その行く手を阻む者――
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 難しい
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/05/14 23:06



■オープニング本文

●街道
 新緑が芽吹き始め、鮮やかな緑が春風に揺れる。
 街道には、馬の嘶き、行商人達の足音、旅人達の話声――。
 道に深く刻まれた轍を見れば、この街道の賑わいがよくわかる。

 理穴と冥越を繋ぐ街道。
 そう、それも数十年前までの話――。

「退け退けぇっ!!」
 緊迫した怒声が街道に響き渡った。
「ここで命を落としたいのか! 走れっ!!」
 向ける視線の先には、街道を覆い尽くさんばかりの土煙。
「追いつかれるぞ。ぐずぐずするなっ!!」
「隊長! これ以上は無理ですっ! 皆負傷しており、これ以上の速度で移動は――」
 怒声の主『支倉 藍』の元に、副官が膝を折り、悲痛な面持ちでその表情を見上げた。
「何が無理か! ここで逃げ切れねば死ぬだけだ!」
 その表情からは、戦前の覇気は消えうせている。
 しかし、甘い言葉はかけられない。もう目の前に絶望が迫っている。
「死力を振り絞ってでも歩け! 走れ!!」
 副長だけではない。心折れた者達の目が、藍を縋る様に見つめていた。
「頼む‥‥走ってくれ」
 噛みしめた唇零れる鉄の味がする液体を吐き出し。藍は愛馬の手綱をグッと引いた。
 一人でも多くの命を救うのだ。それが隊を預かる長としての務め、と自分に言い聞かせ。

●数刻前
「隊長! 敵右翼崩れました!!」
 片膝を折り報告をもたらす斥候の歓喜の声。
「今こそ好機!」
 この報告を待っていた。
 藍は愛馬の手綱を引くと、くるりと体を返し後ろに控える兵士達へ体を向けた。
「美しかった理穴の森は、今や黒く染まりにっくきアヤカシどもが跳梁跋扈地している」
 そして、紡ぐ言葉は深く沈んだ声。
 視線を地面に落としギュッと拳を握る藍の仕草は、兵士達の無念を呼び起こす。
「しかし、我等はここまで来た!!」
 と、藍はガバッと顔を上げると無念に振るえる兵士達を見渡した。
「思い出せ、緑茂の戦いを!! 鬼と恐れられたアヤカシ『炎羅』を滅せし戦いを!!」
 そして、先程とはまるで違う怒気を含んだ叫び声。
 心の底から無念を叫ぶ藍の一声一声に耳を傾ける兵士達は、おのずと湧きあがる興奮に身を振るわせる。
「行け、森の兵たちよ! アヤカシどもをこの地から追い払うのだ!!」

『おぉぉぉぉぉぉおぉぉぉっっ!!!』

 自分達の想いを代弁する藍に、兵達は喉も潰れんばかりの大声を持って答えた。
「全軍、突撃!! 目標、敵右翼!! 森の民の力、アヤカシどもに思い知らせてやれ!!」
 そんな兵達の声に深く頷いた藍は、崩れた敵陣を指差し、突撃の号令をくだした。


 崩れたアヤカシ軍の隙をつき、理穴の兵が雪崩の如く攻め立てる。

 訓練されたと言っても、所詮は人。志体も持たぬ人が力でアヤカシに勝てるはずもない。
 しかし、人には英知がある。結束がある。想いがある。
 藍の鼓舞で一団となった理穴軍は、獅子奮迅の戦いを見せ、一気にアヤカシ軍の急所を呑みこんだ。
「勝利は目の前! このまま敵本陣へ、一気に攻め上がるぞ!!」
 敵右翼を壊滅させた藍は、その勢いを借り再び軍に礼を下す。
「隊長! 敵軍、退いていきます!!」
 と同時に、副長が歓喜の声を上げた。
「‥‥」
「隊長?」
 それは理穴軍の勝利を意味している。しかし、藍は撤退するアヤカシ達を訝しげに見つめる。
「‥‥嫌な感じがする」
「い、嫌な感じ、ですか?」
 勝利を前にして、ぼそりと不吉な言葉を呟く藍に、副長は驚いた様に問いかけた。

 その時――。

「隊長!?」
 声は後方から。
「後方に突如敵軍が現れ、補給隊、救護隊共に壊滅! ‥‥全滅です!」
「なんだと!?」
 傷に塗れた体を引きづり現れた斥候の言葉に、副長の表情が一変した。
「くっ‥‥やられた」
 嫌な予感はこれであった。藍は自らの浅慮を悔いギリッと唇をかんだ。

●街道
 迫る土煙は、その大きさを倍にもしている。
 最早、追い付かれるのは時間の問題。
「‥‥」
 藍は遅々として進まぬ撤退を無表情に見つめる。
「‥‥行け」
「隊長!?」
「いいから行けっ! ここは私が押さえる!!」
 と、副長に言い放った藍は、愛馬の手綱を
「無茶です!? いくら志体持ちだと言っても、隊長は巫女でしょう!?」
「‥‥隊長命令が聞けぬのであれば、ここで処分する」
「なっ!?」
 と、藍は腰に下げた刀を抜き放ち、部下へとその切っ先を突き付けた。
「さぁ、来い! アヤカシども!! これ以上、我らが理穴の土地は一寸たりとも渡さぬぞ!!!」
 迫りくる土煙りに向け、藍は持てる全ての力を振り絞り弦を引く。
「た、隊長、あれを!!」
 その時、突然副長が声を上げた。

 そこには、左右を囲む森から出て来た数人の人の影。
 人影は、丁度理穴軍とアヤカシの軍勢の中間に立ち塞がる。まさに、壁となる様に。
「――」
 と、人影の一人が理穴軍に、首だけを向けた。
「なっ!? お前達‥‥!」
 振り向いた一人は、藍に視線で合図を送る。――「行け」と。




<注:限定条件>

参加者の皆様は、別の戦闘依頼の帰りにこの撤退戦に遭遇しました。
遭遇前に消化した依頼の為、皆様はこの依頼開始前に、以下の限定条件がつきます。

・生命、練力、気力とも、実数値の半分(体力が100のPC様の場合、50となります)

数値上では増減はありませんが、上記条件でこの依頼が開始すると考えてください。




■参加者一覧
梢・飛鈴(ia0034
21歳・女・泰
浅井 灰音(ia7439
20歳・女・志
瀧鷲 漸(ia8176
25歳・女・サ
ユリア・ソル(ia9996
21歳・女・泰
五十君 晴臣(ib1730
21歳・男・陰
サフィラ=E=S(ib6615
23歳・女・ジ


■リプレイ本文

●街道
 街道に怒号が木霊す。
「退けっ!!」
 馬上の将『支倉 藍』は、数多の負傷兵を抱える自軍に檄を飛ばした。
 後方より迫り来るは、忌むべき存在『アヤカシ』の群れ。

 今は退くしか術が無い。
 アヤカシの奇襲により、後方の要補給隊と救護隊が全滅したのだ。
 藍が噛む唇からは紅く血が滲んでいた。
「隊長、あれを!」
 と、その時。、副長が驚愕の声を上げる。
「あれは‥‥っ!」
 副長のどこか希望の覗く叫びに藍は再び後方を見やった。

「ほう、こいつはなかなか面白いトコに出くわしたもんだナ」
 森から街道に飛びだした梢・飛鈴(ia0034)が巻き上がる砂塵を眺め、どこか楽しげに呟いた。
「ほんと、いいタイミングで行き当たったわね」
 そして、飛鈴に続き現れたにユリア・ヴァル(ia9996)もまた、前方の砂塵、後方の敗軍を交互に眺め呟く。
「ノリと勢いで動いてこそ、開拓者ってもんでしょっ!」
 そして、きっとどこか間違えてる見解で踊る様に街道に飛び出したサフィラ=E=S(ib6615)。
「血の気の多い、の間違いじゃない?」
 三人の後を追い、どこかやるせなく五十君 晴臣(ib1730)も街道へと歩み出た。
「そう言うな。この状況、放ってはおけないだろ」
 さらに森を割り、斧槍を肩に担ぐ瀧鷲 漸(ia8176)が現れる。
「そうそう、漸の言う通りだよ。見てしまった以上、無視するわけにはいかないよね?」
 最後に現れた浅井 灰音(ia7439)の言葉に、5人は無言で頷いた。

「馬鹿かお前等! こんな所で何をやっている! 早く逃げろ!!」
 突然現れた一行に、藍は馬を走らせ駆け寄ると、大声で怒鳴りつけた。
「うるさいアルよ。持ってる情報を端的に話セ」
 しかし、慌てて駆けつけて来た藍に、飛鈴は面倒臭そうに短く話しかける。
「なっ!? お前等何を言って――」
「ここで問答している時間は無い、だろ。隊長さん」
 と、怒鳴る藍に漸が土煙を指差す。
 そこには、目と鼻の先にまで迫ったアヤカシの群れ。
「だからこそ、逃げろと言っているんだっ!」
「もう遅いよ。相手は私達を敵と認識した様だ」
 更なる警告を発する藍に、灰音が落ち着き払った声で短筒を取り出し土煙へと向ける。
「1,2――ざっと見た所10って所ね。それだけじゃ済まなそうだけど」
 灰音の横では、土煙に目を凝らすユリアが片手を腰に当て、アヤカシ算用。
「アレとやる気かっ!? お前等とて負傷の身であろう!」
 戦闘態勢をとる一行に、藍は何度目かの驚愕の声を上げた
 それもそのはず、一行が負傷しているのは誰が見ても明らかなのだから。
「私は先行するよ。退路を塞がれてはどうにもならないからね」
 と、驚く藍の横を縫って、晴臣が敗軍へ向け駆けだした。
「ま、待てっ!」
「隊長さん、隊長さん!」
 後方へと駆ける晴臣を止めようと手を伸ばした藍に、サフィラがクイクイと手招き。
「ちょっとお願いがあるんだけど――」
「な、なんだ‥‥?」
 緊張感の無いサフィラの手招きに、一気に毒気を抜かれた藍は誘われるままに耳を近づける――。

「――どうかなっ? 逃げててもこれくらいならできるでしょっ?」
「馬鹿な! 敗走する隊列をどう制御すると言うんだ!」
「え?」
 耳打ちされたサフィラの言葉に藍は激昂する。
 そして、大きく手を振り後方の敗軍を指差した。
「隊列の先頭は遥か先。いくら大声で叫んだとて聞こえるものではないっ!」
 かつて刻まれた馬車の轍は合計四本。街道にしては大きな道であろう。しかし、無秩序に敗走する軍にとっては狭き道。
 互いの身体が歩を邪魔し、武具が歩を邪魔する。そして何より、受けた傷がその歩みを遅める。
 五百もの敗走兵がこの狭い道に犇めき合うのだ。隊列は伸びきり、先頭を行く者は遥か先にあった。
「そ、そうなの‥‥?」
 藍の激怒に、サフィラは目を丸くし首をかしげる。
「お前等が思っている程、撤退戦は甘くないんだ! 早々に逃げろっ!」
 そして、それだけを言い残し藍は馬の手綱を引くと自軍の元へと駆けだした。

「これは楽しんでる暇はないかしら‥‥って、来たわね!」
 去り行く藍に背を向け土埃へと向き直るユリア。そこには、アヤカシの有象無象が目の前に現れていた。

●街道
「一体一体は大した事無いアルが‥‥。数がきついナ」
 すでに戦闘をこなし皆負傷した身、アヤカシを弾き飛ばす飛鈴の蹴りにもどこか精彩が無い。
「うぅっ‥‥アヤカシ嫌いになりそうだよっ!」
 華麗なステップで巧みにアヤカシの攻撃をかわすサフィラが弱音を吐いた。
「威勢よく出てきた手前、逃げ出すわけにもいかないだろう」
 そんなサフィラの弱音に答えつつ、漸は飛びかかる狼型のアヤカシを斧槍でなぎ払う。
「そう言う事だよ。見た以上放ってはおけないって」
 答える灰音の手に持つ短筒が火を噴き、アヤカシ一体の動きを止めた。

 街道に真一文字に並び怒涛の如く押し寄せるアヤカシの群れを、巧みに往なしながら徐々に後退する一行。
 しかしそれは、自ら引いているのか、それとも勢いに押されての事か――。

「このままじゃいずれ抜けられるわね‥‥」
 眼前には勢い付くアヤカシの群れ、背後には死地に塗れた理穴の軍。
 愛槍を振りまわすユリアが神妙な表情で呟いた。

●深森
 無秩序に繁茂する木々が闇を齎す。
『――!』
『‥‥ほう、面白い』
 陽光すら届かぬ深い森の奥、小鬼がもたらした情報に、声の女は口元を釣り上げた。
『開拓者、か。――今回は何を見せてくれる?』
 そして、女の声はゆっくりと手を掲げ小鬼に指示を下した。

●街道
「‥‥酷いな」
 ある者は額から血が滲み、ある者は足を引きずり、ある者は腕を無くしている。
 敗軍の脇を駆け抜ける晴臣はその凄惨な光景に、苦々しく呟いた。
「この辺りか」
 流れる人の波を脇目に見ながら、晴臣は立ち止る。
 そこは小高い丘へと続く曲がりくねった峠道の入口。
「白き勇者達――」
 そして、目に映る風景を一瞥したのち、晴臣は符を天へと投げ放つ。
「敗軍を導く道標となれ!」
 符は転じ、小さき白隼へと姿を変える。
「‥‥幸か不幸か出会ってしまったからね」
 大空へと舞い上がった自らの分身を眺め呟く。
「私は私の最善を尽くす」
 何かに誓いを立てる様に――。

●峠
「‥‥おかしいわ」
「ユリア、どうしたのっ?」
 ユリアは怒涛の如く押し寄せるアヤカシの群れの異変に気付く。
「アヤカシの攻撃が散漫すぎるとは思わない?」
 飛びかかる小鬼を槍でなぎ払い、ユリアが問いかける。
「こちらの攻撃が効いている、と思いたいところだが」
 休みなく襲ってくるアヤカシの連携の前に、歴戦を重ねた漸も息荒く言葉を絞り出した。
「ねねっ! これっていつまで続くのっ!?」
 最早踊っているというよりは必死に避けているといった風にサフィラが涙目でアヤカシの攻撃をかわす。

 と、その時。

「しっ! ‥‥今森が『動いた』ネ」
「っ!」
 人差し指を口元に当て、耳を森に向ける飛鈴の言葉に、一行に緊張が走る。
「まずいわね‥‥。こう視界が遮られちゃ‥‥」
 正面から来る攻撃を何とか往なしながらも、ユリアは森へと視線を向けた。
 しかし、そこは静かに蠢く樹木達の漆黒の世界。
「後ろは晴臣が行ってくれてる。私達は何とかここを押えよう」
 ちらちらと森に視線をやるユリアの前に立ち、灰音が静かに囁きかける。
「‥‥そうね。ここを抜けられたら私達の出て来た意味が無くなるわ」
 目の前には息もつかせぬ程に巧みな連携を見せ襲ってくるアヤカシ達。
 ユリアは、再び槍を握りしめる。
「そうだよっ! アタシ達が最後の砦なんだからっ!」
 サフィラの言葉に頷いた一行は、再び無限とも思えるアヤカシの攻撃の前に身を晒す。
 必死で逃げる理穴の兵士達の為に、少しでも時間を稼ぐために――。

●峠
「うあああっっ!!」
「っ!」
 突然、隊列の前方から悲鳴が上がる。
「くそっ、そっちか!」
 悲鳴が聞こえたのは遥か前方。
 晴臣はグッと唇を噛むと、重い足を奮い立たせ駆けだした。

 長い間、人の往来が無かった街道脇の森は、その原生を取り戻すかのように激しく繁茂する。
 生い茂る木々の葉は、晴臣の放った分身の目をも眩ませる程に。

 晴臣が辿りついた先に広がる赤の大地。
「ぎゃぁっ!!」
 放たれる爪の一薙ぎで簡単に人を引き裂かれ、絶命する。
 それほどまでに、アヤカシと人との間には戦力に開きがあった。

 たった一匹の狼型のアヤカシに、士気を失った兵士達は、絶望の表情を浮かべ呆然と立ち尽くす。
 動けぬ兵士達を守る為、晴臣はアヤカシの前へと立ち塞がる。
「それ以上、好きにさせない!」
 また新たな兵士を牙の餌食としたアヤカシは、その鈍色の瞳を辿りついた晴臣に向けた。

 グルゥゥ‥‥。

 そして、低く威嚇の声を上げたかと思うと、
「なっ!?」
 符を取り出し戦闘態勢に入った晴臣を嘲笑うかのように、体を返し深き森へと飛び込んだ。

●峠
 峠の頂上付近から一本の狼煙が上がる。
「っ! 晴臣からの合図だよっ!」
 天へと向けられた一本の煙の道を、サフィラが指差した。
「あちらにもアヤカシか‥‥!」
「さっき森を抜けていった奴だナ」
 狼煙を見つめ苦々しく呟く漸に、飛鈴は冷静に答える。
「ここは任せる! 私は晴臣の救援へ向かう!」
 と、漸は相手をしていた小鬼を弾き飛ばすと、理穴軍へと向け駆けだした。
「わわっ!? ちょ、ちょっと! 任されても困るんだけどっ!?」
 一人減った分、他の者の負担が増える。
 サフィラは突然倍になったアヤカシ相手に、必死で逃げる様に攻撃をかわした。

●峠
「うわぁっ!!」
「くそ‥‥! 次は前かっ!」
 長く伸びた隊列の前方からの悲鳴に、晴臣は悲痛な面持ちで振り返る。
「このままじゃ‥‥!」
 何処から襲ってくるかも予測のつかないアヤカシの急襲。
晴臣は悲鳴の上がるたびにアヤカシの元へと駆け寄る。
しかし、結果は一向に好転しない。アヤカシは、晴臣の姿を見るや否や、森へと姿をくらますのだ。
「晴臣!」
「‥‥漸か」
 息荒く疲労困憊の晴臣の元へ、漸が駆けつける。
「アヤカシは!」
「‥‥森だ」
「森だと‥‥くっ!」
「やめておいた方がいい。虎穴に入っても虎児はいないよ」
 指差された深く静む森に飛び入ろうとする漸を、晴臣が言葉で止める。

「ぎゃぁぁ!」

「悲鳴が!」
「くっ‥‥次は後ろか‥‥!」
 悲鳴が上がるたびに、命が消えていく。
 晴臣は上がった悲鳴に向け、再び駆けだす。そして、漸もまた晴臣を追い隊列の後方へと駆けだした。

●谷
 いつ終わるとも知れぬ追撃に、徐々にその力を奪われていく一行は、峠を抜け谷へとたどり着く。
「こんな回復じゃ足しにもならない、ね」
 携帯していた薬品の回復量など、深く傷を負う一行には微々たるもの。
 灰音は回復薬の空瓶を投げ捨てた。
「いや、助かる。灰音、ありがとう」
 僅かに戻った力。漸はそんな灰音ににこりと笑みを向ける。
「森も無いし崖の上にも‥‥敵はいないみたいだねっ!」
 辺りを見渡したサフィラも嬉しそうに呟いた。
「目の前にはうじゃうじゃいるけどね」
 しかし、サフィラの陽気にも、晴臣は目の前の大群から注意を逸らす事はない。
 アヤカシの群れは、この谷間を警戒しているのか、一時足を止めていた。
「皆、ここが踏ん張りどころよっ!」
 鎧は傷つき血に染まる。普段は羽のように軽い武器達が、今は鉛を背負ったように腕に重くのしかかる。
 しかし、ユリアは仲間を鼓舞するように、愛槍と大きく振るった。

 一方――。
「こんな所で終わり、とはナ‥‥」
 一人冷静に状況を見つめる飛鈴は、取り出した焙烙玉を握りしめ、誰にも届かぬ声で呟いた。

 その時。

「八百万の精霊達よ。傷付きし者達へその慈悲を示せ! 『閃癒』!!」

 窮地に立たされた一行に向けられる温かな光。
「こ、これは‥‥?」
 降り注ぐ光の粒子が一行の傷を癒す。
「隊長さんっ!」
 光の主、藍の姿を見つけサフィラは嬉しそうに声を上げた。
「助かったよ。これで行ける」
 再び力を取り戻した体に力を込めた灰音。
「いや、もういい」
「え?」
 しかし、馬上から見下ろす藍は、ゆっくりと首を振った。
「何を言って‥‥」
「残念ながら、あちらさんは私を見逃してくれそうにないのでな」
 瘴気の塊であるアヤカシ達が最も嫌う精霊の光。
 藍が放った精霊力は、アヤカシ達の敵対心を一身に引きつけるに充分であった。
「まさか‥‥っ!」
 藍が何を言おうとしているのかを一行は理解する。それは自らが『囮』となる、と言う事。
「先刻の無礼を詫びよう。お前等のおかげで兵士達を随分と逃がせた」
 ゆっくりと一行とすれ違う藍の口から言葉が洩れた。
「死ぬ気カ?」
「‥‥生かす為に」
 そんな藍に視線を合わせる事無く投げかけられた飛鈴の問いに、藍は静かにそう答えた。
 そして、手綱を大きく引くと、
「我等が理穴は、貴様らなどに屈服はせんぞ!!」
 単騎アヤカシの群れの中へと馬を走らせた。

「‥‥あの隊長には悪いけど、ここで止めるよ。漸、これを」
「そんなっ! 隊長さんを見殺しにする気っ!?」
 取り出した焙烙玉を冷静に漸へと渡す晴臣に、サフィラは信じられないとばかりに噛みついた。
「行くアルぜ――上手く崩れりゃ、御喝采! ってナ」
 そんなサフィラの焦りにも似た怒りを横目に、天に向かって吠えた飛鈴は、焙烙玉を点火し力一杯崖へ目掛け投げつける。
「すまない‥‥」
 飛鈴と時を同じくし、漸が逆の壁へと受け取った焙烙玉を投げつけた――。

 どうんっっ!!!

 同時に弾ける三つの焙烙玉。
「だ、ダメなの‥‥?」
「‥‥いや、来るぞ!」
 地響きと共に、左右の崖が雪崩を引き起こす。
 目の前に引かれた生と死の境界線。
 大量の土砂に押しつぶされる街道を、一行はじっと見つめた。

●谷
「た、助かったのか‥‥?」
 轟音と地響きに足を止めた兵士達が、初めて後ろを振り返る。
 そこにあった筈の街道は無く、代わりに生まれた高い土の城壁がそびえていた。

「‥‥聞け、理穴の兵達!!」
 目の前に現れた巨壁を呆然と眺める兵達に向け、ユリアが重い口を開く。
「今、アヤカシの進軍は止まった! でも、この壁すらもいずれ越えてくるわっ!」 
 残った気力をありったけ声に込める。
「整然と退け! 貴方達の隊長の言葉を思い出して、最後まで整然と!」
 込み上げる複雑な感情を押えこみ、ユリアは兵士達に訴え続ける。

『お、おぉぉぉぉっっ!!』

 ユリアの言葉は兵士達の胸を打つ。
 冷静さを取り戻した兵士達は、重傷者を庇いつつ軍隊らしい整然とした動きで一路砦を目指した――。



 敗走する理穴軍は、その兵数の半数。そして、隊長『支倉 藍』を失った。
 しかし、繋がった命もまた多い。
 砦に辿りついた誰しもが、地べたにへたり込み無念の表情を浮かべた。
 それは、至難の撤退劇を演じ、兵士達の生を繋いだ開拓者達も同じであった――。