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■オープニング本文 視界に広がる赤、赤…赤。生臭い、鮮血の赤。『彼』の記憶に一番強く残っている光景は…アヤカシに襲われた時の惨劇だった。 数年前…彼は家族との旅行中、アヤカシの襲撃に巻き込まれた。不幸中の幸いと言うべきか…暴れ回ったアヤカシは、開拓者が素早く退治。被害は最小限に抑えられた。 が…彼自身は重傷を負い、家族は帰らぬ人に。天涯孤独の身となった少年は生まれ育った村に戻り、友人や住人に支えられて逞しく成長した。 そして…現在。あの時の悪夢が、再び繰り返される事になる。 「逃げろ! アヤカシだ!」 叫びながら駆けてくる、1人の男性。彼を追うように、村の外から異形の影が近付いてくる。 「ひぃ…いやぁぁぁ!」 「立て! 逃げるんだよ!」 突然の事に、村人達の混乱は一瞬でピークに達した。悲鳴と怒号が入り混じり、村全体に広がっていく。 前は旅行先だったが、今度は生まれ育った村。人生2度目の襲撃を目の当りにし、少年は自分でも驚く程に落ち着いていた。 (逃げる? アヤカシから逃げられるワケないのに。だったら…) 少年は、逃げない。アヤカシを見ても、悲鳴すら上げない。彼は、覚悟を決めたのだ。 (俺は、逃げない。たとえ死んでも、心は負けない!) それは、少年の『命懸けの抵抗』。選択が正しいか、間違っているか、そんな事は関係ない。 ただ…二度と、アヤカシには負けたくなかったのだ。 「巧海(たくみ)! 逃げて!」 遠くから聞こえる、幼馴染の麻李(まり)の声。それに答える事なく、巧海はアヤカシだけを見据えていた。 少年と異形の距離が、一気に近付く。大勢のアヤカシが、巧海に向かって一斉に飛び掛かった。 直後。 黒い風が吹き荒れ、アヤカシと巧海を飲み込む。荒れ狂う風が全ての身動きを止める中、巧海の耳に聞き慣れない声が響いた。 『貴公…深い憎しみを抱いておるな。アヤカシが許せぬか?』 声の主が誰なのか、どこから聞こえてくるのか、何故こんな質問をするのか、彼には全く分からない。が、答えは決まっている。 「ああ、許せない。アイツ等に負けたくねぇ…例え、死んだってな!」 『ほう…命を捨てる覚悟か。ならば、本当に命を差し出すか? その代わり……』 数秒の沈黙。風の音が耳を叩く中、再び声が響いた。 『ここに居るアヤカシを倒す力、貴公に授けてやろう』 こんな提案を受け入れるのは、自己犠牲精神に溢れる勇者か、考えなしの馬鹿くらいだろう。どう考えても怪しい話だが…巧海は心底嬉しそうに、歪んだ笑みを浮かべた。 「俺は、過去に一度死んでるようなモンだ。今更、命なんて惜しくねぇ。誰かは知らねぇが、力をよこせ!」 巧海が叫ぶのと同時に、黒い風が体に流れ込む。それがコウモリのような羽と、猛獣のような鋭い爪、山羊のような角を形作り、彼の姿を異形に変えていく。 更に、白目が黒く染まり、黒目が赤く変色。全身の筋肉が不自然に盛り上がり、首から下の皮膚が赤黒く染まり始めた。 変貌した巧海が無造作に腕を振ると、黒い風が発生。それがアヤカシの全身を斬り刻み、バラバラに寸断して瘴気に還す。全ての敵が消滅すると、黒い風が瘴気を運んで巧海の体に吸い込まれた。 「た…巧海、なの?」 戸惑いながら、恐る恐る声を掛ける麻李。彼女と視線を合わせると、巧海は不敵に微笑んでみせた。 『一応、初めましてか。我は、お前達がアヤカシと呼ぶ存在。巧海は、我の一部となった』 黒い風の正体は、上位のアヤカシ。下級アヤカシの存在を嗅ぎ付け、喰らって力を蓄えるために現れたのだが…そこに、巧海が居た。 負の感情を好むアヤカシにとって、彼の憎しみは極上の餌だろう。アヤカシを倒すため、アヤカシに命を差し出す結果になったのは、皮肉としか言えないが。 「巧海を……巧海を返して!」 アヤカシの声を聞くだけで背筋が凍り付く。視線を合わせるだけで冷汗が止まらない。それでも…麻李は逃げることなく、叫んだ。 『それは出来ぬ相談だ。奴は自ら力を欲し、我の誘いに乗ったのだからな』 言いながら、歪んだ笑みを浮かべる。アヤカシが巧海を喰らったのは、彼の『負の感情』だけが目的ではない。目の前に居る住人達の、恐怖と絶望…それを増幅させ、最終的に喰らうつもりなのだ。 『聞け! 今は、貴公らに危害を加えるつもりはない。だが…我は必ず、この地に戻って来る! その日まで、恐怖に震えるが良い!』 そう言って黒い風を纏うと、アヤカシは天高く舞い上がって彼方へと飛んで行った。 |
■参加者一覧
フランヴェル・ギーベリ(ib5897)
20歳・女・サ
笹倉 靖(ib6125)
23歳・男・巫
アムルタート(ib6632)
16歳・女・ジ
ケイウス=アルカーム(ib7387)
23歳・男・吟 |
■リプレイ本文 ● 大地を吹く風は涼気を纏い、肌を撫でて空高く昇っていく。青く、蒼く、広い大空。秋の澄んだ空気も相まって、どこまでも高く見える。 だからこそ…天を翔る『黒』が際立っているのかもしれない。 雲1つ無い空に、墨絵の如く描かれた軌跡。それは飛行機雲のように長く伸び、徐々に空の彼方へと消え始めている。この黒い軌跡が何を意味するのか…真相を知っている者は少ない。 数時間前、とある村がアヤカシの大群に襲われた。その村は人里離れた場所にあり、人々の往来も少ない。アヤカシが地理的条件を理解していたかは分からないが…突然の襲撃に、村人達は逃げる事しか出来なかった。 そんな危機的状況を救ったのは、1人の少年…巧海。彼には開拓者のような特殊は力は無かったが、アヤカシから逃げなかった。襲い来る異形を前にしても、悲鳴1つ漏らさなかった。 心の内にあったのは……アヤカシに対する激しい怒りと、深い憎しみ。そのドス黒い感情は、皮肉にも『黒い風のアヤカシ』を呼び寄せた。アヤカシは正体を隠したまま、少年に語り掛ける。 『命を差し出せば、目の前のアヤカシを倒す力を授ける』と。 巧海は、一瞬たりとも迷わず、その申し出に応じた。黒い風は彼の体ごと『負の感情』を貪り、姿を変えていく。人の形を維持したまま、背中からコウモリの羽を生やし、山羊のような角と鋭い爪を備えた異形へと。 黒い風は群がるアヤカシを寸断し、自身の力にするために瘴気を吸収。結果として村は守られたが……巧海は命を失い、新たなアヤカシが誕生してしまった。 そして、事態は最悪の方向に動き出す。 死は一瞬だが、恐怖は生きている限り続く。住人達の恐怖と絶望を煽るため、アヤカシは『いつか喰いに戻る』と言い残して飛び立った。小さな村ではなく、大きな都市を襲うために。 空に描かれた黒い軌跡…その正体は、アヤカシなのだ。黒い風は鳥のように空を翔け、徐々に此隅へと近付いている。ここまま進めば、町が襲われるのは時間の問題だろう。 だが…どんな時でも、『希望』という灯火が消える事は無い。空を飛ぶアヤカシを狙って、地上から白い光弾が放たれた。大きさは握り拳程度だが、それを認識するヒマもなく着弾。体勢を崩しながらも、アヤカシは狙撃方向に視線を下ろした。 そこに見えたのは、4つの人影。身長も年代もバラバラの男女が、アヤカシを見据えている。次の瞬間、4人は弾かれたように駆け出し、近くの森に飛び込んだ。 一見すると逃げたようにも見えるが…だったら、わざわざ攻撃して自分達の居場所を教えるワケがない。それ以前に、アヤカシに敵対する存在は限られている。 つまりは、開拓者。 彼らが敵に背を向けて逃げるなど、不自然極まりない。恐らく…アヤカシの注意を引き、森の中に誘導する事が目的なのだろう。 『我を誘い出すつもりか…面白い』 開拓者の狙いに気付きながらも、アヤカシは不敵な笑みを浮かべた。強い者を喰らいたい…そんな欲望が溢れ、全身を突き動かす。気付いた時、アヤカシは黒い風を纏いながら、森に急降下していた。 ● 木々の間を駆け抜け、奥へと進んでいく開拓者達。紅葉した森の中は障害物が多い分、自由に飛び回るのは厳しい。身を隠せる場所も多いし、開拓者にとって有利な地形だろう。 疾走する4人の耳に、激しい風切り音が響く。素早く視線を向けた笹倉 靖(ib6125)が見たのは、自分達を追うように森の中を飛行するアヤカシの姿だった。 「よし…誘導は成功したみたいだな。こんだけ木がありゃ、アヤカシは自由に動けねぇだろ」 言いながら、靖は扇を握り直す。これは彼の愛用品であり、同時に武器でもある。赤い長髪の奥で、紫の瞳が静かに輝いた。 「第一段階は成功だね♪ 私は一足先に『こそこそ』しちゃうね〜」 嬉しそうに声を上げたのは、エルフ少女、アムルタート(ib6632)。その姿が急激に薄れていき、数秒もしないうちに全員の視界から消えさった。 無論、逃げたワケではない。彼女は霧の精霊に力を借り、自身の存在感を覆い隠したのだ。この状態なら、敵の死角に回り込むのも簡単だろう。 アムルタートが姿を消した地点で、他の開拓者達は脚を止めた。仲間同士で距離を離し過ぎると連携が取れないし、森の奥まで移動してる。誘導は終わりにして、迎撃に移っても良い頃合いである。 誰もが闘争心を高める中、ケイウス=アルカーム(ib7387)の心は沈んでいた。相手はアヤカシだし、姿も変わっているが……巧海の、人間の面影は残っている。彼の境遇には同情すべき点が多いし、人間だった者を倒す事に抵抗があるのかもしれない。 「ケイウス。敵に同情して剣鈍らせるんじゃねぇぞ。今はアヤカシだ…倒して『人』に戻してやれ」 その心境を見抜いたように、静かに声を掛ける靖。言葉自体は若干厳しいが、彼なりにケイウスを心配しているのだろう。 「大丈夫、ちゃんとやれるよ…俺なら、大丈夫」 靖の言葉で覚悟を決めたのか、ケイウスは竪琴を構えて弦を弾いた。周囲に響く、軽やかでハイテンションな楽曲。そのリズムに合わせるように、ケイウスの周囲に人影のような幻影が現れ、ステップを踏んでいる。 ある意味、戦いの序曲には相応しいかもしれない。旋律が周囲の精霊に干渉し、全員の感覚を強化。今なら、普段以上に素早い動きが出来るだろう。 燃える闘志を心に秘め、フランヴェル・ギーベリ(ib5897)はアヤカシに向かって脚を踏み出した。力強い足取りで、ゆっくりと間合を縮めていく。 (ここでアヤカシを倒せなければ、多くの罪無き人々が死ぬ…そんな事、やらせはしない!) 普段は陽気な表情が多いが、今は違う。黄金の瞳はアヤカシを射抜き、闘志は盾に込められ、騎士としての魂は天儀刀に宿っている。 「さあ…かかってきたまえ!」 大気を震わせるような、雄々しい咆哮。裂帛の気合を全身に浴び、アヤカシの口元が怪しく歪んだ。 『良い気迫だな。人間にしておくには惜しいぞ…!』 それは、フランヴェルを好敵として認めた証。アヤカシは空中から滑るように着地し、地面を蹴った。その反動を利用して一気に距離を詰め、身構えているフランヴェルに爪を振り下ろす。 鋭い爪撃に怯える事なく、フランヴェルは敵の動きを凝視していた。爪の軌道を読み、そこに盾を合わせる。激しい金属音と共に火花が舞い散り、激しい衝撃が全身を駆け巡った。 それでも、彼女は揺るがない。アヤカシの攻撃を真正面から受け止め、軽く微笑んで見せた。 「今の、褒めてるつもりかい? 女性の扱いは勉強不足だね」 そう言って、反撃とばかりに刃を奔らせる。斬撃の速度と練力が相乗効果を生み、切先の幻影が出現。無数の刃が、一斉に迫る。 フランヴェルの剣技に若干驚きながらも、アヤカシは後方に跳び退いた。刀身が黒い風を斬り裂き、腹部を滑り、体表を浅く斬る。着地と同時に、小さな傷口から瘴気が漏れ出した。 「ほらほら、背中が隙だらけだよー?」 少女の声が聞こえた瞬間、アヤカシの背面に釘の形をした暗器が突き刺さる。予期せぬ方向からの、予期せぬタイミングでの攻撃…周囲を見渡すが、暗器を持っている者はどこにも居ない。 それもそのはず。攻撃したのは、姿を隠しているアムルタート。彼女は神経を研ぎ澄ませ、敵の殺意に反応して無意識に針を投げ放ったのだ。しかも、投げたら即移動して木陰に隠れている。姿も気配も殺気も無ければ、居場所が分からないのは当然である。 アヤカシの隙を狙うように、靖は扇を素早く広げた。装飾の金属が陽光で七色に輝くと、精霊力が『白い光弾』となって具現化。それを、アヤカシ目掛けて素早く撃ち出した。 白い軌跡が木々の間を駆け抜け、黒い風を貫いて敵を直撃。光弾が弾け、瘴気と共に白い光が舞い散った。 「今止めてあげるよ、巧海!」 叫びながら、ケイウスが竪琴を掻き鳴らす。さっきの楽曲とは違う、大音量の重低音。音の塊がアヤカシの周囲で炸裂し、振動で敵の身体能力を一時的に下げた。 『我はタクミではない。その名を持つ人間は、既に消滅している』 ケイウスに対し、アヤカシが言葉を返す。嘘や挑発ではなく、紛れも無い事実を。 人がアヤカシに堕ちるという事は……生物としての『死』を意味する。姿や声が似ていて、本人と同じ記憶を持っていても、そこに存在しているのはアヤカシ。『巧海』の命も、意識も、この世界には残っていない。 分かっていた事ではあるが…『巧海』の口を使って言われると、ほんの少しだけ心が痛んだ。 「なら、今度はキミが消滅する番だね!」 アムルタートの声と共に、布がはためく音が耳に届く。次いで、アヤカシを背後から強襲。再び放たれた暗器が突き刺さり、瘴気が派手に吹き出した。 『姿を隠す術か…面妖だな』 声はするけど姿は見えない。確かに、不思議な状況ではあるが…。 「そのセリフ、アヤカシにだけは言われたくないなぁ」 苦笑いを浮かべながら、ケイウスが竪琴を奏でる。発生した重低音がアヤカシを直撃し、音波の振動で周囲の木々が小刻みに揺れた。 間髪入れず、靖が光弾を連続で放つ。アヤカシは弾道を予測して避けようとしたが、体を動かすより早く攻撃が命中。頭部と肩で白光が炸裂し、衝撃で傷口から瘴気が溢れた。 アヤカシと敵対しながらも、靖は横目でケイウスを覗き見る。戦闘前のように沈んでいるワケでもなく、凛とした姿で竪琴を構えているが…『何か』が違う。命懸けの特攻をする前のような、張り詰めた覚悟と緊張感を感じる。 「おい、無理すんじゃねぇぞ。ミイラがミイラ取りとか笑えねぇし…俺は、お前の姿したアヤカシとは戦いたくねぇ」 靖は視線をケイウスに向け、言葉で釘を刺した。口では厳しく言う事が多いが、靖はケイウスを親友だと思っているし、ケイウスも同じ気持ちである。 その親友が無茶をした挙句、アヤカシと化して命を失ったら……待っている結末は、悲劇しかない。親友の言葉に、ケイウスは少しだけ微笑んで見せた。 「俺も、みんなの敵に回りたくないよ。必ず、みんなで勝ってかえろう…!」 決意を新たに、顔を見合わせる2人。視線を素早くアヤカシに戻すと、敵がフランヴェルに攻撃を仕掛けていた。 黒い風を纏ったアヤカシは、速度を上げて爪撃を繰り出す。矢継ぎ早に襲ってくる爪は、まるで漆黒の鎌。フランヴェルは盾を構えて防御を固めているが、腕や頬に赤い線が描かれていた。 アヤカシは右手を薙ぎ、大振りの一撃を放つ。フランヴェルは反射的に盾で攻撃を防いだが、これは敵の囮。ガードが開いた右脇を狙い、アヤカシは左の爪を突き出した。戦闘が始まって以来、一番早い爪撃。黒い閃光が、フランヴェルに迫る。 が…彼女の『覚悟』は、それを上回っていた。瞬間的に気力を開放し、身体能力を強化。驚異的な速度で盾を構え直し、アヤカシの爪撃を力技で受け止めた。 流石のアヤカシも、これには驚きを隠せないようだ。驚愕の表情を浮べ、動きが停まっている。 その隙をフランヴェルが見逃すワケがない。刀に練力と気力を上乗せし、鋭い斬撃を放った。狙いは、アヤカシの爪。切先が右腕の爪を捉え、軽々と斬り飛ばした。 軽く舌打ちしつつ、アヤカシはフランヴェルとの距離をあける。接近戦を挑んだら、今度は左の爪を狙われると思ったのかもしれない。切断された爪の破片は、宙で弧を描きながら瘴気に還っていった。 「ちぇー…せっかく綺麗な布装備したのに、あんま見てもらえない感じー。まあ、しょうがないけど」 残念そうに呟きながら、アムルタートはアヤカシの背後に回って暗器の針を握った。精霊の力で姿は見えないが、彼女が装備している戦舞布は艶のある青黒色。表側は小さな宝石で装飾され、まるで天の川が腕の中に広がっているようだ。 アムルタートは、年頃の16歳。着飾りたいと思うのは当然の事だが…姿を隠したのが、裏目に出てしまったようだ。 気を取り直し、アヤカシを狙って暗器を投げ放つ。針は敵の背面に突き刺さったが…今回は若干様子が違っていた。 『見切ったぞ、小娘!』 叫ぶや否や、アヤカシはフランヴェル達に背を向けて疾走。その方向に開拓者の姿は無いが、アヤカシの知覚にはアムルタートが『見えて』いた。黒い風を左腕に纏い、大きく斜めに振り下ろす。 その一撃は、大木を軽々と切断。太い幹が音を立てて崩れ、枝の葉が激しく舞い散り、倒れた衝撃で周囲の地面が揺れた。 と同時に、アヤカシは確かな手応えを感じていた。木とは違う、柔らかい物を斬った感触。アヤカシが爪を振り下ろした瞬間…開拓者達の目には、白銀の長髪が斬り裂かれ、血飛沫が舞い散る光景が見えていた。 それが意味する事は、つまり……。 「キャーこわーい! な〜んちゃって♪」 周囲に響く、アムルタートの元気な声。倒木の奥でピンピンしている彼女の姿に、その場に居る全員が自分の目と耳を疑った。 数秒前、アヤカシの攻撃は間違いなくアムルタートを斬り裂いた。誰の目から見ても、明らかに致命傷。飛び散る鮮血も、地面に倒れる姿も、目に焼き付いている。 にもかかわらず…何故か彼女は無傷。素早く立ち上がったワケでもなく、幻覚や幻の類でもない。目の前で起こった事は、確かな現実なのだ。 この摩訶不思議な現象を引き起こしたのは、アムルタート自身。 彼女はアヤカシの攻撃が当たる直前、練力を開放して『自分が存在しない世界』を作り出した。とは言っても、その効果が及ぶ範囲は小さく、時間も短いが。アヤカシの攻撃が当たらなかったのは、その瞬間にアムルタートの存在が消えていたからである。 しかし、この魔法で他人の認識まで変える事は出来ない。そのため、彼女が存在していた場合の結末…今回で言えば『アヤカシの攻撃が命中した未来』が見えた、というワケである。 実際、何が起きたかを正確に把握している者は1人も居ない。狐につままれたような感覚だが…分かっている事が1つ。 『アムルタートは無傷だった』。 その事実が分かれば、充分である。 状況が飲み込めず、アヤカシは硬直している。フランヴェルは刀を握り直し、地面を蹴って疾走。敵との距離を一気に詰め、兵装を横に薙いだ。 急接近した彼女の気配に、アヤカシは正気を取り戻す。が…時既に遅し。フランヴェルの刃は、敵の右脚を斬り落としていた。 「君の機動力、頂いたよ」 敵の機動力を削いだフランヴェルは、爪撃の射程から一足飛びで後退。入れ違うように、白い光弾と音の塊がアヤカシに撃ち込まれた。 光弾がアヤカシの羽を貫通し、穴を穿つ。重低音の振動が全身を駆け抜け、傷口から瘴気が漏れ出した。 開拓者達の攻撃を浴びながら、アヤカシは切断された脚が瘴気に還るのを見ていた。たった4人の開拓者が、自分と対等以上に戦っている。その事実を噛み締め、アヤカシは静かに溜息を吐いた。 『我にここまでの手傷を負わせるとは…褒めてやろう。だが…!』 称賛の言葉に次ぐ、力強い否定。激しい怒りを示すように、アヤカシを中心に黒い風が吹き荒れた。 『この黒風を以って、貴公らの命を吹き消してくれよう!』 敵の叫びに呼応し、黒風の速度と圧力が増加。まるで漆黒の刃のように、開拓者達に襲い掛かる。 アヤカシから離れていたケイウスと靖は、運良く射程外の位置に居た。アムルタートは攻撃圏内だったが、黒い風から逃げるように後退。頭髪を数本切られたが、外傷は無い。 問題は、フランヴェル。開拓者の中で、彼女は一番アヤカシとの距離が近い。そのため、黒風を全身に受けて大小様々な傷を負っていた。致命傷を避けるために防御を固めているが…破られるのは、時間の問題である。 それに気付いたケイウスは、敢えて『黒い風』の範囲に飛び込んだ。と同時に竪琴の弦を弾き、強烈な共鳴現象を引き起こす。音波が風の勢いを弱め、その一部を山彦のように反射させた。 ケイウスから放たれる、反射光のような閃光。反響によって風は消え去り、虹色の光となってアヤカシを射抜く。体に新たな傷が刻まれ、瘴気が立ち昇った。 「いくらアヤカシでも、自分の攻撃を反射されたのは初めてだろう? 少しは驚いたかい?」 不敵に微笑むケイウスだが、敵の攻撃に飛び込んだ影響で怪我をしている。強烈な風圧で、茶色い長髪がボサボサになっていた。 「ったく、無茶すんなって言っただろうが! ちゃんと聞いてたか!?」 そんなケイウスに、靖の雷が落ちる。反射が成功したから良いものの、一歩間違えば重傷を負っていたかもしれない。こうなる事を避けるために念を押したのだが、効果は無かったようだ。 「無茶じゃないって! 靖が治してくれるから大丈夫!」 心の中で反省しながらも、無茶じゃなかったと主張するケイウス。靖の治癒能力を信じているからこそ、敵の攻撃に飛び込む事が出来たのだろう。もっとも…危険な事に変わりはないが。 「お前…帰ったら正座!」 靖は鬼のような形相で声を荒げると、不愉快そうに舌打ちして練力を放った。それが周囲の精霊に干渉し、治癒の力となって手の平に宿る。淡い光を開放すると、光の粒がケイウスに吸い込まれて傷を癒した。 『帰ったら、か。悪いが…全身全霊を賭して叩き潰させて頂く!』 狂気と怒りを含んだ、アヤカシの叫び。その声に呼応するように、再び黒い風が吹き荒れた。その威力は、一度目よりも遥かに強い。ケイウスに反射されたのが悔しかったのか、今度は力を溜めて強力な風を起こしたようだ。 風圧で木々が倒れ、射程外まで吹き飛ばされていく。これを反響させるには、相当なリスクが伴うだろう。ケイウスは無茶をせず、射程外まで退避した。 が、フランヴェルは退こうとしない。両脚を踏ん張り、気力を振り絞り、全身全霊で防御を固めている。 「フランヴェルも無理は駄目ー! 早く逃げて!」 アムルタートは悲痛な叫びを上げ、両手で針を投げ放った。アヤカシを攻撃し、フランヴェルが逃げる隙を作ろうと思ったのだが…暗器が突き刺さっても、敵は怯まない。今のアヤカシには、開拓者を倒す事しか頭にないのだろう。 「ご心配なく。ボクは膝を突いたり、倒れたりしないよ。絶対に、ね」 黒い風の奥から、言葉を返すフランヴェル。この状態でも強がりが言えるのは大したものだが…若干足が震えている。限界が近いのは、誰の目から見ても明らかである。 それでも。フランヴェルは奥歯を噛み締め、攻撃に耐えながら叫んだ。 「それが…村を守る為に自らを犠牲にした勇者への、最大の礼儀だ!」 全身傷だらけになっても、彼女の『覚悟』はブレない。依頼に参加した時から、フランヴェルは心に決めていた。巧海の攻撃を、全て受け止めると。アヤカシの攻撃に屈しない事が、最大の供養になると信じて。 「馬鹿が……だったら、さっさと片付けるぞ!」 厳しい言葉を口にしながらも、靖は軽く微笑んでいる。フランヴェルの真意を知った今、咎めるよりも、協力したいと思っているのかもしれない。 それは、ケイウスとアムルタートも同じである。3人は素早く移動し、3方向からアヤカシを取り囲む。タイミングを合わせ、射程外から攻撃を仕掛けた。 「はいはい、鬼さんこっちだよー♪」 アムルタートが放った暗器が、アヤカシの両腕に突き刺さる。ケイウスの重低音が空間を震わせ、アヤカシの動きを鈍らせる。靖の光弾が白い軌跡を描き、敵の角を撃ち砕いた。 3人の連携攻撃を喰らい、アヤカシの体勢が大きく崩れた。と同時に、黒い風が消え去る。 フランヴェルは残った気力と練力を一気に解放し、敵に向かって突撃した。練力の奔流が渦となり、彼女の動きを更に加速させる。その様子は、まるで流星のようだ。 (巧海…きみは確かに村の人達の命を救った。胸を張って誇っていいんだ。もう、休みたまえ…) 今は亡き巧海に、心の中で語り掛ける。フランヴェルは刀を強く握り、再度加速した。 「これで終わらせる!」 轟く雄叫びが大地を揺らし、切先がアヤカシを斬り裂く。フランヴェルは止まる事無く、そのまま数メートルを疾走。練力の渦がアヤカシを飲み込むと、その体が徐々に瘴気と化して消えていく。 倒れそうな体を気力で支えながら、フランヴェルは『巧海』の最期を見届ける。彼の姿が空気に溶けて完全に消滅すると、フランヴェルは膝から崩れ落ちて大地に倒れた。 ● アヤカシを倒し、手当を終えた開拓者達は、巧海が守った村に来ていた。今回の依頼主である住人達に、報告する事が2つある。 1つは、アヤカシ退治の報告。村がアヤカシの脅威から救われた事を知ると、村人達は笑顔で感謝の言葉を述べた。 『あの…! 巧海は、どうなりました!?』 開拓者達に質問を投げ掛けたのは、巧海の幼馴染、麻李。彼女は巧海が助かる事に、一縷の望みを託していた。酷な事だが…辛い現実だとしても、報告するべきである。 「アヤカシになった時点で、彼は死んでいた……遺体も、残らなくて…助けられなくて、ごめん…」 一瞬、麻李はケイウスの言葉が理解出来なかった。何故、開拓者が謝るのか…何故、この場に巧海が居ないのか。その理由が分からなかった。 いや……『分からないフリをしている』と言った方が正しいかもしれない。現実を認めてしまったら、巧海は永遠に帰ってこない…心の中に、そんな想いがあった。 だが…現実から目を背けても、結果は変わらない。靖は古ぼけたお守りを取り出し、麻李に手渡した。 「コイツだけは発見出来た…静かな場所に弔って、祈ってやれ」 それは、アヤカシを倒した後に唯一残った物。そのお守りに、麻李は見覚えがあった。裏側の左下に、持ち主の名前が記されている。子供のような汚い文字で『たくみ』という名前が。 麻李の瞳から、大粒の涙が零れる。巧海は、もう居ない。声も聞けないし、顔も見れない。口喧嘩する事も遊ぶ事も出来ない。麻李の心は悲しみで塗り潰され…気付いた時には、大声を上げて泣いていた。 「少年の行動、無駄にしないでくれ。文字通り『命懸けで』この村を護ったんだからな…」 「その事だけは…忘れないであげて欲しい。単なる結果論だとしても、ね」 靖とケイウスが慰めの言葉を掛けるが…麻李に届いているかは分からない。こういう時、開拓者は案外無力である。アヤカシを倒す力があるのに、少女の涙を止められないのだから。 こんな悲劇は、二度と起こさせない……麻李の涙は、開拓者達の心に深く刻まれた。 |