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■オープニング本文 ●ギルド 麗らかな昼下がり、神楽のギルドへ火急の報がもたらされる。 届けられた一報は、封を解かれぬまま、すぐにギルドの最奥の部屋へと運ばれた。 「……」 書の裏に差出人の名前はない。しかし、封書を受け取った老人は、気にすることなく隙間に小刀を通し封を切ると、書き殴られた文字に目を走らせた。 「……4人じゃと」 書の内容に、老人の普段は穏和に垂れ下がる眉が跳ねる。 「どうやら良い報ではないようですね」 隣に侍る男は老人の小さな機微を見逃さなかった。 「あの6人、失敗したのですか?」 男は眼鏡の縁をくいと持ち上げ、溜息まじりに呟いた。 この男もまた、老人が主導し秘密裏に行った計画を知る数少ないうちの一人だった。 「……どちらとも言えん」 「煮え切らない言い方ですね」 「二人戻った、という事じゃ」 「……なるほど」 「救出すべきだと思うか? 後の4人を」 老人はまるで自問するように、男に聞いた。 「罠です」 返す男ははっきりと、そう断言する。 「……であろうな」 当然そうだろうと、老人もわかっている。 アヤカシが餌である人間を捕えて、ただ生かしておく理由が他に考え付くだろうか。 「すでに殺されている可能性すらあるのです。わざわざ犠牲を増やしに行く理由が見つかりません」 男が言うように、その可能性も決して低くはない。 もしすでに命が絶たれているような状況であれば、ただの無駄足になる。 「だが、生きていた場合はどうする。仲間を見殺しにするか?」 「相手は大アヤカシ亜螺架。多少の犠牲は已むを得ません」 男とてこのギルドという組織に身を置いて長い。 調査に向かった者達の顔も名前もよく知っていた。 しかし、それでも男は感情に流されることなく、正論を口にする。 「……確かにお前の言うとおりかもしれん」 老人は机についた両腕に体重を預け、ゆっくりと頷いた。 「理解いただけて幸いです。では、早速事後の処理を――」 「ならば、亜螺架を討つ機会はいつになるか」 短く締めくくり踵を返そうとした男は、老人の声に足を止める。 「それは……」 今日初めて男が口籠った。 「のぉ、森重。囚われた者には申し訳ないが、わしはこれを機と見る」 「機、ですか」 森重と呼ばれた男の返す声には、どこか期待が含まれているように感じる。 「わしはこう思っておる。――4人は中で『何か』を見たのではないかと。それは我々にとって非常に重要な物になると」 「希望的観測にすぎません」 「かもしれん。じゃが、もしそれを得ているとすれば?」 「改めて調査隊を派遣すべきです」 試す様な問いかけにも、森重はそれが自分の役割だと言わんばかりに淡々と返した。 「情報は生き物じゃ。刻一刻とその姿を変える。4人が持つ情報は、4人しか知りえぬ情報になるじゃろう」 「ふむ……だからこそ、それが必要と」 黙考する森重の頭の中では、情報と仮説が目まぐるしい速度で回転しているのだろう。 「費用は?」 「ギルドが」 「期間は?」 「3日」 「人選は?」 「仲間想いで命知らずな有志達を」 「……」 再びの黙考。 即答される老人の言葉が、森重の頭の中にあるパズルの欠けたピースを補っていく。 「無理を言うて申し訳ないな」 思考の海に沈む森重に、老人はまるで子供の様に首を垂れる。 「――大伴様の無鉄砲には慣れていおりますので」 返す森重の顔にも柔らかな笑みが浮かんでいた。 |
■参加者一覧 / アーニャ・ベルマン(ia5465) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / 劫光(ia9510) / ユリア・ソル(ia9996) / アグネス・ユーリ(ib0058) / フレイア(ib0257) / ロック・J・グリフィス(ib0293) / 无(ib1198) / 真名(ib1222) / 蓮 神音(ib2662) / レティシア(ib4475) / 運切・千里(ib5554) / 玖雀(ib6816) / 霧咲 ネム(ib7870) / 破軍(ib8103) / 月雲 左京(ib8108) / 刃香冶 竜胆(ib8245) / ジョハル(ib9784) / 戸隠 菫(ib9794) / 鬼嗚姫(ib9920) / 桃李 泉華(ic0104) / 紅 竜姫(ic0261) / 鬼咫嶺 臣親(ic0453) / 白鋼 玉葉(ic1211) / 小苺(ic1287) |
■リプレイ本文 ● 「……敵影、なし」 外輪山の隙間に陣取るフレイアは遠望鏡を覗きながら、空いた手で崖下の仲間に合図を送った。 「いいわね、私達の役目は陽動。これだけは忘れないで」 手信号にこくりと頷いたユリア・ヴァルが仲間達を見渡す。 「みんな、あの馬鹿達の二の轍を踏んだら許さないから! 行くわよ。正面、突撃開始!」 「待ってました〜!」 ユリアの号令一過、真っ先に引き金を引いたアーニャ・ベルマン。 堅剛な灰弓から放たれた疾風の矢が、風を纏い一直線の軌跡を描いた。 「ここを歩いていれば、奇襲を防げます〜」 アーニャの放った矢が削った道は大人が並んで歩けるほど広い。 そして、何より足元の見えぬ不安を完全に取り除いてくれた。 「草の状態であれば安易に掃討できますが、刃や蔦と化されては厄介です。一気呵成に滅するがよいかと」 「同感ね。アーニャ、フレイア。出し惜しみは無しよ!」 灰の草原は、力の繚乱に次々と刈り取られていった。 「感じるか?」 「……うん、じんじんするんだよ」 仲間の後を行く竜哉と蓮 神音は、積極的に陽動に参加せず、何かを確認しながら進んでいた。 神音がカルデラの中央、内輪山から吹き上がる噴煙を睨み付けながら頷く。 「……少し『視る』ぞ」 「う、うん」 恥ずかしそうに目を閉じる神音を、竜哉は特殊な眼鏡でゆっくりと眺めた。 「……視えない、か」 しかし、神音に巣食うであろう黒の瘴気はその気配は見えない。 「仕方ないな。蓮、斬るぞ」 「う、うん……ええっ!?」 突然、光刃を虚空から呼び出した竜哉に、神音は引いた。 「痛くはないし、すぐに済む」 「ちょ、ちょっと待って!?」 光刃を手ににじり寄る竜哉に、神音はずるずると後ずさり。 そして、そんな願いも空しく光刃は神音の首へと振り下ろされた。 「……あれ、痛くない?」 「だから言っただろう。それより、どうだ。感じは変わったか?」 「う〜ん……少しましになったような……?」 「ふむ……効果は、対峙してみてからか。蓮、戦線に加わるぞ」 「え? おっ、了解なんだよ!」 竜哉の実験というのはどうやら終わったらしい。 神音はようやく自分の領分で働きができると、喜び勇んで戦列に加わった。 ●丑寅の口 「始まったみたいだね」 小さく南に見える破壊の嵐を捉えた戸隠 菫は、即座に仲間へ振り返った。 「あそこに……みんな、あそこにいるにゃ! 絶対に助けたいのにゃ、みんな力を貸してほしいのにゃ!」 震える指の先に居るであろう4人の事を思うと、悔しさに震えそうになる。 だけど、今は一人じゃない。小苺は隊の皆に向け、大きく首を垂れた。 「もちろんだよ、その為に来たんだから。みんなだって想いは一緒だよ」 天性の明るさを宿す朗らかな戸隠 菫の声に、小苺は顔を上げた。 「ね。だから、泣いちゃダメだよ?」 「う、うん。ありがと……にゃ」 菫の暖かさに、小苺は思わず零れそうになったものをすすり上げた。 「派手な花火を打ち上げる、よ」 収束する力は、魔装砲の砲身を借り、中空へと放たれた。 「とりあえず、一発目、だね」 着弾し、灰の草原を分解する雷球を満足げに見つめ、運切・千里がこくりと頷く。 「ボクが道を引くから、みんなも続いて」 千里が焼いた場所は、草が刃や蔦に変化しようとも、即座に対応できる程に広い。 側面を突く隊は千里を先頭に進撃を開始した。 生み出された業火が地面を焦がす。千里が放つ雷球と玖雀の繰り出す炎が広大な草原を焼いていく。 「まだだ……まだこれじゃ届かねぇ」 しかし、遅々として進まない掃討に、玖雀は思わずこぼしていた。 「くじゃく、こころが欠けてるよ」 その接近にも気付かないほどに、焦っていたのかと玖雀は声の主を見下ろした。 「だいじょうぶ。ネムがそばにいるよ」 強く結ばれた拳を優しく暖かな掌が包み込む。 「……ああ、そうだな。ありがとうな、ネム」 ここに来て初めて息を吸えた気がした。 玖雀はきつく結ばれた拳を解き、ネムの手に添える。 「ごーこーは、ばかだね」 「ああ、大馬鹿だ」 そして想うのは共通の友人の顔。 二人はその顔を思い出し、釣られるように口元を綻ばせた。 「えーっと、盛り上がってるところ悪いんだけどさ」 そんな二人の間に、こほんとワザとらしい咳を一つ。 「正面隊と、ずいぶん差が着いちゃってるよ」 そう言って菫が指差した正面隊は、すでに3分の1ほどを踏破していた。 ● 『三日か。人間にしては早いな』 亜螺架が楽しげに声を弾ませる。 「……き、さま……何がおかしい……!」 『くくく、気にするな。順調すぎる事に少々驚いているだけだ』 「……貴、様!」 「……破軍、やめ、ろ。傷が……広がる」 亜螺架の安すい挑発に心揺さぶられる破軍を、ロック・J・グリフィスが諭す。 草刃に切り裂かれ灰蔦に囚われた4人は、生きながらにして無力な人柱へと変えられていた。 亜螺架は灰の草原に吹き荒れる破壊の嵐を、愛おしいとすら思える表情で見やる。 「我々を生かしておいたのは、失敗だったな」 こうなってしまえば、亜螺架の呪縛を受けぬばかりか、痛みすら感じない体がありがたい。 「貴様を誅する為の援軍が到着したぞ」 白鋼 玉葉はあえて挑発する様に言葉を続ける。 それが救援に来たであろう者への、間接的な援護になると踏んでの事だった。 『当然だろう、貴様達は只の餌だ。何のために二匹逃がしたと思っている』 しかし、そんな玉葉の揺さぶりも亜螺架に新たな嘲笑を生むだけ。 「なんで、来た……少し考えれば、わかるだろう……!」 視線は固定され、後ろは望めない。だが、音や振動は伝わってくるし何より知った気配がする。 劫光は自戒に歯を軋ませた。 『それが人間という生物の性……いや、限界というべきか』 滲ませた焦りが至高の美酒とでも言わんばかりに、亜螺架は満足げに返す。 「なん……だと……!」 この物言いに破軍が再び吠える。傷口から滲む血など気にもせず、鋭い牙を剥きだした。 『ふっ、負け犬程よく吠える。しばらく大人しくしていろ』 破軍の覇気をあざ笑い、亜螺架はゆっくりと腕を上げる。 「ぐっ……うおぉっ!!」 瞬間、灰の蔦が再び蠢き4人の全身を隙間なく覆った。 ● 紛れるには絶好の曇天に紛れ、救出本隊を乗せカルデラ上空へ向かう。 「もうすぐ上空ね。ジョハル、場所の特定を」 「火口の東側。灰色の草原と尾根との境に近い場所だよ。草原に何かある」 アグネス・ユーリの問いに遠望術に長けるジョハルは、火口付近に在る影を指さした。 「何だろう、繭……? 4つあるし、あの中に囚われているんじゃないかな。あ、ちなみに、亜螺架の姿は見えないね」 「……好都合ね。皆、準備はいいわね?」 ジョハルの報告にアグネスは視線で礼を述べ、甲板で時を待つ仲間へと振り返った。 もちろん、ここまで来て異を唱える者など誰もいない。 「ほな仕上げやね」 「ええ、戦勝の演舞と行きましょ」 そんな仲間達を頼もしく感じながら、桃李 泉華とアグネスは視線を合わせ頷きあう。 アグネスの竪琴が爪弾かれ、曇天に清廉な音を響かせる。 弦の音に合わせ、泉華の猫耳帽子が揺れた。 二人の演舞に力を貰った者達は、重く纏わりつくような湿気を裂き、一斉に曇天へと躍り出た。 ● 上空からジョハルが確認した目的地から内輪山を挟んで正反対の場所に当たる場所を、紅 竜姫は着陸場所に選んだ。 「亜螺架がいるのなら、きっと囚われた者達の近くのはずよ」 救出本隊には相互感知の危険を考慮し、亜螺架の存在を感じられる者をあえて配置していない。 救出対象からは遠くなるが、敵に気付かれずに近寄るには距離がいる。 「アグネスとレティシア、索敵お願いね」 隊の耳となる二人を先頭に、救出隊は慎重に内輪山を迂回していった。 遠方からは絶えず爆音が響いている。徐々に内輪山へと近づくことで相手に威圧感を与えているはずだ。 救出本隊は息を殺し尾根を回る。 「もうすぐのはずなんですけど……ちょっと声かけてみますね」 僅かな音さえ聞き逃さない鋭い聴覚をもってしても、囚われの者達の存在を感じられない。 レティシアは聴覚での捜索をいったん打ち切り、口元にそっと手を当てた。 「あーあー、聞こえますか? 助けに来ましたよ。聞こえたら小さな声でお返事してください」 レティシアはジョハルが目星をつけた場所へと、他の者には聞こえない囁きを飛ばす。 「どう……?」 「……お返事がありませんねぇ。聞こえないのかな?」 アグネスの問いにレティシアは首をひねった。 生い茂る灰の草が邪魔で視覚は使えない。だからこそ音に頼るしかないのだが、それにも反応がない。 「やっぱり目が必要ですね。人魂を飛ばしましょうか」 低く身を屈めていた无が皆に提案した。 このまま近づけば囚われた者達へたどり着けはするだろう。だが、何が待っているのかわからない。一行は無言で頷いた。 「では」 无が印を結ぶと現れた式は小さな虫の姿をとり、灰の草原の中に消えた。 「……全身を蔦に覆われているようです。まるで繭だ」 虫の目を通して視たものを、无は仲間達へ伝える。 「行きましょう。早く助けないと……」 「お待ちを。それは本当に囚われた皆様なのでしょうか?」 声に焦りを滲ませるアグネスに、月雲 左京がゆっくりと声を上げた。 「……ダミーだというの?」 落ち着き丁寧な左京の声に、アグネスは大きく息を吸い込み問いかける。 「可能性のお話で御座います。无様、皆様の姿は確認出来ぬので御座いましょう?」 「わからないですね。囚われの方と面識はありませんが、そもそも姿が見えない」 左京の質問に、无が肯定を示した。 「罠でありんす」 影となり後ろに付き従っていた刃香冶 竜胆が、左京に代わり答える。 「木乃伊取りが木乃伊になってはかないんせん。撤退すべきでありんす」 そもそもこの救出隊に参加した経緯からして、左京の警護なのだ。 少しでも左京に危険が及ぶ事に、竜胆がこれ以上の賛成を唱える訳もなかった。 「申し訳ありません竜胆様。それはできません」 しかし、左京は自らの護衛に毅然と首を振る。 「……わかっていんす。左京の思うように。小生は従うだけでありんす」 清々しいまでの拒絶に、竜胆はなぜか小さく微笑み、すっと一歩引いた。 「ほんま素直やないんやから」 「なに……どういう、事……?」 二人のやり取りを遠巻きに見つめていた泉華が笑いを堪えるのを、鬼嗚姫は不思議そうに眺める。 「なんでもあらへんよ。いつも通り、ゆぅことや」 自分よりも背が高く年上である鬼嗚姫の頭を、泉華はぽふぽふと撫でた。 「む……きお、それきらい……」 頭を撫でられむすっと膨れる鬼嗚姫であったが、泉華の手を振り払う事は無い。 「それでどうします? ここから先は見つかるの覚悟で行かないとですが」 進退を決めかねていた一行に、无は問いかける。 「行くに決まってるじゃない。ここまで来て何もせずに帰ったんじゃ、それこそあいつに合わせる顔がないわ」 髪を結う赤紐をきつく結び直し、竜姫は立ち上がった。 「陽動隊が派手に暴れてくれてる今が好機よ」 「同感さね。同じ策は二度は通じない。少しでも効果があるうちに事を起こすべきだ」 そんな竜姫に賛同する様に、鬼咫嶺 臣親も立ち上がる。 「単純かつ大胆に、救い出して逃げる。こんな簡単な事、あたし達にできないわけがない。違うか?」 臣親は志を同じくする別の仲間達を見下ろした。 「罠であろうが食い破るだけ。なぁ、みんな。そういうの得意だろ?」 臣親の豪快な笑顔に背を押されるように、救出隊は一気に草むらを飛び出し距離を詰めた。 ● 姿を見せこの繭の前に至るまで、障害らしい障害はない。 その事に一抹の不安を覚えながらも、真名達、救出本隊は目的地へと辿り着いた。 「この中に……」 蔦で覆われた繭を前に、真名は息を飲んだ。 「そこにいるんでしょ! 返事をなさい、劫光!」 真名は繭の一つ一つに駆け寄り怒鳴りつける。 4体あるなら数は合う。兄と慕う男が囚われているのは、このどれかなのだ。 「兎に角救出を。少し離れていてください」 縋り付く真名を落ち着かせ、无は顔に当たる部分に魔刀を振るう。 何度も刃を振り下ろし、ようやく開いた口から、ついに劫光達4人の顔が現れた。 ぼんやりと霞んでいた視界が徐々に像を鮮明にする。 破軍は目の前に集った見覚えのある顔を一つ一つ見渡した。 「御目覚めですか破軍様? ……いい眺めで御座いますね」 破軍の顔が覗く繭へ向け、左京が無表情に問いかけた。 「……うぅ……おぁ……」 かけられた言葉の意味も理解できないのか、破軍は小さくうめき声を漏らす。 「破軍様……それ、面白い……?」 囚われ身動きできず覇気もない。見たこともない違う破軍の姿に、鬼嗚姫は純粋に疑問を口にした。 「鬼嗚姫様、きっととても御楽しみですよ」 「いいな……きおも混ぜて、欲しいな」 「二人ともっ、破軍さんで遊ぶのはそれくらいにしぃや! そんなでも怪我人なんやよ!」 反論できない姿があまりにも珍しいからか、遊ぶようにじゃれ付く二人に注意し、泉華は破軍に向けて癒しの風を送り込んだ。 一方、別の繭では――。 「思い知りなさいよ、劫光。これが今まであんたのしてきた事の結果よ」 危険極まりない依頼をここに集った者達は自ら志願した。金でも名誉でもない、ただ人の為に。 真名は目の前で薄く瞳を開いた劫光を見つめ、彼の歩んできた道を振り返る。 自分より他人の事ばかりを想い、自身の事など気にも留めない。 だけど、その行為が人を集め、和を築く。そして、その結果が今この状況を作り上げているのだと。 「う、あっ……!」 「な、なによっ! 折角助けに来てあげたのに、睨むことないじゃない!」 しかし、劫光の鋭い睨みに、真名は思わず目を剥いた。 「あら、劫光。あたしの目の前で可愛い妹分に睨みくれるなんて、どういう了見かしら?」 時と場合を考慮してもなお無礼にも程がある劫光に、とてもいい笑顔でアグネスは微笑みかけた。 「うあっ……ぐぅ……!」 「言い訳は後で聞いてあげる。今は脱出が先決よね。早くそこから出てらっしゃい」 途端、表情を真剣な物へと変えたアグネスは劫光を包む繭に手をかけた。 他の二つの繭もまた、无とレティシアの手によって破られていた。 「ねぇねぇ、阿業ってケモノさんはどこ?」 ロックの繭を壊しながら、レティシアが問いかける。 「……」 全身を乾いた血で濡らし、地面に膝を折るロックが申し訳なさそうに首を振った。 「そうですか……どこ行ったんでしょうね?」 何か胸騒ぎを感じながらも、レティシアはきょろきょろと辺りを伺う。 「うぅ……ぐっ」 「傷が痛むのですか? すぐに回復さんを呼んできますね」 「すみません、こちらを手伝ってもらえますか?」 「あ、はい。少し待っててくださいね」 レティシアは泉華に一声かけ无の元へ。 二人は協力して最後の一人、玉葉を引きずり出した。 「これはひどいですね。これは順番待っている場合じゃないかもです。すぐに泉華さんを呼んできます」 4人の中で最も損傷のひどかったのが玉葉だった。 レティシアはその傷を見るや、すぐさま癒し手である泉華の元へ走っていった。 救出隊が4人を解放していた、そこへ。 「って、どういうこと? 着いちゃったわよ?」 「はぁっ!! って、あれ? ここ、もしかして、ゴール?」 あまりに順調すぎた救出劇に、陽動部隊として出ていた2隊までもが、内輪山へ到着した。 「あ、ええ所に! 回復術を使える人、手伝ってもらえへんやろか!」 駆け付けた仲間に助けを求める泉華に、いち早く反応したユリアとフレイアが傷ついた者達へと駆け寄った。 「隊長! 劫光隊長!!」 「……っ!?」 フレイアの癒しを受ける劫光の胸に、千里が飛び込んだ。 「嬉しいのはわかりますが、それでは傷が開いてしまいますよ?」 絞殺せんばかりに劫光の首に絡みつく千里の腕を、フレイアはパズルを解くようにはずしていく。 「すぐ口もきけるようになるでしょう。もう少しの辛抱です」 「うぅ……」 フレイアの声に見上げれば、苦痛に顔を歪ませながらも懸命に笑顔を作る劫光の顔。 千里はそれ以上何も言えず耳で顔を覆いながら、恥ずかしそうに劫光の服の裾を掴んだ。 「竜姫!」 「玖雀!?」 「あいつは……劫光は無事か!」 「……心配しないでも大丈夫よ。ほら」 優先するものが違うだろうと喉まで出かかって堪えた竜姫が、仲間達に囲まれる劫光を指さす。 「……そうか」 「確認しにいかないの?」 「ああ、いい」 「素直じゃないんだから」 言葉短く劫光達に背を向けた玖雀の口元には笑みが浮かんでいた。 「みんな、作戦は完了よ! 早々にここから離脱するわ! 雨が降る前にね――」 目的は達した。最早ここに用はない。ユリアは再会を喜ぶ皆を戒めるように声を張り上げる。 「待ってくれ……!」 しかし、失血で顔の青いままのロックが、ようやく出せるようになった声を振り絞り、撤退を始める皆の前に立ち塞がった。 「ロックさん、そんな体で無茶ですよ〜!」 今にも倒れてしまいそうなロックをアーニャが駆け寄り支える。 「このまま退けぬ……! ここには、ここには……ぐっ」 「わっ! だから無理だって言ったんですよ〜!!」 「火口だ……そこに、奴の本体がある……! 早く……! 誰でもいい破壊してくれ……!」 顎部の修復を受け、ようやく言葉を発することができるようになった玉葉が、ロックに代わり叫ぶ。 ひび割れた体に鞭うつ玉葉の魂の叫びに、皆が一斉に火口へと振り向いた。 『20か。存外少ないな。もう少し釣れると思ったが』 まるでこの時を待っていたかのように。 白い水蒸気の噴煙から、揺れ別れるように黒い霧が人の像を結ぶ。 「亜螺架……!」 誰が呟いたのか定かではない。だが、初めてその姿を見たものでさえ、その存在を確信した。 『ようこそ開拓者共。歓迎するぞ』 はっきりと視認できる人の姿として現れた亜螺架は、低く静かに声を響かせる。 その出現に、黒鎖に囚われた者達が首筋を押さえ膝を折った。 「貴女様が亜螺架ですか……我らが同胞が随分とお世話になったようで」 「あなたが……破軍様を捕まえたの……? なら、とても強いのね……斬っていい?」 各々が身構える中、真っ先に先陣に立ったのが、鬼嗚姫と左京だった。 「神音だって……!」 経験した事のない不快な痛みに表情を強張らせながらも、神音もまた内輪山の上から見下ろす亜螺架を睨み付けた。 亜螺架が発する不愉快な瘴気の圧力を受けながらも、反攻の覇気を上げる開拓者達。 陽動部隊も加わり20人を超える一団となった皆は、竜哉の戦陣指揮の元、ゆっくりと陣形を整えていく。 『やる気になっているところ悪いが、残念ながら我では役不足だ』 しかし、当の亜螺架はそんな開拓者をゆるりと見下ろし、そして、あっさりと負けを認めた。 「……そんなのしんじると、思ってるの? ばかなの?」 当然、誰もそんな言葉は信じる訳はない。そんな皆の思いをネムが代弁する。 『くくく……信じてもらえぬか。ならば証明しよう』 そう言うと亜螺架が無造作に右手を上げた。 大地が揺れた。 突然の揺れに姿勢を崩されながらも、開拓者達は確かに見た。 この激震を起こした正体が亜螺架のすぐ脇に姿を見せるのを。 「なんだ……あれは」 内輪山の頂上の縁にかかる巨大な赤腕に、冷静を誇る竜哉でさえ声を震えさせた。 「まさか……そんな……あれは……」 赤腕の主は重い身体をゆっくりと持ち上げ、その全貌を晒す。 「鉄錆丸!」 飛鉄にも並ぶほどの巨体を晒す赤き龍王の、その名をフレイアは叫んだ。 『薙ぎ払え』 『はっ……』 低い冷笑と共に発せられた合図に、赤き龍王は即応。 何者をも砕く巨大な咢のその奥に灼熱の息吹を湛えると、開拓者達へ、そして飛鉄へ向け吐き出した。 鉄錆丸が吐き出した巨炎は、空に飛鉄を焼き、陸に草原を原野に変える。 『ふむ……狙いが甘いな』 『……申し訳ありません、亜螺架様』 『まぁ、よい』 絶大な破壊に別段驚く様子もなく、亜螺架は巨大な首を恭しく垂れる鉄錆丸を横目に、再び開拓者へと向き直った。 『さて、我に代わり、こ奴が相手をしよう。なに、落胆する事は無い。成りたてとはいえ、我と同じ大アヤカシだ。存分に楽しめ』 亜螺架の饒舌に開拓者の誰もが絶句する。 「まさか、鉄錆丸を……大アヤカシに……!」 真名の肩を借りる劫光が、吐き出すように呟いた。 「……あの時の……あれはそういう事か……!」 破軍が血の滲むほど唇を噛む。 囚われた4人は、それが嘘でない事を確信していた。 火口で見た赤熱の異形。そして、その火口へ向け投げ入れられた黒い物体。 その全てが、亜螺架の仕掛けた壮大な罠の実態が、今、目の前に現れたのだ。 空から雨粒が零れ落ちてきた。 山頂には亜螺架と鉄錆丸、2体の大アヤカシ。 それに引き換え、こちらの戦力は開拓者が20。それも手負いを抱えての数だ。 更には、完全に亜螺架の術中にはまった結果の状況。この絶望的な状況でいかなる手が打てるか。誰も答えなど出せる訳はない。 ただ、戦う選択肢はない。もし戦えば確実に待っているのは……全滅だ。 それだけは誰しもが理解できた。 「きおと月雲様が……殿を受け持つわ」 「皆様は、どうか撤退を」 殿を買って出た鬼嗚姫と左京にもその事は十分にわかっている。 だからこそこの役を買って出たのだ。僅かな一瞬を作り出すための、もっとも危険で高揚する役目を。 「小生を忘れてもらってはこまりんす」 左京の影、竜胆を加えた3人は、背後で止める仲間達の声にも耳を貸さず、二体の大アヤカシを前に毅然と立ち塞がった。 『時を稼ぐのがたった3匹か。面白い、やってみるがいい』 山肌を駆けあがってくる3人に向け、亜螺架は片手で鉄錆丸に合図を送った。 3人が決死の特攻を覚悟した時、ある別の場所では――。 「まさか、こんな役目をすることになるとはね」 燃え上がる巨大な松明と化した飛鉄の船体がグラつく。 「大伴のじーさん、借りた船、返せなくてごめんな。――総員、下船! 巻き込まれるな!」 火球と化した飛鉄から乗務員を乗せたグライダーが次々と飛び立った。 「……よし、頼んだよ、飛鉄。少しでも皆の為の時間を稼いでくれ」 総員の退船を確認し、ジョハルは最後の仕上げに飛鉄の舵を固定すると、自らもグライダーへと跨った。 「飛鉄が……!」 「落ちる」 救出の要である飛鉄が炎に包まれ落下してくる。 「あの飛行船だ……」 誰もが絶望する中、玉葉だけがそれを機会ととらえた。 「誰か、あれを火口に向けてくれ!!」 玉葉の叫びにいち早く反応したアーニャは神速をもって矢を放つ。 放たれた矢は、一直線に空を駆けあがり燃え盛る飛鉄へと吸い込まれた。 「あなたの行き先はあっち! こっちじゃないですよっ!」 着弾と共に発生した強烈な衝撃により、飛鉄は船首を火口へと向けた。 火口に居た大アヤカシ2体諸共、飛鉄は爆音を轟かせ火柱を上げ爆ぜた。 「今だ! みんな、急いでグライダーへ!」 これを機に救出班は内輪山の裏側へ走る。 「陽動班は全力で走るわよ!」 陽動班は作り上げた道を全速力で駆け戻った。 『ふん、小賢しい。この程度で逃げられると思うなよ』 鉄錆丸任せ、今まで静観を決め込んでいた亜螺架が動く。 瞬時に黒霧となり山頂から姿を消すと、次に現れたのは陽動班の正面だった。 陽動班は正面を塞ぐ亜螺架に急停止。 「くそ……ここまでか!」 立ち塞がった大アヤカシを前に、開拓者達が覚悟を決めた。 もちろん死の覚悟ではなく、戦うという覚悟をだ。 『無駄だ。諦めろ』 各々が武器を取る10人を前に、亜螺架の口元は嘲笑に歪む。 「そんなの、やってみないとわからないんだよ!」 神音が己を奮い立たせるように声を張り上げた、その時。焼かれた荒野に一陣の風が吹き抜けた。 『む……』 突風に瞳を閉じた一行が次に目を開けた時、飛び込んできたのは、隻腕の亜螺架に対峙する巨大なケモノの姿。 「阿業!」 開拓者と亜螺架の間に割って入ったのは、行方の知れなかった双子の片割れ阿業であった。 『吽海、真ん中の三人拾ってくるし』 『……わかった』 阿業はすぐに吽海へと合図を送ると、亜螺架を睨み付ける。 『ほう……もう一匹も面白い能力を使うな。悪食か?』 『お前、クソ不味いし』 『ふん、言ってくれるな。いいだろう、お前から始末してやろう』 対峙したケモノの実力を感じたのだろうか、亜螺架は開拓者達から興味を阿業へと移す。 『そんなところで突っ立ってると邪魔だし。早く行くし』 阿業は開拓者達に振り替える事無く、冷たくそう言い放った。 |