哀のカタチ
マスター名:香月丈流
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: やや難
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/05/28 19:21



■オープニング本文

 暮れる夕日が、朱藩の海岸を紅く染める。茜色の砂浜に、1組の男女。歳は20歳前半くらいだろう。男性は砂浜に腰を下ろしているが、女性は子供のように波打ち際でハシャいでいる。
「智行(トモユキ)からデートのお誘いなんて、珍しいわねぇ♪」
 一回転し、男性に満面の笑みを向ける。智行と呼ばれた男性は、表情を変える事無く深い溜息を吐いた。
「誰がデートと言った。ちょっと、お前に話があるだけだ」
「もう…智行ったらテレ屋さんなんだから♪ で、話って何かしらん?」
 言いながら、彼女は智行の頬を人差し指で突いた。
 2人は、いつもこの調子である。底抜けに明るく、陽気で社交的な女性。寡黙で無表情、朴念仁を素でいくような智行。一見相性が悪いように見えるが、お互いに無い物を持っているため惹かれ合っているのだろう。
「優羽子(ユウコ)……今日はお前に、コレを渡そうと思って…な」
 智行は懐に手を入れ『何か』を取り出した。固く閉じた拳の中に、それがある。智行はゆっくりと手を動かし、優羽子の目の前で手を開いた。
「智行……これって…!」
 優羽子が言葉に詰まる。智行の手の中にあったのは、銀色に輝く指輪。天儀ではあまり普及していないが、ジルベリアでは特別な意味を込めて指輪を贈る事がある。
 マリッジリング…つまりは、求婚の証。それは、ミーハーな彼女が最近智行に教えた事だ。優羽子にとっては、彼が自分の話を覚えていた事も、求婚してきた事も驚きである。意外過ぎる出来事に、優羽子は智行と指輪を交互に見比べた。
「一度しか言わんぞ。優羽子、俺と……」
 期待の眼差しで、言葉を待つ優羽子。
 次の瞬間、彼女の周囲から黒い霧が溢れ出した。
「優羽子、どうした!? 優羽子!」
 珍しく取り乱しながら、智行は彼女の肩を掴む。発生した霧は優羽子の体に吸い込まれ、彼を後方に吹き飛ばした。砂浜を転がり、智行の全身が砂にまみれる。痛みに耐えながら上半身を起こすと、そこには常識を超えた出来事が待っていた。
 正気を失い、虚ろな表情で立ちつくす優羽子。その後ろには、2m程の巨体を持つ鬼の化け物が出現している。暗紫色の肉体に、真っ赤な瞳。鬼が軽く顎を振ると、優羽子は智行に歩み寄り、その頭部を全力で踏み付けた。恐らく、鬼の化け物が彼女を操っているのだろう。
 途切れそうになる意識の中、智行は優羽子の足を掴んだ。彼女はその手を振り払い、鬼の元へ歩いて行く。アヤカシは優羽子の体を抱き上げて肩に乗せると、周囲に霧が発生した。それがアヤカシと彼女を包み、姿を隠していく。
「ま…待て……優羽子ぉぉぉ!」
 絞り出すような智行の叫び。その声の反応したのか、優羽子の頬を大粒の涙が流れる。その滴が砂浜に零れるより早く、霧と共に2人の姿が消えた。残ったのは……砂浜に倒れた智行だけである。
「ゆ……ゆう、こ…」
 奥歯を噛み締め、力任せに砂浜を殴る。何度も、何度も。仰向けになって天を仰ぐと、涙と共に叫び声が漏れた。
「お前が…お前が操られて誰かを傷付けるなら……」
 ゆっくりと、智行は体を起こす。その表情は、いつもの冷静な彼に戻っていた。
 いや……いつもよりも、冷たい目をしている。それは、何かを覚悟した人間が見せる顔だ。
「俺が、お前を楽にしてやる…絶対に…!」
 砂浜に振り下ろした拳の中に、指輪はもうない。彼が大切に想っていた女は、アヤカシに操られた。今度現れたら、何をするか予想も付かない。彼女が罪を犯す前に、止める。
 それが…智行の覚悟であり『哀のカタチ』なのだ。


■参加者一覧
喪越(ia1670
33歳・男・陰
鞍馬 雪斗(ia5470
21歳・男・巫
長谷部 円秀 (ib4529
24歳・男・泰
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰
笹倉 靖(ib6125
23歳・男・巫
破軍(ib8103
19歳・男・サ
グレゴリー(ib9061
20歳・男・吟


■リプレイ本文

●ぶつかる想い
 とある日の昼下がり。依頼の説明を受けるために、ギルドの一室に7人の開拓者が集合していた。ある者は不機嫌そうな表情で椅子に座り、ある者は暗い表情で俯き、またある者は壁に背を預けて立っている。今回の依頼内容について、各々思う処があるのだろう。
 待つ事数分。戸が開き、依頼人の智行が入室して来た。開拓者達の視線が彼に集中し、室内の空気が張り詰める。そんな雰囲気の中、智行は軽く頭を下げて口を開いた。
「この場に集まってくれた事、感謝する。話は聞いてると思うが……アイツとのケジメは、俺が付ける。手を貸してくれ」
 淀み無い口調に、迷いの無い言葉。そのまま、智行は深々と頭を下げた。彼の言動から伝わるのは、固い決意。恐らく、譲れないモノがあるのだろう。
 だが…開拓者達は彼の『ケジメ』に、猛烈な不満を抱いていた。
「自分でケジメをつけるって…おい、簡単に諦めてんじゃねぇ。覚悟を決めるトコ間違ってんぞ!」
「その通りだぜ。『ケジメをつける』だぁ? 『彼女が誰かを傷つける前に自分の手で』? ンなもん、てめぇの都合じゃねぇか!」
 椅子から立ち上がり、吼えるように叫ぶ緋那岐(ib5664)。間髪入れず、喪越(ia1670)も声を上げた。2人共、今にも智行に飛び掛かりそうな勢いである。
「…確かに辛い状態であるのは見れば分かるんだが…だからって間違ったケジメを見過ごす訳にはいかんね」
 2人とは対照的に、静かに異を唱える鞍馬 雪斗(ia5470)。悲痛な表情の裏には、深い悲しみが見え隠れしているようだ。
「ケジメ、ケジメとカッコ良く言うがね、自分で始末つけると、夢に見ても全てが悪夢さ。いい思い出も全部、悪夢に見えてくる」
 笹倉 靖(ib6125)は椅子に体を預け、飄々と自身の体験を語る。その様子はいつもと大差ないが、煙管を手にしていないのは、本気の証拠だ。
「罪を犯させるくらいなら自らの手で…というのは一見潔さそうですね。でも、男なら『何としても俺が救ってみせる』位は欲しいものです」
 智行の言動に対する、真向からの反論。それだけの覚悟と信念を、長谷部 円秀(ib4529)は持っている。
「それ以前に…出来れば一般人を戦場に連れて行きたくねーな。リスクだらけだし、覚悟した『つもり』になってる奴なら尚更、な」
 自身の眼光同様、グレゴリー(ib9061)の指摘は鋭い。一見すると覚悟を決めているように見える智行だが、心のどこかに迷いがあるのかもしれない。
 開拓者達の言葉を、反論する事も無く静かに聞き続ける智行。その拳は強く握られ、小刻みに震えている。円秀は軽く溜息を吐き、立ち上がって智行と視線を合わせた。
「瘴気に操られた人を何が何でも救うではなく、手に掛けようとする…貴方の思いはその程度なんですね」
 その言葉を聞いた瞬間、智行の表情が大きく変わる。怒りを露にし、円秀の胸倉に掴み掛かった。
「お前に…お前達に何が分かる…!!」
 絞り出すような、悲痛な言葉。暴れるワケでも無く、殴るワケでも無い。ただ…鬼のような形相で睨みながらも、目尻には涙が浮かんでいる。
 ほんの数秒、周囲を沈黙が支配した。
 それを破ったのは、破軍(ib8103)。無言で智行に近寄り、首裏の襟を掴んでゆっくりと引っ張る。反動で智行が手を離すと、円秀から引き離してから言葉を掛けた。
「で、お前さんはどうしたいんだ?」
 突然の質問に、智行の思考が追い付かない。破軍の言葉の意味が、全く理解出来ていないようだ。そんな彼の肩を、靖が優しく叩く。
「どうしようもねーから、最終的に始末を自分の手で…ってのは納得するし、気持ちは分かる。だけどな、大した努力も無しに諦めるのは早過ぎるんじゃねーのかい?」
 あくまでも優しく、諭すような口調。靖の言葉に、智行は奥歯を噛み締めながら俯いた。その煮え切らない様子に業を煮やしたのか、今度は喪越が智行の胸倉を掴んだ。
「アヤカシに取り込まれて人に害を成んなら、遅かれ早かれ討伐隊が組まれる。放っておいたって殺されるんだよ。真っ先に動ける俺達が目指すハッピーエンドは…そこじゃねぇだろ!」
「勝手な事を言うな!」
 喪越の叫びを掻き消すような、智行の叫び。腕を振り払った彼の頬には、大粒の涙が零れていた。
「何が…俺に何が出来ると言うんだ! アイツを助ける方法は…もう…」
 嗚咽が漏れ、言葉にならない。彼だって、本心では優羽子を助けたい。それを押し殺してまで、ケジメを付けようとしているのは何故か?
 開拓者達は、ここに至ってようやく気付いた。
 『智行が優羽子を救う方法を知らない』という事実に。
 彼はアヤカシに襲われたとは言え、一般人である。開拓者と違い、アヤカシに対する知識は絶対的に少ない。だからこそ……優羽子が助からないと思ったからこそ、智行は覚悟を決めたのだ。
 いや…『覚悟を決めるしか無かった』と言った方が正しいかもしれない。それが手前勝手な都合で、間違ったケジメだとしても…。
「彼女が操られているなら、その元を断てば良い。そうすれば、正気に戻る可能性が高いだろうな」
 独り言のように、小声で呟く雪斗。その言葉を、智行は聞き逃さなかった。
「どういう…意味だ?」
「アヤカシを倒せば、女に掛けられた術が解けて助かる…っつー事だよ」
 混乱気味に問い正す智行に、グレゴリーがフォローを入れる。まるで魂が抜けたように、智行はポカンと口を開けた。絶望の底に居たのに、突然希望の光が見えたのだから、放心状態に陥るのも仕方ないかもしれないが。
 腑抜けている智行に活を入れるように、破軍は彼の背中を叩いた。
「アヤカシと戦うのは俺たちの仕事だ。その為にギルドに雇われたからな。お前にその気があるなら…手を貸してやっても良い」
「本当、なのか? 本当に…アイツを助けられるのか…!?」
 予想もしなかった幸運に、未だ半信半疑の智行。答えを求めるように、全員を見渡す。
「そこに救いがあるなら、救いたいじゃないですか。悲劇や不幸を止められるなら、ね」
 柔和な表情で、救える事を強調する円秀。さっきまでの厳しい態度とは大違いである。
「ここにいる誰もが、まだ望みを持ってんだ。あんたが真っ先に彼女を見捨ててどうすんだよ!」
 力強い言葉と共に、背中を叩く緋那岐。その衝撃と痛みで、夢では無い事をハッキリと実感出来る。
「俺は……自分で始末をつけにゃならんかった。だからこそ、お前みたいにまだ可能性がある奴には諦めてほしくないんよ。その為に俺らは来たんだし」
「…自分は愛した人を一人失った事がある…だからじゃないけど、本当に彼女を思ってるなら、自ら最悪の道を進むのは辞めてくれ。酷かもしれないけどね」
 靖と雪斗の言葉が、智行の心に深々と突き刺さる。2人は過去に似たような体験をしているからこそ、彼に対して特別な想いがあるのだろう。
 開拓者達の言葉を聞き、智行は思案を巡らせる。数秒後、彼は顔を上げて全員に向き直った。
「……すまない。依頼内容を変更する。アイツを……優羽子を助けるために、力を貸してくれ…!」
 その瞳に、迷いは一切ない。本物の『覚悟』をした、男の表情である。智行の本心を聞き、開拓者達は軽く笑みを浮かべた。
「最初っからそう言えよ。あんたの想い、確かに受け取ったぜ?」
 言いながら、緋那岐はコッソリと符を懐に隠す。万が一智行が考えを変えなかったら、符術で拘束されていたかもしれない。
「ま、俺達に任せておけって。アンタはどうする? 一緒に来るのか?」
 グレゴリーの問いに、智行は言葉に詰まる。出来るなら、一緒に行きたい。だが、足手纏いになりたくない。そんな思いが、決断を鈍らせていた。
「攫われた女を救うのは、お前の仕事だ。チャンスは作ってやる……それをどう生かすかは、貴様次第だ」
 破軍の言葉が、智行を後押しする。2人は顔を見合わせると、ゆっくりと頷いた。喪越は後ろから智行に飛び付き、首に腕を回して満面の笑みを浮かべる。
「分かったら、とっとと頭を切り替えて命懸けようや、アミーゴ!」

●もう1つの『悲劇』
「ここが…優羽子が攫われた場所だ。時間も、丁度今くらいだった」
 暮れ始めた茜色の太陽が、智行の顔を紅く染める。彼が優羽子とこの場所に来た時は、こんな事になるとは予想もしていなかったに違いない。
「ありがとうございます。アヤカシは私達が退治しますので、貴方は安全な場所に避難していて下さい」
 円秀は軽く頭を下げて礼を述べると、彼に避難を促す。智行は哀愁を帯びた表情で頷くと、西側の岩陰へと歩を進めた。
「なぁ、破軍。智行の奴、連れて来て良かったのか?」
 智行に聞こえないよう、緋那岐が小声で話し掛ける。戦闘になったら、彼が依頼遂行の妨げになる事を案じているのだろう。
「俺もそう思う。足手纏いになりそーだしな」
 言いながら、軽く溜息を吐くグレゴリー。言い方は少々厳しいが、彼なりに智行を心配しているのだ。
「操られた女は、あの若造の声に反応したらしいからな。2人の絆に賭けてみるのも、一興だろう?」
 ニヤリと、破軍の口元に不敵な笑みが浮かぶ。普段は冷たい印象が強いが、根底には優しい気持ちが隠れているのかもしれない。
「ラブ&ピースってやつだな! 悪くないと思うぜ、アミーゴ」
 いつも通りハイテンションな喪越が、緋那岐とグレゴリーの肩に腕を回す。その人懐こい笑みを見ていると、否定の気持ちが言葉にならずに消えていく。不思議な感覚に、緋那岐とグレゴリーは思わず微笑を零した。
「それはちょっと違う気もするが…道案内は必要だしね。この場合は仕方ないんじゃねーの?」
 靖が煙管をクルクルと回しながら、柔らかい笑みを浮かべる。その手の動きが止まった瞬間、周囲の空気が一変した。
「みんな、その議論は後だ。どうやら、自分達の出番みたいだな…うん」
 雪斗の言葉に、全員の緊張が高まる。全身に絡み付くような、不快感にも似た感覚……開拓者が良く知る『瘴気の気配』。全員の視線が集まる中、浜辺の東側に瘴気が集まり、鬼の姿が具現化した。次いで……優羽子も瘴気の中から現れる。
「もうお出ましかよ。穴を掘るヒマも無ぇな…」
 苦笑いを浮かべながら、後頭部をガリガリと掻く喪越。物陰に隠れて奇襲する算段だったのだが、アテが外れてしまったようだ。
 開拓者達が身構える中、鬼が軽くアゴを振る。その動きに呼応するように、優羽子は大量の手裏剣を一気に投げ放った。瘴気を纏った切先が、予測不能な軌道を描きながら7人に迫る。とは言え、見切れない速度では無いし、殺意も感じられない。
 『何故、こんな中途半端をしたのか』、その答えはすぐに出た。手裏剣に注意が集中している隙に、優羽子は一気に砂浜を駆け抜ける。開拓者との距離を詰めるためではなく『西側の岩陰』を目指して。
「やれやれ…恋人同士で殺し合いをさせようって魂胆かい」
 敵の狙いに気付いた靖は、不快感で顔を歪ませた。
「そうはさせねーよ。笹倉、行くぜ!」
 グレゴリーが靖と顔を見合わせた直後、鬼のアヤカシが炎を吐き出した。咄嗟に、開拓者達は左右に跳んで避ける。その隙に、優羽子は岩陰へと駆け込んだ。
「優羽子…目を覚ませ、馬鹿が…!」
 智行の声に、優羽子の動きが一瞬鈍る。だが、小型の苦無を強く握り、全力で振り下ろした。迫り来る切先を紙一重で避けると、智行は砂浜を転がりながら岩陰から飛び出す。追撃するように、優羽子は苦無を飛ばした。
 それを防ぐように、走り込んで来たグレゴリーはローブを翻して叩き落とす。苦無が砂浜に落ちる中、靖はゆったりとした舞を踊り、優羽子に精霊の加護を与えた。万が一に備え、彼女を補助したのだろう。対峙する4人を眺める鬼の顔が、愉快そうに歪む。
「智行には悪いが…彼女とアヤカシを引き離せたのは幸運だったな。雪斗!」
 緋那岐の叫びと共に、鬼と優羽子達の間に漆黒の壁が生み出された。アヤカシと彼女を分断し、引き離すつもりなのだろう。更に、雪斗の詠唱が周囲に響く。
「祖が大地の元老、その意思…しかと此処に撃ち立てろ…っ」
 その声に呼応し、黒い壁の隣に石の壁が構築される。2枚の壁がアヤカシから優羽子を引き離し、その視界から彼女を隠した。
「アヤカシってのは余程暇なのか、それとも思考が似通っているのか…胸糞が悪い…」
 アヤカシの行動が相当気に障ったのだろう、破軍は不機嫌という言葉では表現出来ない程に不快感を露にしている。砂浜を蹴り、獲物を狙う野獣の如く敵に飛び掛かると、練力を纏わせた霊剣を振り下ろす。斬撃と共に練力が解放され、アヤカシの胸を斜めに斬り裂いた。
「ですが、女性を手放したのは失策でしたね。遠慮無く、叩き潰します…!」
 円を描くような動きで、鬼の側面から近付く円秀。砂浜を強く踏み締め、自身の肩から背にかけての部位で重厚な体当たりを叩き込んだ。圧倒的な衝撃がアヤカシの全身を駆け抜けて内部から破壊し、鼻や口から瘴気が噴き出す。
 追い打ちするように、喪越は鬼に向かって腕を振った。召喚された不可視の『何か』が、音も無く迫る。呪われた力が全身を蝕み、苦痛にアヤカシの顔が歪んだ。
 息を吐かせぬ連続攻撃を喰らいながらも、鬼の巨体は揺るがない。雄叫びのような耳障りな声を上げると、周囲の瘴気が子鬼となって具現化した。その数、約20。円秀と破軍は大きく後ろに跳び、仲間達と合流して身構える。
「智行さん達を危険に晒すわけにはいかない。子鬼は、纏めて吹き飛ばす!」
「なら、俺が敵を引き付ける。討ち漏らした分は頼むぞ、鞍馬」
 顔を見合わせ、破軍と雪斗は軽く頷く。敵に向き直ると、破軍は獣のような雄叫びを上げた。その声に注意を引かれ、子鬼の大半が開拓者達に向かって来る。迎撃するように、破軍は全力で霊剣を砂浜に突き立てた。発生した衝撃の波が地中を奔り、数匹の子鬼が砂と共に吹き飛ぶ。
 その攻撃を喰らわなかった敵に向かって、雪斗は短剣を向けた。切先から発生した強烈な吹雪が扇状に広がり、敵を飲み込む。冷気が全身を凍て付かせ、視界を白く覆っていく。
「優羽子さんに瘴気回収を試してみたかったんだけど、倒せば抜けるってんなら、攻撃あるのみってか!」
 不敵な笑みを浮かべながら、緋那岐は白い大型の九尾狐を2体召喚した。彼が軽く手を振ると、それが2匹の子鬼に飛び掛かって牙を剥き、爪を突き立てる。神々しい外見からは想像出来ない、獰猛な攻撃。九尾は爪牙の傷跡から瘴気を大量に送り込み、2匹の子鬼を内部から破壊、四散させた。瘴気が空気に溶けていく中、九尾の姿も消えていく。
「やるねぇ、セニョール・緋那岐。俺様も負けてられないゼ!」
 喪越が緋那岐の手並みに関心する中、手負いの子鬼が彼に飛び掛かる。鋭い棍棒の殴打を、喪越は六尺棍で受け止めた。そのまま棍棒を弾き飛ばし、兵装を横に薙ぐ。固い樫の棒が子鬼の胴を捉え、体が『く』の字に折れ曲がった。手首を返して上段に構えると、追撃するように全力で振り下ろす。その一撃で子鬼の体が砂浜に伏し、砂を巻き上げながら黒い霧と化して消えていった。
 円秀に向かって、左右から子鬼が距離を詰める。振り下ろされた2匹の棍棒を、軽く後方に跳んで回避。着地と同時に驚異的加速で敵の懐に飛び込み、強烈な体当たりを叩き込んだ。更に、もう1匹の敵に向かって鋭い突きを打ち込む。拳撃が子鬼の胸を貫くと、2匹の体が瘴気と化して空中に消えていった。
「所詮は烏合の衆…数だけで私達に勝てるつもりですか?」
 言いながら、円秀の鋭い視線が敵を射抜く。子鬼が次々に倒されても、ヤヤカシに恐怖する様子は無く、退くつもりも無いようだ。棍棒を握り直し、開拓者の様子を伺っている。
 一方…壁の向こう側の4人に、大きな変化は無い。優羽子は智行を狙っているが、直接攻撃も投擲も、靖とグレゴリーに防がれている。こちらから手が出せない以上、防戦になるのは仕方ない。だが、『攻撃している者』と『狙われている者』の双方を守るのは、少々厄介である。
「グレゴリー、少しだけ時間を稼いでくれないか? 頼む」
 隙を伺う優羽子から視線を外さず、靖が呟く。彼の意図に気付いたグレゴリーは、指をポキポキと鳴らした。
「解呪だろ? 分かってる。おい…ちょっと手荒な事になるが、勘弁しろよ」
 肩越しに智行に声を掛けると、グレゴリーは砂浜を蹴って優羽子に突撃した。迎撃するように、彼女は手裏剣を投げる。それを避けながら背後に回り込むと、グレゴリーは優羽子を羽交い絞めにして拘束した。
 その隙に、靖が印を結ぶ。術を唱えると、優羽子の体が淡い藍色の光に包まれた。
「う…あぁあぁぁあ…」
 彼女の口から苦悶の声が漏れ、抵抗が強まる。靖が施しているのは、解術の法。優羽子に掛けられた術を解き、正気を取り戻すつもりなのだろう。
「優羽子、大丈夫か!?」
 最愛の女性が苦しむ姿を目の当りにし、智行が思わず言葉を掛ける。その声に反応した優羽子は、虚ろな瞳を彼に向けた。
「とも…ゆ、き…?」
 うわ言のように呟き、ゆっくりと手を伸ばす。智行は駆け寄ってその手を握り、彼女の瞳を見詰めて叫んだ。
「優羽子…!!」
「ともゆき……」
 智行の想いに応えるように言葉を返す優羽子。抵抗は止み、虚ろだった瞳に光が差している。靖とグレゴリーは視線を合わせ、軽く頷く。印を解き、羽交い絞めから解放すると、優羽子は智行の胸に体を預けた。そんな彼女の体を、智行は全力で抱き締める。
 2人を邪魔しないよう、開拓者達は静かに背を向けて歩き始めた。壁の向こうでは、まだ戦闘が続いている。加勢するために、2人は兵装を握り直した。
「死んで、ちょうだい……」
 全身の血が凍りつくような感覚。
 耳を疑いながらも、後ろを振り向く。
 智行の背中から生えた、血塗れの苦無。
 飛び散った鮮血が、優羽子の頬を濡らす。
 ゆっくりと、智行の体が後ろに倒れ……。
『智行ぃぃぃぃぃ!』
 夕暮れの砂浜に、グレゴリーと靖の悲痛な叫びが響いた。

●悲劇の果てに
 茜色に染まる砂浜に、赤い液体が広がって行く。弾かれるように、2人は智行に駆け寄った。
「くっ、すまない……俺達が付いていながら、こんな事になるとは…」
 悔しそうに奥歯を噛み締め、靖は風の精霊に力を借りて優しい風を吹かせる。それが智行を包むと、風が負傷を癒していく。そんな2人を背で庇いながら、グレゴリーは血塗れの苦無を握る優羽子と対峙している。
 洗脳が解けたように見えたのは、彼女の演技だったのだろう。正しくは『そうなるように、アヤカシが操った』と言うべきだが。今も、歪んだ笑みを浮かべているに違いない。
「靖、グレゴリー、何があった!? 智行がどうしたんだ!」
 壁の向こうから響く、緋那岐の叫び。グレゴリーは拳を強く握り締め、後悔に満ちた表情でそれに応えた。
「すまねぇ…アヤカシに操られた女に、刺されて倒れた…!」
「おいおい、セニョール! てめぇ等が付いていながら、何してんだよ!」
 喪越の怒声が2人に突き刺さる。反論出来ないし、する気も無い。それ程に、彼等は自分を責めているのだ。
「止めろ、喪越。笹倉とグレゴリーの落ち度じゃない…」
 目の前の子鬼を両断した破軍が、静かに喪越を諭す。智行を守れなかった事は事実だが、彼等よりも罪の重い者…悲劇の元凶を作った者が、すぐ近くに居るのだ。
「破軍さんの言う通りだ。悪いのは……あの下衆野郎だからね!」
 叫びながら、雪斗は精霊の力を借りて聖なる矢を2本撃ち出す。1本は子鬼を撃ち抜き、それが止めとなって消滅させた。もう1本は、鬼の肩口に深々と突き刺さる。
「下衆には、それ相応の罰を与えてやりましょうか…!」
 子鬼との距離を詰め、円秀は胴に拳撃を打ち込んだ。体が前屈みになった処に、後頭部を狙っての踵落とし。華麗な連続攻撃を受け、子鬼は瘴気と化して空気に溶けていった。
「長谷部、罰なんぞ生温い。徹底的に……屠り尽くす」
 怒りの形相で、霊剣を握り直す破軍。並の者なら、今の彼の姿を見ただけで気を失うだろう。
「笹倉さん。智行さんの事、頼んだよ。どんな深手でも、絶対死なせないで…!」
 懇願にも似た、雪斗の願い。間に壁があっても、その気持ちは痛い程に伝わってくる。
「分かってる。この男は、まだ自分の仕事をしてないからな…!」
 伝わっているからこそ、靖は智行の治療に全身全霊を注いでいるのだ。脇目も振らず、練力の計算もせずに、ただ全力で。
 隙だらけの靖を、優羽子が狙わないワケが無い。懐から手裏剣を取り出して投げ放つが、グレゴリーがそれを叩き落とした。
「止めろ、馬鹿。これ以上やったら、本当に取り返しが付かねーぞ」
 落とし損ねた手裏剣が、彼の頬を掠って赤い線が描かれる。グレゴリーの言う通り、智行がこれ以上傷を負ったら、命の保証は出来ないだろう。
「彼が仕事をするには、先ず私達が仕事を終わらせないといけませんね」
 拳を打ち合わせ、鬼に視線を向ける円秀。そのままゆっくりと構え、鬼を見据える。召喚された子鬼は、もう居ない。残った巨躯の鬼を討つべく、円秀と破軍はほぼ同時に駆け出した。斬撃と拳撃が、鬼の体の上で重なる。
 喪越は符を一枚取り出し、意識を集中させた。その顔が苦痛に歪み、符が微かに光る。大きく深呼吸し、再び集中。符の光が大きくなった代わりに、喪越の体が大きく揺らいで膝を付いた。
「おい喪越、それ以上は止めろ。お前の身が持たねぇぞ」
 その様子を眺めていた緋那岐が口を挟む。喪越が使っているのは、自らの生命力と引き換えに式の力を大幅に強化する術。彼が膝を付いたのは、生命力を消費し過ぎたからだろう。同じ陰陽師の緋那岐だからこそ、この術の危険性に気付いたのだ。
「なーに……美人を助ける駄賃にゃ、丁度いいくれぇだ!」
 明らかに強がりながら、喪越は薄っすらと笑う。飛びそうになる意識を根性で繋ぎ止めながら、更に術の上乗せ。限界ギリギリまで自身の生命力を削りながらも、喪越は奥歯を噛み締めてフラフラと立ち上がった。
「無茶し過ぎだね。まぁ…きみがそのつもりなら、攻撃の隙は作ってやるよ」
「だな。あんたみたいな馬鹿は嫌いじゃねぇ。デカブツの動きは止めてやるから、一撃で決めろよ?」
 喪越の熱い魂に触れ、雪斗と緋那岐は不敵な笑みを浮かべながら身構える。
 5人が戦闘態勢を整える中、智行の瞼が微かに動いた。次いで、口開いて細かく息を吸う。その顔が苦痛で歪んだ直後、智行はゆっくりと目を開けた。
「良かった…目ぇ覚めたみたいだな。傷は大丈夫か? 痛むか?」
 靖は安堵の表情を浮かべ、優しく語り掛ける。当の智行は状況を理解出来ていないのか、虚ろな瞳でゆっくりと周囲を見渡した。まだ意識がハッキリしていないのだろう。
 そんな智行を目の当りにし、苦無を振り廻していた優羽子の動きが止まる。手から刃物が零れ落ち、頭を抱えるように砂浜にうずくまった。驚愕の表情の浮かべるグレゴリーの前で、小声で何かを呟き続ける。彼女の理性が、アヤカシの術に対して激しく抵抗しているのかもしれない。演技の可能性も否定出来ないが…このタイミングで開拓者を欺く意味は無いに等しい。
「お前……もう少し、そのままで居ろ。俺の仲間が、お前を開放してやる」
 そう言って、グレゴリーは壁の方向に向き直る。その奥に居る鬼に向かって、トランペットで楽曲を奏でた。悲しく儚い旋律がアヤカシに作用し、防御姿勢が一気に崩れる。
 その隙を狙い、円秀はアヤカシの膝を踏み抜くように足を振り下ろした。軽く体勢が崩れた処に、右足で地面を蹴って回転しながら、渾身の蹴撃を叩き込む。
「アヤカシと言えど、関節や顔面は鍛えようが無いでしょう?」
 円秀の言う通り、アヤカシのダメージは深い。着地と同時に後方に跳び退くと、入れ違うように聖なる矢が飛来した。雪斗の放った攻撃だ。1本の矢が鬼の胸を貫通し、もう1本が額に深々と突き刺さる。その威力に、アヤカシの体が大きく揺らいだ。
 倒れないように両足を踏ん張る鬼の周囲に、緋那岐の式が出現する。それが手足に絡み付き、自由を奪っていく。先に宣言した通り、アヤカシの動きが完全に止まった。
「セミョール・智行の痛み、ちったぁ知りやがれ!」
 裂帛の叫びと共に、喪越は式を呼び出す。姿も声も無い呪われた力が、一気に鬼を飲み込んだ。内側から破壊するような衝撃に、傷口や鼻から瘴気が噴き出す。苦痛に顔を歪めながら暴れるが、緋那岐の式は微動だにしない。
「悪趣味が過ぎたな…地獄に落ちろ」
 刀身に練力を纏わせながら、破軍はゆっくりと距離を詰める。智行の無念を、優羽子の悲しみを、仲間達の怒りを、その全てを込めて、アヤカシに霊剣を突き刺した。同時に練力が炸裂し、鬼の体に大きな穴を穿つ。そこから全身が黒い霧と化していき、断末魔と共にアヤカシは空気に溶けて消え去った。

●奇蹟にも似た大団円
「まったく…無茶にも程がある。お前が青色吐息になっちゃ、本末転倒だね」
 厳しい事を言いながらも、靖の表情は優しい。戦闘を終えた直後、気絶して倒れた喪越は靖の治療を受けた。目を覚ますまで30分弱程度の時間が経ったが、命に別状は無いだろう。
「へっ…無茶は俺の専売特許だからな」
 ニカッと、自慢げに笑う喪越。恐らく、反省も後悔もしていないのだろう。とは言え、彼を責める者は誰も居ないが。
「それだけ軽口をたたけるなら、大丈夫そうですね。問題は…あちらの2人ですか」
 喪越の状況に安堵し、円秀は胸を撫で下ろす。彼が言う『問題』は、もちろん智行と優羽子の事だ。
「ごめんね…本当にごめんね、智行…」
「お前の責任じゃない。そんなに泣くな、馬鹿」
 地面に横たわる智行の胸に顔を埋め、涙ながらに謝罪を繰り返す優羽子。アヤカシを倒した事で正気を取り戻したが…自分がした事を許せずにいた。そんな彼女の頭を、智行が優しく撫でている。
「この場合…2人だけにした方が良いのかな? 喪越さんは動けるようになったみたいだし」
 全員を見渡しながら提案する雪斗。ようやく悪夢から解放されたのだから、今は2人だけの時間を大切にして欲しいのだろう。
「まぁ…場違いな感じは否定出来ねーな。コッソリ帰るか?」
 軽く頭を掻きながら、苦笑いを浮かべるグレゴリー。もしかしたら、こういう雰囲気は苦手なのかもしれない。
「積もる話もあるだろうしな。長居して邪魔すると、馬に蹴られそうだ」
 『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ』という都々逸がある。緋那岐が言っているのは、この事だ。開拓者達は苦笑しながらも、2人に背を向けて静かに歩き始めた。
「あ、みんなチョット待って!」
 音も無く帰ろうとする背中に、優羽子の声が掛かる。7人が振り向くと、智行が優羽子の肩を借りながらゆっくりと歩み寄って来ていた。
「あの…助けてくれてありがとう! 智行の事もね♪」
「俺からも礼を言わせてくれ。お前達のお陰で助かった。感謝する」
 幸せに溢れた2人の笑みは、キラキラと輝いている。そんな表情に釣られたのか、開拓者達も思わず微笑む。
「礼には及ばん。俺達は、自分の仕事をしただけだ」
 破軍は視線を若干外しながら言葉を返した。今の自分の表情を見られたくないのか、2人が眩しくて直視出来ないのか、定かではないが。
「こういう事があった後だと、周りの反応やら今後の不安やら色々あるだろうが『愛があれば大丈夫』だろ?」
 いつも通り、陽気に振る舞う喪越。30分前まで瀕死の状態だったとは思えない程に元気である。
「何はともあれ、おめでとさん。幸せにな。必要なら、式で演奏してやっても良い」
 不器用ながらも、グレゴリーが祝いの言葉を贈る。彼なりに、2人を祝福しているのだろう。
 夕日が一層周囲を照らす中、砂浜が不自然に光る。雪斗はその場所に近付くと、砂を軽く掘り返した。そこから出てきたのは……。
「あの…智行さん、コレに見覚えあります?」
 雪斗の小さな手に乗っていたのは、簡素なデザインの指輪。それを見た瞬間、智行は驚愕と感動が入り混じった表情を浮かべた。
「っ…! まさか、再びこれを手に出来るとは思わなかった…幸運の女神かもな、お前は」
 声と指が震える。智行にとって、優羽子と指輪が両方揃った事は『感動』という言葉では表現出来ない程に嬉しいのだろう。雪斗が『女神』と言われているが、それをツッコめる雰囲気では無い。とは言え、雪斗は気にしていないようだが。
「こんな偶然もあるのですね。お手柄ですよ」
 優しく微笑みながら、円秀は雪斗の肩を叩く。その隣では、破軍が軽く苦笑いを浮かべている。
「少々、出来過ぎている気もするが…な」
「ま、助かった上に指輪も見つかったとなれば…仕切り直しだ仕切り直し」
 ニヤリと笑いながら、緋那岐は智行の背中を叩いた。言うまでも無く、仕切り直しはプロポーズの事である。肩を借りていた智行は、腕を離して優羽子の前に立った。指輪を握り締めたまま、2人の視線が絡み合う。邪魔をしないよう、開拓者達はそっとその場を後にした。
「文字通り鬼嫁…なんてのになったら、案外尻に敷かれるタイプかもしれんなぁありゃ」
 煙管で煙草を吸いながら、冗談を語る靖。願わくば、この2人に幸せな未来が待っていますように……。