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■オープニング本文 ●戦の気配 北面の若き王芹内禅之正は、北面北東部よりの報告を受け、眉間に皺を寄せた。 「魔の森が活発化しているとはまことか」 「は、砦より、ただちに偵察の兵を出して欲しいと報告が参っております」 「ふむ……」 唸る芹内王。顔にまで出た生真面目な性格は、時に不機嫌とも映りかねぬが、部下は己が主のそうした性をよく心得ていた。芹内王は、これを重大な問題であると捉えたのだと。 「対策を講じねばならぬようだな。ただちに重臣たちを集めよ」 彼は口を真一文字に結び、すっくと立ち上がる。 「開拓者ギルドには精鋭の開拓者を集めてもらうよう手配致せ。アヤカシどもの様子をよく確かめねばならぬ」 ●北面へ至る道 整備された道に馬の蹄が跡を刻む。 そのたびに馬に括りつけられた籠付きの馬車が上下に揺れた。 「この谷を越えれば北面はすぐです」 御者の声は籠の中の麗夫人へ。 「よろしい。このまま北面へ入りなさい」 帳面に視線を落したまま顔を上げる事無く答えるのは、御者の主にして万屋の首魁『万屋黒藍』その人である。 近々大規模な戦を控える北面の主『芹内王』直々の招聘に、黒藍は一路北面へと道を急いでいた。 「はっ!」 御者は緊張した面持ちで黒藍の言葉に返事すると、馬に鞭を入れる。 「まだです‥‥まだ足りない」 懐から取り出した亭主の形見である金時計を眺め、ぽつりと呟いた。 ●霧ヶ咲島 見上げた日輪が霧にぼやける。 『――』 『ほぅ、弓弦童子だと?』 人の物とはまるで違う音階の羅列に女は訝しげに声を上げた。 『――』 音階の羅列は抑揚無く続く。 『‥‥久方ぶりの便りが、これか』 女は報告に整った顔をうんざりと顰めた。 回状を携えた鳥。差出人は弓弦童子。 かつては轡を並べ人の国を破滅へと導いた『同士』である弓弦童子が、再び人の国を滅ぼすので手伝えと言ってきたのである。 『――』 『我は忙しい。そう伝えろ』 すでに興味はない。それよりも面白いものがここにある。 女は音階の羅列を口ずさむ鳥を邪険に扱う。しかし、 『――』 『‥‥なに?』 継いで口ずさんだ音階に、女は思わず聞き直した。 『――』 『‥‥万屋黒藍だと?』 示されたのは万屋黒藍の抹殺。 地盤こそあれ、30代の若輩ながら万屋という天儀最大の商組織を構築してきた女傑を、殺せというのだ。 『万屋黒藍か』 ただの人であれば、否、ただ強いだけの人間であれば女は興味を引かれなかっただろう。 だが、黒藍は女の興味をそそるに十分なものを持っていた。 ただ才を求め喰らってきた女が興味を示したもの。それは、『商才』という名の才であった。 『我とは異質。あるいは同類か――』 小さく呟いた女は、怪訝な表情を一変。 『面白い。よかろう、その申し出受けてやると伝えよ』 あるいはそれも、女の事をよく知る弓弦童子の策略であったのかもしれない。 だが、そんな事などどうでもいい。すでに興味を持ってしまった。 女は薄く毒々しい程に赤い唇を小さく釣り上げ伝令鳥へ言葉を託した。 『人にしておくには惜しい。その才、我が食ってやろう――』 ● 「ひっ‥‥!」 がたごとと悪路を奔る馬車の音に、突如短い悲鳴が混じった。 「どうしましたか?」 悲鳴と共に馬が止まり、前のめりになる衝撃に耐え黒藍は御者に答えを求める。 「お、奥様! たたた、大変です!!」 「どうしたかと聞いています。答えははっきりと」 「ア、アヤカシですっ!!」 御者が叫んだ。 近くに魔の森は無い。今日の今日までここにアヤカシが現れたという報告すらない。 完全に安全なルートだと思い選択した。が、それがどうだ。 見上げれば家ほどもある巨大な黒い塊が宙に浮かんでいる。 もぞもぞと杉の成木程もある脚を蠢かせる、それ。 塊の背後に張られた蜘蛛の巣には、無数の旅人、行商人、旅芸人――。 生きたまま悲鳴を上げ、吊るされ、泣き叫び、貼り付けられる。 「お、奥様‥‥!」 御者は軋み音でも聞こえてきそうなほどぎこちなく籠へ首を回す。 振り向いた御者の顔は、完全に恐怖に染まっている。 それは、目の前のアヤカシへのものでは無く、自らの失態を叱責される恐怖にだ。 「貴方の失態の責は後で問うとします」 「も、申し訳ありません!!」 窓から覗く悲壮な御者に黒藍は静かに瞳を閉じ何かを呟くと、徐に瞳を開く。 「――貴方達、出番ですよ。払った報酬分はしっかりと働きなさい」 アヤカシとの遭遇。その絶望的ともいえる状況にあっても黒藍の僅かに笑みを湛えるいつもの表情に変化はない。 ただ、それが当然とでもいう様に落ち着いた声で、馬車の周りで武器を構える者達へ向けられた。 |
■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072)
25歳・女・陰
真亡・雫(ia0432)
16歳・男・志
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
喪越(ia1670)
33歳・男・陰
新咲 香澄(ia6036)
17歳・女・陰
ルンルン・パムポップン(ib0234)
17歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●鳴秋の谷 左右にそびえる絶壁を上へと目で追うと蒼の空。 初冬の青空から下へと視線を移せば――。 新咲 香澄(ia6036)が胸前で組んだ指をぽきぽきと鳴らす。 「さて、始めますかっ」 谷間には巨大な黒い多足が蠢く。 「首が無いアヤカシ‥‥きっとあれもアヤカシ兵器って奴ですねっ」 「アヤカシ兵器?」 手裏剣を構えるルンルン・パムポップン(ib0234)に香澄が問いかける。 「はいです! やられそうになったらドカーンと自爆しちゃう危なっかしいアヤカシなのですっ!」 「うわ、なにそれ‥‥」 軽やかにステップを刻むルンルンの言葉に香澄は眉間にしわを寄せた。 「そんなもん、させる前に瘴気に戻してやるさね」 まったく予期されていなかった襲撃にさえ、怯むどころか余裕すら垣間見える北條 黯羽(ia0072)は、アヤカシを前に軽く鼻を鳴らす。 「俺達はその為の護衛だしな。こんなとこで醜態見せてちゃぁ開拓者の名前に傷がつくどころか、報酬すら危なくなるぜ」 「ええ、ここで万屋の当主殿を失えば、名声は地に落ちる所の話ではありません」 大振りの槍先を蜘蛛へ向け、志藤 久遠(ia0597)が摺り足気味に位置を調整しながら頷いた。 「開拓者には今後一切の取引禁止とか、そんな事態だけは避けたいところですね」 白刃を抜き放ち久遠とは対に位置取りする真亡・雫(ia0432)は、糸に囚われた人々を見上げる。 「それに、まだ生きているかもしれません‥‥!」 「はい、助けましょう!」 他の皆を守る様に、何より依頼主である黒藍を守る為に、志士二人は獲物を取り出し、黒く蠢くアヤカシの前へ立ち塞がった。 一方、籠の方では。 「この私目にすべてお任せを!」 眼前の蜘蛛などに脇目もふらず、どこぞの王子よろしく片膝をつき籠の中の黒藍へ熱視線を送る喪越(ia1670)。 「報酬分の働きはしてもらいますよ」 「ああ、褒美などと勿体ないお言葉! 私目など黒藍様の爪の垢だけでもいただければそれで! いえ、それ以上の物であればそれはそれで有り難いのですが!」 「今度、特注の漢方薬を貴方宛てに送っておきますよ。致死量すれすれの」 「おお、何とお優しきそのお言葉‥‥! この不詳喪越、感激のあまりとめどなく涙が‥‥!」 まったくもってベクトルの違う会話を二人は繰り広げていた。 ● 「香澄、あわせろよ!」 「言う相手を間違ってるんじゃないっ?」 二人は突き出した指に寸分違わぬ印を結ぶ。 『黒の外印!』 掌をアヤカシへ向け人差し指だけを天に向けた右手の鍵穴に、左手の親指で作った鍵を差し込む。 『開け、冥府の門! 黄泉より出でし黒の欠片よ、我等が呼びかけに答えここに結実せよ!』 左手の鍵を同時にひねる、と同時。眼前に現れた黒の瘴気は壁となる。術の相乗でより広く張られた黒の障壁は、黒藍の乗る籠どころか開拓者達全てを覆い隠す。 「これで直線的な蜘蛛の糸は防げるはずだよっ」 振り返った香澄の声と同時に、黒壁の外側からべちゃりと嫌な粘着質な音が響いた。 「助かります、お二人とも! ――久遠さん!」 白刃雫が黒壁の左へ。 「ええ、後顧の憂い無くばこちらのもの!」 槍久遠が黒壁の右へ。 壁を支える二人に変わり、二剣士が壁を迂回し蜘蛛を視線に捉えた。 「この邪魔な糸を断ちます!」 蜘蛛は上空にあり槍の届く範囲にはない。狙うのは糸と壁の接着点。 久遠の長大な槍先が沈み始めた陽光を反射させ、茜色に煌めく。 「ぐっ!」 しかし、蜘蛛の巣はその弾性を持って答えた。 「はぁ!」 雫の刀に数珠の波紋が浮かび上がる。 振り上げた切先を、久遠とは対壁に張られた巣の根元へ振り下ろした。 「くっ‥‥!」 結果はやはり同じ。 まるでゴムの様な弾性が雫の刀を跳ね返した。 「真亡殿、危ない!」 刀を弾かれ体勢を崩した雫に、新たに吐き出された蜘蛛の糸が襲いかかる。 咄嗟に久遠が叫ぶが、直撃かと思われた、その時。 「烈破の称号は伊達じゃないんだよっ!」 一陣の風が吹き抜ける。 雫に向け吐き出された糸は、香澄が咄嗟にはなった斬撃符により、すっぱりと断ち切れていた。 「二人とも一旦下れ!」 黯羽の指示に二人は、黒壁の脇にまで身を引いた。 ●崖上 ルンルンは自慢の脚力で熾烈な戦闘の合間を縫って崖上へ躍り出た。 「あれがアヤカシ兵器だとすれば――」 と、胸の谷間に挟んであった一枚の紙を取り出す。 「ア、ア、アラゴ‥‥?」 そこに書かれていた名前が読めない残念なルンルンであったが、そんな事でめげる華忍ではない。 「‥‥じゃない! 亜螺架です! 確かそんな名前でしたっ! それがいるかもしれません!」 お頭に詰まった記憶を辿る事数分、ようやくその名前を思いだしきょろきょろと崖上に人影が無いか探る。 「アヤカシに気を取られていて、後ろからサクッと攫われちゃったら目も当てられませんからねっ! ‥‥って、誰も居ない?」 が、見渡す限りそれらしき人影はない。 「むむむ、さてはこの華忍ルンルンに恐れをなして隠れているのですねっ!」 両手を腰に当て、どどーんと胸を張るルンルン。 「‥‥」 しばらく不動の自信を見せていたルンルンであるが、周りからは一向に何の反応もない。 「と、とにかく今はあのアヤカシが先決みたいですねっ! 新手がいないのでしたらアレに集中できますっ!」 と、なんだか言い訳ともとれなくない捨て台詞を残し、ルンルンは崖上から飛び降りた。 ●谷 「これ以上はこれないみたいだな」 ここが糸の射程圏ぎりぎりなのだろう。黒壁より後ろに引いた一行への攻撃はぴたりとやんでいた。 「一応の安全圏が確保できたって言う事かな?」 「先には進めてねぇけどな」 黒壁を境に睨み合う開拓者とアヤカシ兵器。 攻めに攻めれず、ただ時だけが過ぎていく。 「戦況がよく見えませんが、大丈夫なのでしょうね?」 籠の中から黒藍が問いかけてくる。 「大丈夫っ! 黒藍さんは絶対に守って見せるからっ!」 依頼人の不安を払拭しようと、ルンルンは殊更声を明るく答えるが、 「私の安全の事など聞いていません。約束の時間に間に合うのかと聞いているのです」 返ってきた答えは呆れを含んだ冷たいものであった。 「え、えっと、間にあいますよ、ね‥‥?」 「ちょっと、時間より命の方が大切でしょ! あんまり変なこと言うと、流石のボクでもさすがに怒るよ?」 予想外の答えに戸惑うルンルンに変わり、香澄が声を上げた。 「怒りたいのであればご自由に。それでこの谷を抜けれるのであればね」 しかし、黒藍の調子は変わらない。 「‥‥あったまに来た! 自分の命をなんだと思っているんだよっ! そんなに死に急ぎたいの?」 「私の死で抜けられるのであればそれでも構いませんが、私の到着が遅れれば大規模な戦が起こるであろう北面への物資供給が遅れるという事を理解してくださいね。人は物資なしには戦えません、無ければ人は死ぬのです。わかったのならば早々にこの谷を突破してください」 それは菩薩の如き崇高な考えなのか、それともただの金の亡者の発言か。 一行は抑揚無く綴られる正論をただただ聞くより他なかった。 問答から数分が過ぎた。 「斬撃符が効いたという事は‥‥」 「久遠さん?」 ずっと考え込んでいた久遠が口を開く。 「先程の攻撃で新咲殿の斬撃符が効いた所を見ると、あの糸自体瘴気で出来ていると見るべきででしょう」 「瘴気を切れる技がいるって事か?」 黯羽の問いかけ。 「はい、力任せに断てる代物ではない事だけは確かです」 「‥‥となれば、白梅香ですか」 雫の答え。 「はい、いけますか?」 「もちろんです」 久遠の眼差しに、雫は微笑みを持って答えた。 ● 「志藤 久遠、推して参る!」 穂先に宿らせた青白い陽炎を頭上に掲げると、久遠は長大な槍を回転させ始める。 と、久遠は巣を支える一糸へ振り下ろした。 「その悪しき呪縛、浄化させてもらう!」 白刃の辿った軌跡に舞い散る光の花びら。あたかも春に咲く白き梅の花にも似たそれが溶けて消える頃には、アヤカシの蜘蛛の糸は瘴気の霧へと還る。 「おっとそうは問屋が卸さねぇさね!」 消された糸を補おうと再び吐き出された糸が壁へと付着する寸前、黯羽が邪魔をする様に黒壁を立ち上げた。 「解!」 瞬間、貼りついたことを確認した黯羽は、黒壁を一瞬のうちに霧散させる。 後に残るのは所在なさげに宙を漂う蜘蛛の糸。 「そんなのにうろちょろされてちゃ、邪魔なんだよねっ!」 それでも消えない蜘蛛の糸を、香澄の放った風の刃が次々と斬り落とす。 「モタイナーイっ!!」 更にかき消された瘴気が再び糸へと戻らぬよう、喪越が霧散した瘴気を回収していく。 5人の連携に、新たに張られる事を阻止された蜘蛛の巣は徐々にその数を減らし、薄くなっていた。 そして、その隙に三角飛びの要領で壁を駆けあがったルンルンが蜘蛛の頭を取った。 「ルンルン忍法――華吹雪っ!」 巣をめぐる攻防の隙をついたき、中空で身体をいっぱいに反らすルンルンの手にはいつの間にかいくつもの武器が握られる。 その薄い装備のどこから取り出したのかまったくもって謎な武器の数々である両手いっぱいに携えた手裏剣やら苦無やらを、ルンルンはアヤカシ本体へ向け投げ放った。 『ぐぅぅぉぉ‥‥』 口はおろか首すらないアヤカシ兵器から苦悶の呻きが漏れる。 「本体はそれほど頑丈ではないようですね」 振り抜いた刀を鞘に納めながら、雫が上空を仰ぐ。 「地面にたたき落とすことができれば、叩き伏せる事も容易なのですが」 穂先に輝く陽炎を振るい落し、久遠が上空を見上げる。 地面近くの壁に張り付いていた蜘蛛の巣はほぼ全て斬り払った。 しかし、ルンルンの攻撃に多少怯んだとはいえ、蜘蛛本体はいまだまだ健在。糸を吐く能力も失われてはいない。 「このままじゃ、ジリ貧になるか‥‥」 梵露丸をパクリと口に放り込み、黯羽が空を見上げる。 「何か決定打が欲しい所だね。流石に斬撃符で全部切るのは無理だよ」 武器の届く所であれば今の方法で巣を駆逐していける。 しかし、アヤカシが張った蜘蛛の巣は範囲が広すぎる。このまま続けたのでまさに鼬ごっこ。先に練力が尽きるのは自分達の方だろう。 香澄は一歩下がり戦場全体を見渡せる位置に陣取ると、額に手で傘を作る。 「決定打‥‥むむむぅ‥‥」 地に戻ったルンルンも手持ちの武器の数を数え直す。 アヤカシは地上20m程の場所で今だ不気味に蠢いていた。 ●??? 仄暗い霧の底で――。 『開拓者だと?』 『――』 『‥‥余程、我の邪魔をしたいのか』 『――』 『今は動けん。だが』 『――』 『諦めはしない。そのうち我自ら出向く。もうすぐ出来上がる『コレ』の試し斬りもせねばならぬしな』 薄ら笑みが浮かんだ。 ●谷 アヤカシの糸は必要に黒藍の乗る籠を狙いをつける。 その尽くを黯羽と香澄が立ち上げる黒壁によって阻まれてはいるが。 「本格的にやばくない、これ」 立ち上げた黒壁はこれで何枚目か。香澄は印を解くと符を構えなおす。 「せめて足場があれば‥‥!」 長槍を構えなおし久遠が蜘蛛を見上げた。 ルンルンの様に壁を足場にできる技を持っていれば全員で上空から糸を蜘蛛を断つことができるかもしれない。しかし、瘴気を滅する刃を持つ二人に上空へと駆け上がる術はない。 「‥‥打開策か」 じっと上空を見つめていた黯羽がぽつりと呟くと。 「‥‥香澄、俺の壁の上に壁を立てられるか?」 共に防御の要として黒藍の乗る籠を守ってきた香澄に声をかけた。 「壁の上に? そんな事してどうするんだよ」 「出来るのか? 出来ないのか?」 「むっ。出来るに決まってるじゃないかっ!」 「よしっ」 返事を聞くや否や、黯羽は問答無用に新たな壁を立ち上げる。 香澄も遅れまいと黯羽の作った壁の上に寸分違わぬ黒壁をそそり立てた。 「もういっちょ!」 すぐさま黯羽が二枚目の黒壁を立ち上げる。今度は二段重ねの黒壁の少し手前に。 「ルンルン! あいつの注意を逸らしてくれ! 頼むぜ!」 「が、がんばりますっ!」 黒壁を立てると同時に黯羽はルンルンに合図を送った。 「ルンルン忍法時影シュリケン乱舞! そして時は動き出すのですっ!」 壁を蹴り宙に舞い上がったルンルンが時を止め、アヤカシの隙をつく。 両手にありったけの手裏剣やら苦無やらを握り締め、一斉にアヤカシに向け投げつけた。 「行け、二人とも!」 黯羽と香澄が作った黒壁の階段を駆け上がる雫と久遠。 ルンルンの攻撃に注意のそれたアヤカシの隙を突き、雫は左に。久遠は右にそれぞれ飛んだ。 まるで蝶が羽根を広げる様に、黒壁から宙へ放たれた二本の光の軌跡は巣の頂点の糸まで達すると、軌道を真下に変える。 後は重力に任せて落ちるだけ。久遠と雫は切先にかかる斬圧を抑え込みながら再び地上へと。 ドオォォン! 轟音と共に地面へと落下したアヤカシは引っくり返った姿勢のまま無様にもがく。 「地に落ちればこちらのものです!」 雫が体勢を立て直し、アヤカシに切先を向け直す。しかし――。 「待って! アヤカシが‥‥!」 突然、ルンルンが声を上げ指差したアヤカシは――身体全体から淡い光を発していた。 「自爆の前兆みたいですっ! まずいですまずいです! 早く逃げないとっ!」 アヤカシにくるりと背を向け、ルンルンは逃げの体勢。 「ならば、爆発される前に滅すればよいだけでしょう!」 ルンルンが逃げの体勢に入る中、久遠は一歩も怯む事無く槍を構えなおす。 そして、地に落ち明滅を始めたアヤカシに向け、特大の一撃をお見舞いした。 唸りを上げ切り上げられた槍の穂先が、透き通る水晶の様な半月の衝撃波を生む。 「もう逃げている暇はありませんか‥‥ならば全力でお相手しましょう!」 もう出し惜しみをする必要はない。雫はありったけの練力を光に変え切先へと注ぎこむと、目の前に転がるアヤカシに向け振り下ろした。 「諸余怨敵皆悉摧滅――そのねぇ面で、彼岸でも拝んで来なっ!!」 複雑に結んだ印を解いた黯羽が叫ぶ、と同時。 何も無かった虚空に突然この世のものとも思えぬ異形が実を結び、アヤカシへと喰らいついた。 「さぁ、止めはボクの新しい技だよっ!」 香澄は古の妖狐の描かれた取って置きの符に練力を注ぎ込む。 「行け玉藻の前! それはお前の餌だよっ! 全部食っちゃえっ!」 香澄の声に合わせ煙となった符が再び収束し実を結ぶ。 現れた巨大な白狐はゾロリと牙の生え揃う大口を開け、蜘蛛へと喰いかかった。 『おぉぉぉぉ‥‥』 一行の全力をもった連撃を同時に受けたアヤカシは、ガラスが砕ける音にも似た甲高い音を辺りに響かせ、瘴気の霧へと還っていった。 足止めを食らった分、多少の時間はくってしまったが開拓者達の活躍で黒藍の乗せた籠は無事北面へと入る。 こうして、万屋の支援体制を得た開拓者達の一大決戦が幕を開けた――。 |