その囲みを破る者――
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 難しい
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/03/19 19:54



■オープニング本文

●森
 西の空を茜色に染めながら、太陽が沈んだ。
 東の空はすでに夜の訪れを歓迎し、紫色から一気に夜色へと変貌を遂げる。
「茜‥‥わらわはもうはしれぬのじゃ」
「もう少し‥‥もう少しだよ! こんな所で止まっちゃダメ!」
「もうだめじゃ‥‥」
「姫!」
 枯れ葉をくしゃりと砕き、繋いでいた小さな温もりが急に立ち止る。
「ぞうりがこわれてしもうた‥‥」
 それは漆か金箔か。贅の限りを尽くした意匠を凝らした草履は、見るも無残に土色に覆われている。
 絹か錦か。少女の可愛らしい外見にも負けぬ、椿の花を思わせる鼻緒がプチリと根元から切れていた。
「草履なんて脱いで! ちょっと痛いけど、裸足で走るんだよ!」
 こんな所で立ち止まっている暇なんてない。あいつらはもうそこまで‥‥!

 ガサリ――。

「っ!?」
 闇に閉ざされた森の奥で葉を揺らす何かが蠢いた。
 茜はそれを確認することもせず、小さな少女の腰に手を回し、無理やりに起き上がらせる。
「安瀬はもううごけぬ‥‥」
「何言ってんの! こんなとこで死にたいの!!」
 なおもへたり込もうとする幼い少女に喝を入れると同時に、脇から背へと腕を回し一気に持ち上げた。
「しっかり掴まっててよっ!!」
 この森を越えさえすれば‥‥。
 小さな、でも確実な希望を目指して、傷付いた身体に鞭を入れた。

●丘
「はぁ‥‥はぁ‥‥くそぉっ!」
 鉄の味に満たされた口腔から悔しさが滲みだす。
 その風景だけを切り取ればいっそ幻想的ともいえる光景が目の前に広がった。
 紫に染まる闇に包まれた世界を照らし出す月光を、丘を覆う短い草に溜まった夜露が反射させ、キラキラと輝く。

 丘の頂上には――。
「こんなとこまで先回りか‥‥っ!」
 傷付き、力無く船体を横たえる飛行船があった。
「まだ動くかもしれない‥‥! 姫様、行くよ! しっかり掴まって!」
「もうつかれたのじゃ‥‥あまい菓子がたべたいぞ?」
「帰ったら腹いっぱい食べれるから、今は我慢して! 行くよ!」
 腕の中で不満げに眉を顰める安瀬姫の身体をぎゅっと抱き直し、茜は遮るものの何も無いのっぺりとした丘へと足を踏み出した。

●飛行船
「一体誰が‥‥」
 見せつける様に破壊された船体はまるで、こちらの士気を挫く敵の策略かと思いたくなる。
 それほどまでに、『わざとらしい』破壊だった。
 この場所に緊急脱出用の飛行船を待機させていたのは、隊長である茜しか知らない。
 ならば誰がこの船の存在を知り、破壊したのか。まさか‥‥。
「うんん、まだだ。まだ宝珠さえあれば‥‥!」
 じわりと心の底から滲みだしてくる不安を無理やりに抑え込み、茜は船内へと踏み入る。
 目指すは動力室。宝珠さえ無事なら飛べないまでも浮き上がって逃げることができる。
 最後の望みを込め、茜は動力室に続く扉を開け放った。
「‥‥そんな」
 そこに広がる景色に、茜は言葉を失う。
 風宝珠と浮遊宝珠。飛行船を動かす為に必要不可欠な二つの力が、ことごとく破壊されていたのだ。
「駄目だ‥‥もうこの子は飛べない‥‥」

 ザワ――。

「っ!」
 草が揺れた。
 風で揺らされたのではない、これは明らかに――。
「‥‥姫様、ごめん」
「どうしたのじゃ‥‥? なにがかなしいのじゃ?」
 訳も分からずぽむぽむと頭を撫でてくる姫の暖かくて小さな手。
「ほんとにごめん‥‥護れなく――」
 双眸から溢れだしそうになる涙を瞼の堰でギリギリまで押しとどめながら、茜は安瀬姫の身体を抱きしめようとした。その時。

「ちょっとお邪魔するよ?」

「え‥‥?」
 突然の予期せぬ声に茜は顔を上げ、きょろきょろと声の主を探す。
 まさか、船の生き残りが居た? 
 そんな淡い期待が胸の奥底から湧きあがってくる。
「道に迷ってしまいまして‥‥」
 声の主は複数いるようだった。茜は薄暗い部屋の中で目を凝らして侵入者の姿を見る。
「な、何でこんな所に、君達が‥‥」
 思わずそう呟いていた。
 ぞろぞろと壊れた飛行船の動力室に踏み入ってくる人達が、一見してそれとわかったから。

 アヤカシの仇敵。現世の護人。
 そう、開拓者達だと――。






<注:限定条件>

参加者の皆様は、別の戦闘依頼の帰りにこの撤退戦に遭遇しました。
遭遇前に消化した依頼の為、皆様はこの依頼開始前に、以下の限定条件がつきます。

・生命、練力、気力とも、実数値の半分(生命が100のPC様の場合、50となります)

数値上では増減はありませんが、上記条件でこの依頼が開始すると考えてください。
100%の力は発揮しづらい状況ですが、うまく切り抜けてくださいね。




■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
フェルル=グライフ(ia4572
19歳・女・騎
叢雲・暁(ia5363
16歳・女・シ
紗々良(ia5542
15歳・女・弓
劫光(ia9510
22歳・男・陰


■リプレイ本文

●飛行船
「――あまねく神霊達よ。傷付きし者へその慈悲を示せ!」
 讃美歌にも似た神秘的な詩と共に生まれた光の粒子が、破壊された船の壁を照らし出す。降り注ぐ光は、そこに在る者の身体へ触れ、溶けて消えた。
「‥‥ふぃ、生き返った〜」
 うーんと結んだ両手を叢雲・暁(ia5363)が真っ直ぐに伸びをする。
「傷は、癒えた筈です。お姫様、もう、痛くないでしょ?」
 光が織り成す一瞬の幻影にぽかんと口を開け魅入っていた安瀬姫に紗々良(ia5542)がにこりと微笑みかけた。
「う、うむ、いたくないぞ!」
「そう、よかった。もう、心配ないから。すぐに、お家に、帰れるから、ね。あ‥‥そうだ。これ、あげる」
「? おかし?」
「雛あられ。美味しい、よ?」
 安瀬姫は紗々良に渡された小袋を目を輝かせ受け取った。

「フェルル、助かった。疲れてるのに、悪ぃな」
「あれ、今日はやけに素直ですね?」
 紗々良と安瀬姫の微笑ましい会話を遠巻きに眺めながら、酒々井 統真(ia0893)とフェルル=グライフ(ia4572)は互いの肩を寄せる。
「‥‥‥‥さて、どうやってこっから出るか」
「ふふっ、そうですね。どうしましょう?」
 途端、話題を切り替える統真をフェルルは微笑み覗き込む。触れた肩はそのままに。
「‥‥‥‥とにかく、こっから出て敵中を抜けて帰る。それだけだろ」
「そうですね。私も無事に帰りついたら、統真さんにお伝えしたい事がありますし」
「え‥‥なっ‥‥」
 フェルルの無垢な笑みに、統真は蛇に睨まれた蛙の如く、ビキッと固まった。
「ふふ、楽しみにしててくださいねっ」

「ふむ、不安で取り乱すと思ったが、さすが理穴の姫と言う所か」
「聞き分けのいい子で助かるんだけど‥‥」
 どこか申し訳なさそうに安瀬姫の姿を眺める茜に、劫光(ia9510)は安心させるように呟いた。
「心配するな。ここで出会ったのも何かの縁。必ず連れ帰ってやるさ」
「開拓者殿‥‥ごめん、世話をかけて‥‥」
 しゅんと項垂れる茜の頭をガシガシと乱暴に撫でつけ、劫光が皆へを向き直った。
「さぁ、皆、そろそろ状況を確認しようか」


「敵は、森から。一旦、西に出て、迂回する」
 後に続く仲間達に一声かけ紗々良が先行し丘を下る。
「大丈夫、すぐ帰れるからねっ。お姉ちゃんの手をしっかり握ってるんだよ?」
「う、うむ!」
 小さな手で懸命にフェルルの手を握り返し、二人は紗々良に続く。
「前の依頼の報酬が――でしょ。で、イレギュラーなこれで‥‥。うーん」
 二人を更に追いかける形で、暁と茜が続く。
「ねね、こんなものでどうかな!」
「へ? え‥‥?」
「報酬だよ報酬! 破格の安さだと思うんだけど!」
 呆然と見つめる茜に突き出した指は三本。
「え、ああ‥‥多分、それ位なら帰ったら‥‥」
「そっか! よぉし、がんばっていっちゃおー!」
 茜の返答に暁はスキップなんぞ踏みながら先の二人を追った。

「よし、行ったみたいだな。皇の方はどうだ?」
 船内の統真が舳先に身を伏せた劫光に声をかけた。
「‥‥岩に刀傷一文字。あっちも準備完了だそうだ。何時でも行けるぜ」
 北の岩山に目印を見た劫光が答える。
「それにしても‥‥不利な地形に孤立中の上に、アヤカシの大群がそこまで迫ってる」
 不自然に木々の葉が揺れる森を見下ろし統真が呟いた。
「おまけにこっちには小さなお荷物付きだ」
 と、声は頭上から。
「さしずめ飛車角落ちってとこか? ‥‥ったく、本気で面白くなってきやがったぜ」
「これだから戦闘狂は困るな」
「おいおい、そう言うお前だって、顔がにやけてんじゃねぇか」
 見上げれば、歪む口元が見える。
「何の事だかな。っと、そろそろ時間か」
 死地の取り残された男二人。まるでこの状況を楽しんでいるかのごとく不敵に微笑み合うと、
「行くぜ! 大脱出劇の開幕だ!」
 劫光は気合い一発、丘で最も目立つ船の舳先に身を晒した。

●東の森
 落葉と常緑の合間を抜け、低いうなり声が聞こえる。
「死中に活を見出す。言葉で言うのは簡単だが、いざ体現するとなると‥‥」
 息を殺し茂みに潜む皇 りょう(ia1673)が、腰に下げた愛刀の柄を握り直す。
 新緑を待つかれた森の中、心の眼に映る無数の光点は確実に丘へと進路を取っていた。
「否、自ら引き受けた役目。ここで臆していては全体の作戦に差し障る」
 先の戦いにおいて不名誉な傷を負い、勝利の為に気力も賭した。そして今、万全とはいえぬ己が身を晒すのは、アヤカシが巣食う深き森。
「ふ‥‥この絶望的な戦力差。酒々井殿であれば、面白いとでもいうのであろうな」
 そんな死地にも等しい場所で、りょうは囮となり残った仲間の顔を思い浮かべ微笑んだ。
 その時、東進するアヤカシを示す光点にざわめきが奔った。
「来たか! これより我、修羅道へと入る! 我に武神の加護やあらん!」
 白い靄とも見える気迫を吐き出し、りょうが茂みから身を躍らせた。

●谷

 リーーン‥‥。

 鈴の音にも似た高らかな弦の音が谷の絶壁に反響する。
「‥‥森に、アヤカシ沢山。谷は、大丈夫です」
 弦の音が収まると同じくし目を開いた紗々良。
「瘴索結界を」
「大丈夫、皆が、引き付けて、くれてるから」
 印を結ぼうとしたフェルルにかぶりを振った紗々良は、谷沿いに先行する暁の姿を目で追った。
「ここで、襲われたら、さすがに、防げない。早く、抜けましょう」
「うん、そうですねっ。安瀬姫様、もう少し走れそうですか?」
「うむ、まかせるのじゃ!」
 むんと小さな胸を張る安瀬姫を微笑ましく見つめた二人は、
「可愛いお姫様にはご褒美です。ちょっとじっとしていてくださいね。さ、紗々良さんも」
「?」
 フェルルは二人を集めると胸の前で小さな印を組む。
「あたたかいのじゃ‥‥」
「加護結界‥‥?」
「はいっ。もしもの時の為のおまじないですっ」
 きょとんと見つめてくる二人に、フェルルはにこりと微笑んだ。


「おおー、派手にやってるな!」
 幾ら立ち枯れの木とはいえ、一刀の元になぎ倒されていくそれを眺め、劫光は感嘆の声を上げた。
「高みの見物も結構だけどよ。そろそろ、来るぜ!」
 伏兵りょうの不意打ちは見事に成功し、森の中にあるアヤカシの群れの大部分が混乱に陥っている。だが、丘へと向かうアヤカシの数も多い。
「残りは半分――よりは多いな。俺達に獲物を残してくれるなんて、皇の奴、わかってるじゃないか!」
 劫光は舳先から飛び降り、統真と肩を並べた。
「どうだ一つ賭けないか?」
「倒した数か?」
「それは俺の勝ちって決まってからな。賭けにならない」
「へぇ、言うじゃねぇか。そんじゃ、何を賭けようってんだ?」
「命」
「おいおい、わりぃけどその賭けには乗れねぇぞ?」
「勘違いするな。命を投げ出すんじゃない、救うんだ!」


「この森の中では、その図体は邪魔であろう!」
 猛獣特有の鋭利な牙をきらめかせる大虎に向け、りょうが不敵に微笑む。
「かかってこい! 貴様の相手はこの私だ!」
 言葉を理解せぬ獣であっても、その挑発的な雰囲気を察したか、虎はぐるると低く唸り標的を定めた。
「ふっ‥‥この状況になって、私は楽しんでいるのか」
 視線を落とせば満身創痍の己の腕が見える。そして、目の前には強大な敵。生死を分かつかもしれぬ死戦場の中、内から込み上げる感情は――歓喜。
 人との交わりで得られるものとはまるで異質ではあるが、確かにそれは歓喜と呼べる感情だった。
「ならばこの一時‥‥楽しませてもらおうっ!!」
 普段のりょうからは考えられぬ獰猛な雄叫び。
 どちらが真の捕食者か、それをわからせてやると、りょうは大虎を睨みつけた。


「おらぁぁっ!!」
 暴風にも似た風を生み出し振りまわされた裏拳が、甲虫の一体を粉々に破砕する。
「闇の間に間に漂いし命の欠片――抜けよ抜けよ。偽殻を破れ! 吸心符!!」
 大蛇の額へと張りついた符が、活動に必要な何かを吸い尽くす。
 二人が陣取る廃船は、アヤカシの怒涛に晒されていた。
「‥‥ちっ、きりがねぇな!」
 足元から忍び寄る甲虫を踏みつぶし統真が叫ぶ。
「きりが無くても何でもかまわねぇ。ここにできるだけ集めるんだ!」
「わかってんぜ! 俺達が引きつけてあいつ等を逃がさねぇとな!」
「ああ、もちろんそれも目的だが‥‥」
「は? 他に目的なんて‥‥って、おい!?」
 不穏な空気を感じ振り向いた統真の眼に、火種を生み出し不敵な笑みを浮かべる劫光の横顔が飛び込んでくる。
「折角あるのに使わないのは、勿体ないだろ?」
「お前、まさか‥‥って、ちょ、まっ!?」
「最後の役目をくれてやる! アヤカシ諸共成仏しろっ!!」
 目を見開き止めようと手を伸ばす統真を他所に、劫光は種火を火薬樽へと弾き入れた。


「え‥‥?
 遠くで響く爆発音に茜が思わず脚を止めた。
「はいはい、振り向かなーい。ほら、一気に渡るよ!」
 そんな茜の背をポンと叩き暁は吊り橋の手すりに手をかけると向う岸を指差した。
「う、うん、そうだね! あの先まで行けば!」
「そう、その為にも僕達が先行するよ!」


「殿組が、派手に、やってる」
「ええ、引き付けてくれている間に一気に抜けましょうっ!」
 爆発音を背中に聞きながら二人は振り返る事無く吊り橋を目指す。しかし。

 ぶおぉぉぉ――。

「っ!? そんな、さっきは確かに反応は!」
 無数の羽音が、森を抜けフェルル達の前へ飛び出してくる。
「爆発音で聞こえなかったのかもしれませんね‥‥ともかく紗々良さんは下がって! 安瀬姫をお願いしますっ!」
 咄嗟に弓を構えようとした紗々良を止めると、フェルルは安瀬姫を引き渡し、腰に携えた二本の剣を抜き放った。
「あんまり剣を振るうなと言われてたんですが‥‥そうも言ってられませんよねっ!」
 現れたアヤカシは幸い少数。紗々良と手分けすれば破れぬ数ではない。
「紗々良さんは安瀬姫を護りながら、後方支援をお願いしますっ! 私は――撃って出ます!」
 かつて培った剣の技は身体が覚えている。フェルルは心が感じるまま剣を握り、そして振りかぶった。


「フェルル!?」
「統真さん、来てくれたんで‥‥って、ええっ!?」
 ついさっき別れたばかりなのにすでに懐かしく聞こえる統真の声に、振り返ったフェルルだが、思わず悲鳴にも似た声を上げた。
「まだこんな所に居たのか! 早く行け!」
 統真と並んで走る劫光が怒気を孕んだ声を上げる。
 それもそのはず、丘から駆けてきた二人の背には――大量のアヤカシの姿があったのだから。
「どういう、こと?」
「アヤカシに炎は効かなかった、って事だ」
 安瀬姫の手をぎゅっと握り問いかける紗々良に統真が答える。
「爆風で吹き飛ぶかとも思ったがな。あいにく随分と固い殻をもってるみたいだ。で、そいつ等がここにも居ると。前門の虎、後門の狼、か。さぁどうする?」
 紗々良達が戦っていた場所で止まった劫光は、三人を交互に見渡した。
「くっ‥‥こうなったら、一か八か谷に飛び降りて‥‥!」
「そんなっ! 安瀬姫様もいるのに!?」
 深い谷底を覗き込む統真にフェルルが必死に縋りつく。
「じゃぁどうするって言うんだ!」
「まだ何か‥‥何か方法がある筈よっ!」
 鼻先が触れ合うほどに顔を寄せ二人は睨みあう。
「夫婦喧嘩は、ダメ。今は、心を、一つに、する時」
「まったく、紗々良の言う通りだと思うがな?」
「「ま、まだ夫婦じゃないっ!」」
 プイっとそっぽを向いていた二人は、苦笑交じりのあきれ顔が浮かぶ紗々良と劫光に顔を真っ赤に猛反論。
 そこに隙が生まれた。

 ぶん――。

 4人の隙をつき、一匹の甲虫が安瀬姫に狙いを定めた。
「し、しまったっ!」
 完全に虚をつかれた4人がただ見つめる中、安瀬姫は甲虫の顎に噛み砕かれるばかり――と思われた時。
「はぁぁぁっ!」
 安瀬姫へと襲いかかろうとした甲虫の頭が唐竹に割れる。
「まだこんな所に居たのか! 急げっ!」
 白刃に張り付いた瘴気を振り落とし、小道と森の境より白髪の戦姫が姿を現した。
「す、皇さん!?」
「何をぐずぐずしている! 一気に切り開くぞ! 我に続け!!」
 森の中で一戦どころか数戦交えて来たりょうの身体はすでにボロボロ。裂かれた衣の間からは生々しい血傷が覗く。それでもなお覇気の衰えぬりょうはただ一直線に橋を目指し刀を振るった。
「酒々井さん夫妻は、殿を、お願いします」
「「一纏めにするな(しないで)っ!?」」
「俺達は護衛だな。了解だ! と言う訳だ、もうしばらく辛抱しておけよ?」
 くすくすと小声で笑う紗々良をあきれ顔で眺めた劫光は、安瀬姫に視線を落す。
「うむ!」
「よし。――生きて帰るぞ!」

●橋
 橋の向こうには暁と茜の姿。
 対岸の安全を確保と誘導縄を設置し、皆の撤退を待っていた。
「邪魔だ――どけぇぇっ!!!」
 咆哮と共に放たれたりょうの一薙ぎが、大蛇の首をはね飛ばす。
「ここは通す訳にはいきませんっ!」
 最小の動作で甲虫に顎を避けたフェルルがすれ違いざまに、口角の隙間に穴を穿つ。
「姫様、下を、見ないで。私を、見てて」
「う、うむ!」
 何度も頷く安瀬姫に母の様な穏やかな笑みを返した紗々良は、激戦を縫って橋を渡る。
「術式終了――ぶっ放すぞ! 皆、退け!」
 安瀬姫の退避を確認し、劫光が殿三人に声を飛ばす。
「怜悧に煌めく真蒼の顎よ、不浄なる者へ、凍えを、そして、恐怖を! 滅禍・氷龍陣!!」
 声を受け即座に戦いを切り上げ退いた三人と交錯する瞬間、劫光は組み上がった術式を解放した。

「最後の仕上げだ!!」
 一斉に退却する中、橋の中央でくるりと身体を反転させた統真が吠える。
「悪ぃが、二人は俺達が頂いてくぜっ!!」
 氷龍に甲虫が砕け落ち、残る大蛇と虎が橋へと大挙する中、統真はほくそ笑むと、固く結んだ拳を床板へと叩きつけた。


「終わったの‥‥?」
 落葉の如く落ちていくアヤカシを呆然と眺め、茜はぺたりと尻もちをついた。
「ああ、終わった。誰一人欠けることなく、な」
 茜の肩にポンと手を添え、りょうは今出せる精一杯の笑みを浮かべる。
「みんな、無事。よかった」
 安瀬姫と繋いだ手をぎゅっと握り直し、紗々良はようやく安堵の息を吐いた。
「安瀬姫ちゃん、今度お父さん紹介してね? ほら、色々とご挨拶しなきゃいけないでしょ?」
「う、うむ‥‥?」
 安瀬姫と目線が合う高さまで身をかがめ、暁がにへらと如何にもな笑みを浮かべる。

 少し離れた所では。
「統真さん」
「うっ‥‥な、なんだよ?」
「さっき言ったこと覚えてますよねっ?」
「さ、さっきって‥‥うー、ああ、その、それは‥‥わ、わるか――」
「と言う訳で‥‥どうぞっ!」
「どうぞって‥‥へ?」
「お誕生日おめでとうございますっ♪」
 手作りの菓子をぽんと掌に乗せせられ呆ける統真を、フェルルは少しはにかみながら微笑ましく見つめた。

「‥‥これで『約束』は完遂だな」
 それぞれが思い思いの生還を喜ぶ中、劫光は一人その場を後にした。