【振姫】剣無き戦場へ
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: シリーズ
危険 :相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/05/10 23:57



■オープニング本文

●湖畔の街『沢繭』

 その日、湖畔の街『沢繭』の領主屋敷に、一通の文が届いた。

「はぁ‥‥」
 まるで肺の中の空気をすべて吐き出してしまったのかと思えるような盛大な溜息。
 しくしくと痛む胃を手でさすりながら文に目を落とすこの溜息の主。『沢繭』の領主、振々の教育係にして執政補佐官の任にある最上

 頼重だった。
「姫様がこの街に来て、もう一年も経ってしまったのか‥‥」
 ぼそりと漏らすその言葉には、哀愁さえ感じる。
「しかし、姫様も袖端家の息女。この席に出ぬわけにはいかん‥‥のか」
 
 ばたんっ!!

「頼重!!」
 憂鬱な事案を抱え頭を抱える頼重の執務室の戸が、可愛らしい怒声と共に豪快に開かれた。
「‥‥なんですか?」
 しかし、それもいつもの事。
 頼重は文に視線を落したまま、怒声の主に声をかける。
「振はさくらぎの餅つきがみたいのじゃ!」
「は‥‥?」
 あまりに意味不明なその言葉に、頼重は声の主へ視線を向けてしまった。
「は‥‥? ではないっ! 桜木がついたもちは絶品とのうわさじゃ! 振はそれを所望するっ!!」
 呆れる視線もなんのその、振々は自身満々に用件を告げる。
「あー‥‥姫様。‥‥桜は餅をつきません」
「な、なんじゃと‥‥!? では、あの噂はなんっだったというのじゃ‥‥?」
 頼重より告げられた驚愕の真実に、振々は呆然自失。
「また、童達にからかわれたんじゃないんですか?」
「からかわ‥‥からかわれたとなっ!?」
 膝から崩れ落ちそうな身体をなんとか支え、振々は頼重に問い詰めた。
「はぁ‥‥それよりも姫様」
 憎しみに拳を握る振々へ、頼重が真剣な表情を向ける。
「ぐぬぬぬ‥‥。なんじゃ? ふくしゅうけいかくであれば聞いてやらぬこともないぞ?」
「違います」
「‥‥?」
 しかし、頼重の表情は真剣なまま。普段は滅多に見る事のない頼重の表情に、振々は怪訝な視線を向けた。
「『袖端評定』を御存じでしょう」
「う、うむ。あにさまたちが客をまねく宴会のことであろう?」
 淡々と語る頼重の言葉に気押されながらも、振々は記憶を辿り答える。
「ええ、表向きはそうです」
「‥‥?」
「姫様、貴女もはれて沢繭の領主となられました」
「うむ! 振はりょうしゅなのじゃ!」
 尚も淡々と語る頼重の言葉に、振々は鼻息荒くどーんと無い胸を張った。
「そう、領主に『なってしまった』のです」
「むむ?」
 賛辞の言葉が来るものかと期待に胸を膨らませていた振々は、予想外の答えに戸惑う。
「袖端家の領主になるという事は、御兄弟との権力争いに身を投じる、という事と同義なのです」
「振はそんなものに興味はないのじゃ! 兄様達とあらそうつもりなど毛頭ないっ!」
 振々にとって、歳の離れた三人の兄達は、皆優しく頼もしい兄であった。
 そんな兄達が権力を握るのであれば、振々に何の不満があろうか。
「そうとも言っておられぬのです」
「む? なぜじゃ?」
 久しく会っていない優しき兄達の顔を脳裏に浮かべる振々。しかし、頼重は表情を変えることなく、そう告げる。
「‥‥前袖端評定で序列三位となられた真来様は、最も危険な魔の森討伐の任に、『強引』に就かされました」
「真来兄様であれば、アヤカシなどいちもうだじんなのじゃ!」
「ええ、真来様であればこそ‥‥です」
「む? あればこそ、とは?」
 語尾を濁す頼重に、振々は小首を傾げ問いかける。
「もし、姫様が序列の最後位になれば‥‥この先は言わぬともわかりますね?」
「む、むむむ‥‥」
 幼き少女の考えでも、頼重が何を言わんとしているかはよく分かった。
 そう、序列の最後位になれば、魔の森討伐の任を継ぐのは振々自身なのだ。
「ですので、この袖端評定、何としても負けるわけにはいかないのです。それが姫様の身を守る事になるのですから」
「う、うむ‥‥」
 じっと振々を見つめる頼重の瞳には、子を想う親の様な深い慈愛が含まれる。
 振々はその真剣で慈愛に満ちた眼差しに、深く一度頷いたのだった。


■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029
23歳・女・巫
出水 真由良(ia0990
24歳・女・陰
千王寺 焔(ia1839
17歳・男・志
佐竹 利実(ia4177
23歳・男・志
浅井 灰音(ia7439
20歳・女・志
ユリア・ソル(ia9996
21歳・女・泰
更紗・シルヴィス(ib0051
23歳・女・吟
エルネストワ(ib0509
29歳・女・弓


■リプレイ本文

●沼蓑
 沼蓑。そこは統制のとれた豪奢な造りの家屋が並ぶ兄の街。
「何をしている」
 そんな街中をぶらりと歩く佐竹 利実(ia4177)に声がかかった。
「‥‥気にしないでください。依頼の為に動いているだけですから」
 背後からかかった声へ、ちらりと視線を送った利実が呟く。
「そうは見えんが‥‥?」
 しかし、利実の行動を怪訝そうに眺める声の主頼重。
「だから、気にしないでと言っているでしょう?」
 そんな頼重に利実は面倒臭そうに答える。
「そもそも貴方も信用できるかどうか」
「何だと‥‥?」
 利実の言葉に頼重の眉間がピクリと動いた。
「おっと、口が滑りましたね。これも気にしないでください」
 と、利実は飄々と答え、込み合う街中へ足を向ける。
「なーに、悪いようにはしませんよ」
 そう呟いて。

●屋敷
 立食形式で催された今回の袖端評定。活気に満ちた宴会で参加者達は思い思いに談笑を繰り広げていた。
「票を取れば、誰かに票が回らない、か‥‥」
 賑わう会場を一望し、千王寺 焔(ia1839)が呟いた。
「あら、感傷に浸っているの?」
 そんな焔にユリア・ヴァル(ia9996)が声をかける。
「‥‥そう言う訳ではないが、振々さんに票が入れば、誰かが魔の森討伐の任に就く。誰も傷付く事が無いよう取り計れぬものかと思ってな」
 じっと覗き込んでくるユリアに向け、焔は溜息混じりに呟いた。
「まぁ、気持ちはわかるけどね。でも、私達の目的はあくまで振ちゃんの助成よ?」
「ああ、わかっている。それは手を抜くつもりはない」
「そ。ならいいんだけどね」
 そう言って、軽やかなステップを踏み焔から離れたユリア。
 その上品で艶やかな姿に、参加者の視線が集まった。
「目立ちすぎではないか?」
「あら、目立たないと顔を覚えてもらえないわよ?」
「そうではあるが‥‥主役を食うなよ?」
「はーいっ!」
 にこりと微笑んだユリアは、その視線を扉へと向けた。

「さぁ、始めるわよ」
「お、お手柔らかに、なのじゃ‥‥」
 振々に与えられた控室。そこに所狭しと広げられた書の山。
 部屋では入場を前にエルネストワ(ib0509)による評定攻略講座が開かれていた。
「まず参加者の名前を覚えるてもらうわ。自分の名前も知らない相手と仲良くしようなんて思わないでしょう?」
「う、うむ」
 と、エルネストワが指示したのは頼重より託された宴会の参加者名簿。
「早速始めましょう。あまり時間も無い事だしね」
 そう言ってエルネストワは振々を席に着かせると最初のページを開いた。

「ねぇ、姫様はお兄さん達とどうしたいの?」
 予習も進み、残るは参加者達の趣味趣向を覚えるだけになった頃、エルネストワがふと話しかけた。
「む?」
「仲良くしたい?」
「あたりまえなのじゃ!」
 息巻く振々にエルネストワはにこりと微笑む。
「そう、よかった。じゃ、勉強頑張らないとね」
「うっ‥‥。が、がんばるのじゃ!」
 入場までの時間はあまりない。
 エルネストワは真剣に机に向かう振々を優しく見つる。
 まるで母のように――。

「さぁ、姫様。御来場の皆様がお待ちですよ」
 会場入りを前にした振々を、浅井 灰音(ia7439)が呼ぶ。
「うむ! ぬし、ついてくるのじゃ!」
『きゅ』
 振々は宙を浮くミヅチの背を撫でると、灰音が手をかける扉へ向かった。
「初めて顔を合わされる方もたくさんいらっしゃいますが、いつも通り笑顔を絶やさないでくださいね」
 会場へ続く扉を背に、灰音は優しく諭すように振々に話しかける。
「うむ! 任せておくのじゃ!」
「はい。お任せします」
 いつもの元気のいい答え。
 灰音はその声に安心したように深く頷き、振々の頭を軽く撫で。
「ではっ」
 笑顔と謀算渦巻く舞台へと振々を導きいれた。

「ここをお借りしますね」
 優美な会場を裏で支えるのはここだろう。
 料理人達の戦場『厨房』。優雅な時を刻む会場とは打って変わって、怒号と熱気に支配されていた。
「さてと、材料は‥‥揃ってますね。ではっ」
 そんな中で数々の食材を前に袖を捲る万木・朱璃(ia0029)。
「美味しくなって、振々様のお役に立ってね」
 並べられた食材達に語りかけ、慣れた手つきで加工していく。
 その手際の良さは、厨房で忙しなく働く料理人達も手を止め見入るほどだった。

「皆様、御機嫌麗しく」
 談笑する来賓へ向け、更紗・シルヴィス(ib0051)が華麗に一礼をする。
「いつも我が沢繭とお取引いただきまして、ありがとうございます」
「ほぅ、沢繭の方であったか。こちらこそいつも世話になっておる」
 メイド服に身を包む更紗の丁寧な対応に、声をかけられた男も上機嫌で返事をした。
「ささ、振姫様からもお礼を」
「うむ! 日頃せわになっておる! これからも沢繭を引き立ててくれっ!」
 更紗に背を押され前に出た振々が、集まった氏族の皆へと挨拶する。
「これはこれは、姫様自らとは痛み入る。さぁ、お前達も姫様に挨拶せぬか」
 振々の登場で 氏族の親達は自身の息子達を次々と振々に引き合わせた。

 子息達と談笑する振々を見つめながら、更紗は一人の氏族に耳打ちする。
「実は頼重様より、ある事を仰せつかっておりまして‥‥」
「ほう?」
「我が主振々もあと数年で成人を迎えます。振姫様の序列が上がれば、その伴侶となる方も安泰ですね」
「‥‥なるほど、そう言う事か。面白い、考えさせて頂こう」
 更紗の言葉に、振々と楽しそうに会話する息子を眺めた男は、嬉しそうに微笑む。
「どうぞ良しなに」
 地道な親交活動。
 それが沢繭の、ひいては振々の為になると信じ、更紗はにこりと微笑んだのだった。

「真来様、失礼いたします」
「うん? 見ない顔だな」
 一際体格の良いその姿が会場では目を引く。
 出水 真由良(ia0990)が真来に歩み寄ると、ふわりと語りかけた。
「私、振姫様付きの者でございます。主に代わりご挨拶を」
「ほぉ、振の奴のか」
 ワインの瓶を片手に、にこりと微笑んだ真由良に、真来も上機嫌に酌を受ける。
「振姫様より御兄弟に礼を尽くせと仰せつかってございます。どうぞ、何なりとお申し付けください」
「ははは、さては頼重の入れ知恵か?」
 ぺこりと頭を下げた真由良に、真来は豪快に笑い問いかけた。
「頼重様がなにか?」
「いや、そうだな。折角の美人の酌に男の名を出すのは無粋ってもんだ」
 きょとんと顔を上げた真由良に、真来は頷く。
「まぁ、美人だなどと」
「ま、どちらでもいいさ。ささ、もう一杯いただこうか」
 グッとグラスをあおった真来は、豪快な笑みを向け真由良の酌を受けた。

●庭園
「いたぞ!」
 月光に照らされる美しい庭園に場違いな大声が木霊した。
「くっ‥‥」
 声の先には、宴会の談笑が微かに響く庭園に佇む影。
「岩の影だ!」
 幾人もの男達の声が影を追い、そして、詰め寄る。
「何者だ。大人しく答えた方が身の為だ」
 岩の背に隠れた影に向け放たれる声は永眼のもの。
「いや、誰の手の者だ、と問うべきか?」
 影に向け言葉の圧力をかけ続けるながら永眼はすっと弓を構える。
「‥‥」
 その時、影が動いた。
「‥‥答えぬか。それもよかろう」
 そう呟くよりも早く、永眼は影に向け矢を放った――。

●会場隅
 ひそひそと囁く声がそこかしこから聞こえる。
「‥‥あまりいい感じはしないわね」
 会場の至る所から聞こえる声と刺すような視線。
 赤のドレスに身を包むユリアは隣に佇む灰音に囁きかけた。
「ただの宴会ですまないと思っていたけど、思った以上に黒いね」
「黒い?」
「会場を取り巻く空気がね」
「あー、それは言えてるかも。まぁ、序列なんて絡んでるから仕方ないんだろうけど‥‥」
「まぁね。っと、立ち話してる場合じゃないね。私達は私達のするべき事をしよう」
「そうね。それが役目だしね」
「うん、姫様の笑顔が絶えぬように、ね」
 二人の壁の華は一度視線を交えると、壁から背を離し会場へと舞い戻った。 

●会場
「皆様、あれに見えますのが『錐湖』の主であります」
 集まった客達に灰音が声をかける。その視線の先には一匹のミヅチの姿。
「ほう、あの錐湖の‥‥」
 領内で最大の湖の主と聞き、観客達は興味津津に見つめる。
「姫様が捕えられたので?」
 そんな観客の一人が灰音に問いかけた。
「いえ、主様自ら振姫様につき従っているのです」
「ミヅチが自らの意思で‥‥? そんな、まさか」
 灰音の返答に、せせら笑う観客達。
「あのお姿をご覧になられてもそう言いきれますか?」
 しかし、灰音はそんな野次にもにこりと微笑み、振々を指した。
 それはまるで兄弟の如く仲良く戯れる少女とミヅチ。
「ふむ‥‥」
「我が主振々は『支配』は望んでいません。あの姿を見ていただければわかりますが、共存共栄を望んでいます」
 尚も怪訝な表情を向ける観客達に、灰音は真摯に語りかける。
「あの笑顔が絶えぬよう。どうか皆様のお力をお貸しください」
 そう言って、灰音は観客達へ深く首を垂れた。

 絶え間なく繰り広げられる談笑を割って、澄んだ弦の音色が会場に響き渡った。
「我が主、振々より皆様へささやかな贈り物でございます」
 弦を弾く音に涼やかな声が乗る。
「ありがと、更紗」
「うまく参加者の皆様の心を掴んできてくださいね」
「ええ、任せておいて」
 更紗の弦が奏でる心地よい響きを受け、ユリアがにこりと微笑む。
「さぁ、振ちゃん。行くわよ」
「う、うむ」
 そして、ユリアは足元に視線を落とす。そこにはお色直しを済ませた振々の姿。
 それはジルベリア貴族かと見紛うばかりのドレス姿であった。
「あら、緊張してるの?」
 じっと佇む振々にいつもの勢いはな。ユリアはあえてそう問いかける。
「き、きんちょうなどしておらぬっ!」
「あ、では、この曲でしたらご存知でしょうか?」
 ぷぅっとむくれる振々に、今度は更紗が声をかけた。
 そして掻き鳴らす弦の音。
 それは、聞き馴染んだ沢繭の楽であった。
「うむ、知っておるぞ!」
 その曲を聴き振々は自身満々に胸を張る。
「それはよかった。ユリア様、少しアレンジではありますが、こちらの楽で舞を」
「ええ、わかったわ。でも、さすがね。即興でダンス用の曲に変えるなんて」
「これでも、吟遊詩人の端くれですから」
 絶え間なく弾き出される弦の音にユリアは感心したように聞き入った。
「早くせいっ、おいていくぞっ!」
 そこに振々の声。
「はいはい。じゃ行ってくるわね」
「はい、ご活躍お祈りいたします」
 ずんずんと会場の中央へと歩み出る振々を更紗とユリアは楽しげに見つめた。

「なかなかの趣向だな」
「お気に召していただけて光栄ですわ」
 賑わう会場を眺めていた真来の呟きに、真由良はゆるりと首を垂れた。
「そうだ、出水とやら。俺のとこにこないか?」
「まぁ、いきなりですわね」
「ああ、悪いが気にいっちまったんでな」
 驚く真由良に真来は男らしい笑みを向ける。
「お申し出は嬉しいのですが、主を裏切るわけには‥‥」
「ははは、そうか。残念だな」
 困惑する真由良に、真来はあっさりと引き下がった。
「申し訳ありません‥‥」
「何、気にするな。うん、そうだな。その忠義を称して一ついい事を教えてやろう」
「はい?」
「侘鋤には気をつけろよ」
「え?」
「さて、俺も『だんす』とやらを楽しんでくるかな」
 それだけ言い残し、真来は真由良を置いてダンスの輪へと加わった。

「振姫様より皆様へ、ささやかながらの御持て成しです」
 宴も盛り上がり、酒も進む会場に朱璃は大皿を持ちだした。
「腕によりをかけて作りましたよ」
 そこには大量に盛られた柏餅。庶民にはありふれたその食材が、豪華な食事に舌鼓を打っていた参加者達の目を惹いた。
「さぁ、振々様からも、皆様へ」
 柏餅の盛られた大皿を前に、手を出していいのかためらう参加者。その様子を見て、朱璃は振々にこそりと耳打ちする。
「うむ!」
 朱璃に耳打ちされた振々は、参加者へ向き直り。
「皆の者、つまらぬものであるが箸休めにしょくしてくれっ!」
 豪華な食事に慣れた舌に、この素朴な甘さはありがたい。
 参加者の皆は、こぞって大皿に手を伸ばした。

「こちらに用意しました柏餅は、皆様のご子息ご息女様方のご健勝を祈願いたしました振姫様のお心です」
「ほう、それはそれは」
 良質な甘味に舌鼓を打つ氏族に向け、朱璃が話しかける。
「あ、振々様! それは皆様の分‥‥」
「む?」
 目を離した途端これだ。
 呆れる朱璃を尻目に、振々は黙々と柏餅へ向かう。
「振々様、頬に餡子が付いてますよ‥‥」
「む! わざとつけておるのじゃ!」
 両手に山ほど柏餅を持ち、大口で頬張る振々の頬にはべったりと餡子がこびりつく。
 朱璃は甲斐甲斐しく頬についた餡子を拭った。
「ははは、どれ我々もいただくとしよう。早く食べねば無くなってしまいそうだ」
「はい、どうぞ召し上がってくださいませ」
 そんな二人の様子を笑顔で眺めていた氏族達は、再び柏餅へ手を伸ばしたのだった。

「お集まりの皆様方、こちらを見ていただきたい」
 ダンスも終わり、和やかな楽の音が流れる会場に焔の声が響いた。
「これに取りだしたるは、振姫様が愛弓である」
 そう言って、焔が掲げたのは一つの弓。
「これは‥‥」
「あれが‥‥?」
 しかし、観客から聞こえるのは訝しむ声。
 それもそのはず。焔の持つ弓は素人目に見ても、とても一領主が持つものとは思えぬ駄作であった。
「かの名工『一水』殿が振姫様の為に誂えた一品だ」
 焔の言葉にざわざわとそこかしこからざわめきが聞こえる。
 この地に関わる者にとっての『一水』の名は特別なものであるのだ。しかし。
「この弓が一水の作だと‥‥?」
「まさかねぇ?」
 訝しむ声はさらに広がる。
 それほどまでに、弓の誂えは酷いものであった。
「皆様のご言い分ももっともです。しかし、この弓には真の意味があります」
 その時、焔の掲げる弓に向けエルネストワが続ける。
「この弓は振姫様の未熟を戒める弓」
「そう、これは実際に使うものではない。この弓を使わずともいいよう、皆で力を合わせろとの想いを込めて姫様に託された」
 弓を掲げ懇々と説く二人。
 その瞳には、振々を戦火へと巻きこもうとするこの評定への静かなる反意が込められているかのように。
「む、それは振のものであるぞ!」
 観客達が訝しげに見つめながらも興味を引かれる弓に向け、小さな手が伸びる。
「振々さんか。もう終わった。これは返そう」
 そう言って、焔は掲げた弓を足元で跳ねる振々の手に握らせた。
「うむ?」
「振姫様、ご覧になっている皆様へ、あの言葉を」
 弓を手にした振々にエルネストワが囁きかける。
「うむ! 皆の者、ちからを合わせともに繁栄してまいろうぞ!」  
 弓を手にどーんと胸を張る振々に、観客達も微笑み拍手を送ったのだった。

 兄弟それぞれが趣向を凝らした票獲得劇。招かれた客達は一様にこの宴会を楽しみ、上機嫌で宴を後にする。
 ――ただ、表面下に黒き渦を残したままで。