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■オープニング本文 ●治療院 「‥‥そうか、やはり私も呼ばれたんだね」 「ええ、先刻、通達が参りました」 今日とて吹き込む春風は心地いい。 だが、舞い込んだ便りは戒恩の気を重くするに足るものだった。 「ふぅ‥‥まったく、虎丸の坊主も人使いが荒いね」 「? どなたです?」 「ああ、輿志王さ。あの頃は――まぁ、今もあまり変わらないけど――やんちゃでね」 「ははは、輿志王も貴方にかかれば坊主ですか」 懐かしそうに目を細める戒恩を、穏は苦笑いで見つめる。 「それで‥‥どういたしますか。欠席と伝えるつもりでしたが」 「いや、出るよ」 「出る? 戒恩殿、ご自身の身体の事を知らぬ訳ではないでしょう。評定など無理に決まっています」 「それでもさ。この大評定は、朱藩国の主要な領主や重臣が集まる。これは一種の戦と言ってもいいんだ」 「戦‥‥でしたらなおの事――」 「戦だ。だからそこに顔を出さないのは、戦をする前から逃げるも同義。私は折角取り戻した心津を没収されたくはないからね」 「まさかそこまで‥‥」 さも当然の様に語る戒恩に、穏は動揺を隠す事無く尋ねる。 「嘘だと思う?」 「‥‥」 「でも‥‥残念ながら、私はこんな体になってしまった。だから、代わりが必要だ」 「‥‥承知かと思いますが、私では務まりませんぞ?」 「はは、それは残念だ」 「冗談も程ほどになさい‥‥代行殿ですな」 「うん。流石、穏君鋭いね」 「誰でもわかります。それで、今度はどう代行殿をだま――いや、説き伏せるつもりですかな?」 「なんだか引っかかる言い方だけど‥‥まぁ、彼女には素直に出てくれって頼むつもりだよ」 「しかし、重要な評定なのでしょう? いくら代行職だと言っても代行殿では、流石に‥‥」 「荷が重いかな?」 「‥‥頑張っておいでなのは認めますが、流石に国の重鎮と渡り合う力量は無いでしょう。それに、彼女はあくまで代行。高嶺家に列する者ではないのですぞ?」 「うん、そうだね。彼女は高嶺じゃない。‥‥遼華君が私の養子になってくれればいいんだけどね」 「養子ですか‥‥確かに、お歴々を納得させるのには最善の方法だとは思いますが‥‥代行殿が、うんと言いますかな?」 「やっぱり駄目かな?」 「難しい所ですな‥‥」 役職としての領主代行と、責務としての領主ではその役割の重みがまるで違う。 まだ幼いと言ってもいい年齢である遼華には、あまりにも荷が重い。 「‥‥とりあえず養子云々の話は置いておいて、評定には彼女に出てもらう」 「戒恩殿は病床。一介の浪人である私にも当然無理。――結局の所、消去法ですか」 「ほんと、うちには人材が居ないね」 まったく危機感の欠片もない声で、細くなった肩を項垂れさえる戒恩。 「遼華君にはやってもらうよ。せっかく心津を取り戻したんだから、舌の根も乾かぬうちに失う訳にはいかない」 「‥‥ですが」 「心配なのはわかる。だけど‥‥もう、時間が無いんだ」 「戒恩殿‥‥」 「‥‥大丈夫だよ。遼華君一人であの魔窟に放り込むつもりはない。――彼らに『護衛』を頼むよ」 「彼らとは‥‥まさか開拓者ですか!? 輿志王も列席される大評定なのでしょう、いくらなんでも開拓者では!?」 「大丈夫だよ、彼らならきっと。――遼華君を支え、励まし、共に歩んできた友である彼らなら、きっと最善の答えを出してくれるよ」 ●別の日 爛漫と咲き乱れる薄紅の花弁が、寒々しく無機質であった世界を明るく照らす。 「‥‥すっかり暖かくなったね」 窓の外では、新しい命達が待ちわびた春を祝い、咲き誇る。 そんな光景を愛おしく感じながら、寝台に身を起こす『高嶺 戒恩』は吹き込む春風に頬を撫でさせていた。 「伯父様っ!」 と、ノックもそこそこに、開かれた扉から若々しい声と共に、元気な足音が近づいてきた。 「やぁ、その声は遼華君だね。どうしたんだい?」 寝台の上に身を起こす戒恩は、軽やかに床を踏みしめ近づいてくる若い息吹に、自然と顔をほころばせる。 「え‥‥あの、伯父様‥‥?」 「うん? どうしたんだい?」 まるで腫れ物から手を引く様に、びくりと縮められた手が部屋の空気を通して感じられた。 「あの‥‥その‥‥お加減は‥‥如何ですか?」 恐る恐る伺いを立てる声。どうやら自分はそこまで酷い見目をしているらしい。 「今日はとても暖かだね。春風が気持ちいいよ」 彼女が居るであろう方向へ向け、にこりと微笑む。肩の力を抜いた自然体の笑みを。 「そ、そうですねっ! 最近は寒の戻りも無くなりましたし、ようやく春めいてきましたっ! 今朝なんて、私も布団が恋しくなかったですからっ!」 捲し立てられる様に紡がれる言葉。「私は元気ですよ、だから心配は要りませんから」。まるでそう言っているようだ。 「はは、それはすごいね。布団の魔力から解放されるのか」 「そうなんですよっ! 朝も一発で目が覚めますしっ! あ、でも‥‥」 「うん?」 「えっと‥‥お昼はぽかぽか気持ち良すぎて、うとうとしちゃう事が」 恥じらう仕草が脳裏に浮かぶ。きっと目の前でも舌を出し頬を染めているのだろう。 「布団の魔力からは解放されても、今度は春の陽気の魔力か。世の中、なかなかうまくできているね」 「そうなんですよっ! すごく抗いがたい力なんですからっ!」 ――今度はグッと拳を握り、少し怒った様な顔をしているかな。 「うん、それには私も同意するよ。――さて、話は戻るけど、今日は何の用だい?」 ――このままこの益にもならない話を続けていたい気持ちはあるけど、そろそろ話を戻さないとね。 ――もう時間があまり無いんだ。 「あ、そ、そうでしたっ! えっと、あの‥‥」 「心津の事かい?」 「は、はいっ!」 図星だったのか、遼華の声が少し裏返った。 「穏君に聞いたよ。無事取り返してくれたんだってね」 「は、はい‥‥。私は何もしてないんですけど、開拓者の皆さんが奮闘してくれましたっ!」 「おや? 私の聞いた話とは少し違うね」 「え?」 「心津を取り返せたのも、君が居たからだって」 「‥‥」 「皆は君の為に、死力を賭して心津を取り戻した。誰の為でもなく、友である君の為にね」 もう開く事の無い目で目の前の少女の表情を『見る』。自信なく俯いているであろう、彼女の顔を。 「‥‥相変わらず自分に自信が無いんだね」 「そ、そんなことは‥‥」 「無いと言えるかな?」 「‥‥え、えっと‥‥」 「‥‥ごめんごめん。ちょっと意地悪が過ぎたね」 もうこれ以上は『見て』いられない。 戒恩は先程までの真剣な表情を崩し破顔すると、クイクイと手招きした。 「え‥‥? はい、なんですか?」 「遼華くん、実は私からちょっとお願いがあるんだ。実はね――」 暖かな春風にも負けぬ、彼女の体温を身近に感じながら、戒恩は悪戯な笑みを浮かべた。 |
■参加者一覧
一ノ瀬・紅竜(ia1011)
21歳・男・サ
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
水月(ia2566)
10歳・女・吟
御神村 茉織(ia5355)
26歳・男・シ
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ●高嶺別邸 季節は春。 まだ青い空にうっすらと浮かぶ月を見上げながら御神村 茉織(ia5355)は呟いた。 「旦那にはいつも驚かされるぜ。ずっと前から、考えてたんだろ?」 「何の事かな?」 「そこまで言わせるのか。ったく、遼華のことだよ」 「うんうん、最近妙に色っぽくなってきたよね。艶を帯びて来たっていうか」 「そうそう、こう腰の辺りが――ってちげぇよ!」 思わず戒恩のペースに呑まれそうになるのをなんとか耐える。 「ったく、その性格だけは死んでも治らなさそうだな」 「はは、褒められたよ」 「褒めてねぇ! ‥‥なぁ旦那、名字を変えずに後は継げねぇのか?」 「無理」 「即答だな」 「君も逃げた口なんだろう、掟っていう鎖から」 「‥‥」 「善し悪しあるにせよ、掟や決まり事が無ければ無法が通ってしまう」 「それが朱藩の道理だと」 「そういう――ごっ‥‥がはっ!」 突如、戒恩の表情が苦悶に歪む。 「お、おい! 旦那! くそっ! 誰か、誰かいねぇのか!!」 咄嗟に茉織が駆け寄った時には、純白の寝台は真紅に染まっていた――。 ●街外れ 遼華を領主に。その為の署名を。住民達はそんな前代未聞の頼みに戸惑うばかり。 「‥‥やってみなくちゃ分からないの!」 珍しく語気を強めた叫びに、皆の視線が集まった。 「朱藩は自由を尊ぶ国って聞いたんだよっ! それが何なんだよ! こんな事くらいでびくびくして!」 二人の熱弁に集まりはすれど、住民達は動こうとしない。 「‥‥やっぱり簡単じゃないの」 「でも、でもでも! 署名で少しでも遼華おねーさんの後押しをしないと!」 眼には見えない境界線が二人と住民の間にある。 越えられぬ線に悔しさを滲ませる、そんな水月(ia2566)と石動 神音(ib2662)に――。 「僕は書くよ! だって、領主はお姉さんがいいもん!」 声を上げたのは十にも満たない童だった。 「お姉さん、何処に書けばいいの?」 「え、あ、ここにお名前書いてくれればいいんだよ」 童は渡された筆を五本指で握ると、拙い字で名前を記した。 「‥‥すごいの。字が書けるんだ」 「へへっ、お姉さんに習ったんだ!」 自慢げに墨の着いた手で鼻を擦る童。 「ね、皆も書こうよ! これを書いたらお姉さんが戻って来てくれるんだから!」 この屈託のない童の声がきっかけとなり、住民達はぽつりぽつりと署名に手を上げ始めた。 「‥‥皆、きっかけが欲しかっただけなの」 「きっとそうなんだね。あの子に感謝しないとなんだよ」 ●心津 荒れ果てた領主屋敷に天河 ふしぎ(ia1037)は足を踏み入れていた。 「ついこの間までここで‥‥」 障子や襖は無残にも裂け、壁や柱には血糊の跡。戦いの様を色濃く残す屋敷を進み、遼華の部屋へと至る。 「‥‥べ、別にやましい気持ちなんか無いんだからなっ! これは、遼華にとって必要なことなんだっ!」 顔を真っ赤に自分自身に言い訳をかまし、部屋の扉を開いた。 「――こんなにあったんだ」 ふしぎが探していたのは、心津を訪れた旅人から届いた感謝の手紙。 「やっぱり遼華のしたことは間違いじゃない。こんなにも感謝の印があるんだから」 大切に保管されていたそれを懐へと仕舞うと急ぎ部屋をでる。 「急がなきゃ‥‥ここは――心津には遼華が必要なんだっ。それをわかってもらう為に!」 ●甘味処 「神音もね、実は養子なんだ」 「え、そうだったんですか?」 甘味屋の長椅子に並んで座り、香り高い新茶を啜る。 「うん。でも、センセー――えっと遼華おねーさんにとっては戒恩さんみたいな人かな、は、石動の名前を大切にしろって。だから籍には入ってないんだ」 「‥‥そう」 「とーさまの残してくれた名前は大切だけど、でも、名前は名前」 神音は呑みかけの湯呑を置き遼華へと向き直ると、胸に手を添えた。 「神音に託してくれた想いは、ずっとここにあるよ。決してなくなったりしない物が、ずっとずっとこの中に。思い出って無くなったりしないよ。絶対に」 そして、空いた手で遼華の手をぎゅっと握る。 「神音ね。遼華おねーさんが高嶺さんの籍に入るなら、一緒に入りたいなって。あ、高嶺にじゃないよ? センセーの籍に」 にこりと微笑む太陽の笑顔。 「一人は辛いもんね。神音もずっと一人だからよくわかるよ。でも、一緒だと少しは心強いでしょ?」 「うん‥‥そうだね。少し考えてみるね」 「うんっ!」 二人はそれ以上話す事無く、再び新緑の香りに口をつけた。 ●別邸 「はぁ‥‥なんだかとんでもない事になっちゃいました」 縁側に腰掛ける遼華の顔に浮かぶのは自嘲気味な微笑み。 「なぁ、遼華」 整えられた庭を眺めながら一ノ瀬・紅竜(ia1011)が小さく呟いた。 「迷っているのか。いや、迷わない方がおかしいな。桜餅とみたらし団子、どちらにするか選ぶのとは訳が違うしな」 紅竜の冗談にも遼華の瞳に笑みは浮かばない。 「‥‥決めるのはお前だ。だがな――二年だ。何も無い場所、過酷な環境でも精一杯やってきたお前を、俺はずっと見て来た。そんなお前が‥‥俺は好きだ。愛している」 途端、遼華が目を伏せた。 「『大好きな皆が居るから』。そう話していたお前が好きだから、あの地を護りたい。もちろんお前と共にだ」 しかし紅竜は続ける。自らの決意が遼華の背を少しでも押せるならと。 「だから、お前の意思で選んでくれ。俺はそれに異を唱える事はしない」 紅竜は心からの願い。しかし、遼華は少し困ったような表情を浮かべじっと俯く。 「あ、あの‥‥」 「なんだ?」 「‥‥ごめんなさい。私、今はとても」 消え入りそうな声が、紅竜の耳へと届いた。その時――。 「遼華殿‥‥む、こ、これはお邪魔であっただろうか‥‥?」 部屋の角から現れた皇 りょう(ia1673)に、遼華は紅竜に掴まれていた両手を払う様に立ち上る。 「‥‥いや、話は終わった。どうした?」 「ん、ああ。遼華殿、戒恩殿から聞いたのだが‥‥」 「あ、えっと‥‥はは‥‥ほんとびっくりですよね」 空笑いの後しゅんと俯いてしまう。 「う、うむ‥‥いや、遼華殿」 「はい?」 「私は口下手ゆえ気の利いた事は言えぬ。ただ、御父上が残した言葉を忘れないでくだされ。――天に居られる御父上が何を一番悲しむかを、遼華殿ならわかっていると思う」 そう言うとりょうは、戸惑う遼華の肩をそっと抱いた。 ●別邸 「‥‥わたしには名が無いから、名前がどれだけ大切か本当の意味ではわからない」 月に照らされ水月の白髪がキラキラと輝きを放つ。 「‥‥そんなわたしでも両親から受け継いだ大切な物は持ってるの」 緑の瞳を精一杯見開き、水月は遼華を見上げる。 「この髪も、この眼も‥‥お母さんがくれたの。それと、この力お父さんがくれたの」 水月は右手をすっと上げると、淡く光る精霊力を収束させる。 「名前は継げなかったけど、継いだものは沢山あるの」 そう言い切ると、水月ははふぅと大きく息継ぎをする。 「わたしも大人になって‥‥誰かを好きになって、結婚して赤ちゃんを産んで‥‥それが受け継いでいくって事なんじゃないのかな」 自問から質問へ。水月は何時答えが返ってきてもいい様に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。 「もし、高嶺って名前を継いでも、遼華お姉さんっていう人が全部消えちゃうわけじゃないでしょ? それに受け継ぐのは両親からだけじゃないの。今まで出会った人達からだって、いっぱい色んな物を受け取って来た筈なの」 「‥‥うん、そうだね。沢山もらったよ」 「だから、この‥‥」 と、水月は集めた署名をすっと差し出す。 「『想い』も受け取れるって信じてるの」 「‥‥私にできるかな?」 差し出された台帳をぎゅっと胸に抱き、遼華は問いかける。 「‥‥」 水月は答えず、ただ一度だけこくりと頷いた。 ●大評定 輿志王を上座に据え重鎮達が居並ぶ席に、遼華は友を率い足を踏み入れた。 「『心津』名代、高嶺 遼華まかり越しました」 藍に染め上げられた礼装を身に纏い、深々と首を下げる遼華。 「ふん、戒恩殿が存命であるにもかかわらず、すでに領主気取りか」 「見た所、見目だけは麗しいようで。はてさて、どうやって取り言ったのやら」 重鎮からは鋭い視線と言葉の圧力を、その側近たちからは罵詈雑言を。 (怯むなよ。胸を張れ。旦那も‥‥見てるぞ) 今まで味わった事の無い圧力に気押されそうになる遼華の背を、茉織は言葉の手で押した。 ● 「占領の責は、領地奪還によって果たしたと考えるべきです! これは領主代行――いえ、今は心津領主である高嶺 遼華の功績であると言ってもいい」 士道もって礼を尽くすふしぎが、並みいるお歴々を前に熱弁を振るう。 「まず、アヤカシに領土を奪われた失態は高嶺家にある」 が、重鎮の一人が面倒臭さそうに重い口を開いた。 「そして、アヤカシから心津を奪い返したのは、開拓者である」 「そ、それが何か!」 「心津は開拓者が奪還した。この事実のどこに高嶺家の功績があるというのだ」 「それは‥‥!」 「開拓者を雇うなど金がれば誰でもできる」 「ぐっ‥‥! し、しかし、遼華は未開の心津を切り開き、沢山の感謝状を得ている。これも人徳があればこそっ!」 拳を畳に突き立て、死に捲し立てるふしぎを、お歴々は冷ややかな視線で見つめる。 「‥‥同じ事を言わせるな。それも開拓者の力を借りたものなのであろう。結局この娘に何の功績がある?」 「それは違う!」 と、悔しさに歯を噛むふしぎに代わり紅竜が出た。 「遼華は粉骨砕身心津の為に働いてきた。心津という土地の難しさを知り、美しさを知り、何より心津を愛してきた」 集まる視線をもろともせず、紅竜は続ける。 「戒恩はその心を見抜き代行に就かせた。そして、遼華はその期待に見事応えたんだ!」 それは紛れもない本心。紅竜がずっと胸の内に秘めていた、遼華を支える原動力だった。 「ふむ、では心津という土地は愛で統治ができるのか」 「な‥‥」 「そもそも何故、その娘にしかできないと考える?」 さも当然だと言わんばかりの質問に、紅竜は一瞬呆気に取られた。 「他の誰かにやらせても見ないうちに、その娘にしかできないと決めつける理由がわからんな。その娘よりも成果を上げる者がいると何故思わん」 「そ、それは‥‥ぐっ!」 「ここに証拠があるからです!」 言葉に詰まる紅竜に代わり、白包衣を纏った神音が恭しく首を垂れた。 「ここに集めたのは心津二千の民が記した署名。遼華様を領主にと嘆願する署名です」 と、神音は畳に台帳を滑らせる。 「民は心津を発展させた遼華様を支持しています。何より経済発展は遼華様と領民の信頼の上に成り立っている。新しい領主にそれが可能ですか?」 「ふむ‥‥ならば問うが、ここに居る朱藩を支えてきた重鎮達は、経済発展においてその娘より劣ると言いたいのだな?」 「い、いえ、それは‥‥」 ここに居る重鎮達が発する気を見れば、どれ程の人物たちなのかは神音にもわかる。 「誰が統治するかが問題なのではない。その者に統治する力があるのか問いたいのだ。ただ名を継ぐだけでそれが得られるとはお前も思うまい?」 言の葉の戦場を駆け抜けてきたお歴々の言葉は、どれも正論すぎて返す言葉もない。 三人は遼華を前に、グッと言葉を詰まらせる他なかった。 ●控え室 「貴方様も味わってみてはいかがです?」 りょうが目の前の男に向け甘く誘いかける。 「な、なぜ私が!」 「ははは、そうですな。あのようなおぼこでは貴方程の威丈夫の前戯すら勤められませぬ」 この手の話に弱いのか動揺を見せる男に、りょうは非礼を詫び首を垂れた。 「当然だ! 私を誰だと思っている! 朱藩国の重鎮にして東野家の――」 「それでは失礼いたします。また後ほど評定にて」 りょうは自慢に話を始めた男を残しさっさと部屋を出た。 「偏見、見栄、差別、保身‥‥何と薄汚い戦場だ、ここは‥‥」 廊下を歩くりょうが小さく呟く。 「りょうさん?」 と、曲がり角ではち合わせた相手は遼華だった。 「あれ‥‥なんだか顔色が」 「大丈夫。戦場というのは色々な所にあるのだな、と少し感心していた所だ」 「?」 「気にしないでくれ。それよりも、気は落ち着かれたか?」 「あ、はいっ! おかげで一息つけましたっ」 「そうか。それはよかった。まだまだ、勝負はこれからだからな」 「はいっ!」 りょうは遼華の背に手を当てそっと押してやる。不退転の戦場へ向けて――。 ● 「じゃぁ一体誰があんな僻地を統治するんだ!」 「紅竜、押えろ」 溜まりかね正座を崩そうとした紅竜の方を、茉織がグッと掴んで抑える。 「‥‥お歴々の皆様、そして輿志王様。今はまだ若き高嶺の跡取りにしばしの猶予を頂けませんか?」 すっと正座のまま音も無く前へ出た茉織。 「没収するにしても、別の方が統治に就かれるにしても、ある程度の復興が進んでいる方が都合がよろしいでしょう」 「ふむ‥‥では、それまでの間、その者が代行統治するというのか?」 「仰る通り。しかし、それには条件があります」 「なんだと?」 「もし、頂ける統治期間に遼華様がめまぐるしい成果を上げられた場合、心津を拝領したい」 「なにを都合のいい事を!」 「貴方に申し上げているのではない!」 提案に反論の声を上げた重鎮を、茉織は一喝する。 「輿志王! 貴方にお伺いしているのです!」 「‥‥」 しかし、輿志王は沈黙を守る。 「当然だ。そのような突拍子もない――」 無言の王が、否の判断を下したとみた重鎮は安堵の声を上げるが、その時。 「ならば問わせていただこう、お歴々の方々よ。そして、輿志王」 ずっと黙してきたりょうが、輿志王を睨みつけるように視線を上げた。 「あの地は再びアヤカシの脅威に晒される危険がある。再び襲来があった場合、ここの誰が討伐に向われるか。あの旨味の無い地を誰が命をかけて守られるのか! 教えていただきたい!」 りょうはざわめく広間を見渡す。 一向に手を上げる者の無い中――。 「私が護りますっ!」 誰かが声をあげるなら、引きさがりもした。しかし、声は無かった。 自分を受け入れ護ってくれた場所。戒恩や仲間たちとの思い出が詰まった大切な地。 それを他人に渡したくはない。その一心が遼華に声をあげさせた。 「な、なにを!」 「なんだこの三文芝居は!」 お歴々の間から動揺ともとれる言葉の数々。主従間で行われた芝居ともとれるやり取りに、憤慨する声が次々と上がった。 「いいだろ」 と、声は広間の最奥から。 「お、王!?」 一斉に集まる視線を無視し、輿志王は遼華を睨みつける。 「期間は二年。その間に心津の経済を今の二倍‥‥いや、三倍に成長させろ。できなければ即没収する」 突き付けられる条件はあまりに無謀な数字。 「‥‥わかりました」 しかし、遼華は睨みつける輿志王の視線を真っ向から睨み返した。 「必ずやそのご期待に沿って御覧に入れますっ!」 |