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■オープニング本文 彼の動乱は過ぎ去り、壊され停止していた天儀の時針が再び動き出す。 人々は、その心の内に正負、想いの全てを抱き、再び歩き始めた。 大寒の凛とした空気が、いつも賑やかなこの街の時間の流れを少しだけ遅くしている。 そんな錯覚を覚える程に澄み切った空気の中吐息で白く煙らせ、小姓が早足に目的地へと急ぐ。 視線を下に向ければ、桶に張った氷を物珍しそうに覗き込む猫。そして、冷たい空気に色を増した暖かそうな湯気が、そこかしこの家から立ち上っていた。 以前と何も変わらない、そんな景色を横目に眺め、一歩一歩、踏みしめるように大通りを歩く。 向かうのはこの道の先。そして、その先へ。 心の機微が歩みにも表れたのか、景色の流れがいつもより早い。 大きな朱門をくぐると、視界が一気に開けた。 命萌える天儀の大地を見下ろす日輪の輝きに目を細めながら、轍の刻まれた街道を行く。 心象の風景は褪せることなく、胸の内に今も輝きを湛えていた。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 尾鷲 アスマ(ia0892) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 水月(ia2566) / 黎乃壬弥(ia3249) / 黎阿(ia5303) / 由他郎(ia5334) / 叢雲・なりな(ia7729) / エルディン・バウアー(ib0066) / ヘスティア・V・D(ib0161) / 五十君 晴臣(ib1730) / 朱華(ib1944) / ケロリーナ(ib2037) / ティアラ(ib3826) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 御調 昴(ib5479) / 叢雲 怜(ib5488) / 蓮 蒼馬(ib5707) / 丈 平次郎(ib5866) / 白葵(ic0085) / 黎威 雅白(ic0829) |
■リプレイ本文 ●羅喉丸(ia0347)の場合 凍えるに衣をかけ、温もりに衣を脱ぐ。 冬とも春ともつかない季節の変わり目特有の匂いを感じながら、羅喉丸は見慣れた木戸の前に立った。 「……ただいま」 戸を開けても返事はない。ただ清貧を絵にかいたような部屋が羅喉丸を迎える。 草履を脱ぎ肩に担いだ荷を下ろすと、羅喉丸は唯一の家具といっていい小さな机に向かった。 机の上には無造作に広げられた何枚もの図面が机を埋め尽くし、乱雑に積み上げられた書の数々は今にも崩れそうだ。 それら全てが羅喉丸にとってかけがえのない『家』の設計図。 独学で修めた知識をもって、開拓者としての仕事の合間に、少しずつ少しずつ完成させてきた。 「気に入ってくれるといいんだがな」 図面の奥に、想いを紡いだ人との未来を浮かべる。それはとても幸せな時間であった。 「……おっと、依頼の報酬を受け取りに行かないとな」 どれ程の時間、机にかじりついていただろうか。明かりにと灯した蝋燭が形を失っていた。 少しばかり硬くなった体を伸ばし、羅喉丸は寒々しくも夢の詰まった長屋を後にした。 ●柚乃(ia0638)の場合 葵菫の花弁が膨らみ、淡い色を増していた。 きっと誰の目にも触れる事無く静かに咲き、そして枯れていく。 「あなたのお家は、この豊穣なる天儀の大地なんですね」 そんな草花が紡ぐ輝きに、柚乃は微笑ましく目を細めた。 「っとと、こんな事をしている場合ではありませんでした」 数えきれない『道草』から、根気強く現実に引き戻しくれる相棒達の頭をお礼がてら優しく撫で、柚乃は来た道に視線を向ける。 真っ直ぐに続く道の先には、この数年間、柚乃を成長へと導いてくれた煌びやかな街がある。 そこで経験した数多の戦いが力を、数々の出会いが心を。 「少しは皆のお役に立てたのかな」 彼の街での様々な出来事は、自分に大きな変化をくれた。 でも、自分は誰かに何かをしてあげられたのだろうか。 一人になるといつも湧いて出てくる、暗い自分との自問自答。 「……ダメダメダメ! これから家に帰るんだから」 頭の中に沸いた靄を打ち払い、青く澄んだ早春の空を見上げた柚乃は、黒く沈みそうになる気持ちを上向ける。 「だから、気分は上々。揚々と旅路を行くとしましょう♪」 瞳を上げた柚乃の体を、葵菫の花の色の様に淡い光が包み込んだ。 ●尾鷲 アスマ(ia0892)の場合 「……ふむ。漬けすぎたか」 がぶりと齧り付いた旅むすびの中から顔を覗かせる赤い果肉に眉を顰める。 強い塩味を水筒の水で流し込み、アスマは顔を上げた。 天から降り注ぐ陽光は温かくも、頬を撫でる初春の山風はまだ寒い。 武天を北へと向かう幾本もの道から、ふらりと選んだ峠道。 わざわざ険しい道をなぜ選んだのか――。 答えは突然、眼下から響いた声が教えてくれた。 「……どうやら私も、どこまでも因果な性分なようだ」 崖の下から悲鳴に腰を上げたアスマは、そう呟くと共に何の迷いもなく、崖先を蹴った。 「例え世界が墜ちる憂目にあおうとも、人の世は変わらんな!」 山の住人達でさえ避けて通る崖を道に変え、アスマは垂直を駆け降りる。 崩れ落ちる岩をも追い越し、迫る地面には無数の無頼に囲まれる若い姉弟の姿。 「……子供か」 ふと浮かんだ記憶も、目まぐるしく流れる景色に溶けて消えた。 突然降って湧いた厄災に驚愕する無頼の表情。 「ギルドへの帰り駄賃だ。――その首、置いていけ!」 アスマは口元を愉悦に歪ませ、腰に差した大太刀に手をかけた。 ●天河 ふしぎ(ia1037)の場合 春の陽気を嗅ぎ付けた若草達が、丘を緑の絨毯に変える。 遥か南からやってきた風の精霊達が、若草の絨毯を波立たせていた。 「……とてもいい風」 頬を撫でる南風は、若草達と一緒にふしぎの髪を弄ぶ。 闇は晴れた。閉じた瞼の向こうに春の日差しが感じられる。 「……それにとても暖かい」 開いた瞳に飛び込んできたのは、ぬける様な蒼穹。そして、麗らかな春日が。 ゆっくりと視線を下げれば、そこには。 「みんな」 丘を下った広場には、羽を休めるように自慢の船が横たわっていた。 そして、その傍らには思い思いに自分を呼ぶ仲間達の姿がある。 共に戦い、共に生きてきたかけがえのない家族。 空賊団『夢の翼』を形作る全てがそこにあった。 「さぁ、帰ろう。――僕の居場所へ」 ふしぎは、駆け出した頃から共にあった額のゴーグルに触れ、一気に丘を駆け下りた。 ●礼野 真夢紀(ia1144)の場合 空と海の境界が曖昧になる水平線をじっと眺めていた真夢紀が、ふと胸元へ視線を落とした。 小さな猫又と視線が合う。 真夢紀は少し不安そうに見上げる小さな瞳に微笑みかけ安心させた。 もうすぐ、この子達に見せる事ができる。 海の真ん中にポツンとある小さな島。何の特徴も特産もない寂れた島。 だけれど、この世界で一番大切で大好きな場所。 「もうすぐですよ、あたしの家。気に入ってくれると嬉しいな」 想いと勇気を込めた真夢紀の声に、朋友達は各々元気な声で答えた。 ●水月(ia2566)の場合 神楽の街は天儀で最も栄えた町の一つ。 その変化は目まぐるしく、三日立ち寄らなければ街の様子ががらりと変わる程……なの。 じゃれ付くようにふよふよと浮かぶ小さな少女に、教えてあげるの。 また始まったって顔してる、ちょっと偉そうな白猫を、今日こそぎゃふんと言わせてみせるの。 街は華やかで、賑やかで、うるさくて――眩しくて。 道行く人の顔には、笑顔と生気が浮かんでいて。 空気まで踊りだしそうな春の一時。 青い空に一点の白。白い翼は、羽ばたく度に陽光を受けキラキラと輝きを放っている。 そこからはこの街がどう見えるの? 心を通わせた翼の主に、今更な質問をあえて投げかけてみる。 「……」 答えは無く、白翼は空に円を描く。 この日々が、永遠なれと。 そう思える未来を、手に入れたのだから。 今日ここにある幸福に感謝しながら、水月は立ち止った。 「……着いたの。ここなの!」 ここが今日のとっておきの場所。先日依頼の帰りに発見した新装開店の団子屋だ。 またかと呆れる白猫の溜息を聞きながら、水月は相棒達と一緒に暖簾をくぐった。 ●黎乃壬弥(ia3249)の場合 巨体を小さく折りたたんだ先には、好奇心に満ちた瞳を向けてくる小さな命。 上下に揺れる煙管の動きを本能で追う小さな瞳を、ぼぉっと眺めていた。 「おじいちゃん、か……」 煙管目がけて今にも飛びかからんとする子猫の顔に、娘とその旦那の顔が重なる。 二つの顔が溶け合い、子猫の幼さを画布に、小さな輪郭が浮かんできた。 「……まぁ、そうだな。当然美人になる」 浮かんだ顔に、壬弥は納得の表情で何度も頷いた。 ……仇は取れたのか? その問いに答える者は無い。そもそも答えを期待しているわけでもない。 ただ、少し……ほんの少しだけ変われたのかもしれない。 そんなことを漠然と思い描く。 「っと、これをくれてやるわけにはいかねぇんだ」 煙管相手についにしびれを切らした子猫の猛襲をひらりとかわした。 「代わりと言っちゃなんだが、いいもん見せてもらった礼だ」 壬弥は立ち上がると懐から、戦飯の残りを子猫に放り投げてやる。 「さて、帰るか。今日の晩飯は、何だろうかねぇ……」 ふとそう口にして、あ、やべ、爺化してるぞ俺、なんて思う壬弥であった。 ●黎阿(ia5303)と由他郎(ia5334)の場合 「雪も解けて、もうすっかり梅の季節ね」 首肯するだけの相方を微笑ましく見つめ、黎阿は道の先に視線をやった。 春と呼ぶにはまだ少し早く、冬と呼ぶには随分と過ごしやすい。 「……寒くはないか?」 この精一杯の気遣いに、黎阿の口元は自然とほころんだ。 暖を求め触れようと思えばいつでも触れる事の出来る至近。 「そういえばこの間行った時は、花菖蒲の季節だったわね。今は……どんな風景かしら」 仄かな温もりを半身に感じながら、黎阿は問いかけた。 「今の季節は……」 由他郎がゆっくりと視線を上げると、そこには色味を少し淡くした青い空。 そして、白く化粧を施した峰の懐に広がる、新緑の森。 「白い……白梅が甘い香を漂わせている頃だ」 黎阿の質問から数瞬、由他郎がそう答えた。 「……そう、とても楽しみね」 森の民である由他郎は、自然の色合いで季節を計る。 そんな相方の特技に、関心と頼もしさを覚えながら、黎阿は道の先に待つ、森の集落を思い浮かべた。 「……田舎暮らし」 「うん?」 しばらく無言で街道を進んでいた二人。 突然、ポツリと呟かれた単語に、黎阿は視線を上げた。 「そのうち……田舎暮らしになっても、構わないか?」 相も変わらず視線を道の先に向けている由他郎。 「え……?」 その突然の言葉の意味を測り兼ね、黎阿はしばし呆然と由他郎を見つめる。 言葉少ないのは今に始まった事ではない。だからこそ、由他郎の言葉の一つ一つには大きな意味がある。 黎阿は、由他郎の発した言葉の意味を考える。そして――。 ……ほんと、駄目ね。 ようやくその言葉の意味を見出した。これは由他郎なりのプロポーズなのだ。 ……ちゃんと言葉にしないと伝わるわけないのに。 言葉数の少ない由他郎ですら、ちゃんと伝えているではないか。 自分はただ態度で伝えていたと思い込んでいただけ。 不甲斐ない自分の無精を心の中で叱りつけ、黎阿はようやくはっきりと答えた。 「勿論。貴方のいる場所だけが私の居場所。どこまでもついていくわ」 「……そうか」 まるでそれが答えかのように、寄せた肩は逃げられることなく受け止められた。 ●叢雲・なりな(ia7729)と叢雲 怜(ib5488)の場合 木戸の前に立ち尽くし、時折頬を緩ませるなりなに、往来の人々は奇異の視線を向けていた。 「うふ……ひひひっ。うくくくっ」 心の底から湧き上がってくる笑顔。 抑えようにもとても無理。 いつまでもこの事実に浸って居たい。そう思っていたのだが――。 「……あっ。こんなことしてる場合じゃない!」 この笑みの理由を真っ先に伝えなければならない人の顔がなりなの脳裏に浮かび上がる。 なりなはようやくその場を離れ、想い人の待つ場所へと向かった。 「今日もたくさん稼いだのですっ」 いつもよりも少し暖かくなった懐に、怜はほくほくとギルドの暖簾をくぐった。 「ほえ、なりな?」 丁度ギルドの向かいの店の軒先。 そこから、ひょっこりと顔を覗かせたなりなが、にっこりとほほ笑みかけている。 「怜、お仕事お疲れ様っ。一緒に帰ろ?」 「もちろんなのですっ」 そんな笑顔に釣られる様に、怜はその申し出を快諾した。 まだ少し身を冷やす風も、つないだ手から伝わる温もりでまるで苦にならない。 まるで姉弟の様に手を繋ぎ並んで歩く小柄な二人は、『家』へと向かっていた。 「……ふに? なりなどうしたの?」 突然つないでいた手を引かれ、怜が振り返る。 「……あのね、怜」 なりなは歩みを止めていた。視線を合わせずもじもじと地面を見つめていた。 「?」 いつもの快活ななりながどうした事か。 「あのね……できたの。その……怜と私の赤ちゃん」 「…………ほえっ!? ……できた? 赤ちゃん? 俺と……なりなの? 赤ちゃん……?!」 たっぷりと数十秒かけてなりなのもじもじの理由を知った怜が奇声を上げた。 「え、えとえと……暖かくして安静に……あ、後はママ上に聞くのです〜!!」 「怜、慌てないでっ!? 大丈夫だから! お医者様には激しい運動しなければ大丈夫って言われてるし、普通に生活してもいいから」 「そ、そうなの……です?」 突然の事態に大慌ての怜を、なりなは優しく落ち着かせる。 「なりな……なりなっ、大好きっ♪」 「わわっ!?」 大通りの往来も気にせずに、怜はなりなに抱き着き、キスをした。 近い将来、このもう一つ小さな兄弟が並んで歩く事だろう。 二人は繋いだ両手の間に増える小さな手の感触を思い描き、微笑み合った。 ●エルディン・バウアー(ib0066)とティアラ(ib3826)の場合 「し・ん・ぷ・さ・まぁ?」 「はい? どうしました、ティア……ラ? え、いや、あの、その爪は何でしょう……?」 依頼人の少女に向けた飛び切りの笑顔は、振り返った途端凍り付いた。 「どうして神父様はいつもいつもそうなんですかっ」 「ど、どうしてと言われましても、これも偉大なる神の教え。貴女もそれはご存知でしょう?」 何故だかふぅふぅと息の荒いティアラに、エルディンは咳払い一つ、偉大なる神の教えを再確認させてあげる。 「万物に須らく愛を。神の教えは十分に理解しています。でも……でも神父様のは、何か違いますっ!」 「な、何が違うというのですかっ!」 「知りませんっ! わかりませんっ! でも、不潔です!!」 「ひどいっ!?」 神の教えとは程遠い理不尽によって返された返事に、流石のエルディンもこの仕打ちには涙を流す。 感謝の言葉もそこそこに、この空気に巻き込まれまいと依頼主の少女も既に姿を消している。 「何を怒っているのかわかりませんが、これはナンパなどではありません」 「……じーー」 「私が貴女以外の女性に目を向けるなどあり得ないと、これまでにも何度も言っているではありませんか」 「……」 見つめているのか睨んでいるのか、どちらとも取れない表情でエルディンを見上げるティアラ。 「貴女を世界で一番愛していますよ」 そんなティアラに、エルディンは先ほどの少女に向けた笑顔の十割増しは破壊力の高い笑顔を向けた。 「――っ!」 途端、まるで無駄のない素晴らしい回し蹴りをエルディンの背中に叩きこんだティアラ。 「おぶっ!? 背中はやめてくださいっ!? 足跡が残ったら信者の皆さんに、なんと思われるか!」 「そういうのは卑怯ですっ!! 神父様のばかぁ!!」 真っ赤になった顔を見られまいとずんずんと先を行くティアラを、エルディンは更に二十割増しの微笑みで追いかけたのだった。 ●ヘスティア・V・D(ib0161)の場合 「帰る場所、ねぇ」 随分と弱くなった北風に紅髪を遊ばせながら、ヘスティアは街道を歩く。 すれ違う旅人、商人、親子連れ、馬、牛、犬――。 野端に咲く名も知らぬ花でさえ、その命を謳歌している。 「どいつもこいつもいい笑顔しやがって」 色の違う瞳に笑顔が映っているわけではない。だが、そう感じられるのは春の訪れが近いからか。 「……違うな」 自分への問いかけを一笑に付して、ヘスティアはまた歩く。 「いい風だな」 この世界にアヤカシの脅威はいまだに残っている。これからも開拓者の力が必要になるだろう。 人の世が平和になったわけではない。それでも、道を行く人々の雰囲気は違っていた。 「この風に吹かれるまま……帰ってみるか」 それでも、あの殺伐としていた時代は確かに変わりつつある。 「この優しい時間を生きることができるといいな」 ヘスティアは、少し膨らんだ腹を撫でながら、再び歩き出した。 ●五十君 晴臣(ib1730)の場合 さんざん悩んだ土産は、なぜか干物。 「……我ながら色気の欠片もないな」 自嘲気味の笑みを浮かべる晴臣は、今なぜか船上に居た。 朱藩からの定期航路が確立した霧ヶ咲島へ向かう船は、早春の強風にも負けず悠々と白波を掻き分ける。 「……もうすぐか」 晴臣は陽光に目を細めながら、水平線を見やった。 一部が靄に煙っている。霧ヶ咲島の名の由来となった霧が今日も発生しているのだろう。 故郷への帰郷を決めたのはつい先日。 数か月前であれば、追放という形で追われた故郷へと帰ろうなどとは思いもしなかった。 これは心境の変化か。それとも時代の空気に押されてか。 どちらにせよ帰郷を決めた晴臣は、再び腰が重くなる前にと、即座に出立を決めた。 決めたのだが……。 「……ただ帰ったのでは面白くない。弟に土産話の一つでも持って帰らないとな」 そう独り言ちる頃には、霧ヶ咲島の島影がより鮮明に外洋の波の上に浮かんでいた。 ●朱華(ib1944)と白葵(ic0085)の場合 ここは天下の台所。 そう形容しても決して大げさではない程に盛況な神楽の市場は、まだ肌寒い初春の風にも負けず熱気を帯びていた。 「やっ……ま、まだ奥さんちゃうくて……!」 多種多様、様々な人種入り乱れる神楽の台所の一角。壮年の夫婦が営む青果店の軒先で、一人の少女が顔を真っ赤に慌てふためいている。 「こここ、子供やなんて……っ!」 「……白葵?」 「ひやぅっ!?」 突然かけられた声に、少女から変な声が出た。 声のした方向へ恐る恐る振り返った少女に、逆に驚いた風で見知った顔が見下ろしていた。 「しし、朱華っ! おしごとおわったんおつかれさまやねけがしてへん?おふろはいった?はぁみがいた?!」 「……落ち着け。……買い物か。重いだろう。俺が持とう」 わたわたと目を回す白葵を宥め、朱華は白葵の持つ大きな荷物を手に取った。 「あ……」 白葵の細腕に大きな荷物は似合わないと、男伊達らに使った気遣いだったが、当の白葵からは驚いたような、不満の様な、そんな表情が向けられる。 「……何かまずかったか?」 「あ、うんん、ちゃうんよ……ちゃうんやけど、その……」 「……どうした、具合でも悪いのか?」 白葵の顔にいつも人懐っこい笑みは無く、もじもじと視線を下げる。顔もどことなしか赤いような気がする。 「もう、ちゃうっ!」 朱華が心配そうに見つめる中、白葵は朱華に奪われた荷物の半分を奪い返した。 「朱華……白も、持てんで?」 白葵の行動に、面食らっていた朱華の前に、小さく細い手が差し出される。 「…………そ、そうだな。荷物を持ちながら転ぶとまずい」 その意図を理解するのに、ゆうに数十秒を要した朱華が、差し出された小さな掌を取った。 「えへ……お帰り、朱華」 「ああ、ただいま。白葵」 繋がれた掌から、相手の暖かさが物言わぬ優しさとして伝わってくる。 この何気ない幸せを噛みしめ、朱と白の二人は固く手を繋いだまま、雑踏の中へと消えていった。 ●ケロリーナ(ib2037)の場合 空に浮いた島々を眺めながら、金の巻髪を春風に遊ばせる。 目的地は南国。 頬を撫でる風も、どことなしか温かく感じてきた。 「おねえさまのおうち、どんなとこかしら〜♪」 流れる雲を眼下に、ケロリーナは空を往く。 もういくつ雲を越え、島を渡れば着くのだろう。 旧知の顔を思い浮かべれば、遠距離の船旅も苦にならない。 だが……。 ケロリーナの表情は、どこかすぐれなかった。 「この景色、一緒に見たかったですの……」 その理由は明白。本来ならばケロリーナの隣には、同じく金の髪の持ち主がいるはずだった。 だが、動向を申し出たその友人は、とある動乱の事後処理があると、申し訳なさそうに謝っていた。 「振ちゃんの分も、いっぱいいっぱいお話してきますのっ」 ここに来れない友人の為にも、自分がたくさん楽しまなくては。 「楽しみにしておいてねっ。お土産話をたくさん持って帰りますの〜」 船尾に振り向いたケロリーナは、その空の先で忙しく働く友人に向け、ニコリとほほ笑んだ。 ●リィムナ・ピサレット(ib5201)の場合 黄色い悲鳴がいくつも背後から聞こえてくる。 「人気者は辛いなぁ」 にししと口元を緩めながら、リィムナは大学の廊下に詰めかけた人垣の真ん中を軽やかに歩んでいた。 開拓者として大いに名を成したリィムナは、所属する大学でも一目も二目も置かれる存在になっていた。 必然的に、大学ではこういう扱いになる。 少女にして一流の開拓者に名を連ねるリィムナは、憧憬の象徴としてここに君臨していた。 「……ふぃ」 しかし、帰る度にこの熱烈歓迎、千客万来状態である。 長い長い人垣の中を歩み抜けたリィムナが、ふぅと息をついた。 「少しお休みしようかな」 何気なくそう呟いたリィムナは、端と立ち止まると――。 「みんな、またね♪」 振り向いて固めを閉じた瞬間、その姿を消した。 突然の出来事に騒然となる廊下の人垣を見上げ、柱の影から一匹の猫が現れる。 ざわざわとざわつく学生達を尻目に、猫は気品だった歩みで廊下をわたる。 (お相手はまた今度にゃ♪) 小さな子猫へと変化したリィムナは、人の姿だった時を変わらぬ軽やかな足取りで、陽だまりの中へと歩みだした。 ●御調 昴(ib5479)の場合 冬の終わりを告げる強風を避けようと、昴は茶屋に難を逃れた。 「今日は風が強いですね。これでは旅も……」 遅々として進まない旅路も、重く進もうとしない心も、全てを風のせいにしてしまいたい。 「こんな事じゃ、本当に帰る資格はありませんね……」 遥か先にある華やかな故郷の姿を思い出し、昴は自嘲気味な笑みを浮かべた。 帰郷を決意してから、一体どれほどの時間を無為に過ごしたか。 本当に良いのか。 心の中のもう一人がずっと問いかけている。 一度は放逐された身で、のこのこと帰郷などできるのか。 何度も何度も問いかけられては、答えに詰まる。 腹に溜まったお茶に身を重くしながらも、昴は彼方へ視線を巡らせた。 「……やると決めた事をやりきる強さを僕は手に入れた」 開拓者となり濃密な数年の過ごしてきた自負。 「そう胸を張れる経験を僕は積んだじゃないですか」 華やかなあの街に籠っていては決して得られなかった経験を得た。 「あの戦いに比べれば、この程度の事なんて、朝飯前です!」 今までであれば決して口にしなかったような軽口を掃き出し、昴は尚も沈殿を主張する腰に喝を入れて立ち上がった。 ●蓮 蒼馬(ib5707)の場合 天を貫かんばかりに突き出た幾本もの剣の峰。 地には峰を削り威容を誇る濁流の流れ。 「……ここは何も変わらないな」 旅慣れた者でさえ眉根を顰める程の天険にあって、蒼馬は悠々と歩を進める。 見上げた景色も、見下ろした風景も全てがあの頃のまま。何もかもが懐かしい。 「……あれは」 そんな人気のない天険の中腹に、蒼馬は一件の茶屋を見つけた。 人の営みの全てが失われた故郷にあって、そこだけは変わらずにあり続ける。 「あの老婆、まだ生きていたのか」 遠巻に感じる人の気配に、蒼馬は懐かしさを覚えた。 人の形をした魔と渾名され、畏怖と憧憬を集めた遥か昔。 あの頃はただの風景としか捉えていなかった茶屋が、今は全く違って見えた。 「折角だ。茶でも馳走になっていくか……」 あの頃であれば考えもしなかった、時の使い方。そして、考え方。 蒼馬は、そのどうしようもなく些細なことが嬉しかった。 「……変われたのだな、こんな俺でも」 そう独り言ちた蒼馬の足取りは先ほどにも増し軽やかなものになっていた。 ●丈 平次郎(ib5866)の場合 店仕舞い前に滑り込んだ甘味処で仕入れた大福を手に下げ、朧がかった月を見上げる。 「……朧月夜か。あいつも好きだったな」 輪郭のぼやける月は過日の隣人の顔を幻視させた。 ――過日の悲哀を越え、幾つもの戦いに身を投じてきた。 ――月明かりすら照らさぬ闇へと堕ちたこともある。 ――生死を彷徨ったことなど最早数えきれない。 だが、彼は今も生きている。 死と隣り合わせになる度に聞こえる声に、何度も闇の深淵より呼び戻されてきた。 「……生きている、か」 胸に添えた手から感じる自らの鼓動は、彼に生を実感させる。 声に導かれるままに、今まで命を繋いできた。 「……さて」 こんなどうしようもない命であっても、今は待つ者がいる。 「帰るか……あの子らの元へ」 見上げる月はこんなにも美しく、そして儚い。まるで果実の隣人の様に。 平次郎はそんな月に、微笑みと共に囁きかける。 ――見守っていてくれ。 その日、平次郎が月を見上げる事はもうなかった。 ●黎威 雅白(ic0829)の場合 気風のいい女主人に、愛想よく手を振り返し、店を後にした。 「気に入ってくれるといいな」 懐に忍ばせた小包には、所謂給料三か月分の品が忍ばせてある。 「おっ。これ……あいつに似合いそうだな」 と、今度は別の店の軒先に、目を奪われた。 「うぐぅ……無い袖は振れねぇ……」 しかし、どこかの寺の舞台から飛び降りる覚悟で仕入れた品を手に入れた雅白には、もうそんな余裕はない。 「いや、だがしかし……」 足は家へ、だが、目は先ほどから店の軒先に寄せたままの雅白。 そこに飾られた一着の着物に、相方の姿を重ねれば重ねる程、どうしても欲しくなってくる。 「……うぐぅぅ!」 もうすぐ、本当の帰郷が待っている。 そして、そこでは永遠に在ろうと誓った人との、祝言が待っているのだ。 数刻後――包みを倍に増やした雅白が、街道をゆく。 「もう置いていかねぇからな。つぅか、付いてこねぇと俺が泣く!」 叩いても埃しか出なくなった財布とは裏腹に、雅白の軽妙な口笛は、早春の雲一つない青空に凛と響き渡った。 |