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■オープニング本文 ●陽縣 朱藩が首都『安州』の近郊の街『陽縣』。 安州にも負けず劣らず飛空船の開発が盛んなこの街では、数々の工房がその腕を競っていた。 そんな工房の一つで――。 『ばっきゃろぉぉぉ!!!』 巨大な飛空船の造船所自体が振るえたのではないかと思える大音響に、作業員たちは手を止め声の主へと視線を集めた。 「初陣――しかも処女飛行で船失ったぁどういう了見だっっ!!!」 頑固親父を地で行く工房の主『平賀 栄喜』は、目の前に立つ傷付いた青年に向け、あらん限りの怒声を浴びせる。 「すまない‥‥謝るしかない」 栄喜の怒気に晒される青年『黎明・A・ロウラン』は、幾度も首を垂れひたすらに謝った。 「謝って済みゃぁ、奉行所なんざぁいらねぇ!!」 「おやっさん。お怒りはごもっともですがね。あんまり攻め立てちゃ事情も聞けないってもんですぜ?」 額に無数の血管を浮かべ唾を撒き散らす栄喜の背後から、若頭『重種』が何とか抑えつける。 「お前ぇに跨ぐ敷居はねぇ!! とっとと帰りやがれっ!!」 「おやっさん‥‥」 取りつく島もないほどに顔を真っ赤にさせる栄喜に、黎明は悲しげに俯いた。 「黎明の旦那。今日は帰った方がいいぜ」 と、栄喜を押える重種は黎明に言葉と共に視線でそう訴える。 「‥‥今日はこれで帰る」 重種の意図が伝わったのか、黎明は栄喜に背を向け工房の出口へと向かう。 「重! 塩ぉ持って来い! 疫病神のお帰りだ!」 怒り心頭の栄喜は、とぼとぼと工房を後にする黎明の背に向けて、罵詈雑言を吐き出した。 ●役所 陽縣にある役所の一室。 「な、なんだって‥‥?」 目の前に座る男の言葉に黎明は思わず聞き返した。 「‥‥聞いていなかったのか?」 対する役人の男は、黎明の拍子抜けした表情に眉を顰める。 「お前がこの報酬を依頼したと聞いたんだが?」 「い、いや確かにそう言ったが‥‥こんなにもあっさり?」 役人がもたらした報酬。 それは先の依頼の報酬として黎明が依頼した、副長レダの所在地の調査であった。 「‥‥ふん、空賊風情が。天儀王朝の力を見くびるな」 空賊などと言うどこの馬の骨とも知らない者を使うなど、この役人からしてみれば不愉快でしかないのだろう。 役人は目の前の空賊が欲した情報が書かれた封書を机の上に放り投げた。 「お、おっと!」 投げ捨てる様に放られた封書を、黎明は机から落ちる寸前で受けとめる。 そして、無駄に豪華な封が施された封書の口をびりびりと破き中身を取り出した。 「‥‥」 そこには豪奢な封書にも負けぬ劣らぬ触り心地のよい一枚の和紙が入っていた。 どこか高貴な香りすらするその紙を広げた黎明は、達筆に書かれた文字を眼で追っていく。 「海賊‥‥?」 海賊。南海。黒船。孤島。 そこには全く予想もしていなかった文字が躍っていた。 「‥‥レダ」 そして赤髪の女。 文字だけでは本人と断定する事は出来ない。 しかし、書かれたその容姿、風貌はまさしく長年共に歩んできた同胞のそれであった。 「これで約束は果たしただろう。さっさと出て行け。それ以上居座るならひっ捕えるぞ」 紙を手にじっと立ちつくす黎明に、役人は苛立ちを募らせていた。 「あ、ああ。助かった」 ハッと顔を上げた黎明は役人に軽く一礼をすると、紙を握りしめ役所を後にした。 役所を後にした黎明は再び紙に目を落していた。 「‥‥うん? 心津領主『高嶺 戒恩』?」 文章の最後に添えられた情報提供人の名前。 見覚え、聞き覚えの無いその名に、黎明はかくりと首を傾げた。 「レダが発見されたのが南の海‥‥レアが飛び去ったのも南‥‥」 紙に書かれた情報と、あの時自分自身の眼で見た情報を照らし合わせる。 「南に何かあるのか‥‥?」 確信など無い漠然とした予感。 しかし、その予感は黎明の心にいつまでも消える事無くしこりとして残っていた。 「とにかく、船を手に入れないと――皆、無事でいろよ!」 一刻すらも惜しいと、黎明は再び来た道を駆け戻った。 ●工房 再び訪れた平賀組の工房――。 「‥‥」 皺の刻まれた険しい表情をなおさら険しくし、黎明を見下ろす栄喜。 「‥‥」 何も言わず、栄喜の前に土下座する黎明。 「‥‥何の真似だ」 部屋の影から覗き見をしていた工員達を視線で一喝した栄喜は、眼の前で土下座する黎明に声をかけた。 「‥‥船を貸してくれ」 何一つ成果を上げる事無く、ロールアウトしたばかりの船を失った。 開拓者達が知恵を絞り、平賀組の職人達が精魂込めて作り上げた白亜の船が、一月もしないうちに失われたのだ。 「‥‥船を借りて何をするつもりだ」 平賀組の長である栄喜は、ふつふつと湧き上がる怒りをグッと抑え、黎明に問いかける。 「あいつ等を助けに行く」 と、黎明は顔を上げ栄喜の睨みつける視線をじっと見返し、言葉短くそう告げた。 「無様に仲間を失っといて、今度は助けに行くだぁ? 随分と都合がいいなぁ、おい」 「あいつ等は俺の仲間だ。兄貴の立ち上げた『崑崙』の名を継いだ時からの」 戯言を、といよいよ見下す栄喜に、黎明は真摯な言葉を続ける。 「さっき、知らせが来た。レダの居場所だ」 と、黎明は懐から一枚の紙を取り出し、栄喜に差し出した。 「‥‥これがどうした」 「レアを奪われた時、最後に向った進路が南だった」 「‥‥」 「レアは、レダの元へ向っている」 「何故そう言いきれる」 「勘だ」 「話にならねぇ」 「それにレアは沈んだ訳じゃない。レダと共に必ず‥‥必ず取り返す!」 「‥‥」 その視線には力強い決意の色が浮かんでいた。 「重!」 「へいっ、用意できてやすぜ!」 振り向かずに呼ばれた名に、重種はニヤリと口元を吊り上げ、後方を指差した。 その背後にはいつ飛び出してもかまわない様にすでに始動準備に入りった、鉄色の船体。 「『飛鉄・改』。貸してやる。ただしトイチでな」 「‥‥すまない」 黎明は栄喜の恩赦に、再び深く深く首を垂れた。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
水月(ia2566)
10歳・女・吟
アルネイス(ia6104)
15歳・女・陰
レティシア(ib4475)
13歳・女・吟
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ●黎明の空 青みがかった白の帯は、次第に夜色を侵食していく。 「あの時のツケがここに回るたぁな」 「‥‥ごめん、本当に」 「お前のせいじゃねぇだろ」 並走する天河 ふしぎ(ia1037)を眺め酒々井 統真(ia0893)が嘆息した。 「そうですよっ。ここで巻き返せば全てチャラですっ!」 落ち込むふしぎに向け、レティシア(ib4475)が拳を握ってみせる。 「みんな‥‥ありがとう」 「‥‥飛鉄・改も準備できたみたいなの」 空を見上げる水月(ia2566)の眼に飛鉄・改の甲板から手を振る叢雲 怜(ib5488)の姿が見える。 「こっちも準備万端ー!」 アルネイス(ia6104)はグライダーに括りつけた荷物を見下ろし、グッと親指を突き立てた。 「それじゃ、突っ込むぜ!」 5機のグライダーは、黒い岩肌を朝日に照らし始めた岩山へと突撃した。 ●飛鉄・改 申し合わせた時を太陽が告げる。 5人が筒賀へと突入したその頃、上空では飛鉄・改があらぬ方向へ船首を向けていた。 『あー、これは後の請求が怖いね』 と、船体を傾ける飛鉄・改の甲板で、突入した統真達の姿を確認した人妖『雪白』は嘆息する。 「グライダーって、高いのだっけ?」 『最近安くなったみたいだけどね』 船首を垂直に下げた飛鉄・改が、重力の力を借り速度を速める。 「掴まっておくんだよ!」 「わかってるのだぜ!」 船内で操縦する黎明の声が、伝声管を伝い船首で踏ん張る怜に向けられた。 「レアの風宝珠は船の中央にあるから、外から狙うのは不可能だ。だから――天吼を狙う!」 「船首に突き出てるアレなのだな! わかった!」 事前に見ていたレアの図面が例の脳裏に浮かぶ。 狙いはレアの無力化。最大の攻撃手段である精霊砲『天吼』を沈黙させる。 「行くよ!」 「おう!」 重力に風宝珠の力を乗せる。 飛鉄・改はまさに矢となり、筒賀に係留されるレアへと真っ直ぐに落下していった。 ●看守階層 「ありがとう天空竜騎兵‥‥!」 小さな光取りの窓へ強行突入したグライダーは、翼をもがれ大破した。 ふしぎは、胴体部のみになった自身のグライダーに詫びる様に呟く。 「ちぃと派手にやりすぎたな‥‥気付かれたか?」 同じくグライダーで突入した統真が大破したグライダーを見下ろす。 「気付かれて入るでしょうけど、虚はつけました。流石に一番人のいる看守階層から来るとは思っていなかったのでしょうー」 辺りを見渡すアルネイスがしてやったりの表情を浮かべる。 「‥‥でも、これだけの音を立てたから時間の問題なの」 「そうですね。音を聞きつけて敵さんがいっぱいやってきます。急いで捜索を開始しましょうっ!」 水月とレティシアが視線を合わせ頷いた。 「――来てる! 皆注意して!」 寝床から跳び起きる絹すれ音、階段を駆け降りる足音。ふしぎの聴覚がこちらに向く人の気配を捕えた。 「はいは〜い。白壁黒壁ぬり壁ばばーんと建てちゃいますよー!」 アルネイスはすかさず符を取り出し詠唱を始める。 「アルネイスが時間を稼いでいる間に行くぞ!」 どーんと通路を完全に塞ぐほどの白壁が現れたのを確認し、統真が先頭を切り下階へと続く階段へと走り出した。 ●飛鉄・改 顔に当たる風は次第にその勢いを増す。 「目標補足!」 怜はペタンと尻を床に落とし体を固定すると、真下に見えるレアの甲板に狙いをつける。 「狙い撃つのだぜ!」 目標は甲板上の人影。 怜は風に流されそうになる銃身を脇でがっちりと固定すると、真下の目標に向け引き金を引いた。 「もう一人!」 まるで外すことなど考えていないのか、怜は着弾の確認をする事無く次弾の装填に入る。 呼吸する様に自然な一連の動作。怜は流れる様に次弾を装填し発射した。 『そろそろ突っ込むよ! 脱出するんだ!』 「おう!」 伝声管から聞こえる雪白の声に、怜は立ち上がり何の躊躇もなくその身を宙に投げた。 「姫鶴!」 自然落下がもたらす独特の浮遊感の中、怜は愛龍『姫鶴』を呼び寄せる。 白磁の鱗を朝日に輝かせる姫鶴は、落ちるタイミングを計っていたかのように中空を漂う怜をその背に受けとめた。 「いっけぇぇ!!」 姫鶴の背に跨った怜は、眼下に墜ちていく飛鉄・改へ向け拳を突き出す。 鈍色を放つ鋼鉄のラムがレアの船首目掛け突っ込んだ。 ●牢獄 光取りの窓から入ってくる朝日が、牢獄の中をぼんやりと照らしだす。 階段で鉢合わせた見張りを気絶させた一行は、牢獄階層へと足を踏み入れていた。 「真黒黒壁出ておいでー!」 上層へと続く階段をアルネイスの黒壁が塞ぐ。 「これでしばらくは時間が稼げると思いますよー。という訳で、レティシア殿、お願いしますね!」 「はい。――ミルテ」 愛犬『ミルテ』の耳元で小さく小さく囁いたレティシアは、取り出した布を鼻に当てる。 「もう一度、この匂いですよ。しっかり探して――」 当てられた布は真紅のバンダナ。黎明から託されたレダの品だ。 『くぅん』 レティシアの緊迫する声がわかったのだろう、いつもは凛とした声を上げるミルテは小さく頷くだけ。 「いい子ですね。さぁ、行きなさい」 愛犬の賢さに頬を緩めるレティシアは、頭を一撫ですると闇を指差した。 しかし、地面に鼻を擦りつけるように闇へと向うミルテの足が、すぐに止まる。 「え? もう見つけたんですか?」 『あぅ!』 今度はいつもの凛とした声であった。 皆がミルテの立ち止った牢獄の前へ歩み出る。 「レダ!?」 その牢の中には項垂れ、椅子に腰かけた赤髪の美女の姿があった。 「‥‥ダメっ!」 見知った姿に鉄格子に手をかけたふしぎを水月が制す。 「レダさんは‥‥操られているの」 水月に目にだけ映る、レダの心の包む黒い鎖。 今まで見た事もない禍々しい呪縛がレダを縛っていた。 「‥‥私が行くの」 水月はそう言って、不安そうに見つめる皆を見上げる。 「‥‥必ず連れて帰ってくるの」 水月の決意に止めに入ろうとした者も口を紡ぐ。 そして、水月は一人牢の中へと踏み入った。 ●看守階層 「‥‥こんなに堂々と来るとはね」 目にも止まらぬ一閃がアルネイスの造り出した白き防壁を一刀両断する。 「田丸麿様、申し訳ありません」 隣に侍る悦が深々と頭を下げた。 「いいよ別に。うまい時間を狙ってきた敵を褒めようよ」 「はっ」 薄く微笑んだ田丸麿は立ち塞がる壁という壁と次々と斬り倒して行く。 「そう言えば、空はどうしたの?」 「係留してある戦闘艦の方へ行ったはずですが」 「ふーん‥‥ま、いいか」 ●牢 「‥‥皆が待ってるの! 黎明さん、嘉田さん、石恢さん、他にもいっぱいの仲間が!」 普段あまり使わぬ喉から吐き出された心からの願い。 水月は痛む喉を気にも留めず、レダに向け訴えかける。 「‥‥貴女には帰る場所があるの」 虚ろな瞳を向けるレダに、水月はゆっくりと近づき、 「それは此処じゃないの!」 包み込むようにそっと抱きついた。 小さな体から春の日差しにも似た暖かな温もりがレダへと浸透していった。 水月の熱い想い乗せた解術の法の行方を皆が固唾をのんで見守った。 「‥‥レダ! わかるんだね、レダ!!」 と、突然ふしぎがあげた声に、皆はレダを見直す。 そこには確かにあった。無表情な頬に流れる一筋の涙を。 「いけるっ!」 解術の確かな手応えに統真も拳を握った。しかし――。 「‥‥え」 レダは突如抱きついていた水月の首根っこを掴み上げると、軽々と持ち上げた。 「水月さん!」 レダの異変に咄嗟に反応したレティシアは声を楽の音に変える。 「――虚ろなる混沌の只中へ、ゆっくりと‥‥ゆっくりと――」 この牢獄の冷たい闇とはまた違う、温かい闇の誘い。 レティシアの声が紡ぎ出す、夜の子守唄がレダに向けられた。 「‥‥」 しかし、レダの身に変化はない。 抜けだそうと必死にもがく水月を見下ろすと、無言のまま水月を壁へと向け投げつけた。 信じられぬ怪力で投げられた水月は、勢いよく岩壁にぶつかり大きく跳ね上がる。 「水月!! なぁろぉぉぉ!!」 人形の様に力無く宙を舞う水月の姿に、統真が切れた。 「沈んどけっ!!」 地を蹴った統真の身体が、瞬間、レダの懐へ。突き出した拳底をレダの鳩尾に当てると、勢いそのままに力を解放した。 ●上空 「命中なのだぜ!」 怜は姫鶴の背上でぐっと拳を握った。 レアの船首に突き刺さった飛鉄・改は、浮遊宝珠の力を借り宙吊りの姿勢のままゆっくりと上昇を始める。 「おっと! そうはさせないのだぜ!」 と、喜んだのも束の間、怜は再び銃口をレアの甲板に向ける。 衝撃と轟音により、レアの船内に待機していたであろうシノビらしき影が次々と飛び出してきていた。 「姫鶴! 飛鉄・改が逃げるまで俺達で足止めするのだ!」 再び銃を構えた怜は尻の下から伝わる温もりに声をかけた。 ●牢 『すまないな。世話をかける』 「気にすんな。水月は軽いからな、苦にもならねぇよ」 水月の愛猫『ねこさん』が、統真に向け頭を下げる。 レダから受けた攻撃に、今だ気を戻さぬ水月は統真に担がれていた。 「でも、無理しないでくださいね? 水月さんなら私でも担げますから」 統真は水月だけでなく、レダも抱えている。 レティシアは両手のふさがる統真を見上げた。 「ああ、いよいよきつくなったら頼む。それより、他の船員は居たのか?」 「うんん、ここにはいないみたい。下の階かも」 ふしぎの耳に届く呼吸音はない。 「ミルテもそう言ってますね。他のクルーの人の品を借りられなかったから確かではないですけど‥‥」 黎明の持っていたのはレダの品だけ。他の船員の品は全てレアの中にしかないとの事だった。 「行きましょう。私の壁もいつまでも持つものではないですからー」 ひょいっと梵露丸を口に投げ入れたアルネイスが、次なる壁を立てつつ皆に告げた。 ●広場 「――上の方が騒がしいな」 至る所に穿たれた穴から、新しい日を告げる光が差し込む。 「あの女を取り返し来たか」 まだ薄暗い空間に漂う声だけで、その女の嬉しそうな表情がわかった。 「さすが人間。なんと単純な事か」 僅かに含みを帯びていた嬉々は、想いと共に次第に脹れあがる。 「連れて行け。そして解呪でも何でも試みるがいい――時間をかけ、ゆっくりとな」 ひとしきり笑ったのだろうか、女の声は挑発するそれに変った。 「そして絶望するがいい。『埋伏の毒』にな――」 何本もの蠢く『腕』に囲まれる薄い唇が薄気味悪く歪んだ。 ●階下牢 「はふぅ、待って‥‥待ってくださいー」 階段を駆け降りる一行に、大荷物を抱えるアルネイスはどうしても遅れがちになる。 「少し持とうか?」 救護に必要となるだろうと、アイテムをこれでもかと持ちこんだアルネイスに、ふしぎが声をかけた。 「じゃ、お言葉に甘えて‥‥」 と、ふしぎの親切にアルネイスは有り難く甘える。 一方、先行した統真を護衛にレティシアがミルテに命を下す。 「さぁ、ミルテ。人の匂いを追いなさい――血の匂いのしない人です」 レティシアが指示した血の匂い。 それは単に血液の香りではない。人に染みつき、けして消える事の無い罪の匂いだ。 『わぅ』 ミルテは小さく吠えると、松明の消えた闇へと身を躍らせた。 ●牢 ミルテが一つの牢の前にちょこんと座り、尻尾をわさわさと左右に振っている。 「嘉田! 石恢!!」 「なっ! また来たのか!!」 「今度は正真正銘助けに来たんだ!」 突然のミルテの登場に驚く石恢に、ふしぎは懸命に声をかけた。 「はいはい、少しごめんなさいねー」 と、感動の再会を果たしたふしぎとクルー達の脇をそそくさと掻い潜り、アルネイスは牢の鍵に向う。 「ちょちょいの――ぽん」 ――カチリ、と小気味のいい音を立てて、牢の扉が開いた。 「大丈夫!? 怪我はない!?」 バンっと豪快な音を上げ開かれた扉からふしぎが飛び込んでくる。 「お、おう、俺は大丈夫だ。それよりなんでここに――」 「うーん、打ち身に擦り傷その他もろもろ、ぼろぼろですけど、骨折はなさそうですねー」 「う、うわっ!?」 体をまさぐられる石恢は思わず素っ頓狂な声を上げた。 「止血剤と薬草でなんとかなりそうですね。練力は温存温存」 そんな石恢を無視しながら、アルネイスは持ってきたアイテムを漁り始めた。 ●牢 「う‥‥」 薄く靄のかかる視界に視線を泳がせながらも、水月はゆっくりと瞳を開いた。 「水月、気がついたか」 「‥‥統真、さん?」 きょろきょろと辺りを見回した水月は、自分を抱えている統真と目があった。 「立てるか?」 統真の問いかけに、こくこくと頷いた水月は、逞しい腕を離れ地面に足を下ろす。 『しっかり立て。無茶ばかりして、これ以上迷惑をかけるな』 久しぶりに感じた地面の感触に、思わずよろけそうになった水月をねこさんがすっと体を添えて支えた。 「‥‥ごめんなさい」 嘆息と安堵が混じる複雑なねこさんの声に、水月がぺこりと首を垂れた――瞬間。 アルネイスが敷設した最後の防壁が、呆気なく両断された。 「これで最後かな?」 瘴気となって消えゆく白壁をくぐり、隻腕の男が姿を現す。 「た、田丸麿!!」 現れたその姿にふしぎが吼えた。 「うん? なんだ、知った顔も居るね」 しかし、身構える開拓者達を気にも留めず、田丸麿は目の前に立ち塞がる者達の顔を眺めた。 「二人で登場とは、随分と余裕なんですね?」 アルネイスはそう呟くと、田丸麿の背後に黒壁を召喚する。 「後続からは分断させてもらいましたよ。さぁ、この人数差でどうするつもりですか?」 田丸麿に向け、アルネイスは問いかける。 一見すれば壁に囲まれた空間に開拓者5人対志体持ち2人。圧倒的に開拓者側が有利である。 「この間といい、今日といい‥‥まったく、邪魔だね」 ゆっくりと首を横に振った田丸麿の殺気が――爆発した。 「ひっ‥‥」 思わずレティシアが悲鳴にも似たうめき声を上げる。 「なんだこいつ‥‥」 統真がギュッと拳を握る。 熱くもない――いや、むしろ寒いとさえ感じるのに汗が止まらない。 「統真、気を抜かないで‥‥あいつは――強い」 統真に並び前に立つふしぎが、田丸麿をじっと見据えながら呟いた。 「ああ‥‥」 今まで数多の戦場を駆け抜けて来た統真にとっても、その狂気は異質としか言いようの無いものであった。 大粒の豪雨に晒されているにもかかわらず、ひりひりと焼きつくように乾きを訴える喉。 そんな矛盾に持満ちた違和感がこの場を支配しているのだから。 正面には階上への階段、そして、統真達と対峙する田丸麿と悦。下がれば階下への階段。 「‥‥」 レティシアはちらりと背後を伺う。 「‥‥下に逃げたほうがいいの。下の部屋は広いから戦いやすいの」 こちらには解放した崑崙のクルーがいる。人数が多いとは言え、これは十分な不安材料だ。 そして、異様なまでに膨れ上がる田丸麿の殺気。水月は本能的にそう呟いていた。 「ミルテ、下を見て来てくれる?」 水月の言葉にこくんと頷いたレティシアは、愛犬へと視線を落した。 『くぅ‥‥』 しかし、ミルテはペタンと床に伏せたまま動こうとしない。 普段は勇ましいミルテがここまで怯えているなど、レティシアには経験がない。 『下にはもっと酷いものがあるみたいだな』 そんなミルテの気持ちを代弁したのか、ねこさんが小さく呟き下へと続く階段を見つめた。 「なろぉ!!」 地を蹴った力はそのまま速度となり、統真を飛ばす。 「逃げ場はねぇぞ!!」 瞬時に距離を詰めた統真は、田丸麿の足元目掛けた渾身の一撃で地面を踏み抜く。 「別に逃げないよ」 広がる衝撃を前に、田丸麿は表情一つ変える事無く、いつの間にか抜き放った刀を大地へと突き刺し衝撃を打ち消した。 「こっちにも居るぞ!!」 統真の頭上をふしぎが飛び越える。 「もらったぁぁ!!」 崩震脚の相殺に手を取られた田丸麿に向け、大上段に構えたふしぎの一撃が振り下ろされる。 「私もいる事を忘れるな」 「うぐっ!」 しかし、空を飛ぶ鳥を撃ち落とすように、悦の放った矢の一撃がふしぎの肩を貫いた。 「ちぃ‥‥!」 じりじりと距離を詰めてくる田丸麿に統真が低い呻きを上げた。 懸命に攻防を続ける二人だが、敵主従の連携を前に苦戦を強いられる。 「何か手は‥‥」 梵露丸をパクリと口に放り込みアルネイスが唸る。 「あれは確か――」 と、ある一点がアルネイスの眼に止まった。 そこは前回の強行調査により開拓者達が突入する為に破壊した窓。 薄い板で塞がれてはいるが、日の光が差し込む程応急的な物でしかない。 「これです! 出て来い出て来い――ムロンちゃん!」 くるくると人差し指を回し、空中に何やら絵を描いたアルネイスが叫んだ瞬間、立ちこめる煙が実を結ぶ。 「目標前の二人! さぁ、いっけぇ! やっちゃえ、大暴れ!!」 現れた真っ白な巨大なカエルは統真達の前へと現れが、戦場を分断した。 「こっちも、ですよ!」 ムロンの召喚を終えたアルネイスは、すぐさま壁へと向い符を取り出す。 そして、拙い補修の施された窓へ向け斬撃の刃を撃ち放った。 「レティシア殿!」 斬撃符にあっさりと瓦解した窓を確認し、アルネイスはレティシアに声をかける。 「皆さん、逃げます! 反論は聞きません!!」 そう叫んだレティシアは懐から狼煙銃を取り出すと、一本をムロンの向うにいる田丸麿へ向け。 「黎明さん、見つけてくださいね!」 もう一本を空いた窓へと向け――引き金を引いた。 ●飛鉄・改 『無事で何より――でもなさそうですね』 飛鉄・改で皆を迎えた雪白が、ぼろぼろになった皆を見つめ肩を落す。 「冗談言ってねぇで、回復しろ‥‥」 殺気の矢面に立ち、レダを抱え脱出した統真の身体は、いつの間にか酷く傷付いていた。 「‥‥ごめんなさい。私が」 壁に打ちつかられた衝撃に、あばらの何本かは居れているだろう。 しかし、水月は懸命に起き上がると回復の祈りを皆に向ける。 「わわ、無理しないでくださいね。私の薬もありますから」 ふらりと倒れそうになる水月の肩をアルネイスが咄嗟に支えた。 「結局、クルーの救出しかできませんでしたか‥‥」 ミルテの背を撫でつけながらレティシアはぽつりと呟いた。 今、飛鉄・改の甲板上にあるのは気を失ったレダと傷付いた嘉田と石恢。 その者達が本来乗るべき船は、眼下に漂っていた。 『すぐに離脱するよ!』 伝声管から聞こえてくる黎明の声。 その声に、ほっと安堵の表情を見せる一行にあって、一人悔しさに打ち震える少年がいた。 「‥‥ダメだ! それじゃダメなんだ!」 ふしぎだけが邪念を撃ち払う様に頭を振ると、船縁に足をかけた。 「僕達の船、返してもらうんだからな!」 「ばっ! やめろふしぎ!!」 統真が必死に腕を伸ばすが、僅か数センチの所でふしぎの手をとりそこなう。 ふしぎの目指すのはただ一点。朝日に白亜の船体を輝かすレアの甲板だ。 ● 「‥‥誰か、くる」 人形の様な女の声に、満安は上空を扇ぐ。 「ふん、馬鹿め」 迎えるは甲板で待ち伏せる満安とその側近たち。 「撃ち落とせ」 無防備に墜ちてくるふしぎは格好の的。 甲板に出たシノビ衆がふしぎに狙いを定め、銃や苦無を構え――放った。 「時よ!」 空中では体の自由が利かない。しかし、時は共にある。 ふしぎは時を止め、何とか急所は外すが、銃弾や苦無は容赦なくふしぎの身体を貫く。 しかし、ぼろぼろに傷付いてもふしぎはただひたすらにレアの甲板を目指す。 「返せぇぇぇ!!!」 ふしぎの体がレアの甲板に届こうかとした、その時。 「一人で全部背負うのはよくないのだよ」 突如飛来した姫鶴が、ふしぎを横から攫った。 「死んだらそこでお終い。パパ上が言ってたのだよ」 遠ざかるレアを呆然と見つめるふしぎに怜が声をかける。 「う‥‥うわぁぁぁ!!!」 姫鶴の背の上でふしぎは誰に憚る事無く、大声で泣いた。 |