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■オープニング本文 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 鼓膜を破るような、男性の慟哭。 その腕の中に在るのは、最愛の女性『だった』者。まるで眠っているように、穏やかな表情をしている。だが……その体の大半は、アヤカシに喰われて失われていた。当然、息は既に無い。 若くして命を失った少女、シホ。その恋人、スオウ。2人は、朱藩の砂浜で約束をしていた。 『お互い18歳になったら、祝言を挙げよう』と。 その約束の日が、今日なのである。互いの気持ちを確認するため、再び砂浜を訪れたのだが……それが永遠の別れになるとは、想像も出来なかったに違いない。 物言わぬ姿と化したシホを抱き締め、声にならない鳴き声を漏らすスオウ。その姿を眺めながら、人の型を成した狼のアヤカシ達が耳障りな声を上げている。雄叫びの類ではなく、嘲るような、笑っているような、下卑た声を。 アヤカシが恐怖や絶望を糧としているなら、今のスオウは絶好の『餌』に違い無い。目の前で愛する者の失い、負の感情で溢れているのだから。その感情を喰らった後は、彼自身が喰われてしまうのだろう。 だが……人の執念や、絶望や、憎悪は、時として予想外の事態を引き起こす。 スオウがシホを砂浜に横たえて立ち上がった直後、彼の周囲を黒い霧が渦巻いた。 瘴気。 深い悲しみが、激しい憎悪が、大量の瘴気を呼び寄せたのだろう。その全てが、スオウの体に吸収されていく。 数秒後。彼は、文字通り『人ではない存在』と化した。瘴気が硬質化し、黒い鎧のような形となって全身を包む。鉄仮面の間から覗く真紅の双眸は、禍々しく憎悪に満ちている。身長が3m近くまで巨大化し、手足は獣のように長く鋭い。 「シ…ホ……」 それが、スオウの『最後の言葉』になった。人としての理性や知性を失い、獣のような雄叫びを上げる。その声に交じって、狼のアヤカシも楽しそうに笑った。 |
■参加者一覧
浅井 灰音(ia7439)
20歳・女・志
霧咲 水奏(ia9145)
28歳・女・弓
高峰 玖郎(ib3173)
19歳・男・弓
宮鷺 カヅキ(ib4230)
21歳・女・シ
破軍(ib8103)
19歳・男・サ
一之瀬 戦(ib8291)
27歳・男・サ
月夜見 空尊(ib9671)
21歳・男・サ
木葉 咲姫(ib9675)
16歳・女・巫
鉄 千刀(ib9896)
20歳・男・サ
豊嶋 茴香(ib9931)
26歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ● 秋の潮風は、予想以上に冷たい。海上で冷やされた空気が大地を撫で、寒さがそっと吹き抜けていく。その冷風は、人の心にまで吹き込んでいるのかもしれない。彼等の表情を見ていると、そんな事まで考えてしまう。 朱藩の国内を、南部に向かって足早に移動する開拓者が、10人。依頼解決のために移動中なのだが、疾走していない理由は2つ。体力温存と、物音で勘付かれないためである。 「…感じる、感じるぜ。胸糞悪ぃ気配だ。間違い無ぇ、遠くからこっち見て、ほくそ笑んでやがる」 目的地の砂浜に遠い視線を送りながら、不機嫌そうに顔を歪める鉄 千刀(ib9896)。アヤカシという外道の気配が、風に乗って届いているのかもしれない。 「最愛の人を失った絶望…その感情は『瘴気にとって都合のいい物だった』と言う訳かな」 浅井 灰音(ia7439)は、右目を瞑りながら冷静に状況を分析している。彼女の予測が正しいか分からないが、アヤカシが非道な行いをした事は間違い無い。 「以前も、負の感情からアヤカシになってしまった方が居ました……あの時も、菊の季節で」 空を見上げながら、宮鷺 カヅキ(ib4230)は過去の事件に想いを馳せる。菊の季節は、一般的に春と秋。以前との共通点に、記憶が刺激されたのだろう。 「人がアヤカシに? 何とも、珍しいケースだ。是非ともラボに運んで研究を…って、もうあそこ使えないのだったな」 豊嶋 茴香(ib9931)が、苦笑いを浮かべながら軽く頭を掻く。未だに、研究員だった頃のクセが抜けていないようだ。 「…瘴気呼びしその無念。慰めとなりはせぬでしょうが、その一端でも拙者の矢にて晴らしましょう」 弓を握る霧咲 水奏(ia9145)の手に力が籠る。アヤカシに堕ちた青年の事を憂い、その元凶を作った者に対する闘志が、無意識に表れていた。 「情報では、随分と強力なアヤカシが現れたようだな。人気の無いところに現れたのが、不幸中の幸いか」 高峰 玖郎(ib3173)の言う通り、今回のアヤカシは手強い。街中に出現して暴れていたら…多くの悲劇が生まれていただろう。 「最愛の方を亡くして、アヤカシと化した…まるで自分の事のように感じて、心が痛うございます…もしかしたら、私も…」 木葉 咲姫(ib9675)にとって、今回の事件は他人事ではない。彼女は過去に似たような経験をしているため、自分とスオウを重ねていた。身を切るような想いが、心に突き刺さる。 そんな彼女の心情に気付いた月夜見 空尊(ib9671)は、そっと咲姫の頭に手を伸ばした。 「それ以上は…言ってくれるな…桜花の娘よ。生と死…それには、意義がある」 諭すような、慰めるような優しい口調。その言葉と空尊の温もりに触れ、咲姫はほんの少しだけ笑顔を浮かべた。 「ふん…所詮、魔に飲まれる奴の末路など、たかが知れている…スオウとか言う野郎も、それまでの奴だったって事だろうよ…」 吐き捨てるような、破軍(ib8103)の言葉。全身からイライラオーラを放出し、不機嫌なのが一目瞭然である。 彼の言葉が気に障ったのか、咲姫は怒りの形相を浮かべながら詰め寄った。 「破軍さん! いくら何でも、その言い方は…!」 「止めとけよ、咲姫。こういう男は、本心を隠してるモンさ。そうだろ?」 咲姫を落ち着かせながら、一之瀬 戦(ib8291)が破軍に不敵な笑みを送る。自身も良く本心を隠しているため、何か通じるモノがあるのだろう。 破軍は軽く舌打ちすると、視線を逸らして歩く速度を上げた。彼も、アヤカシが原因で家族を失っている。過去の自分がスオウと重なり、やり場の無い怒りが湧き上がっているのだ。 様々な想いを胸に、開拓者達の行軍は続く。砂浜が見えてきた頃、彼等は歩調を緩めて木や茂みに姿を隠した。広い砂浜で雄叫びを上げ、暴れるように爪を振るスオウ。その様子を狼のアヤカシ達は笑いながら眺めている。 (人の体があそこまで変質するとは、良い研究対象になりそうだな…) アヤカシであっても、茴香の前では研究対象でしかない。頼もしいが、少々感覚がズレているかもしれない。 「…何故だ、あの狼の笑いに虫唾が走るのは。何を笑っているんだ?」 いつもは冷静で表情を変えない玖郎だが、眉間に若干シワが寄っている。それ程に、圧倒的な不快感が湧き上がっているのだろう。 「細かい事は気にすんな。イラつく野郎なら、ぶった斬れば良い。お前の気分も、俺の気分も、この事件も、するりと片付いちまうはずさ」 不敵な笑みを浮かべながら、刀を握り直す千刀。迷いのない、真っ直ぐな瞳。その言動は、今までの彼の生き方を現しているようだ。 「単純明快だな。だが…嫌いじゃないぜ、そういうのは」 「同感だ……この状況を作った犬畜生共は、手前ぇのハラワタぶち撒けて、血の海でのたうちまわりながら死んで貰おうか……」 千刀に同意しながら、戦と破軍が笑う。それは、残酷で冷たい微笑み。敵に対して、一切の手加減をしないつもりなのだろう。 「毎々、このような方に縁がありますが…私のすべき事に、変わりはありません」 スオウに視線を向けたまま、カヅキが口を開く。口では若干冷たい事を言っているが、彼女が持っている兵装は『漆黒の忍刀』と『純白の長苦無』。黒と白で、葬送の意を送っているのだ。 「何とかして彼を救ってあげたいけど、その為の手段は…一つしかない、か」 悲しみを帯びた、灰音の言葉と表情。瘴気と融合し、アヤカシに堕ちた者を救う術は無い。彼女の言う『スオウを救う手段』は、開拓者にとって辛い選択でもある。 「然し、悲劇は繰り返してはなりませぬ。ならば、狼のアヤカシが逃げるのを看過できませぬな」 全ての元凶は、狼のアヤカシ。第2、第3のスオウを生み出さないため、水奏はこの場に居るのだ。 「皆…思うところは、多々あろうが…往くとしよう。悲劇の…終止符を、打ちに…な」 言いながら、空尊は全員をゆっくりと見渡す。月のような穏やかな視線を浴びながら、開拓者達は深く静かに頷いた。 ● 「犬畜生が相手なら、鼻が効くだろうからな…俺達は、風下から近付いて距離を詰めさせて貰おうか…お前等、異論は無いな?」 答えを待たずに、破軍は風下に向かって歩を進める。それを追うように、水奏、玖郎、千刀も歩き出した。彼等4人は、狼のアヤカシ対応班である。 スオウとの戦いを望んだ6人は、攻撃可能な範囲まで距離を詰めていく。 「…スオウさん」 思わず、咲姫の口からスオウの名前が零れた。倒す覚悟をしたとは言え、暴れ回る彼の姿に、相当心が痛んでいるのだろう。 「先ずは突撃させて貰うぜ? 援護は宜しくな。さて……鬼に堕ちた愚者風情が、五月蠅ぇんだよ!!」 20m前後まで距離を詰めた所で、戦は雄叫びを上げながら駆け出した。その声と突撃する姿が、スオウの注意を引く。スオウは狂ったような叫びを上げると、迎え撃つように爪を振った。 鋭い爪撃を朱槍で受け止め、戦は大きく踏み込んで弾き飛ばす。相手の隙を狙い、神経を研ぎ澄まして素早い刺突を放った。穂先が鎧の隙間に突き刺さり、軽く瘴気が吹き出す。 「せっかちだね。まぁ、頼まれた以上は援護してあげるよ」 ほんの少し笑みを浮かべながら、灰音は左手の短銃を撃ち放った。正確な射撃をスオウに当てながら、少しずつ距離を詰めていく。 (いかんいかん。未だに昔の感覚が抜けきらないな…) 研究の事を振り払うように、茴香は頭を左右に振った。気持ちを切り替えて杖を握ると、聖なる力が先端に収束していく。それが矢の形を成し、スオウに飛来した。 弾丸と矢の雨を受けながらも、スオウはゆっくりと腕を振り上げる。それが振り下ろされる直前、全身の動きが不自然に止まった。 「自身の力に、身体が付いていってないような動きですね。『操られている』という言葉が、一番しっくりくる感じ…」 呟くカヅキの足元から、影が伸びてスオウに絡み付いている。この影が自由を奪い、拘束しているのだろう。 「…我も、同意見だ…まだ、己の力に慣れぬと見える…『振り回されて』おるな…」 空尊の銀色の瞳が、憐みの色を帯びる。両刃の剣を強く握り、地面に全力で突き刺した。衝撃の波が地中を走り、地面をめくり上げながら敵に向かって伸びる。圧倒的な衝撃がスオウに到達し、全身を駆け抜けた。 戦いを見物していた狼達が、巻き添えを避けるように距離を空ける。 「援護はお任せを。微力ながら、支援させて頂きます」 悲痛な表情を浮かべながらも、咲姫は戦との距離を縮めていく。射程内に入った事を確認し、精霊力を込めた声援を送った。それが戦の全身を活性化させ、物理的な攻撃力を高める。 その状態で、戦は裂帛の気合を込めて槍を突き出した。狙うは、スオウの眼窩。『何か』が潰れるような感覚が槍越しに伝わり、鎧の間から少量の瘴気が弾けた。 直後、スオウは苦痛の雄叫びを上げながら、身を仰け反らせる。暴れるように両腕を振り廻すと、突然爪が伸びて咲姫と茴香に迫る。驚愕の表情を浮かべながらも、2人は咄嗟に身を翻した。直撃を避けたものの、咲姫の頬と茴香の腕を掠って薄っすらと血がにじむ。 「私達を無視して後衛を狙うなんて…余裕のつもりかな?」 我を忘れて暴れる敵は、絶好の的でしかない。灰音は地面を蹴り、一気にスオウの懐に飛び込んだ。射撃が鎧の脇腹を破壊し、欠片が瘴気と化して溶けていく。それを振り払うように、片手剣を鋭く薙いだ。切先が剥き出しの胴を捉え、血の代わりに瘴気が散る。 間髪入れず、カヅキは一気に距離を詰めて黒白の刃を奔らせた。黒と白の斬撃がスオウを捉え、火花と共に瘴気が舞い散る。 「大事なひとを喪った悲しみからこうなったとはいえ…憎悪と怒りは何も生まないというのに、きみがアヤカシに成り下がってどうするんですか」 カヅキの溜息混じりの言葉に、瘴気が軽く吹き飛ぶ。彼女と灰音はタイミングを合わせ、兵装で斬り上げた。互いの刀身がスオウの爪を斬り飛ばし、瘴気に還す。 「咲姫、茴香! 前に出過ぎんなよ!? 自分と相手の力量を見誤ったら、勝てるモンも勝てなくなるぜ?」 後方を振り向き、声を張り上げる戦。その指示に従い、咲姫はゆっくりと後ろに下がっていく。 「分かっている…このくらいの距離なら、大丈夫か」 口調とは裏腹に、茴香は爪の射程外まで距離を空けた。内心、敵の攻撃にビクついているのだろう。その位置で杖を構え、聖なる矢を射ち出した。 射撃に合わせて、咲姫が手を振り上げる。矢が突き刺さるのと同時に、スオウの周囲が空間ごと歪んだ。彼女が手を握ると、空間の揺らぎがスオウの体を一瞬捻じり、衝撃が駆け抜けた。 どれだけダメージを受けても、スオウは人語を口にせず、出血も無い。瘴気が吹き出し、獣のような唸り声を漏らすだけである。 「…本当に、アヤカシに『堕ちた』のだな…それが、ぬしの心の有り様か…」 既に、スオウに人間としての特徴は残っていない。同情の余地はあるとしても、アヤカシに堕ちた事実は変えられない。深い溜息と共に、空尊は再び地面に剣を突き立てた。大地を割る程の衝撃波が、スオウの全身を叩く。 ダメージで瘴気を吹き出しながらも、スオウの闘争心は微塵も失われていない。6人は兵装を握り直し、再び覚悟を決めた。 ● 時間は少々遡る。狼のアヤカシは距離を空けた直後、岩に乗って再び傍観に回っていた。 20mも離れていない位置に、開拓者達が近付いている事に気付かずに。 「高みの見物とは……随分と洒落た趣味だな…」 皮肉と怒りを込め、破軍が言葉を吐き捨てる。もし彼が1人で攻め込んでいたら、問答無用でアヤカシに斬り掛かっていただろう。 「まったくだ。仕掛けるだけ仕掛けて高みの見物を決め込んでる野郎を見ると、心底イラついちまうな」 喧嘩っ早く、真っ直ぐな性格の千刀らしい一言である。彼も破軍も、猛烈に不機嫌そうんだ。冷静で落ち着いた性格の、水奏と玖郎は涼しい顔をしているが。 「先ずは、先手を撃たせて頂きまする。その隙に、破軍殿と鉄殿は接近して下さいませ」 言葉と共に、水奏が矢を番える。先手を取りつつ、前衛職が接近する隙も作る…合理的な判断と言えるだろう。 「それは、こっちから頼みたいくらいだ。期待させて貰うぜ、霧咲、高峰」 仲間の頼もしい言葉に、千刀が軽く笑みを浮かべる。静かに頷き、玖郎は周囲を見渡した。 「数は2匹、か。取りこぼしの無い様に攻めるぞ」 敵の数を確認し、矢を番える。どこかに隠れている可能性も否定出来ないが、それに気取られて目の前の敵を逃がすワケにはいかない。 4人は一旦顔を合わせると、軽く頷いて視線を狼に向けた。破軍と千刀の突撃に合わせて、水奏が一斉に矢を射ち放つ。複数の矢が、狼達に降り注いだ。 完全に虚を突かれ、驚愕の様子を隠せないアヤカシ達。水奏の弓撃を避けるために岩から飛び降りたが、着地の瞬間を狙って玖郎の矢が2匹の脚を射抜いた。 水奏と玖郎の強襲で完全に出鼻を挫かれ、アヤカシ達の行動が後手に回る。その隙に、破軍と千刀は至近距離まで接近していた。 破軍は地面を蹴り、一気に距離を詰める。霊剣を強く握り、上段から全力で振り下ろした。 斬撃に対し、狼は瘴気を纏って防御能力を高め、爪を交差させて防御姿勢を固める。だが、破軍の一撃は爪を砕き、アヤカシの体を縦に斬り裂いた。飛び散った爪の破片が瘴気と化し、傷口からも瘴気が漏れ出る。 ようやく敵の接近に気付いたのか、2匹目の狼が千刀に向かって爪を振り下ろした。 爪撃に合わせて、千刀は短刀を滑らせる。力の方向を変えるように攻撃を捌き、巨大な刀を薙いだ。刀身に纏わせた練力が、接触と同時に炸裂する。咄嗟に、狼は後方へ跳んで直撃を避けたが、無傷では済まなかったようだ。 「今日は…久しぶりに残忍になれそうだ…先ずは、逃げ足を奪わせて貰おうか…」 着地した隙を狙い、破軍は2匹目に詰め寄る。言葉通り、狙いは足。鋭い斬撃が、狼の腿を深々と斬り裂いた。そのまま手首を返し、切先を首に向ける。その動きは、まるで『怒り狂う獣』のようだ。 だが、狼は2撃目を弾き、反撃するように爪を振り下ろした。爪撃が破軍の胸に赤い線を描き、血飛沫が舞う。 「加勢してくれんのかい? だったら、まずはコイツから仕留めるか」 2匹目の退路を断つように、千刀が背後に回り込んだ。挟み撃ちにする事で、確実に数を減らす作戦なのだろう。両手の兵装を交差させるように振り、敵の背を十字に斬り裂く。深い傷口から、瘴気が一気に吹き出した。 破軍と千刀の視界から外れ、1匹目の狼が少しずつ距離を広げていく。恐らく、このまま逃げるつもりなのだろう。 「高峰殿。もう1匹は、拙者達の絶え間無き矢雨にて制しましょう。御助力、お願い致しまする」 「ああ、任せろ。あんたの隙は、俺が埋めてみせる」 そんな事を、水奏と玖郎が見逃すワケが無い。玖郎は素早く矢を番え、一気に射ち放った。放たれた矢が空を切り、狼の脚を地面に縫い付けるように射抜く。 水奏は反撃を受けない位置へと移動し、強烈な一矢を放った。それが狼の脚を射抜き、瘴気が漏れ出す。立ち昇る瘴気を掻き消すような、鋭い2射目。水奏の弓撃が、狼の肩に深々と突き刺さった。 更に、玖郎が素早く立ち位置を変える。移動中、スオウ班の様子を窺い、現状を確認。異常が無い事が分かると、2射目を放った。瞬速の矢が1匹目の胴を貫通し、穿たれた孔から瘴気が吹き出す。 戦況は、開拓者達が有利に進んでいる。自身の不利を悟り、狼達は周囲を見渡し始めた。直後、2匹は街に向かって駆け出す。 「ほう、逃げるか…逃げれるものなら逃げてみろ…!」 「当然、逃がしてやらねぇけどな! そらよっ!」 破軍の雄叫びが周囲に響き、千刀の投げたナイフが空を切る。咆哮が敵の注意を惹いて足を止め、短刀が1匹目の膝に突き刺さって体勢を大きく崩した。 更に、千刀は距離を詰めて斬撃を叩き込む。切先が狼の体を深々と斬り裂き、砂浜に倒れ込んだ。だが、まだ止めには至っていない。 ゆっくりと剣を抜きながら、破軍はアヤカシに歩み寄った。刀身に炎を纏わせると、微塵も迷わずに振り下ろしてアヤカシを腰から両断する。全身が瘴気と化して空気に溶けて行く中、破軍が狼の後頭部を踏み付けると、一瞬で瘴気となって弾け飛んだ。 「アヤカシとして生まれ出でた事、憐れなれど、その所業は断じて許す訳には参りませぬ。その罪咎諸共、滅しましょう」 矢を握り、想いを込める水奏。流れるような動きで矢を番えると、鋭い視線で狼に狙いを定める。 「…人の強い負の感情が瘴気を呼び、アヤカシを生んだとしても…同情を受けるに値する場合もある。そういった者を静かに眠らせる為にも、この力があるのだと信じている」 玖郎が言っているのは、恐らくスオウの事だろう。自身の右手を見詰めながら、開拓者としての力の在り方に想いを巡らせる。 「だが…貴様達のような『他者の不幸を愉悦とする外道』は、俺がこの世でもっとも嫌う、赦されざる者だ。そして、それらを滅する為にもこの力はある。後悔を抱えて消えろ、アヤカシ…!」 玖郎にしては珍しく、激情を込めた言葉。心の奥底で、アヤカシに対する怒りが燃え上がるのだろう。玖郎は弓に矢を番え、視線を狼に向けた。水奏とほぼ同時に放たれた矢が、残ったアヤカシに突き刺さる。 2人は間を置かずに矢を番え、素早く2射目を放った。高速の弓撃が敵の額と心臓を射抜き、彼方へ飛んでいく。アヤカシは全身から瘴気を吹き出しながら、砂浜に崩れ落ちた。ほんの数秒で全身が黒い霧と化し、空気に溶けていく。 「…これにて、幕引きに御座いますな。スオウ殿の無念、多少なりとも晴らせたのでしょうか…?」 誰に問うワケでも無く、独り呟く水奏。その言葉は風に乗り、天高く消えていった。 ● どこからともなく飛んで来た矢が、スオウの足元に突き刺さる。それを気にする間も無く、スオウは爪を大きく薙いだ。 反射的に、灰音とカヅキは後方に跳び退く。が、鋭い一撃が灰音の腕を掠め、鮮血が流れ出た。 戦は槍を盾代わりに構え、爪撃に合わせる。受け止めたように見えたが、槍を弾かれて胸を引き裂かれた。 「血など、見とうございません…どうか、無理をなさらぬよう…」 間髪入れず、咲姫は癒しの風を起こす。それが灰音と戦を包み、負傷を癒して止血した。 ほぼ同時に、戦は槍を振り廻して逆手に持ち直す。スオウの攻撃は大振りな上に、体勢を戻すまで若干の隙がある。その瞬間を狙い、戦は敵の腕を狙って槍を突き立てた。研ぎ澄まされた感覚が鎧の隙間を捉え、体を貫通して砂浜に突き刺さる。 「灰音、カヅキ、今だ!」 戦の叫びに、灰音とカヅキは同時に反応した。彼が動きを封じている今が、止めを刺す絶好の機会と言っても過言ではない。 「貴方をその苦しみから解放する方法…それは、貴方を斬り捨てる事。『悪く思わないで』、なんて言わないよ」 右目を瞑りながら精神を集中し、覚悟を決める灰音。その表情は、どことなく憂いを帯びている。 「どんなに願っても、ひとはいつか死ぬよ…もちろん、願わなくても。きみのその姿を見て、シホさんはどう思っているか……考えたことは、ある?」 カヅキはスオウに言葉を掛けながら、一気に懐に潜り込む。当然…返事は返ってこないが。 灰音は大きく踏み込み、驚異的な速度で剣を奔らせた。一瞬、鋼色の剣閃が描かれ、鎧ごとスオウの体を斬り裂く。正確無比な斬撃は肉体に『斬られた』という認識をさせないため、傷口から瘴気が全く出ない。 カヅキは白と黒の刃を逆手に握り、スオウの急所…心臓目掛けて深々と突き立てた。間を置かず、手首を捻りながら双刃を引き抜く。灰音とは対照的に、瘴気が一気に吹き上がった。 2人の連続攻撃は多大なダメージを与えたが、スオウの体はまだ消滅が始まっていない。 (通じないと分かっていても語り掛ける、か。合理的では無いけど…気持ちは理解出来る) ほんの少しだけ笑みを浮かべながら、茴香は魔法の矢を生み出す。それがスオウの両肩に突き刺さると、天を仰ぎながら苦痛の声を上げた。 「……力に振り回され、己を失う…これでは、操り人形と変わらぬ…まこと哀れ…」 言葉を漏らし、空尊は剣を構えながら駆け出す。今のスオウは見るに堪えないが、隙だらけなのだ。大きく踏み込んで加速しながら、剣を突き出す。切先がスオウの脇腹に突き刺さり、加速による衝撃が傷口を抉った。 瘴気が溢れ出す中、ようやくスオウは大人しくなり、膝から崩れ落ちる。灰音、カヅキ、戦、空尊は顔を見合わせ、4方向からスオウを囲んだ。 「もう、きみには聞こえないでしょうが…今、楽にして差し上げます」 カヅキの言葉に合わせて、4人はゆっくりと兵装を振り上げる。 (あの一撃で、終わるのですね。アヤカシが倒れて……スオウさんが、倒されて消える…?) 咲姫の中で、感情が渦を巻く。自身の過去、事件の原因、スオウとシホ、様々な事が頭の中を駆け抜け……気付いた時、咲姫は駆け出していた。感情に任せ、『スオウを守る』ために。 それに気付いた戦は、舌打ちしながら彼女の進路を塞ぐ。 「今お前ぇが感情で動いて何が変わるってんだよ…戦場で我を忘れるってのは、自殺すんのと何も変わんねぇぞ?」 諭すような言葉も、咲姫の耳には届かない。彼女の目にはスオウしか映っていない上、彼に集中し過ぎて周囲の声が聞こえていないようだ。 「桜花の娘…! 止まれ…! ……咲姫っ!」 叫びながら、空尊が駆け出す。同時に、咲姫の視界に彼の姿が飛び込んで来た。その瞬間、彼女の脚が止まる。空尊の必死の言動が、咲姫を正気に戻したのだ。それだけ、互いの存在が特別なのだろう。 咲姫の暴走が止まり、全員が安堵に胸を撫で下ろす中、スオウに異変が起きた。指先が、傷口が、鎧の端が、少しずつ瘴気になって消えていく。 「限界を超えた、か。ギリギリで消滅に耐えていたのが、完全に崩れたみたいだね」 崩れ落ちた時点で、スオウは致死量のダメージを受けていた。だが、この世界に対する執念が、激しい憎悪が、肉体の消滅に抵抗していたのだろう。極めて珍しい事ではあるが…結末は変わらない。 「消えていく…スオウさん、貴方は苦しみから解放された…?」 灰音の問い掛けに、スオウは顔を上げた。6人が見守る中、全身が瘴気と化し、空気に溶けていく。全てが消えた時、6人はスオウの声を聞いたような気がした。『ありがとう』という、感謝の言葉を。 ● スオウの消滅を見届けた6人は、その場を動けずに居た。様々な想いが交錯し、考えが纏まらない。 「本当にこれが彼を解放する為の最善の手段だったのかは私には分からない。だけど、アヤカシとして彷徨い続けるよりは…」 命は救えなくても、スオウの心は救えたハズだ。そう思っているのは、灰音だけではないだろう。 若干放心状態の6人の元に向かって、狼班の4人が歩み寄る。それに気付いたカヅキは、無理に笑みを浮かべながら口を開いた。 「みなさん、お疲れ様でした。そちらは…大丈夫でしたか?」 「何とか、無事で御座います。スオウ殿との戦いは…心中、お察し致します」 彼女の言動で、水奏は全てを察したのだろう。詳しい事は聞かず、そっと頭を下げた。 アヤカシを倒し、依頼自体は成功したが…両手を上げて喜べる状況ではない。スオウの事があったのだから、当然と言えば当然ではあるが。 「あの…依頼は達成しましたが、お二人のお墓を作りませんか? せめて、これから一緒に居られるように…」 申し訳無さそうに、咲姫が全員に提案する。仮に自己満足だとしても、スオウとシホのために何かをしたいのだろう。 「墓は…生者に、慰みになると聞いた……それで…桜花の娘の憂いが晴れるなら…我は、止めはせぬ…」 そんな彼女の気持ちを汲んだのか、空尊が優しく言葉を掛ける。彼だけではく、咲姫に同意して静かに頷く開拓者は多い。そんな中、破軍は興味無さそうに溜息を吐いた。 「ふん…勝手にしろ。俺はヤボ用がある…別行動を取らせて貰うぞ」 「奇遇だな。俺も、墓作りはパスだ。探し物が残ってるからな」 そう告げる玖郎は、相変わらずの無愛想だ。スオウとシホの埋葬は依頼に関係ないため、強制する事は出来ないが…2人の言動は、少々冷たいかもしれない。 「何だよ、血も涙も無ぇ野郎だな。義理とか人情ってモンを知らねぇのか?」 涼しい表情の2人とは対照的に、千刀は不機嫌さを露にしている。自分の感情が、そのまま言動に表れているのだろう。 睨み合う3人を余所に、戦は波打ち際に向かって歩を進めた。 「ヤボ用に探し物、か。手早く頼むな? 『コレ』を填めるのに相応しい人物、見付けて来てくれよ?」 言いながら、足元に手を伸ばして、何かを拾い上げる。陽光を反射して静かに光る、小さな環状の鉄製品が2つ。それが何なのか、一目瞭然だろう。 「それは…指輪? もしかして、スオウが準備した物か?」 茴香の推測通り、指輪はスオウの所持品である。内側に名前が刻印されているため、間違いない。 「って事は…もしかして、破軍と高峰の用事ってのは…」 千刀が視線を巡らせると、破軍と玖郎は何も言わずに歩き出した。2人が探そうとしているのは、シホの亡骸。消滅したスオウは無理だが、彼女だけでも埋葬したいのだろう。 玖郎も破軍も、口数が少なく、人付き合いが少々苦手なため誤解を受け易いが、非道な人間では無い。今回の言動が、それを雄弁に物語っている。 8人は軽く笑みを浮かべ、墓を建てる場所選びを始めた。亡くなった砂浜や、近隣の林等、色んな意見が出たが…最終的に決まったのは、少々離れた崖の上。そこの桜の樹の下に穴を掘り、埋葬の準備を進めていく。 「待たせたな。後は…お前達に任せる。指輪でも填めてやれば、喜ぶだろう」 穴を掘り終え、墓石の準備も終わった頃、破軍と玖郎がやって来た。腕には、外套に包まれた『何か』を抱いている。それを地面に置くと、咲姫はそっと外套を外した。 中に居たのは、永遠の眠りについたシホ。咲姫は目元に涙を浮かべながら、彼女の体を清めて衣服の乱れを直す。全員で協力して穴に入れ、静かに埋葬が始まった。 「…良い場所だな。ここなら、海も山も見える。春になれば、満開の桜を楽しめるだろうな」 周囲を見渡しながら、玖郎が1人呟く。大自然に囲まれ、見晴らしは文句の付け所が無い。静かに眠る場所としては、最適と言えるだろう。 埋葬を終え、シホとスオウの名前を刻んだ石を墓石代わりに立てる。 「完成、だな。少々簡素だが、無いよりはマシか」 軽く微笑みながら、茴香は墓前に花を供える。10人は目を閉じ、静かに祈りを捧げた。 「生まれ変わった時、その時こそ二人が一緒になれることを願っているよ…『輪廻転生』なんてものがあれば、だけどね」 自嘲気味に微笑みながら、そっと呟く灰音。死んだ者がどうなるか、誰にも分からない。生まれ変わるという事があるのかも不明だが…それでも、願わずにはいられない。 (…『大切なひとを喪う』というのは…正直、わからない。昔の自分なら、そんな事どうとも思わなかったろうけど…今の私の身にそれが起こったら、どうなってしまうのだろう …) 人は生きている限り、変わっていく。それが良いか悪いか分からないが、大切に想える人が出来たのは、カヅキにとって良い変化と言えるだろう。 「…何も残らずとも、想いは残りまする。ただ願わくば、死出の先にて誓い果たせることを祈りましょう 」 現実では結ばれる事の無かった、スオウとシホ。命は失われてしまったが、せめて2人の絆だけは残って欲しい。そんな想いが、水奏の祈りに込められている。 「……帰るか。庵へ……皆が、待っている」 空尊は咲姫の肩を優しく抱きながら、そっと声を掛けた。その時、気付いてしまった。彼女の肩が、小刻みに震えている事に。 「庵へ…皆様がいる、場所へ」 肩だけではなく、咲姫の声も震えている。涙を堪えるように、ずっと下を向いたままの咲姫。そんな彼女を、空尊は優しく抱擁した。直後、耐えていた物が一気に吹き出し、咲姫の頬を濡らした。 「…お前等の分も、生きてやるさ」 墓を見詰めながら、戦は静かに呟く。生きる事は、死者に対して最大の供養かもしれない。想いを継ぎ、命を次の世代に繋げる…そうやって、人は生きていくのだろう。 限りある命が尽きる、その瞬間まで。 |