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■オープニング本文 ●沼蓑 その日、叡都は炎に包まれた。 灼熱の嵐が吹き荒れ、劫火が家屋を舐めつくす。 「消火急げ!!」 「ダ、ダメだ! こっちはもう助からねぇ!!」 「いやぁぁぁ!! 中には、中にはまだ子供がぁ!!!」 立ち上る黒煙に逃げ惑い、燃え盛る火柱に追い立てられる人々。 高名な寺にでも飾られて然るべき阿鼻叫喚の地獄絵図が、まさに今、目の前で紡がれていた。 「防衛隊、前へ!! 何としても食い止めるぞ!!」 「第十一弓隊、一斉射! 構えっ!!」 燃え盛る火柱に陽炎が揺らめく。 視界を歪める高熱の炎を前に、兵士達は弓弦を力の限り引き絞った。 額から汗が流れ落ち、目に入る。汗に滲む視界は確かにその巨体を捉えていた。 「目標、大アヤカシ『鉄錆丸』!! てぇええっ!!!」 真一文字に並んだ弓弦が一斉に力を解放する。放たれた矢の一本一本は、それぞれの放物線を描き陽炎を突き抜けた。 『オォォォオオオォ――――!!!』 耳をつんざく咆哮。 弓を取り前線を維持していた兵士達は、獲物を落とし耳を塞ぐ。 それが、彼らにとって生涯最後の行動となった。 鉄錆丸が咆哮と共に放った灼熱の吐息は、50からなる理穴弓隊を一瞬で灰に変える。 炎の嵐は50の命だけでは物足りぬとばかりに、ジルベリアの様式を取り入れた理路整然とした街並みを、その狂熱で包み込んだ。 「十一弓隊、全滅……防衛隊、壊滅です、永眼様……」 隊の司令官であり街の領主でもある永眼の前に膝を折る兵士は、街が置かれている状況を克明に報告する。その声は震えていた。 「……援軍の到着は」 「友禅様から先ほど風信があり、明朝にはと……」 「……無理か」 「い、今なんと……?」 「生き残った住民の避難状況を!」 「は、はいっ! 住民の避難は最優先事項とし、袖端近衛隊による護送が進んでおります!」 突然、怒気を強めた主の問いかけに、兵士は立ち上がり敬礼と共に報告する。 「残存部隊を港へ集結させろ。この街を――捨てる」 永眼は冷静沈着を仮面に被り、領主にとって最も苦汁に満ちた決断を下した。 この日、理穴でも屈指の叡智の都と囁かれていた『沼蓑』は、たった一日で人の住めぬ荒都と化した。 ●河蛹 その日、緑都は漆黒に蝕まれた。 黒き雪が降り積もり、家を、木々を犯していく。 「な、なんだこれ……! 体が……体が!?」 「やめろ! それに触るな!!」 「屋根が……屋根が溶けて……いやぁぁっ!!」 無差別に浸食する黒点は、天から降りてはありとあらゆる有機物を喰らう。 流麗に描かれた絵画に墨汁を垂らしていく様に、緑街は次第にその色を黒へと変貌させていった。 「畜生……俺達では歯が立たないのか……!」 理穴でも有数の武家に仕える兵士として、自らの武勇を磨き自信に変えてきた。 しかし、それがどうだ。今まで流してきた数多の汗と血と涙が、全て無駄であったとこんなにも簡単に悟らされる。 「諦めるな!」 研鑽してきた技の無力を見せつけられ、心折れそうに表情を曇らせる兵士達に、最前線から檄が飛んだ。 「まだ終わっちゃいねぇ! ここで退けば、全てを失うと思え!!」 宝珠の加護を得た巨大な一張が大きくしなる。 肥大した筋肉が支える一矢が指し示す先には、黒衣の女が佇んでいた。 「これは、お前の仕業か……!」 『だとしたらどうする?』 中級アヤカシを一撃で仕留める程の威力を秘めた一矢に狙いを付けられてさえ、黒衣の女は口元に笑みさえ浮かべる。 「当然――倒す!」 気合と共に放った声と共に、弓弦にかかる指の力を抜いた。 宝珠の力と撃ち手の技量を乗せた、渾身の一矢が黒衣に迫る。 『直線的な攻撃など、いくら威力があろうが恐れるものではない』 しかし、女は焦る処か微笑を嘲笑へと変え、その場から――消えた。 「な、に……!?」 標的を確かに捉えたと思った瞬間の出来事に、射手の集中力が瞬間途切れる。 「ぐはっ!?」 直後の横撃。その威力に巨体を誇る射手が大きく吹き飛ばされた。 「真来様!!」 民家の一棟をなぎ倒し止まった主の元へ、配下の兵達が駆け寄る。 「ぐふっ……」 吐き出された空気を懸命に補給しようと口を何度も開閉する主に、癒しの力を持つ兵士がすぐさま寄り添った。 「真来様でもダメなのか……」 「何を弱気、に、なってる……! 俺達が……ぐっ!」 「真来様!!」 立ち上がろうとして再び膝を折った主を、兵士達が支える。 そんな領主として、そして、戦士として模範的な行動を見せる主を横目に、兵士達は互いの視線を交わらせると、無言で頷いた。 「真来様、逃げてください。ここは私達が……例え一瞬だけでも隙を作ります! だから、貴方だけは!」 「何を……馬鹿な事を言ってる!」 「行け!」 救護に当たっていた兵士が、真来の巨体を担ぎ上げ、黒衣とは反対の裏口へ向かい走る。 「ま、待てお前達!!」 「行くぞ! 俺達の最後の仕事だ!」 主の声にも耳を貸さず鬨の声を上げ、倒壊した民家から飛び出した兵士に続き、残った者達も続々と飛び出していく。 外から弓弦を弾くの音が何度も何度も響き渡って――やがて、消えた。 この日、新緑に映える理穴でも屈指の職人達の街『河蛹』は、黒の世界へと塗り替えられた。 ●沢繭 「まさか、こんな形で再会するとは思ってもいませんでした」 「振もじゃ。じゃが、穂邑。来てくれて嬉しく思うぞ」 久しぶりの再会を果たした二人の少女は、懐かしむ暇も惜しむ様に慌ただしく打ち合わせを始める。 沼蓑、河蛹両街から撤退してきた防衛隊の面々は、錐湖の畔で最後に残った街、ここ沢繭へと集結した。 「……人の声がせぬと、ここまで静かなものなのじゃな」 街の住人は既に遠方へと避難させた。残るのは僅かな兵士と、この危機を聞きつけ駆け付けてくれた開拓者達だけ。 大アヤカシを二体も同時に相手どるには、あまりにも拙い戦力。 しかし、今はこれだけの戦力が揃ったことを奇跡と思おう。 振々はもう一度、寺の境内で夜明けを待つ猛者達を見渡す。 そして、月明かりに浮かぶ自分の街に視線を移した。 「……この平和な沢繭が、戦火に」 「振姫様……」 ポツリと言葉を漏らした振々を心配して、穂邑はその顔を覗き込む。 「うぬ? 振の顔に何かついておるか?」 「いえ、何でもありませんっ。気にしないでください……っ」 「ふむ? 変な奴じゃの」 その表情に悲観など無い。あるのは只一つ、街を護るという決意だけ。 穂邑はその意気を感じ取り、振々から視線を外した。 二つの街を滅ぼした元凶の足音は、すぐそこまで迫っている。 長きにわたって続いてきた、人とアヤカシの一つの決着が、また一つ、ここでつこうとしていた――。 |
■参加者一覧 / 柊沢 霞澄(ia0067) / 北條 黯羽(ia0072) / 朝比奈 空(ia0086) / 六条 雪巳(ia0179) / 音有・兵真(ia0221) / 劉 天藍(ia0293) / 柚乃(ia0638) / 鬼島貫徹(ia0694) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 水月(ia2566) / 黎乃壬弥(ia3249) / フェルル=グライフ(ia4572) / 珠々(ia5322) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / 一心(ia8409) / カジャ・ハイダル(ia9018) / 霧咲 水奏(ia9145) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / ヘスティア・V・D(ib0161) / アイリス・M・エゴロフ(ib0247) / フレイア(ib0257) / アリアス・サーレク(ib0270) / ニクス・ソル(ib0444) / 不破 颯(ib0495) / 真名(ib1222) / 朽葉・生(ib2229) / 蓮 神音(ib2662) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 御調 昴(ib5479) / 叢雲 怜(ib5488) / 蓮 蒼馬(ib5707) / ヘイズ(ib6536) / 霧咲 ネム(ib7870) / 破軍(ib8103) / 月雲 左京(ib8108) / 刃香冶 竜胆(ib8245) / 星芒(ib9755) / ジョハル(ib9784) / 戸隠 菫(ib9794) / ノーマ・ビブリオ(ic0100) / 桃李 泉華(ic0104) / 霜月 和葉(ic0122) / クリスティ・ボツリナム(ic0156) / クトゥネシリカ(ic0335) / 白鋼 玉葉(ic1211) / ドロシー・G・マイヤー(ic1247) |
■リプレイ本文 ●沢繭 凪いだ湖面が空を写し取る。 ごく近い未来に起こる出来事を暗示したかの様に、清浄なる水を湛える錐湖は赤く燃えていた。 水都は朝焼けの太陽と共に、最後の日を迎えた。 「夜明けです……」 小高い丘に建つ弐音寺に本陣を置く理穴開拓者連合隊。 顔を赤く染める太陽に目を細めながら御調 昴が細く呟く。 「敵は……亜螺架はまだ来ていない?」 「……まだ感じません。今のうちにやりましょう」 ドロシー・G・マイヤーの抑揚の無い問いかけに、元凶に最も触れ続けた一人である昴が確信をもって答えた。 「じゃ、場所を確保するね。皆、少し下がっててね」 戸隠 菫が瞳を閉じ武僧独特の印を結ぶ。 「精霊さん……この子を守ってあげて……」 願いを口に、菫の印が完成すると地面に六角形の光陣が浮き上がる。 「後二つっ!」 穂邑を取り囲んだ結界を前に一息つくと、菫は続けざまに印を結んだ。 結果、三重からなる瘴気を祓う結界を穂邑の周りに展開させる。 「……ふぅ、これでよしっと。それじゃ後は任せるね。あたしは境内の周りにも結界を張ってくるから」 ポリポリと豆をつまみながら、菫は足早に境内と森の教会へと走って行った。 「おっけっ! それじゃ、やっちゃうね。穂邑さん、いいかな?」 菫の背を眺めていたクトゥネシリカが、結界の中で所在なさげに佇む穂邑に向き直る。 「は、はイッ!」 「そんなに緊張しなくても、きっとうまくいくって」 小隊【星空に伸ばす手】の面々に囲まれ、緊張に声を裏返す穂邑を、星芒は微笑ましく見つめる。 「ちょっとチクッとするかもしれないけど、我慢してね?」 美しい光彩を持った棘を右手に携え、クトゥネシリカが穂邑の前に立った。 棘は朝焼けを受け、赤く輝きを放つ棘を前に、ごくりと唾を飲み込んだ穂邑は小さく頷き瞳を閉じる。 「よろしければ、僕の棘も使ってください。」 一連の儀式を横目に、昴は手の中に光る棘をノーマ・ビブリオに差し出した。 「いえ、それは貴重な品ですよ。大事に大事にっ」 「……わかりました。でも必要でしたら言ってください」 ノーマの言葉に昴は手の中にある七色の棘を懐へと戻した。 「阿業殿、お手を煩わせる」 『穂邑の為だし、仕方ないし』 ほぼ直角に腰を折り首を垂れる白鋼 玉葉に巨大な体を持つ阿業は不承不承頷いた。 『あれ不味いし……』 「瘴気にも味の良し悪しがあるのだな」 むすっと穂邑を眺める阿業に、玉葉は純粋な関心を示す。 玉葉達、【星空に伸ばす手】の面々は、穂邑の中にある亜螺架の呪縛を精霊力の塊である棘と共に、星芒の技をもって抜き出し、駆逐しようとしていた。 「それじゃ行くねっ!」 【星空に伸ばす手】の面々がそれぞれの役割につく中、星芒が声を上げる。 「不滅不変色即是空、不増不減空即是色――」 複雑な印を結びながら唱えられる真言が次第に力を持ち始めた。 「邪身放逐! 穂邑さんから出て行って!」 星芒は真言の終焉と共に印を結び終えた両手を、穂邑へと突き出す。 それと同時に、クトゥネシリカが七色の棘を穂邑の左肩へと振り下ろした。 「……出ないです、ね?」 ぐっと精神を集中していたノーマが、変化のない事象にふと気を緩めた。 星芒は突き出した両手を穂邑の胸に当てる。クトゥネシリカは棘を肩へと突き立てた。 しかし、いくら時間が過ぎようと、望んだ結果が訪れない。 「もしかして失敗――わわっ!」 そう口にしたクトゥネシリカが、慌てて手を泳がせた。 今まで確かに手の中にあった棘は、輝砂となって指の間から零れ落ちる。 「棘が砂に還ったという事は、蓄えられた精霊力は、穂邑さんの中へ注がれたはず……。だけど何も起きない?」 呆然とする仲間達を前にドロシーは瞳を伏せた。 「穂邑さん、ど、どうかな? 何か変わった感じする?」 穂邑の胸に当てていた両手をゆっくりと離し、星芒が問いかける。 「ど、どうなんでしょうか……。何か暖かいものが体の中に入ってきたような感じはするんですけど……」 穂邑は申し訳なさそうに頭を下げた。 「うんん!! 穂邑さんのせいじゃないよ! ちょっと、私達の読みが甘かったのかな……」 首を下げる穂邑に、星芒は何度も首を振る。 望んだ事象――穂邑の神代を貪る亜螺架の分身をあぶり出し、封殺する――は起きなかった。 「とりあえず、亜螺架には同化されていなかったことは証明できたんだし、良しとしましょう」 計画の不発に落胆する面々に、ドロシーは明るく声をかける。 星芒達の思惑は不発に終わりはしたが、相応の成果があった。 各々はそう自分に言い聞かせ、赤く燃える太陽を見つめた。 ● 日の出より、時は少し遡る。 月に照らし出された家々が、朧の影を引く。 時折吹く湿気を帯びた夜の夏風に砂埃が舞い上がった。 「人払いは済んでいるようですね」 朽葉・生は人気の絶えた家々をゆっくりと見渡した。 袖端の指示により街は人を払い静まりかえっている。 「住民の貴重な財産を利用するのは心が痛みますが……」 「気にする必要はないのじゃ。これでも袖端家は理穴でも屈指の氏族。戦後に手厚く補償するのじゃ」 そんな、生の心配を払拭したのが自信に満ち溢れた少女の声だった。 「そうでしたね。心遣い痛み入ります」 隣を悠然と歩く振々の自信あふれる表情に、生は口元を緩める。 「では、計画通り、理穴の兵士の皆さんにご協力をお願いいたします。水路を埋め立てる場所は――」 ぼんやりと煙る月明かりの元、振々は沢繭の地図を覗き込む。 「ふむ、了解じゃ。確認じゃが、壊れてからでいいんじゃな?」 「ええ、水路にかかる橋が破壊された時の応急手段です。破壊されてから対応を練っていたのでは遅いですから」 「心得たのじゃ。兵達にはしかと伝えよう」 「ありがとうござまいす、お願いいたします」 早速と兵達の元へと向かう振々の背に向け、生は小さく微笑んだ。 一方、すでに作業を開始している者達もあった。 「――この水路を塞ぎます」 理穴の兵達は、霧咲 水奏の指示に、長い渡し板を細い水路へと並べていく。 「てきぱき〜、手際がいいね〜」 さすがに訓練された兵士達の動きは統制がとれており、作業が早い。 水奏の横に立つネムはその作業っぷりに感嘆し、見入っていた。 「これなら夜が明ける前に終わりそうですね」 水路と空を交互に見やり、水奏は胸を撫で下ろす。 「……もうこれ以上、この国を荒らさせるわけには参りませぬ。ここで、決着を……」 「みかママ……」 作業を横目に静かな決意に拳を握る水奏を、ネムが見上げた。 「ママの大切な故郷、ネムも頑張って守るから。もう、悲しい顔、させないから。だから、ね?」 握られた手に添えられた暖かく小さな手。 視線を少し横に移せば、そこには最愛の娘の屈託のない笑顔があった。 「……ふぅ、そんな怖い顔をしていましたか?」 「ふぇ〜?」 「いえ、何でもありません。そうですね。ここはネムにとっても大切な場所になるものです」 「ママ〜……」 「勝ちましょう。必ず」 「うん〜!」 熾烈な戦いを前に、何よりも力となる母子の絆が、今笑顔で結ばれた。 水月は一人街を巡っていた。 静けさが支配する夜の街には、他で作業する者達の声が時折流れてくる。 「……この静けさがずっと続けばいいのに」 か細く漏れた願いは吹き抜けた一陣の夜風にかき消された。 水月は人の気配の消えた家々を見渡すと、こくりと一つ頷く。 「――」 始めは小さく、次第に大きく。澄んだ水音の様な歌声が静けさに沈む街へと溶けていく。 歌は精霊と心を通わせるという。 水月は姿も見たこともない精霊という存在をすぐそばに確かに感じながら、瘴気を祓う清浄なる歌を紡ぎあげた。 ●空 朝焼けは空を赤く染める。 朱と白と灰が混じり合った雲が視界を流れていった。 「――来た!」 遠望鏡を覗き込むジョハルが空の彼方に赤点を捉える。 「よし、太陽を背にして行くぞ! 僚船に伝えろ!」 対象――鉄錆丸は、清浄な水を湛える錐湖の上空に翼を広げていた。 まだ距離も遠く相手からこちらは見えていないだろう。黎明は伝声管から響くジョハルの合図に素早く対応する。 「いよいよ決戦だね。特別の因果があるわけでもないけれど、あの子達の未来に残る不安は一つでも潰さないとね」 肉眼でも捉えられる程に大きくなってくる『的』を前に、ジョハルの決意は風に溶けた。 「合図が来たわね」 黎明の高速船に一歩遅れ、ユリア・ヴァル達の乗る装甲船も鉄錆丸の姿を捉えた。 「こちらも迎撃準備に入るぞ! 足の遅さは地の利で補う!」 舵を握るカジャ・ハイダルが舵輪を面舵に切ると、船は船首を右へと傾ける。 右手には赤に染まる大きな雲。 カジャは飛行船と鉄錆丸との射線上に雲を置いた。 「今のうちに……!」 姿を隠した事で生まれた時間を有効に、フラウ・ノートとイリスは幼馴染の仲間達に補助効果のある術を施していく。 「カジャ、タイミングは任せるわ。私達はいつでも行けるから!」 ユリアはカジャへ合図を送ると共に、隣で影のように佇む大きな背に身を預けた。 「怖いのか」 「まさか」 「……そうか」 「そうよ」 互いに顔色を伺う事はしない。ユリアはニクスと言葉少なに大きな背に額を付ける。 と同時、雲の向こうから爆音が響いた。 『第一腹翼をやられた!』 「飛行に支障はないだろう! 旋回は腕でカバーしろ!」 伝声管から伝う被害報告に、黎明はすかさず指示を返す。 「くそっ、なんて射程だ」 黎明は口腔に炎を燻らせる鉄錆丸を憎々しげに睨み付けた。 彼我の距離はまだ100m以上は開いている。しかし、脅威となる炎の息吹はその距離など物ともせずに迫ってきた。 「うろたえるでないわ、若造!」 鬼島貫徹の一喝に黎明は目を見張った。 「あれは威嚇よ。この距離でまともに当てようなどと、奴も考えてはおらん」 高速で回避行動をとる飛行船の甲板の上でさえ、不動の仁王立ち。 厚顔不遜を体現し、貫徹は徐々に距離を詰める鉄錆丸へと向き直る。 「億万のアヤカシの長ともあろうものが、哀れ」 失った右の眼の奥に憐れみを湛え、貫徹は巨大な翼を羽ばたかせる火竜を睨み付けた。 「誰に仕える事もないからこその大アヤカシ。力でも技でもなく、ただその誇り高さこそが長たり得る所以。鉄錆丸よ――」 すらりと抜き放った金色の太刀で鉄錆丸の巨影を切り捨て、貫徹ははっきりと言い切った。 「他人に首を垂れた時点で、貴様は只の火吹き竜へと成り下がった!」 「おぉ……おじさん、かっこいーっ」 わははと鉄錆丸に向け大笑いをかます貫徹に、穂邑の朋友【誓】へと姿を似せた柚乃が感嘆の声を上げる。 「でも、あっちは聞いてないみたい……?」 と、その小さな指で指示した鉄錆丸の口腔からは再び赤熱の煙が上がっていた。 「まずい、回避しろ! 次は当ててくるぞ!」 黎明が伝声管へ向け叫ぶ。 「あれだけの攻撃を連続で撃てるのか……」 「……感心してる場合じゃ、無いと思うんだ……!」 獣の照準から望む鉄錆丸の性能に驚愕を隠せないジョハルを横目に、柚乃は即座に呪を紡いだ。 言葉が力を帯び、杖が魔力を練り上げる。 「来るぞ!」 黎明が甲板の開拓者達に向け発した声と同時に、鉄錆丸から放たれる凶大な火球。 そして、柚乃の練り上げた氷の嵐。 ゆるい放物線を描いて迫りくる火球を柚乃の放った氷嵐が包み込む。瞬間、膨大な水蒸気と共に爆音を上げ破裂した。 ●沢繭 空で炎と氷が交錯する頃、地上でも戦いの火蓋が切って落とされていた。 「……何もない場所を観光していてもつまらんだろう。俺が、相手をしてやる……!」 散策する様に街に無為の死をまき散らす亜螺架に、破軍が斬りかかる。 内に眠る野性を解き放ち、ただ本能のままに獲物を振り下ろした。 『拾った命を無駄に散しに来たか』 裂帛の気合いを込めて振り下ろされた炎の魔剣の一撃にも、亜螺架は表情すら崩さない。 その体に届く寸前に『鋼体』によって阻まれた剣を払いのけ、体勢を崩された破軍に向け腕を振り上げた。 「連れが無粋な真似を致しました。わたくしが代わってお相手いたします」 その振り上げた腕を狙って、月雲 左京が紅太刀を薙いだ。 『何匹来ようが無駄だ』 だが、左京の一撃もまた腕に展開する『鋼体』弾き返された。 「各々、別々の場所を狙っても埒があきんせん。狙うは一点突破」 刃香冶 竜胆は、弾かれた左京の体を受け止めると共に、自らの獲物を抜き放つ。 「破軍殿、狙いを」 破軍は再び走り出す。先ほどにも増した野獣の如き気合いを持って、渾身の一撃を亜螺架の肩へと振り下ろした。 しかし、結果は変わらない。破軍の刃は亜螺架の体表に阻まれる。 『学習もできぬ、猿が』 「……凶猿を舐めるなよ」 「まだ御釣りをお返ししていませんでした。貴女様に頂いた『印』、利子をお付けしてお返しいたします……!」 続いて左京。破軍の刃に合わせるように紅太刀を振り下ろした。 魔剣と紅太刀が交錯する瞬間、火花を散らすより早く破軍は剣を引く。 「あと、わたくしは猿ではありません。あしからず」 「左京、挑発に乗りすぎでありんす」 ムスッと不機嫌に頬を膨らせながら刀を退いた左京に代わり、竜胆の黒刃が振り下ろされた。 刹那の合間すらも埋める三つの刃は、的確に亜螺架の一点を打ち据える。 そんな、仲間達の連携を前にじっと後方で事を見守る二人がいた。 「加勢に行かなくてよろしいのですか、桃李様!?」 目の前で繰り広げられる戦闘に、霜月 和葉とハラハラと視線を彷徨わせる。 「うちらは後衛や。のこのこ出て行ってやられでもしたら、誰があの子らの面倒見るんや」 そんな和葉を落ち着かせるように、桃李 泉華は静かに語り掛けた。 「で、でも、このままじゃ破軍様も左京様も竜胆様も……!」 三人の熾烈を極める攻撃は、刃の旋風となって亜螺架に振り下ろされ続ける。 しかし、受ける亜螺架はそれをまるで涼風にでも吹かれているかのように、まるで意にも介さない。 「ええねん。これでええねん……」 和葉の心配は痛い程にわかる。いくら修羅と言え、これほどまでに後先考えない攻撃を繰り返していては、すぐに消耗してしまう。 だけれど、今これをやめる訳にはいかない。それがこの戦いが始まる前に交わした約束だから。 「やけど、絶対に死なせへん……! 和葉さん、力貸して、な?」 「は、はいっ!」 先陣を切った破軍達【護法十二天】の面々の奮戦は、もちろん考えなしの特攻ではなかった。 出し惜しみなしの全力攻撃を目くらましに、亜螺架の行動を封じるある策が動き始める。 『どれ、一分程は斬れたか?』 泉華の予測通り、【護法十二天】三傑の攻勢を受けても亜螺架の表情から薄い笑みが消える事は無かった。 「……そうか斬れるのか。いいことを聞いた」 亜螺架の薄笑に対抗する様に、破軍が不敵な笑みを浮かべる。 瞬間、無限に続くかと思われた斬撃の嵐が、突如として止んだ。 「……だが交代の時間だ」 『なに……?』 破軍達三人が一気に飛び退る。 『逃がすと――むっ』 三人を逃がすまいと伸ばされた亜螺架の腕が、不可視の壁に拒絶された。 「……それはこちらの台詞です」 『これは……結界か』 声に振り返った亜螺架が見たのは、巨大な番傘を支えこちらに強い意志を向ける柊沢 霞澄。 そして、劫光、ヘイズの兄弟がそこにあった。 『あのケモノの技か。小賢しい』 亜螺架はこの状況を作り出した技の使用者を思い出し、初めて表情を陰らせた。 三人は存在の全てを消す吽海の能力を利用し、【護法十二天】の無為とも思われた特攻を隠れ蓑に亜螺架に接近。 【幽傘】大辺根を大地に突き立て、亜螺架をその結界内へと封じたのだ。 直径にして5mほどの空間に、亜螺架と三人がひしめき合う。 「外からの援護はさせません」 展開した結界の外周にいくつもの火柱が上がった。 亜螺架の周りに漂っているであろうカビ片を全て焼き尽くそうと、フレイアが放った灼熱であった。 「その小さな結界内が貴女の墓標となるでしょう」 そう言い放ったフレイアの向ける視線の先には、結界内で亜螺架と相対す兄弟の姿。 「ヘイズ、行くぞ! 全てを燃やし尽くす!」 「ああ、当然だ!」 『何の真似だ? こんなものは我に効かぬと何度試せばわかるのだ、愚か者が』 大量の酒精を振りかけられた亜螺架は、嘲笑と共に落胆を口にする。 傘の中央で懸命に結界を支える霞澄をちらりと横目に見ながら、ヘイズが陰陽符を火へと変化させた。だが――。 『聞こえなかったようだな?』 火種を酒精に放つよりも早く、ヘイズのわき腹から白い手が生える。 「ヘイズ!? くそっ!!」 赤い染みを広げる弟の背中を前に、劫光が真白の力を宿した黒刃を振り上げた。 水月や他の仲間達の尽力により、沢繭の街はかつてない程に精霊の力を強めている。 劫光はその力を借り膨らませた剣撃を亜螺架へと振り下ろした。 『敵の策の中で踊るというのは、あまりいい気分ではないな』 しかし、亜螺架は自身にしてみれば凶刃にも等しい劫光の剣を一瞥すると、その持ち手をあっさりと掴み上げる。 『いい気分ではないといっただろう』 そして、そのまま膂力だけで強引に方向を変えた。 骨が折れ、肉が裂ける。気絶するほどの痛みが劫光を襲った。 「……くは……はははっ!」 『……何が可笑しい』 だが、刀ごと腕をねじり上げられ苦痛に歪む顔で、劫光は笑った。 「こんなに痛ぇ演技はもう二度とやりたくねぇな。なぁ、ヘイズ」 それは苦痛か笑みか。口元を釣り上げた劫光にヘイズも倣う。 「「やれぇ! 颯!!」」 そして、兄弟同時に声を上げた。 亜螺架の左腕はヘイズを貫き、右腕は劫光の腕を掴んでいる。 亜螺架は――無防備だった。 『……なんだこれは』 突然感じた痛覚に、亜螺架は劫光の腕を放り投げ、ヘイズから腕を抜く。 そして、自らの腹部に視線を落とした。 亜螺架の腹に空いた極小の穴。 劫光の体を通し放たれた不破 颯の矢は、袖端の家宝『竜の髭』の力を借り、亜螺架の体を貫いた。 「非道は承知! だが、ここまでしなくては勝てぬ相手だろうぉ!」 流儀に反する行為を躊躇いもなくやってのけた事に、この戦に臨む颯の覚悟が伺える。 絶対的な防御力を誇っていた鋼体をいとも容易く貫通せしめたその攻撃は、亜螺架に小さくない隙を作った。 「これで……どうだ!!」 腹に亜螺架とは比べ物にならない穴を開けられたヘイズは、気力を振り絞り懐から棘を取り出す。 ヘイズは七色に輝くそれを、亜螺架の横腹に空いた小さな穴へと差し込んだ。 刹那、棘が亜螺架の内部で膨大な光を発する。 一瞬の閃光が辺り一帯を覆った。 「倒した、んですか……?」 閃光に焼かれた眼も次第に色を取り戻している。 亜螺架と対峙する者達のフォローを買って出ていたフェルル=グライフは、光の爆心地に目をやった。 結界を維持する真紅の傘の下、ぼんやりと浮かび上がってくる黒い影。 光に食われたのか、左半身を丸ごと失った亜螺架であった。 『くくく……今のはなかなか良い策だったな。背筋に寒々しいものを感じたのは初めてだ』 「……え? うっ!?」 半身を消し飛ばされた亜螺架は半分しかない口で不敵に笑い、残った右手で霞澄の首を掴むと軽々と持ち上げた。 『だが、詰めが甘い』 ゴキンッ――。 亜螺架の腕を離れた霞澄が、どさりと地に横たわる。 「柊沢さんっ!」 急転する事態に、フェルルがいち早く反応した。 即座に結界内へと踏み込んだフェルルは、亜螺架と霞澄の間に割って入る。 「ふしぎさん! ここは私が引き受けます! 柊沢さんをっ!!」 「う、うん!!」 まだ息があることを確認すると、フェルルは天河 ふしぎを呼んだ。 「真名さん、お二人をお願いします!」 「わ、わかったわ!」 時を止めたふしぎが霞澄を回収し、真名が大怪我を負った劫光とヘイズを亜螺架の元から引きずり離す。 「捕まるヘマはしないようにとは言ったけど、誰も怪我しろなんて言ってないわよっ!」 「はは……すまん……」 「馬鹿ッ!」 頬の一つも張ってやりたいのをぐっとこらえ、真名は懸命に二人を引きずって行った。 「ごふっ……」 「霞澄!? しっかり……しっかりするんだぞ!」 手の中で零れ落ちようとする命を呼び止めようと、走りながらも必死に声をかける。 「すぐに回復してもらうから! だから、死んじゃだめだ!!」 ヒューヒューと呼吸と共に漏れる声を聴きながら、ふしぎは穂邑の元へと全力で駆けた。 ●上空 二艘の船と巨竜の戦いは、沢繭の上空へと差し掛かった。 「消火急げ! 墜ちたいのか!」 黎明の船【レア】の甲板は、乗組員総出の懸命な消火活動が行われている。 鉄錆丸の初撃は、柚乃の機転でかろうじて直撃を免れた。 しかし、それはただ『直撃』を逸らしたに過ぎない。相反する攻撃を受けた鉄錆丸の火球はその場ではじけ、無数の火の雨となってレアに降り注いだ。 機関部への損傷は軽微であったものの、甲板は火の海と化した。 ジョハルは懸命な消火作業の邪魔にならぬよう、鉄錆丸へと牽制弾を放ち続けるのだが。 「これじゃ、まともに照準がつけられない……」 「ええぃ! これでは埒があかんではないか! 船を寄せぃ!!」 「馬鹿言うな! こんな状況で近付いてみろ! 丸焦げにされるぞ!!」 近接戦闘であれば無類の強さを誇る貫徹だが、空に在ってはその力の万分の一も発揮できずにいた。 そして、装甲船を駆る【幼馴染同盟】だが――。 「あんな図体して、なんてよく動く……!」 馬の速歩程度しか出ない船足では、いくら巨体で鈍重とはいえ自ら翼を有する者に肉薄することは難しい。 思うように距離を詰められず、まともな攻勢に出られぬ甲板上にある者達は苛立ちを募らせていた。 「もっともっと近づけないのですか!」 船の射手にして、遠距離から鉄錆丸と対峙する叢雲 怜。 極限にまで高めた肉体と精神を酷使し放たれる銃弾は、並のアヤカシであれば一撃で屠るだろう。 しかし、鉄錆丸の巨体に対し、その銃弾はあまりにも遠く小さすぎた。 「どうする……このままでは」 船の舳先で盾を構える竜哉が、珍しく焦りを口にした。 こちらの攻撃は届かなくとも、鉄錆丸の火炎は装甲船を捉えている。 幾度となく降りかかる灼熱の炎は、竜哉の盾が生み出す巨大なオーラの障壁が防いでいた。 だが、それも限界を迎えつつある。炎自体は抑えられようとも、熱は突き抜ける。 盾をオーラごと焼く灼熱の吐息は、竜哉の身を徐々に焦がしていた。 「竜哉さん下がってください! このままじゃ身が持ちません!」 紫乃が放つ癒しの光が竜哉に吸い込まれ火傷を消す。 しかし、怪我をいくら癒しても船を守り続けるその重圧は、竜哉の精神を削っていた。 「ここで退くわけにはいかない。俺の後ろには決して消してはならない火があるのだからな……!」 紫乃の言にも頑として舳先を譲らぬ竜哉を、ユリアの盾を担っていたニクスが強引に押しのける。 「……交代だ、竜哉。一人で戦っているのではないと言ったのはお前だろう」 それは確かに自らが口にした格言。 「……すまん」 消え入るような声で答えた竜哉は自分を押しのけるニクスの手に逆らわず、自らの場所を明け渡した。 「ダメだよ、ユリア……遠すぎる」 仲間の盾に守られる中、フラウは瘴気の気配を探っていた。 「どこかに……どこかに何かあるはずよ……!」 ユリアもまた鉄錆丸の動向を、つぶさに観察している。 後方にある者達は、鉄錆丸の中にある護大の存在が、大アヤカシの弱点と推測しその在処を探っていたのだ。 しかし、相手は遠方にあり遠距離による攻撃に終始している。索敵スキルは届かず、目視による観察にも限界があった。 決定的な方針を見出せぬまま、時は悪戯に過ぎていった。 レアの甲板は今だ懸命な消火活動が続いている。負傷を負った者も多い中、救護を続けていた六条 雪巳は何かに導かれるように地上へ視線を向けた。 地上は亜螺架との壮絶な戦い。だが、雪巳の瞳に映ったのは、そこから離れていくふしぎの姿だった。 「あれは、まさか!? 黎明船長、申し訳ない下船許可を! このままでは命を……取りこぼします!」 「今ここでか!? ……ちぃ、地上に降りてる暇はないぞ! 行くなら勝手に行ってくれ!」 ここは戦場、しかも上空だ。こんな時に何の冗談かと黎明は雪巳を睨み付けるが、返された真剣な眼差しに考えを改める。 貴重な癒し手である雪巳を欠く事は戦力の大幅な低下に繋がる。それでも、黎明は許可を出した。 「感謝を……!」 雪巳は自分の意思を汲んでくれた黎明に心からの礼を述べ、船縁から空へ身を躍らせた。 ● 「きゃぁっ!」 負傷した者を護ろうと、オーラの盾で懸命に亜螺架を押さえていたフェルルが弾き飛ばされた。 決定的とも思われた策は破られ、負傷者まで出しても望む結果は得られない。 半身を消し飛ばされてなお、その力は衰えさせない亜螺架が再び進行を開始した。 『む……これは』 だが、開拓者達もまた万策尽きたわけではなかった。 「折角、半分に減ったんだ、もう増えさせはしないさね」 足の再生を待って歩みだした亜螺架は、その一歩で足を止める事となる。 「アヤカシ兵器の核は凍ると一時停止した。その使役者である本体もまた、同様だろう!」 北條 黯羽、クリスティ・ボツリナム達、氷を操る術者が、一斉に亜螺架へを氷撃を見舞ったのだ。 吹き荒れる氷の嵐を相乗させ、強大な嵐へ成長すると共に、亜螺架を飲み込んだ。 「一気にケリをつけるさね!」 黯羽が不可視の悪霊を召還する。 誰の目にも映らぬ死を呼ぶ悪霊は、音も気配もなく亜螺架へと躍りかかった。 「その身を一息に滅ぼせぬまでも、削ることは可能でしょう」 朝比奈 空が呼び出した精霊の灰は、寸分たがわぬ精度で亜螺架の在った場所を捉える。 この好機を逃すまいと、亜螺架に対する者達は持てる力の全てをかける勢いで、容赦のない攻撃を加え続けた。 空や黯羽に【護法十二天】の面々、さらに加わった一斉攻撃を受け、亜螺架の立っていた場所を灰塵爆炎が覆い尽くす。 「やりましたか……?」 指揮陣を敷いた昴が黒煙立ち込める中心点へ目を凝らした。 煙は徐々に風に溶け薄らいでいく。 「消し去ってなお油断できぬ相手です。決めつけは尚早でしょう」 噴煙の中にぼんやりと何かの輪郭が浮かび上がるを前に、空は錫杖を握り直した。 『……くくく、これは面白い』 晴れた噴煙の中から現れた亜螺架の手には、奪い取った大辺根が握られている。 『もしやと思ったが、瘴気をも力にするのか。人間が作った道具にしては使えるな』 霞澄が張った不可視の結界とは明らかに異質な、薄紫色の可視結界が亜螺架を覆う。 性質転換した結界が、開拓者達が放った精霊力を主とする攻撃の尽くを弾き飛ばし、瘴気を主とする攻撃の威力を殺したのだ。 『さて、人間共よ。面白い策を見せてもらった礼をせねばな』 失った半身を徐々に蘇生させる亜螺架の嘲笑が、沢繭に響き渡る。 『鉄錆丸、交代だ。小煩い蠅どもを焼き払え』 『御意に』 亜螺架の命令に、鉄錆丸は翼を畳み、轟音と共に地上へと着地した。 そして、地上にあったはずの亜螺架の姿が忽然と姿を消した。 ● 対亜螺架を想定し準備していた地上にあった開拓者達は、この交代劇に完全に虚をつかれた。 鉄錆丸が地上へと着地した衝撃は、その場にあった者達の足元をすくう。 地響きに体勢を崩す開拓者達に向け、鉄錆丸は巨大な咢を開いた。 巨大な咢の奥に揺らめく灼熱の息吹は、体勢を崩され動けぬ者達へ容赦なく降りかかった。 「ぐぅ……ぁ……」 志体持ちでさえ一瞬で灰にするほどの超高熱の息吹に晒され、戦場のあちこちで開拓者達が苦しみにのたうつ。 「桃李様!?」 「無駄口はなし! 急いで治療するでっ!」 何とか直撃を逃れた和葉や泉華達、癒し手は懸命の施術を行うが――。 「つ、次が来ますっ!!」 「なんやてっ!?」 和葉が悲鳴にも似た叫び声をあげた。 鉄錆丸は既に次の息吹を吐き出すため、再び大きく咢を開けていた。 「皆さん、伏せてください!!」 二発目の息吹が開拓者達へ向け吐き出される、まさにその時、後方からアルマ・ムリフェインの声が響く。 アルマは鉄錆丸の元へと駆け寄りながらも、肩にかけたバイオリンを爪弾いた。 「間に合って……! 響け、力の重!!」 鉄錆丸の喉が赤く灯る。アルマは奏で上げた重低音の着点を、鉄錆丸の上顎に定めた。 開かれた上顎はアルマの奏でる弦の響きに潰され、吐き出された吐息の威力は半減される。 鉄錆丸の地上降下に対応できたのは僅か三人。 三人は、鉄錆丸が地上へと降下した際の追撃を受け持っていたのだ。 本来の目的とは異なるが、それが図らずも地上の者達を助ける結果となった。 「順番は変わってもやることは一緒! いくよ!」 その一人、リィムナ・ピサレットが時を超える。 止まった僅かな時の中、リィムナは冥府より悪霊を召還した。 時が動き出すと同時、召還された不可視の悪霊が鉄錆丸へ両手を広げた。 「山喰も仕留めたあたしの取って置きなんだから!」 確かな手応えと共に、リィムナが再び時を止めようとした、その時。 「危ない!」 リィムナのいた場所を灼熱の息吹が薙ぎ払う。 一心の声が一瞬でも遅れていたら、真面に喰らっていた。 「図体ばかりじゃないのね……! なんてタフなのよ!」 必殺ともなりえる一撃を受けてさえ、鉄錆丸は平然と間髪いれぬ反撃を見せる。 リィムナは一時距離を取り、後退を始めた仲間達を見やった。 「流石に大アヤカシ。一筋縄ではいきませんね」 一心は味方の状況を冷静に分析する。 ここにある者達は力の殆どを対亜螺架に特化してある。しかし、対峙しているのは巨竜鉄錆丸。 まともにやりあってさえ勝利できるか五分と五分の状況であるのに、こちらの大半は既に手負い。 「撤退しましょう。このままでは全滅します」 一心のこの決断に異を唱える事の出来た者は、この場に居なかった。 ● そして、上空では――。 「なっ!?」 『まさか、連携できるのが貴様達だけの特権だとでも思っているのか?』 鉄錆丸が墜ちたかと思えば、代わる様に現れたのは亜螺架。 瞬間的に距離を越えた亜螺架は、驚愕に目を見開く装甲船上の開拓者達を一瞥した。 『さぁ、お前達が大好きな【各個撃破】と行こうか』 亜螺架が不敵な笑みを浮かべ、歩みだした。 手負いとはいえ、大アヤカシである亜螺架に対するのは僅か九人。 戦場は上空に漂う装甲船の甲板上、逃げ場はない。 竜哉、ニクスが盾を掲げ、ユリア、怜が武器を構えるも、その表情に余裕はなかった。 「くそっ……こう来るか……」 仲間達が亜螺架と対峙する中、ヘスティア・ヴォルフは思考を加速させる。 地上の者達が鉄錆丸に無防備であったように、船上の者達に亜螺架への備えはない。 しかも、鉄錆丸との戦闘により、小隊の盾となる者達の消耗が特にひどかった。 「こうなったら……蒼馬、機関を切れ!」 深呼吸一つ。ヘスティアは覚悟を決め、伝声管に向け叫んだ。 『何を言っている。船を落とす気か!』 程なくして、同じ管を伝い装甲船の機関士を買って出た蓮 蒼馬から返信がくる。 「この狭い戦場じゃ、あいつと真面にやりあう事なんて出来ねぇ!」 『何……?』 「センセー! 言う通りにして! このままじゃ、みんなやられちゃうんだよ!」 その声に答えたのは、義娘である蓮 神音だった。 神音もまたこの状況を打開するにはヘスティアの策しかないと考えたのだ。 『……神音まで。一体上はどうなっている!』 「亜螺架が……あいつが乗り込んできたんだよ!」 『亜螺架だと……! どういう事だ! 鉄錆丸はどうした!』 「鉄錆丸は地上に降りたんだよ……! 神音達はあいつらにしてやられたんだよ……!」 伝声管を伝う神音の声には、隠そうともしない悔しさに滲んでいた。 『……総員、何かに掴まれよ! 機関停止! 』 胸を裂くような神音の思いを理解したのか、蒼馬がそう返したと同時、がくんと大きな衝撃と共に、船はゆっくりと沈んでゆく。 「カジャ! 船を直立させろ! 皆、着水の衝撃に備えろっ!!」 乗組員が船体に食らいつく中、ヘスティアは舵を握るカジャに合図を送った。 重力が船を加速させる。 仲間達の小さな悲鳴も置き去りに、浮力を放棄した装甲船は本来ではありえない速度をたたき出し錐湖の湖面へと突入した。 ● 湖面へと突っ込んだ装甲船は船尾を天に向け、ゆっくりと湖の中へと沈んでいく。 『ふんっ、愚かな』 「随分と余裕ですね!」 装甲船の沈みゆく様を桟橋から見下ろしていた亜螺架の背後から、突如白面の式が襲い掛かった。 『ふん、小賢しい』 今だに隻腕の亜螺架であったが、向かって来る白面の式の首を事もなげに弾き飛ばす。 「なら、これはどうだ」 首を飛ばされ瘴気へと還る白面を隠れ蓑に、白銀の氷龍が桟橋の上を駆けた。 ピキピキと凍り付く桟橋と湖面。 初夏の沢繭を白の世界が覆い尽くした。 「やはり、この程度では小手調べにもなりませんか」 「壬さんの因縁の相手だ。この程度で沈まれても困る」 術を放ち終えてなお戦闘状態を継続させる劉 天藍と御樹青嵐が、冷気の先を睨み付ける。 装甲船を湖に落とし桟橋へと上がった亜螺架を待っていたのは、【華夜楼】の面々だった。 『今度の相手は貴様達か』 自らは桟橋の突端に位置し、相手は陸に陣取る。 本来であれば不利極まる状況にも、亜螺架は不敵な笑みを口元に浮かべた。 「敵に退路はない。一気に決めるぞ!」 眼前の敵を睨み付け、アリアス・サーレクが隊旗を振るう。 その指揮に従いいくつもの戦場を越えてきた仲間達の動きに迷いはなかった。 全てを穿つ槍にも似た戦陣を組んだ華夜楼の面々は、亜螺架へ向け一斉に挑みかる。 「貴様が如何に強かろうと、この世に完全なんてものは無い!」 桟橋を蹴り、音有・兵真が神槍を手に先陣を駆けた。 長い桟橋を一息で駆け抜け、兵真は必殺の威力を秘めた一撃を見舞う。 当然、直線的な攻撃など亜螺架に通用するはずもなく、あっさりと避けられるのだが。 「攻撃一辺倒と思うなよ!」 アリアスがその期を逃さず、即座に陣形を変更した。 剣を足に。 速度を押し上げる陣形の加護を受けた青嵐、天藍が兵真の隙を埋めるように、陰陽術を亜螺架に繰り出した。 「こいつもついでに食らっておけ!」 隙を埋めてくれる仲間達の援護に心で礼を述べ、兵真は神槍を薙ぎ払う。 アリアスの変幻自在な指揮の元、三人の連携が亜螺架を追い詰めていく。 「これなら壬兄の出番はないかもねー」 「だったらこんなに苦労はしてねぇよ」 後方を護る弖志峰 直羽の軽口に黎乃壬弥は苦笑いで返す。 「負けるって事?」 「あいつらは負けねぇ。だが、勝てもしねぇだろうな」 それは今まで亜螺架と向き合ってきた経験から出た言葉か。それとも――。 「珠々、あいつらの事は頼んだぞ」 「え? は、はいっ!」 何の事かと一瞬戸惑いを見せた珠々を残し、壬弥が桟橋へと足をかけた。 ● 突如、亜螺架の目の前に天藍の放った白壁が立ち上がる。 『む』 華夜楼の連携を難なく往なしていた亜螺架が、一瞬止まった。 「最後くらいはゆっくり話でもしたかったが、まぁ、仕方ねぇな」 連携の中に聞き慣れた声が混ざると、蹴り倒された白壁が亜螺架に倒れ掛かった。 「せめて冥土の土産にこれでも見ていけ!!」 踏みつける白壁の上、壬弥は抜き放った赫刀【緋桜】に七色に光る棘を刺す。 『その棘は……!』 棘が徽砂へと還ると同時、明滅を繰り返す緋桜が猛烈な熱を吹き出した。 「うおぉぉぉ! 全てを喰らってその身に変えろ!!」 壬弥は使い手すら焼き尽くす程の強烈な熱を気合でねじ伏せ、大上段に振り上げる。 その時だった――。 『ま、待て! 我の負けだ……』 なんと、亜螺架が地面に両膝を着いたのだ。 「な、何を言って――うおっ!?」 虚を突かれた壬弥の動きが止まった瞬間、足元の床が抜けた。 「なにぃっ!?」 手を着いた亜螺架から続く黒い染みの浸食が、壬弥の足場を奪い、そのまま湖面へと落とす。 瞬間、灼熱を纏った緋桜が湖の水を莫大な水蒸気に変えた。 熱源である緋桜を中心に、辺りは白一色に染まる。 『くくく……あっははははっ!』 視力が意味を成さぬ世界の中、亜螺架の高笑いが響いた。 『やはり貴様達は面白い。殺すのが惜しい程にな!』 亜螺架は、蒸気の霧に紛れ兵真達四人を次々と手刀の餌食としていく。 「みんなぁ!」 そんな霧中の状況を超越聴覚で捉えた珠々が風を纏うと。 「天津風! 私に力を貸してください! 皆を直羽さんの元へ!」 珠々の姿が霧中に消えた。 ● 音だけを頼りに仲間達を救い出した珠々は、霧中の中から響く声を確かに聞く。 『……さぁ、その矮小な思考で考えろ。答えを導き出せねば――死ぬぞ?』 何の事を言っているのかはわからない。だがとても恐ろしい何かがその言葉には込められていると確信できた。 沢繭の街に夏の日差しが照り付ける。太陽は天頂に差し掛かっていた。 |