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■オープニング本文 ●とある寒村 「……っ!! くそ、やられた!」 無残に喰い散らかされ、ほぼ骨だけになった牛の死骸に蠅が集っていた。 「これから、田植えだっていうのに、どうしたらいいんだい……」 牛の死骸を前に肩を震わせる夫の横で、女農夫が愕然と膝から崩れ落ちる。 とてもじゃないが裕福とは言えない寒村にとって、牛は貴重な労働力。そして、家々にとって唯一価値のある財産である。 それが今月になって次々と失われていた。 「くそぉ……一体」 農夫は自らがあずかる広大な田んぼを虚ろに見渡す。 水を張り終えた田んぼ。 土荒く残根残る田んぼ。 丁度二色に分かれた田畑は、農夫の呆然などお構いなしに、春の風に揺れていた。 ●民家 「どうしたらいいんだ……」 時折ぱちりと弾ける炭火を虚ろに見つめていた男がポツリとつぶやいた。 「全部食われるまで黙って待ってるしかないのかよ……」 「牛だけで済んだらいいが、な……」 「おいおい! どういうことだよ!」 「そのままだ! 牛を食い終わったら、次は俺達だと言ってるんだ!」 囲炉裏を囲む男たちが座したまま唾を飛ばしていた。 話すのはもちろん、襲われた牛の事。 それぞれに牛を抱え、田畑を管理している農夫たちだった。 「おちつけぇい!」 しわがれた声の一喝に、囲炉裏を囲む男たちの気勢が落ちていく。 「こうなった以上仕方がないじゃろぅ、皆で金を出し合って開拓者を雇うしかあるまい」 皆の心の落ち着きを待って、老人は静かに呟いた。 「金なんて、一体どこに……」 「長老、悪いがうちは子ができたばかりだ……金は……」 さしたる産業もない寒村にとって、現金というだけで貴重なものだ。 それを少ないとはいえ差し出せと言われて、素直に首を縦に振れる訳はなかった。 「皆、今はこの事態を解決せねばこの村は終わる。苦しいとは思うが、耐えてくれ。子達の未来のためだ……」 長老と呼ばれた老人の言葉に、誰しもが閉口するよりなかった。 |
■参加者一覧
水月(ia2566)
10歳・女・吟
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
ルンルン・パムポップン(ib0234)
17歳・女・シ
ヴァルトルーデ・レント(ib9488)
18歳・女・騎
小苺(ic1287)
14歳・女・泰
サライ・バトゥール(ic1447)
12歳・男・シ |
■リプレイ本文 陽が天頂を差し、春特有の暖かく優しい日差しが降り注ぐ。大地は太陽の語り掛けに目を覚まし、新たな命を芽吹かせていた。 土色のあぜ道に増えつつある緑の息吹を、フェンリエッタ(ib0018)が愛おしそうに眺める。時折吹く風が少し癖のある黒髪を撫でつけて流れた。 「春の香り……」 春風が運んでくる特有の香りに、フェンリエッタは無意識に瞳を閉じる。 「暖かくて、心地よくて、なんだか眠くなって……」 そんな彼女に並び、畦道を行くルンルン・パムポップン(ib0234)。 「ほらほら、田圃にはまってしまいますよ?」 歩きながら器用にうたた寝を始めるをルンルンを、彼女は温かく見つめた。 「嵌るのは構わないが、全てを終えてからにしてもらいたいな」 夏も見え隠れする季節だというのに黒一色で揃えたヴァルトルーデ・レント(ib9488)の、言葉にルンルンはふがっと鼻提灯を割る。 「……目的地なの」 後ろから聞こえてくる仲間達の声を、賑やかしくも頼もしく感じながら水月(ia2566)が、村外れの林を指さした。 薄暗く繁茂する林の一点、低木が避けるように分かつ『道』が4人の目的地だった。 「気配はないな」 光と影の境界に膝を折ったヴァルトルーデが、薄暗い林の奥を覗き込む。 「……夜行性という情報に間違いなさそうなの。……篝火を用意しないと」 水月も倣い膝を折り、闇の向こうに蠢く姿なき殺戮者を睨み付けた。 「では私は住民の皆さんの説得と牛の借用を」 フェンリエッタが田畑の間に点在する家々を眺める。 「私もお手伝いしちゃいます!」 春の麗からようやく抜け出したルンルンもぐっと拳を握った。 方角は知れた。後は不測を潰すのみ。 4人は半日後にも起こるであろう戦いに心を移しつつ、それぞれの持ち場へと散っていった。 一方、戦場と定めた水が満たされた田圃では――。 「うっわ……サラにゃ、それは流石のシャオでも引くにゃ……」 柔らかそうな頬をぴくぴくと痙攣させ、小苺(ic1287)が一歩後ずさった。 「……こちらの物は少し水気が多いですね。泥より土の方がよさそうです」 そんな、小苺の事など気にもせずサライ(ic1447)は水音を跳ねさせ何やら捏ねていた。 「うぷっ……」 「そんなに気になるのでしたら、無理に付き合う必要はありませんよ?」 後ろから聞こえてくる嗚咽に苦笑しつつ、サライは手元の作業を続ける。 そこにあるのは、牛の糞。 強烈に漂う臭いなどお構いなしに、サライは糞と土を混ぜ、団子を作っていた。 「シ、シャオも手伝うにゃ! 村の人にとって大切な牛さんを守るためにゃ! こここ、これくらい――うぅ、鼻が曲がるにゃぁ……!」 元来鼻のいい小苺である。意気込みは素晴らしいがやはり、強烈な臭いは体がどうしても受け付けない。 「確かに少し臭いますが、耐えられないほどの物でもありません。これでも僕の故郷では立派な燃料なんですよ?」 「ふにゃぁ……」 と、サライもその有用性を説明するのだが小苺は既にノックダウン状態。へなへなと鼻を抑え地面へとへたり込んでいた。 「アヤカシは人狼と聞きます。鼻もいいはず。きっと役に立ちます」 丹念に得も言われぬ物体を捏ねながらサライは額に浮く汗をぬぐった。 アヤカシによる無残な出来事が起こる村の惨状に、開拓者達は奮起する。 水月は、夜戦に備えアヤカシの死地となるであろう田圃の周りに松明を敷設していく。 フェンリエッタは、安全の為と村人達を説得し、集落で一番立派な家へと避難する様に説得して回った。 ヴァルトルーデは、囮となる牛の選定を行い、村人達に借用の交渉をする。 ルンルンは、アヤカシ達の標的を絞るため、空になった牛舎から牛の痕跡を消した。 サライは、囮の効果を更に高める為、牛の匂いの染みついた敷き藁を、田圃の周囲へ撒いておく。 小苺は、囮の牛に目印の鈴を付け、ゆっくりと田圃へと誘導した。 「大丈夫にゃ、必ず守るのにゃ。だから……少しだけ協力してほしいのにゃ」 小苺の声に首をかしげる牛は、田圃に打ち付けられた杭に結ばれる。 夜行性と思われるアヤカシ達を待ち受ける為の準備は、万端に整った。 準備を終えた一行は静かに待つ。それぞれの思いを胸に、ついに夜が訪れた。 ●夜 虫の音が隆盛を極めるには少しばかり季節が早い。 満天の星空が仄かに地上を照らす。月は出ていなかった。 暖かな昼間とは打って変わって、もう一枚羽織らねば少し肌寒い夜風は、シンとした静けさを湛えていた。 ザザッ――。 粘りつく闇に小さく漂う物音は、葉擦れの音だった。 林から聞こえるそれは次第に音量を増し、深く沈んだ闇は灰色の幽鬼が浮かび上がらせる。 それに反応するかのように、水の張られた田圃の真ん中で縄に繋がれた牛が大きく身じろぎすると同時に、首につけられたカウベルが鳴った。 牛は二度三度と辺りを窺う様に首を振ると、途端、大きく鳴き声を上げる。 悲鳴にも似た鳴き声は、闇に塗りつぶされた地上に鳴り響く。 畜生であればこその率直な恐怖が、鳴き声には現れていた。 トポンっ――。 牛の出す大音響から少し離れた場所で、小さな水音が上がる。 水音はいくつか連続し、次第にその数を増していった。 その水音に触発されるように、恐慌に陥った牛が我武者羅に暴れ、バシャバシャと泥を含んだ水を跳ねあげる。 カウベルをけたたましく鳴らし、唾液をまき散らしながら大音量で恐怖を叫んだ。 水の張った田圃に現れた幽鬼は、水を跳ねあげて暴れる牛を獲物と認識。しかし、一足飛びには襲い掛からず、踏み込む水音を殺しじわりじわりと距離を詰めていく。 暗く沈む闇の中、水音だけが牛と幽鬼の距離を告げていた。 彼我の距離が限りなく零に近づく――その時。突如、闇に火が灯った。 生まれた火種は、闇に蠢く幽鬼を煌々と照らし出す。 「捉えたの……!」 小さな種火を手に生み出しながら、水月は田圃の中で光を嫌う様に上げられた太い腕を確認した。 その数は6。前情報の通り、アヤカシは仲良く三体同時に現れた。 「罠と見破る程の知能はなかったようですね」 声が風に溶ける。波紋の立つ水面を滑るように走る小さな黒影。 畦道より躍り出たサライが、水面を文字通り奔り、光を嫌う三匹の人狼へ向け何かを投げつけた。 闇を裂き投げつけられた球体は、今なお篝火の衝撃から立ち直れない人狼達へ次々と命中し炸裂する。 サライの放った糞玉を顔に受け、拭おうと必死の人狼。しかし、泥は拭えてもその臭いまでは拭い去ることができない。 必死にもがく人狼達に向け、サライに続きルンルンが駆け出した。 「一気に決めちゃいます!」 ルンルンもまた、水面を奔り、人狼達に肉薄する。鍔を持たない無骨な山刀が篝火の光を受け、鈍色に輝いた。 水を奔る速度を借り放たれた山刀の一陣は、最も牛の近くに居た人狼の腕を切り飛ばした。 「どぅどぅ! ってこれは馬用の合図だったかにゃ……? って、とにかくここに居たら危ないのにゃ」 人狼を迎え撃つ開拓者達の伏兵奇襲作戦は見事にはまり、戦闘は開拓者側に有利に進んでいる。 そんな中、この作戦で最も危険で最も重要な役目を担ってくれた牛を、小苺が優しく撫でつけた。 「うん、いい子なのにゃ。さぁ、今のうちなのにゃ」 優しく落ち着いた声に、牛はようやく落ち着きを取り戻す。 小苺は手際よく繋いでいた縄をほどくと、ゆっくりと気取られないように牛を引いた。 『ぐるるぅぅ……』 低い唸り声を上げる人狼達も、ようやく光と臭いに慣れたのか、腕を飛ばされた人狼を庇う様に戦闘態勢を取る。 しかし、開拓者達は戦果に慢心することなく、高速機動をもって人狼達を包囲していく。 だが――。 突如響き渡ったビリビリと空気を震わせる痛烈な咆哮が、開拓者達を一瞬凝視させる。 そして、残った腕を大きく振り上げたかと思うと、勢いよく振り下ろした。 「し、しまっ……!」 サライが叫んだ時には、すでに水面が大きく揺らぐ。 隻腕の人狼が発した咆哮は、開拓者達を釘付けにし、打ち下ろした腕は水面を強烈に叩き、激しい水飛沫と波紋を巻き起こした。 大きく波立った水柱が、人狼達の姿を隠すと共に、戦場に予想外の効果をもたらした。 「このくらいで……! はっ!」 大きく波打つ水面は、その上を走る者の姿勢を大きく崩す。 揺らぐ水面に体を揺らしながらも、ルンルンは手に潜ませてあった細釘を水柱に打ち込んだ。 「……水飛沫くらいで、狙いは逸らさないの!」 篝火による照明を敷設し終え、戦線に加わっていた水月、そしてサライもまた、姿勢を崩されながらも投擲を試みる。 ● 時は少し遡る――。 「暗くて不安かと思いますが、どうか一夜だけの我慢を」 囲炉裏に燻る炭の種火だけが唯一の灯。 「必ず……必ず今夜で決着を付けますから」 声を殺し息を忍ばせる村人達にかけられる声は、どこまでも柔らかい。 外からは激しく立ち上る水音がこの小屋にまで響いてくる。フェンリエッタは外の状況に気を向けながらも、集まってくれた村人達の護衛役を買って出ていた。 「……どうやら来たようです」 フェンリエッタの声が一段低くなる。村人達は思わず肩を震わせ小さな悲鳴を上げた。 「心配しないで大丈夫です。どうやらお借りした囮に食いついてくれたようです」 闇の中では見えなくても声で察してくれる。フェンリエッタは縮こまる村人達に笑みを浮かべる。 「私も行ってきます。ここから決して動かないでくださいね」 それだけを言い残し、フェンリエッタは戦場へ向け、小屋を飛び出した。 ● 「……逃げられるの!」 水月が細い喉を震わせる。三人の投擲は水柱を突き抜け確実に人狼の体を貫いていた。 しかし、すでに残りの人狼は水柱に紛れ水面を蹴っている。目指すのは、闇深き林。 「味方を助ける為に、わざと……!」 水月は遠ざかる二つの影を睨み付けた。 人狼達は早々に襲撃の失敗を悟り、迷うことなく撤退を開始する。その行動を読み切れなかった自分に歯噛みした。 「ここからだと届かない……!」 投擲は既に届かない。しかし、追跡に移ろうにも波は未だ荒く、少しでも気を抜くと転倒、田圃へと足を突っ込むこととなる。 ルンルン達は、投擲に悲鳴を上げ水面に膝をつく隻腕の人狼と、次第に小さくなる影二つを、ただ眺めるしかなかった。 だが――。 『ぎゃうぅんっ!?』 逃げる人狼の一体が悲鳴を上げ吹き飛んだ。 『ぐぅぅぅぅ!!』 そしてもう一体は突如として動きを止る。 一瞬きょとんと目を丸くした三人だったが、すぐにその結果に合点がいった。 「人々の脅威、ここで逃がすとでもお思いですか?」 避難地より駆けつけたフェンリエッタが呪本のページを閉じる。 「気弾命中を確認。これより処刑体勢に移行する」 そして、ヴァルトルーデの持つ死神の漆黒が篝火に鎌首をもたげていた。 退路を断ったのは闇に紛れ包囲網を完成させる為に動いていたフェンリエッタとヴァルトルーデ。 林へと続く畦道に陣取る二人によって、残り二匹の人狼は林への最短距離を失った。 人狼達はすぐに体勢を立て直し戦闘態勢をとるものの、ヴァルトルーデの一撃によりその距離はずいぶんと離れている。 これで得意といわれていた連携を封じた。 フェンリエッタとヴァルトルーデは、お互い目標と定めた個体に向けさらなる追撃を試みる。 「狐九神威の白獣よ、目に映る全てに等しき滅びを齎せ!」 夜闇に響き渡る凛としたフェンリエッタの歌声が、力を帯びた。 可視化された声は輝く神燐を纏い像を結ぶと、ようやく呪縛の解けた人狼へ向け闇を駆ける。 神獣の牙が人狼を噛み砕かんと咢を開いた。だが――。 「え……!」 人狼は信じられない速度で田圃を脱すると、後方へ宙返りすることで式の牙を避ける。 先の呪縛で動きを止めたことで、人狼の足はぬかるみの更に底、固い地盤へと足を付けた。これが人狼に敏捷を発揮させる足場を与えた。 泥水を跳ねあげながら宙を舞う人狼。 「……後ろがお留守番なの」 しかし、飛び退いた先には水月が詰めていた。 水月は人狼が着地するよりも早く、仄かな銀鱗を振りまく闘布を翻す。 闘布は夜空に浮かぶ天の川の様に、闇を照らし静かに、だが確かに人狼の顔を捉えた。 突如訪れた闇の世界に、人狼は受け身も取れず田圃へと転倒する。 「……狐さんを、もう一度!」 そう水月が叫んだ時には、すでにフェンリエッタは詠唱を終えていた。 再び白狐が闇を駆ける。今度は外さぬと、幻の牙を大きく剥いて。 一方、大きく飛ばされた人狼は、土手に背中を打ち付けながらも畦道に着地していた。 すぐに距離を詰めるヴァルトルーデは、 「貴公の処刑執行は既に確定している」 逃げるのを諦め攻撃態勢を取る人狼に、まるで表情を変える事無く宣告した。 左右には水の張られた水田。畦道は人一人分。 橋上と酷似した戦場で二つの影が放つ殺気が膨らんだ。 最初に動いたのは人狼。地面を蹴り彼我の距離を一気に詰めにかかる。 だが、ヴァルトルーデは動じる様子も見せず正面に巨鎌を突き立てた。 「我は鋼。一片の情も持つ事を許されぬ鋼なり――」 鎌は振るい斬る武器。垂直に立ててはその長所をまるで活かすことができない。 それを人狼もわかったのか、大きく振り上げた鋭い爪を大上段に振り下ろした。 「――貴公の処刑を執行する」 ヴァルトルーデの翡翠色の瞳がカッと見開かれる。だが遅い。既に人狼の凶爪は頭部を捉えんとしていた。 しかし――宙を舞ったのは人狼の首であった。 人狼は自分の身に何が起こったのかすら認識できないままに、水田に突っ込んだ。 「処刑を完了する」 ヴァルトルーデは不動。いや、突き立てられた巨鎌の地面につけられていた刃が、今は天に向いていた。それは、まるで夜闇に浮かぶ黒い三日月の如くに。 水田から視線を上げた隻腕の人狼は、両の瞳に映った一瞬の出来事に呆然と立ち尽くす。 「貴方の機転は見事でした」 抑揚の無い声が隻腕の人狼の耳を撫でる。 「しかし、上には上がいる事を死をもって知りなさい」 声に振り向いた人狼には、その声の主――サライの姿を確認する生涯は残されていなかった。 最後の人狼が水田の真ん中で首を掻き切られ絶命する。 三匹の手強い人狼を相手取り繰り広げられたこの退治劇――それは僅か五分足らずの出来事であった。 ● 陽が昇る。 白んだ空に下、戦場となった田圃に集まってくる村人達が見た光景は――。 「もう少しだけお手伝いしてね」 「牛さんも嬉しそうなのにゃ!」 「……こうやるの。んしょんしょ――」 「これが田植ですか。天儀の文化は本当に面白い」 「うわぁん、なんかヌメヌメするのですぅ……」 「蛭だな。血を吸い尽される前に処刑することを勧める」 野良仕事に汗を流す開拓者達の姿であった。 |