【振姫】友なる者へ
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/03/02 14:43



■オープニング本文

●錐湖
 朝靄のたちこめる湖面に浮かぶ一艘の小舟。
「ったく、一寸先も見えやしねぇ」
 いつもにもまして濃い霧に、漁師は悪態をついた。
「ん?」
 文句を言いながらも釣り糸を垂らす漁師の目の前の朝靄が 突如蒼く揺らめいた。
 日が昇り、霧が晴れたのかと漁師はその一点に視線を注ぐが。
「なんだ、ありゃ‥‥」
 漁師が見た物、それは。 
 ふわふわと湖面の上を泳ぐように漂う、蒼き肢体。
 時折、細長い尻尾をぱしゃんと湖面に打ち付け、水と戯れるそれは真っ黒い瞳で漁師をじっと見つめていた。
「す、錐湖の主‥‥!?」
 茫然とその姿を見つめていた漁師ははっと我に返り、釣竿を投げ捨てると。
「ついに俺にも幸運がきたぜっ!!」
 櫂を手に取り、現れた蒼き姿に向け、急いで舟を漕ぎだした。 

「い、いねぇ‥‥」
 先程まで一寸先も見えぬほどたちこめていた霧は、跡形もなく消えていた。
「夢でも見たのか‥‥?」
 キラキラと朝日の光を反射させる湖面をぼーと見つめる漁師は、自分の頬をギュッと抓る。
「うわ、いけねぇ! 竿竿!!」
 漁師は湖に投げ捨てた竿を慌てて掻き寄せた。
「ったく、なんだったんだ‥‥」
 手に戻った竿を眺めながら漁師はぼやく。遠くで跳ねた水音にも気付かずに――。
 
●湖畔の町『沢繭』
「おや、振姫様。今日はどこへお散歩だい?」
 従者の頼重を従え、大通りのど真ん中を大手を振って歩いていた振々に、商家の主人が声をかけた。
「お散歩ではない! これはしさつじゃ! 市井のじょうせいを確かめるのも、りょうしゅとしての務めなのじゃ!」
「へぇ、それは偉いな」
「むぅ! 気安くなでるでない!」
 ない胸をこれでもかと張る振々の頭を、主人はまるで我が娘のようにぐしゃぐしゃと撫でる。
「お、振姫様じゃねぇか。団子くうかい?」
「うむ、よきに計らえ!」
「姫様、いい櫛が手に入ったの。きっと似合うわ!」
「む? かってに刺すでない!」
「今日もかわいいねぇ、姫様」
「あたりまえなのじゃ! 振をだれと心得るか!」
「姫様、結婚して!」
「嫌じゃ」
 立ち止った振々を、たちどころ囲む町人達。
 振々を中心に、辺りは小さなお祭り騒ぎとなった。

「姫様‥‥」
「はんじゃ?」
 町人達から解放され、再び通りを歩く二人。
 もごもごと忙しく口を動かす振々の名を、頼重がため息交じりに呼ぶ。
「歩きながら物を食べるのは、行儀が悪いですよ‥‥ほら口にも」
 そう言って手ぬぐいを差し出す頼重。振々の口元はみたらしの餡でデロデロだ。
「ほむ」
 手ぬぐいを差し出す頼重に、何を思ったのか振々は頼重の足にがばっと抱きつくと、顔をぐりぐりとなすりつけた。
「うわっ!? きたねぇ!」
「――ふぅ、頼重!」
「なんですか‥‥?」
 一仕事終えた職人の様な爽やかな笑顔の振々の声に、べっとりと餡のこびり付いた袴を悲しげに見つめながら頼重は答える。
「疲れた、おんぶじゃ!」
「‥‥どうぞ」
 人生のすべてに疲れ果てたような表情の頼重は、珍しく素直に従い膝を折る。
「んむ、しゅしょうな心がけじゃ! いけ、頼重! めざすは昼寝寺じゃ!!」
「弐音寺です‥‥いい加減覚えてください‥‥」
 ビシッと目的地を指さす振々に、頼重は溜息交じりに呟くのだった。
 
●街の入り口
「ここか」
「ああ」
 旅装の男が二人、街の入り口から中を伺う。
「久しぶりの大物だ、気を抜くなよ」
「それはこっちの台詞だ。ドジ踏むんじゃねぇぞ」
 お互いの言葉に卑しく口元を釣り上げる男達。
 二人は、そのまま街の入り口をくぐった。

●弐音寺
「すぅすぅ――」
「‥‥振姫様ー」
「‥‥むにゃむにゃ」
「‥‥‥‥姫様ー」
「――頼重!」
「は、はい!?」
「はち、みつ‥‥」
「‥‥‥‥ふぅ」
 寺の堂内で大の字を書いて昼寝する振々に、頼重は痛む胃を擦りながら、大きなため息をつく。
「こうして見ると唯の子供なんだがなぁ‥‥」
「ははは、全くですな」
「これは住職。いつもすみませんねぇ」
 お堂に現れたのは、この寺の住職であった。頼重は申し訳なさそうに住職に頭を下げる。
「いやいや、姫様に気に入っていただけたようで、ワシも鼻が高いですぞ」
「そう言っていただけると助かります」
 豪快に笑う住職とは対照的に、頼重は苦笑い。
「ん?」
 そんな時、頼重の耳に漂ってきたのは、童のはしゃぐ声。
「童が遊んでおるようですな。そうじゃ、頼重殿」
「はい?」
「ここはワシが見ていましょう。少し息抜きしてきなされ」
「‥‥はい、ありがとうございます」
 ちらりと振々の寝顔をうかがった頼重は、住職の気遣いに素直に甘えた。

「こっちだ!」
 一人の少年が境内の裏にある下り坂の上で、元気な声を上げた。
「や、やめようよ、危ないよ‥‥?」
「ばか! ぬしだぞ、ぬし! しあわせになるんだぞ?!」

 この地方には一つの伝承がある。
 大いなる恵みをもたらす母なる湖『錐湖』。この湖には、古の時より主と呼ばれる精霊がいるとされていた。
 そして、その精霊の落とす鱗を手に入れると、一生何不自由なく暮らせるという言い伝えがあったのだ。
 
「主?」
 坂を全速力で駆け下りていく童達を、頼重は見つめる。
「ともかく、こんな所で遊ぶのは危ないな。少し灸をすえるか」
 大人でさえ滑落の危険がありそうな獣道。頼重は童達に注意すべく後を追った。

「お前たち、こんな所で何をしている」
「わっ!?」
 突然背後からかけられた声に、童達は尻もちをつきそうなほど驚き、振り向いた。
「ここは子供の遊び場じゃないぞ」
 子供を叱りつける親のように、頼重は童達に語りかける。
「あ、あそびなんかじゃねぇよ!! ぬしを捕まえに行くんだ!!」
「先程も言っておったが、主とはなんだ?」
「ぬしもしらねぇのか! この湖のぬしだよ!」
 じりじりと後ずさりしながら童達は、頼重から距離をとる。その時。
「ほう! 詳しくはなしてみよ!」
「姫様!?」
 声は頼重の背後から。そこには先程まで気持ちよさそうに眠っていた振々の姿があった。
「ひ、ひめさま!?」
「そこの童。さきほどの話、振にもはなしてみよ」
「え、えっと‥‥」
 振々に迫られる少年は、助けを求めるように頼重に視線を送るが、頼重は肩を落とし頷くだけ。
「え、えっと、半月くらい前――」
 振々の謎の迫力に押されながら、少年は街で話題になっている精霊の話を振々に聞かせた。 
 
「頼重!」
「嫌です」
「まだ何もいっておらん!!」
「どうせ、捕まえてこいとか言うんでしょ‥‥?」
「ばかものぉ!!」
 振々渾身のつま先蹴りが、頼重の脛に突き刺さる。
「ぐおぉぉっ!?」
「錐湖のぬしを捕まえるとはなにごとか! 丁重にほごするのじゃ!」
「‥‥どっちも変わらないよう――ぎゃぁぁっ!!??」
 振々渾身の正拳突きが、頼重の大事な部分に突き刺さる。
「黙っていってくるのじゃ! くれぐれも丁重にの!!」
 悶絶する頼重を見下し、振々は穏やかな湖面を湛える錐湖を見据え、心躍らせるのだった。


■参加者一覧
梢・飛鈴(ia0034
21歳・女・泰
朧楼月 天忌(ia0291
23歳・男・サ
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
浅井 灰音(ia7439
20歳・女・志
叢雲・なりな(ia7729
13歳・女・シ
煌夜(ia9065
24歳・女・志


■リプレイ本文

●沢繭
 まるで親子の様に寄り添い、沢繭の大通りを歩く二つの人影。
「お偉いお子様の思いつきに巻き込まれるこっちの身にもなってほしいアル。はぁ、面倒臭いナ――ぱくっ」
 ぶつぶつと呟きながら梢・飛鈴(ia0034)は、湯気を立てる饅頭を口に放り込む。
「っと、食べてる場合じゃないナ。情報集めっと――ん?」
 ぺろりと饅頭一つ平らげた飛鈴は、次の饅頭に手を出そうとして思いとどまった。
 相棒の人妖『狐鈴』の姿が傍らにない事に気付いたのだ。
「どこいったアルか?」
 飛鈴は消えた狐鈴の姿を探し、人のごった返す通りを見渡した。
「ん?」
 そして、不自然にできた人だかりに気がつく。
「へぇ、この子がねぇ」
「主様も珍しい種らしいけど、この子も珍しいみたいね」
「わわ、ぶすっとしてる! 可愛い!」
 人だかりから聞こえてくるのは黄色い声。
「‥‥全く、何処ほっつき歩いてるカ」
 飛鈴はつかつかと人だかりに歩み寄ると、掻き分け掻き分け中心を目指す。
「ほれ、行くアルよ」
 そこには、町娘に囲まれる相棒『狐鈴』の姿。
 手渡されたのだろうか、大量のお菓子や団子を手に持つ狐鈴の姿を見つけると、飛鈴はさっさと手を引き、人だかりから連れ出した。
「勝手に出歩くなといっただろ」
 人目につかぬよう細い路地に逃げ込んだ二人。
 飛鈴は、狐鈴に人差し指を突き付けお説教を始める――。

「――いいか? わかったアルか?」
『‥‥ウザい』

 ガツンっ!

「ふぅ、まったく誰に似たのアルか」
 自慢の拳に息を吹きかけながら飛鈴は、頭を両手で押さえ蹲る狐鈴を見下ろしたのだった。

●錐湖
「今日も元気に、いってみよー!」
 錐湖の畔で、元気いっぱいに拳を振り上げるなりな(ia7729)を、隣に佇む相棒の『流』がきょとんと見つめる。
「流、おー! だよ、おー!」
 そんななりなへ不思議そうな瞳を向けてくる流に、なりなは身振り手振りで掛け声を教えていく。
『‥‥?』
「違う違う! こっちの翼を上にあげるの!」
『ガ‥‥』
「そうそう、うまいうまい!」
 しぶしぶ翼を上げる流を見て、なりなは満足気に頷く。
「第一印象が大切なんだからね! しっかり練習するよ!」
 こうして湖に舞う鳥達を観客に、一人と一匹の挨拶練習は続いた。

「古くから湖に住まう主様か‥‥」
 冬の澄んだ空気に晒され、凛とした佇まいを見せる錐湖を眺め、煌夜(ia9065)が呟いた。
「なんでも、ミズチっていう話だし、精霊研究の第一歩としても、拝見しないわけにはいかないわよね」
 研究意欲をかきたてる相手を想う煌夜の表情には、自然と笑みが浮かんでくる。
『グゥ‥‥』
「ん? レグルス、どうしたの?」
 そんな煌夜を、隣に佇む巨大な猛禽にも似た炎龍『レグルス』が、不機嫌そうに見下ろしていた。
「なに? もしかして、妬いてるの?」
 普段見せない相棒の仕草に、煌夜がくすくすと笑う。
「もぉ、ごめんごめん。私が悪かったってば。――いい? 精霊様は研究対象。君は相棒。ね?」
 煌夜はプイっとそっぽを向いたレグルスに優しく語りかけると、その黄金色の羽をそっと撫でつけた。
「ん、よしよし。さすが相棒」
 他の人間から見れば読み取り辛い龍の表情も、相棒であれば話は別。
 煌夜は再び自分の方へ向き直ったレグルスに、満面の笑みを持って答える。
「さぁ、行きましょう、レグルス!」
 煌夜が軽やかに背に跨ると、レグルスは大きく一吠え。
 金色の翼をはためかせ、大空へと飛びあがった。

 冬でも凍りつく事のない錐湖では、様々な魚が取れる。
 その獲れる魚を生活の糧とする漁師は多くいた。
「――そうか。邪魔をした」
 深く一礼した大蔵南洋(ia1246)が、漁師の元を後にする。
「‥‥新たな情報はなしか」
 桟橋を離れ、一人黙々と歩を進める南洋は、歩きながら考えに耽っていた。
「‥‥となると、やはり目印は朝霧。それもとびきりに濃い霧か」
 思考の海に沈み、どれほど歩いただろう。

 トンっ。

「――ん? ああ、すまぬな。待たせた」
 突然、南洋の進路を巨躯が塞いだ。
 それは人目に触れぬように森に隠してあった、相棒の甲龍『八ツ目』であった。
「ふぅ、いかんな。お主にまで心配されるようではな」
 浮かぬ表情の主人を心配そうに見下ろす八ツ目に、南洋はふぅと深く息を付き見つめ返す。
「とにかく、これを皆に知らせなくてはな」
 八ツ目が安心できるように、南洋は表情を普段通りに戻した。
「もう少し待っていてくれ。お主の出番はもう少し先だ」
 じっと八ツ目の目を見据え話しかけると、南洋は踵を返し街へと戻っていった。

●領主屋敷
「お邪魔するよ」
 重厚な門扉を潜り、浅井 灰音(ia7439)は振々の屋敷へと足を踏み入れた。
「さすが領主様。立派なお屋敷だね」
 出迎えた女中達の後に続き前庭を進む灰音は、感心したように庭を眺める。
「はて、お客様かな?」
 そんな灰音に、庭の奥から声がかかった。
「貴方は‥‥?」
「おっと、これは失礼。開拓者の方でしたかな?」
 灰音の問いかけに、声の主頼重は人懐っこい笑みを浮かべた。
「頼重! はちみつはまだか!」
 そんな時、頼重の背後から甲高い声が聞こえる。
「これはこれは。お初にお目にかかります、振姫様」
「む? お主はだれじゃ?」
 慇懃に問いかけてくる声の主にも、灰音は優雅にジルベリア式の挨拶で答えた。
「この度、湖の主の保護にお力添えをさせていただきます、開拓者の一人です」
「おぉ! それはよろしく頼むぞ!」
 にこやかにほほ笑む灰音に振々は上機嫌に返す。
「そこで、一つご提案があるのですが‥‥姫様、よろしければご同行頂けませんか?」
「同行じゃと?」
 灰音の提案に振々は興味を引かれたように訊ね返した。
「はい、姫様さえよろしければ、直接主様の説得に当たられるのがよろしいかと思いまして」
「ふむ‥‥頼重!」
 灰音の言葉にしばし黙考した振々は、がばっと顔を上げ頼重の名を呼ぶ。
「ダメです」
「まだ何もいっておらん!!」
「頼重殿、姫様の安全は私がお約束いたしますので。それに、主様ともあろう精霊です。それ相応の方が説得に当たられるべきかと」
 つーんと瞳を閉じ振々の言葉に耳を貸さない頼重に、灰音が語りかけた。
「そうは申されましても‥‥」
 灰音の言葉に薄く眼を開け、渋る表情を見せる頼重。
「さぁ、はいねとやら! 振を案内いたせ!」
「え? よろしいのですか?」
 しかし、振々は頼重の言葉を待つことなく、灰音の手を引いた。
「ちょ!?」
「で、では、私の炎龍『ロートリッター』が姫様をご案内させていただきますね」
「うむ、早よういたせ!」
「ひ、姫様ぁ!?」
「ええぃ! 邪魔じゃ!」
 追いすがる頼重を蹴飛ばし、振々は灰音の手を引き屋敷を後にしたのだった。

●小島
「なりな殿、何か発見できたかであろうか?」
「うんん、なんにもー」
  南洋となりな。二人が足を下ろしたのは、10分もあれば一周できてしまいそうな、錐湖に浮かぶ小さな島だった。
「やはり主が姿を現すのは、条件がそろわねば駄目ということか」
 小島の中央に設けられた祠の脇に腰を下ろし、南洋が呟いた。
「あ、何か来たよ?」
 と、そんな南洋を背に、上空を指さすなりな。
「ん? あれは灰音殿の龍か?」
 なりなの指を目で追った南洋が見つけたのは、空を舞う真っ赤な火龍。
「降りてくるみたいー」

「姫様、お手を」
「んむ、ご苦労」
 灰音の手を取り、振々はロートから身を下ろす。
「姫様であるか。わざわざのご足労痛み入る」
「んむ、苦しゅうない」
 小島に降り立った振々に、南洋が恭しく一礼。
「わぁ、これがお姫様?」
「む! つつくでない!」
 そんな横では、物珍しそうに振々の頭をつつくなりなを、振々は必死で振り払う。
「こらこら、なりなさん。姫様で遊んではダメだよ」
 きゃきゃと振々と戯れるなりなに、灰音が苦笑交じりに声をかけた。
「はーい‥‥」
 灰音の言葉に、なりなはしぶしぶ高い高いしていた振々を下ろす。
「ふぅ、えらい目にあったのじゃ‥‥」
「その割には楽しんでいたように見えたが?」
「うっ‥‥そ、そんなことより、主はどうしたのじゃ!」
 ほんのり頬を染め、振々は皆の視線から逃れるように話題を変える。
「主様はまだいないよー」
「なんじゃと?」
「申し訳ない振姫様。湖の主は朝に姿を現す事が多いようで」
「ふむ」
「主がおいでになった際、すぐに説得していただけるよう、早めにご足労いただいたのですが‥‥」
 振々の質問に、三人は代わる代わる説明していく。
「なるほどの‥‥」
「少し時間がありますが、お待ちいただけますか?」
 黙り考え込む振々に、灰音が語りかける。
「んむ、りゅうというものも初めて見たしの。退屈はしなさそうじゃ」
「わぁ! うちの流と一緒に遊ぼうね!」
 振々の快諾に、一行の表情は安堵に変わる。
 振々は三人の連れる相棒を興味深く観察しながら、朝を待った。

●沢繭
「もういない?」
 情報収集の為、気まぐれに立ち寄った酒場。
 そこで得た話に飛鈴は思わず問い直していた。
「一昨日くらいから姿を見ないねぇ。その前までは毎日のように来てたけど」
 恰幅の良い女将が飛鈴の質問に答える。
「もう街から出た、ということカ?」
「どうだろうね。湖の主の話を聞いて回ってたから、湖に行ったのかもしれないよ」
「ふむ‥‥」
 女将の話に、しばし思考に耽る飛鈴。
「――狐鈴、どう思うカ?」
 と、ふと隣で静かに話を聞いていたであろう相棒へ視線を移す。
「‥‥」
『‥‥ういっく』

 ガツンっ!

「ヒトが真面目に仕事してるのに、いいご身分アルな」
 狐鈴の目の前には空になった徳利が数本。
「ともかく、湖に行くカ」
 そう呟くと飛鈴は、酔って上機嫌の狐鈴の襟首を掴み酒場を後にした。

●錐湖上空
 日も沈み、夜の帳が落ち始めた錐湖。
「いたっ!」
 うす暗くなる空を旋回する、黄金の龍からその報は上がった。
「やっぱり、狙いはここね!」
 煌夜の眼下には、湖に浮かぶ小さな舟が一艘。
「レグルス!」
 相棒の声に黄金の龍は一吠えすると、その体を湖に向けた。

●湖上
 辺りはすでに夜の闇。薄く月明かりだけが、ぼんやりと湖を照らしていた。
「なんだお前は」
「それはこっちの台詞よ」
 湖に浮かぶ小舟を前に、低空飛行を続ける金龍から声がかかる。
 小舟には旅装を纏った二人の男。そして龍には女の姿。舳先と鼻先を合わせ、互いに牽制する。
「邪魔すると痛い目にあうぜ?」
「‥‥無駄な争いは避けたいんだけど?」
 龍に舳先を押さえられたにもかかわらず、小舟に乗る二人の男の表情に焦りはない。
「ああ、避けたいな」
「でしょ? だったら引き上げてくれないかな?」
「はは、面白い冗談を言うお嬢さんだ」
「む」
「退くのはお前の方だろ?」
「まったくだ!」
 男達は煌夜に向け、さも楽しげな表情を浮かべる。
「‥‥言ってわからないようなら――レグルス!」
 説得は無駄と悟ったのか、煌夜は相棒の背を軽く叩く。
 するとレグルスはその言葉に答えるように一吠え。翼をはためかせ上空へと一気に駆け上がった。
「少し怖い目を見せてあげなさい!」
 上空に舞い上がった煌夜は、再びレグルスの背を叩くと、一気に急降下した。

 金龍は小舟を挑発するように煽り、再び低空で浮遊する。
「これでも引かない?」
 再び舳先と鼻先を突き合わせ、煌夜が問いかけた。
「おいおい、随分と舐められたもんだな」
「ああ、全くだ」
 そんな状況にも、二人は変わらず不敵に微笑む。
「これでもわからないなんて‥‥レグ――!?」
 二人の態度に呆れる煌夜が、相棒の名を呼ぼうとした、その時。
 
 ザバーンっ!

 突如、盛大な水柱が起こる。
「えっ!?」
 水柱を割って現れたのは、二体の巨大な蝦蟇。
「なっ! ジライヤ!?」
「ほう、ご存じだったか」
 驚く煌夜に楽しげに語りかける男達の手には、いつの間にか召喚用の符が握られていた。

●小島
「っ! まずいよ!」
 煌夜と男達のやり取りを、小島から見つめていたなりなが叫んだ。
「どうした?」
「なんか、おっきいカエルが出てきた!」
「なにっ!?」
 暗視で湖上を見つめるなりなの報に、南洋が驚愕の声を上げる。
「ロート!」
 その声に振々の相手をしていた灰音は相棒の名を呼んだ。
「姫様はここで待っていてください」
「ふむ‥‥行ってくるがよい」
 状況を理解したのか振々の頼もしい答えに、灰音は満足気に頷き相棒に飛び乗る。
「私も行こう。人数は多い方がよかろう」
「じゃ、あたしは残るね。お姫様を一人にしちゃ可哀想だし!」
「ん、ありがとう、なりなさん。姫様を頼んだよ!」
 なりなに軽く一礼し、灰音は相棒の背を撫でた。
「飛ばしていくよ、ロート!」
 灰音の声に呼応し、赤龍は大きく一吠え。深い闇を湛える夜空へと舞い上がった。
「八ツ目来い!」
 飛び立つ灰音を見送り、南洋が相棒を呼ぶ。
「姫様、しばしお待ちくだされ。邪魔者を退治して参る」
「んむ、行ってまいれ! 振はここからおうえんしておるぞ!」
「いってらっしゃーい!」
 手を振り見送る二人を瞳の端で捉え、南洋もまた夜空へと舞い上がった。

●湖上
 遠くに光る戦いの火へ向け、湖上を進む一艘の小舟。
「随分出遅れたアルな」
『ぷぷ‥‥どんくさ』

 ガツンっ!

「誰のせいだと思ってるカ」
 振り下ろした拳を撫でつけながら、飛鈴が見つめるのは湖上の戦場。
「ほら、いつまでも蹲ってないで、行くアルよ!」
 頭を押さえ船に蹲る小さな影に、飛鈴は囁きかけると手に持つ櫂に力を込める。
「ま、遅れて登場もヒーローらしくて、いいかもナ」
 彼方に繰り広げられる激戦に、飛鈴は小さくほくそ笑んだ。

●戦場
 戦端が開いてどれほどが経っただろう。
「くっ! これじゃ近寄れない!」
「制空権もなにもあったものではないな‥‥」
 三つの龍が上空から繰り返すの襲撃を、二匹の蝦蟇は水弾をもって、絶妙の連携で迎撃する。
「はっ! どうした、追い返すんじゃなかったのか?」
 蝦蟇の射程から逃れるように上空に舞い上がった三人に、男が余裕の笑い声を上げた。
「言ってくれるね‥‥!」
 男の言葉に、灰音はギリッと唇を噛む。
 湖に身を潜める蝦蟇の攻撃は、どこから来るか予測がつかない。
「いくら空からこようが、俺のジライヤに勝てるわけねぇ! 喰らえ!」
「くっ! ロート避けて!」
 勝ち誇った笑みを浮かべ、男が符を振りジライヤに名を下す――。

 その時。

「なっ!?」
 突然現れた一羽の鴎が、男の符を掠め取った。
「え?」
 呆然と声を上げたのは灰音。今まで戦っていたジライヤが突如その姿を消したのだ。

「待たせたアルな!」
 現れたのは小舟の背先に片足をかけ、拳を突き出す飛鈴。
 そこに先ほどの鴎が符を咥え、降り立つ。
「狐鈴、よくやったアルな」 
 飛鈴に符を渡した鴎は、くるりと中を一回転。すると、そこに現れたのは狐鈴だった。 
『まったく、人妖使いの荒い‥‥』

 ガツンっ!

 飛鈴は狐鈴から、符を奪い取るり破り捨てると。
「さぁ、これで残り一体アルな。大人しく降参した方が身のためだと思ウが?」
 ずびしっと男達に人差し指を突き付けた。
「飛鈴さんナイス! さぁ、こっちも負けてられない。一気に行くよ!」
「承知!」
「了解!」
 この機を逃すまいと、灰音が空を舞う二人の乗り手に声をかけた。
「ぐっ!」
 湖面からは飛鈴。そして、上空からは三匹の龍とその乗り手達が、じりじりと距離を詰める。
「く、くそっ! 行け! ジライヤ!!」
 一体となった事で、一行を苦しめた連携は不可能となる。
 ジライヤに指令を出す男の表情には、明らかな焦りが浮かんでいた。
「命まではとらん。大人しくお縄につけっ!」
 急降下する八ツ目の背で、南洋が刀を抜く。
「連携のない攻撃なんて、私達に当たるわけないよ!」
 ジライヤの放った水弾を難なくかわし、金翼が空を堕ちた。
「こっちも行くアル。狐鈴!」
『‥‥はぁ、やれやれ』

 ガツンっ!

 4人は一斉に男達の小舟へ向け、刃を向ける。
 朋友を失った男達は、なす術なく縄についたのだった。

●朝
 濃い、濃い霧が辺りに立ち込める。
 朝日を浴びた霧は、幻想的な輝きを放っていた。
「これって‥‥?」
 霧が内包する小島に佇む一行は、その光景に目を奪われる。
「噂通りであれば、主の具現条件に合致するが‥‥」
 その幻想的な光景に、南洋の言葉も確信が持てないようであった。

 ぴちゃん――。

 小さな水音。
「今、何か聞こえたよ!」
 なりなが声を上げる。
 しんと静まり返った朝の湖に響いた小さな水音は、一行の耳朶を確かに打った。
「しー! 来る兆候ダ」
 声を上げるなりなを飛鈴が声を殺し制す。

 ぴちゃん――。

 再び起こる水音。
「出た‥‥!」
 小さく呟く灰音の声。その指の指す先には、靄に映える蒼い肢体が浮かび上がる。
「あれが精霊様‥‥すごい綺麗」
 そのあまりに幻想的な出現を、煌夜は息を飲んで見つめる。

 一行が見つめる中、朝靄の映る日の光の中に蒼き姿が像を成した。

『きゅ?』
 大きく黒い瞳に映る見慣れぬ姿達に、主は小首をひねる。
「か、かわいいかも‥‥!」
 そんな表情に、灰音は目を奪われた。
「お主がすいこの主か?」
 眼を奪われる一行の中にあって、振々だけが平然と主へと向かう。
『きゅ?』
「『きゅ?』では、わからん! 言葉をはなせ!」
 なぜか非常に不機嫌に振々は、怒鳴り散らながら歩みを進める。
「ひ、姫様!?」
 主に詰め寄る振々を南洋が前に回り止めるが。
「えぇい! どかぬか! 振を散々またせた罪、こ奴に――くぅ‥‥」
 立ち塞がる南洋を払い除けようと手を振り上げた振々だったが、突如南洋の胸へ倒れこんだ。
「ひ、姫様‥‥?」
 突然の振々の行動に、南洋は戸惑い目を丸くする。
「あれ? あれれ? 寝ちゃった?」
 南洋の懐で小さく寝息を立てる振々を、なりながツンツンと突いた。
「肝心な時に、この有様とはナ」
 そんな光景を見つめる飛鈴も苦笑交じりに呟く。
「一晩中、ずっと直立不動で待っていたからね」
 灰音は寝入った振々に近づくと、そっとその長い髪を撫でた。
「ねぇ、精霊様」
『きゅ?』
 そんな振々を微笑ましく見つめていた煌夜は、主へと向き直ると。
「このお姫様がね。あなたを保護したいって言ってるの」
 優しく微笑み、振々を指さした。 
『きゅ?』
 しかし、主は煌夜の言葉に小首を捻るだけ。
「あー、だめアルな。やっぱりヒトの言葉は通じないネ」
 お手上げとばかりに両手を天へかざす飛鈴。
「うーん、身振り手振りでなんとか伝えられないかな?」
 と、煌夜に代わり灰音は主の前に立つと、身振り手振りで用件を伝えていく。
『きゅ?』
 しかし、灰音の身振り手振りにも主は首を傾げる。
「んー、だめっぽい?」
 そんな、主に合わせるようになりなも首を傾げた。
『‥‥』
 そんな時、飛鈴の服を引く手。
「ん? 狐鈴?」
『任せろ‥‥』
 狐鈴はとんと自分の胸を叩くと、つかつかと主の前に歩み出た。

『きゅ』
『きゅ?』
『きゅー』

「‥‥話してるのか?」
 目の前で繰り広げられる不可解な言葉の応酬に、南洋が飛鈴に問いかける。
「さぁ? あの子にそんな特技なんてないと思うガ‥‥」
 進められる会話に相棒である飛鈴も戸惑い顔だ。

『きゅ!』
『きゅきゅ』

「纏まったようだけど‥‥?」
 灰音が戸惑いながらも言葉を発する。
 目の前の二つの影は、その不可解な会話を終え、こくんと一つ頷いた。
「あ、精霊様がこっち来るわよ」
 煌夜が指差す先には主を連れ、したり顔で戻ってくる狐鈴の姿。
「よくやったアルな!」
 迎えた飛鈴に向け、狐鈴はすっと手の平を差し出すと。
『‥‥10万で手をうと――』

 ガツンっ!

 こうして、主は説得(?)に応じ振々の元に身を寄せた。
 主を湖から離してもいいかとの意見もあったが。
「また今回のような輩があらわれるとも知らぬからな!」
 との振々の我儘(?)により、主は袖端家の庇護下に入ったのだった。