【遼華】死を呼ぶ黎黒
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/05/24 17:33



■オープニング本文

●海岸
 真の闇に閉ざされる新月の夜。
「はぁはぁ‥‥っ!」
 草木も眠る深夜。
「ぐっ‥‥っ!」
 小波と砂を踏む音と。
「はぁはぁ‥‥っ!!」
 荒い息使いだけが砂浜を駆けていた。

「に、逃げれたか‥‥?」
 どれほどの時、同じ音を聞いていただろう。
 なんとか岩陰に辿りつけた。
 あの恐怖から、逃げられたのか。
 砂浜を駆け続けた脚はとっくの昔に悲鳴を上げ、ぴくぴくと痙攣していた。

 コツン――。

「っ!?」
 ほんの些細な物音が、闇夜に響く。虫の鳴き声にも似た小さな小さな物音にさえ、男の心臓は破裂せんばかりに鼓動を速める。
「‥‥」
 視線を感じた。
 ほんの一瞬の向けられたその視線が、男を恐怖というヴェールで覆う。
「ひ、ひぃ‥‥っ!」
 岩陰から飛び出す。
 ここにいてはいけない。
 そんな声が聞こえた気がした。
 ここにいてはいけない。
 何度となく囁きかけてくる声。自分が発した声なのか空耳なのか、それとも式達の声か。
 わけがわからない。
 生きた心地がしない。あの恐怖の光景が鮮明に蘇ってくる。
 逃げなければ。
 何のために? それすらもわからない。

 男は再び真闇の砂浜を駆けだした――。

●森
「はぁはぁ‥‥っ!」
 一層の黒を纏った森が静む。
 男は勘だけを頼りに、ただただ暗い森を全力で駆ける。
「ぐ‥‥っ!」
 突き出した枝が男の頬を斬り裂く。
 だが、滲む血など構っていられない。後ろから来ている。あれが――。
「く、くそ‥‥っ!」
 再び速度を速める。
 逃げないと。――死ぬ。
 それは確信。
 わけのわからないこの状況にあって、ただ一つの真実が、それ。
 逃げる。逃げる。逃げる。
 その他に何も考えられない。とにかく、逃げる。
「はぁはぁ‥‥っ!」
 もうすぐ森を抜ける。後少しだ。
 男は残る全ての力を痙攣する足に込め、駆けだした。

「はは‥‥」
 勝手に笑い声が込み上げた。
 森を抜けた先の闇に浮かんだ一条の光。
 逃げ切れた。

 ――そう思った。

 だが、その光は迫る。
 男に向けて。
「え‥‥?」
 生温かい。いや、熱い。
 何が起きた?
 光が見えない。闇しか見えない。暗い‥‥暗い。
「‥‥」
 声が出ない。
 声が――出ない。

●心津屋敷
「‥‥」
 ある陳情書を領主代行遼華はじっと眺める。
「‥‥」
 殴り書きされた文字からは、その内容と共に差出人の恐怖と焦りが見て取れる。

 その文は心津にある小さな漁師村から届けられたもの。
 文にはそこで起きた無残な猟奇事件の詳細が克明に記録されていたのだ。

「邪魔するぜ」
 ノックも無く扉が開かれる。
「‥‥お、おい、どうした‥‥?」
 部屋に踏み入ったのは道であった。
 道は部屋の主遼華の表情に、殊更驚いた様に問いかける。
「え‥‥? あ、道さん」
 呼びかけられるまで気がつかなかったのか、道の声にふと顔を上げた遼華。
 その表情からは血の気が引き、精気がまるで感じられなかった。
「顔色が優れねぇ‥‥ぞ?」
 普段見る事のない遼華の表情に、道は戸惑いの声を上げる。
「え? あ、はい。ごめんなさい‥‥」
「例の陳情書か?」
 道は遼華が手に持つ一通の文に気付き覗きこんだ。
「はい‥‥」
「‥‥とにかく、今は界が当たってる。もうしばらく、待ってみようぜ」
 不安げに見上げてくる遼華を落ち着かせようと、道は静かに呟く。
「はい‥‥」
「ったく、手口を見るとアヤカシのようだが‥‥」
「でも、今まで心津にアヤカシが出たという話は聞いた事が無かったんです‥‥」
「そうなのか?」
「はい、伯父様もそう言っていました。心津みたいな田舎に来るほどアヤカシも暇じゃないんじゃない? って‥‥」
「なるほど‥‥」
 しゅんと首を垂れる遼華に、道もどうしていいものか戸惑う。
「だから、アヤカシが関わるような内容だから、少し心配で‥‥」
「なに、俺達もそれなりに腕には自信がある。信じて待てばいいさ」
「そうなんですけど‥‥なんだか、胸騒ぎがするんです‥‥嫌な、感じが‥‥」

「領主代行殿、いるか!」
 その時、けたたましい音を上げ扉が開かれる。
「え、悦さん?」
 扉を開き現れた人物の只ならぬ雰囲気に、遼華は少し戸惑い気味に問いかけた。
「はぁはぁ‥‥道もいたか」
「どうした‥‥? えらく慌てるが」
 いつも冷静を保つ悦が、肩で息をするほど取り乱している。
 道は普段見せぬ仲間の姿に、ごくりと息を飲み問いかけた。
「界が‥‥」
 二人を交互に見つめ、絞り出すように呟く悦。
「界が、どうした‥‥?」
 そんな悦に道が恐る恐る声をかけた。
「界が‥‥死んだ」
「え‥‥?」
 あまりに短く明解な言葉。
 その言葉を、遼華はすぐに理解する事が出来ず呆ける。
「何の冗談――」
「冗談でこんな事が言えるか」
 道の言葉を悦の悲痛な声が制した。
「そ、それは本当なんですか‥‥?」
 ギリッと唇を噛む悦に、遼華は震える声で問いかける。
「‥‥」
 遼華の問いかけに、無言で頷く悦。
「そ、そんな‥‥」
 全身の力が抜けたのか、遼華はペタンと床に尻もちをついた。
「誰にやられた‥‥!」
「わからん‥‥今朝、死体で発見された。無残に切り刻まれてな‥‥」
「くそっ!! やはり俺も行くんだったか‥‥っ!」
 今しがた話していた話題。
 あの殴り書きされた陳情書の送り元の村での事件に、道の顔に悔しさが滲む。 
「‥‥」
「代行殿‥‥?」
 床にへたり沈黙を続ける遼華に、悦が声をかけた。
「‥‥私、行きます」
「なっ!? 馬鹿言ってんじゃねぇ!!」
 突然の遼華の発言に、道は血相を変えて反論する。
「行きます。まだ胸騒ぎがおさまらないの‥‥。お二人とも力を貸してくださいっ!」
 見上げてくる瞳にこもる強き意思。
 その強き視線に、二人は固く決意を固めた――。


■参加者一覧
一條・小雨(ia0066
10歳・女・陰
鴇ノ宮 風葉(ia0799
18歳・女・魔
ミル ユーリア(ia1088
17歳・女・泰
佐竹 利実(ia4177
23歳・男・志
各務原 義視(ia4917
19歳・男・陰
茜ヶ原 ほとり(ia9204
19歳・女・弓
ルシール・フルフラット(ib0072
20歳・女・騎
ルンルン・パムポップン(ib0234
17歳・女・シ


■リプレイ本文

●議室
「――では、皆さんの御意見も伺いましょう」
 卓を囲むのは開拓者の一行。そして、領主代行の遼華。
 各務原 義視(ia4917)が場を仕切り、今回の事件のあらましを確認していた。
「‥‥どなたか提案等はありませんか?」
 内容は依頼書で確認していた。
 しかし、声に代えられて飛び込んでくる情報は、一行の気分をどうしても暗いものにさせる。

 場にしばしの沈黙が落ちた。

「‥‥うちから一つえぇか?」
 そんな沈黙を裂き一條・小雨(ia0066)が声を上げる。
「小雨、どうぞ」
「おぉきに。――さてと」
 進行役である義視の声を受け、小雨は立ち上がり一行を見渡すと。
「今回の事件、犯人は確実に何らかの目的を持っとる」
 いつもの明るい表情を消し、語り始める小雨。その言葉にはどことなしか確信さえ感じられた。
「言いきるのね。随分と自信があるようだけど‥‥なぜそう思うの?」
 淀みなく語る小雨に茜ヶ原 ほとり(ia9204)が問いかける。
「理由はいくつかあるんやけど‥‥まず一つは、この手口‥‥アヤカシにしては鮮やか過ぎるねん」
「鮮やか?」
「思い出してみぃ、あの切り口。ほとんど一太刀で絶命させとる。確実に死に至らしめる斬り方や」
「‥‥確かに人体を熟知している者の仕業、と考えるのが妥当でしょうか?」
 声を上げたのはルシール・フルフラット(ib0072)。会議を静かに聞いていた翡眼の騎士へ一行の視線が集まった。
 先程検分した3体の遺体。
 その鮮やか過ぎる死因は、開拓者である一行すら魅了させるほど見事であった。
「うちは刀を振るう人間やないから、詳しい事はよぉわからへんけど、あれは見事や」
「‥‥それはわかるわ。でも、それだけでアヤカシでないと断言できる?」
 小雨の言い分は理解できる。しかし、アヤカシでないと断言するには何か足りない。
 ほとりは、再び佇立する小雨へと疑問を投げかけた。
「正直断言はでけへん。せやけどな、殺し方もそうやけど、わざわざ目撃者を増やすような手口が気にいらへんねん」
「‥‥それが目的、という訳ですか」
 口元に手を当て静かに思考に耽るルシールの言葉に、小雨が小さく頷く。
「そや。無差別に殺戮を繰り返してる割には、被害は村の中でしか起きてへん‥‥気に入らんわ、まるで何かを待ってるよぉにしか思えへん‥‥」
 すっと視線を落とし囁くように呟いた小雨は、ふと顔を上げると遼華へ視線を移した。
「え‥‥?」
 突然向けられた視線に、遼華は呆気にとられる。
「ともかくや。これがうちの出した結論。相手は人。それも相当の手練の、や」
 しかし、小雨が遼華へ向けた視線は一瞬の事。
 小雨は再び議室を見渡すと、静かに席へ腰を落とした。

「‥‥小雨、ありがとう。では、他に何かある方はいますか?」
 席に着いた小雨を見て、義視が再び呼びかける。
「えっと、提案とかそういうんじゃないんだけど‥‥いいかな?」
 小雨の提案に皆がじっと考え込んでいた議場に、恐る恐る声を上げる者がいた。
「ルンルンか。いいよ、皆の意見を聞きたい」
 義視が声の主に視線を向ける。それは皆の視線を感じつつ、小さく手を上げるルンルン・パムポップン(ib0234)だった。
「うん、ありがとうっ!」
 自分の名を呼ぶ義視の優しい声に、ルンルンはにぱっと表情を明るくし元気良く立ち上がると。
「難しい事はよくわからないけど、無差別猟奇殺人なんて許せない‥‥っ!」
 机についた拳をふるふると振るわせながら、言葉を絞り出していく。
「殺された人の事で遼華さんも凄く悲しんでるし‥‥」
 ふと見つめる遼華の顔。その表情は自責の念と不甲斐なさに沈む。
「だから‥‥だから、絶対に犯人を懲らしめてやるんだからっ!」
 普段は見せない真剣な表情。ルンルンは握った拳を卓の中央へとグッと突き出した。
「‥‥ルンルンの言うとおりですね。無実の民を殺めるなど、許されざる蛮行。我々が義の制裁を下しましょう!」
 ルンルンの突き出した拳に義視も自身の拳を合わせる。
「人に害を為す者と戦う。それが騎士の務め、です。必ずや倒すと誓いましょう、母の名にかけてっ!」
 そして、ルシールも自身が信じる道へと誓いを立てる様に、拳を突き出し合わせる。
「はぁ‥‥クサイわ、ほんまにクサイわ――でもまぁ、うちは空気読める才媛やし? 付き合うのも吝かやないけど?」
 立ち上がった小雨は少し照れの混じる声で、集う拳から視線を外しながらも自身の拳を突き出した。
「ほれ、茜ヶ原の姐はんも!」
「ちょ、ちょっと‥‥!」
 そんな小雨は隣でじっと様子を伺っていたほとりの手を取ると、皆が交える拳の輪へと招き入れる。
「皆さん、よろしくお願いしますっ!」
 交わった拳が絆の証。
 皆が見つめる中、遼華は精一杯拳を突き出すと、深々と礼をしたのだった。

●屋敷
 しんと静まり返った一室。
 季節はすでに初夏。しかしこの一室だけは他の部屋よりも少し室温が低く感じるのは、気のせいだろうか。
「酷いわね‥‥」
 部屋に横たわる3体の骸。
 人としての生を強制的に終了させられた亡骸に向け、鴇ノ宮 風葉(ia0799)が小さく呟いた。
「なんとか回収できた仏だ」
 そんな風葉の呟きに、横でじっと骸に視線を落としていた道が答える。
「‥‥で、界ってのはどれ?」
「‥‥」
 まるで感情を滲ませることなく呟く風葉に、道は無言で一体の骸を指差した。
「‥‥そう、彼が」
 そう呟いた風葉がおもむろに界の遺体へと近づいていく。
「何をする気――お、おいっ!?」
 界の遺体の前へと歩み寄った風葉はおもむろに切り裂かれた界の懐を弄る。
 その突然の行動に、道が慌てて風葉の腕を掴んだ。
「‥‥離してくれる?」
「それは‥‥」
 道が掴み上げた風葉の腕。その手には血に塗れた数枚の符が握られていた。
「初めまして‥‥かしらね」
 呆然と符を見つめる道の手を振り払い、風葉が界の遺体を見下ろす。
「あんたの代わりに戦ったげる。‥‥その代わり、向こうで会ったらお茶ぐらい奢りなさいよ?」
 言葉を綴る風葉の表情に悲哀は無く、ただ決意だけが込められていた。
「――さて、行こうかな」
 そう呟きくるりと体を返した風葉は出口へと足を向ける。符を握る手にギュッと力を込めて。
「頼むぞ‥‥」
「心配しなくてもいいわよ。報酬分の仕事はするから」
 背中越しにひらひらと手を振り答えた風葉は、そのまま部屋を後にした。

「おや、先客がありましたか?」
 風葉が去り、しばらくして部屋に現れたのは佐竹 利実(ia4177)であった。
「‥‥今日はよく人が来るな」
「それはそうでしょう。貴重な検体がここにあるんですから」
「なに‥‥?」
「ちょっと失礼しますよ」
 道が向けてくる視線を意にも介さず、利実は部屋に横たわる3体の骸を順に眺めていく。
「なるほど‥‥」
 骸に付けられた痛ましい傷。
 そんな傷を念入りに眺める利実が、徐に骸に手を伸ばす。
「お、おい!」
 そんな利実の行動にとっさに声を上げた道。
「大丈夫ですって。さすがの俺でも仏さんに悪戯はしませんよ」
 そう言って道を制した利実は、ゆっくりと骸の衣を剥がしていく。
「なるほど‥‥こう来ますか。やはり身体に刻まれた技は抜けないですねぇ」
 深く刻まれた切り傷。
 その傷跡から何かを感じたのか、利実は熱心に手帳へと記していく。

「――さてと、だいたい分かりました。これを纏めて太刀筋の再現を」
 利実が見聞を初めて一刻程が過ぎた。
「‥‥っと、ここでは無理ですかね」
 振り返った先には、道が黙して立ち尽くしている。
「まぁ、他の人に頼むとしましょう。では、お邪魔しましたよ」
「ああ、そうしてくれ」
 手帳を懐に仕舞い込み、利実は部屋を後にした。

●道中
 日は天頂に差し掛かり、汗ばむほどの陽気を一行へともたらしていた。
「まったく、物騒な世の中よね」
 そんな、一見麗らかな道中。ミル ユーリア(ia1088)が隣を歩く遼華に声をかけた。
「うん‥‥ごめんね。厄介な事ばっかり頼んじゃって」
「あー、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないのよ」
 その言葉にしゅんと俯く遼華に、ミルはいつもの飄々とした口調で返す。
「あたし達はその物騒な世の中をドカーンと解決する為に来たの」
 とんと拳で胸を打つミル。
 そんなミルを遼華が不思議そうに見つめた。
「だーかーら、安心して見ておきなさい、って事よ。わかった?」
「うん‥‥ありがとう、ミル」
「まったく、リョウカは心配性? 禿げるわよ?」
「はげっ‥‥!?」
 尚も沈む遼華に向けミルが放った一言に、遼華は頬を引きつらせる。
「あはは、リョウカって怒った顔も可愛いわね」
「も、もぉ! 子供扱いしないでくれる!?」
「ごめんごめん。だって、女を落とすのは沈んでる時だって、偉い人に聞いたから」
「偉い人って誰っ!? って、話変わってるし、私を落としてどうするのよっ!」 
 遼華の見せる少女の顔。いつも通りに戻った友をミルはギュッと腕で包み込んだ。
「ミ、ミル‥‥?」
「ねぇリョウカ。一つ約束してくれる?」
「え?」
 いつの間にか遼華に向けられたミルの表情は真剣なものへと変化していた。
「ゼッタイにあたし達から離れない事」
「う、うん‥‥」
「一緒に行くからには必ず護り通すつもりだけど、身勝手な行動まではフォローできないからね?」
「そう‥‥だよね」
「うん、そう」
「‥‥わかった」
「よろしい。あたしは少しやる事があるから、ずっと傍にはいられないけど。大丈夫、皆がリョウカを守ってくれるから」
 ミルが見つめるのは遥か先。そこには件の村がある。
「ミル‥‥」
「ほら、皆が呼んでるわよ。行こ、リョウカ」
「う、うん‥‥っ!」
 ミルは遼華の手を引き、先で待つ皆の元へと足を速めた。

●カサ郊外
「霧が晴れとってよかったな」
 小雨が天を仰ぎ呟いた。
 長雨の季節を前に、心津の天候は落ち着き穏やかであった。
「‥‥気を抜くべきではないわ」
「別に気ぃ抜いてるわけちゃうで? 懸念事項がいっこ消えたんを単純によろこんどるだけや」
「‥‥ふうん」
 小雨の言葉に素っ気なく答えるほとり。だが、そんなほとりも霧の懸念が消えた事に密かに胸をなでおろしていた。
「でも、昼間に行って敵は現れるでしょうか?」
 と、今度はルシールが呟いた。
「出てくるんとちゃう? 別に夜限定って訳やないし」
「それはそうですが‥‥」
「ご心配はもっともです。でも、別に相手に合わす必要はないんですから」
「うむ。各務原の兄はんの言う通りや」
 意見を同じくする義視の言葉に、小雨は満足気に頷いた。
「とにかく、できるだけこちらが優位に立てる状況を作りましょう」
「せやな。唯でさえ正体不明なお相手や。そうでもせな釣り合い取れんで」
「‥‥そうですね。視界が利く方が遼華さんを護りやすい」
 ルシールは後方を着いてくる遼華に視線を向ける。
「ですね。代行殿はこの地に無くてはならぬ人。必ず護りましょう」
「この地に‥‥? 私に、の間違いちゃうの?」
 にやにやと義視を見上げる小雨。
「小雨‥‥後でじっくりと話をしようか」
「おっ、勝負やな! 受けてたったるで!」
「‥‥はぁ」
 ドーンと拳を突き出す小雨と、肩の力が抜け項垂れる義視を、一行は呆れながらもにこやかに見つめた。

●道中
「代行殿」
 カサを目指す一行。
 最後尾を歩く遼華に、義視が振り返り声をかけた。
「も、もぅ! その呼び方はやめてくださいってばっ!」
「ああ、申し訳ない。どうもこの呼び方に慣れてしまいまして」
「も、もぉ‥‥」
 照れ交じりに俯く遼華を嬉しそうに見下ろす義視は、すっと手を差し出す。
「え?」
「どうぞ、差し上げます。気分が落ち着くご利益があるそうですよ?」
 義視が差し出した手に乗せられていたのは、小さなお守り。
「あ、ありがとうございます‥‥?」
 手渡されたお守りと義視の顔を交互に見やり、遼華がきょとんと呆ける。
「はい、きっと貴女を守ってくれますよ」
 そう言って、義視は遼華に向け、優しげな笑みを浮かべたのだった。

●カサ
「‥‥バカにするにも程があるわよ」
 結界を張り一人で注意深く村へと踏み入った風葉を、まるで出迎えるかのように現れた黒い影。
「心外だねぇ。そんなつもりは毛頭ないんだけど?」
 龍杖を構え目の前の影と対峙する風葉に、影は飄々と答えた。
「‥‥」
 そんな影を無言で見つめる風葉。
 影の放つ異様なまでの殺気に風葉の額から一筋の汗が流れおちる。
「やるの? まぁいいけど。でも、面倒だなぁ‥‥あ、そうか君に『餌』になってもらえばいいのか」
 と、突然影が動く。
「あんま舐めてると痛い目見る――」
 無造作に、まるで散歩でもするかの様に風葉へ歩み寄る全身を漆黒のローブで包んだ影。
「えっ‥‥?」
 身構える風葉と影が重なった。今まで二人を隔てていた距離を一瞬にして埋めて。

 ごすっ!

「カザハ!」
「おや? もう一匹いたのか」
 首だけを動かし、影はミルに視線を向ける。
 と、同時に崩れ落ちる風葉の身体。
「カザハっ!?」
 風葉の視界に入らぬようじっと見守っていたミルが駆け寄るよりも早く、事は起こった。
「うーん、一匹より二匹の方が効果的かな?」
 力無く崩れ落ちた風葉の身体を蹴り飛ばし、影がミルへと体を向ける。
「っ‥‥!」
 先ほどと同じようにゆるりと歩み寄ってくる影と、蹴り飛ばされ大地を転がる風葉を交互に見やりながら、ミルが構えを取った。
「余所見はよくないよ?」
「なっ!?」
 一瞬の出来事。その声がミルの耳元から囁きかけてくる。

 ごすっ!

「二匹目確保っと」
 嬉しそうな影の声と、肉を打つ鈍い音だけが辺りに響いた――。

●カサ海岸
 カサを目指し海岸を慎重に進む一行。
「遼華さん!」
「はい?」
「えっと、初めまして! 私、ルンルンっていいます」
 張り詰めた雰囲気を割って、ルンルンの明るい声が辺りに響いた。
「え? あ、初めまして‥‥?」
 遼華の手を取りぶんぶんと上下に揺らすルンルンに、遼華も呆気に取られる。
「私、頑張って絶対に絶対に犯人を懲らしめちゃいますからっ!」
 握った手を離し、ぐぐっと拳を握り力説するルンルン。
「だから‥‥だから、この事件がまるっと解決した時には‥‥お友達になってほしいなっ!」
 金髪をふわりと揺らし、ルンルンは遼華に満面の笑みを向けた。
「え‥‥あ、はいっ! ありがとうございますっ。嬉しいですっ!」
 その笑顔に呆気に取られていた遼華もつられるように笑顔になる。
 そんな二人の会話。その何気ない会話が張りつめた空気に支配されていた一行の緊張を和ませた。
「ふぅ‥‥少し気を張りすぎていましたか。ルンルン、ありがとう」
 深呼吸一つ。沈黙を割って義視がルンルンに話しかける。
「せやな。こんなとこで練力切らすわけにいかへんしな」
 深呼吸二つ。小雨も肩の荷を下ろすように、力を抜いた。
「え? え? 私なにかしたかな?」
 きょろきょろと辺りを見渡すルンルンに毒気を抜かれた一行は和やかに見つめた。

●カサ
 カサの入口に差し掛かった一行。
 その時、開拓者の皆が村の中央から放たれる異様な気配に身構えた。
「びんびん伝わってきよるな‥‥。ややこしい真似までして大量殺戮までやらかした奴が、えらい堂々と‥‥っ!」
 声を上げたのは小雨。即座に懐から取り出した符を手にし、身構える。

 それは殺気。

 それだけで気の弱い者を卒倒させてしまいそうなほどに強烈な、そして純粋な殺意の気であった。
「遼華さん、本当に貴女を呼んでいるのかもしれません‥‥」
「えっ?」
 煮え立つような殺気に、遼華を庇うように背に隠したルシールが呟く。
「出てきなさいっ! 無造作に殺気を放ちすぎですよっ!」
 視線は村の中央へ。異様な気配を発する『もの』に向け、ルシールが吠えた。
「出てきなさいとは随分だね? 僕はここからそちらから来るのが礼儀っていうものじゃないの?」
 一行の耳に届く場違いなほど軽い声。
 それは一軒の家屋を挟み響いてくる。
「‥‥行きましょう。相手が待っていてくれるのであれば、探す手間が省けます」
 身構える一行を見回し義視が言葉を発する。一行は、義視の声にこくんと頷いた。
「よーっし、やってやるんだからっ! ルンルン忍法でズバッとまるっと解決しちゃいますっ!」
 纏わりつく殺気を吹き飛ばすような、ルンルンの明るい声。
 その声に一行は一呼吸置くと、声の待つ村の中央へと身を躍らせた。

「遼華さん、見ないでくださいっ!」
「え?」
 そこに広がった光景にルシールは咄嗟に遼華の目を塞いだ。
「‥‥それがあんたの玉座ちゅうわけか?」
 村の中央に座す殺気の根源に、小雨が声に怒りを滲ませる。

 影が座すは屍の椅子。
 犠牲になった家畜や村人達で造られた死の玉座であった。

「ようこそ。歓迎するよ」
 うず高く積まれた屍の中央に、一際濃い黒が揺らめく。
「犯人自らお出迎えとはね‥‥」
 呆れる様に呟くほとり。しかし、その声には緊張が滲んでいた。
「骸の上に腰かけるなど‥‥人を‥‥民をなんだと思っているっ!」
 普段からは想像もつかない低く怒りを滲ませる声。
「気をつけてください‥‥まだ敵の正体がわかりません――」
「団長さん、ミルさん!?」
 ルシールが怒りを抑え皆を制そうとしたその時、突然ルンルンが悲鳴にも似た叫びを上げる。
 ルンルンの震える視線の先にあったものに一行は釘付けとなった。
 それは最早朽ち果て廃屋の壁面に、両手を木杭で穿たれ吊るされる二人の仲間の姿。
「あ、心配しないで。殺してないから――」
 一行の視線に気づき、にこっと優しげな笑みを浮かべる影。
「って、話を聞いてくれるかな?」
 しかし、ルンルンは最早影の事など眼中にない。脚に力を込め一足飛びに屋根へと飛び上がると。
「団長さん! ミルさん!!」
 二人の手に穿たれた木杭を外しにかかる。
「あー、ダメだよ。それは彼女を迎える為の『餌』なんだから」
 そんなルンルンの行動に、影は面倒臭そうに死の玉座から立ち上がった――。

 ヒュン。

「む」
「動いては的にならないわ」
 影の頬をかすめる一矢。立ち上がった影にほとりが、次の矢を番えつつ影を牽制する。
「大人しく的になりなさい‥‥っ!」
 巨弓をまるで手足の如く扱うほとりは、次々と矢を番え影に向け放ち続ける。
「‥‥邪魔しないでくれないかな。やっと来てくれたんだから」
 しかし、影は最小の動きでその矢の事如くを避けた。

「団長さん、ミルさん!」
「うぅ‥‥ルンルン‥‥?」
 廃屋の屋根。
 ルンルンは紅く血の滴る木杭に手を掛ける。
「‥‥やめなさい。的になるわよっ‥‥!」
 辛うじて繋ぎとめた意識の中、ミルと風葉はルンルンに掠れる声で話しかける。
「そんなのできないよっ! 二人をこんな姿のまま放っておくなんてっ!!」
 一刻も早くこの姿から解放しなければ。
 ルンルンは二人の言葉を制し、木杭を抜きにかかった。

「くっ‥‥当たらないっ‥‥!」
 ほとりの声に焦りが滲む。
 矢筒から伝わる矢の感触。
 すでに矢筒に込めた矢のほとんどを打ち切っていた。
「これでどう!」
 再び放つ一矢。

「‥‥丁度いいや。これ借りるよ」
 しかし、影はほとりの放った矢を当たる寸前で掴みとった。
「なっ‥‥?!」
 ありえぬ光景にほとりが驚愕する。
 開拓者の放つ矢は、常人では目で追う事すら出来ない。
 しかし、目の前の影は神速を誇る矢を、あろうことか掴み取ったのだ。

「それは餌だって言ったろ?」
 影は矢の鏃を廃屋の屋根で木杭を懸命に抜くルンルンに向ける。

「臨兵闘者皆陣列在前‥‥出でよ、白壁!」
 その時、印を結ぶ義視の声に呼応し、影とルンルン達の間に立ち塞がるように白壁が現れた。
「うん?」
 白壁を目の前に建てられた田丸麿はかくりと小首を傾げる。
「ルンルン! 早急に二人の救出を!」
 射線は塞いだ。
 義視はルンルンに向け、急かすように声を上げた。
「うん! 義視さんありがとう!」
 頼もしい仲間の助成。ルンルンは二人を解放する為に木杭を力一杯引き抜いた。
 
「あーあ、逃がしちゃって‥‥仕方ない。これは持ち主に返すとしようか」
「え‥‥?」
 突如振り向いた影の手には、先程まで握られていた矢が無い。
「っ?!」
 それは突然の衝撃。
 先程見失った矢がほとりの右腕から生えていた。
「なっ‥‥どうやって‥‥!?」
 襲い来る激痛にほとりはたまらず膝を折った。

「待たせたね」
「ま、まさか‥‥」
 遼華に向けられる優しい声。
 それは確かに聞き覚えのある声だった。
「随分探したよ。村の人達が君の居場所を教えてくれないから困ってたんだけど、ちょっと悪戯すれば来てくれるかと思ったんだ」
 嬉しそうに声を弾ませる影。それはまるで童が自分の悪戯を鼻高に話す姿のそれであった。
「また会えて嬉しいよ。遼華君」
「た、田丸麿‥‥?」
 まだ信じられない。
 漆黒のフードから覗く、見知った笑顔。
 それは、確かに海に消えたはずだ。自身の目の前で――。
「それはこちらの台詞ですよ。田丸麿!」
 田丸麿と遼華を結ぶ視線の間に利実が割り入った。
「どうやら俺が思っていた通りの展開になってきました」
「さ、佐竹さん‥‥?」
 遼華を庇うルシール越しに利実は遼華に声をかけた。
「遼、領主としての判断が聞きたい。個人としては無くね」
「え‥‥?」
「斬れというなら、この佐竹 利実。魂魄を賭してその希望に答えましょう」
「そ、それは‥‥」
 背で投げかけられた言葉に、遼華は言葉を紡ぐ事が出来ない。
「‥‥答えられないですか。でも待ってる時間はないんです!」
 遼華の戸惑いを背で感じながら、利実は正面に佇む田丸麿へと歩みを進めた。

「邪魔なんだけど?」
「そう邪険にしないでもいいでしょう。久しぶりの再会だ」
 すでに二人の間に距離といえるものは無い。
 刀の間合い。それすら飛び越して向き合う二人。

 その時、田丸麿のローブが揺れた――。

「もらった! ――なっ!?」
 抜刀の極意は後の先。
 確かに利実の刀は、先に動いた田丸麿の腕を捕えた。

 しかし、手応えがまるでない。薙いだのは漆黒の衣だけ。
 そこにある筈の腕は――なかった。
「残念だったね」
 影の口元がグッと釣り上がる。
 抜刀後に生まれた隙を田丸麿は見逃さない。
「お返しだよ」
 抜き放つ刀。
 それは、神速の『逆手』の抜刀術であった。
「な‥‥っ!?」
 ありえぬ角度から放たれる一閃に、利実はなす術なくその身を裂かれる。
「佐竹の兄はんっ!! くっ‥‥それが村人達を殺った技、ちゅうわけか」
「ご名答」
「なっ!?」
 一瞬利実に向けた視線。それが仇となる。
 まるで空間を飛び越えでもしたのか、その声は耳元から。

 ドゴッ――!

「かはっ!?」
 肺の空気が強制的に外へと吐き出される。
 小柄な小雨の身体は蹴りの一撃で、まるで風の前の塵の如く吹き飛んだ。

「さて、わかっただろ? そこをどいてくれる――」
 刀に着いた血を払い納刀した田丸麿が遼華へと向き直った、その時。
「まだ、私がいますっ!」
 田丸麿の視界を壁が塞ぐ。
 ルシールが盾を掲げ、田丸麿へと突進したのだ。
「だめだねぇ、女の子がそんな乱暴な事をしちゃ。遼華君を見習ったらどうだい?」
「え‥‥?」

 ドタンっ!

 何が起こった?
 天が足元に、地が天にある。
「がはっ‥‥!?」
 一瞬遅れて襲ってくる激しい衝撃に、ルシールの顔が歪む。
 田丸麿は突っ込んできたルシールの腕を取ると、そのまま捻り上げ足を払ったのだ。
「もう少し上品になったら相手をしてあげるよ」
 そして、田丸麿は衝撃に苦しむルシールの腹を思いっきり蹴り飛ばした。

「さて、残りは何匹かな?」
 地を転がるルシールを見つめニヤリと口元を歪める田丸麿は、残る一行へ向けて歩みを始めた――。

●広場
 先程までの喧騒が嘘のように静まり返る広場には、小さな呻き声だけがそこかしこから漏れる。
 大地に足を着き立ち上がってる者はいない。――ただ二人を除いて。
「み、皆さん‥‥っ!」
 遼華の悲痛な叫び。
「待たせたね。遼華君」 
「ち、近寄らないでっ!」
「悲しい事を言わないでよ。ようやく会えたのに」
 一歩一歩ゆっくりと歩みを進める田丸麿。
 一方の遼華は恐怖に囚われ、足が動かない。

「‥‥どうしてこんな酷い事をするのっ!?」
 目の前に迫った田丸麿に遼華は気丈に声を張った。
「どうして? こんなゴミ、どうだって――」

 パンっ――。

「え‥‥?」
 広場に響いた乾いた音。
 田丸麿の言葉に遼華は無意識の内にその頬を張っていた。
「皆をゴミ‥‥? 馬鹿にしないでっ! ここにいる皆は私の大切な友達っ! そして、大切な民! あんたなんかに何がわかるのっ!」
「な、何を言っているん――っ!?」
 感情を露わにし叫び散らす遼華の言葉に困惑していた田丸麿の顔が、突如歪む。

「片思いは見苦しいですよ‥‥!」
 声は田丸麿の背後から。
 単衣に血を滲ませる利実が、背後から田丸麿の脚へ刀を突き立てた。
「‥‥まだ邪魔するの?」
 怒りの滲む声。
「邪魔? 違いますよ、隙を作るあなたが悪いのですっ!」
 と、利実は突き刺した刀を一気に引き抜いた。

 舞い散る鮮血。
 それを憎々しげに見つめる田丸麿が、利実に向き直る。
「‥‥どうやら死にたいみたいだね」
 そして、田丸麿は利実に向け刀を構えた。

 利実の命が断たれる。
 誰もがそう思った。その瞬間。

「煌めけ、シュリケーン!!」

 突然辺りを強烈な閃光が支配した。
「ぐぁっ!?」
 閃光に目を焼かれる田丸麿。
「そうはさせませんっ! 花忍ルンルン、華麗に復活ですっ!」
 血と泥に塗れる身体を奮い立たせ、気丈にも立ち上がったルンルンが田丸麿を指差し。
「これ以上の非道は絶対に許さない‥‥皆さん、今ですっ!」
 反撃の狼煙を上げた。

「団長、辛いだろうけど皆の回復を!」
 ルンルンが作った僅かな好機を義視は逃さない。
「これくらいどうってことないわよ!」
 その声は廃屋にもたれかかり肩で息をする風葉へ。
「それは頼もしい。さすが我らが団長です」
 強がりなのは痛いほど伝わってくる。
 しかし、今はそれが頼もしい。
「その動き、止めさせてもらうっ!」
 そして、閃光に目を焼かれ苦しむ田丸麿へ、義視が吠えた。
「縛の策! 兵臨考。在りし陣、灰塵と化せ! 呪縛符!!」
 印を結び義視の放った符が田丸麿の脚を大地へと縛りつける。

「私は倒れるわけにはいかないのですっ!」
 白刃を支えに立ち上がったルシール。その姿は土に塗れ変形した白銀の鎧が受けた傷の大きさを物語る。
「闇を払う光であれ‥‥それが我が名に刻まれた使命っ!」
 狙うは最も突出した部分。田丸麿の刀だ。
「数多の命を闇へと堕とし――」

 キーン――。

「血に塗れたその凶刃、断ちますっ!」
 打ち下ろされたルシールの白刃が、闇雲に宙を払う田丸麿の凶刃を弾き飛ばした。

「‥‥借りは返しますっ!」
 焼き切れるほどの熱を放つ右腕をきつく包帯で縛り、ほとりが立ち上がる。
 
 ザクっ!

 ほとりは動かなくなった右手を捨て、左手で弓を構えると弭の片方を思いきり大地へと突き刺した。
「弓術師の矜持、舐めないで‥‥っ!」

 矢筒はすでに空。
 しかし、ただ一矢残っている。自身の右腕に深々と刺さって。

 ほとりは右腕に刺さった矢に噛みつくと、一気に引き抜いた。
「っ‥‥!」
 肉を裂く音と共に自然と漏れるうめき声。
 無理やり矢を引き抜いた右腕からは、とめどなく生命の赤が流れ落ちていた。
「‥‥」
 矢を咥えギッと田丸麿を睨みつけたほとりは、最後の紅矢を弓に番える。
「――っ!!」
 弓握を握る腕が震える。
 矢羽を噛む口元に血が滲む。

 そして、ほとりはニヤリと口元を歪ませ、口を開いた。
 まるで身を投げ出すように口を離したほとりの矢は、一条の赤い軌跡を描き田丸麿を目掛けて奔る。

「ぐっ‥‥っ!」
 ほとりの放った一矢に、深々と肩を貫かれた田丸麿がたまらず短く呻く。

「リョウカはあんたに上げられないのよっ!」
 ほとりの決死の一矢を受け、怯む田丸麿へミルが飛びかかる。
「昔はもうちょっとマシな奴だと思ってたのにね。残念だわっ!」
 過去に一度、この男とは会った事がある。
 その時はいけすかない奴だとは思いつつも、その馬鹿っぷリを笑いもした。
 しかし、最早許す事が出来ない。友を苦しめ、民の命を奪ったこいつを。
「大人しく地獄に行きなさいっ!!」
「ぐぅっっ!!」
 怒りを込めたミルの渾身の拳が田丸麿の顔面へと突き刺さった。 

「さぁ、うちらもいくで! 風葉姐はん、あんじょう気張りやっ!」
「はぁ? 誰に向かって言ってるのよ。あんたに言われなくてもやってやるわっ!」
「ええ返事やな! ほな――いくでっ!!」
 頬を流れる血を気にも留めず練力を練り上げる小雨の周囲に、禍々しいまでの瘴気の渦が現れる。
「天津御霊国津御身八百万精霊等共爾‥‥聴かしたるわ、その足元で鳴いとる死者達の怨嗟の声をっ!!」
 投げ放たれた瘴気の符。
 符は広場に転がる無数の屍の上を通過し、立ち昇る怨嗟を巻き込み田丸麿へと襲いかかった。
「ぐああぁぁっっ!!」
 それは黄泉路への誘い。
 視界に映るほど濃い怨嗟が田丸麿を包む。

「有り難く思いなさいよ‥‥アンタがこの術の記念すべき最初の犠牲者だっ‥‥!」
 腹の底から苦痛の叫びを上げる田丸麿を見据え、風葉の龍杖が掲げ。
 弾け飛ばんばかりに龍杖に溜まった精霊力が解放の時を待つ。
「その身に刻みなさいっ! 精霊達の咆哮をっっ!!」
 風葉の放った精霊達の力が巨大な光条となり田丸麿を包み込んだ。

 光が過ぎ去った。

 そこには、ただ光の残滓が漂うのみであった――。




 村一つが地図から消える程の人災。
 災害の根源は今、開拓者の手によって断たれた。

 しかし、この事件は立ち向かった者それぞれの心に小さな闇を落とす。

 人の業。それはアヤカシの脅威などより余程深い罪なのかもしれない――。