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■オープニング本文 ●理穴南東部平原「淵東ヶ原」 もう一月もすれば新緑が芽吹き、一面緑の絨毯となるであろうこの地も今は濃い冬の色を湛えている。 からからと乾いた草擦れの音が寒風に乗って聞こえてきた。 「た……すけ、て……」 木枯しにかき消されそうな小さな嘆願。 「もう、嫌だぁ!!」 足元の下草の様に枯れきった悲鳴。 「うぅぅっ……っ」 流れる涙もすでに枯れ果てながらも続く嗚咽。 絶望が行進している、とは一人の兵士が評した言葉だが、ここにいる者すべてが例外なく同意した。 それほどまでに異様が目の前にある。 人としての姿を保っていながら、人ならざる者達。 人としての自我を保っていながら、死をもたらす者達。 それらが大挙して向かって来る様は、数々の戦場を潜り抜けてきた理穴正規軍ですら、正視に耐えない光景であった。 ● 「敵軍、速度を上げました!」 遠眼鏡を覗き込む斥候が声を上げ、合図の旗を大きく振り上げた。 「敵は国境を越えた!」 冬の冷気を纏った澄んだ空によく響く高い声が戦場に響き渡る。 兵士達は衣住まいを正し、声の主へと体を向けた。 「この戦いは只の戦いにあらず。『守る』戦いである!」 声の主、理穴軍大番頭「袖端 友禅」は部下達の視線を一身に浴び、澄んだ声を響かせる。 「総員、戦闘態勢! だができる限り傷つけるなよ」 それは今から決戦を迎える者達にとって、至極困難な指示であった。 「アヤカシの手の者と成り下がってさえ、あ奴らは人だ」 事前に聞かされてたとはいえ、俄かには信じられない。否、信じたくないのだろう。 兵士達からは動揺する声と共に、生唾を嚥下する音が聞こえた。 「敵に容赦はない。こちらが隙を見せれば、奴らは躊躇なく我らを肉塊と変えるだろう」 戦場では常に隣に横たわる死という名の結果。そして、それをもたらす者達が眼前を進んでくる。 それは武者震いだろうか。渦巻く独特の威圧感に兵士達は身を震わせた。 「だが、怯むことは許さぬ! 己が背の先にある家人を想え!」 ともすれば戦場の空気に飲まれかける兵士達に、友禅は凛然と号令を下す。 「そして、必ず救い出せ! 誇り高き森の民の心技を見せつけろ!」 最後にはなった友禅の残響を掻き消す鬨の声が、寒戦場に響き渡った。 ● 『ギギ……』 錆びた歯車が軋む音にも似た不快な音が、耳朶ではなく直接脳幹へと届く。 途端、景色が流れ出す。 今度は向かっているのはどこだろう。 朧気に霞む視線の先には、幾多の光がキラキラと光り輝いている。 まぶしくもきれいな昼の星々をぼんやりと眺める。 「彼」はそれが、刃が陽光を反射させているものだとは気付けない。 そう思っているうちに、生身でいた時では体感できなかったであろう速度に達していた。 寒風が頬を撫で、容赦なく体温を奪っていく。しかし、体から駆け上がってくる血潮は信じられないくらい滾っている。 もう疲れた……。誰か、誰でもいい。 どうか、楽にしてくれ……。 「彼」は叶う希望も失せた思いを、眼前の星に願った。 ● 「開拓者達」 持ち場へと散っていった部下を見つめながら、友禅は小さく呟いた。 兵士達が移動した後も動かず友禅の元に残った一隊。開拓者達である。 「正直、我々だけでは荷が重い」 視線は戦場に向けたままの友禅の言葉に、開拓者達は静かに耳を傾けた。 「兵士達を導いてやってくれ。……そして、彼らを救ってくれ。あれらが有用でないとわかれば、使っている奴も諦めるだろう」 友禅は言の奥に、黒幕の存在を確信している。 「頼んだぞ、開拓者達」 その言葉に、開拓者達は一斉に散った。 黒く淀んだ意志が渦巻く、凄惨なる戦場へ――。 |
■参加者一覧 / 北條 黯羽(ia0072) / 六条 雪巳(ia0179) / 柚乃(ia0638) / 紫焔 遊羽(ia1017) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 御凪 祥(ia5285) / 以心 伝助(ia9077) / 霧咲 水奏(ia9145) / 劫光(ia9510) / エルディン・バウアー(ib0066) / ハッド(ib0295) / アレーナ・オレアリス(ib0405) / 羽流矢(ib0428) / 蓮 神音(ib2662) / ネプ・ヴィンダールヴ(ib4918) / 御調 昴(ib5479) / 丈 平次郎(ib5866) / パニージェ(ib6627) / ルシフェル=アルトロ(ib6763) / 玖雀(ib6816) / 柊 梓(ib7071) / ラビ(ib9134) / フィノ・アンティヤード(ic0082) / 結咲(ic0181) / 小苺(ic1287) |
■リプレイ本文 ●淵東ヶ原 「相変わらず、秩序だった行動には見らないでやすね」 枯れ原に生える葉の落ちた木に登り、以心 伝助がポツリとつぶやいた。 見下ろすのは枯草をかき分け迫りつつある環獄兵の一団。 「しっかし、これだけの軍団でやす、何か……あるはずっす」 眼下に広がる光景に、伝助はある種の確信を抱いていた。 「必ず見つけやす。その何かを」 そう呟くと、伝助はすっと光を遮断する。 そして、戦いはその火蓋を切って落とした。 ● 戦の始まりは、拳と拳のぶつかり合いからだった。 「もう少しの辛抱だから……神音がきっと助けるんだよ!」 虚ろな瞳で絶望を吐き出す口からは想像できない一撃が、蓮 神音の拳とぶつかり鈍い音を響かせる。 神音は力任せに振るわれた拳を軽やかに背後へ流すと、 「はっ!」 続け様に肩を当て敵との距離を取る。 「雪巳ちゃん! お願い!!」 バランスを崩した環獄兵の隙を見逃さず、神音は背後に控えた六条 雪巳に声をかけた。 雪巳は小さく頷くと、ここが戦場であるにも拘らずすっと瞳を閉じ、言を紡ぎだす。 「揚々、煙る戦の地に、舞吹くは寵龍の息吹なれ」 まるで雪解けを促す春風の様に、雪巳の周りに清浄なる風が芽吹いていく。 「ありがとう! これでいけるんだよ!」 雪巳にまとわりついていた風は、神音のいなした環獄兵へ。そして、他の開拓者と対峙する環獄兵にも。 神音は、環獄兵の体が癒されていくのを確認すると、独特の構えに入る。見据えるは突然体の機能が回復し戸惑う環獄兵。 「待たせてごめん! 苦しみはこれで断ち切るってあげるんだよ!」 ようやく戦意を戻した環獄兵へ向け、神音がびしっと指を突きつけた。 ● 「ちっ、これじゃ効果が薄いか」 攪乱の為にと発生させた瘴気の霧は劫光の思い描いた効果を発揮しなかった。 「問題ない。左翼だな?」 吐き捨てる劫光に、御凪 祥が確認する。 「ああ、2匹孤立してる」 それは劫光が先行偵察に出した鳥の眼から得た情報。 「さーて、孤立してしまったのか、わざと孤立してるのか。……確かめに行くぜ」 そして、ぽきぽきと拳を鳴らし二人を追い抜いた玖雀。 三人は探していた。この戦場の支配を目論む、ただ一つの存在を。 ● 「大丈夫……大丈夫やから、ちょっとだけ辛抱したって……!」 涙の混じる声を上げ、紫焔 遊羽は癒しの光を放った。 光は戦場にある者すべてに等しく降り注ぎ、その傷を癒していく。 「……遊羽、少し目を瞑っていろ」 「はえ……?」 恋人の突然の言葉に、ここが戦場だというのに遊羽の胸はどきりと跳ね上がる。 ダメ押しに自分の手を遊羽の瞳に添えたパニージェは、巨大な騎槍を振りかざす。 「お前はお前に出来る事をしろ。俺は俺の出来る事をする」 尚も添えられた手は、遊羽の力で振り解くにはあまりにも力強い。 しかし、その理由を遊羽は瞬時に理解した。それは諸刃の剣である。癒しの力はアヤカシを引き付ける。 環獄兵とてそれは同じ、癒しの力をふるう遊羽を狙い数多の敵が殺到しているのだろう。 「あ、あかん! ぱにさん、何するつもりや!」 「判ってて聞くのは、野暮だな」 「ぱ、ぱにさん!」 「我は黒鉄。紫護の盾也」 必死に手を剥そうとする遊羽を胸に抱き、パニージェが吠える。 「遊羽、戦場を癒せ。それがお前の使命だ!」 ● 「おっと、来た来た」 戦場に広がる癒しの光が環獄兵へと吸い込まれていく様を、ルシフェル=アルトロはにやりと不敵な笑みを浮かべ見つめる。 数いる環獄兵の中、比較的損耗の少ない個体を選び相手していたのはこの時の為。 「可哀想な傀儡ちゃん。こっちの自由はあ〜まいぞっ、なんてね」 体が回復し、一層激しさを増す環獄兵の一撃を難なく往なし、ルシフェルは地を滑るように移動する。 そんな行動が癪に障ったのか、環獄兵は完全にルシフェルに狙いを定めた。 「――さぁて、ここらでいいかな」 数多の攻撃も全て避けられた環獄兵は、意図せず集団から大きく離される。 それこそがルシフェルの狙いだった。 「さぁ、これで邪魔は入らないかな。ゆっくりとあんたの正体、拝んであげようじゃないか」 じゃらりと不気味な金属音を上げる鉄の蛇が大地にうねる。 「哀れなお人形さんは俺一人で十分だからね」 誰にも聞き取れないほどに小さな言葉は、ぺろりと出された舌に舐め取られた。 ● 「大地の縛、汝を縛る!」 地に突き立てられた手に叩き起こされるように大地が脈を打つ。 柚乃の手から連なる地脈が、環獄兵の動きを止めた。 「ネプさん、今です!」 「はいな! うわぉぉぉぉ!!」 柚乃の縛に囚われた環獄兵をネプ・ヴァンダールヴが即座に担ぎ上げる。 「ネ、ネプさんまだ早いです!?」 「はえ? って、わわわっ!」 当然、担ぎ上げた環獄兵から大地に縛る縛の効果は失われ、暴れ始めた。 「こ、これを!」 慌てた柚乃は咄嗟に取り出した水筒を環獄兵の口にねじ込んだ。 「セイドの効果を持たせた水です。これで……」 暴れる環獄兵を必死に押さえつけるネプ。じっと成り行きを見守る柚乃。 そして、水筒を口に突っ込まれたままの環獄兵は、次第に動きが緩慢になり、 「効いた、ですか?」 ついにはピクリピクリと震えるだけになった。 「よかった、効きますね! 早く檻へ!」 「了解なのです!」 ● 「お怪我はありませんか?」 「す、すみません。助かりました」 駆け寄ってきた霧咲 水奏に雪巳は息も荒く礼を述べる。 戦場は次第に混迷の色を増してきた。 それに伴い、癒し手である雪巳達巫女への攻撃も熾烈になってくる。 「貴方に倒れられては戦線が瓦解します。お辛いでしょうが、何とか支えてください」 雪巳に対し礼儀正しく願い出る水奏であるが、その手は休むことなく矢を番え続けていた。 「それが私の役目……! この身尽きようとも救える命を取り零しはしません!」 錬力もきついだろうに気丈に立ち振る舞う雪巳に対し、水奏は頼もしく頷く。 「拙者も微力なれどお力をお貸し致します。共に人々をお救いしましょう」 水奏は立ち上がり周囲を見渡した。 「戦場が無秩序に揺れている……」 開拓者が切り入れば、環獄兵が数で埋める。 環獄兵が凶行すれば、理穴兵が押し止めた。 「時は……いずれ流れる」 水奏の雌伏はいまだ続く。 ● ここに一人、他とは全く違う行動を取る者がいた。 「……ふむ」 相手に取るのは3人の環獄兵。 羽流矢は無秩序に殴りかかってくる6本の腕を、まるで赤子と戯れる様にあしらう。 「存外、硬質だな」 環獄兵を往なしざま、しなやかな指を首元に触れさせた。 まるで陶磁器の様な滑らかな表面はどこまでも冷たく、命の息吹は感じられない。 「……どこかに」 探しているのは『鍵穴』の存在。首輪も拘束具の一種、ならば『鍵』によって解き放つ事が可能かもしれない。 そう考えた羽流矢は不気味に黒光る首輪の正体を探っていた。 しかし、シノビの眼を以てしても鍵穴どころか、継ぎ目すら発見できない。 「この方法は無理か」 それもシノビとしての技か。羽流矢はこの方法に固執することなくあっさりと放棄した。 「ならば縛るのみ」 そして、手始めに相手をしていた3人の環獄兵の影を縛り上げる。 ● 戦場の各所で同時多発的に行われた首輪の破壊。 砕かれ切り裂かれた首輪は、環獄兵となっていた人々をその呪縛から解放すると同時に、黒い霧となって霧散する。 霧はしばらくその場に漂った後、すぐに寒風に解けて消えた。 「はぁはぁ……」 普段の優麗さが微塵も感じられないほど疲弊した雪巳は、玉の汗を浮かべ肩で息を切る。 「何人……何人救えましたか……っ!」 息を吸うのも苦しいだろうに、雪巳が思うのは環獄兵であった人々の事。 「生存者56名、理穴兵の皆さんの手で後方にて治療中です」 疲労に崩れ落ちそうになる雪巳を、御調 昴が肩を貸した。 「……死者は!」 「戦況は膠着しています。今は休んでください」 雪巳の問いには答えず、昴は兵に雪巳を引き渡した。 昴は先の戦い同様、理穴兵を統率し環獄兵回収部隊を編成していた。 派手に暴れる開拓者の影に隠れ、理穴兵と共に環獄兵の機動力を削ぎ無力化。 「あまり気持ちのいいものではありませんが……」 手足を縛られ後方へと運ばれていく環獄兵を見送り、昴がポツリと呟く。 昴が最も効果的な手段として選んだものは、環獄兵となった人々の苦痛を伴う方法。 その数はまともに環獄兵を相手取る他の開拓者に比べ格段の成果を上げていた。 「黒い呪縛……いえ、今は全力で生きる可能性に賭けましょう!」 無意識に首の後ろに触れながら、昴は再び理穴兵を伴って戦場へと駆け戻った。 ● 更に戦況は進み、破壊した首輪の数が百を超えた、その時。突然、敵の動きに明らかな変化が現れた。 個々の力に頼った突撃から、意思ある一つの集団としての行動へと。 「ふむ?」 その変化にいち早く気付いたのは、兵士に立てさせた長い梯子の天辺で戦場を見渡していたハッドだった。 能天気に自ら作曲した『吾輩は王で或る!』を熱唱していたハッドであったが、その視線は常に戦場に向いている。 「ほう、身の危険でも感じたかの〜」 散漫であった有象無象は、今や一己の意思を持つ生物へと変わってきつつある。 敵は固まり、幾つかの部隊に分かれているようにも見えた。 環獄兵の実力を鑑みれば、守勢にこそ威力を発揮する。それは敵将も解っての事だろう。 個々で当たっていた敵には、多数で。 「ここからが本番ぞ」 時は満ちた。ハッドは戦場の最も高い所から戦場管制を開始した。 「音の流れが変わったでやす」 ハッドが軍団の眼ならば、伝助は耳。戦場の歪みは枯れ木に立つ伝助にも伝わってきた。 鋭敏な感覚を持つ開拓者の耳にすら届く事のない、小さな違和感。伝助は戦場に吹き渡る風に乗る小さな音を捉え続けていた。 「もっと、もっとでやす」 研ぎ澄まされた感覚は伝助を風の一部に変える。魂を風に乗せ、戦場を揺蕩う。 目指すは古びた機械の歯車に似た小さな異音の正体。 伝助は更に風と自身を同化させる。音の先にある何かを求め。 「……匂いが変わった」 ここにも戦況の僅かな変化に気付いた者がいた。 北條 黯羽は相手取っていた環獄兵を呪縛符で無力化させると、すぐさま戦場へ視線を向ける。 「……流れが」 戦場の乱れが薄らいでゆく。 それは環獄兵が起こした不快な流れが生み出す、不規則な濁流。 黯羽の卓越した眼力は僅かな変化を見逃さなかった。 「ようやくお出ましか……統率者さんよ!」 環獄兵の動きが、黯羽の予感を確信に導く。 それは黯羽が人知れず探していた軍団の統率者の気配であった。 ● ハッドの指揮の下、羽流矢が影を縛り動きを止め、その隙に柚乃が麻痺薬を盛り無効化させる。 そして、ネプが環獄兵を次々と牢へ放り込んでいく。 この一連の連携により、環獄兵は少しずつではあるが確実に数を減らしつつあった。 少なからず死者を出しつつも、環獄兵の数はついに半数を切った。 ● 「アヤカシが所業なれど、無体に過ぎます」 強い意志を秘めた瞳で戦場を見据え、アレーナ・オレアリスは剣を抜いた。 守りを固め迎撃態勢を取る環獄兵に向け、切っ先を突きつける。 「人は貴方の玩具ではありません!」 アレーナは歪な円陣を組む環獄兵達の中央、最も厚い部分に狙いを定めると、気合一閃、突撃を開始した。 一方、突撃するアレーナの後背を取るのはラビ。本来、攻撃手を務めるはずの陰陽師にも拘らず、後衛を買って出ていた。 「僕の力で癒しきれるかは判りませんが、この戦場には光の加護がありますっ!」 戦場で集中的に敵の標的となる事を選んだ癒し手達に敬意を払い、ラビは解放されていく人々に符を放った。 「助力感謝します! 後は任せます、必ず救ってあげてください!」 癒しの符が解き放たれた人を包む様子を確認し、アレーナは再び戦場を駆ける。 自分で出来るのはここまで、後はラビの技量と想い、そして本人の生への執着に任せるしかない。 「必ず、必ず救って見せます!」 ラビも懸命に答え、苦しみにもがく元環獄兵達に必死の救護を施していった。 「殺しの道具にされたまま死ぬなんて絶対だめだっ! だから、気をしっかり持って!」 今にもショックで事切れん人々に、ラビは懸命のエールを送り続ける。 「生きて……っ! お願いだから、もう一度人として……生きてっ!」 自分にも救えるものが必ずあると信じ、ラビは必死に符を放った。 「あっぶなーーい!」 「ひぃっ!?」 突然の声と共に、ラビの目の前を環獄兵がすっ飛んで行く。 「後ろがお留守なのですよ、衛生兵さんっ!」 「え、衛生兵……?」 「あれ……人違いです?」 振り返るとそこには真っ白な人影が。呆然と口を開けるラビに、かくりと小首を傾げたのはフィノ・アンティヤードだった。 先の環獄兵の攻撃を体当たりで逸らしたのも彼女だ。 「まいっか。でも、こんな所で座ってたら狙われちゃうのです」 「そ、それは判っているんですが……」 とは言われてもラビの少ない癒しの力で人を救おうとすれば、かなりの集中が必要になる。 それはすなわち死地での停止を意味していた。 「うーん、なんだか訳ありなのですね! わっかりました、ボクに任せて!」 「え……?」 ラビはフィノの言葉を疑った。 ここにいるということは開拓者なのだろうが、その姿はどう見ても戦闘に向いているようには見えない。 「こういう戦い方もあるのですよ!」 と、ラビの心配もよそに、フィノは『戦闘』を開始する。 ひらひらと白梅の花が舞い散るように、嫋やかに揺れる柳の葉のように、戦場に咲いた一輪の花は環獄兵達の敵視を集めていく。 「衛生兵さん! ぼーっとしてちゃダメなのですよ!」 ラビに狙いを付けていた環獄兵をすべて引き受け、フィノは舞い続けた。 ● 狙いを付けた環獄兵は残念ながらハズレに終わった。 三人は環獄兵を相手取りながらも、目的を忘れてはいない。 「どうだ、何か聞こえるか?」 「少し静かにしててくれ」 急かす劫光を制し、玖雀が地に耳を付けた。 聞こえてくる地響きは戦場を駆ける者達のものだろう。 「他には……」 玖雀はさらに神経を研ぎ澄ます。地下水の流れ、蠢く虫の息吹。そして――。 「……これは!」 玖雀はすぐさま顔を起こし、彼方を見つめる 環獄兵と思しき足音が向かう先に一定の法則があった。 「何か聞こえたのか?」 祥が問う。 「確実じゃない。それでもいいか?」 「聞こえたんだな。ならば問題ない」 「ああ、そうだな。お前に任せてる」 答える玖雀に、二人はそれ以上問うたりはしない。 これが信で結ばれた三人の強み。真に戦場で背を任せあえる者同士が持つ絆だ。 そして、三人は環獄兵が結集しつつある戦場で最も密度の濃い場所へと、足を進めた。 ● 「痛い? でも、悪い、ヒト、倒すよ」 三叉の大戟をいとも容易く振り回す結咲が、環獄兵の一人に狙いを定める。 悲痛に歪む環獄兵の表情も結咲には見えない。ただ凶悪に振り下ろされる腕を自らの肩で受け止めた。 「戦場で、動き、止めたら、死ぬよ?」 自身にも相当の痛みがあるだろうに、結咲は表情一つ変える事無く槍を突き立てようと、振り上げた。 「その辺にしときな」 「……む。邪魔、しないで。ボクの、お仕事」 突然腕を掴まれた結咲は、ほとんど変化のない表情の中にもむっと頬を膨らせる。 「自分を傷つけるのが仕事ってのは、どうにもいただけないな」 結咲が相手取っていた環獄兵を、腕を取った丈 平次郎が蹴りで吹き飛ばした。 「けが、いっぱい。痛い、治す、です、ふに」 掴まれた腕を無理やり振り解き、恨めしそうに見上げる結咲に癒しの風が吹く。 平次郎の影から顔だけを覗かせた柊 梓の癒しだった。 「狙うなら首輪だ。あれが操ってる。よし、柊、次行くぜ」 結咲の体に刻まれた傷や痣が一先ず治った事を確認し忠告を残すと、平次郎は移動する為に梓に声をかける。 「……」 「うん?」 しかし、いつもなら「ふに」と短く呟いてトコトコとついてくる小さな相棒は、今日に限ってどうにも距離を置いている。 「どうかしたか……?」 「あなたは……だれ?」 「な、何を言ってる。俺だ、平次郎だ。知ってるだろう?」 突然の問いかけに、平次郎はたまらず視線を外す。 「ふに……」 違和感を拭うことはできないが、目の前にいるのは確かに平次郎だ。梓は不承不承ながら差し出された手を取ろうとした、その時。 「よそ見は、危険。死にたい?」 戦場で止まっているものほど格好の的はない。更には梓の癒しが撒き餌となった。 二人を襲おうと環獄兵が急襲するも、立ちはだかった結咲の切っ先によって、環獄兵は首輪を砕かれ大地に倒れる。 「す、すまない、助かった」 「ありがとう、ふに……」 結咲の一撃で首輪は黒い霧へと還元された。そして、同時に。 「痛い……耳が、痛い。響く、痛い、声」 呪縛を解かれた男が沈痛な悲鳴を上げのたうち回る。 結咲は僅かに表情を歪め槍を落とした両手で耳を塞いだ。 「やめて……入って、来ないで」 死を間近にした人の悲鳴は、耳のいい結咲にとって何より苦しいものの一つ。 結咲は耳を抑えたまま両膝を地につき震えだす。 「心配、しない、で。今度は、かならず、助けるって、誓った、です」 静かながら力強い声が再び癒しの風を呼ぶ。目標は蹲る結咲ではなく、環獄兵だった男。 風は男に溶け入ると 「……痛い、声、止まった」 苦痛が晴れていく。結咲は不思議そうに視線を上げると、トコトコと梓に近寄り。 「ふ、ふに……?」 純粋に感心しているのか、梓にキスせんばかりに顔を寄せる結咲。 「きみ、すごい、ね」 「そんな、こと、ない、です。ふに……」 間近にある顔のせいか、それとも褒められたからか。梓は白い頬を桃色に染め俯いた。 「あー、えー、取込み中に申し訳ないが、次々来てる、ぞ?」 と、完全に蚊帳の外にほっぽり出されていた平次郎が、わらわらと寄ってくる環獄兵を指さした。――ちょっとつまらなさそうに。 ● 「劫光達が動き出した……きっと何か見つけたんだ!」 「にゃにゃ!」 戦況を見つめていた者達の動きの変化に、天河 ふしぎも気付いた。 ふしぎは共に戦っていた小苺に合図を送り、劫光達に合流する為に行動を開始する。 「小苺、行くよ! きっとあの中に僕達の目指す奴がいる!」 「この間はまんまとしてやられたけど、今度という今度は許さないのにゃ!」 二人は共に先の戦いで環獄兵に苦汁を舐めさせられている。 「もちろんだよ!」 三人に遅れまいとふしぎ達も敵の只中へと身を投じた。 「姿を見せろ……今度こそ決着をつけてやるんだからな!」 ● 「祥、右を頼む!」 「ああ」 祥の石突が環獄兵の腹を打ち据える。 「玖雀、足だ!」 「任せておけ!」 玖雀の自在棍が環獄兵の足を纏めて薙ぎ払った。 環獄兵は何者かに統率されるように動きを変え、次第に守勢の色を濃くしている。 そんな只中、三人は最も厳しい戦場に身を置いていた。 「こんな所で倒れるなよ! 俺達が道を切り開くぞ!」 幾度目かになる劫光の鼓舞に、親友二人は無言で頷き獲物をふるう。 寒風に舞う最後の一葉は祥の一突き。 ひらひらと行く先を定めず揺れたかと思えば、穂先は瞬間鋭牙と化した。 密に寄合い凶腕をふるう環獄兵の黒き楔を霧に変える。 大地に蠢く虚構の大蛇は玖雀の一撃。 枯草を巻き上げ大地を削る何十何百の打撃が盛大な土埃を巻き上げた。 目指すは敵の中心地。もっとも濃い絶望が渦巻く地。 劫光は二人の演武に満足げな表情を浮かべながらも、決してその場所から視線を逸らさない。 そして、進むこと数里。ついに――。 「道は……開けたぞ!」 三人の旋風がついに環獄兵の牙城を突き崩した。 ●決戦 「見つけた! あいつに違いない!」 三人がこじ開けた『扉』の先には環獄兵が一体。 他の環獄兵とはどこか違う雰囲気を持つ一体を、真っ先にふしぎが発見した。 「環獄将、もうかくれんぼはお仕舞のようじゃの」 ハッド命名『環獄将』。姿形は環獄兵と何も変わらず、人の成りをしている。 ただ一つ違うとすれば。 「隠れるならば絶望を知るべきであったな」 と、ハッドに忠告されて気付いたのか、環獄将はあからさまに動揺を見せた。 そう、環獄兵の司令塔たる環獄将は、顔までも人の成りであるが――表情が絶望していなかったのだ。 「何が目的か聞かせてもらおうかね?」 ハッドと共に中心地へ赴いた黯羽が、動揺を見せる環獄将へ詰め寄る。 「答え次第によっちゃぁ、優しく滅相してやるさね」 軍隊を統率できる程のアヤカシであれば、知能もあるだろうと黯羽は考えた。 しかし、環獄将は無言を貫く。 「……優しさは必要ないってェか。ならこっちも遠慮なく――」 「っ! 何かする気だ!」 敵の出方に黯羽が攻撃に移ろうとしたその時、突然ふしぎが声を上げた。 「何をする気か知らないけど、思い通りにはさせるもんか!」 神速の速さで銃を抜き2発。続けざまにさらに3発。放たれた弾丸が環獄将を捉えた、と誰もがそう思った。しかし――。 「なっ!」 ふしぎの攻撃は突然割って入った環獄兵に阻まれる。 「これならどうにゃ! は〜め〜は〜め〜はーっ!」 続けて放った小苺の気功もまた環獄兵により阻まれた。 環獄将は再び鉄壁の陣を構築しつつある。発見から時間を掛け過ぎたのだ。 ● 中心地に辿り着いた一行が再び環獄兵の相手に苦戦を強いられる中、少し離れた樹上から再び戦況が動き出す。 「結咲さん、お願いするっす」 と、隣に佇む小さな少女に声をかけた伝助は、すぐさま耳を塞ぐ。 結咲はそんな伝助にかまわず、口笛を吹くように小さく口をすぼめると、ゆっくりと息を吐き出した。 「――っ、きっつ」 「何だ、この音……は!」 超越した聴覚を駆使する伝助と玖雀にはとても平静ではいられぬ不快音。それは蝙蝠の獣人が発する人には聞こえぬ音。 それが戦場に再びの変化をもたらす。 「こ、これは……!」 統制が一瞬ではあったが乱れた。 ● 「っ! 逃がさないんだよ!」 動きの止まった環獄兵の隙を神音は見過ごさなかった。 機敏な動きで環獄兵の脇をすり抜け、一気に将に詰め寄ると。 「神音の全部をぶつけるんだよ!」 突き出した神音の拳で練気が爆発した。 生み出された巨大な衝撃波が、再び環獄将を兵達から隔離する。 「まずい、逃げる!」 神音の一撃で大きなダメージを負い、将は撤退を決める。 再び環獄兵を盾に集めると、自身は逃げを打った。 だが、それを見越していた眼があった。 突然大地に突き刺さる無数の死の雨に思わずたたらを踏んだ環獄将の動きが止まる。 「逃がすとお思いですか」 逃げを打った環獄将の足元に突き刺さる何本もの矢は、水奏が放ったものだった。 「喰らい尽せ、白銀の絶龍!」 止まった動きに合わせた劫光の絶叫に符が変異する。 環獄将の足元、大地より上った白き龍撃が将を天高く持ち上げた。 中空にある環獄将に、最早逃げる術はない。 黯羽とハッドは無様に空で泳ぐ環獄兵を一瞥し、 「往生際を知るいい機会さね。まぁ、活用する機会はねェだろうがな」 「うむ、おとなしく我輩の鉄槌に食われるがいいぞ!」 ハッドの聖、黯羽の邪に討たれ、黒い霧と化した環獄将は欠片も残さず瘴気へと還った。 ● 戦場は静けさを取り戻した。 大地に横たえられ純白の布を纏った幾体もの死者。それは環獄兵であった者もあれば、理穴兵であった者もある。 「神よ、哀れな我らが魂が、御身元に召されることを許したまえ」 エルディン・バウワーは経典を手に、死者一人ひとりの足元に膝をつき、祈りをささげていく。 落ち着き払った遠い異邦のその言葉は、目に見えぬ瘴気にまとわりつかれた死者たちの不浄を払っていった。 エルディンが弔いを上げる死者の前。遊羽とパニージェが静かにたたずんでいた。 「お前のせいじゃない」 「せやかて……せやかて、うち……また、助け……」 すすり泣く遊羽の肩にパニージェはそっと腕を回す。 「お前のお蔭で何人が生を拾った? ここに横たわる死者を減らしたのはお前だ」 確かな真実を伝えるも遊羽の悲しみは一向に癒える事は無い。 「今だけは存分に泣け。お前の悲しみは俺がすべて受け取るから」 遊羽は温かく包まれたパニージェの胸で、一人泣き続けた。 檻に向かう柚乃。そして、フィノ 「もう少しの辛抱です。すぐに開放しますから……」 「みんなの家族が待ってるから、頑張るのですよっ!」 激しく痛みを訴える体に疲弊する人々に、柚乃の安らかな歌声とフィノの涼しげな舞を届けた。 両軍合わせ死者96名 負傷者は数知れず。 勝利などどこにもない無残の戦場はこうして幕を閉じたのだった。 |