天高い墓標
マスター名:香月丈流
シナリオ形態: ショート
EX :相棒
難易度: 普通
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/08/31 18:46



■オープニング本文

 『世界』という言葉には、色んな意味がある。
 自分を取り巻く、周囲の事。
 文学や芸術など、同類の集まり。
 勝負、試合における、特定の範囲。
 表現や解釈、その認識は人それぞれであり、明確な定義は難しいだろう。
 だが…彼の『世界』は、狭い部屋と、四角い窓から見える風景だけで、それ以外の事を知らない……。

「ワタル? 入るわよ?」
 戸を叩く音と、女性の声。数秒後、部屋の戸が開いて母親が室内に入って来た。『彼の世界』を訪れる、数少ない人物である。
「あら、起きてたのね」
「うん…今日は、気分が良いんだ」
 母親の言葉に、ワタルはそっと微笑む。その表情は、今にも散りそいうな花のように弱々しく、儚い。
 物心付いた頃から、彼はずっと寝たきりの生活を続けていた。体が動かないワケではないが、極端に体が弱く、体力が無い。体調が良ければ外を散歩する事も出来るが、悪ければトイレに歩くのも精一杯である。
 小さな頃は元気だったのだが、ワタルが2歳の時、事件が起こった。誘拐され、魔の森に放置されたのだ。彼の体が弱くなったのは、それからである。もしかしたら瘴気が何らかの悪影響を与えたのかもしれないが、原因はハッキリしていない。どの医者に見せても『原因不明』の一点張りである。緑茂の戦い以降は体調の良い日が増えたのが、せめてもの救いだが。
「お母さん。僕、空を飛んでみたいな。飛空船とか、朋友に乗ってさ……死ぬ前に、ね」
 ワタルの言葉に動揺したのか、母親の手が滑って花瓶が割れる。割れた破片や散らばった花を片付けるよりも先に、彼女は大声を上げた。
「何馬鹿な事言ってるの! 縁起でも無い……怒るわよ!?」
 怒っているような、動揺しているような、複雑な表情。そんな母親の表情を見ながら、ワタルは苦笑いを浮かべた。
「ごめんなさい。でも……僕、分かってるから。自分の事だもん」
 今にも消え入りそうな、弱々しい微笑み。医者の診立てでは、彼の体は生きているのが不思議な程に衰弱しているらしい。その事は母親にしか知らされていないが…薄々、勘付いていたようだ。
「もうすぐ、僕の12歳の誕生日でしょ? ワガママ言ってるのは分かってるけど…生きてるうちに、空を飛んでみたい」
 母親の両目から、涙が零れ落ちる。ワタルがワガママを言うのは、これが初めての事だ。だが…もしかしたら、最後のワガママになるかもしれない。


■参加者一覧
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
平野 譲治(ia5226
15歳・男・陰
からす(ia6525
13歳・女・弓


■リプレイ本文

●希望の翼
 奏生に着陸する、1隻の飛空船。それは貨物用では無く、旅客用でも無い。着陸してから、人の出入りが極端に少ないのが、その証拠である。
「うわぁ〜!! 本物の飛空船だぁ! デッカイなぁ!!」
 船の近くで、無邪気に喜ぶ少年が1人。相当嬉しいのか、目を輝かせて満面の笑みを浮かべている。我が子が喜ぶ様子に、傍らに立つ母親も嬉しそうだ。
 そんな母子に、4人の人影が近付く。玲璃(ia1114)は優しく微笑みながら、2人にそっと声を掛けた。
「お気に召しましたか? 今回、ワタルのために用意した船ですよ」
「そうなんですか? ありがとうございます! えっと〜…」
 玲璃の言葉に、ワタルは礼儀正しく頭を下げる。数秒後に顔を上げた時、彼は若干困ったような表情を浮かべながら視線が宙を泳いだ。
「挨拶が遅れて申し訳ない。私は、からす。以後、お見知り置きを」
 ワタルの様子で事情を理解したのが、からす(ia6525)が簡単な自己紹介を述べる。彼女の読み通り、彼は名前が分からなくて言葉に詰まったのだ。
「羅喉丸だ。今日は、宜しく頼む」
 からすに続き、名前を告げる羅喉丸(ia0347)。微笑みながら手を差し出すと、ワタルは笑顔で握り直した。その弱々しい握手に、羅喉丸の心を不安がよぎる。
「おいらは、平野譲治なり! 遠慮無く、譲治と呼んで欲しいなりよっ!」
 平野 譲治(ia5226)の元気な表情と声が、そんな不安を完全に吹き飛ばす。ワタル手を握り、ブンブンと上下に振った。
「私は玲璃と申します。さぁ、早速参りましょう。お母様も、こちらへどうぞ」
 玲璃はワタルの背中にそっと手を伸ばし、優しく導く。母親にも声を掛け、3人は飛空船の搭乗口を目指して歩き始めた。
 遠ざかっていくワタルの背を眺めながら、羅喉丸は拳を強く握った。
「最初の我侭、か。些細な、当たり前の願いなのにな…」
 一人呟きながら、視線を拳に落として手を開く。掌に残る、ワタルの手の温もりと弱々しい感触。思わず、羅喉丸の顔が悲痛の表情に染まった。
「そんな顔をするな。ワタル殿は、既に死期を悟っている。であれば、盛大に送り出してやるべきだ。彼が幸せな死を迎える為に…な」
 羅喉丸の脇腹を、からすが肘でつつく。ワタルの前で悲痛な表情を浮かべては、彼が楽しめないと思ったのだろう。それに…この依頼を受けた以上、誰もが『覚悟』を決めているハズである。
「少なくとも、しんめりするのは嫌なりっ! さっ、全力で遊ぶなりよっ!」
 からす同様、明るく振る舞う譲治。年下2人に元気を貰ったのか、羅喉丸の顔にも笑顔が戻る。先に行った3人を追うように、彼等も飛空船に向かって歩き出した。
 全員が乗り込んだ数分後、飛空艇は奏生から飛び立つ。と、同時に、周囲から花火が打ち上がった。譲治の提案で、克騎とギルド職員が準備した物である。派手な見送りと共に、空の旅が始まった。

●飛び回る夢
 天高く飛び上がった飛空船の高度が安定してきた頃、ワタルと母親は甲板に出て地上を眺めていた。速度を緩めているため、風で吹き飛ばされたり落下する危険性は少ない。それでも、念のために命綱を付けているが。
 そこまでして、何故2人が甲板に出ているかと言うと…。
「待たせたな。俺の自慢の相棒、頑鉄だ」
 朋友を連れ、甲板に上がって来た開拓者達。羅喉丸は自身の相棒、甲龍の頑鉄を紹介すると、頑鉄は挨拶するように軽く鳴き声を上げた。
 ワタルの目が、キラキラと輝く。彼は朋友達を紹介して貰い、触れ合うために甲板に上がって来たのだ。
「龍が3匹も居るなんて、感動です! あの…触ってみても、良いですか?」
 申し訳無さそうに、控え目に言葉を口にするワタル。彼の言う『3匹の龍』は頑鉄の他に、玲璃の相棒、駿龍の夏香と、譲治の相棒、甲龍の小金沢 強の事である。
「勿論、構いませんよ。夏香、良いですよね?」
 相棒の首を撫でながら、玲璃が夏香に問い掛ける。夏香は短く鳴き声を上げると、ワタルの手が届くように体勢を低くした。それは、強と頑鉄も同様である。
 ワタルは緊張の面持ちで、頑鉄におずおずと手を伸ばした。そっと頭に触れ、そのまま優しく撫でる。続いて夏香と強の背や頭を撫でると、ワタルの表情が歓喜に変わった。
「ありがとうございました! あ、小型の飛空船もあるんですね」
 興奮気味に頬を染めながら、満面の笑みを浮かべるワタル。その視線が、からすの相棒、滑空艇の舞華で止まった。
「滑空艇を見るのは初めてかな? 舞華、『飛べ』」
 不敵な笑みを浮かべながら、からすは舞華を起動させて巡航形態に変形させる。機械の舞華から返答は無いが、それでも彼女は他の朋友と同じように声を掛けている。そのまま甲板から飛び立ち、空に舞った。
「機械と宝珠により形作られた人類の叡智、存分に楽しんでくれ」
 高度を保ち、風に乗ってターンを繰り返す。加速しながら急反転、急降下し、横回転しながら螺旋を描いた。その様子は、鋼鉄の鳥か、空に舞う花のようである。
「からすさん、凄い!! あ〜…僕も、あんな風に飛べたらなぁ…」
 彼女の操縦技術に感動しながらも、羨望の眼差しを向けるワタル。飛空船で空は飛んでいるが、風を切りながら飛び回っているのが羨ましいのだろう。
「なら、飛んでみるか? ワタル君さえ良ければ、一緒に頑鉄に乗らないか?」
「それは良いアイディアなのだ! 羅喉丸の次は、強にも乗ってみるなりよっ!」
 羅喉丸の提案に、ワタルは無言でコクコクと何度も頷く。嬉しさの余り、言葉が出て来ないのだろう。しかも、2匹に乗れるのだから、嬉しさ倍増である。
「では、私は夏香で随伴させて頂きます。万が一、何かあったら大変ですし」
 そう言って、玲璃は夏香の背に飛び乗った。着艦してきたからすと入れ違うように、ゆっくりと飛び立つ。
 羅喉丸はワタルの命綱を外し、細心の注意を払って頑鉄の背に乗せた。自身はワタルの後ろに乗り、彼が落ちないようにシッカリと支える。
「頑固な奴なんだが、大丈夫。気に入られたようだな」
 微笑みながら、羅喉丸は頑鉄の腹部を軽く蹴った。その合図に従い、甲龍は翼を大きく広げる。ワタルの歓声が周囲に響く中、2人と1匹はゆっくりと空に飛び上がった。それを追って、玲璃と夏香も船から飛び立つ。
 飛空船から離れ過ぎないよう距離に注意しつつ、ワタルと羅喉丸は数分程、周囲を飛び回った。無邪気に笑うワタルを眺める母親の目には、薄っすらと涙が浮かんでいるように見える。
 頑鉄と夏香が船に降り立つと、譲治と強が歩み寄る。羅喉丸はワタルを支えながら降ろし、強の背に乗せた。
「どうなりっ!? 乗り心地っ! 違うなりよねっ!?」
「何か…違う気がします。口では説明出来ないですが…」
 明るい笑顔で問い掛ける譲治に、若干あいまいな返事を返すワタル。感動の連続で、少々混乱しているのかもしれない。
「空を飛べて、龍に乗れて…何だか、夢みたいだ」
 誰に聞かせるワケでも無く、ワタルが1人呟く。その声を掻き消すように、玲璃が大きな声を上げた。
「皆さん、気を付けて下さい! 何か、来ます!」
 その言葉に、周囲の緊張感が高まる。玲璃の結界が、何かの気配を捉えたようだ。
「ワタル達は船室に避難するなりっ! 玲璃、念のために護衛を頼むなりよっ!」
 譲治の言葉に、玲璃が静かに頷く。ワタルを降ろして抱き上げると、船室に向かって駆け出した。そのままドアを開け、母親と一緒に室内に駆け込む。
 残った3人は相棒に乗り、周囲を見渡した。その視界に、数匹の鷲や鷹が飛び込んで来る。周囲に黒い霧が漂っているのは、アヤカシの証拠だろう。
「此処にある身体をくれてやる事は、出来ぬ相談だ。『喰らい尽くせ』」
 鋭く言い放ち、からすは矢を放った。それが戦闘開始の合図となり、3人は船から飛び立つ。ワタルが見守る中、アヤカシ達は数分で瘴気に還った。

●宴会の前に
 時刻は、そろそろ昼を迎える。朝に出発して以来、航路を南に取って海と諸島の景色を楽しんでいた。そろそろ進路変更して、泰国やジルベリアに向かう予定である。
 その前に。ワタルの腹の虫が鳴ったため、彼と譲治以外の3人は、母親と共に炊事場に来ていた。
「さて…母上殿。ワタル殿の好物を教えて貰えないだろうか?」
 言いながら、からすはエプロンの紐を縛る。ピンクのレースが幾重にも重なった可愛らしいデザインだが、これは克騎が用意した物だ。何故にこのエプロンを用意したのか若干気になるが、ツッコんだら負けである。
 からすの質問に、母親は腕を組んで視線を泳がせた。
「好物、ですか? 泰国の『医食同源』を元に、色々食べさせてきましたが…」
 お茶を濁すような返答。ワタル自身、好き嫌いを言わずに何でも食べてるため、好物が何なのか分からないのだろう。もしかしたら、自己主張が苦手な子なのかもしれない。
「なら、泰国料理は嫌いじゃないですね? 俺は中華粥を作りますよ」
 泰国料理が苦手じゃないと分かり、羅喉丸は胸を撫で下ろす。準備された食材の中から、丸鶏を掴んで調理台に置いた。
「食べたい物の希望があれば良かったのですが…嫌いな物等は?」
 作る側にとって『何でも良い』というリクエストは、一番困るかもしれない。せめて嫌いな物を作らないよう、玲璃は母親に質問を投げ掛けた。
「多分…無いと思います。お菓子を食べ過ぎて、ご飯を食べない事がありましたが」
 言葉と共に、母親は苦笑いを浮かべる。どうやら、ワタルは大人びているようで、子供っぽい一面もあるようだ。古今東西、お菓子が嫌いな子供は居ない、という事なのだろう。
「でしたら、私は甘味を担当致します。食事は、からす様と羅喉丸様にお任せして宜しいでしょうか?」
 食事よりも、お菓子系の素材を準備して来た玲璃にとっては、嬉しい情報である。持って来た材料を調理台に並べながら、仲間に調理を頼んだ。
「まかせてくれ。修業時代に、泰国料理はいくつか覚えたからな」
「なら、早速取り掛かるとしよう。待たせ過ぎては可哀想だしな」
 開拓者3人と母親は顔を合わせ、軽く頷く。お世辞にも広いとは言えない炊事場は『戦場』と化し、食材と調理器具が入り乱れた。
 一方その頃。船内の宴会場では、ワタルと譲治が料理を待ちながら歓談していた。
「ななっ! ワタルは『死後の世界』って、どう考えるなりっ!?」
「死後の世界、ですか?」
 突然の質問に面食らうワタル。譲治がこんな質問をするとは、想像もしなかったのだろう。
「人は生きて、そして死ぬ。それは曲げられないなりよっ! だから、ワタルの考えが聞きたいなりっ!」
 普段は見せないような、激しい剣幕で譲治が詰め寄る。彼は、興味本位でワタルの不安を煽るような質問をしているワケではない。ただ、知りたいのだ。ワタルが、自身の事に向き合って、納得しているのかどうかを。
「そう言われても…良く、分からないかな。真面目に考えた事、無いし」
 頬を掻きながら、ワタルは苦笑いを浮かべる。元服前の少年には、少々難しい質問だったかもしれない。譲治に比べ、ワタルは人生経験が少ないし、生きる事に全力を尽くしてきたのだから、そんな事を考える余裕は無かっただろう。
「でも…長く光り続ける太陽みたいな人生もあれば、流星みたいに一瞬で流れて消える人生があっても良い。うまく言えないけど…そんな気がするんだ」
 消えてしまいそうな、儚い微笑み。譲治の目の前に居る少年は、自分の境遇を恨んだり、死に対して絶望しているワケでも無い。自分なりに、『今』を生きているのだ。
 そして……自分が長くない事も、痛いくらいに理解している。悲しいまでに潔い覚悟に、思わず譲治の目に涙が浮かんだ。その状態で、視線を合わせて両肩を掴む。
「お待たせ致しました。料理、完成しましたよ」
 直後、調理を終えた玲璃達が、料理を運んで来た。咄嗟に、譲治は手を離して素早く涙を拭う。
「ん? 何か大事な話の途中だったかな?」
 羅喉丸の質問に、譲治はブンブンと首を横に振った。それを真似て、ワタルも同じように首を振る。
「平野殿、悪いが配膳を手伝ってくれ。パーティーの主役を働かせるわけにはいかないからな」
 手伝いを頼みながら、円卓に食器や料理を並べるからす。譲治は軽く頷き、椅子から立ち上がった。1歩踏み出した直後、何かを思い出したのか、ワタルを手招きして耳元でコッソリと言葉を呟く。
(ワタル。今の話は、おいらと2人だけの秘密なりよ♪)
 それを聞いて、ワタルは頷きながら手でOKマークを出す。満足そうに笑みを浮かべながら、譲治は円卓に歩み寄った。
 満足そうなのは、ワタルも同じだ。誰かと秘密を共有するのは、彼の人生で初めての経験である。それがどんな内容でも、ワタルは嬉しさで笑みが零れた。

●誕生日のお祝い
 配膳を終え、開拓者4人とワタル母子が椅子に着く。豪華な料理が円卓を埋め尽くす中、開拓者達はタイミングを合わせてクラッカーを鳴らした。小さな炸裂音と共に、紙テープや紙吹雪が舞う。
 天儀ではまだ馴染が無いが、ジルベリア等では宴会を盛り上げるために使われる、一般的な小道具である。花火を準備した時に、克騎が一緒に調達したのだろう。
「お誕生日、おめでとうなのだっ! これでおいらとワタルは同い年、なのだっ♪」
 満面の笑みを浮かべながら、祝福の言葉を述べる譲治。他のメンバーは、言葉の代わりに拍手を送った。
「ありがとうございます! こんなに賑やかな誕生日、初めてですよ…」
 喜びの余り、ワタルの目元に涙が浮かぶ。ベットの生活が長いため、彼には『友達』と呼べる人物が居ない。家族以外の人に誕生日を祝って貰うのも、生まれて初めての経験なのだ。
 からすはワタルの頭部に手を伸ばし、髪に絡まった紙吹雪を取る。それに紛れて、一瞬だけ彼の頭を撫でた。彼女なりに、ワタルを慰めているのだろう。
「拙い料理だが、遠慮無く召し上がってくれ。口に合えば良いのだが…」
 散らばった紙テープを回収しながら、からすは料理を勧める。ワタルは涙を拭うと、全員に笑顔を見せた。
「どれも美味しそうで、目移りしちゃいますよ。僕、泰国料理好きですし!」
 箸を手に、嬉しそうに料理を眺める。料理があり過ぎて、どれから食べるか迷っているのだろう。何とも、贅沢な悩みである。
「それは良かった。料理は逃げたりしないから、ゆっくり味わってくれ」
「甘味も準備しましたので、お好きな物をどうぞ」
 羅喉丸と玲璃の言葉に、元気良く頷くワタル。一度箸を置き、茶碗に中華粥を盛り付けた。軽く手を合わせて食前の挨拶をすると、器に口を付けて一気にすする。
「おいしい! やっぱり、泰国の人が作ると一味違いますね!!」
 あまりの旨さに感動しつつ、あっという間に平らげて2杯目に手を伸ばす。元気良く食事をするワタルを見ながら、母親は嬉しそうに微笑んだ。
 その隣では、玲璃、譲治、からすの視線が羅喉丸に集まっている。ワタルの言う『泰国の人』というのは、恐らく羅喉丸の事だろう。だが……。
「いや…こんな恰好をしてるが、俺は天儀の出身だぞ?」
 苦笑いと共に、言葉を漏らす。その発言に、食事をしていたワタルの手が止まった。
「そう、なんですか? ごめんなさいっ! 鎧とか上着が泰国風だから、てっきり泰国の方かと…」
 箸を置き、申し訳無さそうに頭を下げる。ワタルの言うように、今日の羅喉丸は泰国風の装いだ。勘違いしてしまうのも、仕方ないかもしれない。実物の泰国衣装を初めて見て、ワタルが若干舞い上がっていたのも理由の1つだが。
「気にする事は無いさ。料理を褒めて貰えたのは、嬉しいしな」
 平謝りするワタルに向かって、優しく微笑む羅喉丸。その様子は、歳の離れた兄弟のようにも見える。
「細かい事は置いとくなりよ。冷めないうちに、みんなで食べて盛り上がるのだっ!」
 そう言って、譲治はからすの薬膳料理を頬張った。陽気で楽しそうに食事をする姿に、思わず全員の顔から笑みが零れる。
「…そうだな。冷めてしまっては、折角の料理も台無しだ」
 全員を見渡しながら、からすは箸に手を伸ばす。それがキッカケになったのか、全員の箸が円卓の上で入り乱れた。
「はい! 僕1人じゃ、絶対に食べ切れないですし…」
 餃子を頬張りながら、ワタルは苦笑いを浮かべる。全員で食べるとしても、かなりの量がある。たくさん食べられるのは良い事だが…調理担当の4人が、少々頑張り過ぎたかもしれない。それ以前に、食材を山のように準備した克騎にも責任はあるが。
「量につきましては、お好きなように召し上がって下さいませ。何も遠慮は要りませんよ?」
 玲璃の気遣いに、ワタルは微笑みながら頭を下げる。『全て食べ切らないと失礼だ』と思っていた彼にとって、その言葉は精神的負担を和らげたに違いない。
「必要なら、お茶を淹れてこよう。個人的に、お茶は欠かせないのでな。必要な者は言ってくれ」
 湯呑片手に、からすが全員に言葉を掛ける。どうやら、彼女はお茶に拘りがあるらしく、茶葉を調合する事も少なくない。今飲んでいるのは、市販の物だが。
「お茶ですか。差し出がましいかもしれませんが、私は緑茶と紅茶を持参しております」
 お菓子の材料以外にも、玲璃は色々な物を持って来ている。その種類と量は多岐に渡り、ワタルに様々な味を楽しんで欲しかったのだろう。
「玲璃、準備良いなりね♪ なら、パーティーの締めはお茶とお菓子で決まりなのだっ!」
 元気良く提案する譲治だが、卓上の料理はまだ残っている。締めのお菓子に手が伸びるのは、もう暫く先になりそうだ。

●突然の…
 時計の針が3時を過ぎた頃、飛空船の中ではお茶会が開かれていた。食事は全て平らげたが、全員が満腹になったため、玲璃の作ったお菓子は3時のおやつになったのだ。
 菊花を模した『まさり草』は目にも美しく、モチモチした皮と中の餡のバランスが良い。1口大の餅にきな粉と黒蜜を塗した『桔梗餅』は、柔らかい甘さが懐かしくもある。
 天儀のお菓子以外ではワッフルがあり、食事中に言っていた新茶と高級紅茶が、甘くなった口の中をサッパリと洗い流した。予想以上に豪華なお茶会は、陽が傾き始めるまで続いた。
「ご馳走様でした!!」
 紅茶を飲み干し、カップを置くワタル。食事中よりも、お茶会の方が食欲旺盛だったのは少々意外だが。
「お粗末様。如何かな? 満足して頂けたなら幸いだが」
「はい、大満足です! 美味しい物をみんなで食べると、更に美味しくなりますね!」
 からすの質問に、間髪入れず即答する。その頬に、桔梗餅のきな粉が付いているのはご愛嬌である。
「満足して頂けたなら、良かったです。私達も、作った甲斐がありました」
 柔らかく微笑みながら、玲璃が濡れた布巾を差し出す。最初は意味が分からず小首を傾げたが、玲璃が頬を指差すと、ワタルは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべながら布巾で頬を拭いた。
「あ、ワタル、見るなりっ!」
 興奮気味に、譲治が窓際から声を掛ける。ワタルは布巾を円卓に置くと、小走りに駆け寄った。譲治が指差す先には、広い海と大きな大陸が広がっている。
「この先にはジルベリア、泰国、アル=カマル…世界はおっきーのだっ! 機会があれば、おいらにもワタルの世界を教えてほしいのだっ!」
 無邪気な笑みを浮かべながら、元気良く話し掛ける譲治。ワタルの事を、色々と知りたいのだろう。
 だが…対照的に、ワタルの表情は若干暗い。
「僕の世界、ですか? 聞いても、楽しくな…い…」
 言葉が途中で途切れ、数歩後ろに下がる。その体が大きく揺れた直後、倒れそうになるのを羅喉丸と玲璃が素早く受け止めた。
「どうした? 大丈夫か!?」
 心配そうに声を掛けながら、羅喉丸はワタルを椅子に座らせる。ワタルは弱々しく頷くと、苦笑いを浮かべた。
「…ごめんなさい。楽しくて、遊び過ぎたせいか…ちょっと、疲れたみたいです…」
 途切れ途切れの言葉に、弱々しい声。もしかしたら、今まで無理して元気に振る舞っていたのかもしれない。
「顔色が優れませんね…今日は、そろそろお休みになられた方が良いかもしれません」
 玲璃は手首を握って脈を計りながら、優しく語り掛ける。指先に感じる拍動は…今にも消えそうな程に弱々しい。
「そう…ですね。そろそろ、僕は寝る時間かもしれません」
「…明日、起きたらまた遊ぼうな。おやすみ。ゆっくり休んでくれ」
 羅喉丸は優しく微笑みながら、ワタルの頭をそっと撫でる。視線を合わせてニッコリ微笑むと、ワタルの体から急に力が抜けた。そのまま、ゆっくりと地面に向かって崩れ落ちる。
 一瞬、周囲の時間が止まった。突然の事に、理解が追い付かない。誰もが覚悟をしていたハズなのだが…頭が真っ白になって体が動かない。
「ワタル…?」
 ようやく、母親が声を絞り出して膝を付く。彼女の声も、体も、小刻みに震えている。
「ワタル…ワタル!!」
 母親の悲痛な叫び。肩を掴んで強く揺らすが、反応は無い。開拓者達が声を掛けるが、やはり返事は無い。
 室内が混乱の渦に飲まれる中、からすは伝声管に駆け寄って蓋を開けた。
「こちら、からす。克騎殿、聞こえるか? 至急、医者の居る街に向かってくれ。大至急だ…!」
 12歳とは思えない、冷静な言動。彼女の言葉で状況を察したのか、飛空船は速度を急速に上げた。
 夕日がワタルの頬を染める中、玲璃は『ある決意』を固めて彼の頭にそっと触れた。

●葬送の花
 重苦しい沈黙が、周囲を支配する。理穴の外れに着陸した飛空船は、痛々しい程の静けさに包まれていた。理由は……言うまでも無いだろう。
 着陸と同時に、開拓者達はワタルを抱き上げて外に飛び出した。克騎の手配で呼び出された医療班が彼を診察したが…医者は悲痛な表情で首を横に振り、静かに立ち去った。それが、数分前の事である。
 5人が茫然とする中、頑鉄がワタルに歩み寄った。鼻先で彼の頬をつつき、揺り動かす。もしかしたら、寝ていると勘違いしているのかもしれない。
「止めろ、頑鉄……今は、休ませてやってくれ」
 悲痛な声で語り掛けながら、相棒の首を撫でる羅喉丸。その言動で状況を理解したのか、頑鉄は主の頬に頭を摺り寄せた。
「…お疲れ様」
 柔らかい笑みを浮かべながら、からすはワタルの頭を優しく撫でる。それは、彼女なりに精一杯の葬送なのだろう。
「…良き話、感謝するのだっ! 忘れ得ぬよっ! いつかまた会ったときは、先人としての知識いただくのだっ!」
 譲治は必死に涙を堪えながら、ワタルと指切りを交わす。その約束が果たされるのがいつかは分からないが…きっと、いつか叶う。そんな気がする。
「お母様…少々、宜しいでしょうか?」
 思い詰めた表情で、玲璃が静かに声を掛ける。他の3人との距離を空けるように、2人は飛空船の逆側に回った。大きく深呼吸し、玲璃は口を開く。彼は最後にワタルの頭に触れた時、ある事をしていたのだ。
 それは…対象に『最期に望む幻影を見せる術』の発動。しかも、その幻影は術者の意図とは関係無く、見せ付けられてしまう。それは、ある意味プライベートの覗き見に等しい行為である。
「ワタルは…最期に、幻影の中で空を飛んでいました。貴女の、笑顔に見守られながら。彼の望みは…『空を飛ぶ事』と『母親の笑顔』でした。私の力が及ばす…申し訳ありません」
 事情を説明し、ワタルが最後に見た情景を伝えると同時に、心から謝罪する玲璃。幻影を勝手に見てしまった事、ワタルを救えなかった事が、自分の中でどうしても許せないのだろう。それと同時に、彼は母親の怒りを受け止める覚悟を決めていた。
 だが…予想外にも、彼女はそっと玲璃を抱き締めた。
「…ワタルの楽しそうな笑顔、初めて見たわ。あの子は、何の悔いも無く…最期を迎えたと思うの。貴方も……辛かったでしょ? ありがとう」
 優しい言葉が、彼の胸に突き刺さる。親として、人間をして、彼女は玲璃の心遣いと辛い心境を理解したのだろう。気付いた時、玲璃は静かに涙を流していた。
「克騎。花火、まだ残ってるなりね? ワタルを『送る』ために、打ち上げて欲しいのだっ!」
 譲治の提案に、克騎は無言で頷いて船内に駆けて行く。数分後、宵闇の空に花火が打ち上がった。少々季節外れの花火が鮮やかに空を彩るが…どこか寂しそうにも見える。
「葬送の花火、か。『空よりも高い場所』に行ったワタル君に、届いてると良いな」
 花火を見上げながら、一人呟く羅喉丸。朋友達も何かを感じたのか、強と夏香も花火を見上げている。裏に行っていた玲璃と母親も合流して、5人と3匹の視線が空に集まった。
「だが…死を引き摺ってはならない。前を向いて歩き出す事だ…我々は、生きていくのだからな」
 恐らく、からすの言っている事は間違っていない。だが、人間そう簡単に割り切れるモノではない。せめて…この花火が打ち上がっている間だけは、感傷に浸るとしよう。ワタルのように、満面の笑みで明日を生きるために。