|
■オープニング本文 闇に閉ざされた地下牢。 揺れる道標は、篝火の灯。 虫の這う音のみが木霊す静寂。 剥出しの岩肌に身を横たえ、静かに願うは、娘の事。 「どうか無事で――」 男の囁きは、一寸先の鉄格子にも届かない。 その日、一人の商人が、獄中で果てた。 ――遡る事、十数日前―― ●大屋敷 ダンっ! 大屋敷の門が勢いよく開かれる。 「会刻堂、出会えい!」 門の先に立つのは、捕物道具を持つ役人達。 「な、何事でしょう?」 向かえた一人の男。この屋敷の主にして、此隅に店を構える古物商『会刻堂』の当主であった。 「その方、此度の国王暗殺の首謀者で相違無いな」 現れた会刻堂に向け、中央に立つ同心が言い放つ。 「え‥‥?」 突然の事に呆気に取られる会刻堂。 「罪状を読み上げい!」 そんな会刻堂を他所に、同心の指示を受けた部下が、手に持つ書状を広げ読み上げた。 「その方――」 読み上げられる罪状にはこうあった。 先日、会刻堂より巨勢王へと献上された一つの古茶碗。 茶会で使用される事となっていたその茶碗には、猛毒の砒素が塗られている、との家臣の密告があり、茶会は中止、王は辛くも難を逃れた。 家臣の密告を元に調査が進められ、送り主である会刻堂が王の暗殺を企てたとの結論に至る。 「と言う訳だ。引っ立ていっ!」 満足げに部下の読み上げる罪状を聞いていた同心の一声に、岡っ引達数名が会刻堂を取り囲む。 「な、何かの間違いでは!?」 岡っ引に組み倒される会刻堂は、同心へ向け必死の嘆願を試みるが。 「ええぃ! 往生際の悪い!」 見苦しい嘆願に顔を歪ませる同心の蹴りを見舞われる事となった。 「くっ! どうか、どうか今一度ご確認を!」 同心の裾にすがりつく会刻堂。 「申し開きは、奉行所で行え!」 そんな姿を同心は冷めた目で見下し振り払った。 ●大屋敷 「たっだいまー!」 威勢よく帰宅の報を告げたのは、この家の一人娘『会刻堂 遼華』。 「りょ、遼華お嬢様!」 出向かえたのは一人の女中。その顔色は真っ青だ。 「ど、どうしたの‥‥?」 血相を変えて駆け寄ってくる女中を前に、遼華はただならぬ気配を感じる。 「旦那様が‥‥旦那様がっ!!」 「落ち着いて! 父様がどうしたの!?」 女中の肩を両手で掴み、ぐっと力を込めた遼華が問いかけた。 「は、はい! 突然お奉行所の方が――」 遼華の声に落ち着きを取り戻した女中が、事の次第を遼華に伝える。 「どうして父様が‥‥」 突拍子も無い女中の言葉に、半信半疑の遼華であったが、その眼は嘘を言っているようでは無い。 「‥‥!」 何かを決心した遼華は、キッと奉行所の方角を睨み駆け出した。 ●奉行所 「これは会刻堂。異なとこで会ったね」 後ろ手に縄を結ばれ、岡っ引きに引かれる会刻堂を、田丸麿が出迎える。 「た、田丸麿様‥‥?」 会刻堂は縛られた身体を何とか捻り、田丸麿を見据えた。 「まさか貴方がそんな大それた事をするとは、夢にも思わなかったよ」 呆れるような、蔑むような田丸麿の言葉に。 「わ、私は何も!」 必死に訴えかける会刻堂。 「僕の報告がなければ、今頃巨勢王がどうなっていたことやら‥‥考えただけでも恐ろしいね」 しかし、田丸麿はまるで自分の功績に酔いしれているようだ。 「父様!!」 そんな時、怒鳴り声と共に、遼華が奉行所に飛び込んできた。 「待て!」 そんな遼華を門番が見逃すはずもなく、長棍で押し留められる。 「離しなさいよ!」 邪魔をする門番達に、怒鳴り散らす遼華。 「まぁまぁ君達、離してやりなさい」 そこへ田丸麿が現れた。 「な、なんであんたがここにいるのよ‥‥!」 突然目の前に現れた最も嫌悪する男へ向け、遼華が呟く。 「ちょっとね。それより遼華君はなにしに来たんだい?」 まるで愛玩動物でも愛でる様に、遼華を見つめる田丸麿が問いかけた。 「あんたなんかに関係ないわよ!」 遼華は田丸麿を無視し、奉行所の中へと大股で歩みだした。 「父様!?」 奉行所内部へ足を踏み入れた遼華の前には、拘束された父親の姿。 「遼華!」 突然現れた娘の姿に、会刻堂は驚きと共に安堵の表情を浮かべる。 「父様‥‥なんで」 父の姿に呆然と立ちつくす遼華に。 「国王暗殺を企てたんだ、これは仕方の無いことだよ」 と、田丸麿が後ろから囁いた。 「嘘よ! 父様がそんなことするわけ無いじゃない!」 そんな田丸麿に遼華が食ってかかるが。 「そうは言っても、事実だからねぇ」 田丸麿はまるで取り合わない。 「そんな‥‥どうにかならないの?」 父の姿に堪えられなくなったのか、俯く遼華はぼそりと呟く。 「そうだね‥‥大人しく僕の元へ嫁ぐなら、父上を助けてやれ無い事も無いんだけどね」 「田丸麿様! その話はなかった事になったはずでは!?」 さらりと破談になった話を持ち出す田丸麿に、会刻堂が声を荒げた。 「‥‥ほんとに? いいわ! 結婚する!」 ギッと田丸麿を見据え遼華が吼えた。 「遼華!?」 「おお、それは嬉しいね」 まるでその答えが当然だとでも言わんばかりに、田丸麿が答える。 「父様の事、大丈夫なんでしょうね!」 そんな田丸麿に遼華が食ってかかった。 「ああ、任せてよ。僕もそれなりの身分だからね、何とかしてあげるよ」 そんな遼華へ、いやらしい目付きで田丸麿が答えたのだった。 ●【数日後】ギルド 「はふぅ〜暇ですね〜」 受付卓の上で茶を啜る、一人の受付係が溜息交じりに呟いた。 「まいど!」 そんな麗らかな午後のギルドへ、飛び込んできたのは一人の飛脚。 「はい〜まいどです〜」 にこりと顔馴染みの飛脚を向かえる受付係。 「はいよ、これ届物ね!」 飛脚は懐から小さな包みを取り出すと、受付係に渡す。 「はい〜確かに受け取りました〜。いつもご苦労様です〜」 包を渡すとさっさと出て行った飛脚へ向け、受付係はぺこりと一礼した。 「はて〜? どなた当てでしょうか〜?」 受付係は手に持つ包を見つめる。あて先が無いか探すが、それらしきものは無い。 「‥‥とりあえず〜。開けちゃいましょう〜」 くふっと邪な笑みを浮かべた受付係は、包みの結び目に手をかけると、一気に解く。 「見てはいけない物を見てしまった気がします〜‥‥」 包みの中身。そこには、一通の手紙と大量の小判が納められていた。 「え、えっと〜 手紙のあて先は〜‥‥十河吉梨様〜。ふむ〜、吉梨さんですか〜。って、私!?」 記された自分の名を見て、吉梨が驚愕の叫び声をあげる。 「え、えっと〜‥‥」 恐る恐る手に取った手紙を開いた吉梨は。 「なになに〜 親愛なる十河様 この度は突然のお手紙申し訳ありません――」 嬉々として手紙を読み始めた。 「――よろしくお願いいたします。会刻堂」 読み終えた吉梨は、しばし呆然。 「はっ! あまりのしりあす展開に魂抜けてました〜! これは大変です〜!!」 ガタンと座っていた椅子を倒し立ち上がった吉梨は、大急ぎでギルドの奥へと消えた。 |
■参加者一覧
真田空也(ia0777)
18歳・男・泰
一ノ瀬・紅竜(ia1011)
21歳・男・サ
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
煉(ia1931)
14歳・男・志
御神村 茉織(ia5355)
26歳・男・シ
七郎太(ia5386)
44歳・男・シ
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
神咲 六花(ia8361)
17歳・男・陰 |
■リプレイ本文 ●屋敷 「そんなことが‥‥」 遼華に当てられた大屋敷の一室。告げられた事態の重さに、お泉はぼそりと呟く。 「監視の目を掻い潜り、ギルドに連絡を寄こすには、相当な覚悟があったはずだ。俺達はその想いを叶えたい」 声を潜め、煉(ia1931)が呟く。 「この願いを叶える為、是非貴方の協力を仰ぎたい」 真摯な目でお泉を見つめる皇 りょう(ia1673)の姿もある。 二人は、会刻堂家の使いとして、遼華の世話をする為、屋敷に潜り込んでいた。 「静かに――」 突如、腰を浮かした煉が、二人の会話を制する。 「邪魔するよ」 「これは田丸麿様。お嬢様でしたらお庭ですよ?」 障子を開け入ってきたのは、この屋敷の主、田丸麿だった。 「いや、遼華君に用は無いんだ」 出迎えたお泉の肩口から、背後を覗き込む田丸麿。そこにはりょうと煉がいる。 「この二人にご用で?」 「ああ、新しいお付と聞いてね。ちょっと見に来た」 「まぁ、お付にまでお気を掛けて頂いて、ありがとうございます」 柔和な笑顔を浮かべ、お泉が田丸麿を部屋に招きいれた。 「で、この者達は会刻堂家の人間? 見ない顔だね」 さも興味なさそうに問いかける田丸麿。しかし、その目は鋭く光を放つ。 「いえ、違いますよ?」 そんな問いに、さらりと答えるお泉。 「っ!?」 声にならない呻きをあげ、りょうと煉が腰を浮かした。 「この者達は私の遠縁に当るんですよ。主になる方のお世話をする者は、身内のほうがいいと思って呼び寄せたんです。幸いにも、私は田丸麿様に信用されているようですし」 にこりと微笑むお泉に、田丸麿は。 「まぁね。でも、親戚にしては似て無いね」 未だ懐疑の視線を二人に向ける。 「ええ、曽祖父の代まで遡りますからね。それにジルベリアの血が交じってるので、似て無くて当然です」 落ち着き払ったお泉の声。 「ふ〜ん‥‥」 りょうの顎をくいっと持ち上げた田丸麿は、息もかかりそうなほど顔を近づける。 「まぁ、いいや。せいぜい僕のお嫁さんを綺麗に仕上げてよね」 田丸麿はふっと手を離し、興味なさそうにその場を後にした。 「お泉殿‥‥」 「お泉さん! 親戚に殿なんてつけないの」 めっとお泉は子供を叱るように、りょうの額に指を突き立てる。 「すまん、助かった」 ふぅと安堵のため息をつき、席に戻った煉が呟く。 「お嬢様の為ですからね。私も協力させてもらいますよ」 静かに、だが力強く頷いたお泉。 「かたじけない。お泉ど‥‥さんを巻き込むような形になる」 「めっ! まずは言葉遣いから、みっちり教えないといけないわね」 再びこつんとりょうへの一撃。 「あぅ‥‥」 りょうもたじたじであった。 「りょうを手玉に取るとは‥‥」 至極感心したりの煉。そんな煉に。 「貴方も!」 こちらへもこつんとお泉の一撃が入った。 「うぅ‥‥」 突如飛んできた拳に、申し訳なさそうに俯く煉。 「くすっ」 そんな煉を、りょうが嬉しそうに見守っていた。 「じゃ、始めましょうか」 お泉の声に二人は頷き、三人は筆談にて、とある計画を練っていった。 ●此隅 「ほぉ! あの坊ちゃんが?」 「雪でも降るんじゃねぇか?」 「あはは! ちげぇねぇ!」 真田空也(ia0777)の振った話題に、酔っ払い達が次々と食いつく。 まだ朝早い時間にもかかわらず、酒場は武天に居を置く職人達で賑わっていた。 「それだけじゃねぇ――いいか、よく聴け」 もったいぶるように間を置いた空也が、再び語りかける。 「なんと、その嫁に逃げられたらしい」 そして、数瞬の間。 「うぉ! まじか!?」 「ぎゃはは! ざまぁねぇぜ!」 「おい、他におもしれぇ話は無いのかよ」 空也にすっかり出来上がった職人達が、せがむように声をかける。 「うーん、そうだなぁ‥‥その嫁ってのが、此隅に潜伏してて、旦那が躍起になって探してるらしいぜ。何でも、見つけた者に賞金出すとか出さない――」 「おいおい! こうしちゃいられねぇぞ!」 「いや待て。あの野郎の事だ。『何の話?』なんて、すっとぼけるかもしれんぞ?」 「いやいや、もし仮に――」 話題を提供した空也そっちのけで、職人達は捕物談義に花を咲かせる。 カタン。 「お、兄ちゃん、お帰りか?」 席を立つ空也に向け、男が声をかけた。 「ああ、また仕入れてくるわ。あの旦那、ネタには事かかねぇからな」 そう言うと、空也は出口へ向け歩みだす。 「‥‥すまねぇ。今はこんなことしかしてやれねぇ」 酒場を出た空也は、空を仰ぐ。その呟きは、街の喧騒に掻き消された。 ●上流 「――これでよし」 額の汗を拭う神咲 六花(ia8361)が呟いた。眼前には、枯葉と水草で隠された一艘の船。 「我ながら、惚れ惚れする仕事っぷり」 腰に手を当てうんうんと頷く六花。その時―― がさっ。 茂みが揺れた。 「!」 六花は咄嗟に符を掴み、音を頼りに気配を探る。 「? どうした?」 草木を掻き分け、林より出でたのは一ノ瀬・紅竜(ia1011)。 「ふぅ‥‥一ノ瀬さん、お帰りなさい。どうでした?」 現れた紅竜に、安堵のため息をついた六花が問いかける。 「丁度いい獣道を見つけた。村の畑まで続いてるから、逃げるのに使えるだろう」 紅竜は、しゃがみ込むと地面に簡単な図を書き六花に説明を始める。 「ふむ、距離も方向も申し分無いですね。あとは、ここまでの誘導ですけど‥‥」 紅竜の書いた図を眺めながら、六花が唸った。 「待ち伏せに最適の場所も見つけてある。――ここと、ここだ」 「さすがですね。これで撹乱と誘導は問題なさそうですね」 「ああ。案内する、ついて来てくれ」 そして二人は、林へと姿を消した。 ●漁村 「これまた豪勢な船だこと」 七郎太(ia5386)が、口笛を吹く。その姿は、木の上で身体を休める梟のようだ。 川面に浮かぶ朱色の巨体。越中家が婚姻の為に用意した豪華な船群が、桟橋に係留されていた。 「悠長なことは言ってられんぞ」 そこに、木の根元で休憩する旅人、御神村 茉織(ia5355)が呟く。 「10艘ですか、これは骨が折れる作業になりそうですね」 更に、木の陰から声。闇に溶ける漆黒の装束を纏った菊池 志郎(ia5584)だ。 「まったくだね。で、経路はどうなの?」 梟が旅人に問いかける。 「問題はやはり川だな」 「視界を遮るものが何も無いですからね」 旅人の懸念を、陰が代弁した。 「ああ、渡る途中で見つかれば、さすがに逃げ道は無いな」 「その為の囮でしょ? 大丈夫、彼らならうまくやってくれるよ」 「そうですね。我々も最善をつくしましょう」 「だな。では、また夜に」 立ち上がる旅人の問い掛けに、答える声はない。 その事に満足したように、口元を一瞬緩めた旅人は、再び歩き出した。 ●夜 「遼華殿、こちらだ!」 白の襦袢に身を包んだ遼華の手を引くのは、りょう。 「お泉、あんたもだ」 4人が月明りだけを頼りに獣道を走る。 「い、一体何事なの!?」 厠に向かう途中、突然手を引かれた遼華は、事態を飲み込めず3人に問いかける。 「お嬢様、今は逃げることだけを考えてください」 その問い掛けに、煉に手を聞かれるお泉が答える。 「逃げるってどういう事! 父様の命がかかってるのよ!?」 手を引くりょうを強引に振り解いた遼華は、立ち止まり大声で問いかける。 「‥‥そのお父上からの依頼だ」 必死に叫ぶ遼華に、りょうは落ち着き告げた。 「父様の!? どういうこと――!」 更に声高に遼華の悲鳴が、夜の林に木霊す。 「事情を説明するのは、事が成ってからだ」 その遼華の叫びを遮ったのは、煉の手だった。 「お嬢様、どうか今は私達を信じて」 驚愕に震える遼華の肩に、優しく手を置きお泉が呟く。 「お泉‥‥」 落ち着いた優しい声音に落ち着いたのか、遼華はゆっくりと頷いた。 「あまり時間を取ってはおれぬ。急ぐ」 遼華の落ち着きを確認して、りょうが再び手を取り、夜道を掛けだした。 「追っ手が付いた。あとは任せて先に行け」 暗道を駆ける4人に、影より併走する茉織が囁きかけた。 「助かる」 影へ向け一礼するりょうが、速度を増し駆け抜ける。 「さて、お楽しみの時間だね」 樹上から獲物を狙うは梟の瞳。 「殺しは駄目ですよ?」 木間の陰が揺れる。 「ああ、わかってるよ。せいぜい、時間を稼ごうぜ」 「夜の森で俺達に睨まれた事、後悔させて上げましょう」 「みんなやる気充分だねぇ。僕も頑張っちゃうよ?」 三つの影はその声に自信を滲ませ、本来在るべき闇へと還って行った。 「こっちだ」 その時、茂みの奥から声が響く。 「紅竜か」 その声に反応したのは、煉。茂みへと視線を移し、声の主を確認した。 「ちらほらと松明の火が見える、急げ」 目晦まし用にと獣道を塞いでいた小枝の束をどかし、紅竜が先を指差す。 「了解。さぁもう一踏ん張りだ」 煉が握る手に力を込め直し、示された道へと駆け出した。 「ようこそ、黄泉渡りの船着場へ」 深々と一礼し、遼華達を出迎えたのは六花。 「縁起の悪い呼び名つけんじゃねぇよ」 そんな六花へ空也が呆れたように呟く。 「さ、真田さん?」 出迎えた二人の内に、知った顔を見た遼華が驚きの声を上げた。 「よぉ、久しぶり、元気だったか?」 そんな声に、少し照れたように空也が話し掛ける。 「え、ええ。元気は元気でしたけど‥‥どうしてここに?」 「そりゃ‥‥お、お前のた――」 「はいはい、お話は後後。今は逃げないとね」 そんな二人の会話を、六花が遮った。 「あ、ああ、すまん。遼華、頼む一緒に来てくれ」 「え‥‥は、はい」 空也の声に、意を決したように遼華が頷く。 「うん、じゃ、皆船へ」 六花が指差したのは、一隻の漁船。六花の声に一行は急ぎ乗船していった。 「お嬢様、お早く」 遼華の手を取ったお泉が、船へと導く。 「あの方は?」 一人陸に残る六花に、遼華が心配そうに声を掛けた。 「ご心配ありがとう。でも、僕にはまだしなきゃいけないことがあるからね。一ノ瀬さん、お願いします!」 そんな遼華に、にこりと微笑む六花はそう語りかけ、紅竜に檄を飛ばす。 「了解だ」 六花の声に、船尾を押す紅竜は。 「揺れるぞ、しっかり捕まれ!」 力を込め、一気に船を川面へと押し出した。 「さて、行きますか――」 岸から離れる小船を、満足げに眺めていた六花は、踵を返し闇深い林へと姿を消した。 ●川 「乗り込め!」 遼華の乗る小船に接舷した、悦率いる三番隊の面々が、次々と乗り移る。 「――!? 隊長! これを‥‥!」 「なっ!?」 乗り込んだ部下が示した物。それは遼華に似せた藁人形であった。 「隊長! 浸水です!!」 余裕の笑みが消え、苦々しく呟く悦に、部下が更なる悲痛の訴え。 「くそっ! 計られたか!」 そんな必死の悦の叫びも虚しく、二艘の船は海中へ没した。 「おー、沈んだね」 その一部始終を岸から眺める四つの影。 「いやぁ、ばれないか冷や冷やしたよ」 「ちょっと大げさでしたけど、うまくいきましたね」 「これほど簡単に引っかかると、張り合いが無いな」 「そうだね。さぁ、こっちも逃げるよ」 四つの影は音も無く、林へと姿を消した。 ●対岸 「そんな‥‥」 この誘拐劇の仔細を知らされた遼華の顔から、血の気が引く。一行を乗せた船は、対岸までたどり着いていた。 「こんな強引な手で連れてきちまって、申し訳無い‥‥」 真相を知り、愕然と立ちつくす遼華に空也が頭を下げる。 「そんな、真田さんは何も悪くありません! でも、私はどうすれば‥‥」 そんな空也に遼華は慌てて否定するが、その表情は暗く落ち込んでいるようにも見える。 「何が最善なのか、私にはわからない。だが、お父上の願いは聞き届けるべきだと思う」 沈む遼華の肩に手を置き、りょうが優しく囁きかける。 「旦那様も一人の父親。大切な娘には幸せになってもらいたいものですよ」 そして、お泉も。 「だけど、私が逃げたら父様が‥‥」 しかし、皆の説得の言葉にも、遼華は俯き呟くだけ。 「親父さんの無実は、俺達が必ず晴らす。だから――」 塞ぎこむ遼華に、空也が決意を持って声をかけた、その時。 「篝火だ!」 川面に注意を払っていた紅竜が声を上げる。 「ぐずぐずはしていられないな。早々に目的地を定めて、ここから退避しよう」 その声に反応した煉の声には緊張の色が含む。 「お泉殿、どこかいい場所は無いだろうか」 お泉に向け、りょうが問いかけた。 「そうね。元夫の実家へ身を潜めましょう」 「え!? お泉、結婚してたの‥‥?」 お泉の提案に、遼華は驚き問い直す。 「ええ、10年以上も前に別れていますけど」 と、お泉は自嘲気味の笑みを持って答える。 「うーん‥‥身内だと足が付かないか?」 しばし黙考の後、空也がお泉に問うた。 「お嬢様も知らないくらいの事だから、大丈夫よ」 「しかし、元の旦那であるなら、不都合とか‥‥」 お泉の心情を察するように、りょうが問いかける。 「大丈夫、女には色々とあるのよ」 そんな心配に、お泉はにっこりと返した。 「話は纏まったか?」 と、紅竜。 「ああ、行こう」 空也の言葉に、一行は頷き、お泉の案内で、一路南へと進路を取ったのだった。 ●漁村 「申し訳ありません。船を沈められ‥‥現在、村の漁船を接収し――」 「いいよ、放って置いて」 道の報告を田丸麿が、言葉短く遮った。 「よ、よろしいのですか?」 あまりに素っ気無い田丸麿の言葉に、道が問い直すと。 「うん、いいんだよ。追わなくて。精一杯逃がしてあげよう」 驚く道に、田丸麿はにこりと微笑む。 「まさか、先日の『げぇむ』の再戦の機会をもらえるなんて――」 そして、空を見上げそう呟くと。 「あはは! 面白い! やっぱり君はこうでなくちゃね、遼華君!」 田丸麿は、盛大な高笑いを上げた。 「しかし田丸麿様。婚儀はどうされるおつもりで」 歓喜とも狂気ともつかない笑い声を上げる田丸麿に、落ち着いた声で穏が問いかける。 「ああ、そんなものもあったね。あまりに嬉しすぎてすっかり忘れてたよ」 田丸麿はふぅと一呼吸、興味無さそうにそう答えた。 「そうだねぇ‥‥君」 「は、はい!」 しばしの思案の後、田丸麿は一人の女中を指差す。 「君、今日から遼華君ね」 「え‥‥?」 そんな田丸麿の言葉に呆気に取られる女中。 「背格好も似てるし‥‥うん、いいんじゃない?」 じろじろと女中を舐めるように見まわす田丸麿。 「じゃ、そういう訳で。皆、着付けよろしく。綺麗にしてあげてね」 それだけ言い残すと、呆気に取られる家人達を尻目に、田丸麿はさっさと寺へと引き返す。 「くくく――しょぉたいむの始まりだよ」 一人夜道を行く田丸麿の呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。 その後、偽装遼華を従えた田丸麿は此隅に入り、贅を凝らした祝宴を持って、越中家婚儀は滞りなく終了した。 これにより、当主を失った会刻堂家は、正式に越中家に吸収され、事実上のお家断絶となったのだった。 |