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■オープニング本文 ●安州 鉄と火の街安州の一角に、鎚打ち音の響かぬ一角がある。 清らかな水を湛える小川には、陽の光を浴び青や緑に色彩を変える翼を休めに小鳥たちが舞い降りる。 川のせせらぎが寒さ厳しい冬であってなお青々と葉を茂らす立木の間を流れていた。 「須々木さん、失礼します。包帯を交換に来ましたっ」 まるで窓枠で切り取られた様な冬の景色を眺めていた須々木 穏斎こと穏は、部屋に現れた巫女装束の女性に視線を移す。 「ああ、圭子殿か。いつも、すまないな」 どこかあどけなさの残る屈託のない笑みに、いつものように答えた穏は、身体に巻かれた包帯を交換しやすいように、上着の前を肌蹴させた。 「うーん、血は随分と止まりましたね。傷口はっと‥‥」 血を見れば悲鳴の一つでも上げそうな少女の見た目とは裏腹に、圭子と呼ばれた巫女は手際よく穏の身体に腕を回し包帯をはぎ取っていく。 「うん。こっちもほとんど塞がってますっ。流石志体持ちさんですねっ!」 どこかあの娘に似ているはきはきと歯切れのいい喋り口調に、穏は包帯の戒めを解かれた自分の身体を見下ろした。 一月ほど前、凄惨で残酷な笑みを浮かべる元の主に、慈悲の欠片もない一撃をここに受けた。 圧倒的な力量を前に、護れと言われた開拓者の一人も護れず、ただ襤褸切れの様に無様に血に転がった。 「‥‥須々木さん?」 縫合の跡も生々しい傷跡をじっと見下ろす穏の顔を、圭子は下からきょとんと見上げてくる。 「まだ、痛みますか?」 「‥‥いや、痛みはない。圭子殿の治癒のおかげだ」 微笑む事には慣れていないが、何とかそれらしい顔になったのだろう。 見上げていた圭子は再び屈託のない笑みを浮かべるとくるりとその場で半回転、穏の枕元に置かれていた急須を取り上げた。 「今日は冷えますから、温かい物を煎れ直してきますねっ。少し待っていてくださいねっ」 甲斐甲斐しく人の世話を焼くのが余程楽しいのか、圭子は開け放たれた窓から入ってきた冷気に冷やされた急須を盆に乗せ一礼した。 「あ、圭子殿」 遠ざかる圭子の背をじっと見つめていた穏が、突然圭子を呼び止める。 「はい?」 襖にかけた手をそのままに、首だけをくるりと回転させる圭子。 「‥‥戒恩殿の容体は」 どうだと言いかけて、口を噤んだ。 戒恩が血を吐き倒れたのが一週間前。それは戒恩の側近でもある穏にも伝えられていた。 肺を患っていたと言うのが医者の見立てだ。それもかなり重いと。 「‥‥まだ目を覚ましません」 別に自分が悪いわけでもないのに、圭子はしゅんと肩を落としこちらへ向き直った。 懸命に、献身的に傷付いた人々を支える巫女であるこの少女は、患者全ての不幸をまるで我がことのように悲しむ。 ゆえに、ここに居る誰もがこの少女を信頼し、好いているのだ。 「すまない。辛い思いをさせた」 穏自身も多分に漏れず目の前の少女に同じ感想を抱いていた。だからこそ、出しかけた言葉を止めたりもしたが、遅かったようだ。 穏は軽く首を振ると、また慣れぬ笑みを浮かべて見せた。 「少し横になる。新しい包帯は起きた時に巻いてくれるか?」 「はいっ」 屈託のない笑顔が戻った圭子に安心し、穏は床に体を横たえた。外が寒いだけに、差し込む日差しが一層温かく感じる。 「それじゃ、お茶を煎れ直して――」 そんな麗かと言ってもいい午後の一時を、一条の風が切り裂いた。 「え、え、え?」 眼前を掠めた風に驚いた圭子はドスンと勢いよく床に尻もちをつき、必死に状況を飲み込もうと目を白黒させつつ首を懸命に振る。 「なっ‥‥」 一般人の視力では到底捉える事の出来ない速度で投げ込まれた拳大の石は、深々と病室の壁に当たり床へと転がっている。 穏は威力の余韻を残し今だ転がる石から視線を外し、きょろきょろと首を振る圭子に声をかけた。 「圭子殿、無事か?」 「あ、はいっ。一体なんだったんでしょう‥‥目の前に白い物が突然‥‥」 振っていた首を穏の方へと固定させ、圭子は何度も目を瞬かせる。 「石だ。窓から投げ入れられたみたいだが‥‥」 「石? な、何でこんな所に‥‥」 と、風の正体を知らされた圭子は、穏の視線を追い床に転がる石へと視線を移すと、そちらへと歩き出した。 「なんでしょう‥‥紙が巻かれていますよ?」 床に打ち付けた尻を撫でながら、圭子が拾い上げた石には一枚の紙が巻かれている。 「なに‥‥? それをこちらに持ってきてくれるか」 傷は塞がったといえど、身体を起こすことはできない。 もどかしさと不甲斐なさが交錯する中、穏は圭子に石に巻かれた紙を要求した。 「はい、これですっ。一体何なんでしょう?」 「‥‥これは」 圭子が興味深そうにのぞきこんでくる中、穏は石から紙をはがし広げる。 そこに記されていたのは、上下左右に一文字ずつ配された漢字。そして、その中央に朱墨でつけられた×印。 更に視線を下へと送ると、短い一文が二行添えられている。 「悦か‥‥!」 その見覚えのある文字に穏は低く唸った。 穏の脳裏に浮かぶのは、かつて同じ主に仕え、主を変えたのちにも同じ地で汗を流し合った、息子ほども年の離れた寡黙な男の顔。 あの最後の戦いで姿を見せたとも聞いたが、戦いののち何処へともなく消えたと聞いた。 「圭子殿、窓の外に誰かいないか見てくれないか!」 「え‥‥? は、はいっ!」 突然変わった声音に余程驚いたのか、背筋をぴんと伸ばし立ち上がった圭子は、痛む尻の事も忘れ窓際へ駆け寄った。 「‥‥えっと、誰もいませんよ‥‥?」 窓から頭を出し辺りを見渡すが、そこには緑の梢と小川のせせらぎがあるだけだった。 「そうか‥‥すまない、ありがとう」 「え、あ、はい」 首を傾ける圭子に目で一礼し、穏は手元の紙に再び視線を落す。 悦、今さら何の為に‥‥。 「ま、まさかこれは!」 ●??? 無機質な石の天井に映し出される赤い光の筋だけが今が夕方だと伝えてくれる。 薄暗いこの『箱』に陽が差す一日で唯一この時間だけが、今もちゃんと日が流転しているのだと教えてくれる。 「‥‥ぅ‥‥ぁ‥‥」 長い闇に色を無くした双眸が、赤い光の筋をじっと見つめる。 声にもならない声を上げ、すでに力の入らなくなって久しい右腕を懸命に上げようともがく。 「‥‥ぅ‥‥」 地面から僅かに上がった右手が、天上の光源に近づくにつれぼんやりと輪郭を現した。 うまく力を入れられずにプルプルと小刻みに震える真っ白な手。まるで老婆の様に皺が寄り、いつ骨が皮をつき出てもおかしくない程に痩せ細った自分の右手。 血色と言える赤はまるでなく、ただただ病的に白いだけの手は、遼華にそう遠くない未来に確実に訪れるであろう死を、否が応でも予感させた。 「‥‥ぁ‥‥ぉ‥‥」 無気力に開かれた口から、声帯だけを振るわせる声が漏れ、再び見上げた石の天井。 光は、今日も無情に消えうせた。 |
■参加者一覧
一ノ瀬・紅竜(ia1011)
21歳・男・サ
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
御神村 茉織(ia5355)
26歳・男・シ
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
夜刀神・しずめ(ib5200)
11歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●安州 「あの戦いから何日経った‥‥?」 「‥‥そうだな、既に一月という所か」 一ノ瀬・紅竜(ia1011)の呟きに、皇 りょう(ia1673)が答えた。凄惨を極めた決戦から、年を越しすでに一カ月という長き時間が流れていた。 「くっ‥‥一月もっ!」 「そんなに焦らんでも遼華の姐はんはまだ生きとる筈や。わざわざ知らせてきたんやしな。まぁ、簡単に返すつもりはないんかもしれへんけど」 焦燥が滲む紅竜を気遣ってか夜刀神・しずめ(ib5200)が声をかけた。 穏の病室に机を持ちこんだ一行の表情には焦りの色が浮かぶ。いつも飄々と掴み処の無いしずめでさえ、瞳の奥に不安の影が揺れていた。 「田丸麿との戦いに集中し過ぎて、肝心の遼華の居場所を聞いてなかったなんて‥‥くそっ!」 握った拳を机に打ちつけようと高く上げた天河 ふしぎ(ia1037)は、ここが病室だと思いだしおずおずと拳を下げる。 「死ぬなら一人で死ねばいーのに! 最後までほんと迷惑ばっかりかけるんだから、あの変態男は!」 幾度となく挑み敗れた相手。人としては最低だったけど腕だけは最高の敵だった奴の顔を思い浮かべ、石動 神音(ib2662)が奥歯を噛んだ。 「まぁ、済んだ事を言っても仕方ねぇ。今はこの‥‥悦が知らせて来たって、情報だけが頼りだ」 怒りに震えるふしぎと神音の頭をわしゃっと掻き撫で御神村 茉織(ia5355)は机の上に置かれた紙を見下ろした。 書かれた4つの文字。×印。謎の文章。筆跡から悦が寄こした事に間違いはないこれこそが、遼華へ繋がる唯一の手掛かりだ。 「えっと‥‥神は神社で、安は安売りの万屋‥‥心はお医者さんで、此は‥‥此は遼華に近しい人の場所だね! そして‥‥この×こそが遼華の居場所だ!」 と、声を上げたのはふしぎだった。クイクイっと額のゴーグルを上げながら、どどーんと胸を張り紙をズキューンと指差した。 「えらく斬新な見解だとは思うけどよ、これは安州、此隅、神楽、心津を指してると思う考えるべきだろうな」 「神音もそう思うよ。それでこの×印。ここに遼華おねーさんがいるんだと思うんだ」 「やはり皆そう思うか‥‥。四つの文字がそれぞれの都市を現している‥‥か」 「私もそう思う。というか、それ以外に考えが及ばぬと言う方が正しいが」 一人が発言するたびに、ふしぎの自信は崩壊していく。突き付けた指を引っ込めるに引っ込めれず、きょろきょろと挙動不審に皆の顔を見回した。 「ぼ、僕もそうだと思ってたんだからなっ! 全員同じ意見だと、見落としが発生すると思ったから、あえて‥‥あえて別視点で意見を言ってみただけなんだからにゃ!」 「噛んどるがな」 真っ赤に染まった顔の熱を放出する様に捲し立てるふしぎに、しずめが冷静につっこむ。 「まぁ、地図の部分はそれで間違いないやろ」 「断定するな。何か裏付けでもあるのか?」 思うではなく間違いないとしずめは言った。予測ではなく確定。その自信を裏を知る為、紅竜は問いかける。 「田丸麿が死んだ今、悦の兄はんにとって遼華の姐はんは無価値やろ。別に帰ろうが‥‥それこそ死のうが関係あらへん。まぁ、死なれたら寝覚めが悪いとでも思てるんか、こんなもん寄こしたんやろ、な」 組み上げた推論を饒舌に語るしずめに、皆静かに聞き入る。 「そこでこれや。ここをこーっと、こっちもこーっと‥‥」 しずめは新たに取り出した天儀地図を広げ、筆にぺろりと唾をつけると、此隅と神楽、安州と心津を線で結んだ。 「これは‥‥」 「必ずしもこの交差点にあるとは限らへんけど、×印の場所はこの付近やと思う」 筆をしまい、しずめは皆が見える様に身を引いた。 「武天南部の街『掛珠』、朱藩の港町『奏啄』、心津の北『雁龍』‥‥か」 茉織が交差点付近に存在する、遼華に縁の深い街を指差して行く。 「どれも交差点とは交じってねぇけど、そもそもこの地図も正確な位置関係にねぇし」 地図を退け再び現れた紙の中心を指差した茉織は。 「時間もねぇ。絞るべきだと思うが‥‥どうだ?」 顔を上げ皆へ問いかけた。 「例え我々を謀る悪意に満ちた意図であろうとも、今はこの情報に頼るほかない。ならば踊られてやろうではないか」 ゆっくりと皆を見渡すりょうがまず賛同した。 「この文章にある『石牢』というのが気になる‥‥俺は石造りの街だった雁龍に向おう」 こちらは紅竜。目指す街の名前を口にし地図を指でさした。 「神音は掛珠って街を調べて見るよ。田丸麿に縁がある街みたいだし、あの変態男なら秘密の地下牢とか作ってても全然不思議じゃないしね」 今は亡き女の敵田丸麿に向って敵意むき出しの拳を握る神音が地図を指す。 「‥‥うちはこっちやな。雁龍。一度拠点として使った事があるゆぅ話も聞いたしな」 神音の腕に交錯させるように、雁龍を指差したしずめ。 「えっと、僕は‥‥やっぱり越中家との関わりが強い街の可能性が高いと思うから‥‥こっち! 掛珠に向うね!」 ふしぎは神音に重ねる様に掛珠を指差す。 「では、私も石動殿の供をしよう。掛珠‥‥あの場所には些か因縁があるのでな」 と、神音に次いで立ち上がったりょうの表情には、悲しみとはどこか違う複雑な色が浮かんでいた。 「決まったみてぇだな。俺も雁龍に行くぜ。なんだか嫌な感じがする‥‥」 「残った奏啄の方はどうするんや? まぁ、田丸麿はあの街とは無関係やろうから、可能性は低いと思うけど」 「確かに可能性は低いが‥‥どうだろう、湖鳴に任すと言うのは」 「湖鳴殿にか?」 「なるほどな。湖鳴はあれでも奏啄の相談役様だ。それに遼華にも縁深い。嫌とはいわねぇだろ」 「そうだねっ! 湖鳴は海の男だし信用できると思う! 奏啄は湖鳴に任せるのに賛成っ!」 「そうと決まれば、早く行こー! もう時間がないよ!」 最後に皆、各々の顔を伺うと無言で首肯した。 ●掛珠 「掛珠か、久しいな‥‥」 街を横断する街道から町並みを眺め、りょうが感慨深く呟いた。 「りょうおねーさんはこの街に詳しいんだよね?」 「詳しいという程ではないが‥‥時折、墓参りに、な」 「墓参り? りょうのご先祖様のお墓でもあるの?」 「いや、先祖ではないのだが‥‥大切な人の墓がある」 「大切な人って‥‥もしかして恋人さん!?」 「えっ!? りょうの恋人!?」 「ななな何を言っておるのだ御二人とも!? 恋人などではない! 断じて違うからな!?」 「えー、なんかあやしー」 「こんなに必死に‥‥。そうか‥‥りょうもやっぱり女の子なんだ‥‥」 「だだだだから誤解だと言っておろうが!? 墓の主は女性だー!」 などと他愛もない会話を繰り広げながら三人は街道を進み、ついに目的地の場所へ辿り着いた。 「‥‥ここ?」 「うむ‥‥」 「え‥‥でもここって‥‥」 立ち止った三人が呆然と見上げる一件の店舗は、住む者を無くし何年も経っているようで、犬やらいは朽ち、戸は倒れ、瓦の隙間から雑草すら生えていた。 「間違いなくここが『コットンフィード』。ビルケ‥‥いや、田丸麿の伯父、越中実時が隠れ蓑に使っていた店だ」 廃墟と言っても差し支えのないぼろ屋を前に、りょうは自らの内に溜まった感情を極力揺り動かさない言葉を選び、二人に説明する。 「ほんとに、ここに居るのかな‥‥遼華」 「街の人に聞いても田丸麿はもちろん、越中家の話も全然聞けなかったし‥‥やっぱりここしかないと思うんだけど‥‥」 予想していた堅固な牢獄とはかけ離れた店の姿に、ふしぎと神音は自信なさげに呟いた。 「この街で越中家の気配が残る場所はここだけだろう。――お二人とも、心してかかられよ」 戸惑う二人の背を押す様に言葉をかけた様は、刀の柄に手を掛けると昼でもなお薄暗い廃屋の敷居を跨いだ。 ●雁龍 薄くかかる霧がここが心津と同じ島の上にあるのだと実感させる。 街は全て石造りの家。その家は全て廃屋。人どころか獣の気配すらない滅びた都。 「なんやここ‥‥遺跡かと思ったで‥‥」 「さすがにそれはないとは思うが、相当古い都だったのは確かなようだな」 視界を奪う霧の中、全ての五感を最動員し三人は元石の街をゆっくりと進む。 「朱藩が国になる前にからあった国の首都だっけか?」 「ああ、戒恩はそんな事を言っていた。今は何十年も放置されているらしいが‥‥」 「まぁ、そんなとこやから隠れ家に使われるんやろうな」 物音一つせぬ静寂の廃都に、音が響けば異変とわかる。 茉織としずめは霧の街を聴覚で、紅竜はじっと目を凝らし視覚で、微かな命の灯を探し街を行く。 ●掛珠 がさごそと人の気配の消えた廃屋に、瓦礫を漁る音だけが響く。 「あの事件からすでに二年‥‥やはりこの店は役目を終えているか‥‥」 店に中は散々たる有り様となってしまったが、かつて朗らかに微笑む少女と訪れた記憶が今でも鮮明に思い出される。 りょうは手近にあった棚に積もった埃を指で掬い、小さく呟いた。 「りょう、何か見つかった?」 と、入口から呼ぶ声が聞こえる。振り向くとそこには街に聞き込みに向っていた神音とふしぎの姿。 「いや‥‥残念ながら、特に怪しい物はない。そちらはどうであった?」 「こっちも、情報無しなんだよ‥‥。田丸麿っぽい人も悦っぽい人もここ最近では見た事無いって‥‥」 「この街じゃないのかな‥‥」 大通りに面する店々。旅人が集まる酒場。民家の一件に至るまで、二人は足を棒にして聞いて回った。しかし、得られた情報は皆無。遼華はおろか、越中家にまつわる話すらほとんど聞くことができなかった。 「二人ともそう気を落す事はない」 一番気が急いているのは自分だとわかる。だけど、ここに居る仲間達の中で自分が一番年上だ。真っ先に狼狽するわけにはいかない。 りょうはしゅんと落ち込む二人の肩を叩くと。 「我々のおかげで、遼華殿がこの街に居ないとわかったのだ。後は‥‥他の者達に任せよう」 今できる精一杯の笑みを浮かべた。 ●雁龍 「っ!? しずめ、聞こえたか?」 「聞いた聞いた。あっちや!」 一度目を合わせたしずめと茉織はこくりと頷き、すぐに駆けだした。 「どうした二人とも‥‥まさか、見つけたのか!?」 紅竜もまた全力で二人の後を追った。 「‥‥どうだ、居たか?」 「天井がアホみたい高いから降りるんに難儀しそうやけど‥‥下に人が居る」 「遼華か! 遼華なのか!?」 崩れた瓦礫の間から小さな体をひっこりと覗かせるしずめに紅竜が詰め寄った。 「どうやろな。特徴は似とるけど‥‥降りてみな確定はできひん」 「くそっ! どいてくれ、俺が行く!」 煮え切らない答えに、紅竜の苛立ちは限界を越えた。上半身だけ覗かせるしずめの肩に手をかけると力を込める。 「待ちぃ! 兄はん、ほんま盲目すぎんで」 しかし、その行動はしずめの体が穴から抜ける前に止められた。 「ええか? 一月近くもこの中に閉じ込められとったんやで? ――わらんのか? あの中がどんな惨状になっとるか。姐はんも女なんやで?」 「な‥‥。あ‥‥」 眉を顰め見上げるしずめの視線に、ようやく冷静に中の様子を想像した紅竜が絶句する。 ここに遼華が囚われておそらく一月。声がするという事は生きてはいるのだろう。だが、生きているだけだ。服を着替える事も、髪をとかす事も出来まい。もちろん風呂になど入れるわけがない。そして、縛られているのなら糞尿すらそのままかもしれない。 「‥‥しずめ、任せられっか?」 きつく口を結ぶ紅竜の肩に手を置きながら、茉織がしずめに問いかける。 茉織も紅竜同様、今すぐにでも石牢に潜りたいだろう。しかし、茉織はしずめにすべて任せると言う。 「うちしかおらんやろ。まぁ‥‥任せとき」 その心中を察したのか、しずめはこくりと大きく頷いた。 「‥‥頼んだ。紅竜もそれでいいな?」 「くっ‥‥た、頼む‥‥あいつを早く‥‥早く‥‥!」 「だそうだ。しずめ、これ使ってくれ」 「‥‥符水やな。了解や」 しずめは茉織から符水を受け取ると、再び細い光取りの穴へと潜っていった。 「悦、居るんだろ?」 しずめが穴へと消えたのを確認し、茉織が霧に向って呟いた。 「なっ! 悦がいるのか!?」 茉織の言葉に紅竜は咄嗟に武器を取る。 「多分な。まぁ、居ても仕掛けてくるこたぁないだろうから、心配すんな」 「そ、そうなのか‥‥?」 「ああ、それよりも――」 半信半疑で武器を下ろす紅竜に細く笑い掛け、茉織は再び霧へ向かう。 「お前ぇのおかげで遼華を見つけられた。礼を言うぜ」 居るか居ないかわからない霧の向うに佇む影に向け、茉織は深く頭を下げたのだった。 ●安州 数日後、発見された遼華の身柄は安州へと無事送られ、今は絶対安静の状態にある。 「よかった‥‥ほんとよかったよ遼華おねーさん‥‥」 幾分血の気の戻った遼華の眠るベッドに縋りつき咽び泣く神音。 「ああ、もう大丈夫だ。もう、遼華を‥‥遼華の身を脅かす存在は消えたんだからな」 頬は痩せ乾いた唇で静かな寝息を立てる遼華の顔を紅竜は見下ろす。 遼華を必要に追った狂人はもうこの世に居ない。遼華の身を脅かす者はもう、誰も居ない。 二人は目の前で静かに眠る少女の穏やかな表情に、今この時だけは安堵したのだった。 ●病室 遼華の病室の右隣り。同じ造りの部屋の主は心津領主戒恩その人であった。 「‥‥やはり目を覚まされておらぬか」 「こんな大事な時に、先頭にたたなあかん人間がなにしとんねん‥‥」 真っ白いベッドに横たわる戒恩の横顔を少し離れた場所から眺め、りょうとしずめは呟いた。 「やっぱ、なんか病気を患ってたのか‥‥不治の病なんてのじゃねぇだろうな‥‥」 ずっと気付けなかった。いや、気付いていたのに声に出さなかった口惜しさからか茉織がグッと奥歯を噛む。 「大丈夫だよ! 遼華が戻ってきたんだ。もうすぐ戒恩も目を覚ますよ! 病気になんて絶対負けない! そうだよね!」 と、ふしぎは皆を見渡すが誰も首と縦に振れる者はいなかった。 「な‥‥なんとか言ってよ! 皆、なんでそんな顔してるんだよっ! 戒恩は大丈夫だよ! これから‥‥これから心津を取り戻すんだから‥‥! ねぇ、戒恩。そうでしょ! なんとか言ってよ!!」 返らぬ答えにふしぎの不安はさらに膨らみ、戒恩を起こそうとベッドに駆け寄る。 「ふしぎ、やめろ」 だが、茉織がふしぎの肩を掴み止めた。 「そんな‥‥折角遼華が戻ったのに‥‥そんな、いやだよ!」 「まだ死ぬと決まった訳じゃねぇ。戒恩の事だ、何日か後にはいつもの調子できっと戻ってるさ」 「ほ、ほんとに‥‥?」 戒恩のベッドの前でやり合う二人を眺め、しずめとりょうは再び呟いた。 「うち等はおっちゃんの代わりに約束を果たしたんや。今度はおっちゃんが約束を果たす番やで‥‥」 「うむ。戒恩殿の‥‥領主殿の無理難題が無ければ遼華殿も張り合いが無いというものだ‥‥早く戻って来られよ、戒恩殿‥‥」 |