【黒鎖包】水平線の黒点
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/07/26 19:40



■オープニング本文

●海上
 遥か彼方まで続く水平線。
 この水平線の先には海の終焉、世界の断崖があるのだろう。
「‥‥」
 そんな終焉へと続く水平線をじっと眺める道は、手にした林檎を口元へと運んだ。
「船長、周辺海域以上無しですっ!」
「おう、そのまま警戒を続けろよ。今日は大事な茶葉の輸出だからな」
「あいさっ!」
 道に指示され船乗り独特の敬礼を持って答えた男は、踵を返しその場を後にする。
 ばたばたと足の裏全体を使って走っていく様は一見滑稽にも見える。しかし、それは不規則に揺れる船上で活動する者にとっては必須の技能であった。
「俺が船長、か」
 船倉へと消えた男の背から視線を移し、ここしばらく振るっていない拳を眺め、道が呟く。
「ったく、なんで俺なんだ」
 今いるこの場所は、ある老練なる船乗りに託された場所。
 そして、か弱き瞳に願われた場所。
 桔梗丸を譲り受け、がむしゃらの駆け抜けた一年を経て、道はようやく自問を行える時間を得た。
「拳を握るのも久しぶりだな」
 用心棒から船乗りへ――今まで居た場所とは、まるで別の場所。
 人を相手に振るっていた自慢の拳は、この蒼の大自然の前では小魚一匹よりもか弱い。
「あー、考えるのはやめだ。俺には向いてねぇ」
 一年を経て持つことの許された余裕が、余計な事を考えさせる。
 道は、まるで邪念を払う様にふるふると頭を何度も振った。
「今は、これが俺の仕事だ。与えられた――期待してくれる、仕事、だ」
 蒼き大自然の先には桔梗丸の母港がある。
 そして、船乗りたちの家がある。
 道にとっての帰る場所も――。
「俺ってこんな弱かったか? 情けねぇ」
 沈む気持ちは心の奥底から湧き起こってくるのだろうか。
 そんな弱い自分を滑稽な道化師でも見る様に笑い飛ばすのは、道自身。
「っしゃ!」
 両掌で思いっきり両頬を打ち付けた。
 一時でも弱い自分と決別する為に。
「お前等、入港の準備だ! きびきび働け!
『へいっ!』
 そして、上げた大声に甲板で忙しなく働く水夫たちが大きな声で答えてくれた。

 もうそこには波頭の先に霞みを帯びた天儀本土が見えていた。

●奏啄
 心津特産の茶葉を下ろし、代わりに心津では採れない米を積み込む。
 いつもの作業も一段落し、道は水夫達と遅めの昼食をとる為、港近くの食事処へと足を踏み入れた。
「‥‥おいおい、何でこんなとこに居んだよ」
 昼も過ぎ、店内に客の姿はほとんどない。
 しかし、店の奥の机には見覚えのある背が。
 広い背には服の上からでもわかる隆々とした筋肉が今なお衰えることなく蓄えられ、ざっくばらんに切りそろえられた髪の隙間から覗くのは小麦色の肌。
「御意見番がこんなとこうろついてていいのかよ」
「なんだ、久しぶりに会った師匠に向って、開口一番それか?」
 自分に押しつけるだけ押し付けて、さっさと居なくなりやがった広い背に向け、一言文句でもかけてやろうと近寄った道に、広い背の男『湖鳴』はどこか呆れるように返した。
「うお、酒臭ぇ! 昼間っから大した御身分だな‥‥」
 頭痛がする程の酒気が湖鳴の口から吐き出される。
 道は思わず一歩退いた。
「そりゃぁ、街の御意見番と言えば大した御身分だからな」
 そんな道を楽しげに見つめ、湖鳴は「がはは」と豪快な笑い声を上げる。
「ったく、このじじぃ‥‥」
「それはそうと、桔梗丸は無事だったか?」
「はぁ? 何の話だよ」
 何の脈略もなく振られた話に道は呆れる様に溜息をついた。
「なんだ、聞いとらんのか? 近頃、この海域で目撃されとる船団を」
「船団? なんだそりゃ」
「儂も実際見た訳じゃないんだがな。港の船乗りの間で噂になっとる。船体まで真黒い不気味な船団だったらしい」
「‥‥海賊か?」
 酒気を帯びていたはずの湖鳴の口調は、素面のそれに戻っている。
 道は、湖鳴が吐き出す言葉に不穏な空気を感じ問いかけた。
「黒い旗も掲げてあったそうだ。――髑髏のな」
「ちっ。うぜぇのが出やがったな」
 黒地に髑髏。海の者でなくてもその旗の意味は知っている。
 忌み嫌われるその旗の持ち主たちの事を。
「まぁ、幸いまだ被害は出てないからな。くれぐれも用心しとけよ。お前の船は少ないなりにもお宝積んでるからな」
「けっ、用心でどうにかなれば、世の中平和だぜ」
「はんっ、違いねぇ」
 道の言葉を湖鳴は再び「がはは」と豪快な声で笑い飛ばした。
「じーさん、この街にギルドはあるのか?」
 ふと、道が湖鳴に問いかけた。
「あん? なんだ、護衛に開拓者でも雇うのか?」
「護衛じょねぇよ。待ってるのは性にあわねぇだけだ」
「おいおい、桔梗丸は商船だぞ」
「接舷しちまえば、船の種類なんか関係ぇねぇ」
「ったく、この猪が。まぁいい。何をやるにしても、嬢ちゃんにだけは知らせとけよ? 一応責任者なんだしな」
 考えだけが先走る弟子だ。報告など頭にないだろうと、湖鳴は道に注意を促した。
「‥‥いや、あいつには黙っておく」
 しかし、道は意外なほど冷静に答える。
「見栄から言うんだったら辞めときな。事はそんなに小さくはないだろ」
「違う。あいつにはあいつのするべきことがある。海は俺が任されたんだ。あいつに――気を使わせる必要はねぇよ」
「はぁ‥‥愛ゆえに。って奴か?」
「はぁ!? 何言ってやがんだこのくそじじぃ!?」
「ムキになると、認めてるようなもんだぞ?」
「うぐっ‥‥!」
 湖鳴の張った罠に、まんまと嵌められた道は頬をひくつかせ湖鳴を睨みつける。
「ギルドは街の中央だ。行くならさっさと行きな。‥‥まぁなんだ、死ぬなよ」
「あったりめぇだ」
 二人は突き出した拳を合わせる。
 そして、再び自分のあるべき場所へと戻っていったのだった。


■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029
23歳・女・巫
一ノ瀬・紅竜(ia1011
21歳・男・サ
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
アルティア・L・ナイン(ia1273
28歳・男・ジ
水月(ia2566
10歳・女・吟
狐火(ib0233
22歳・男・シ
夜刀神・しずめ(ib5200
11歳・女・シ
リラ=F=シリェンシス(ib6836
24歳・女・砂


■リプレイ本文

●奏啄
 夏の日差しがじりじりと地面を焼く。
「あっついわね‥‥」
 照りつける太陽を憎々しげに見上げるリラ=F=シリェンシス(ib6836)は、開いた豊満な胸元を手団扇で扇ぐ。
「リラは砂漠の民だろ。ここより暑いんじゃないのか?」
 暑さに心折れそうなリラに一ノ瀬・紅竜(ia1011)が呆れる様に声をかけた。
「この暑さは異常よ。何この蒸し暑さ‥‥」
「あー、確かに異質かもしれんな」
 リラの言い分に納得したのか、紅竜も照りつける太陽を憎々しげに見上げる。
 容赦なく照りつける太陽の元、二人は奏啄の港へと向っていた。
「心頭滅却すれば火もまた涼し。天儀に伝わる兵法の極意らしいよ」
 そんな二人に追いついたアルティア・L・ナイン(ia1273)が、口元を押えながら呟く。
「‥‥どういう事? 涼しくなるなら、是非その極意を教えて欲しいわね」
「気にするな。こいつ流の冗談だ」
 現れたアルティアに、興味深げに問いかけるリラ。そして、呆れる様に溜息をつく紅竜。
「はは、取って置きの避暑法なのに」
 そんな対照的な二人を、面白そうに見つめながらアルティアは轡を並べた。

●港
 うだる様な暑さにも負けず、水夫達は大声を上げ汗を流す。
「目撃者が見つかるといいんですけどね」
「そうだね。心津の為にも必ず見つけないと!」
 万木・朱璃(ia0029)と天河 ふしぎ(ia1037)が活気ある港を眺める。
「では、手分けして探して――って、気が早いですね」
「朱璃、早く! 目撃者の人が出航しちゃうかもしれないよ!」
 遠くから手招きするふしぎに、朱璃は小さく頷きその後を追う。
「早く切り上げて、道君に渡薫をご馳走にならないといけませんしね」
 芳醇な香りが鼻腔をくすぐる、あの茶を思い浮かべながら。

●酒場
「いい飲みっぷりだね」
 注いだ酒を一気に飲み干した水夫に、アルティアは感嘆する。
「たりめぇよ! 酒なんざ俺達にとったら水みたいなもんだ!」
 上機嫌の水夫は大口開き唾を飛ばした。
「でだ。ここからが本題」
 酔いがまわった水夫に、アルティアが問いかける。
「心津との貿易を行ってる船ってどれくらいあるのかな」
「心津ぅ? あんな辺鄙な場所に行く船なんてほとんどねぇぞ?」
「ほとんどない? 曖昧だね。もう少し詳しい便数を聞けないかな?」
 と、空いた盃にアルティアは再び酒を継いだ。
「おっと、わりぃな。便数ってもなぁ。心津の船‥‥何てったっけ」
「桔梗丸だね」
「そうそう、その船以外はいかねぇなぁ。何せあの周りは海の難所だ」
「確かに。でも、零ではないんだよね」
「たまに物好きが行ってるみてぇだけど‥‥月に3便位じゃねぇか?」
「ふむ‥‥」
 空いた盃を未練がましそうに揺する水夫に、アルティアは次の酒をついでやる。
「じゃ、海賊が出たって話も聞いてないんだね」
「っ!?」
 『海賊』。その単語が出た途端、へべれけだった水夫の顔が変わった。
「海賊が出たのか?」
「聞いてない? 心津の航路上に出たらしいよ」
「はぁ。なんでぇ、驚かせやがって。そこかよ」
 強張らせていた表情が緩ませ水夫は大きく安堵の溜息をついた。
「あれ、驚かないんだね」
「使わねぇ航路に出ても関係なし」
 肝を冷やす話に喉が渇いたのか、再び盃を差し出してくる水夫。
「関係ない、か。だとすると、この街の貿易自体に大きな害はない――」
 そんな水夫を無視し、アルティアは口元に手を当て考え込む。
「うん、ありがとう。助かったよ」
「へ‥‥?」
 そして、徐に立ち上がったアルティアは、杯を掲げたまま固まる水夫を残し、酒場を後にした。

「商敵という可能性は、消えた様だね」
 店を出たアルティアが、雲一つない空を見上げ呟いた。

●桔梗丸
「狐火と申します。以後お見知りおきを」
 無造作に首を垂れる狐火(ib0233)からは、どこか優雅な雰囲気が感じられる。
「道だ。よろしくな」
 そんな挨拶にぶっきらぼうに答える桔梗丸船長、道。
「こ度の依頼にて、少し情報を頂ければと思い参上したのですが、今よろしいか?」
「あ、ああ。っつても、俺の知ってることなんてほとんどないけどな」
 紳士的な態度を崩さない狐火が苦手なのか、道は気圧され気味に答えた。
「なんや、道の兄はん。そんなキャラやったか?」
 いつもとはどこか違う道の態度を、夜刀神・しずめ(ib5200)は狐火の影からにやにやと見つめる。
「ちっ、お前もいるのかよ‥‥」
「うわ、舌打とかありえへんわぁ」
 邪険に扱われたのすら可笑しいのか、相変わらず狐火の陰に隠れ邪まな笑みを浮かべるしずめ。
「夜刀神さん、からかうのはそれくらいにしておきましょう。へそを曲げられては厄介ですよ」
「お、そうやな。さすが狐火の兄はん。人心掌握の術をよぉしっとる」
 薄い笑みを浮かべ諭す狐火に、ようやくその影から出て来たしずめが両手を組みうんうんと頷く。
「お前ら、なにしに来た‥‥」
 そんな二人に、道は大きく溜息をついた。

「使えんなぁ」
「お、ま、え、な‥‥!」
 シノビの技を無駄に行使し、狐火の背へと隠れるしずめを、グーを握る道が睨みつける。
「なるほど、貴方は一度も遭遇していないと」
「ああ、噂を聞いたのがこの街に来てからだからな」
 道へと話しを聞き進めた二人。
 しかし、道の口から聞かされる話は、全て依頼書にあったものとそれほど変わりが無い。
「やはり目撃者を探すべきですね」
「そやな。ここにおってもこれ以上の情報は得られへんやろ」
「では、街に戻りますか」
 道そっちのけでさっさと話しを進める二人。
「何でもいいけどよ‥‥出航は明朝日の出と同時だからな。遅れたら置いてくぞ」
 道そっちのけで船を降りる二人に向け、道は律儀に出航の時間を叫んでやったのだった。

●港
「心津近海の事で話を聞きたいんだが」
「心津? んー、ああ。あの辺鄙な島か。海賊が出たって言う」
 小麦色に焼けた水夫の集団を見つけ、素浪人に扮した紅竜が声をかけた。
「ああ。心津近海で仕事をしている奴を知らないか? 海賊退治のお侍さんが来たぞー」
 紅竜の姿がそう見えたのだろう、水夫は冗談交じりに仲間に声をかけた。
「随分と余裕だな」
 海賊の名を出したのにもかかわらず、水夫達に焦りの色は見えない。
「まぁな。あんな辺鄙な港誰も行かないからな。海賊が出たって俺達には関係ねぇよ」
 違いねぇとあちこちから声が上がる。
「だが、この街に何時来るかもわからないだろう」
「こないんじゃねぇか? 同じ場所にずっと居るって話だしな」
 何ともお気楽な水夫達だが、水夫が口にした言葉に紅竜は深く考えこんだ。
(同じ所にずっと? 心津の航路以外には興味が無いのか?)
「ま、詳しく聞きたいならあの船に聞いてみな」
 と、指差された桟橋に停泊していたのは、紅竜のよく知る船。
「――あれは、桔梗丸か?」
「お、知ってんのか。なら話は早ぇだろ。聞いてみるといいぜ」
「そ、そうだな。そうしよう‥‥」
「おうさ!」
 満面の笑みで見送る水夫達に紅竜はそれ以上問えば怪しまれると思い、その場を後にした。

●市場
「俺達はあっちの方にはいかねぇからなぁ」
「そうなんだ‥‥。他に行く人知らないかな?」
 朝市の混雑も一段落した市場をふしぎが訪れていた。
「この街の漁師であそこまで遠洋に出る奴はいないんじゃないか? 鮪でもとるなら別だがな」
「でも、噂は出てるんだよね? 海賊の」
「ああ、聞いた聞いた。だけどさ、随分沖なんだろ? 俺達には関係ないさ」
 魚を取るのであれば、この港の近海で十分。
保存方法も無いのに、ざわざわそんな遠洋まで出て漁をするメリットが無い。
「そっか、ありがとね!」
「おう!」
 これ以上の話は聞けないだろうと、ふしぎはその場を後にした。

「あれだけ頑張ったのに、心津の発展はまだまだなんだ‥‥」
 人通りもまばらとなった市場をゆっくりと歩くふしぎが、小さく呟いた。

●酒場
「‥‥ありがとうなの」
 小さな体を懸命に折り曲げ、水月(ia2566)は首を垂れた。
「いや、力になれなくてわりぃな」
 申し訳なさそうに頭を掻く水夫。
 突然、湧き出た黒い噂など、誰に聞いても知らない。
 それもそのはず、そもそも奏啄=心津間の様な小さな航路を知る者はほとんどいないのだ。
「‥‥」
「お嬢ちゃん、戌ゐ屋に行けば何かわかるかもしれないぞ」
 何の成果も上がらぬまま、酒場を後にしようとした水月に別の水夫が声をかけた。
「‥‥戌ゐ屋さん?」
 初めて聞く名に立ち止った水月は、かくりと小首を傾げる。
「この酒場を出て西へ一丁程行った所にある商家だ」
 声をかけた水夫は、振り向いた水月に丁寧にその店の場所を伝えた。
「‥‥ありがとうなの」
 再び方だ全体を使い首を下げる水月。
 その顔には満面の笑みが浮かんでいた。

●戌ゐ屋
「ここなの?」
「‥‥」
 リラの問いかけに、こくこくと頷いた水月。
 一行はふしぎと水月の得た情報を元に、一軒の商家の前へと集っていた。
「普通の商家の様ですけど‥‥」
 それは何処にでもある普通の商家。
 朱璃は暖簾の脇からちらちらと店中を覗きこむ。
「とにかく入ってみましょう。取って食われる訳でもないでしょうし」
 狐火の言葉にこくんと頷いた一行は、長く垂れた暖簾をくぐった。

「ん? 見た顔も多いな。よく来た!」
「‥‥おいおい」
 がははと豪快な笑い声を上げる店主の出迎えに、紅竜は大きく溜息をつき肩を落した。
「こんな所で会うとは奇遇だね」
 まるで珍獣でも見たかのように、アルティアは嬉しそうに店主に声をかける。
「こ、湖鳴‥‥?」
 ふしぎが恐る恐る声を上げた。
 多少白髪が増えただろうか。だがその赤銅色の筋肉はまるで衰えた様には見えない。
「このお店は湖鳴さんお店だったんですか?」
 朱璃は旧知の顔に嬉しそうに問いかけた。
 その人物は、何度となく心津に関わり、時に力となり、時に知恵となった老練な船乗りの姿だった。
「おう。いい店だろ?」
 呆気にとられる一行に、湖鳴は海の男らしい豪快な笑みを向ける。
「いい店て‥‥どっからどう見ても寂れとる‥‥」
 と、店内を見渡したしずめがぼそりと呟いた。
「おいおい、この店の繁盛ぶりを見て、よくそう言えるな」
 相変わらずの大声で笑う湖鳴が店の中を指差すが、客など一人もいない。
「今度辞書持って来たるわ‥‥」
 しずめは呆れ尽くした様に大きく溜息をついた。
「湖鳴なら知ってるよね! あの噂!」
「噂って、例の海賊の事か?」
 そんなしずめを押しのけ問いかけるふしぎに、湖鳴が顎ひげをいじりながら問い直す。
「うん! 心津近海で目撃されたって」
「ああ、その情報は確かだ」
 湖鳴はまるで世間話でもする様にあっさりと答えた。
「話の出所はわかるのか?」
 と、あまりにあっさりと口にした湖鳴に、紅竜が問いかける。
「うちの船だからな」
「へぇ。で、湖鳴だったかしら、あなたの船が見たのはやっぱり海賊?」
 さらりと答えた湖鳴に、今度はリラが一歩前で歩み出て湖鳴に問いかけた。
「ああ。ま、見たのは儂じゃないがな」
「見た人から何か聞いてないの?」
「わかる事は道に教えたんだがな? 依頼書に書いてなかったか」
「それ以上の事を知りたいんだけど」
「さぁなぁ。儂自身が見ていればもう少し何かわかったかもしれないがな」
 リラの問い詰めにも、湖鳴は依頼書以上の情報は持っていないと言う。
「それで湖鳴君はなぜその船が海賊だと思ったんだい?」
 そんな湖鳴の態度に思う所があったのか、アルティアが口を挟んだ。
「思ったも何も、海賊旗掲げてるんだ。他に考えようがあるか?」
「ふむ、普通はそうか」
 湖鳴のもっともな答えに頷きながらも、アルティアの考えは別にあるのか、それっきりじっと押し黙る。
「ならば、座標を教えていただけますか? 海賊を調査するにしても場所がわからなければどうしようもない」
 と、狐火が一枚の海図を床に広げた。
「ああ、ここだ」
 広げられた海図を湖鳴が指差す。
「‥‥目撃地点、なの」
 指示された地点を、水月がマーキングしていく。
「それから、ここだ」
「ほぼ同じ地点ですね」
 指示された地点を見やり、狐火が呟いた。
 そこは、心津より海路で約一日の場所。二つ記された点はどちらもほぼ同じ地点を指していた。
「行って帰ってだからな。4日間同じ場所にいたのか、それともたまたまその時にいたのか、そこはわからねぇがな」
 湖鳴所有の船は安州からの書状を届ける為、心津へと向かったという。
 そして、その行き帰り、ほぼ同地点で漆黒の船団を目撃したのだ。
「‥‥時間も教えて欲しいの」
「時間か。確か、行きが昼前。帰りが夕刻だったか」
「どちらも日中ですか‥‥」
「‥‥昼前と夕方」
 得られた情報を海図へと水月は事細かに書き記して行く。
「船体が黒であるのに、なぜわざわざ昼に」
「‥‥略奪をするなら夜の方が有利なの」
 湖鳴の話では目撃された船団の船は、黒一色。
 夜であれば闇に紛れることができるが、目撃されたのは全て日中。
「問題の船団、何か捜索している風ではなかったですか?」
 情報を書き終えた海図を眺めていた狐火は、顔を上げ自身の推測を確かめるように問いかけた。
「さぁ、どうだろうな。さすがに海賊然とした船を前に近づいて調べてみようなん、酔狂な商船はない」
「ふむ‥‥」
「ま、それも含めてお前達の仕事だろう。さて、他に何かある奴は居るか?」
 湖鳴の言葉に押し黙った狐火から視線を巡らせ、湖鳴は一行に問いかける。
「じゃ、私から。えっと、この付近に海賊達のアジトになりそうな島とか街はありませんか?」
「うーん、付近にはないだろうな。近くてこの街か霧ヶ咲島か、後は武天領の――この島か」
 と、朱璃の問いかけに、湖鳴は奏啄の街を指差すと、そのまま指を滑らせ海図上でも点でしかない小さな島を指差した。
「この島は‥‥?」
「島というか、ただの岩山だな。とても人の住める所じゃない」
「それって、誰も近寄らないっていう事でしょ?」
 なぜそんな事を聞くと、首を捻る湖鳴に、ふしぎが再び身を乗り出す。
「いくら海賊船だといっても、人が乗っている以上補給は必ず必要ですしね」
「うん! だから、航行可能圏内に必ず秘密基地があると思うんだ!」
 補足してくれた朱璃に笑顔を向けたふしぎは、グッと拳を握り自分の推測が核心に迫っている手ごたえを感じた。
「まぁ、可能性はなくはないが‥‥」
 しかし、決定的なその推測にも、湖鳴は深く刻まれた皺に影を落とす。
「何か問題があるかな‥‥?」
「武天領、ゆぅことやろ」
 困った様にふしぎを見つめる湖鳴に代わり、しずめが声を上げた。
「心津は朱藩の領地や。例え無人島やろうがなんやろうが、朱藩の船が勝手に他国に侵攻する訳にいかへんやろ」
「そ、それはほら。調査とかそう言う名目で――」
「調査ぁ? なんもないただの岩山を? そんなもん、疑ってくれゆぅとるようなもんやで」
 折角掴んだと思った手掛かりが、現実的なしずめの言葉に打ち崩されていく。
「まぁ、なんや。海賊とその無人島の関係が証明されでもするんやったら、話はいくらでもつけようがあるやろうけどな。なぁ、湖鳴のおっちゃん」
 と、落ち込むふしぎをフォローするように、しずめはちらりと湖鳴へと視線を送った。
「まぁ、証明されればな」
「という訳や、天河の兄はん。うちらでそれを証明したればええんや」
「そうですよ、ふしぎくん! 私達はその為に来たんじゃないですか!」
 肩を落とすふしぎの背にぽんと手を当て、朱璃が力強く言い放つ。
「ま、がんばれよ。手伝いはしないが応援くらいはしてやるからな」
 決意を固めた一行を湖鳴が送り出す。
そして、一行はかの地を目指す為、桔梗丸へと向かった。

●桔梗丸
 昼間、容赦なく大地を熱した太陽は沈み、白き月がのぼる。
 海に洗われた潮風が、甲板に出た狐火の頬をくすぐった。
「‥‥海流は北へ」
 月明かりに照らし出される海図に目を落した狐火は、記された海流を指でなぞる。
「この流れであれば、本土へ流れ着くはず。しかし、彼等はこの場所にとどまり続けている」
 狐火の推測では、海賊達の目的は遺物の捜索。
 海賊達にとって必要な何かが、この海域に沈んでいる、又は流されたとみたのだ。
「ならば海底に? しかし、この海域の水深はかなりのもの‥‥」
 しかし、湖鳴や道から得られた情報は、狐火の推測を尽く邪魔するものであった。
「やはり、すでに別の船に拾われているか」
 詳細な情報が詰め込まれた海図を得ても、所詮は机上の空論。狐火は真意の知れぬ黒き影を思い海を眺める。
「ともかく、その姿拝むのが先でしょうね」

●昼
「海賊って言うと、心津の港を根城にしていた奴らの事を思い出すけど‥‥。まさか、関係ないよね?」
「どうやろな。報復を目論んでるってゆぅ可能性も無きにしも非ずやけど、うちは関係あらへんと思うけど」
 塩風吹き抜ける大海に、ふしぎとしずめが釣り糸を垂らしていた。
「そうかぁ‥‥一体何が目的なんだろう、その海賊達って」
「それがわかれば苦労はないやろ」
 と、二人は甲板を忙しく走り回る船員達を見やる。
「皆、元海賊なんだ」
「無理やり海賊やらされとった、ゆぅてたな」
「うん‥‥でも今じゃ心津の大切な働き手だよ。彼等の為にも、必ず海賊を退治するんだからな!」
 その懸命な働きぶりに、ふしぎは改めて決意を固める。
「‥‥もしかしたら――その海賊船、船でさえないんかもしれへんな」
「え?」
 突然、突拍子もない事を言い出したしずめを、ふしぎは思わず見つめた。
「船でも人でもない可能性。――あると思わへんか?」
「そ、それって‥‥」
 しずめが言葉の裏に潜ませる可能性。それは人ならざる者の存在。
「まぁ、この目で見てみてからやけどな」
 一転、真剣な表情をいつもの小憎たらしい笑顔に戻したしずめは、釣れる気配の全くない釣竿へ視線を戻した。
「そ、そうだね‥‥うん!」
 つられる様にふしぎも釣竿へ視線を戻した。
 しずめの言葉に、新たな別の決意を抱いて――。

●夜
「‥‥最近、この近くで変わった事はなかったの?」
 月夜に映える白髪を海風に揺らし、水月が道を見上げる。
「変わった事? いや、今出てる海賊の話以外はねぇな」
 夜の航海を仲間に託し終えた道は、水月の問いかけに素直に答えた。
「‥‥でも、海賊さんは海賊行為をしてないの」
「ああ、そうだな。なんだ、そんな事が気になるのか?」
 と、逆に問いかけてくる道に、水月は無言でゆっくりと一度頷いた。
「‥‥何か略奪の他に目的がある筈なの」
「目的? 一体なんなんだよ?」
「‥‥」
「お、おい!?」
 再び問いかけた道に、水月はうるうると瞳を潤ませる。
「お、俺なんかまずいこと言ったか!?」
 焦る道に、水月はふるふると頭を左右に振った。
「‥‥違うの。ちょっと目にゴミが入っただけなの」
 と、再び潤む瞳で道を見上げる水月。
「そ、そうか」
「‥‥そうなの」
 考えても考えても答えに行きつかない歯がゆさが、水月の眼に涙を浮かべさせる。
 自分のせいではないのはわかっている。しかし、何故か無性に悔しい。
「ま、見てみれば何かわかるかもしれねぇからな」
「‥‥」
 道の言う通り。
 この悔しさは必ず解決して見せると、水月は道に向け大きく頷いた。

●朝
「‥‥危害を加えない海賊」
 朝の白が辺りをぼんやりと照らしだす頃、紅竜は甲板へと出て海を眺めていた。
「何故だ‥‥略奪をしない海賊に何の意味がある」
 水平線だけが続く海を眺めながら呟く。
「それとも‥‥わざと海賊に見せているのか? しかしなぜ‥‥」
 噂の海賊の不可解な行動。それは紅竜の心に言い知れぬ不安を落す。
「嫌な予感だけが広がる‥‥」
 ぎゅっと胸の辺りの服を掴む紅竜。
 言いようの無い、もやもやとした感情を握りつぶす様に――。

●昼
 水平線から湧き立つ入道雲が夏の空を一層引き立てる。
「まだ何も見えませんね‥‥」
 主帆の頂上付近に作られた見張り台へと登り、遠方に目を凝らす朱璃が呟いた。
「ふぅ、なんだか変な事になってきましたね」
 永遠と続くのかと思わせる景色にうんざりしたのか、朱璃は見張り台へと腰を落す。
「のんびりと渡薫を楽しめるかと思っていたのに‥‥」
 料理人である朱璃は、今まで様々な物を口にした。
 その朱璃であってさえ、心津産の茶葉は心くすぐる物である。
「早く片付けて、心津の交易をもっと発展させないといけませんね。そうしないと気軽に飲めません!」
 鼻をくすぐる芳醇な香り。喉を流れる新緑の味。後に残るさわやかな苦み。
 朱璃はお気に入りの茶を思い浮かべ、再び立ち上がった。

●夕刻
「‥‥」
 口から吐き出される白煙をゆっくりと目で追いながら、アルティアは紅く染まる空を見上げた。
「随分と優雅な船旅ね」
 そんなアルティアにどこか呆れる様にリラが声をかける。
「ああ、満喫させてもらっているよ。君も一服どうだい?」
「遠慮しておくわ」
 水タバコの吸い口を指し向けるアルティアに、リラは面倒臭そうに手を振った。
「そうか、残念だね。――君は今のうちに休んでいた方がいいよ」
 再び水タバコをふかせたアルティアが、小さく呟く。
「‥‥なにかありそうな物言いね」
「さぁ、どうだろうね」
「‥‥あ、そ」
 捉え処の無いアルティアの返しに、リラは呆れる様にくるりと背を向けた。
「――あなたもね」
 そして、それだけを言い残しその場を去った。

●問題海域
「さぁ、いくよ!」
 航海を続け早3日。
 ようやく問題の海域に近づいた桔梗丸の船首で、ふしぎが己の旗を取り出した。
「僕達が相手だ! 正々堂々かかってこい!」
 そして、海風になびく様に大きく蒼い大旗を掲げる。
「馬鹿野郎!」
 しかし、そんなふしぎの行動に道が怒鳴りつけた。
「そんな旗掲げられちゃ、ドンパチ上等をうたってるようなもんじゃねぇか! この船は商船だぞ! やるなら自分の船でやれ!!」
「え‥‥」
 船首に掲げた大旗を奪い取る道を、ふしぎは呆然と見つめる。
「あ、あの‥‥ごめん‥‥」
「お前等がどんだけ強ぇのかしらねぇけどな。船乗りには船乗りの掟ってもんがあるんだ。お前も空賊を名乗るんだったら、それくらい知ってるもんだと思ってたがな」
「まぁまぁ、そういきり立たなくても」
 厳しい言葉をかける道と、しゅんと項垂れるふしぎの間に、アルティアが割って入った。
「‥‥喧嘩はダメ、なの」
 水月も、とてとてと道に近づきその腕をぎゅっと握りしめる。
「‥‥けっ!」
 純真なる視線で見上げてくる水月に、道は完全にその勢いを奪われ、大きく舌打ちをしその場を去っていく。
「あまり気にするな。道もあれで気が立っているんだろう」
 落ち込むふしぎの肩に手を置き、紅竜が慰めるように声をかける。

 その時。

「見えたわ!!」
 それは船首からの声。
 水平線に目を凝らすリラの大きく見開いた瞳に、その黒点ははっきりと映し出されていた。

●邂逅
 距離は2km。
 漆黒の船体に漆黒の帆。そして何より特徴的なのが、船尾に掲げられた巨大な海賊旗であった。
「ほんまに薄気味悪いな‥‥」
 望遠鏡で黒点を覗きこむしずめが、苦々しく呟いた。
「しかし、どっからどぉ見ても海賊やなぁ‥‥その威風、何が目的や‥‥」
 見せつける様な大旗を睨みつけるしずめ。
「‥‥」
 そんなしずめの横で、水月が紅白の旗を持ち船首に立つ。
「何しとるんや‥‥?」
 小さな体で懸命に手旗信号を送る水月に、しずめは恐る恐る問いかけた。
「‥‥話し合いをしたい、伝えてるの」
「‥‥で、回答は?」
「‥‥」
 しずめの問いかけに答える代りに、しゅんと肩を落した水月。
「まぁ、そうやろうな」
 そんな水月の肩にポンと手をやり、しずめが船縁に立つ仲間へ視線を向けた。
「あの二人がええもん見つけてくれるのを待つほうがええやろ」
 項垂れる水月を慰めながら、しずめも待つ。
 遠方を探る術を持つ、二人の報告を。

「リラさん、見えますか?」
「甲板に人影はないわね。船内はどう?」
「気味の悪いくらいの無音ですね」
 船縁に立つ狐火とリラは、それぞれのスキルを生かし遠方に見える黒い船団の様子を伺っていた。
「あの小型の船。あれにも人が乗っていないって、どういう事?」
「大型船にけん引されているか、船縁に身を顰めているか。――それとも無人で動いている、か」
「無人って‥‥笑えない冗談ね」
「冗談であればよいのですが」
 それぞれ、最大限にまで強化した聴覚と視力を駆使して相手を伺うが、得られる情報は先程から一行に増えない。
 その代わりに、推測だけが池の底に溜まるヘドロの様に蓄積されていった。

●接近
「面舵一杯!!」
 道の指示に、操舵手が舵を右に切る。
 ゆっくりと船首を右へと傾ける桔梗丸。
「動いたわ!」
 と、同時にリラが声を上げた。
 一斉に望遠鏡で黒の船団を覗き見る。

そこには、まるで桔梗丸の動きに合わせる様に、寸分違わぬ動きを見せる黒衣の船団。
右に舵を切れば右に舵を切る。帆を上げれば帆を上げる。それはまるで影そのものであった。

「取舵一杯!」
 再び上がった道の指示に、操舵士が左に舵を切る。
「‥‥左に動いたわ」
 またしてもコピー。
どうやってこちらの動きを読んでいるのか見当もつかないが、それは確かに行われていた。

 距離を置いて並走する二隻の船。
「‥‥これじゃ埒が明かないよ」
 どのように動いても動きは完全に複製された。
「追えば逃げる。回り込もうとすれば、着かず離れずそれに合わせる」
 狐火が冷静に船団の動きを分析していく。
「‥‥でも、こちらが離れたら、逃げないの」
 そして、水月が付け加えた。
「どうにかしたければ追ってこい。そう言っているのでしょうね」
 
「試しに精霊砲でもぶっ放してみますか?」
 一行に詰まらぬ距離に業を煮やしたのか、朱璃がポロリと漏らす。
「ったく、相変わらず可愛い顔しておっかねぇ事言う奴だな‥‥」
「あらら、可愛いって言われちゃいました〜」
 悪態ついた道が若干引いてしまう程に、朱璃はその言葉が嬉しかったのか嬉しそうに頬を押えた。
「で、正直な所どうするの? 僕は一戦交えても構わないけど」
 緊張感の無いやり取りを可笑しそうに眺めていたアルティアが皆に問いかける。
「どう見ても訳ありの相手や。目的がわからんうちは戦闘行為を避けるべきやろぅな」
「俺もしずめの意見に賛成だ」
 慎重に物事の推移を見守る事を良しとする者達が、手を上げる。
「‥‥でも、一捕虜さんを捕まえられれば、情報源になるの」
「そうだね。僕達はその為に雇われたんだ」
 このままでは何も好転しない。多少危険でも情報を得ようとする者達が声を上げた。
「まぁ、色々と意見はあるでしょうけど。こちらの戦力を見てみなさいよ」
 と、意見の纏まらぬ一行に向け、リラが甲板で不安げに遠方を眺める船乗りたちを指差した。
「これで仮にも海賊旗を上げている船団とやり合うの? 私は無茶だと思うけど」
 そう言い放ったリラの言葉に、誰ひとり言葉を返す者はなかった。
「そうですね。私達はいざ知らず、船員の方達を危険に晒すのは少し考えるべきだと思います」
「そうだよ。わざわざ罠にはまりに行くことなんてないんだからな!」
 相手の行為は明らかな誘導。それも悪意を多分に含んだものだ。
「皆さん、この度の依頼は調査ですよ」
 そして、狐火のその一言。
「ああ、幸い危害は受けてんぇんだ。このままやり過ごし――」
 道は狐火の言葉に後押しされた様に、決断を下そうとした。
「それでええんやろか?」
 その時、しずめだけがその考えに疑問を呈する。
「このままほっとけば、まぁこの船は無事やろうな」
「‥‥何が言いたい」
 勿体つけるしずめに、紅竜が眉間にしわを寄せた。
「――有名になるで。海賊見学ができる航路、やてな」
 心津には海路でしか訪れる事が出来ない。
 その海路もまた、独特の海流と暗礁によって制限される。
 それはようやく交易が軌道に乗ってきた心津にとって、死活問題であった。
「くそ、あいつにだけは負担をかけさせたくないのに‥‥!」
 しずめの言葉に、紅竜は握った拳を船縁へと叩きつけた。

●夕刻
 散々照り続けた日は、その半身を水平線に沈める。
「一旦、心津に帰って準備をする。海戦が出来るようにな」
 好転しない状況に、道が決断を下した。
 商船である桔梗丸も、装備次第では十分に戦闘に耐えうる事が出来る。
「それからでも――」
「っ! 皆さん、あれを!」
 道が今後の方針を語っていた、その時。
 狐火の研ぎ澄まされた聴覚に、異音が飛びこんだ。
「‥‥どういう事? 天儀の船ってあんな事も出来るの?」
「‥‥うんん、出来ないよ。あんなことしたら、船員が溺れちゃう」
 狐火の指差した方角は、黒衣の船団のある場所。
 茫然と言葉を交わしながら、ふしぎとリラが見た物。それは――。

 船が海に沈む。

「反則やろ‥‥」
 苦々しく呟いたしずめを嘲笑うかのように、黒い船団は波頭の底へと沈む。
「これでわかったね。あれはただの船じゃない」
 普段は飄々と平穏を崩さないアルティアの声が震えている様にも聞こえた。

 『アヤカシ』。

 ここに居る者、誰もがその言葉を脳裏に浮かべる。
 それ以外に、目の前にある怪異の説明がつかないのだ。
「どうにも厄介なモノの相手をしないといけないようですね」
 目の前の奇異にも表情を変えることなく狐火は呟いた。
「‥‥」
 小さな体で船縁へとよじ登り、その光景を瞳に焼き付ける水月。
「この首筋がざわっとなる感覚‥‥嫌ですね」
 首筋を手で押さえ、白波上げる海を眺める朱璃が呟いた。

 その間も黒の船団はその体を海へと沈めていく。

「アヤカシがこの辺境に何の用なんだ‥‥!」
 紅竜が再び船縁を拳で殴ったと同時に、船団は完全に海中へと没した。


 桔梗丸を散々あしらったあげく、日と共に海の中へと消えた。
 追う術を持たぬ一同は、その所業をただ見つめるしかなかった――。