|
■オープニング本文 ●安州 「心津がなぁ」 着崩した服装で顎を掻き、訝しげに段下を見下ろす青年。 「領主である高嶺には相応の処分が必要でしょうな」 段下には居住まいをただし段上を見上げる初老の男。 「しかし、相手が越中家とはな。越中家といやぁ、武天でも名の知れた氏族だぞ」 「そのようでございますな」 青年が手には要点のみを纏めた簡素な報告書がひらひらと揺れる。 「さすがに巨勢王に抗議するか」 「いえ、無駄でしょう。聞けば越中家はすでに武天より出奔。お家断絶とされております。そのような氏族は我が国には無い。と一蹴されるだけです」 「‥‥面倒なこった」 「名に踊らされず、野党と同様にお考えください。すでにあれは野犬にも等しい存在です」 青年の問いに初老の男は淡々と答え続ける。 「‥‥んで、高嶺の旦那はなんて言ってるんだ?」 「自らが招いた失態は、自らの手で挽回すると」 「へぇ、あの昼行燈がそんな殊勝なこと言ってんのか」 「当然でしょう。あの者にとって心津とは輿志王より賜った土地。奪われたのであれば取り返すが必定。奪われた原因が突然降ってわいた様な災厄であったとしてもです」 「確かにアヤカシも絡んでたようだし、災厄っちゃぁ災厄だが‥‥ま、高嶺の旦那を呼んでくれ。話はそれからだ」 「はっ」 青年の声に、初老の男は深々と首を垂れた。 ● 静寂に包まれる部屋には、二つの息遣いだけが聞こえる。 「高嶺家当主戒恩。まかり越しましてございます」 「よぉ、高嶺の旦那、久しぶりだな」 段下にひれ伏す初老の男に向い、輿志王は馴染みの居酒屋にでも顔を出したかのように、気楽に声をかけた。 「輿志王におかれましては、ご健勝心よりお喜び申し上げます」 一方の初老の男『高嶺 戒恩』は、平伏したまま顔を上げようともしない。 「そんな前口上はどうでもいいんだ。詳しく聞かせてくれるか?」 「‥‥此度の失態、全て私の不徳の致す所。如何なる叱責もお受けいたします」 「おいおい、誰がそんな事言った? 俺は詳しく事情が聞きたいって言っただけだぜ? まぁ、とにかく顔を上げろ。俺は昔馴染みの顔が見たいぞ?」 輿志王にとって主従の関係など、それほど大事ではないのかもしれない。ふてくされる様に、段下の戒恩に話しかける。 「はっ。仰せのままに」 と、輿志王の言葉に戒恩はようやく顔を上げた。 「‥‥戒恩の旦那。あ、いや、何でも無い。で、アヤカシに領地を奪われたってのは本当なのか?」 見上げてくる皺に塗れた顔に一瞬の表情が歪んだ輿志王であったが、また元の話し方に戻り問いかける。 「首謀者は別におるようですが、アヤカシと手を組んでいることは確か」 「アヤカシを人が使役するなんてな‥‥そんな芸当できる人間がいるのか?」 負の意識より生まれ、この世の全ての命を啜る汚れた存在、それがアヤカシだ。 そのアヤカシがあろうことか『餌』である人と手を組んだという。 「‥‥あるいはアヤカシが人を操っているか」 戒恩の答えに輿志王の眉がピクリと動く。 「越中の残党がアヤカシに操られているってのか‥‥」 「可能性の話ですが、無くはないと」 「なるほどな‥‥で、どうする? 俺が出るか?」 それは試すような問いかけ。 「‥‥御冗談を。この程度の事態、兵の二百でも借り受けれれば十分」 親子ほども年の離れた主人に、戒恩は大仰にかぶりを振る。 「相変わらず言うなぁ。まぁ、それでこそ、闇小太刀の戒恩だ」 ●安州 「やはり、そうなのじゃ」 朱藩が首都『安州』に用意された屋敷の一室で、雑多に広げられた数々の書類に目を落す少女が呟いた。 「この戦略‥‥頼重の手じゃ」 それは先日、朱藩の辺境の島で起こった戦いの記録。 袖端 振々は地図に記された軍行の軌跡を辿る。 「何かわかったかい?」 と、声は背後から。 ようやく戻ってきたのか、戒恩が部屋の入口に立っていた。 「‥‥黒幕が判明したのじゃ」 振々の反応が気に召したのか、戒恩は笑みを湛え部屋に踏み入ってくる。 「やっぱり、最上殿だったかい?」 「うむ、あの戦い方、頼重じゃ。『雪中兎の策』と呼んでおったか」 「‥‥やはりか」 今孔明と称えられた策士の施した策。それが自領を奪った。 戒恩はどこか複雑に振々の言葉に耳を傾ける。 「そんな事より、『いくつ』借りられたのじゃ?」 今度は逆に振々が戒恩に問いかける。 「この間の戦で借りた一個師団を。兵にして二百、飛空船3艦の戦力だ」 「ふむ‥‥」 「本当にいけるんだろうね? 一応、輿志王に啖呵切ってきたんだけど」 「どうせ、頼重は振が人質に取られているとでも言われ脅されておるのじゃろう。まったくもって軟弱な奴じゃ!」 向ける怒りは遥か南海の見知った顔に。 「それが今回の作戦の要か」 「うむ。頼重さえ取り戻せば後は烏合の衆じゃ。朱藩の国軍の力をもってすれば用意に落とせよう」 やられたらやり返す。負けず嫌いの我儘姫の闘志に火がついた。 頼重が行った心津奪取作戦を模倣し昇華させる。それが振々が立て作戦であった。 「やられたらやり返すのじゃ! 振の恐ろしさを頼重に教え込まねばならん! 振に任せておくのじゃ!!」 「ああ、頼りにさせてもらうよ」 練り上がった作戦に再び闘魂を注入する振々を、戒恩は頼もしく見つめた。 ●??? 「居心地はいかがですかな?」 「‥‥」 隙間から僅かに差す光が今が日中だと告げている。 「いやぁ、先の戦いは見事でした。私も興味本位で兵法をかじってはいますが、あの様な奇策聞いた事も無い」 「‥‥約束は果たした。早くここから出せ」 「今度、ゆっくりと学ばせて頂きたいところですな」 「‥‥」 まるで取り合わない長身の男を睨みつけると、後ろ手に結ばれた縄がぎりりと手首に食い込んだ。 「それにしても、実時殿もお人が悪い。戦の第一功労者をこんな所に招待するなんて」 手持ちのカンテラがゆらりと揺れ、持ち主の薄気味悪い笑みを浮かびあがらせる。 「もう少し協力的であれば、領主屋敷にご招待するんですが‥‥残念です」 「念願の領地を得たのだ、もう私に用はないだろう。早く出せ!」 「それは私の決める事ではありませんからな。おいおい実時殿から沙汰があるでしょう」 それだけを言い残し、長身の男はカンテラの光と共に、その場を去っていった。 「‥‥姫様、申し訳ありません」 僅かに差す光の先を見つめ、頼重は小さく小さく呟いた。 |
■参加者一覧
出水 真由良(ia0990)
24歳・女・陰
叢雲・なりな(ia7729)
13歳・女・シ
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
ユリア・ソル(ia9996)
21歳・女・泰
更紗・シルヴィス(ib0051)
23歳・女・吟
夜刀神・しずめ(ib5200)
11歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●安州 心津からの難民を受け入れる為に用意された山寺に、三千を超す人々が肩を寄せ合い雌伏の時を過ごす。 「――そうですか。ご苦労されたのですね‥‥」 長い避難生活で疲労の色を濃くした顔で見上げる少年に、更紗・シルヴィス(ib0051)はそっと手を差し伸べる。 「でも、ご安心ください。貴方達の故郷は私達が必ず取り戻して見せます」 不安げに視線を揺らす少年の瞳をじっと見つめ、更紗はにこりと微笑んだ。 「その為にも、貴方の知っている事を教えてくださいますか?」 そして、問いかけた。 「貴方の故郷へと至る道の事を。その術を知っている人達の事を」 孤島の中心へと至る、その道への足掛かりを求めて。 ●寺 心津の為に宛がわれた寺の本堂に、この極秘作戦に従事する者達が集っていた。 「あの島に海路でじゃと?」 出された提案に驚きの声を上げる振々に、ユリア・ヴァル(ia9996)が力強く言い放つ。 「ええ、そうよ。そもそも空路が使えない土地なんだから、海路しかないじゃない」 「ふむ‥‥しかし、どうやって海を渡るのじゃ? あの近辺は潮がきついのじゃろ?」 と、ユリアの放った言葉に、振々が疑問を投げかけた。 「それに関しては、ちゃーんと考えてあるんだっ」 ユリアに代わり答えたのは、得意げな顔で人差し指を立てるなりな(ia7729)であった。 二人はすでに避難した住民から、心津の近海の地理について詳しく聞きまわっていたのだ。 「む?」 「今、ここには心津で生活していた人達がほとんど皆避難してきてるんだよね? だから、聞いてきたんだ」 「聞いてきた‥‥とは、船であの島に入る術をか?」 「そう言う事。漁師の人や水夫の人も逃げてきてたしね。今、更紗が――」 「お待たせいたしました」 と、ユリアが言葉を繋いだ時を同じくして、すっと音もなく襖が開き、更紗が本堂へと顔を覗かせた。 「噂をすれば影ね。で、どうだった?」 「はい、やはり海の――」 ユリアの問いかけに、更紗がゆっくりと口を開き、住民達から聞いてきた話を語り始めた。 ●田塊 巨大な体を空へ浮かべ、朱藩国軍所属飛空船『田塊』は一路南洋の孤島を目指す。 「先の戦いで味方した心津の土地が、今度はそっくり敵となるのですね‥‥」 まだ見えぬ霧の島の方角を眺め出水 真由良(ia0990)が小さく呟いた。 「まだあの戦いは終わっておらん」 「はい、それは重々承知しております。ですから、我々は敵を内から砕きます」 その見た目とは裏腹な真剣みを帯びた言葉に、声をかけたこの船の船長『市川 栄』は目を見張った。 「ああ、そうだったな。我々も出来うる限りの協力はしよう。戒恩にもせっつかれたしな」 そう答えた栄を、今度は真由良が驚いた様に見上げる。 武骨な軍人だとばかり思っていた栄の顔に浮かんだ笑顔は、実に子供っぽい物であった。 「さぁ、そろそろ目的の海域だ。船を下ろすぞ!」 そして、栄は伝声管に向け叫んだ。 ●海上 「明日の同刻、この場所で」 「ああ、わかった」 竜哉(ia8037)の声にハッチから見下ろす水兵が答えると、牽引していた綱が解かれた。 軽い水音を響かせ小舟が南洋へと着水する、と同時に直上にあった田塊の船底が空へと上がっていく。 「さて」 遠ざかる飛空船を見送る事もせず、竜哉は揺れる船上で地図を開いた。 「――海流は南から北西へ。灯台を目印に、北東に舵をきる、と」 事細かく注釈の記された地図の通りに、小舟の船首を島を正面に北東の方角に向けた。 ●心津近海 『これ以上近づけば、敵に察知されます!』 「‥‥だそうだ。戒恩、どうする?」 伝声管を伝い響いてくる声を聞き、栄は戒恩に問いかけた。 「大いに結構なことだ。栄、君の自慢の船をうちを乗っ取った奴らに見せつけてやってくれ」 「了解した。聞いたな! 霧のぎりぎりにまで接近するぞ!」 戒恩の言葉を復唱するように、栄は伝声管に叫び立てる。 「いまからいける所までいく。敵の迎撃があるかもしれんが、いいんだな?」 「はい、皆様の腕を信じておりますから」 向けられた声に、真由良は笑みを返すと符を取り出し、小さな海鳥を形作る。 「いい返事だ。よし、面舵いっぱい! 島を目指すぞ!」 真由良の返事に気を良くしたのか、栄は声を弾ませ伝声管を握った。 ●船上 「うーん」 「なりな、どうしたの?」 甲板に寝転んだまま器用に首を捻るなりなに、ユリアが問いかけた。 「こんなに荒れてる海なのに、島を占領した人達は、どうやってご飯を運んでるんだろうね?」 「‥‥そうですね。備蓄でもあるのでしょうか」 「きっと、前の戦いで用意していた兵糧で食いつないでる筈よ」 なりなと更紗の疑問に、ユリアが答える。 先の戦いにおいて十分に準備された兵站は、撤退戦の中、そのまま放置されていたのだ。 「そっかぁ、それじゃ、兵糧攻めとか、そんなの出来ないよねぇ」 「しばらくは無理でしょうね。長期的に見れば可能かもしれないけど、相手も馬鹿じゃないわ。何らかの方策は考えるでしょうね」 むむぅと仰向けで頬を膨らせるなりなの頭を優しく撫でながらユリアは、更紗へと視線を巡らせる。 「更紗、そっちはどう?」 「はい、この方向で間違いないようです」 ユリアの問いかけに答える更紗は、甲板に机を持ち出し、広げられた地図から顔を上げた。 「ほんとにあるのかな? 地図に載ってないんでしょ?」 「はい。領民の方々に教えていただいた漁村は、今は住む者が無く打ち捨てられているとの事です。当然、地図にも載っていません」 飛び跳ねる様に身を起こし地図を覗き込むなりなへ更紗が答えた。 「住む者が無くねぇ。ただでさえ人が住める土地が少ない所なのに漁村なんて貴重な場所、よく放置してるわね」 「その村で、アヤカシが出たとか? どうなの、更紗」 「そこまでは‥‥。噂では住民の全てが犠牲になったとある事件があったと」 「‥‥なんだかきな臭いわね」 「でもでも、放置されてたんなら。敵の人も知らないってことじゃないかな?」 なりなの言い分に皆の視線がなりなに集まる。 「ねね、振ちゃんはどう思う? きっとのぉまぁくだと思うんだよね」 「ふむ。確かに地図に無い場所の様じゃのぉ。戒恩も話しておらんかった」 「きっと、その騒動のせいで住む者も無くなってしまった為、伝えられなかったのではないでしょうか」 「なんにせよ、あの島へ上陸して子守役さんには早々に帰還してもらわなくちゃね?」 「うむ! 半年分の折檻が溜まっておるのじゃ!」 ユリアが見下ろし覗き込んだ振々の表情は、自身と不満が入り混じる複雑な色を湛えていた。 「はい、いずれ敵方もその村の存在に気付くかもしれません。上陸し調査するのであれば早くすべきでしょう」 言い終え顔を上げた更紗が海の彼方へ視線を送る。そこには、不気味に揺れる霧に包まれた孤島が姿を現した。 ●実果月港 音もなく崩れた桟橋へと小舟を接舷させた竜哉は、杭に船を係留する。 「まだ放置されているか」 海に開いた大穴から差す陽光に映し出される実果月港は、ある日の激戦の後とその後の撤退戦の痕跡を色濃く残していた。 「‥‥」 軽やかに陸地へと足を下ろした竜哉が、無言で瞳を閉じる。 辺りに漂う気配、匂い、瘴気――。それが何であれ、この場が「変わった」であろう確証を得る為、神経を研ぎ澄ます。 「‥‥うん?」 硝煙と硫黄の入り混じった独特の匂いが残る空洞の中、それは微かに、だが確かに――揺れた。 竜哉は身につけた泰国民間人の衣装を正し、辺りを伺った。 『なに奴』 短く端的な問い。声は洞窟に反響し出所が掴めない。 「ここの住人の方でしょうか? 申し訳ありません。漁の最中、潮に流されここへ辿りつ――」 ただ偶然迷い込んだ風を装おうと、闇に向って声を上げた竜哉に問答無用の刃の洗礼が降り注ぐ。 「‥‥いきなりとは随分と無粋な」 しかし、数多投げられた苦無を尽く避け、竜哉はその出元へ。 『っ!?』 「遅い」 一瞬にして距離を詰めた竜哉の貫手が闇に紛れる黒装束の喉首へ突き刺さった。 「――ここにシノビがいるという事は、階段の修復を進めているという事か」 これ以上この場に居ては、更なる追跡の手がかかる。 血に濡れた貫手を一振りした竜哉は、足元を見下ろす。 「‥‥この死体だけは処理せねばな」 竜哉は辺りを見渡し、倒壊寸前の小屋に目星をつけると、驚愕の表情で固まるシノビの身体を担ぎあげた。 「存在を知られる訳にはいかないのでな」 竜哉はそのまま小屋へ。死体を小屋の中へと置くと転がっていた角材をその喉元へと突き立てる。 「『事故死』していてもらおうか」 そして、大黒柱を一蹴し、砕き折った。 ●夜 「夜まで霧が出るんか‥‥ほんま、難儀な島やな」 外洋独特の大波に揺れる木の葉の如き小舟に身を伏せ、夜刀神・しずめ(ib5200)が闇の中にあってなお霧に霞む島影を睨む。 島の周りを暗礁で囲まれているといっても、小舟の喫水であればそれほど脅威ではない。 しずめは海流に任せるままに小舟を揺らし、闇に乗じて島に接近していた。 「‥‥見張りは無しと。不用心やな。それとも罠か‥‥まぁ、考えとっても仕方あらへん」 灯台もと暗しとは、まさにこの事か。 見上げる程の崖の傍まで小舟が接近しているのに、迎撃どころか見張りの姿さえ見えない。 不気味に静まる心津の台地を見上げ、しずめが呟く。 「ほな遠慮なく行かせてもらおか」 そして、しずめは徐に小舟の船縁へ手を駆けると、吸い込まれそうなほどに真黒な暗礁だらけの海へと身を投じた。 ●実果月港 「‥‥」 港の中は外海とは打って変わって穏やかであった。 夜の闇に溶ける様な真黒な海面から頭一つだけを出し、しずめは港の気配を探る。 「‥‥うまいこと気配消しとるみたいやけど、まだまだ青いな」 一般人であれば到底察知できない程の微かな気配。 志体持ちであるしずめの聴覚にだけ届く微細な音。 「――ひぃふぅみぃ‥‥結構おるんやな」 耳元でざわめく水音をかき分け、陸で起こる土踏音にのみ神経をとがらせた。 「陸に人がきとるゆぅことは、地上までの道が繋がったゆぅ事か‥‥」 出入りの出来ない洞窟に人の気配がある。しずめは気配の数に推測を巡らせた。 「堂々と階段上がって、ゆぅんはできへんみたいやな――となると」 と、しずめは墨汁をひっくり返したかと思われる様な夜の海に視線を落すと、大口を開け肺に空気を満たす。 「抜け道、水道、隠すんなら――ここやろ」 水音すら立てず頭を水中へ没した。 ●心津上空 「っと、おい。あんまり無茶なことするなよ?」 「はて、何故でしょう?」 掴まれた腕を不思議そうに眺め、真由良は栄の顔を見上げる。 「何故って、お前。身一つで飛び降りるつもりだっただろ」 「はい、それが何か?」 真由良の方足は田塊の船縁にかかっている。 「何かって‥‥本気で行くつもりか?」 「問題ありません。落下に耐える宝珠も持っていますから」 「そう言う問題ではない。そもそも行ったはいいが、どうやって帰ってくるつもりだ?」 「‥‥いざとなれば、泳いででも」 「やっぱり考えなしか。悪いがそんなんじゃこの手は離せないぞ」 と、栄は握った腕に力を込め引っ張った。 「しかし、人魂が届かない以上、中の様子を探るには実際に見てくるより他ない訳で」 甲板へと戻された真由良はどこか焦ったふうに呟く。 真由良は田塊が心津に接近するのに合わせ、何度も人魂を放っていた。 しかし、濃い霧の為接近を制限される田塊から、心津までの距離はあまりに遠い。 「木乃伊取りが木乃伊になったら目も当てられないぞ。それより、ここから出来る事はないのか?」 「ここから‥‥ですか」 と、真由良がふと空を見上げると西の空は茜色に染まっていた。 「‥‥少し薄れているでしょうか?」 そして、再び見た霧ヶ咲島の霧は、ずっと眺めていたのではわからない微細な変化をしている。 「もしかして‥‥」 真由良は、再び霧から目を逸らす。今ある霧の濃さを瞼に焼き付けて。 ●カサの村 「うわぁ‥‥お化け屋敷がいっぱい‥‥!」 打ち捨てられた漁村を覆う霧は、人の居なくなった家々のおどろおどろしい雰囲気を増長させているかのよう。 「‥‥本当に廃村の様ね。アヤカシの気配を探るわ。皆離れないでね」 と、ユリアが槍を抱くように構えると、すっと瞳を閉じる。 辺りに漂う禍々しい悪意。それを機微に感じ取る為に。 「‥‥アヤカシはいないわ」 瞳を開いたユリアが小さく呟いた。 「人の気配もないよ。‥‥というか、物音一つしないね」 ユリアと時を同じくして、なりなも音による索敵を行っていた。 「では、少し村の様子を探ってみましょう。気配はなくとも罠が張られている可能性も捨てきれません」 慎重に一歩ずつ。霧の霞む場所では、視界に頼るのは愚というもの。 更紗を先頭に一向は五感の全てを使い、辺りの警戒しながら進んでいく。 「どうやらここが村の端の様ですね」 一刻程も経っただろうか。一行が辿りついたのは村の入口を示す塚であった。 「どうするの? 奥に進む?」 「いや、今日は上陸できる場所を見つけたことを第一の功績とするのじゃ。深入りして見つかっては目も当てられんからの」 「そうですね。振姫様の仰る通り、今回はあくまで調査ですから」 振々の言葉に皆は頷き、来た道を引き返す。 廃村を抜け、砂浜に係留していた小舟に乗りこむ一行。 「待ってなさいよ頼重。すぐに子守役に戻してあげるから」 最後にユリアが静かに佇む廃村に向け、小さく呟いた。 ● 心津の調査に向った者達によってもたらされた情報は、田塊で奪還作戦の指揮を執る戒恩の元へと集められる。 「港には敵のシノビの気配があった。程度はわからんが、地上との道が繋がったということだろう」 「港の海の底に横穴あったで。ただ、長すぎて何処まで続いとるんかわからへんかったけどな‥‥」 竜哉、しずめによって、実果月港の復旧状況と、抜け道の有無が知らされる。 港の中には多くはないがシノビの姿が確認された。 そして、誰も目をつけなかった港の海の底には長く暗い海底洞くつの存在も。 「陸では、カサの村と呼ばれていた廃村からの上陸が可能でした」 「お化け屋敷いっぱいだったけど、あそこからなら上陸できそうだよ!」 「問題は、少し陵千までの距離があるという事かしら」 ユリア、なりな、更紗の三人からは、敵にはまだ知られていないであろう上陸ルートを発見した。 「この季節、夜になると気温と海水の温度が近くなる為、霧が薄れる様ですね」 真由良による、霧ヶ咲島を覆う霧の観測結果が告げられた。 霧の範囲こそ変わらないが、濃淡が明らかに薄くなっているのだと。 皆が集めた調査結果は安州へと持ちかえられる。 頼重奪還作戦は、今だ最初の一歩を踏み出したに過ぎないのだから。 |