黒曜華 〜黒の佼焉〜
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 難しい
参加人数: 54人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/08/23 19:22



■オープニング本文

 後の歴史家は書き記す。
 その日起こった壮絶にして凄惨な戦いの記録を。

●弐音寺
 戦況を伝える伝令が本堂へ引っ切り無しに駆け込んでくる。
 本営が敷かれた本堂では理穴と開拓者の代表者達が顔を突き合わせていた。
「くっ……遊んでいるのか……!」
 理穴側の頭である永眼が、齎される情報に怒りを露わにする。
 それは、この場に集った者、誰もが抱く感情であった。
 それほどまでに届けられる情報は、人の感情を逆なでする。
 美しかった水都を、日々の営みを、人々の笑顔を。
 沢繭という街を形作ってきた全ての要素を、一つ一つゆっくりと潰していた。
「とにかく、夕方まで持ちこたえれば援軍が来る。それまで……皆、頼む」
 さしたる策を提示できぬ不甲斐なさに震えながらも、永眼は開拓者達に深く首を下げた。

●沢繭
 街を蹂躙する巨大な歩みが女のそれに追従する。
『ふむ、意外とやられたな』
『お恥ずかしい限りです』
 見上げてくる視線から逃れるように巨大な瞳を伏せ、顎を下げた。
 見れば体を覆う強靭な鱗は幾枚も抜け落ち、無数に生える棘の何本もが途中から欠落している。
『どうだ、久しぶりにやりあった開拓者共は』
『亜螺架様の足元にも及ばぬ矮小な存在であります』
『世事はいらん』
 巨竜の返事が気に食わなかったのか、女は行く手を塞いだ物見櫓を腕の一振りで灰塵とした。
『貴様の干乾びた脳でもわかるよう、わかりやすく問うてやる。奴等、なかなか面白い存在だとは思わぬか?』
『餌に抱くには過ぎた感情かと』
『……ふん、つまらん。元の貴様であればもう少しましな返事をしたぞ』
『申し訳ありません』
 これほどまでに楽しそうな主は見たことが無い。
『人間など所詮餌だ。だがな、ただ喰われるだけの餌など何が面白い』
 既に巨竜の答えなど求めてはいないのだろう。
 独白めいた女の声は、歩みと共に紡がれた。
『あの棘はなんだ。それにあの刀――くくっ、もしかしたら我がやられていたかもしれぬな』
『御冗談を』
『あながちそうとも言えぬぞ? 奴らもようよう我を研究している』
 声がさらに弾む。
『矮小な餌が、どうやって我に牙を剥くか。どうだ、これほど面白い事が他にあるか?』
『私の様な者が至れる領域ではありません』
『謙遜だな』
 上機嫌に拍車がかかったのか、街を蹂躙する女の手が踊っていた。
『鉄錆丸、我を食うか? 奴らも死に物狂いでやってくるだろう。傷付いていては存分に暴れられんぞ?』
 と、突然女が腕を持ち上げる。
『いえ、亜螺架様の身もまだ回復しきれていない様子。それ以上素体を失うべきではないかと』
 大きな顔を二度ほど振り、丁重に申し出を断った。
『こんなものすぐに回復するが……まぁ良い。あまり深い傷を負う前に言うのだぞ。お前は我の【矛】なのだからな』
『御意に』

●境内
 穂邑は自らが朱に染まるのも気にせず、運ばれてくる負傷者の救護に当たっていた。
「穂邑殿! 次の者を頼む!!」
「は、はいっ!」
 血と土にまみれた手で汗をぬぐい、穂邑は次の患者の元へと駆けていく。

 それから何人もの兵士や開拓者達を治癒した。
 別の場所では他の癒し手達も懸命な救護活動を続けている。
 太陽が天頂へと差し掛かる前には、すでに練力を使い果たしていた。
 今は、回復効果のある豆を口に含み、気力を賭して癒しの技を続けている。

「はぁはぁ……」
 乱れるばかりの息を意識的に整える事さえ、集中しなくてはできなかった。
「だ、大丈夫か……?」
 ついには、患者にまで心配される始末。
 それほどまでに穂邑は疲弊していた。
「嬢ちゃん……? お、おいっ!?」
 突然、腹の上に倒れてきた穂邑に、兵士は慌てた。
 揺すろうが声をかけようが一向に起きない少女のどうしたものかと戸惑っていた兵士の元へ、予期せぬ来訪者が訪れる。
 兵士がさらに困惑する中、その来訪者は、虚ろに視線を彷徨わせる穂邑に顔を近づけた。

 自らも懸命な救護活動に従事していた振々は、境内の一角で不思議なものを見る。
「あれは、ぬし……?」
 出会ってからずっと傍にあったミズチが、穂邑の額に自らのそれを合わせていた。


 そこは全ての時が静止していた。
「……えっ」
 風景は白と黒に染められ、いくら見渡しても動いている者はいない。
 穂邑は突然の状況についていけず、不安げに視線を彷徨わせた。
「まさか……私、死んじゃっ――」
『死んではおらん』
「だ、誰……?」
 突然響いた声の主を懸命に探すが、それらしき者が見当たらない。
 だが、一つだけこの白黒の世界で色彩を持つモノがあった。
「あ、あなたなんですか……?」
『貴様が知る必要はない』
 その姿からは想像できぬほど辛辣な言葉。
 穂邑は目の前で漂うミズチをまじまじと見つめた。
『神代が、ここへ何をしに来た』
「え……?」
『貴様のせいで、我が地が穢されている』
 ミズチの声は更に凄みを増す。
『貴様の中に注ぎ込まれた精霊力。その使い方を教えてやる。この地を浄化しろ』
 反論の糸口さえ与えず、ミズチが小さなヒレを穂邑の前に差し出した。
『ただし、覚悟せよ。貴様の身は人間。そして、これから行使する力は精霊のものなのだからな――』
 語尾に行くにつれ薄らぐ声を聴きながら、穂邑の意識は再び深い闇へと落ちていった。


「穂邑っ!?」
 まるで深海から浮上する様に、穂邑の体が宙に浮きあがる。
「なんじゃ、それは……」
 地上から数cm浮き、直立した穂邑がゆっくりと瞳を開いた。
 その顔には、神代特有の『微』が体積をもって浮かぶ。
「皆さん、心配ありません。この地の精霊が力を貸してくれます」
 瞳に続き口を開いた穂邑から発せられた声が、ある種の質量をもって聞く者の耳へと届いた。
「穂邑……! 一体どうしたんだ、穂邑!」
 だが、いくら叫ぼうとも旧知の者達の呼びかけは穂邑に届かない。
「穢された、この地を浄化します」
 ただ、決められた事象を説明する様に、淡々と抑揚の無い声が響いた。

 穂邑の周囲を取り囲んでいた後光にも似た蒼輝色のオーラが、その身の内側へと収束していく。
 全ての光が穂邑の中に吸収された、次の瞬間。
 再び穂邑から発せられた蒼き輝きが地を駆け、森を下り、湖を奔る。
 泉に投じた小石が広げる波紋の様に、暖かく雄々しい力が拡散した。

 そして、光の拡散を呆然と見つめていた者達の中に、変化が起こった。
 疲労に沈んだ者達の顔に生気が戻り、傷を負った者達に血気が宿る。

 皆が回復していく中、糸の切れた人形の様に、突然倒れ込んだ穂邑に振々が駆け寄った。
「まずいのじゃ……」
 横たわった穂邑は完全に気を失い、微も消えている。
 だが、変化はそれだけではなかった。
 濃厚すぎる精霊力に当てられた穂邑の体は、ゆっくりとその像を失い始めている。
「裏道じゃ! 裏道から穂邑を逃がすのじゃ! 死なせてはならんぞ!」
 振々の指示に、完全に気を失った穂邑を乗せた担架は急な獣道を下って行った。


■参加者一覧
/ 柊沢 霞澄(ia0067) / 北條 黯羽(ia0072) / 朝比奈 空(ia0086) / 音有・兵真(ia0221) / 劉 天藍(ia0293) / 鷲尾天斗(ia0371) / 柚乃(ia0638) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 玲璃(ia1114) / 御樹青嵐(ia1669) / 喪越(ia1670) / 皇 りょう(ia1673) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 水月(ia2566) / 黎乃壬弥(ia3249) / 珠々(ia5322) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / 霧咲 水奏(ia9145) / 劫光(ia9510) / コルリス・フェネストラ(ia9657) / 尾花 紫乃(ia9951) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / ヘスティア・V・D(ib0161) / フレイア(ib0257) / アリアス・サーレク(ib0270) / サラターシャ(ib0373) / ニクス・ソル(ib0444) / 不破 颯(ib0495) / 溟霆(ib0504) / 真名(ib1222) / 朽葉・生(ib2229) / 蓮 神音(ib2662) / 鳳珠(ib3369) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 御調 昴(ib5479) / 叢雲 怜(ib5488) / 運切・千里(ib5554) / 蓮 蒼馬(ib5707) / 椿鬼 蜜鈴(ib6311) / 霧雁(ib6739) / 破軍(ib8103) / 月雲 左京(ib8108) / 刃香冶 竜胆(ib8245) / ジョハル(ib9784) / 戸隠 菫(ib9794) / ルース・エリコット(ic0005) / ノーマ・ビブリオ(ic0100) / 桃李 泉華(ic0104) / クリスティ・ボツリナム(ic0156) / シンディア・エリコット(ic1045) / 隗厳(ic1208) / 白鋼 玉葉(ic1211) / 津々見 ヒビキ(ic1647


■リプレイ本文

●弐音寺
「穂邑は船に乗った」
 寺の裏道を戻った蓮 蒼馬が振々に告げた。
「間に合ってくれればよいのじゃが……」
 錐湖の精霊と交信した穂邑は、半ば強制的に精霊力を行使する事となる。
 その力は絶大で、傷付いた者達を瞬時に癒し、湖水を霊水に変えた。
「穂邑おねーさんはこんな事で負けないくらい強いんだよっ!」
 不安に塞ぐ振々に蒼馬と共に坂を上ってきた蓮 神音が励ましかける。
「……うむ、そうじゃの。神音の言う通りかもしれぬな」
 神音の真っ直ぐな言葉に、振々もようやく一息つけた。
「我々は戦場へ向かう。穂邑の献身を無駄にはできんからな」
 報告を終えた蒼馬は神音を伴い戦場へと向かう。
「では、こちらも急ぐとしよう」
 二人と共に穂邑の元から戻ってきた白鋼 玉葉は、傍らに阿業を連れていた。
「ケモノ殿も手伝ってくれるのか。頼もしい限りじゃ」
『穂邑の言いつけだから仕方ないし』
「それでもじゃ。すまぬが力を貸してくれ」
『……仕方ないし』
 阿業は首を垂れる振々を残し、玉葉の後を追った。


 波紋のように広がった青の精霊力。
 巨竜と黒女は緩やかな歩みの中、空気の変化を感じていた。
『精霊力の波動のようですが……これ程の力、一体』
『人間共が精霊とでも交信しおったのだろう』
『まさか人と精霊が――』
『あの小娘がおれば可能であろう』
『……神代、ですか』
『精霊の力を借り、さてどう出てくるか。くくく……』
 林に囲まれた丘を見上げ、亜螺架は不敵に微笑んだ。


「人間の反省と学習の速度、侮るなよ」
 アリアス・サーレクは、背後に控える沢繭の兵達に向かい作戦要綱の説明を始めた。
 その目的は、戦場に連絡網を張り巡らせる事。
 戦場が縮小した事により、連携、特に機を合わせる必要性は増している。
「皆、危険な任務だと思うがよろしく頼む」
 アリアスは、緊張に震える兵士達に頭を下げた。

「さてと、こっちも準備をしなきゃね」
 兵士達が伝令に散っていくのを眺めながら、戸隠 菫は腕を捲った。
「ここでいいんだよね?」
「はい、この場所以外に下を狙える場所はありません」
 境内の端にある大岩を指さした菫に答えたのは、朽葉・生。
 大岩の上にはすでに爆ぜ五光が設置されていた。
「この武器を護る為のものだものね。了解!」
「……霊水の確保も完了なの」
「こちらも後方への結界敷設完了いたしました」
 五光の周りに結界を張る菫に続き、五光の射手である水月や玲璃も準備を終え駆け付けた。
「……セニョリータ、あーんど、イケメン共。ちょぉと待て、待ってください」
 着々と準備が整えられる中、大岩の天辺へ五光を、何故か一人で運び上げた喪越。
「お疲れ様。霊水、飲む?」
 そんな喪越を不憫に思ったのか、菫は汲んできたばかりの新鮮なただの水を喪越の口に水筒ごと突っ込んだ。
「うぐぉ!? (ごくごく……)」
「……あ、間違えた」
 霊水の入った水筒と空の水筒を交互に見比べ、菫がポツリと呟く。
「や、やべぇ……み・な・ぎ・って・き・たぁぁ!!」
 だがしかし、喪越は瞳を怪しく輝かせ謎の復活。
「姫さぁん! 今日こそ俺様の愛を受け取ってくれぇ!」
 何かに覚醒した喪越が岩を飛び下りる様を、皆、呆然と生暖かく見送った。

●街口
 街並みが紅と黒に染まる。
「ナンだァ? 随分派手に歓迎してくれるじャねェか!」
 目を伏せたくなる様な街の惨状に、鷲尾天斗が大よそ正気の者とも思えぬ狂笑を上げた。
「え、歓迎?」
「どうかな。俺はあまり歓迎されたくないけどね」
 天斗の言葉を真に受けそうになる泉を、津々見 ヒビキは苦笑気味に答える。
「同感ですね。できる事ならやり合いたくないです」
 鳳珠、そして、同隊の仲間であるコルリス・フェネストラの二人は、ヒビキに同調を示した。
「急ぎましょう。時間がありません」
 緊張感の無い一行に声をかけた隗厳が街へと入ると、他の者も続く。
「なんでェ、つまらねェな」
 残った天斗も、不承不承、街に足を踏み入れた。

 人の気配の失せた街に弦の音が響き渡った。
「……これはアヤカシ? 瘴気ではあるようですが……」
「亜螺架の放った黴でしょう。触れないように注意しましょう」
 大通りに差し掛かった一行は、ある物を探していた。
「確かこの辺りという事だったんだが……」
 コルリスが警戒する中、ヒビキ達は慎重に辺りを伺う。
「あ、あれではないですか?」
 その時、鳳珠が橋の上に何かを見つけた。
「……あの形、どうやら間違いないね。あれが【幽傘】大辺根だ」
 仲間達と共に橋へと駆け寄ったヒビキが、大番傘を拾い上げる。
「間違いなです。急いで寺へ届けましょう!」
「待ってください」
 拾い上げた傘を手に、弐音寺へ向かおうとした鳳珠をコルリスが止めた。
「それからもアヤカシの反応があります」
「ふむ……濃い瘴気に触れたのかもしれないな。丁度いい。これで清めていこう」
 手に下番傘に視線を落とす鳳珠に、ヒビキは眼下に流れる運河を指さした。

 ヒビキ達が幽傘を回収した頃。
「泉さん、お付き合いしていただけますか?」
「うん? いいよ」
 隗厳は泉を連れ、近くの黒く崩れた家屋へと入った。
「うーん、これで調べるの? アヤカシの本体じゃないけどいいのかな?」
「本体じゃない……亜螺架の一部ではないのですか?」
「一部は一部、かな。でも本体じゃないよ」
「これでは解りませんか?」
「うーん、少しなら? それでもいい?」
「……お願いします」
 亜螺架の本体から破片を手に入れる事も不可能ではないかもしれない。
 しかし、限定的であっても今は情報が欲しい。隗厳は黙考の後、首を縦に振った。
「じゃ、扉を開くよ」
 家屋を喰らう黒カビを無造作に口に運んだ泉の瞳が紅に染まった。

「――扉を閉じるよ」
「……貴重な情報をありがとう。これが光明になります」
「うん、情報は少なかったけど、役に立つといいね」
 少し疲れたのか家の柱に背を預けた泉に、隗厳は深く礼を述べた。

●弐音寺
 裏道を通り援軍に現れた隗厳達のもたらした情報が、アリアスの指示で兵士達により拡散される。
「……やはり弱点は冷気か。ならば実証するのみだね」
 もたらされた情報を元に、クリスティ・ボツリナム達が、階段を下っていった。
「柊沢さん、これを……」
 先行する者達を見送り、鳳珠は回収した大番傘を柊沢 霞澄に差し出す。
「ありがとうございます……これで安全な場所を確保できます……」
 傘を受け取った霞澄は、帰ってきた幽傘を大事そうに胸に抱いた。
「柊沢さん、お一人では負担が大きいかと思います。私も微力ながらお手伝いを」
「……ありがとうございます。助かります……」
 同じ癒し手としての申し出に霞澄は深く首を垂れた。
 鉄壁の守りを持つ幽傘を本拠に据えれば、戦場に立つ者達に絶対的な安心感を与える。
「例えこの場に亜螺架が現れようと、護りましょう」
 護衛を回るコルリスを加えた救護隊は、開拓者達の拠り所として弐音寺に陣取った。

●上空
 沢繭の戦場が一望できる上空に滞空するレアの甲板上で、黎明が乗組員に指示を飛ばす。
「……まったく、とんでもないこと思いつくもんだな」
 一通りの指示を終えた黎明が呆れる様に横に控えるフレイアに声をかけた。
「この程度、奇策の内にも入りません」
 涼しく答えるフレイアの提案した策は、精霊力を帯びた湖水を凍らせ砲弾とするというもの。
 そして、すでに砲弾は地上の大アヤカシ達に浴びせかけられていた。
「だけど、直撃しないがいいのか?」
「もとより砲弾としての効力は期待していません。拡散してくれた方が好都合なのです」
 黎明の疑問に答えるフレイアの言葉通り、放たれた砲弾は中空で砕け散る。
「おー、嫌がってるねぇ。それじゃ、こっちでも嫌がってもらおうかねぇ」
 精霊の力を帯びた氷雨は、致命的な攻撃とはならずとも、大アヤカシにとっても無視できぬものとなっている。
 それに加え不破 颯が竜の髭を引き、矢の雨を降らせるのだ。
「お前にも一本やるよぉ」
 颯は狙いを不規則に変える。必殺の竜の髭の特殊な矢に通常の矢を混ぜる事により、狙いを悟らせぬことに成功していた。

●入山口
 玉葉、そして小隊の仲間達は一気に階段を駆け下る。
「すでにお前の弱点は知れた。覚悟する事だ」
 不敵に微笑む亜螺架と視線を交えた玉葉は、喉から空気を吐き出した。
『……何のつもりだ』
 雑木林に響く玉葉の一喝に亜螺架は眉をひそめる。
「お前の動きは止めさ――」
『目障りだ』
 だが、玉葉の目論見は不発に終わった。
 亜螺架は瞬時に距離を詰めると、玉葉を手刀で薙ぎ払う。
「玉葉さん!」
 仲間の窮地に、ノーマ・ビブリオは詠唱していた術を放った。
 空気中の水気を纏めた水球は、弧を描き亜螺架へ。
「この術で効果があるとは思っていません。ですが――」
 水球の直撃で、亜螺架へダメージを与える事が難しいのはわかっている。
 ノーマは術を放った勢いのままに、膝を折った。
「水気と共に凍れ、亜螺架!」
 ノーマの背後から現れたクリスティは、詠唱を完了した氷龍を放つ。
 氷龍の息吹は水気にまみれた亜螺架を白い世界に閉じ込めた。
「阿業さん、今です!」
 傷付いた玉葉の体を支えながらノーマが階上に叫ぶ。
 これが三人の狙い。氷結した亜螺架を阿業に喰らわせようというのだ。
 だが――。
『それじゃ、ダメだし』
 阿業は動かなかった。
『……くく、懸命な判断だ、ケモノ』
 低く響く笑い声と共に、冷気が晴れる。
「なっ……効いていないのか!」
 冷やされた空気を割り、現れた亜螺架の圧力にクリスティが退いた。
『狙いは悪くない。だが、我を侮りすぎだ』
 戦闘前とはまるで別の物ではないかと思う程に膨らんだ瘴気の圧。
 睨み付ける三人と一匹に向け、そう吐き捨てた亜螺架は、何事もなかったかのように階段を上り始めた。

『……しかし、あれは五月蠅いな。――鉄錆丸、焼け』
『はっ』
 上空から降り注ぐ精霊力を含んだ氷雨。そして、いつ飛来するともわからない必殺の矢。
 致命傷にはならなくとも、不快であることに変わりはない。
 亜螺架の命に、鉄錆丸は上空に向け顎を上げた。
『……この場を離れても?』
『届かんか。いいだろう、行け』
『はっ』
 鉄錆丸は亜螺架の許可を取り、巨大な翼で風を打った。
「待ってましたっ!」
 その時、雑木林から元気な声が上がる。
 柚乃がこの機とばかりに雑木林から身を躍らせた。
「飛ばせはしないから!」
 柚乃の放った術が風を巻く。旋風は烈風に。烈風は竜巻に。
 足を浮かせた鉄錆丸に向け、暴風の刃が襲い掛かった。
『その程度の風――むっ』
 いくら強烈な竜巻を起こそうとも、鉄錆丸の巨体には効きはしない。
 だが、柚乃が放った竜巻は、丘近くの運河の水を巻き上げた。
「これなら効くでしょ?」
 精霊力を帯びた運河の水が鉄錆丸の皮膜を溶かす。
「今度はしくじらないっ!」
 更に開拓者達の連携は続く。
 着地に戸惑う鉄錆丸に向け、一気に肉薄するのはリィムナ・ピサレット。
 距離を越え、時をも越えて、鉄錆丸の背後に取り付いた。
「冥府の使者の手招き。断ったら呪われるよ!」
 鉄錆丸の背につけた手を伝い、黄泉路より呼び寄せた姿なき者が鉄錆丸の存在を食い千切る。
『そんなもの……!』
 だが、鉄錆丸は体制を崩されながらも、巨大な顎を背後へと回した。
「悪いが、そうはいかない」
 背に取り付いたリィムナを焼き払おうと口を開いた鉄錆丸に、無数の銃弾が突き刺さる。
 柚乃やリィムナと同様、林に潜んでいたジョハルが息つく間もなく集団の雨を降らせた。
「微力な蚊であっても、何度も刺されれば無視はできないだろう?」
 的は大きく、向かう方向も読める。
 これほどの条件が揃っている戦場において、ジョハルが的を外す事は無かった。
「それじゃ、遠慮なく!」
 鉄錆丸の巨大な顎は、ジョハルの横撃を受け、狙いを定めきれずにいる。
 リィムナは再び冥府に在る者へ呼びかけた。
 幾度となく打ち込まれる冥府からの一撃にも、巨体を誇る鉄錆丸は耐える。
「進む道が違うぞ……!」
 だが、開拓者達の連携は終わらない。
 継いで林から飛び出した蒼馬は、巨大な脚に向け全身全霊をかけた一撃を叩きこんだ。
 柚乃の精霊嵐。リィムナの黄泉の手。ジョハルの散刺弾。そして、蒼馬の昇竜脚。
 これに鉄錆丸の巨体がついに揺らいだ。
『この……羽虫どもが……!』
 今まで抑え込んでいた感情が闇の底から湧き上がってくる。
 鉄錆丸は麻痺効果のある低く響く咆哮を上げた。
『許さん……燃やし尽くしてくれ――ぐぉ!?』
 全てを焼き尽くす為、鉄錆丸が踏み出した、そこは――先の戦いで、霧咲 水奏等が敷設した、運河の上の板であった。

●弐音寺
「っ! チャンスです!!」
 式の眼から伝わる丘下の状況に、サラターシャが声を上げる。
「目標は罠に足を取られ座標を固定中! 照準を仰角−12度、お願いします!」
「了解しました。砲口を下げます」
 爆ぜ五光の補助要員を買って出たサラターシャの指示で、玲璃達が狙いを修正した。
「――行けます! 皆さん、お願いします!」
「全ては時代の子らの為に――この一撃で戦局を変えまする!」
 仰角、照準共に問題ない。
 水奏は故国への思いを乗せ、爆ぜ五光の引き金を引いた。

 爆ぜ五光は五人の射手の腕から容赦なく練力を吸い上げる。
 一瞬にして枯渇寸前にまで搾り取られた五人の練力は、砲身の偏光性結晶体を通し発射口へ。
 丘の上から放たれた極太の精霊光が戦場を切り裂いた――。


『ぐおぉぉぉぉぉ!!』
 苦悶に喘ぐ咆哮が戦場に響き渡る。
 戦場を突き抜けた精霊光は、身動きを封じられた鉄錆丸の左腕を片翼ごと肩から吹き飛ばした。
『鉄錆丸……!』
 この一撃に、階段を先行していた亜螺架も思わず視線を向ける。

「余所見するとはァ、余裕だなァ。おいッ!」
 その数秒にしかならない、空白の間が必要だった。
 振り返った亜螺架の目に映ったのは、戦旗を掲げた天斗の指揮の元、雪崩れるように階段を駆け下りてくる開拓者の姿。
「吹き上がれ、水の龍!」
 突然、亜螺架の足元から水柱が吹き上がった。
『ふんっ、また同じ手か!』
 珠々の放った水柱に体を濡らしながらも、亜螺架は迎撃に出る。
 それはつい先ほど亜螺架へ放たれた一連の攻撃の流れの初撃と同じ。
 亜螺架は大手を広げ、次撃に備えた。
「同じかどうかの判断は、その身で感じてからでも遅くはないでしょう! さぁ、行きなさい、白面!」
 だが、余裕を見せる亜螺架に向け、御樹青嵐は自身を模した白面白衣を放つ。
 白面は開拓者達を追い越し、亜螺架に抱き着いた。
『瘴気の人形などで我を封じられると思うなよ!』
 しかし、強力な式である白面ですら、亜螺架はまるで紙を切り裂くように粉砕する。
「いえ、とんでもない。そんなに都合よくいくとは思ってませんよ」
 引き裂かれた式の破片が視界を塞ぐ中、珠々が再び水柱を吹きあげさせた。
「どうですか? これでも同じだと仰いますか?」
 水柱と白面との交互攻撃は、確かに効果自体は薄い。
『雑魚共が……!』
 だが、反撃しずらい位置から繰り返される攻撃に、怒気深く呟いた亜螺架が拳を握る。
「随分と余裕がなくなってんじゃねぇか? 亜螺架よ」
 そんな亜螺架に向け、煽るような言葉を投げかけたのが、小隊長である黎乃壬弥であった。
 壬弥は、見せびらかす様に肩に太刀を担ぎ、仲間達が続ける攻撃に合間を縫って、ゆっくりと階段を下る。
「ほんと、水も滴るイイ女になったじゃねーの」
 そして、その傍らには弖志峰 直羽の姿があった。
 軽口を叩きつつ、壬弥同様悠々と階段を下ってくる。
『貴様等……』
 あまりに飄々と階段を下ってくる二人を、亜螺架は激しく睨み付けた。
 だが、向けられた視線は二人にではなかった。
 亜螺架は壬弥の肩を叩く緋桜へと視線を奪われている。
「ふむ……アヤカシにも、壬弥さんの立ち振る舞いは腹立たしく写るのか」
「……おい、どういう意味だ」
「凍てつく息吹を持て奔れ氷龍!」
 首だけを後ろに回し、じろりと睨みを利かせる壬弥の視線を涼しく流した劉 天藍は、符を氷龍へと変えた。
「青嵐、続け!」
 天藍の合図に、青嵐は式を消し即座に氷龍を呼び出す。
 二匹の氷龍の息吹が、珠々の水柱で濡れた亜螺架の体を舐める。
 水気は一気に凍り付き、氷の棺に閉じ込めた。
『――無駄だと、何度言えばわかる。そんなに死にたいのか』
 だが、それも一瞬の事。氷像の中から、低い声が響いた。
「いいや、これでいいんだよ。――もらうぜ、その体」
 そんな亜螺架の声にも、小隊【華夜楼】の面々は戸惑わない。
 氷の棺が砕かれるまでの刹那の時の間に、壬弥は肩の一刀を振り下ろした。


『舐めるなよ、人間共!!』
 頑強を誇る巨体を易々と貫かれた鉄錆丸が、激高のままに咆哮した。
 咆哮は尚も執拗な攻撃を仕掛けてくる開拓者達の動きを縛り付ける。
「おっきな、声……怖いの……だめ、です!」
 だが、ルース・エリコットの小さくも涼やかな歌声が、強烈な音波を緩和させた。
「あら、ルースちゃん、今日も素敵な歌声ねっ」
 音波に音波をぶつけ相殺を試みるルースの懸命な歌声に、姉であるシンディア・エリコットは竪琴を合わせる。
「咆哮は私達が抑えるわ。皆、思い存分やっちゃって!」
 この吟遊詩人の姉妹が作り出す、涼やかな音の力場は、仲間達に活躍の場を創生した。
「ヘスティア! 狙いはわかってるわね!」
「おい、ユリア。誰にものを言ってるかわかってんのか?」
 真っ先に躍り出た、ユリア・ヴァル、そしてヘスティア・ヴォルフ。
 軽やかに鉄錆丸の体表を駆け上がるユリアとは対照的に、ヘスティアは一足飛びに目標まで跳ね上がった。
 紅と蒼の二条の龍が、鉄錆丸の失った肩へと同時に辿り着く。
「光栄に思いなさい。貴方が最初の獲物よ」
 爆ぜ五光により失った鉄錆丸の肩口を遥か下に見下ろし、ユリアが神槍を構えると、その体から紅のオーラが陽炎の如く立ち上った。
「決着をつけてあげるわ!」
 裂帛の気合いと共に突き出された白銀の穂先が、揺らめくオーラを突き抜け金の鱗粉をまき散らす。
 金を纏った神速の三連撃が鉄錆丸の失った肩口に突き刺さった。
「だーかーら。お前の攻撃は見た目が派手すぎんだよ。そんなんじゃ、敵に勘づかれんぞ!」
 一方、傷口を見上げるヘスティアは巨大な雷槌を肩に構える。
 鉄錆丸の巨大な傷口を前に、ヘスティアは体を捻り遠心力を利用して、精霊力を纏った大槌の一撃を傷口に叩きつけた。
 二人の攻撃が鉄錆丸の巨大な傷口を更に広げる。
『小癪な真似を……、ならば消し炭となれ!!』
 だが、鉄錆丸もなす術なくやられるほど甘くはない。
 怨嗟を含んだ咆哮を上げ、開いた巨大な顎の奥に、全てを焼き尽くす業火を宿した。
「シン姉様、同時……で、お願い……しま、す!」
「ええ、いつでもいいわよ、ルースちゃん」
 しかし、あまりに愚直すぎる反応は、すでに読まれている。
 吟遊詩人の姉妹が再びの二重奏を奏で始めた。
 ルースの涼やかな歌声が、その声に似つかわしくもない重苦しい空気を作り出し、シンディアの竪琴が散らばった歌声をかき集めた。
 収束した歌声は鉄錆丸の直情から、目に見えぬ重圧となり降り注ぐ。
 超重の圧力に顎を塞がれた鉄錆丸は、自らの業火でその口を焼いた。

●弐音寺
「――扉を閉じるよ」
「……そうか、ただ冷気を浴びせたのでは効果が薄いのか」
 ぐったりと賽銭箱に身を預けた泉に、礼を述べ音有・兵真が、得られた情報を元に亜螺架の弱点を読み解いていく。
 冷気が弱点であることは間違いない。だが、それをただ当てるだけでは効果が薄い。
 亜螺架の本体はカビの集合体であることはわかっていた。だが、その強さの源が何かは今まで解明できずにいる。
 ならば、判明した弱点をどう活かせばいいのか。兵馬は静かに眠る泉を見下ろし黙考した。
 壬弥達の尽力で手に入れた亜螺架の一部を口にした泉はこう語った。
 亜螺架の本質は、『結合』と『増殖』であると。
 小さなカビが互いを強固に結びつけることで、あの強大な防御力を手に入れた。
 小さな黴が凄まじい勢いで増える事で、不死身を装った。
「その結合とやらを、阻害してやれば……」
 兵馬は、得られた情報と自らの推察を伝えに、戦場へと引き返した。

●階段
『この程度、すぐに回復してくれる!』
 削り取られた腕の一部を憎々しげに見つめると、亜螺架は体表をざわりと揺らす。
「そんな暇、与える訳にはいかないんだよ!!」
「当然だっ! もう決着を後回しにしたりしないんだからなっ!」
 だが、こんな絶好の機会を逃すわけにはいかない。
 水筒に容れた水を一気に飲みほした神音が階段を蹴り、繋がれた絆の蒼旗を振りかざし天河 ふしぎが石段を駆け下りた。
「喰らいなさい! エレメンタル・サークル・ブラスト!!」
 亜螺架の体を補おうと、細かい黒燐が徐々に結束するを前に、特攻をかける二人の後方から、灰の閃光が幾重にも亜螺架の周囲へ向け降り注ぐ。
「周りの瘴気を取り込ませたりはしないわっ!」
 亜螺架と二人の交錯点を狙って放たれた真名の術は、周囲に漂う瘴気の霞を消し去った。
「僕があの人から受け継いだ絆だ! お前の玩具にされた、あの人から!!」
 灰の閃光が突き抜けると当時に、ふしぎが吠える。
 ふしぎは手に持った旗を、ただ何の小細工もなく亜螺架へと覆いかぶせた。
 攻撃力も何もない、ただの布をただ被せただけ。
「前の戦いで死んだ人達も同じだ! お前には絶対に見えない、それが思いの力だ!!」
 だが、その無意味にも意味があるのだ。
 ふしぎの思いが旗に現れるのであれば、神音の思いは拳に現れる。
 神音は蒼旗に覆われた亜螺架に拳を突き立てた。
「まだ終わらないんだよ! 絶対にお前を倒す!!」
 突き立てた拳が緋色に燃える。
 具現化した闘気が神音の拳を炎に包み、亜螺架の体を幾度となく打ち付けた。
「劫光! 今だ!」
 神音の渾身最後の連撃を前に、ふしぎが再び吠える。
「うおおおおっ!!」
 二人を追って階段を駆け下った劫光が壬弥から託された緋桜を抜いた。
 練力を注ぎ込まれた緋桜は、膨大な熱量を吹き出し、空間を、そして、使い手を焦がす。
 熱気を吹きあげる緋桜に霊白の輝きを纏わせ、劫光は大きく跳躍した。
「もう一度その体、貫いてやる!!」
 狙いは一点。神音の渾身の拳が焼き尽くした左胸だ。
 ほろほろと黒燐が崩れ落ちる一点に向け、劫光は白刃を振り下ろした。
『そんな直情的な攻撃など――』
 しかし、いくら強力な攻撃も、見えていれば容易によける事ができる。
 亜螺架は刀の軌道を見切り、身を翻す――。
「これでも多少の効力はあると思いたいのでござるよ!」
 しかし、亜螺架は動けなかった。
 時を止めて現れた霧雁の手には、何本も結ばれ途轍もない長さになった褌が握られている。
 事前に霊水に漬け、精霊力を満たしていたそれは、鞭の要領で亜螺架の体に巻きついた。
「一瞬で……一瞬でいいのでござる!」
 この程度で完全に封じられるとは思ってはいない。しかし、一瞬であれば――。
 霧雁の思惑は見事に功を奏した。
「うおぉぉ!!」
『ぐぅっっ!!』
 白と黒の力が一点で拮抗する。
 両社の力が激しく灰の火花をまき散らした後、緋桜は亜螺架の体へ吸い込まれた。
『ぐぅ……! こんな物っ!!』
 自らの左胸に深く突き刺さった緋桜の刀身を憎々しげに睨み付けた亜螺架は、使い手を弾き飛ばし、自身に突き刺さった刀身を中ほどからぽきりと折る。
『残念だったな! 貴様等の渾身の一撃すら、我には効かぬぞ!!』
 劫光の一撃は確かに亜螺架を深く傷つけた。だが、それも致命傷には至らない。
『はははっ! 残念だったな開拓者共。お返しだ! 一匹残らず、消し飛ばしてくれる!!』
 亜螺架は込み上げてくる歓喜に身を任せ、吠えた。
「……可笑しいのはこっちの方なんだよ。もう時間は、十分に稼いだ!」
 決定的と思われた攻撃を耐えきり、反撃に転じようとした亜螺架に向け、力枯れるまで拳を打ち尽くし膝を折った神音が笑った。
『何……? ――上か!』
 倒れ込む神音が最後に向けた視線を追った亜螺架が見たのは、階上に現れた爆ぜ五光の砲身であった。
「……次は貴女の番なの。覚悟するの……!」
 霊水で回復したとはいえ、その回復量は微々たるもの。
 吸われ尽した練力を気力でカバーし、水月は毅然と亜螺架に向け言い放った。
『そう易々とやらせると思っているのか……!』
 玲璃が張った結界を破り、生が打ち立てた鉄壁を弾き飛ばしながら、亜螺架が滑るように階段を駆け上がる。
「……遅いの!」
 もう数段も昇れば砲身に届く所で、再び水月の声が上がった。
『くっ!』
 間に合わないと悟ったのか、亜螺架は顔の前に腕を交差させ、防御姿勢をとる。
 しかし、先ほど戦場を穿った精霊光はいつまでたっても亜螺架の身を焦がさなかった。
「へっ、残念だったな。ぜーんぶハッタリだ」
『なん……だと……!?』
 交差させた腕の奥で、恥辱に震える亜螺架の声。
 その声を子守唄に、これまでにない会心の笑みを浮かべた喪越は、疲労に任せゆっくりと倒れ込んだ。


 ほんの数分の出来事であった。
 巨体を誇り、威容を晒し、灼熱を振り撒いた鉄錆丸は、もうそこにはいない。
 極太の精霊光で貫かれ、開拓者達の渾身の一撃を幾度となくその身に受けた鉄錆丸の巨体がゆっくりと傾いだ。
「一気に畳みかけちゃる!!」
 フラウ・ノートが支援から一転、攻勢に出る。
 フラウを囲む様に生み出された無数の氷の刃は、傾いでゆく鉄錆丸の傷口を確実に捉えた。
「紫乃のん! 場所は!」
 氷の刃を傷口へ着弾させながら、フラウは共に支援に回る尾花 紫乃へと声をかける。
「ご、ごめんなさい、この術じゃ護大の位置は探れないようです……」
 紫乃は探していた。鉄錆丸を大アヤカシたらしめる護大の位置を。
 しかし、紫乃の操るアヤカシを探る術では、護大の位置まで特定することは出来ない。
「うんん、紫乃のんのせいじゃない! ぜんぶ、あいつが悪いの!」
 申し訳なさそうに首を垂れた紫乃に、フラウは鉄錆丸にビシリと指を向け断言した。
「だから、紫乃のんも一緒にやっちゃおう! リベンジだよ、リベンジ!」
「は、はいっ!」
 フラウの発破に背筋を伸ばした紫乃は、フラウに合わせ、雷を纏った獣を呼び寄せる。
 氷と雷の乱舞は、仲間達がこじ開け広げた鉄錆丸の穴に次々と吸い込まれた。

 霊水の回復をうまく利用した開拓者達の連撃は止まる事を知らない。
 体の一部を失い、攻撃も封じ込められた鉄錆丸は、このまま成す術なく討伐されるかと思われた。
『蚤どもがああああああっ!!!』
 だが、新参とはいえ鉄錆丸もアヤカシ一位の一角。
 音圧に抑え込まれていた顎を無理やりにこじ開け咆哮すると、残った片翼を羽ばたかせ、傾いだ体を強引に引き戻した。
『燃やし尽くしてくれるっ!』
 ほぼ半身を失いながらも、鉄錆丸は幾度となく不発にされてきた業火を口に蓄える。
「そうはさせないわっ!」
 この反撃に、逸早くショックから立ち直ったユリアが反応した。
 ユリアは再び鉄錆丸の体を駆け上がり、大きく開いた顎に槍を打ち込もうとするが――。
『邪魔だ!』
 鉄錆丸はそれを予測していたかのように、巨大な尻尾を振り回した。
「ユリア!!」
 巨大な尾がユリアを薙ぎ払わんとした、その時、影の様に現れたニクスがオーラを纏った盾で受け止める。
「ぐぅっ……!」
 だが、その盾は巨槌比べ、あまりにも小さすぎた。
 ニクスは、成す術なく吹き飛ばされる。
『骨すらも残さず燃やしてやる。この鉄錆丸に楯突いた事を冥府で悔やむがいい!!』
 尾という新たな攻撃手段を出してきた鉄錆丸が、改めて必殺の業火を口に含む。
「お喋りな大人は嫌われるのですよ?」
 と、緊張感のないその声は上方から。
「まだ少しピリピリするのよ」
『貴様等、いつの間に……!』
 頭の上から響く声に、鉄錆丸は視線を向けた。
 そこには、額の上にちょこんと座る叢雲 怜、そして、並んで腰を掛ける運切・千里の姿。
「おっきい綺麗なお目々なのです。ちょっともったいないけど、潰しちゃうのだぜ」
 ぎょろりと動く鉄錆丸の瞳と視線が交わると同時、怜は何の躊躇もなく魔槍砲を突き立てた。
『ぐおぉぉ!!』
「大きなお口。でも今は食べちゃいやなのよ?」
 苦悶に大きく開いた鉄錆丸の口腔に、千里が降り立つ。
 人など一飲みにしてしまう程に巨大な鉄錆丸の口中で、千里は魔槍砲を構えた。

 二人の突き入れた魔槍砲の先がまばゆい光を発する。
 瞬間、巨大な爆発音と共に黒煙が上がった。
 眼底を砕かれ、喉を焼かれた天を仰ぐ鉄錆丸に、近づく影がある。
「犬畜生へ堕ちたお前に、最早興味はない」
 手に無形の揺らめき湛えた竜哉が、声無く喘ぐ鉄錆丸へ歩み寄った。
「そして、お前が今まで積み重ねてきた、全てを水泡に帰してやる」
 竜哉の言葉、一言一句に反応する様に刀身を伸ばす無形の剣。
「全ての生にひれ伏し、悔いて死ね!」
 身体の何倍もの長さに成長した無形の剣が、鉄錆丸の太い首を切り落とした。


「諸余黒壁囲怨敵封滅!」
 爆ぜ五光に取り付いた亜螺架を、北條 黯羽が打ち立てた黒壁が囲んだ。
「躾のなってねぇ野良犬には、似合いの小屋さね」
 亜螺架を閉じ込めた黒壁に拳を当てながら、黯羽がかかかと笑う。
「なーに、笑っとるんや!」
 余裕に笑う黯羽の背中に容赦のないツッコミをくれた桃李 泉華。
「あー、ほんまうちの年長組は……! キリキリ働かんかいな!」
 黯羽の壁は、亜螺架を封じ込めたわけではない、ただ単に囲っただけ。
 霧散の能力を持つ亜螺架であれば、すぐにでも抜け出すだろう。
「わかってるさね。おら、皆いくぜ!」
 むっと膨れる泉華の頭をわしゃわしゃと乱暴になでつけた黯羽は、仲間達に合図を送った。
 天井のぽっかり空いた黒箱へ、仲間達が一斉に水筒や革袋を投げ入れる。
「それじゃ、祭りを始めるぜ!」
 一際楽しそうに、黯羽が空に向け符を放った。
「気楽に言ってくれるな……」
 黯羽の斬撃に軌跡を追うように飛び出した溟霆は、時を超え、黒壁を足場に大きく跳躍した。
「だが、霊水の力がどれほどのものか、興味はある」
 溟霆は、黒箱の上に漂う無数の水袋を切り裂く。
「見せてもらおうか、精霊の力を。そして、貴様の足掻きをな!」
 黯羽の符と溟霆の刃に切り裂かれた水袋は勢いよく弾け、その中身をぶちまけた。

 船上から続くフレイアの散水よりも濃い濃度の霊水が、箱の中の亜螺架に降りかかる。
「これで霧散もでけへんやろっ! ウチらに付けたツケの借りはきっちりと返させてもらうでっ!」
 泉華の言葉通り、精霊力を秘めた霊水はある種の結界となる。
 濃い精霊力の中では、亜螺架は霧散を使えない。
 極小の欠片へ変化した途端、溶けて消える可能性があるからだ。
『それがどうした! この程度の精霊力で、我を滅する事ができると思うなよ!』
 身を焼く忌々しい雨に亜螺架の苛立ちが益々増加する。
 亜螺架は今までにない程に怒りを露わに、声を荒げた。
「……くくく、いい様だな、亜螺架」
「霊水の雨。猛暑の夏にはもってこいでございましょう?」
 降り注いだ大量の霊水に激高する亜螺架を、月雲 左京と破軍が、黒壁の上から見下ろす。
「両人。敵を刺激するはあまり良い趣味とは言えんでありんす」
 同じく黒壁の上に立つ刃香冶 竜胆がやれやれと首を振っていた。
『……貴様等』
 不快な雨は体を濡らし、矮小な虫どもが、アヤカシの長たる我を笑う。
 亜螺架が沸き起こる怒りを声に乗せ、叫びを上げた。
 鉄錆丸のものにも劣らぬ咆哮は、降り注ぐ霊水を吹き飛ばし、囲う黒壁にヒビを入れる。
『遊びは終わりだ……! 残らず駆逐してくれる!!』
 亜螺架の怒声に、ひび割れた黒壁がついに砕け散った。
「まったくもって同感よのぉ。その癪に障る声、聞き飽きたわ」
 だが、砕け霧散していく黒壁の先には――。

「凍える吹雪よ、彼の災いの刻の歯車を止めよ!」
 椿鬼 蜜鈴の氷術を合図に、術者達の技が一斉に亜螺架へ降りかかる。
 階段の下からは、クリスティ、ノーマ、天藍、青嵐が。
 門からは朝比奈 空、水月、生が。
 陰陽の術が凍てつく息吹を吐き出し、魔の術が凍える吹雪を吹き荒らす。
 夏も盛りの弐音寺の前門は、季節外れの雪に覆われた。

「……これだけ凍らせれば、もう動けないだろう!」
 真夏の雪を切り裂き、破軍が猛進を開始した。
「涼やかな一時、現の夢のようでございますね」
「小生には寒いだけに思えるが」
 風流な景色の中を舞うように左京が跳ね、影の様に音もなく竜胆が奔る。
「……修復はさせん。削れた先から凍らせてやる!」
 三人の幾度となく重ねた刃の乱舞が、亜螺架の身を削り、破片を術者達の冷気が閉じ込めた。

 だが――。

「やばっ! 精霊力が――切れるで!!」
 泉華が薄れゆく精霊力を敏感に感じ取り、大きな声を上げる。
 そう、時間だ。戦場に降り注ぐ夏の日差しは、随分と傾いていた。
「まだ削り切れて――」
 削られ続ける亜螺架を覆う氷の棺に、ひびが入る。
 ヒビは一気に広がり、ついに亜螺架を覆う氷の一辺が砕け散った。
『――よくやったと誉めてやろう。まさか我がここまで追い詰められようとはな……!』
 氷結に熱を冷やされたのか、氷の棺から覗く笑みは、元来の不敵さを湛えている。
『だが、頼みの精霊も貴様達を見離したようだな!』
 精霊力で霧散を押さえつけてこそ、氷結も効果を発揮した。
 だが、その頼みの綱が消滅しては――。
 皆が制限時間に焦り、攻撃を加えていくが、亜螺架は見る間に再生を果たしていく。
「くそっ、追いつかない……!」
 そして遂に、開拓者達の破壊を、亜螺架の再構成が追い越した。
『終わりだ、開拓者共!』
「まだです!」
 絶望にも似た亜螺架の咆哮を、少年の声がうち破る。
「精霊力なら……ここにあります!」
 御調 昴は懐に潜ませていた棘を、自らの魔槍砲の宝珠へと突き立てた。
「僕の力では貴女を消滅させることはできません。だけど、貴女に精霊力を注ぐことくらいはできます!」
 昴は、まだ完全には動けぬ亜螺架に槍の穂先を突き立てると、引き金を引いた。
 凶暴な破壊力を持つはずの魔槍砲は火を吐かない。代わりに、穂先を突き立てられた亜螺架の中に、精霊の蒼光が生まれた。
『こ、この……忌々しい力め……!』
 注ぎ込まれた精霊力は威勢を取り戻しつつある亜螺架の勢いを削ぐ。
 供給された精霊力によって、力の天秤は再び開拓者側へと傾くかと思われた。
 だが、一度再構成された亜螺架の体は強靭で、開拓者達の連携にもその体積を一向に減らさない。
 このままでは、昴の注いだ精霊力も消え失せ、天秤は再び逆倒する。
 しかし、用意した兵装武装の殆どをこれまでの戦いにつぎ込んだ開拓者達に、最後の一手となりうる一撃はもうなかった。

『残念だったな、開拓者共! 我の勝ちだ!!』
 氷の棺に半身を閉じ込められながらも、亜螺架は勝ち誇ったように笑った。
「……勝鬨を上げるのは、我が屍を越えてからにしろ!」
 だが、亜螺架の哄笑を前に皇 りょうが棘を手に立ち上がる。
「古の獣神に宿りし精霊よ。我が身を糧に、顕現せよ!!」
 りょうは躊躇うことなく棘を自らの腕に突き立てると、亜螺架の削られた左胸から覗いた輝きに手を伸ばした。
 それは劫光が亜螺架の中に残した楔――緋桜の刀身であった。
 濃すぎる精霊力が体を犯す中、りょうは抜き身の刃を掴むと、ありったけの練力を注ぎ込む。
「例えこの身が朽ちようとも、貴様だけは必ず討つ!!」
 りょうの練力、棘の精霊力、全ての力を吸い上げ、緋桜が燃え上がた。
『な……んだとぉ!?』
 亜螺架の叫び声を置き去りに、桜色の輝きを放つ刀身がその堅固な体を真二つに引き裂いた。


 二つが四つに。四つが八つに。
 両断された亜螺架の体は、再生を封じる氷の世界の中、開拓者達の手によって切り刻まれていく。
「……これが貴女の力の源泉ですか」
 亜螺架より分かたれた無数の破片の一つにあった凍り付いた護大。
「生ある者の対局――護大。最早、貴女には不要でしょう」
 霜うつ護大に手を伸ばした空は、亜螺架の力の礎であったその根源を引き剥した。

 赤錆色の巨体から立ち上る瘴気の霧は、錐湖から吹く風に流され消える。
 真夏の雪が降りしきる境内は、青黒の結晶の破片で埋め尽くされた。
「……阿業さん、ぱっくんとお願いします。ぱっくんと」
『……今度、うまいもん奢るし』
 霞澄の願い出に、ぶつぶつと文句を垂れていた阿業は、砕け凍った亜螺架を残さず喰らった。

「亜螺架、鉄錆丸、両大アヤカシは倒れた!」
 傾いた陽が朱に照らす境内で、振々が声を張り上げた。
 疲労で立てぬ者、大傷を負った者。懸命な献身を続けた者。
 境内にあった誰もが振々の大声に目を向ける。
「我等の勝利じゃ! 皆の者、勝鬨を上げよっ!!」
 振々の宣誓に、死闘を繰り広げた者達が歓喜の声を上げた。
 勝利を祝い歓声を上げ、陣太鼓が盛大に打ち鳴らされる。
 この勝利の大音声は、夕闇迫る沢繭の街はいつまでも包み込んでいた。