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■オープニング本文 眠れない。 耳鳴りがしそうなくらい静かな夜だった。布団の中は体温でそれなりに温かかったが、足先はひんやりとしている。 そんな中で枕に顔を埋めているのが、一向に襲ってこない睡魔に頭を悩ませている富田松五郎(とみだ・まつごろう)だ。 彼は日々見た夢を記録してゆくのを趣味としていたが、これではそれすらも出来ない。 「やっぱり何か香りが必要か‥‥」 松五郎は枕に押し付けていた顔を離すと、はぁと溜息をついた。 彼の実家はお香の専門店で、松五郎は小さな頃から様々な香りに囲まれて育ってきた。 そんな家を出て一人暮らしを始めたのが一週間前のこと。 始めの二、三日は引っ越しの疲れも手伝い泥のように眠ることが出来たが、その後は徐々に寝付きが悪くなり、昨日など一睡もしていない。恐らく今日もそうなるだろう。 それならお香を買ってこれば良い‥‥と思うかもしれないが、この周囲にはお香を扱う店がない。遠くまで出向けば置いている店もあるだろう。しかし松五郎は大工見習いをしており、今は勉強に忙しくてそれどころではないのだ。 だがこのまま本格的に不眠になっては困る。 と、松五郎の頭にある考えが浮かんだ。 ギルドに頼んで、ここへお香を届けてもらえば良いのではないか。出来るなら、各人オススメの物を選んでもらって。 しかしすぐに首を振る。 「‥‥あまり気乗りはしないな」 大仰すぎるのだ。 「しかしなぁ」 眠れないのも困る。お香の匂いも恋しい。 それに夢の記録をもう何日もつけていない。今まで習慣だったものを途絶えさせるのは不安の素になっていた。 「‥‥夢――」 ならば目的をもう一つ増やそう。 お香を頼んだ開拓者に、それぞれが見た夢の話を聞くのだ。松五郎は他者の夢にも大変興味を持っている。 夢を見た時期はいつでも良い。今の時期なら初夢の話を聞くのも手だろうか。 経験豊富な開拓者だ、自分が想像もしなかった夢の話を聞けるかもしれない。 そう考えると居ても立ってもいられなくなった松五郎は、朝の四時だというのにギルドへ赴く準備を始めたのだった。 |
■参加者一覧
天津疾也(ia0019)
20歳・男・志
薙塚 冬馬(ia0398)
17歳・男・志
剣桜花(ia1851)
18歳・女・泰
水津(ia2177)
17歳・女・ジ
設楽 万理(ia5443)
22歳・女・弓
与五郎佐(ia7245)
25歳・男・弓
宴(ia7920)
20歳・女・シ
玖堂 紫雨(ia8510)
25歳・男・巫 |
■リプレイ本文 ●それぞれの香 一月も半分ほど終わったがまだ少し風の強い日の続く、そんな頃だった。 松五郎は集まってくれた開拓者達を招き入れ、座布団を勧める。 「依頼を受けてくれてありがとうな。本題の前にこれでも食ってくれ」 振舞われた食事に剣桜花(ia1851)はお腹を押さえて嬉しそうな顔をする。 「最近食費が厳しくて‥‥おまんま有難いです」 「僕もいただきましょうか」 獣肉が無いのを確認した与五郎佐(ia7245)も箸をつけ、しばし和やかな――しかし松五郎本人は目の下に隈を作ったまま緊張した面持ちで、時は過ぎていった。 食事も終わった頃、まず開口一番にお香の話を持ち出したのは宴(ia7920)だった。 「拙者はこれを持ってきたんす、よかったら使って下せェ」 「この香り‥‥梅か?」 お香を受け取った松五郎は、包まれていても香ってくるその芳香に呟いた。 宴はどんと胸を叩いて頷く。 「拙者も落ち着きたい時、自分の部屋で焚いてるやつなんす!」 「落ち着けそうな良い香りだ。睡眠にはもってこいだな」 続いて包みを取り出したのは玖堂 紫雨(ia8510)。 「私は愛用の香などを持参致しました」 「これは?」 「伽羅を中心に香木を粉にひいて調合した塗香です」 作ったのは紫雨だ。人の体臭と交わり香る特性を持っているのだという。故に放たれる香りも種類が多く個性がある。 「数年前に良い伽羅が手に入りまして」 紫雨自身が試した時は、森林のような爽やかさから露を含んだ麗花のようなしっとりと甘い艶やかな香りに変わるものだったらしい。 「‥‥加齢臭隠しという訳ではないですけれどね♪」 茶化しつつもう一つの包みを渡す。 開くとそこには筒に収まった黒い薫物があった。 「粒状のものなら見たことがあるぞ、黒方か」 「はい、これは昨年末に石鏡の本邸で熟成から出させて届けさせたものです」 しげしげと眺める松五郎に紫雨は笑みを浮かべる。 隣に座っていた設楽 万理(ia5443)も荷物からお香を取り出し、包んであった布を取った。 「さっぱりした香りの方が個人的には好きだから、これにしました」 見せたのは安眠効果があると知られている檜のお香。 「檜か、そういえば大分ご無沙汰だったな‥‥」 松五郎はそれを手に取り、懐かしそうな顔をする。お香だけでなく実家に檜風呂でもあったのだろう。 「あっ、それと」 万理は荷物からもう一つの包みを取り出した。手渡す際に何やらカラカランという音がする。 「香ではないみたいだが?」 「備長炭です、今回色んな人が色んなお香を持って来たでしょう?」 「ああ」 「備長炭には脱臭効果があるって聞きますし、使えるかなと思って」 松五郎はポンと手を打つ。 どれだけ効果があるかは分かりませんが、と万理は頬を掻きながら付け足した。 「私は自分が試した中から、好きなものを持ってきたですよ‥‥」 水津(ia2177)が畳の上に広げたのはオレンジのお香と、月見草のお香だった。 オレンジには緊張を和らげ精神を落ち着かせる効果が。月見草には安眠と老化防止の効果があるのだという。 「良い香りだな、丁寧な作りだ」 「他にも鈴蘭がおすすめです。安らかな気分にさせてくれるのと共に、辛い事があった時に心を癒してくれますですよ‥‥」 次にトンッと入れ物を置いたのは薙塚 冬馬(ia0398)だ。 「お香とかは詳しくないんで、これを持ってきたぞ」 冬馬が持って来たものも万理と同じ檜の香りがするものだったが、こちらは檜の製油も付いていた。 「仕事はあるし眠れないしで疲れてるんだろ?リラックス効果があるものだし、きっと効くぞ」 「有難く戴こう。‥‥それは?」 松五郎はもう一つある別の袋に首を傾げる。 「これは香じゃないんだが、茉莉花茶だ。茶は嫌いか?」 「いや、むしろ好きだな。そうか‥‥香りはお香だけに頼ることもなかったな」 感心した顔でそれを眺めている松五郎の肩を、天津疾也(ia0019)がチョイチョイとつつく。 「ほらほら、俺のんも見てくれへん?ジルベリア産の香料やで」 「ジルベリア産の?」 目を瞬かせ、松五郎は疾也から受け取った包みを開く。 するとふわりとラベンダーの香りが辺りに漂った。 「なんでも眠れない時に嗅ぐそうや」 「はっきりと嗅ぎ取れる良い匂いだ‥‥使わせてもらおう、ありがとう」 疾也はグッと親指を立ててみせる。 実は松五郎の実家がお香の店ということで人脈を築く試みがあったのだ。松五郎が喜んでいるところを見ると、まずは成功らしい。 「しまった、被ってしまいましたね」 与五郎佐もジルベリア産のお香を扱う店から仕入れてきたラベンダーのお香をさし出した。 「いや、この香りは気に入ったからな。いくつあっても嬉しい」 何日分だろうか、長持ちしそうだと松五郎は顔をほころばせる。 「全て日替わりで試させてもらうな、本当にありがとう」 最初の頃の緊張はどこへやら、松五郎は嬉しそうな表情でお香達を大切そうに仕舞った。 ●夢の話 夢の話をする前に振舞われたのは、桜花の持って来たカモミールティーだった。 湯のみに入っているが、その香りは本物だ。 「飲むと精神が休まり寝つきが良くなるといわれています」 「飲みやすい‥‥母さんにも勧めてみたいな」 香りを一頻り楽しみ、一口啜った松五郎が頷きながら言う。 「ほな次は夢の話やな!」 疾也はパンパンッと手を叩き、口を開く。 「これは初夢ん話やな。場所はどこかの山の上におって、初日の出を待っていたんやと思う。ほんで徐々に輝くものが空の端から出てきよったんや」 実際には見えぬ空を指さし、疾也は続けた。 「初日の出やーと思って拝んどったんやが、どうにも輝きがちゃうんでよく見てみると‥‥」 「見てみると?」 「‥‥それは大きな黄金やったんや!いやー、あんなデカイ黄金は見たことないてぐらいでな」 話しながら興奮しかけ、いけないいけないと一息つく。 「ほんでそれが真上まで登ってきて、ぱーんっと弾け飛んだんや。そしたら今度は雨のように金の雨が空から落ちてきてな、辺りをそりゃあもうきらきらと輝く金の海にしたんやよ!」 「なんとも縁起の良い夢だな」 想像して笑いながら松五郎は筆を手繰り寄せ、聞いた話をメモしてゆく。 「あれはホンマに極楽やったで。周り全部が金金金やったんやからなぁ‥‥おっとよだれが」 口元を拭く動作をし、疾也はすっと真面目な顔をして続きを話し出す。 「で、その金の海で泳いで至福やったんやが、金の雨が止まらんからだんだん顔が出せなくなってきたんや。そんであっぷあっぷして完全に溺れたところで‥‥目が覚めたんやわ、これが」 「溺れて目覚めるというのはよく聞くが、金の海というのは珍しい‥‥」 「俺もあんなん初めて見たで。今年は金に恵まれるっちゅう夢かもしれへんな!」 かっかっかっと楽しげに笑い、俺の話はこれでおしまい!っと疾也は満足げな顔で宣言する。 「では次は私が。連続でも大丈夫ですか?」 「ああ、どんどん聞かせてくれると嬉しい」 筆を構える松五郎に微笑みを返し、紫雨が口を開く。 「これは私が幼い頃に見た夢なのですが‥‥幼い私は一面の骨河原の世界を歩いていたのです。そして、目の前は血のように赤い河、対岸には幽鬼のような人々」 「まるで話に聞く賽の河原、だな」 「はい。私も幼心にここは死後の世界だと感じ‥‥帰ろうとしたのですが、足は止まらず進むばかり」 その時、幼い紫雨の身体を後ろから引きとめる者が居たのだという。 「振り返ると、そこに居たのは私と同じ年頃の見知らぬ少女でした」 「少女か‥‥」 「彼女が私に微笑んだ瞬間、私は目が覚めたのです。そして」 紫雨はピッと人差し指を立てる。 「驚いた事に、その少女と後に現実世界で再会したのですよ」 「現実世界で‥‥!?」 「彼女は、私の妻だったのです。今は亡き、ですけれどね」 松五郎は目をぱちくりとさせた。正夢は本当にあるのかといった顔だ。 「思えば、その夢は何かの運命を示す暗示だったのかもしれません。松五郎殿はこのような夢を見たことはありますか?」 「いいや、ないな。‥‥他の開拓者さんは?」 見回すと、与五郎佐がすっと片手を挙げたところだった。 「少し違うかもしれませんが、不思議な夢を僕も見ましたよ」 なんでも与五郎佐はそれを三日三晩続けて見たらしい。 始まりは、見知らぬ土地で墓に取り縋って泣いている女性と出会うところからだった。 「僕がどうかしましたか?と尋ねると女性は両親がアヤカシの仕業に見せかけて殺された事、犯人は家の商売敵とその家人らしい事‥‥そして相手は権力者と怩懇で、確たる証拠も無しでは役人も動いてくれない事等を涙ながらに話してくれました」 「酷いもんだ‥‥」 松五郎は本当にあった事のように眉根を寄せる。 与五郎佐がギルドに依頼を出すよう言うと、女性は商売敵に家財道具、家屋敷まで没収されてそんな余裕は無いと答えた。 「強きを挫き、弱きを助けるのが開拓者の務め。ならばこの与五郎佐が一肌脱ぎましょう――」 そう申し出たが、女性は他者を巻き込む事に難色を示し、出来るなら敵は自分の手で討ちたいと言う。 そこで女性が続けて言ったのが「貴方の武芸を私に教えて下さい」という台詞。 「僕は弓術を教え、女性は三日の間にみるみる上達し、それはまるで三年余りも修行したようでした」 「その後は‥‥?」 「さあ敵を討たんと街道沿いで待ち伏せていたところで目が覚めてしまいました」 そう言われて松五郎は一瞬筆を止めてしまう。 「が、それから程なくして、瓦版でうら若き乙女の敵討ちの美談が載っているのを読みました。これは偶然でしょうか‥‥?」 「偶然ではない、と考えた方が人生が楽しくなりそうだな」 オチにホッとした表情を浮かべ、再度筆を走らせる。 「次は私が話しまし‥‥」 「あ、豊胸ネタ禁止ですから。それは夢ではなくて妄想と言います」 大きな胸をわざと揺らしながら言う桜花を水津はムッとした顔で見る。 「いいえ、私が見たのは相棒の鬼火玉と焔で戯れたりする夢でしたよ‥‥」 実は身体、特に胸が成長する夢も見たのだが。 「私にとっては日常の一部みたいなものですけれど、ね‥‥。普段よく見る夢は、よく見るからこそ大事だと思います‥‥」 松五郎は目を伏せる。 彼にも普段からよく見る、特に変わったことはない日常の一コマのような夢を見た経験があったのだろう。 「俺もよく見た夢があったな」 思い出したかのように冬馬が言う。 「その夢は養家に引き取られた頃に見ていたんだが、何の変哲もない丘の上で、誰かと一緒に目の前に広がる山野を見ている夢なんだ」 「一体誰と見ていたんだ?」 松五郎が尋ねるが、冬馬は首を振った。 「わからない。でも‥‥何故かすごく幸せなんだ。でも同時に同じくらい悲しくて仕方なかった」 思い出しながら喋る冬馬の顔には、柔らかい微笑が浮かんでいた。 「眠っている間に涙が溢れてきたから、目が覚めて心底驚いたせいで未だによく覚えているぞ」 「その人は薙塚さんにとって、何かとても大切な人なのかもしれないな」 かもしれない、と冬馬は笑う。 「じゃァ、次は拙者が」 そう言って足を組みなおしたのは宴。 これァ開拓者になる前、故郷の里に居た頃に見た夢なんすけど――と話し始める。 「拙者にはよく出来た妹がいやしてね、里の重要任務はほとんど彼女に任されていたんすよ。当時の里の仕事っつったら諜報、もしくは‥‥」 ひゅっ、と首を斬る動作をする。 「‥‥暗殺で」 「あ、暗殺」 「あの日も妹は夕方頃任務に出ていった。でもいつもなら丑三つ時には戻るのが、明け方近くになっても帰ってこねェ」 仕方なく宴は先に寝た。 その時見た夢に出てきたのが、顔が霞んで見えない忍装束を着た女。 「装束は妹のモンだった。けれど女はごめんなさいってェ何度も呟くばかりで、誰だか分からねェ」 噴き出す嫌な汗と共に目覚めたが、後になって宴は思った。あれは妹の最後の挨拶だったのだと。 暫くして里に帰ってきた妹は、首から下だけだった。 形見は装束と、今頭に付けている紅椿の飾りのみ。その飾りに触れながら、宴はハッとして言う。 「‥‥すまねェ、なんか湿っぽいっつか、怖い話になっちまいやしたね!」 あははっと笑って困ったような笑みを零すと、拙者は話は終わりです、と少し後ろへと下がる。 松五郎は何か考え込んでいたようだったが、礼を言うと聞いた事をきちんと書き写した。 「私もちょっと湿っぽい話になっちゃうけれど、いいですか?」 「もちろん大丈夫だ」 万理はそれを聞き、ホッとして話し始める。 「私が子供の頃に見た夢です。そこには五歳くらいの子達が何かを囲んで泣いていたの。子供は三十人くらい居たかしら」 その子供達の中心に居たのは万理と、仲のよい異性の友人。 傍らに置かれた籠の中には万理が飼っていたと思われるネズミが居たが、既に冷たくなっていた。 「ネズミが死んだから悲しんでいるのだと思うわ」 周りは広い道路で、前方には顔の分からぬ大人が大体四人ほど立っていた。 その大人は万理達に何かを告げていたが、その部分は思い出すことが出来ない。 しかし万理はその大人達に何か必死に抗議をしていた。――そこで夢は終わったという。 「昔ネズミを飼っていて、それが夢に出たのだろうか‥‥」 「いいえ、それがネズミなんて飼っていた覚えがないの。けれどその時の私はネズミの死が悲しくて、起きてからもずっと泣いていました‥‥」 その大人達はその後の夢にもたまに登場するらしい。 「顔も少しずつはっきりしてきたのですが、誰なのでしょうか‥‥」 「設楽さんにとって馴染み深い人物か、その他か‥‥なんにせよ真実が分かったら聞いてみたい話だな」 では最後は私が、と桜花が手を挙げる。 「私の初夢は百万は居ようかという巨大G様を率いているものでした」 「Gってまさか‥‥」 冬馬が笑おうとして失敗した顔をした。 「私は十メートルはあるG様の上で指揮をとり、まさに天儀の都に攻撃をかけようとしているところでした‥‥立ちはだかる開拓者をG様が目から出す怪光線で薙ぎ払い、都を焼き払い、ついに!」 ぐっ、と拳を握る。 「ついに宮殿を制圧し、天儀を破滅させた‥‥ところで目覚めました」 「普通はもっと早くに目覚めていそうだが‥‥」 松五郎に桜花はにっこりと微笑んでみせる。 「これはきっといつか正夢になるとG教徒の名に賭けて信じるものです」 「‥‥貴女をよく表している夢だということはよく分かった」 笑い、松五郎はメモの締めくくりに黒い虫の絵を添えた。 人の数だけ夢があり、その中には稀に不思議なものが混じっている。 そう実感した松五郎はその日、やっと久しぶりの睡眠にありつくことが出来た。 ――聞いた話が全て混ざったような夢だったため、人生で一番の超大作だったのは後の話の種である。 |