【遼華】待ち受ける凶刃
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/11/29 19:07



■オープニング本文


 朝夕に漂う冷たい空気に吐く息が白く煙る。
 不揃いな板で組まれたあばら家には不釣り合いなほど暖かく豪奢な布団から、無機質な天井を見上げると、明りも窓も、囲炉裏の焚き火が吐き出す煤すらも無い、ただただ味気ない天井が見える。

 ここにきてもうすぐ一月も経つ。
 少し動けば汗をかいていたあの時から季節は進み、首を振り外を眺めれば木々が、黄に茜に染まりつつある。
「‥‥はぁ」
 天井に向け吐き出した息は、立ち上る煙の様に――あの島の霧の様に――白く煙る。
「私‥‥どうなるんだろ‥‥」
 思い出されるのは、霧の島の記憶。そして、ここに来てからの気の休まることの無い一カ月の記憶。
「何時まで‥‥ここに居るんだろう‥‥」
 衣食住、何不自由ない生活が約束された『牢獄』。
 鎖無き足枷と、視線無き監視が、絶えず小さな体を縛り続けた。
 息がつまり、のみ込んだものがせり上がってくる。
 絶えず緊迫を強いる環境に、少女の精神は――。



 ガラ――。

「っ!」
 遠くで鳴った戸引き音にびくりと肩を竦ませ、急いで胸元を固く閉ざす。

 ギシギシ――。

「‥‥」
 近づいてくる床板の軋み音に、布団を出て枕元に置いてあった懐刀をぎゅっと握りしめた。

「やぁ、おはよう遼華君。お目覚めは――」
「それ以上近づかないでっ!」
 襖を引き現れた異国の血に、両手で懐刀を握りしめ、いつでも抜けるぞと白刃をチラつかせた。
「どうしたんだい、遼華君。一体僕の何が不満なんだい?」
 見下ろす碧眼の瞳は、訳も分からず拒否を続ける少女に、困惑の色を浮かべる。
「私をここから出してっ!」
「ここを出てどうするんだい? ここは無人島。そう、僕達二人だけの島なんだよ?」
 この少女は何を言っているのか、本気でそう思っているのだろう男は、だらりと肩を落とした。
「き、きっと皆が来て助けてくれるんだからっ!」
 言っている本人すら何の確証もない。でも、今は『それ』にしか縋る物が無い。
「遼華君、君も知っているだろう? ここは無人島だよ? 誰が来るって言うんだい?」
 そんな事は何度も聞いた。それでも――。
「さぁ、行こう。今日は紅葉が綺麗な西の斜面を案内するよ」
「それでも――!」
 観光へ行こうと手を差し伸べる田丸麿を睨みつけ、遼華は懐刀を抜き放ち、その白刃を自らの喉元へ突き付ける。
「あんたなんかに従うくらいなら、死んだ方がましっ!」
 揺るぎない決意と心の底からの軽蔑を、碧眼を見つめる視線に込めた。
「いい加減諦めたらどうだい? もう誰もきやしない。ここにはね」
「そ、そんな事、わからないじゃないっ!」
「‥‥はぁ、わかったよ。じゃどうすればいい?」
 頑なな遼華の態度に、諦めたのか呆れたのか。田丸麿は両の掌を高く上げかぶりを振る。
「ど、どうすれば‥‥?」
 突如態度を軟化させた田丸麿に、遼華は威勢を挫かれる。
「そうだよ。どうすれば君の気が済むんだい?」
「えっと、えっと‥‥そ、そうよっ、皆が本気を出せばあんたなんかっ!」
「なんだ、あいつ等と戦えばいいって事かい?」
「そ、そうよっ!」
 眉をへの字に曲げ困った様に問いかけてくる田丸麿に、遼華は返す言葉に力を込める。
「ふぅ‥‥」
「な、なによっ! 自身が無いんでしょ!」
「はぁ‥‥そんな軽い挑発にはもう乗らないつもりだったんだけど‥‥いいよ、わかった」
「‥‥え?」
 降参とばかりに両手を上げた田丸麿に、遼華は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「遼華君の思うままにしよう。正々堂々、あいつ等を――殺せばいいんだね?」
「ころ――っ!?」
「悦、朱藩に文を送れ」
 言葉を詰まらせる遼華を置いて、田丸麿は障子の向うに控える腹心へと声をかける。
『はっ』
「さぁ、これでいい。うん、これで最後にしようじゃないか。僕もいい加減うんざりしていた所なんだよね。あいつ等と遊ぶのも――」
 腹心の気配の消えたことを確認し、田丸麿はまるで芝居を待つ子供の様に、無邪気な笑みを浮かべた。

●安州
「お、穏!」
「なんだ、騒がしいぞ。少し落ちつけ」
 与えられた一室で静かに書に耽る穏の元へ、けたたましい足音を響かせ道が現れた。
「これが落ち着いていられるか! これを見ろ!!」
 ぞんざいに扱う穏への憤りを隠さない道は、小さく折り畳まれた紙を差し出す。
「む‥‥矢文か?」
 道の汗で僅かに湿る紙を受け取った穏は、ゆっくりと折りを解いていった。

「なんだこれは‥‥」
 広げた紙に書かれた文面を最後まで読み切り、穏はその内容に振るえる。
「こ、これは本当なんだろうな」
「ああ‥‥この矢についてたからな」
 と、道が腰に差していた一本の白羽を差し出した。
「‥‥悦の矢か」
「そうだ。あいつが戦いを始める時に使う矢だ」
「しかしなぜわざわざ‥‥」
「わからねぇから持ってきたんじゃねぇか。わかるなら俺一人で突っ込んでらぁ!」
 今にも飛び出さんばかりに鼻息を荒くする道。
「少しは成長したか‥‥いや、よく持ってきてくれた。一先ず戒恩殿へ報告だ」
「お、おうっ!」

「しかし、何故自ら居場所を晒す‥‥何を考えておいでだ、あの方は‥‥」
 戒恩の部屋へ急ぐ道の背を見つめながら、穏が誰にも聞こえぬ声で呟いた。



■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
一ノ瀬・紅竜(ia1011
21歳・男・サ
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
霧崎 灯華(ia1054
18歳・女・陰
アルティア・L・ナイン(ia1273
28歳・男・ジ
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
御神村 茉織(ia5355
26歳・男・シ


■リプレイ本文

●鯨潮島
 左を振りむけば波立たぬ凪の海。
 右を振り向けは緑に覆われたこぶ山一つ。
 島へと降り立った10人はただ無言で目的地である浜へと向かう。
「静かだな」
 砂浜は岩場を越えた先にあると先導する壮年のサムライが言った。
「ああ、とても静かな島だね」
 答える友の塞がれた右目は何を見ているのか。残された左目は真っ直ぐに前だけを見ているが。
「‥‥強いのか?」
「聞きたい?」
「‥‥」
「来てくれた事には感謝するよ。ありがとう」
「なんだと‥‥?」
 思わず目を見開き、問いかけていた。
 いつも飄々と掴み処の無いこいつが、ありがとう? 空耳ではなさそうだが。
「口がきけなくなってからじゃ言えないから、今言っておくよ」
「‥‥それほどか」
「‥‥ああ、それほどだよ」
 御凪 祥(ia5285)とアルティア・L・ナイン(ia1273)は、再び緑を右に歩きだす。

●砂浜
 青と緑の間には一条の真白い絨毯が敷かれていた。
「隠れる所は――やっぱり森しかないかしら」
 鬱蒼と茂る大自然を横目に霧崎 灯華(ia1054)は浜を散歩するように進む。
「伏す気なのか?」
 唯一の後衛である灯華の護衛にと、付き添っていた穏が問いかけた。
「あたしのは決闘とかそんなのどうでもいいし。要は相手を――好き放題やってる変態をぶっ飛ばせばいいんでしょ? なら、わざわざ相手の趣向に付き合ってやる義理は無いわ」
 神妙な穏の問いかけに面倒臭そうに眉根を顰めた灯華は、一転あっけらかんと言い放つ。
「別に決闘したい人はすればいいのよ、あたしは止めない。でも、あたしはあたしの好きにさせてもらうわ」
 そう言うと穏を置いて、すたすたと砂浜を進んでいった。
「技真似されるなんてまっぴらごめんよ。一撃で仕留めてあげる」
 整った顔を卑しく歪めて――。

「ふしぎ、これでいいのか?」
 砂浜から顔を上げた酒々井 統真(ia0893)が手元を指し示す。
 そこには浅く掘られた長い溝に、目立たぬよう白く塗られた縄が這わされていた。
「うん、ありがとう! 後は砂を被せてカモフラージュしてもらえるかな」
 統真の手元を見た天河 ふしぎ(ia1037)は嬉しそうに頷いた。
「こんなんでうまくいくのか?」
「えっと‥‥多分うまくいかないかな‥‥?」
「おいおい‥‥」
 手元を休め呆れる統真に、ふしぎは頭を掻きつつ微笑んだ。
「でも、もしかして――って事があるかもしれないんじゃないかなって」
「やらねぇよりはましってか」
「うん、どんなにすごい相手でも完璧ではないと思うんだ。だからきっと、無駄じゃない」
 一転、表情を真剣なものへと変えたふしぎは、再び砂浜を掘り返す。
「ったく、耳が痛てぇな」
 ふしぎが放った言葉は、そっくりそのまま統真自身へも置きかえられる。
 どんなに修練を積み拳聖と呼ばれた者が、風邪をこじらせ死ぬかもしれない。
 どんなに天稟を有し無敵を誇る剣聖であっても、海に落ちれば溺れ死ぬかもしれない。
 慢心こそが敵。力に終わりなど無く頂点など無い。
 そして、目の前で地べたに這いつくばる友は、それを起こしてやろうというのだ。
「ったく‥‥ふしぎ、次の縄を貸せ」
「え? うん、頼んだよ、統真!」

 穏やかな秋の海。
 海水は徐々に冷たさを増していた。
「罠は無しっと――いよいよ、決戦か」
 足先を濡らす押しては返す波の躍動に、視線を落し御神村 茉織(ia5355)が呟いた。
「与えられた決戦だがな」
 小さな呟きに答える声に、茉織は振り向く。
「ああ、紅竜か」
 そこにはずっと共に在り、共に見つめ、共に護った仲間の姿があった。
「何を考えていたんだ?」
 一ノ瀬・紅竜(ia1011)が問いかける。
「なんも考えてねぇよ。海の水が冷たいなと思ってな」
「‥‥田丸麿は、何故遼華に拘るんだろうな」
 折角かけた気遣いは、あっさりと無い事にされた。
「そりゃぁ惚れてるからだろ? 理由や手段はどうあれ、遼華に対する思いは本物なんじゃねぇか?」
「確かに‥‥それは俺も感じる」
「同じ想いを持つ者同士だしなぁ」
 冗談めかして言ったつもりが、随分と恨みを込めた瞳で見返された。
「遼華は必ず取り返す。これ以上、約束を違える事は出来ない」
「ああ、あいつは信じて待ってるだろうからな。今度こそ、必ずだ」
 それが共に歩んできた者が思うただ一つの願いだった。

 砂浜を一望できる岩場の上で禅を組み瞳を閉じる。
「‥‥田丸麿、貴様は今何を思っている」
 虚空に問いかけるが返事などあろうはずもなく。
「初めて相まみえてから、二年もの歳月が流れた」
 脳裏で時を遡る。初めて出会った逃亡の旅路。初めて刀を交えた霧の島へ至る海路。
 皇 りょう(ia1673)は瞳を開き、女の物とは思えぬ無骨な手のひらを見つめた。
「私は及ぶのだろうか」
 刀を交えた感覚は今もこの手に残っている。そこから伝わってきた、確かな実力と――ただ唯一の強烈な想いも。
「‥‥時間か」
 見上げれば、暖かな日差しを注ぐ太陽が天頂に差しかかっていた。



 太陽が天頂を指した。

「時間の様だが‥‥」
 誰かが呟いた。しかし返す言葉は無い。
 皆一様に静寂と平穏が支配する景色へ気を配っていた。

 その時だった。
「待たせたかな?」
 一瞬にして空気が一変した。平穏な景色さえ今は死戦場に見えるほどの殺気。
 そんな中、まるで悪友の元へ酒の無心に訪れる様に、軽く手を上げながら田丸麿は悠然と姿を現した。
「早速、始める? 誰からでもいいよ。もちろん全員でもね」
 身構える開拓者達を興味なさげに見渡した田丸麿がクイクイと手招きする。
「その余裕はかわんねぇみてぇだな!」
 殺気の感じられぬ一般人であれば親しげに近づけたかもしれない。
 それほどまでに普段然とした田丸麿。
 しかし、肌を震わす程の殺気は時と共に激しさを増す。
「悪ぃがここで決着をつけさせてもらうぜ‥‥!」
「もちろん、僕もそのつもりだよ。でも、その前に」
 さっきの重圧を越え一歩を踏み出した統真を感心したように眺めた田丸麿は、ふと森へと振り向いた。
「そこ居る人。始めちゃってもいいのかな?」
「っ!」
 森に向けかけられた言葉に、灯華はびくりと肩を竦ませる。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃないか」
 再び砂浜へと振り向いた田丸麿は呆れる様に諸手を上げた。
「知ってるんだろ? 僕がシノビの技を使えるって」
「超越聴覚か‥‥!」
 常人よりも発達した志体持ちの五感をさらに研ぎ澄ませるシノビの技。
 数多の木々のざわめきの中から、小さな吐息と衣擦れの音を機敏に聞き分けていた。
「折角招待状まで書いて、正々堂々戦ってあげる為にこの場所を選んだのに、小細工とはね。これじゃ遼華君もきっとがっかりするよ」
 田丸麿は心底残念そうにゆっくりと首を左右に振る。
「‥‥ふん。小細工をしているのはどちらだ。そちらにも居るんだろ、悦とか言うお供がな」
 祥が十字槍の石突を砂浜に突き刺し、鎌をかける様に問いかけた。
「‥‥ああ、悦ね。その辺に居るんじゃないかな? 僕は一人でいいって言ったんだけどね。まったく困った奴だよ」
 祥の挑発の言葉にも、田丸麿は困ったとばかりにかぶりを振るだけ。
「ならば、一人で相手をしてはどうだ。わざわざ部下に頼らないでな」
「なんだ、怖いの?」
 その答えに、祥の眉根がピクリと動く。
「そんなに安い挑発に乗る程、僕は子供じゃないんだけどね。まぁ、『お願いします。怖いからお供を出さないでください』って、両手をついて嘆願するなら考えるよ?」
「‥‥っ」
「祥、気にしちゃダメだよ」
 田丸麿の挑発に思わず一歩踏み出そうとした祥を、アルティアの右腕が押えこんだ。
「‥‥わかっている」
 わざわざ無い方の腕で制された。それが、何を意味するかを祥は瞬時に読み取り、大きく一呼吸。
「あまりかけ合わない方がいい。情が移ると――殺しにくいだろ?」
「‥‥ああ、そうだな」
 二人にしか聞こえない会話。祥は再び無言で田丸麿を睨みつける。
「なんだ、お願いは無しなんだね」
 落ち着きを取り戻した祥に、田丸麿は面白くなさそうに眉を顰めた。

 殺気と殺気がぶつかり合う死線の緩衝地帯。
 りょうはその緩衝帯へと一歩踏み出ると、刀を鞘に田丸麿に問いかけた。
「田丸麿。決闘を始める前に、一つ聞いておきたい事がある」
「なんだい? 面倒だから遺言なら聞かないよ?」
「‥‥今一度問う。一体何が望みだ」
「はぁ?」
 投げかけられた質問が予想外だったのか、田丸麿は思わず呆然と口を開ける。
「遼華殿と共に在りたいのなら、正式な交際を経て求婚すべきであろう。相手の意思は関係ない、拒まれれば力ずく、そんなものに一体何の意味があるというのだ」
 人と人の繋がりとは、そんなに容易いものではない。
 夫婦であればなおの事、そのつながりは深いものでなければならない。りょうは自らの想いを滾々と説く。
「あは――あははははは! 面白いよ、君は本当に面白い事を言うね」
「な、に‥‥?」
 目じりに涙まで浮かべ腹を抱える田丸麿に、今度はりょうが呆然と口を開けた。
「君も武家の娘なのだろ? なら、それ位は分かっていると思ったけど」
「‥‥どういうことだ」
「遼華君は僕の許嫁だよ。前に話さなかったっけ? 両親が決めた許嫁だって」
「なんだと‥‥? りょう、本当なのか?」
 田丸麿の言葉に反応した紅竜が、思わずりょうに問いかけた。
「‥‥確かに、遼華殿もそう言ってはいたが‥‥」
 ずっと昔、遼華を助け霧ヶ咲島へと逃亡を続ける最中であったか。りょうは確かに遼華からその話を聞いていた。
「会刻堂が越中家の権力の傘に入ろうと僕に遼華君を宛がったんだからね。もし僕と遼華君が出会った事を恨むなら、遼華君の父親を恨むんだね」
「ぐっ‥‥!」
 そう言われては紅竜に返す言葉は無い。
 恨める筈が無いのだ。すでに無いとはいえ、大切な少女の唯一無二の父親を。
「だから、僕が遼華君の傍にいる事はごく自然なことなんだよ。わかってくれたのなら、素直に死んでくれるかな?」
「そう言われて素直に『はい』と答えるとは思ってないのだろう」
「そうだね。じゃぁお喋りは終わりだよ。いつまでも遼華君を待たせるのは悪いからね」
 ジトリと睨みつけるりょうの視線に、田丸麿は溜息交じりに腰に下げた自らの刀を抜き放つ。
「さぁ、何処からでもどうぞ」
 そして、大人が子供を相手に相撲を取る様に刀を逆手に持った左手と、肘から先を無くした右手を大きく広げ田丸麿が嬉々として声を上げた。

●開戦
 結界かとも思わせる殺気の渦の中、集った開拓者達が己が刃を奮う。
「はぁぁっ!!」
 気合と共に放たれた拳は、真白の砂を地上数十mまで吹き上げ、砂浜に巨大な陥没跡を刻みこむ。
「遼華は必ず返してもらうんだからなっ!」
 砂の瀑布を鶴の一声が突き抜けた。
 ふしぎの放った手裏剣は、甲高い風切り音を上げ佇む田丸麿へと襲いかかる。
「だからもともと僕のものだって言ってるだろ?」
 砂の瀑布を利用しての死角攻撃も、田丸麿は視認する事無く神速の居合で弾き返した。
「ふんっ!」
 間髪をいれず、地面から十字の刃が跳ね上がる。
 田丸麿はふしぎの鶴を射落とし、今だ抜刀の姿勢。タイミングは完璧だった。並みのアヤカシや志体持ちであれば、この死角からの一撃で串刺しとなる。
「なっ!」
 ――筈だった。
「鉄が砂を擦る音は意外と五月蠅いんだよ?」
 祥が天を見上げる。
 あろうことか柄を脇に抱え、最も力の乗る体勢で跳ねあげさせた十字槍に、田丸麿は乗ったのだ。
「中空では逃げ場がないだろう!」
 宙でくるりと身体を回転させる田丸麿へ、鞭の一撃が伸びる。
 アルティアが放った鞭は、水面を泳ぐ海蛇のようにうねり、身体を回転させる田丸麿の脚へと絡みついた。
「もらったよ!」 
 瞬間、アルティアが鞭を引く。
 中空で体勢の立てないせない田丸麿の身体が、僅かに傾いだ。
「だからなんだって言うんだい?」
 またしても神速の抜刀。
 田丸麿とアルティアの間に張られた緊迫の糸が瞬時に断ち斬られた。
「そう来ると思ってたよ」
 中空で鬱陶しそうに刀を鞘へと戻す田丸麿。しかし、攻撃を断ち切られたアルティアがニヤリと口元を歪める。
「はぁぁぁ!!」
「‥‥む」
 田丸麿の余裕に、一瞬の陰りが見える。
 アルティアにより落下軌道は変えられた。流石の田丸麿であっても中空で軌道を戻す術は無い。
「ここで決着をつける!」
 そして着地点にはすでに紅竜が溜めた気合と共に、腰構えに槍を携え待ちうけていた。
「‥‥小細工をしてくれるね」
 田丸麿は身体を強引に捻り、地上の紅竜へと向き直る。
「私もいるぞ!」
 そこには紅竜。そして、間合いを詰めたりょうが待ちうける。
 槍を両手に腰を落し直上を見上げる紅竜。
 刀の切っ先を落とし、直上を睨みつけるりょう。
「‥‥ちっ」
 小さな舌打ちと共に、今中空にあった田丸麿の姿がかき消える。
「ぐっ‥‥!」
 同時に、くぐもっった声と共に、紅竜とりょうはがくんと膝を折る。
 りょうは具足の胴に深い刀傷を刻まれ、紅竜は武器を持つ手は朱に染まっていた。
「さすが、息巻いてるだけはあるね。ここまで苦労するとは思わなかったよ」
 声に皆が振り返る。
 着地地点と思われていた場所から数mも先の海辺、そこに田丸麿が深呼吸一つ立っていた。


 激戦が繰り広げられる砂浜を望む森の中。
「場所を変えるわ」
「しかし、すでに存在は知られているんだぞ」
「かまわないわ。こんな身動きが取れない所でなぶり殺しにされるのはごめんよ」
 灯華は潜んでいた茂みから立ち上がると、薮をかき分け獣道を進む。
「出た所で、あの方の刃に」
「誰が出るって言ったのよ。所在が知られたからといってもあたしは伏兵なのだからね。それにいくら強いといっても、あの波状攻撃を受けながらあたしの所在を追うのは至難の筈よ」
 砂浜沿いに進んだかと思えば突然山の方角へと進路を変え、護衛の穏すらも撒く様に、鬱蒼と茂る原生林を出鱈目に突き進む。
「なら、せいぜい撹乱してあげるわ。いつどこから撃たれるかわからない、プレッシャーをかけ続けてあげる」
 誰に語るでもなく、そう呟いた灯華は卑猥に口元を歪めた。


「何処に居やがる‥‥」
 牽制の苦無を投げつける茉織の意識は田丸麿へは向いていなかった。
 狙いはただ一つ。未だに姿を見せない田丸麿の腹心、悦である。
「やっぱ森か‥‥?」
 鬱蒼と茂る原生林をちらりと見つめる。
 何度となく意識を向けはしたが、かかるのは虫の音や歯のすれ合う音だけ。
 人の存在を感じさせるものは、一度も感じなかった。
「まさか、このまま出てこないつもりなのか――」
 その時、激戦続く戦場に一陣の風切り音が吹き抜けた。
「ぐっ!」
 仲間の一人からくぐもった声が漏れる。
 思わず振り向いた茉織が目にしたのは、深々と仲間の肩口に刺さった矢であった。
「海からきやがったのか‥‥!」
 撃たれた仲間、そして突き刺さった矢の向きを瞬時に計る。それは確かに海から放たれたもの。
 茉織は田丸麿に背を晒す事も厭わず、海へと振り向いた。

 波間に揺れる木の葉のように小さな船の上、揺れる船上だというのに寸分もぶれる事無く、矢先をこちらに向け弓を構える長身の男。

「悦‥‥!」
 水面を駆ける術でもあればまた状況が変わったかもしれない。
 しかし、茉織に今その術は無い。ここが遠浅の海であっても、悦の乗る船までは直線で50mはある。
 水に足を取られ海底の砂に嵌りながら船へと向かった所で、矢のいい的になるだけ。
「‥‥例え届かなくてもよ」
 風切り音を鳴り響かせ襲い来る矢を、茉織の放つ闇色の飛び苦無の一撃が撃ち落とした。
「お前は俺が押さえる。仲間は狙わせねぇ!」


 全てを見据えるような瞳が、瞬きを終えるか終えないかの内に一瞬逸らされる。
「なんだ、やっぱ気になるんだな!」
 それだけで発火しそうなほどの空気摩擦を宿した拳が田丸麿の頬を掠めた。
 視線が逸れた隙をついての一撃であったが、それすら避けられる事など予測済み。
 統真は突き抜けた拳を引き戻すより早く、肘を折る。
「無手でよくやるね。切り落とされたいの?」
 肩口を狙った肘の一撃すら、田丸麿は身を沈め避けた。
 手はすでに柄に。後は抜くだけでこの邪魔な腕を斬り落とせる。
「そうはさせるかっ!」
 それはまるで空で180度急転回する隼の如き。
 統真は振り落とした肘の勢いを借り、身体を前転させた。
「まったく、よく動くね‥‥!」
 踵落とし。
 咄嗟に柄から手を離していなければ、脳天を打ち抜かれていたかもしれない。
「それはこっちの台詞だぜ‥‥!」
 二度、餌を撒いての本命であったものが、あっさりと防がれる。
 統真は瞬時に飛びのき距離を取った。

「悦は海か‥‥!」
 連携の合間を縫い、りょうが視線だけを海へと移した。
「でも、茉織が押えてくれてるみたいっ!」
 一撃を弾かれ後退したふしぎがりょうの隣へ降り立つ。
「であるな。我々は!」
「うんっ! こっちに集中だ!」
 戦線を支える統真、紅竜の背を見据え、再び死戦場へと飛び込んだ。

「田丸麿! 遼華は必ず返してもらうぞ!」
 言葉にすら気を乗せ、紅竜は田丸麿に向け叩きこむ。
「さっきも言っただろ。アレは僕の物なんだよ」
「‥‥! 人を‥‥遼華を物だというのかっ!!」
「そうだよ。だからどうしたんだい?」
 それが本心なのかどうかなど、今の紅竜にとってはどうでもいい事であった。
 ただ、自らが愛した人を物扱いされたことが許せなかった。
「‥‥やはりお前には、お前だけには渡さない! 例えお前がどれほど強くても、俺は負けられねぇ!」
 語尾を荒げ、撃ちこむ槍の一撃と共に気合を乗せる。
「必ずこの手に取り戻す‥‥! おまえを倒してな!!」
 今まで磨き上げた身体、技、心。それをこの戦いに、この一瞬にぶつける。
 ただ、脳裏に浮かぶあの笑顔を取り戻す為に――。


 戦いが始まりすでに一刻。
 開拓者達は個々では及ばぬ力の差を埋めるため、互いの力を合わせ田丸麿に相対す。
 1対10。
 一見圧倒的かとも思える戦力差である。しかし――。

「違うよ。もっと腰を入れるんだ」
「っ!? ぐふっ!」
 精霊の力を纏わせた切先を振り下ろすよりも早く、鎧に打ち付けられた凶刃にりょうの細い体が吹き飛ぶ。
「気の練り方が乱暴すぎるんだよ」
「なんだと――ぐっ!」
 返す柄が統真の腰を打ちつけた。
「乱戦で長物なんか使ってたら、味方に当たるよ?」
「馬鹿なっ!?」
 神速の納刀から、突き出された紅竜の槍を軽々と掴み、手首を返す。
「飛び道具も同じ。跳ね返されて共倒れになりたいのかい?」
「え‥‥? わわっ!?」
 再び抜刀。弾き返された手裏剣をふしぎは寸でで避けた。

 まるで師範が弟子に教えを授ける様でもある攻防。しかし一つ違う事といえば、反撃に加減が無いのだ。
 攻撃を加えては反撃され体力を削られ、傷を負う。
 不毛とも思える戦いである。しかし、この場に戦いを投げ出そうという者は一人もいなかった。

 一方、多対一であれば攻撃できる人数もおのずと制限される。
 祥は攻撃の合間を縫って、茉織の援護に当たっていた。
「くそっ、拡散する‥‥!」
 あるいは湖であれば効果があったかもしれない。しかし、相手は広大な海である。
 祥の放った雷撃は、広大な懐を有す海に全てを飲み込まれた。
「よそ見はよくないね」
「っ!?」
 声はまさに耳元から。
 咄嗟に槍を構えようとするが、長大な槍では小回りが利かない。
「よそ見ができる程度の相手かな僕は」
 完全に虚を突かれた。どう足掻いても田丸麿の攻撃を避ける術が無い。
「ぐっ‥‥」
「なっ! アル!」
 目の前でがくりと膝を折る友を、祥は槍を投げ捨て支えた。
「馬鹿か! 何故出てきた‥‥!」
 自分が見せた隙。それをつかれての一撃だ。
 自分が受けてしかるべき攻撃を腕の中の友は代わりに受けたのだ。
「‥‥残念だけど僕の一撃じゃ、軽いんだ。君の力が‥‥いる」
 右肩から袈裟がけに切り上げられたアルティアの背は、厚司織ごとばっさりと切られ、とめどない血が流れ出る。
「今回復してやる!」
「‥‥僕の事はいい、から。槍を、構えて」
「もう遅いよ」
 再び振り上げられる凶刃。
「それ以上はさせないんだからな!!」
 折り重なる二人に凶刃が振り下ろされようかとした、刹那。
「疾風熱風、風神斬!!」
 時を越えたふしぎが間に割って入るとまるで駒のように回転。
 巻き上げられた砂、生まれた風神の刃に田丸麿は思わず足を引いた。

「すまない、アル‥‥」
「アルティア! しばらくじっとしていてっ!」
 おさまった風の向うには、アルティアを守る様に立つ祥とふしぎの姿。
「‥‥この技は知らなかった。なるほど、こうかな」
 脇をしめ逆手に持った刀を構えると、田丸麿はふしぎを模すように脚を軸に回転を始める。
「えっ!?」
 吹き荒れる暴風。生み出される不可視の風刃。

 風神の過ぎ去った砂浜には、田丸麿の姿はなかった。


 浜の終端、岩場の影。視線の脇には倒れた老サムライ。
 一瞬にして目の前に現れ、一瞬にして刃を突き立てた男を灯華は見上げた。
「もう逃げるのはお終いかい? つまらないね」
「お生憎様。――この時を待っていたのよ」
 自らの腹に突き刺さる白刃から滴る鮮血が、意識を覚醒させ精神を研ぎ澄ます。
 灯華は零となった距離にニヤリと微笑み、溜めに溜めた瘴気の塊を解き放った。
「なんだって――ぐっ‥‥!」
 命ある者には決して見る事の出来ない、何か。
 何処から現れたのかさえ分からぬそれが、目の前の剣士に喰いかかる。
「‥‥悪いけど、その技は前にも見たんだよ」
 だが、田丸麿は倒れない。
 効いていない訳ではない。見えない何かは確かにその生を貪った。
 しかしそれすらも耐える。灯華が練りに練り上げた一撃を。
「化け物、ね‥‥!」
 正直な感想がそれだった。
 今まで戦った敵の中でもとびきりの異質。
「放っておいても死ぬだろうけど‥‥それじゃ僕の気が済まない」
 今日初めて露わにした、明確な怒り。
 言葉は平静を装ってはいるが、その殺気とも呼べる怒気は隠しようが無い。
「やるならひと思いにはやらないでね? たっぷりと――あたしを朱に染めなさい」
 まさに数瞬後には命を断たれるという異常な状況であって、灯華の表情には笑みだけが浮かぶ。
 まるで子供のように無邪気で、まるで娼婦の様に妖艶な、とびきりの満面。
「その願いだけは聞いてあげるよ」
 歪む口元から鮮血を垂らし、田丸麿が笑った。

「灯華!」
 投下に突き刺さった白刃が斬り上げられようかとした、まさにその時。
「やらせたりはしないんだからなっ!!」
 時を越えたふしぎの体当りに田丸麿の体制が揺らぐ。
「くっ‥‥! 邪魔をして!」
 今まで崩さなかった余裕が崩れた。
「ちょっと遊び過ぎた。もう殺してあげるよ、いい加減にね!」
 田丸麿は苛立ちを露わに声を荒げた。


 更に半刻。
 疲労の蓄積に田丸麿の動きは目に見えて鈍くなる。
 しかし、疲労が襲うのは開拓者達も同じ。常に全力、常に全神経をとがらせる開拓者達の方が、疲労という面では大きいかもしれない。

「はははっ!! そんな非力な体で、よくも僕から遼華君を取り戻そうだなんて言えたものだね!」
 凶刃が見せる狂気の笑み。
 すでにどこかが壊れ弾けたのだろう。全身を誰のともわからぬ血で染め上げた田丸麿が卑しく微笑む。
「かかってこないならこちらから行くよ!」
 田丸麿自身も無傷といえる体ではない。
 むしろ、何故立っていると問いたい程の傷を受けている。
「くっ‥‥ここまで強いのか」
 石突を支えにせねば膝から崩れてしまいそうな疲労感。
 祥は今だ白砂に佇む狂人を睨みつける。

 戦場は停滞していた。
 一進一退の攻防、といえば聞こえはいいが、実の所、鋭すぎる田丸麿の攻撃を避けながら隙を突き攻撃を加える消極的な展開。
 防御8割攻撃2割。
 むやみに、攻めれば神速の抜刀による迎撃の餌食となる。
 すでに4人の戦力を失った一行には、このまま徐々に消耗していくしか無いと思われた。

 ――その停滞を破る足音が聞こえた。

「なっ、まさか‥‥! やめるんだ、道くん!」
「‥‥悪いが、俺にはこれしか出来る事はねぇんだ」
 アルティアの言葉を無視し、道は真っ直ぐに田丸麿へと向かっていく。
「やぁ、道。ようやくこっちにつく気になったかい?」
「ああ、そうだな。やっぱ、俺は――お前をゆるさねぇ!」
「‥‥そうか。残念だよ」
 それは一瞬の出来事だった。
 緊迫した戦場に出来た一瞬の空白。
 道は田丸麿の前へと歩み出ると、帰順すると見せかけ拳を振り上げたのだ。
 しかし、この中では実力的に劣る道の攻撃など、いくら疲弊してきているとはいえ、田丸麿には児戯にも等しい。
「‥‥ぐふ。流石だな、元雇い主さんよ」
 深々と腹に突き刺さる刀を血塗れの両手で強く握りしめた道。
「一体何のつもりだい‥‥?」
 自殺としか思えない道の奇行に田丸麿はあからさまに不機嫌な声を上げた。
「へっ‥‥! 悪いけどよ。俺もあんたにあいつを渡したくない一人でな‥‥!」
 引き抜かれないよう刀の唾に手をかけ、道はさらに力を込めると、呆然と眺める一同へと振り返り。
「なにしてる、やれ! 俺の屍を越えて行けぇぇっ!!」
 断末魔にも似た道の叫びが砂浜に響いた。
「道ぉぉっ!!」
 答えるは紅竜の慟哭。
「ふん、元部下のくせに邪魔をして」
 力無く寄りかかる道の身体を、鬱陶しそうに振り払った。
「田丸麿‥‥貴様ぁぁっ!!」
「そんな直情的な攻撃は効かないって言っているだろ!」
 紅竜の巨大な槍をまるで刀でも振るうような大上段。田丸麿の意識が上空に向けられた。
「今だ、いっけぇぇぇ!」
 この時を待っていた。道が田丸麿を導いた、そこは――。
「な、にっ!」
 ふしぎが仕掛けた罠。砂浜から突如現れた縄が田丸麿の脚を掬う。

「よくやったふしぎ! 田丸麿、やっと捕まえたぜ!」
 今まで散々狙って手にできなかったものが、今手の中に。
 決して怯む事無く常に田丸麿の眼前に陣取り、必死の一撃をいなし続けてきた統真が、ついに田丸麿の右腕を取った。
「もう時間を止めて逃げられねぇだろう!」
「だからどうだって言うんだ! 腕ごと叩き切ってあげるよ!」
 跡がつく程に握りしめられた腕に顔をゆがめながらも、田丸麿は紅竜の攻撃を振り払い、ふしぎの罠から体勢を立て直し、統真と対峙する。
「そうはさせん!」
 陽光を浴びたように淡く光り輝く十字が、刀を抜く田丸麿の眼前に突き出された。
「やれ!」
「言われなくても――!」
 突然の陽光に目を焼かれた田丸麿に、さらなる隙が。
 統真は掴んだ腕を視点に砂浜を蹴ると、
「龍の顎に砕けぬものはねぇ!!」
 上は下に、下は上に。
 飛び上がり身を丸めた統真は、天地を逆転させ閉じた手足を一気に開放した。
「ぐっ‥‥! この――」
 志体持ちであっても眩暈を通り越して昏倒する程の衝撃を受けてすら、田丸麿は意識を手放さない。
 それどころか、大技を放って隙の出来た統真へ、凶刃を振り下ろそうと刃を翻す。

 キーン――。

「‥‥ちっ」
 統真を目掛け振り下ろされた凶刃は、白刃により止められる。
「もう終わりにしよう。‥‥むしろ長すぎたくらいだ」
 体勢の整わぬ田丸麿は、白刃の主りょうを睨みつける。
「今までの非道数々‥‥あの世で侘びろ、田丸麿ぉっ!!」
 凶刃を弾いた刀を勢いのままに投げ捨てる。
 そして、武骨な籠手で覆われた拳を、りょうは返す勢いに体重の全てを乗せ田丸麿の顔面へ打ち付けた。


「‥‥空が高いね」
 踏み荒らされ凹凸を刻む砂浜は、白を朱に染める。
 とめどなく流れ染める朱の主は、ただ夜の迫った高い高い空を仰ぎ見ていた。
「‥‥終わりだ。田丸麿‥‥」
「長かったね‥‥本当に」
 黄昏の真っ赤な斜陽の光を反射させた十字の刃と直刀が視界の端に映る。
「貴様の強さだけには敬意を払う‥‥」
 夜露のように滴る雫に濡れた白刃の波紋が美しく見える。
「遼華は‥‥返してもらうんだからなっ!」
 真っ直ぐに伸びた漆黒に浮き出た黄金の波。
「‥‥俺達の勝ちだ」
 巨大な槍の切先が真下を指す。
振り上げられた切先には、それぞれの想いが乗せる。
「ああ、遼華君‥‥」
 無くした右腕を天へと突きあげる田丸麿の閉じられた瞳の端からは一筋の涙が零れ落ちた。
「御免‥‥!」


「終わったみてぇだな」
「‥‥」
 すでに矢の雨は止んでいた。
「さぁ、お前はどうするんだ、悦」
 浅瀬の海をゆっくりと沖へと歩む。
「お前の慕った奴は、もうこの世に居ない」
 弓こそ構えていないが、悦は無表情に茉織を見つめていた。
「‥‥ならば、ここに用はない」
「なっ! ま、待てよ、悦!」
 弓を置いた悦は、代わりに櫂を取り出すと船首を沖へと向ける。
「‥‥もう、会う事もないだろう」
 そして、それだけを言い残し悦は、島を去った。

●数日後
 静寂を取り戻した真白の砂浜。
 あの激戦を物語るのは、未だに消える事の無い朱に染められた砂と、森に程近い場所に盛られた塚だけ――。

『腐らせれるには、少々惜しい体だ』

 それは突然そこにあった。
 真闇の霧が立ち込めたかと思うと、像を結び女となる。

『こんなとこに一人では寂しいだろう』

 塚を見下ろし能面の如き無表情の口元が卑しく歪む。
 女を取ったそれが塚へと手をかざすと、同時に盛られた砂がはじけた。

『我が貰ってやろう。お前の身体、そして、無念をな』

 現れた田丸麿の死体を見下ろす女の手が――黒い霧へと変わる。霧は女を侵食し、地に眠る田丸麿を浸食する。

『我と共に来い。なに、悪い様にはせん』

 物言わぬ死人となった田丸麿に微笑みかける女が完全に霧となり霧散する。
 しばらくの後、黒い霧は嘘の様に晴れ渡った。すでに女の姿はそこに無く、地に伏してあった田丸麿の死体もそこには――。