閑古鳥が鳴く頃に
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/07/03 20:46



■オープニング本文

●奥仙
 もう夏も間近だというのに、頭のてっぺんを真っ白な雪化粧で飾った山々。
 高原を吹き抜ける風は涼しく、まだまだ夏の到来は遠いかとさえ思えてくる。

 避暑地として申し分ない立地を有した、ここ奥仙には更なる目玉がある。
 それが温泉。
 湯は街の至る所から湧き出ており、もうもうと真っ白い水蒸気を噴き上げていた。

 街は避暑と温泉を目当てに天儀各地から湯治客が押し寄せ、旅館や土産屋はお客相手に大忙し。
 そこもかしこも猫の手も借りたい程に忙しく、湯治客の相手をしている‥‥筈なのだが。
「暇だわ‥‥」
 行儀悪くカウンターに顎を乗せ、虚ろな目で入口を眺める少女『桃子』がぽつりと呟いた。
 年季の入った板張りの玄関が渋い飴色の光沢を輝かせる。寝ころんだらさぞかしひんやりと気持ちいいだろう。
「まったく暇だわ‥‥」
 旅館を吹き抜ける高原独特のからっと乾いた涼しい風に前髪を揺らされながら、桃子は更に呟いた。
「どうしたんだい、桃子。そろそろ、お客さんの来るころじゃないかな?」
「んー‥‥」
 三角頭巾に割烹着、竹ぼうきで完全武装した男、この旅館『鴇時荘』の主人宗本 定完が玄関の向うから、ぐでぇとタレる桃子に声をかける。
「お客さんは来ないわよー‥‥」
「おや、こないの? 僕の記憶違いだったかな?」
「うんん、あってるわよ。予約破棄になっただけ」
「ああ、なーんだ、そうだったんだね」
 と、定完ははははと軽い調子で笑い飛ばした。
「‥‥もぉ、父さん! 何が可笑しいの! お客さんが来ないのよ!!」
 それがいつもの父の反応。それはわかっている‥‥わかっているのだけれど、お気楽にも程がある。
 桃子は両手をカウンターを打ちつけると、つかつかとバッチリと掃除夫姿の決まった父に歩み寄った。
「まぁ、仕方ないんじゃないかな。お客様にも都合があるだろうし――」
「――っ、もぉ! だからダメなのよ! もっと、こう、何かあるでしょう!」
「そんな事言ったってねぇ」
 息もかかる距離に詰め寄った桃子の剣幕にも、定完は困った様にポリポリと頭を掻く。
「うぅ、お母さんが生きてたら、張り手の一つでもかましてくれたのに‥‥!」
「う‥‥あれは痛いから嫌だなぁ」
 ここから手を振り上げても父の頬には届かない。
 桃子は悔しさに歯噛みしながら、ギュッと拳を結んだ。

 旅館経営に辣腕をふるっていた母が無くなってすでに3年。
 贔屓にしていてくれたお客も、母が無くなったのを境に徐々に脚を遠ざけていった。
 残された親子二人、可能な限り母の経営方針と理念を守り運営を行ってきたが、客足が戻る事はなかった。
 このままでは、代々祖先が守り、母が愛したこの旅館が潰れる。

「決めた!」
「うん?」
 ぶつぶつと何やら呟いていた桃子が、ガバッと顔を上げた。
「私がこの旅館を立て直すわ!」
「立て直すって‥‥桃子が?」
「そう! 父さんにも協力してもらうからね!」
「そ、そりゃ協力はするけど‥‥」
 この三年間、運営方針の話は嫌というほどした。
 しかし、結論はいつも辣腕であった無き母の運営方針を守り続けようというもの。
「大丈夫! もう母さんの手法には頼らないから!」
「え‥‥? 今なんて‥‥」
 桃子が口にした宣言に、定完は思わず聞き返した。
「母さんの運営方法は捨てるわ! 母さんの運営方法は母さんだからできたの。私達がいくらまねっこしたって、旅館が潰れるもの!」
「ちょ、ちょっと待って。母さんの真似を止めるって‥‥それじゃ――」
「ここを新しい旅館に作り替えるの!」
「造り変えるって‥‥一体何をするつもりなんだい?」
 これはただの暴走なのか、それとも改革なのか。
 定完は瞳に炎が浮き上がってそうな娘をじっと見つめた。
「朋友旅館よ!」
「ほ、朋友‥‥?」
「そう! 朋友旅館! 今巷を賑わせてる開拓者さん達が朋友と一緒に泊まれる旅館を作るの!」
「た、確かにそんな旅館はないかもしれないけど‥‥」
「大丈夫! ちゃんと開拓者さん達の意見を取り入れて作るもの! 必ず成功させるわ!」
 きょとんと眼を瞬かせる定完を無視し、桃子は古びた旅館に向けグッと拳を突き付けた。


■参加者一覧
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
和紗・彼方(ia9767
16歳・女・シ
アルセニー・タナカ(ib0106
26歳・男・陰
劉 那蝣竪(ib0462
20歳・女・シ
音羽屋 烏水(ib9423
16歳・男・吟
乾 炉火(ib9579
44歳・男・シ


■リプレイ本文

●鴇時荘
「よくお出で下さいました。何も無い所ですがゆっくりしていってくださいね」
 古くより続く旅館『鴇時荘』現当主宗本 定完が、広く清潔な木造作りの玄関で訪れた一行を出迎えた。
「わぁ‥‥客足が遠のいてるって聞いてたからどんな所かと思ってたけど‥‥凄く雰囲気のいい所‥‥」
 優に100年は越える年月を越えてきた旅館の、古びた中にも色濃く刻まれている独特の『粋』に天河 ふしぎ(ia1037)は圧倒される。
「おう、こりゃまた高そーな旅館じゃねぇか」
 此処が神楽の街に在れば一体いくらぼったくられるのかと算盤を弾く乾 炉火(ib9579)。
「しっかし、こんな良い所でタダ飯、タダ風呂、タダ酒、タダ寝の贅沢三昧な上に金まで貰えるたぁ‥‥開拓者って奴ぁ美味し過ぎるだろ」
「こ、こんな仕事ばっかりじゃないんだからなっ。普段はもっと大変な事ばっかりなんだぞっ! それに今回も別に遊びに来た訳じゃないんだからな!」
 ダメ親父丸だしの炉火に、ふしぎは先輩開拓者としてびしりと指摘。
「あぁ、判ってる判ってるって。お仕事だろ? この俺に任せとけって。伊達に人生経験豊富じゃねぇよ。だがそれにしても‥‥」
 と、炉火はビシッと指を突き付け先輩然としたふしぎを、にやにやと舐めまわす様に見つめる。
「うん、風呂が楽しみだ、なぁ」
「ななな、何の事だかさっぱりなんだぞっ!?」
 ぱちりと不器用なウィンクを飛ばす炉火に、ふしぎは背にぞわぞわと走る悪寒を感じ、凄まじい勢いで距離を取った。

●応接間
 板張りの玄関を入ると、旅館内を吹き抜ける高原独特のひんやりとした風が頬を撫でた。
「本当に味わいのあるいい旅館ね。凄く清潔だし心地いい」
「うむ。何故ここで閑古鳥が鳴いているのか全く不明じゃのぉ」
 応接間に通された緋神 那蝣竪(ib0462)、音羽屋 烏水(ib9423)は、造りのしっかりとした木製の腰かけに座る。
「ごめんなさい、お茶しかないんですけど‥‥」
「気にしないで。私達はお客さんじゃないんだから」
「そうじゃぞ。逆にお客さんはそちらじゃ」
 茶を持って現れた桃子に笑みを向け、三人は応接間に備えられた机の上に旅館の図面を広げ議論に入った。

 議論中、桃子は旅館の栄枯盛衰について語る。
 その中でも女将であった桃子の母の話は特に二人の興味をそそった。
「‥‥なるほどのぉ。母君の人たらしの術、実に見事じゃのぉ」
 感嘆の声と共にべべんと三味線を掻きならす烏水。
「旦那さんは口下手そうだしねぇ。貴女はまだ小さかった。ふむふむ、少し見えてきたわね」
 女将が亡くなって数年でここまで寂れるほど彼女の存在は大きかったのだ。
「一種の女傑よね。出来れば一度会ってみたかったわ」
「もうそれは叶わぬ夢〜。なれば、新たな詩を紡げばよい」
 残された者達で盛り返す為に策を考える――その為に呼ばれたのだからと、二人は表情を引き締めた。

●厨房
「‥‥ふむ、ここが天儀の厨房ですか」
 土間に水桶。かまどに大鍋。ジルベリアの様式とはあまりにもかけ離れた仕様を、アルセニー・タナカ(ib0106)は興味深げに見渡した。
『何ともみすぼらしいな』
「南吉、口が過ぎるよ」
 アルセニーはまるでマフラーの如く首に巻き付く管狐『南吉』の口をぎゅぅっと摘む。
「多少施設は古く見えるけど、それぞれが使い込まれているのに丁寧に手入れされている。ここの主は腕のいい料理人だよ」
 様式こそ違え、そこには職人の魂というべき道具と設備の数々が理路整然と並べられていて、料理の腕に覚えのあるアルセニーには職人達の矜持が見えるのだろう。
『ふん、まあいい』
 人間特有の矜持という感情は南吉には理解し難いのか興味無さげに問いかけた。
『それで、何を作るんだ?』
「ジルベリアの家庭料理さ」
『天儀のど真ん中でジルベリア料理だと?』
「ああ。ここは朋友旅館を目指しているんだ。なら客は必然的に開拓者が多くなる」
『まぁ、そうだろうな』
「開拓者にはジルベリア出身者も多いだろ? だから、その人達の舌を満足させる料理を出せるようにするのさ」
『ほう、例えば?』
「そうだね。ジャガイモや牛肉が調達できれば包み焼きもできる。チーズや豆があればシチューも」
 ジルベリア出身者には懐古を。天儀の者には斬新を。
 アルセニーは天儀に居ながらジルベリアの料理を堪能できる旅館を目指そうとしているのだ。
『まぁ考えは判った。だが、どうやら時間だ』
 アルセニーの料理に対する蘊蓄は熱を帯び始めたばかりだというのに、南吉は話をぶった切る。
『料理の腕もいいが、もう少し練力を磨けよ』
 南吉はそう言い残して小筒に消えた。

●客室
「さて束紗、朋友も泊まれる宿を目指すお手伝いなんだけど、何か意見ある?」
『意見と言われてもなぁ』
 広い畳敷きの客室で膝を突き合わせるのは和紗・彼方(ia9767)とその相棒、人妖の『束紗』だった。
『オレは美味い飯と居心地のいい場所があればそれでいいけど』
「えー、抽象的すぎるよ」
『そう言われてもなぁ、そもそもオレ達みたいな人妖が旅館に泊まる事なんてまずねぇし』
「そうだけどさぁ。でも、だからこそ特別な空間って言うのかな、そう言う理想?とかないの?」
『だから美味い飯と居心地のいい場所だって』
「うー‥‥」
『なら、お前はどうなんだよ。オレばっかに聞かないで自分の意見も言ってみろよ』
「うーん‥‥ボク的には何度も来たくなるような楽しい旅館かなぁ」
『楽しい旅館って‥‥そっちの方が抽象的じゃねぇか』
「うっ‥‥。こ、子供とか赤ちゃん朋友さんの為に遊具施設を作ろうと思ってるんだよ!」
『子供だけか? そもそも開拓者に子供は少ないと思うけど。それより熟練の開拓者向けに、景観とか重視した方がいいんじゃねぇか?』
「景観って言うと、展望台とか?」
『見た限りそんな高い場所はねぇから、露天風呂からの眺望とか、中庭の景観とかかな』
「なるほど‥‥ちなみにお庭ってあるのかな?」
 と、束紗の案を受け立ち上がった彼方は、束紗と共に窓から見える中庭を見下ろした。
『まぁ、綺麗にはしてるな』
「綺麗は綺麗だよね」
 そうとしか言えぬ感想。庭としては非常に綺麗に整えられ、不快な所は無い。しかし、
「特徴も無いね」
 人の心を引きつける様な魅力が無いのもまた確かだった。
『もう少しなんとかしたいってのはあるな』
「あ、そうだ! 季節のお花とか植えるのはどうかな?」
『ああ、それいいかもしれないな。部屋の中にいても季節を感じられるっていうのは楽しいと思う』
「うんうん、そうだよね! そうと決まれば早速、定完さんにかけ合ってこよう!」
『おー、がんばれよー』
「何言ってるの、束紗も来るの!」
『え‥‥っておおい!? 引っ張るな、腕が抜けるぅぅぅ−−!』
 束紗の腕をがっちりと掴んだ彼方は、渾身のアイデアを携え定完の元に駆けだした。

●丘
「武流しっかりと見張っててね。蛇とか出ると困っちゃうから」
 気持ち良さそうに那蝣竪に頭を撫でられていた愛犬『武流』は、大きく一つ吼えると草が生い茂る丘へ走っていった。
「さてと‥‥これは骨が折れそうね」
 前方に刻まれる武流の足跡から周囲へと視線を移すと、そこに広がっているのは広大な草むら。
「これを刈らないと何も始まらないし‥‥ふぅ、やりますか‥‥の前に。炉火君、何してるのかな?」
 草むらに寝転び、自分の姿を足元から見上げて煙管を吹かしている炉火が其処に居た。
「ああ、気にすんな。草葉の陰からすらりと延びた美脚自慢の美人を眺めてるだけだ」
「草葉の陰って言うのは、死んだ人がいる場所よ。ああ、なるほど、そうなりたいわけね?」
 やる気ゼロとしか思えない炉火に、那蝣竪は美しすぎる笑みと共に鎌を怪しく光らせる。
「う、いやぁ、なんだ‥‥怒った顔もまた素敵だぜ――ひぃぃっ!?」
「馬鹿な事言って無いで手伝って。この広い丘を発着場にするんだから」
 と、那蝣竪は再び視線を丘に向ける。
 初夏の日差しに青々と生い茂る草むらを見つめる那蝣竪の手から何故か鎌が消えていた――。

●玄関
「やはりここじゃの」
 玄関先へ戻ってきた烏水がきょろきょろと辺りを見渡す。
『何をする気もふ? 某はもう疲れたもふ』
「いろは丸‥‥まだ何もしてないのじゃ‥‥」
 烏水の後を追う様にひょこひょことついてきたもふらの『いろは丸』は、何もしていないのにすでに疲労困憊‥‥な演技に余念がない。
「じゃが、安心せい。そんないろは丸にももってこいの施設を造る予定じゃ」
『もふ? 枯山水の見える中庭付きふかふか羽毛ベッドでも造るもふか?』
「そんな無駄な風流はいらないのじゃ‥‥」
『無駄とは何もふか。玄関入ってすぐ寝床。わざわざ旅館に上がる必要も無し! しかも風流ときたもふ。これ以上の贅沢はないもふ!』
「そんな面倒臭がりの朋友は、そもそもここまで来ないと思うのじゃ」
『お‥‥おぉっ!? それは気付かなかったもふ‥‥眼から鱗もふ! 某感動したもふ!』
 烏水の指摘に感心するいろは丸に、烏水はがくりと肩を落とす。
「造るのは水飲み場じゃ。長い道のりを上がってきたのじゃ、やはり喉が渇くじゃろ。まずはその渇きを潤さんとな」
『ん? ほうほう、確かに風情は無いもふが、確かに某達も喉が渇くもふからね』
 感動に打ちひしがれていたいろは丸も、烏水の案に納得の表情で頷く。
「どこかに湧水でもあればよいのじゃが‥‥」
 しかし、肝心の水源が無ければこの案も水の泡。
 毎日旅館から運ぶという手もあるが、それでは労力的に見合わない。
 と、頭を抱える烏水にいろは丸はあっさりと答えた。
『あの人間が、さっきから裏で水を汲んで来てるもふ。井戸か湧水があるんじゃないもふか?』
 いろは丸が丸い腕で指し示す先には、玄関先の植木に水をやる定完の姿があった。
「水撒きという事は真水じゃ! いろは丸よくやったのじゃ!」
 烏水はすぐさま定完の元へと駆けだす
『枯山水付きふかふか羽毛ベット三食昼寝付きを忘れるなもふ!』
「それとこれとは話が別じゃ!」
 いろは丸の欲望はあっさりと却下された。

●納屋
「――後は油をさしてっと‥‥よしっ」
 駆動油の滲んだ手袋で額を拭ったふしぎ。
「はてな、調子はどうかな?」
『イエス、マイキャプテン。左肩関節の不調は解消されました』
 ふしぎの手によりメンテナンスを終えた『HA・TE・NA―17』は左肩をくりんと回す。
『しかし、注油し過ぎかと思われます。随分と滴り落ちております』
「ご、ごめんっ。まだからくりの整備には慣れてなくて‥‥。やっぱりグライダーやアーマーとは勝手が違うね」
『あのような木偶と同類にされてもらっては困りまする。はてなこそ、マイキャプテンに相応しい相棒なのですから』
「そ、そうだね。はてなは頼りになるよ」
『当然です。はてなはマイキャプテンの為に現代へ復活したのですから』
「ハハハ‥‥」
 当然と胸を張る相棒に、流石のふしぎも乾いた笑いを返すしかない。
『ところでマイキャプテン。この納屋ではこれ以上の整備は望めない様ですが』
「うん、そうなんだ」
 と、ふしぎは案内された納屋を見渡す。
 農耕具や清掃具など普段必要のない物が仕舞われている特に変哲のない納屋なのだが、広さ的にはグライダーやアーマーも収容可能な場所だから。
「ここを整備場に出来ないかなって思ってるんだ」
『慰安に訪れてなお整備に汗を流すのですか?』
「本当に好きな人は常に触っていたいものだよ」
『つ、常になどと‥‥』
 何故か頬を赤められた気がするが、ふしぎは構わず続ける。
「自分の機械は自分で整備したいだろうから工具を揃えるだけでいいと思うんだ」
『確かにはてなもマイキャプテン以外に触られるのは遠慮したい所』
「う、うん。だから道具を揃えておいて、後は思う存分やってねっていう空間作りが出来ればいいと思うんだっ」
『工具を揃える程度であれば予算も然程かからないでしょう』
「あとは簡単な作業台だね」
『――であれば』
 主の要望に答えようと自慢のチェーンソードに動力を送る相棒。大工仕事はお手の物である。

●温泉
「源泉の湯量は十分みたいですね。後はこれを引く導線ですか」
 旅館から少し離れた丘の麓にある源泉を訪れていたアルセニーは湯量や流れを事細かにメモに記して行く。
「丘の麓より滾々と湧き出る源泉。何とも風流じゃのぅ」
 そんなアルセニーの手伝いとして訪れていた烏水は、天儀の大自然の息吹を直に感じられるこの場所が気に入ったのか、べべんと三味線をかき鳴らす。
「乾様の仰っていた大型朋友用の深い温泉、後は打たせ湯などの変り種も行けそうですね」
 温泉は何と言ってもこの旅館の目玉である。参加した開拓者からも多数の意見が寄せられた。
 アルセニーはその一つ一つが実現可能であるのかを厳密に精査していく。
 そんな中、烏水がぽつりと漏らした。
「わし等獣人にも入れる湯が欲しいのぉ」
 
「うん? 皆と一緒ではダメなのですか?」
「うむ、そう言ってくれる御仁ばかりならよいのじゃが、そうとも限らんのじゃ」
 近年になって獣人の数も増えてき、世間一般に周知される様にはなってきた。
 しかし、一部ではそれをよしとせぬ者もいないわけではなかった。
「そう言うつまらぬ事を気にせずに入れる風呂があればよいなとは思うのぉ」
「ならば作ってしまいましょう。これだけの湯量と敷地です。専用は勿論、翼が濡れぬよう腰までの湯も作れるでしょう。それに朋友、開拓者双方が満足出来てこその癒しの場というもの」
 と、アルセニーは早速烏水の意見を組み入れた案をメモに記して行く。
『我等精霊の眷族にも入れる風呂もちゃんと用意するんじゃぞ。温浴に来て入れぬでは生殺しもいいとこじゃ』
『南吉殿の仰る通りもふ!』
「いろは丸、いつの間に来たんじゃ‥‥」
「確かに一理ありますか。全ての朋友に満足してもらえてこその朋友旅館ですし――」
 と、アルセニーは源泉近くの岩の一つをひょいっと除ける。
 すると、湯は岩のあった場所から溢れ出て、近くで水たまりを作った。
「では、精霊様方。源泉より直接引きました一番風呂にございます。ごゆるりとお楽しみ下さい」
『おぉ、これは実に風流な湯もふ!』
 即席で出来上がった小さな小さな露天風呂。
『そうじゃ、それでよい。では早速‥‥む!?』
「どうした? 早く入って‥‥ああ、そろそろ練力切れか」
『貴様! わざとやっておるな! 老人を敬わんとは何たることじゃ!』
「ほらほら、入る前に消えちゃうよ?」
『覚えて居れ! 今度現出した時には存分に弄り倒してやる――』
「‥‥ふぅ、そちらも苦労が絶えんのぅ」
「まぁ、悪い奴ではないんですけどね」
 消えた南吉、そして、ぷかりと湯に浮かぶいろは丸を眺め、二人は苦笑を浮かべた。

 一方、露天風呂の方では。
「おぉ広いね! 飛び込んでもいいかな!」
『周りの迷惑を考えろ』
「えー、だって誰も居ないもん!」
『人が居る居ないの問題じゃない! 道徳の問題だ、道徳の!』
 目の前に広がる露天風呂に眼を輝かせ、今にも飛びこみそうになる彼方を束紗がなんとかなだめる。
「へぇ、広いお風呂ね。これなら龍クラスの大型朋友でも十分に入れそう」
 そんな二人の元に、広大な敷地の草を刈り終え、汗を流そうとやってきたのは那蝣竪だった。
「あ、いらっしゃい!」
「はぁい、彼方君。貴女も汗を流しに来たの?」
「うんん、僕は下見のついでに泳ぎに来たんだ!」
「ふふ、これだけ広いと泳ぎたくなるわよね」
 己の野望を吐露する彼方を、那蝣竪は微笑ましく見つめる。
『おいおい、いい大人が何言って‥‥って、おおぃ!? 何やってんだ!?』
「何って、入浴準備だけど?」
 今にも泳ぎ出しそうな二人を注意しようと声を上げた束紗だったが‥‥
『そそそそう言う事を言ってるんじゃねぇ!』
 顔を真っ赤に、指の隙間が十分に空いた両手で眼を隠す?
「あら、折角だし、噂の美肌の湯って言うのを試させてもらわないとね。彼方も一緒するでしょ?」
「うんうん! もちろんだよ! 虎穴に入らずんば虎児を得ずって言うしね!」
『それ微妙に使いどころ間違ってるぞ!?』
「で、そちらの小さな子はどうするのかな? なんなら背中流してあげるわよ?」
『入るかよ!? 勝手に行って来い!! だけど泳ぐなよ! わかったな!』
 まるで捨て台詞の様にそれだけを言い残し、束紗は猛ダッシュでその場を去っていった。

●湯上り
 桜色に染まった肌を上気させたうら若い女性達が渡り廊下を行く。
「ふぅ、ほんと美肌の湯って謳い文句は伊達じゃないわ」
「うん! なんだかお肌すべすべキュッキュだね!」
 那蝣竪と彼方が夜風に火照った身体を晒し、極上の癒しの余韻に浸っていた‥‥そのすぐ傍では。

「‥‥濡れた髪に浴衣から覗くうなじ‥‥湯上り美人とはよく言ったものじゃのぉ‥‥ごくり」
「ほう、若いのになかなか通なポイントを判ってんじゃねぇか」
「こ、こんなのはよくないと思うんだぞっ!」
『しー!!』
「んぐんぐっ!?」
「風呂を覗くのは犯罪だ。それは誰にでも判る。だがしかし! ここは限界ぎりぎり、そう! グレーゾーンだ!」
「うむ、美を愛でる事は創作には欠かせぬ! ぐれぇぞぉんじゃ!」
『風流とは程遠いもふね‥‥』
『マイキャプテン‥‥不潔』
「ふふふん! なんとでも言うが良い! だがこれこそが‥‥ん? 何か影が‥‥」
「ふむ? 雲が月を隠したのかもしれぬのぅ。実に風流‥‥う?」
 と、二人は突然陰った月に目を向けるが‥‥。
『がうっ』
 そこには‥‥『妃姫』がその巨大な顎を大きく開いていた――。
「なんで僕までぇぇ!」

●宴会
 旅館改造の為に訪れた開拓者達は、その経験と知識から様々な改善案を提示した。
 予算と労力を考え、親子二人で切り盛りする中でも実現可能な具体案は、二人に希望の灯をともす。
「皆さん、本当に色々な案ありがとうございました!」
 上座で桃子が頭を下げる。
「お陰様で何とかなりそうな気がするよ」
 桃子の頭を撫でつけながら、定完が朗らかに微笑んだ。
「積もる話もあるでしょうが、それは箸を進めながらという事で。冷めるといけません。どうぞご試食ください」
 アルセニーが用意したジルベリア料理。そして、那蝣竪が旅館の料理にアレンジを加えた和食料理。
 色とりどりの料理が並ぶ卓を囲み、朋友達を交えた試食会という名の大宴会が始まった。

 豪華な食事に皆が舌鼓を打つ中、炉火が桃子の隣に座った。
「どうだ、やっていけそうか?」
「何とか‥‥」
「自信無さそうだな」
「‥‥正直言うと不安で。本当に母さんが居た時みたいな賑やかさが戻るかなって」
「‥‥なぁ、女将さんは華があったんだってな」
「え? あ、そう、ですね」
「だったら新しい華を用意したらどうだ? 『名物』っていう名の華を」
「名物‥‥?」
「朋友旅館にしたいんなら、此処で飼ってみたらどうだ?」
「え? 朋友さんをですか?」
「そうじゃな。鬼火玉なんかは親しみ易いし、土偶やもふらならば単純な労働力としても使えるじゃろう」
「あら、一押しはやっぱり忍犬でしょ。ねぇ、武流?」
『わうっ!』
 炉火と桃子の話に、烏水と那蝣竪が加わった。
「あ、そうだ。どうせならポイント制にしない?」
「ぽいんとせい‥‥ですか?」
「そう、来てくれたお客様にはここの印を一つ押すの。で、来る度に押して貰えるから、たくさん溜まった常連客に特典を付けるの。例えば宿泊料金の割引や、記念品とか。どう?」
「所謂りぴぃたぁという奴じゃな」
「ええ。宿を気に入って貰うのが一番だけど、折角泊まったのなら特典がある方が嬉しいじゃない」
「うむうむ、女は『特典』と『限定』に弱いからな。いいアイデアじゃねぇか?」
「素敵です、それ! やってみます!」
 表情を輝かせる桃子の肩に、炉火はポンと手を置く。
「とまぁ、まだまだ遣り様は幾らでもあるってわけだ。いい宿になる事、期待してるぜ」