた像の絵を寄贈していった。
「弟子の母によう似ております――」
 そうつぶやいて、老人は弟子の墓参りに行くといってギルドを出て行ったという。
 日報の隅に手短に書かれた、無名の日記であり、それが開拓者ギルドの日常の景色であった。