『生きる』意味
マスター名:香月丈流
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: 難しい
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/03/10 19:08



■オープニング本文

 天儀全体を包む、不穏な空気。アル=カマルやジルベリアからの船が増え、理穴では大規模な作戦が行われていた。
 魔の森の焼き払い。
 瘴気の発生源である魔の森を縮小させれば、アヤカシの減少に繋がる。そのため、理穴で多くの開拓者達が活躍していた。
 森の焼却に伴い、近隣の住人は奏生や他国に避難している。アヤカシの反攻や、被害から逃れるために。周囲に一般人が居ない方が、開拓者達も動き易いだろう。
(スゴいなぁ…開拓者さん達…)
 重い荷物を軽々と運び、鳥のように高く跳躍し、風のように走り去る開拓者達。それを、自室の窓から眺める少女が1人。
 彼女の名は、琥珀。年齢は10歳前後くらいだろう。長く伸びた黒い髪と、白過ぎる肌が特徴的である。
 琥珀は溜息を1つ吐き、ベットに体を預けた。生まれつき体が弱いため、彼女には外で走り回った記憶が無い。寺子屋にも満足に行けず、寂しい時間を過ごしていた。
(あんなに走ったり、跳んだり…羨ましい…)
 青空の下で遊びたい。
 風を受けて走りたい。
 健康な体になりたい。
 それは、あまりにも純粋で、ありふれた願い。同時に、残酷な現実を再確認する瞬間でもある。泣きそうになるのを我慢し、琥珀は布団の中に潜り込んだ。

『お前は…走りたいのか? 元気な体が欲しいのか?』
 眠っていた琥珀を起こしたのは、不気味な声だった。日が落ちた室内は暗く、人の気配は感じない。
「だ…誰?」
 怯えながら周囲を見渡すが、夜の闇が広がるばかり。月明かりが差した瞬間、部屋の隅に黒いモヤが浮かび上がった。
「ひっ…!?」
『お前が元気な体を望むなら、我が願いを叶えてやろう』
 短い悲鳴を掻き消すように、再び不気味な声が響く。ただ、さっきと違って琥珀は怯えていない。
「本当、なの? 本当に…僕の願いを叶えてくれるの?」
『無論だ。我を受け入れろ。お前に、開拓者と同等の力を与えてやる』
 言葉と共に、黒いモヤが琥珀に伸びてくる。それは彼女の目の前で渦を巻き、球体を形成した。どう考えても怪しいが…何か、言葉では表現出来ない力を感じる。
 それが、琥珀を迷わせていた。
 元気になる事は、ずっと昔から抱いてきた願い。医者でも治せず、生きる希望を失った事もあった。もし、本当に元気になれるなら…。
 正常な思考を失うほどの、強い願い。それが琥珀を突き動かし、彼女はゆっくりと両手を伸ばした。

「琥珀、ご飯を…」
 数分後。夕飯を運んで来た母親は、部屋を開けた瞬間に言葉を失った。
 室内に溢れる、圧倒的な瘴気。それが琥珀に集中し、どんどん吸い込まれていく。
「あはは♪ 見てよ、お母さん!」
 嬉しそうに微笑みながら、華麗なステップを刻む琥珀。皮肉にも、その姿は今までより生き生きしている。
「琥珀!?」
 驚愕と共に、母親は食器を落とした。床に食べ物や破片が散らばる中、琥珀の体が宙に浮かんだ。
『僕、元気になったよ! これでみんなと遊べる! 外を走れる!』
 エコーのように反響する声。と同時に、彼女の瞳が鮮血のように紅く染まっていく。その視線が、魔の森の方向に向けられた。
『あの黒いモヤを吸収したら、もっと元気になれる! 僕、行ってくるね♪』
 言うが早いか、琥珀は窓から飛び出す。放心状態の母親がギルドに駆け込んだのは、それから数十分後の事だった。


■参加者一覧
鴇ノ宮 風葉(ia0799
18歳・女・魔
海神 江流(ia0800
28歳・男・志
九竜・鋼介(ia2192
25歳・男・サ
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
劫光(ia9510
22歳・男・陰
成田 光紀(ib1846
19歳・男・陰
鴉乃宮 千理(ib9782
21歳・女・武
ジョハル(ib9784
25歳・男・砂
理心(ic0180
28歳・男・陰
エマ・シャルロワ(ic1133
26歳・女・巫


■リプレイ本文


『あはは♪』
 月夜に嗤う少女が1人。心底嬉しそうな声だが、同時に狂気を孕んでいるようにも聞こえる。
 彼女は人として生まれ、人として育ってきた。どこにでも居る普通の少女だが、生まれ付き体が弱く、外で走り回ったり、友達と遊んだ記憶がない。
 そこをアヤカシに狙われたのだ。『全てを受け入れれば、元気な体にしてやる』と。
 結果、彼女は強靭な肉体を手に入れた。その代わり…体を瘴気に蝕まれつつあるが。
 舞い踊る少女の横を、人影が高速で通り過ぎる。突然の事に驚きつつも、彼女は反射的に視線を向けた。
「琥珀さん…ですね? 駄目ですよ、こんな時間に1人で出歩いたら」
 語り掛けてくる、優しい声。月明かりに照らされ、菊池 志郎(ia5584)の姿が闇夜に浮かび上がった。
 この細身の青年が人影の正体なら、その移動速度は常人を遥かに超えている。直感的に、琥珀は悟った。『この人は開拓者だ』と。
『僕を連れ戻しに来たの? だったら…捕まえてみなよっ♪』
 言うが早いか、琥珀は地面を蹴って駆け出す。相手が開拓者なら、遠慮は要らない。元気になった自分の力を試すには、最適の相手だろう。
 舌打ちしつつ、志郎は気の流れを両脚に集中。瞬間的に加速し、彼女を後を追った。
 草原を駆け抜け、樹木を跳び越え、方向転換を繰り返す。その様子は、まるで高速の鬼ごっこをしているようだ。
「貴女は、自分に何が起こったのか分かってますか?」
 走りながら、志郎が問い掛ける。琥珀が現状を正しく理解しているか…志郎は、それが気になっていた。
『ん? えっとねぇ……元気になった! こんなに体が軽いの、初めて♪』
 言葉を返す琥珀は、無邪気に笑っている。どうやら、彼女はアヤカシの事も瘴気の事も、気付いていないようだ。その無邪気過ぎる姿に、志郎は悲痛な表情を浮べた。
 本人に自覚があっても無くても、瘴気が侵食している事に変わりはない。このままでは、彼女自身がアヤカシと化してしまうだろう。
 志郎の胸に不安が渦巻く中、琥珀の動きが急に止まった。
「楽しんでるところ悪いが、ここは通行止めだ。大人しくして貰おうか」
 進路上に立ち塞がる、九竜・鋼介(ia2192)。何があっても琥珀を足止めするつもりなのか、茶色い瞳に強い意志が宿っている。鉄扇と盾を両手に持っているのは、彼女に手傷を負わせないためだろう。
 そして、この場に居る開拓者は彼だけではない。
「病弱な少女が外で動き回るとは…医者として、見過ごせんな」
 溜息混じりに、エマ・シャルロワ(ic1133)が言葉を吐いた。彼女は開拓者だが、同時に医師としての知識も兼ね備えている。仲間達とは違う視点で、琥珀を見ているのかもしれない。
『あっれ〜? 何で開拓者さん達がココに居るの〜?』
 小首を傾げ、疑問を口にする琥珀。彼女達は現在、魔の森とは逆の位置に居る。当初は魔の森に向かっていたが、志郎との鬼ごっこで全く違う方向に来てしまったのだ。
 にも関わらず、鋼介達は先回りしていた。彼女が不思議に思うのも、当然である。
 琥珀の言葉を聞き、成田 光紀(ib1846)は軽く鼻で笑った。
「あれだけ瘴気を撒き散らしていたら、『見付けてくれ』と言っているようなものだぞ?」
 言いながら、黒い金属製の懐中時計を振って見せた。この時計には、精霊力や瘴気の流れを計測する力がある。これで強い瘴気を追えば、琥珀の行先を予測する事も難しくない。
「それに、力を得てハシャぎ過ぎたな。俯瞰で見れば、発見は難しくなかったさ」
 加えて、劫光(ia9510)は式を上空に放ち、上から周囲の様子を探っていた。月夜に高速で走り回っていたら、目立つ事この上ない。
「まぁ、志体持ち8人で女の子を囲むのは気が引けるけど…な」
 苦笑いを浮かべているのは、海神 江流(ia0800)。彼の言う通り、この場には8人の開拓者が集まり、琥珀を包囲している。事情を知らない者が見たら、即通報されそうな状況である。
『ふぅん…みんな、僕の邪魔をする気なの?』
 不機嫌そうな表情を浮べながら、琥珀は周囲の開拓者達を見渡す。瘴気を吸収した影響か、瞳が怪しい光を放っている。
 その視線を正面から受け止めながら、鋼介は兵装を強く握った。
「邪魔か。そう思われても仕方ないが…力尽くでも、お前を止める…!」
 琥珀に何を言われても、彼の決心は変わらない。例え彼女に嫌われても、ここは通さないだろう。
「僕が何を言っても、言い訳にしかならないからな。だから…恨んでくれて構わない」
 江流も鋼介同様、覚悟を決めている。実力行使も厭わないが、琥珀は出来る限り傷付けたくない…その想いを果たすため、刀を鞘に納めたまま構えた。
「幼子よ。このまま瘴気を吸い続ければ、お主は命を失う。そうなれば、死してアヤカシとなるのじゃ。解るか?」
 張り詰める空気の中、鴉乃宮 千理(ib9782)が琥珀に語り掛ける。戦う事を拒んでいるワケではないが、その前に琥珀の意識と覚悟を見定めたいのだ。
 千理の言葉に、彼女は時間が止まったように固まった。
『本当、なの…?』
 驚きと戸惑いが入り混じった、弱々しい呟き。どうやら、琥珀は瘴気に侵されている事も、アヤカシになったら命を失う事も、知らなかったようだ。
 10歳の少女に告げるには、残酷過ぎる事実だろう。それでも…伝えなくてはならない。直面している問題と、自分達の想いを。
「本当です。元気に動けても、誰とも一緒に遊べなくなります。勿論、お母さんにも会えなくなりますよ…」
 そう語る志郎の顔には、悲しみの色が浮かんでいる。琥珀の境遇や、今置かれている状況…その全てを知り、同情しているのだろう。
「俺は、お前のような悲劇を目の当たりにした事がある。だから…同じ過ちを繰り返したくない」
 同情しているからこそ、鋼介は琥珀を助けたいと思っている。瘴気を浄化し、人間として生かすために。
「お主が死ねば、肉親や知人達がどうなるか…考えた事はないかね?」
 説法を聞かせるように、穏やかな口調で話を続ける千理。相手が少女という事もあり、気を遣っているのかもしれない。
「君の気持ちは察するけど…それでも、君が帰らないと悲しむ人が居るだろ?」
 説得や話し合いで琥珀が引いてくれれば、戦わずに済む。淡い期待を込めつつ、江流は琥珀に言葉を伝えた。
「その者達がお主にしてきた事は、無意味と化す。ただの親不孝じゃ」
 静かだが厳しい、千理の言葉。恐らく、琥珀の頭には肉親や知人達の顔が浮かんでいるだろう。このままでは、その人達が悲しい想いをする事になる。
 そして…ここに来た開拓者達の苦労も、水の泡になってしまう。
「今は苦しいだろうし、辛いだろう。それでも…生きて欲しいと思ってくれる人が、確かに居るんだ!」
 劫光の叫びが、夜の闇に響く。彼自身、絶望して死を望んだ事もあるし、生きる意味を失う辛さも理解している。『生きていれば必ず良い事がある』など、口が裂けても言えない。
 それでも…劫光は、琥珀に生きて欲しいと思っている。自分勝手な願いではあるが、他人を想う優しい気持ちに溢れていた。
「問おう。琥珀よ…お主は、アヤカシとして死ぬか? それとも、ヒトとして生きるか?」
 言葉と共に、千理は鴉のような黒翼を広げた。暗い夜にあっても、なお深い黒…その姿は、生死を問う死神のようにも見える。
 あとは、琥珀の返答次第。説得に応じるのか、それとも開拓者達に抗うのか…誰もが静かに見守る中、琥珀は強く手を握った。
『勝手な事言わないで!』
 大気を震わせるような、強烈な叫び。そこに込められているのは、強い拒絶と怒り…そして、深い悲しみ。
『本当に、僕の気持ち分かってるの!? 綺麗事なんて聞きたくない!』
 琥珀はずっと、病弱な体と戦ってきた。遊ぶ事を我慢し、涙を我慢し、痛みや苦しみに耐えて。その辛さは、想像を絶するものだろう。
 今まで蓄積した感情を吐き出すように、涙が溢れ出す。刺すような悲しみが周囲を支配し、開拓者達の胸を締め上げた。
 が、感傷に浸っているヒマは無い。琥珀が説得に応じないなら、これ以上の話し合いは無意味。力尽くでも彼女を止めないと、手遅れになってしまう。
 誰もが兵装に手を伸ばす中、ジョハル(ib9784)だけは逆に武器を手放した。
「病気は、辛いね。医者として、そういう子供は何人も見てきているし…俺自身も深い傷がある」
 言いながら、上着をはだけて肌を晒す。その右側には、火傷の痕が痛々しく残っていた。
「それに…『大切な人を失ってまで続く生』に何の意味があるのかと、何度も命を絶とうとした。死んだ方が、幾らかマシかと思ってね…」
 自嘲するように笑いながら、ジョハルは衣服を直す。数年前、彼はとある出来事により、婚約者を失った。その上、右半身に重度の火傷を負っている。
 忘れようとしても、自身に熱傷の痕がある限り、過去の事を思い出してしまう。『深い傷』は、心の体、両方の事を差しているのかもしれない。
「その度に、誰かに引き留められた。正直…『何故生かす』、『俺の苦しみも知らないくせに』と思ったよ」
 身なりを整え、ジョハルはゆっくりと足を踏み出した。琥珀の苦しみや悲しみが分かるからこそ…彼女を瘴気から解放し、助けたいのだ。
 彼を信じ、様子を見守る仲間達。特に、劫光は2人の言動に注意を向けている。万が一の事態が起きた時に、ジョハルも琥珀も守るために。
「君は、自分を病弱に産んだ母親を恨むかい? それとも、自分が病弱に産まれた事を、母親に詫びるかい?」
 歩み寄りながらも、ジョハルは語り掛ける事は止めない。自分の言葉が琥珀に届く事を信じ、想いを込めて言葉を紡ぐ。
『来ないで…来ないでよ!』
 怯えた表情で、拒絶の叫びを上げる琥珀。他人との接触を怖がっているのか、彼女の中の瘴気が開拓者を恐れているのか分からないが、周囲を囲まれているため、逃げ場は無い。
 もっとも、その気になれば高速移動で離脱出来るが、そこまで気が回っていないようだ。
「琥珀…お母さんは、君に生きて欲しいんだ。健康で活発な子じゃなくても、君は『大切な娘』なんだよ」
 ジョハルの言葉が、琥珀に突き刺さる。2人の距離は、手を伸ばせば届くまで近付いていた。その位置で、彼は足を止める。
「身体は君の望んだようになるかもしれないけれど、心は死んでしまうよ。だから…」
 一旦言葉を切り、ジョハルは一歩踏み込んだ。ゆっくりと左腕を伸ばし、左半身で包み込むように優しく抱き寄せる。
「戻っておいで?」
 耳元で囁くような、穏やかな声。自身の行動が危険を伴う事は分かっているが…うるさいと罵られようとも、拒絶の言葉を吐かれようとも、瘴気を浄化して綺麗な姿で母親の元に帰してやりたい。
 その想いが、彼を動かす原動力となっていた。
 ジョハルに抱かれ、小刻みに震える琥珀。その表情は見えないが、もしかしたら泣いているのかもしれない。
 説得が成功したなら、あとは瘴気を浄化すれば終わりである。琥珀を助ける目処が立ち、開拓者達は胸を撫で下ろした。
 ただ一人、劫光を除いては。
「ジョハル、離れろ!」
 劫光の叫びと共に、ジョハルの背から瘴気の刃が生える。次いで、周囲に飛び散る鮮血…一瞬、全員の思考が凍り付いた。
『ふ…ふふふ…あはははははは♪』
 笑いながら、琥珀はジョハルを突き飛ばす。その体が地面に付くより早く、劫光が彼を支えた。
『馬鹿じゃない? この素晴らしい力、手放すワケないじゃない♪ あはは♪』
 心底嬉しそうに、無邪気に笑う琥珀。その声に呼応するように、瘴気が吹き荒れた。
 どうやら…今までの言動は全て芝居だったようだ。開拓者達を油断させるための作戦なのか、負の感情を集めるためなのか、真相は不明だが。
 ハッキリしている事は、1つだけ。『話し合いでの平和的解決は無理』という事実だけである。
 とは言え、琥珀の救出を諦めている者は1人も居ないが。
「瘴気の影響か…それとも、判断力を失わせる術でも受けているのか? どちらにせよ、体への負担が気になるな…」
 落胆する様子を見せず、琥珀の体を気遣うエマ。彼女にとって、説得の結果は二の次。大事なのは、琥珀を助ける事である。
「言葉で駄目なら、実力行使でいくだけだ。それでも駄目なら…俺が琥珀を斬る!」
 鋼介の言葉には、微塵も迷いがない。最後まで諦めない固い意志と、アヤカシを倒す覚悟…鋭く堅固な決意は、まるで刀剣のようだ。
 戦おうとしている鋼介の肩を、千理が力強く叩く。
「独りで気負い過ぎるな。お主だけに、業は背負わせんよ」
 彼女も、琥珀を葬る覚悟は出来ている。人は人として生き、生きて生き抜いて最期の時を迎える…どんな理由があっても、千理は琥珀を『人として』終わらせるつもりなのだ。
「諦める前に、最善を尽くさないとな。いこうぜ、九竜サン!」
 江流の兵装が精霊力を纏い、透き通った瑠璃色の光を放つ。抜き身の刀で攻撃したら傷を負わせてしまうが、納刀した刀なら手加減しやすい。
 2人の話を聞き、立ち上がろうとするジョハル。恐らく、彼も足止めに加わるつもりなのだろう。が…傷口から血が流れ出し、苦痛に顔を歪めた。
「大人しくしていろ。倒れては面倒だ、治療はしてやる」
 光紀は若干呆れたように溜息を吐きながら、小さな式を召喚。それがジョハルの傷口と同化し、負傷を癒していく。
 視線を合わせ、江流と鋼介は静かに頷く。タイミングを合わせて地面を蹴ると、琥珀を挟み込むように駆け出した。
 2人の動きに反応し、琥珀は両手を広げる。渦を巻いていた瘴気が手の平に集まり、衝撃の波となって放たれた。
 それを避ける事なく、2人は迷わず前進。衝撃が全身を駆け抜けても、足を止めようとしない。
(興味深いな。ただの小娘がここまでの力を発揮するとは…実に面白い)
 琥珀の行動を眺めながら、光紀は不敵な笑みを浮かべた。口には出さないが、彼にとって琥珀の生死は些細な問題。興味があるのは、瘴気が人を狂わせた事と、それを浄化出来るか否かという事だけである。
 琥珀に向かって流れている瘴気を奪うため、光紀は地面に手を突いた。そのまま真言を唱えると、周囲の瘴気が彼を中心に収束。それを練力に変換し、吸収していく。
 琥珀との距離を詰めた鋼介は、鉄扇で彼女の腕を弾く。間髪入れず盾を突き付けて密着し、動きを封じた。
 江流は琥珀の腕を掴み、力の方向を変える。素早く刀を押し当て、瘴気を乱した。
『邪魔だよ、離して!』
 駄々をこねる子供のように、暴れようとする琥珀。その力は、少女とは思えない程に強い。振り解かれないよう、鋼介と江流は体勢を低くして両脚に力を込めた。
 彼等の目的は、2つ。琥珀の足止めと、仲間達が瘴気を浄化する隙を作る事だ。
「残念だが、それは聞けない。君を救うまでは…な」
 言うが早いか、エマは精霊の力を借りて清浄な炎を生み出した。それを琥珀に放ち、体内の瘴気を焼き払っていく。無論、琥珀に負担を掛けないよう、威力は加減しているが。
「アヤカシが憑りついているなら、コレで祓えるはず…いきましょう、鴉乃宮さん!」
 志郎の提案に、千理が静かに頷く。2人が印を結んで真言を唱えると、兵装に精霊力が収束。それを、琥珀に向けて放った。
 外部からの力は、体内の精霊力を一時的に増幅させる。それが瘴気と反発し、アヤカシが憑りついていたら引き剥がす事が出来るのだ。
 更に、エマも印を結び、素早く術を唱える。周囲の精霊力が琥珀に集まり、淡い藍色の光となって全身を包んだ。
 これは、施された術を解くスキル。判断力失わせる術が掛かっているなら、これで正気に戻せる可能性がある。
 3人の術を受け、琥珀の抵抗が止まった。糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ち、俯きながら地面に座っている。
「やった…のか? 琥珀?」
 劫光が声を掛けるが、返事は無い。その代わり…彼女の体から瘴気が吹き出し、嵐を起こした。不意を突かれ、後方に飛ばされる開拓者達。急いで体勢を整え、視線を琥珀に向けた。
「やれやれ…残された手は、これしかないかのぅ」
 呟きながら、千理は懐から薄手の短剣を取り出した。術が効かなかった以上、琥珀を救う手段は他に無い。彼女がアヤカシと化して暴れる前に、命を絶つしか…。
 鋼介も同じ考えなのか、兵装を太刀に持ち替えた。その刀身が、炎に包まれていく。
「いや、少々待て。何やら…様子が変だ」
 それは、光紀だけが気付いた異変。地面に座っていたハズの琥珀が、数cm浮遊していた。注意深く観察していなければ、誰もが見落としていただろう。
『ぐっ! 今のままでは分が悪いか…仕方ない』
 琥珀が意味不明な事を口走った直後、高速で駆け出した。その方向にあるのは…魔の森。頭で考えるより早く、8人は琥珀を追って走り出していた。


 今回の依頼に参加したのは、全部で10名。琥珀を発見した8人より先に、魔の森に向かった者が2人居る。
 それは、志郎が琥珀に追い付いたのと同時刻。徐々に濃くなる瘴気を肌で感じながら、2人は魔の森へ直行していた。
「あたしは志体があったから空を舞えた。でもあの子は……ちっ、面倒な仕事引き受けちゃったかしら…!」
 箱入り娘だった鴇ノ宮 風葉(ia0799)は、志体の力に目覚めて『自由』という空に飛び立った。ベットに縛られていた琥珀は、瘴気という翼を手に入れたが…それは両刃の剣。理由はどうあれ、琥珀が叶えた夢を終わらせる事に変わりはない。
「泣き言は後で聞いてやる。今は索敵を頼むぞ、鴇ノ宮」
 複雑な心境の風葉とは違い、理心(ic0180)は至って冷静。琥珀の気持ちが分からないワケでもないが、同情する気は微塵も無い。
 少々呆れたように溜息を吐きつつ、風葉は自身を中心に結界を張った。範囲内に瘴気の反応があれば、その大きさや強さでアヤカシの存在を感知出来るのだ。
 琥珀が家を飛び出し、魔の森に向かった事は母親から聞いている。だとすれば、そこに『何か』があるのは間違いないだろう。
 魔の森の近辺を歩き回り、怪しい反応を探す2人。目視で周囲を見渡し、警戒する事も忘れない。
 数分もしないうちに、風葉の足が突然止まった。手を振り上げて呪文を唱え、鋭い氷の刃を生成。それを、十数メートル離れた木に向かって投げ放った。氷刃が木の根元に突き刺さると、炸裂して冷気が吹き荒れる。
『ほう…少しは鼻の利く奴が居るようだな』
 闇夜の奥から響く、不気味な声。冷気が治まった時、頭から白いマントを被った者が立っていた。背丈は成人男性と大差ないが、その全身から発せられる気配は、明らかに人間のモノではない。
「お前が、琥珀とやらを操っている親玉か? あのガキを利用して、瘴気と負の感情を集める…ってトコか」
『琥珀? 知らんな。人違いじゃないのか?』
 問い掛ける理心に対し、シラを切るアヤカシ。発言の真偽は不明だが、小馬鹿にしているような口調は癇に障る。
「あ、そ。どっちにしろ、あたし達がアヤカシを見逃すと思う?」
 アヤカシの言葉をキレイに聞き流し、身構える風葉。理心も同じ考えなのか、不敵に笑いながら兵装に手を伸ばした。
 2人が攻勢に移るより早く、アヤカシが腕を振り上げる。周囲の瘴気が短刀の形に収束し、一瞬で具現化。無数の刃が、2人に殺到した。
 反射的に、風葉と理心は左右に跳ぶ。地面を転がって攻撃を回避し、素早く体勢を立て直すと、数秒前まで居た場所に複数の穴が空いていた。
 理心は呪術武器に練力を込め、幽霊系の式を呼び出す。それが呪われた声を響かせると、アヤカシの体内で反響して内側から衝撃が広がった。
「ここなら琥珀の位置をキニシナイでいいし、遠慮しないからね…!」
 言葉と共に、風葉は氷刃を2本撃ち出す。片方はアヤカシの脚元に、もう1本はアヤカシの肩に命中。それが同時に炸裂し、吹雪を巻き起こした。
 風圧でアヤカシのマントがはためき、その下から漆黒の人骨が覗く。どうやら、敵の正体は『黒いスケルトン』らしい。
 そんな事は気にも留めず、攻撃を繰り返す2人。氷刃と式の声が入り乱れ、アヤカシにダメージを重ねていく。
 時折、風葉は幻覚を見せる式を召喚し、アヤカシを翻弄。氷や幻覚を生み出す姿は、まるで魔女のようにも見える。
 戦闘は比較的有利に進んでいるが、楽勝というワケではない。アヤカシの耐久力は意外に高く、瘴気の刃は2人に複数の切り傷を作っていた。もっとも、負傷自体は浅いが。
『ぐっ! 今のままでは分が悪いか…仕方ない』
 独り言のように呟くと、アヤカシの眼窩が赤い光を放つ。未知の攻撃を警戒し、2人は足を止めて防御を固めた。
 しかし…何かが起きそうな気配は全く無い。念の為に周囲を見回すが、静かな闇夜が広がるだけである。
「悪足掻きのつもりか? 見苦しい…黙って消えて失せろ…!」
 不機嫌そうに言葉を吐き、理心は2体の式を召喚。アヤカシを両側から挟み込み、呪声を浴びせた。音波が全身を駆け抜け、ヒビ割れた骨の間から瘴気が漏れ出す。
 敵が瀕死の状態なのは、誰の目から見ても明らか。止めを刺すため、風葉は手をかざした。
 ほぼ同時に、小さな影が頭上から舞い降り、アヤカシを守るように立ち塞がる。月明かりに照らされて闇の中から浮かんだのは…小柄な少女の姿。その全身から、瘴気が湯気のように立ち昇っている。
「子供!? でも、この瘴気…あんたが琥珀なの?」
『『そういう事だ。この小娘ごと、我を攻撃してみるか?』』
 琥珀とアヤカシの声が重なり、不気味な音となって耳に届く。さっきの赤い光は、琥珀を呼ぶ合図のようなモノなのだろう。
 そして、目の前に居るアヤカシが今回の事件の黒幕なのは間違いない。琥珀はアヤカシに憑依されていたワケではなく、操られていたのだ。最初に彼女と接触した時、瘴気と共に術を施したのだろう。
 エマの解術が効かなかったのは、アヤカシの知覚力が僅かに上回っていたからである。
 琥珀が敵を守っている以上、迂闊な攻撃は出来ない。先に彼女を助けようとしても、アヤカシが邪魔するのは目に見えている。
 風葉と理心は横目で視線を合わせ、同時に式を召喚した。それは、幻覚を見せる式神。琥珀の瞳には、母親や肉親の姿が映っている。
「琥珀、聞こえる? あんたがこの幻影を超えてアヤカシになるって言うなら……せめて、あたしがあんたの命を背負う」
 言葉が届いているか分からないが、風葉は想いと覚悟を伝えた。出来るなら琥珀は助けたいが、アヤカシと化したら容赦しないだろう。
「何かを手に入れる為に、何かを捨てる……世界ってのは、そういうもんだ。お前は何を捨てて、何を手に入れる気だ?」
 理心も光紀と同じで、琥珀を説得する気がない。結末を見届ける傍観者として、今回の依頼に参加したようなものである。
『無駄な事を…琥珀、やれ!』
 再び、アヤカシの眼窩が赤く光る。瘴気に命令を乗せ、琥珀に送り込んでいるのだ。アヤカシの術中にある以上、彼女に抗う術は無い。
 だが…琥珀は2人に襲い掛からず、膝から崩れ落ちた。
「少し、眠っていて下さい。これ以上、貴女を利用させませんから…!」
 アヤカシが驚愕する間を与えず、志郎は高速移動で琥珀を確保。そのまま、アヤカシから引き離した。彼女が崩れ落ちたのは、志郎が眠りの呪文を唱えたからである。
 充分に距離を離し、志郎は琥珀を地面に横たえる。彼女の瞳に涙が浮かんでいるが…もしかしたら、開拓者達の言葉が届いていたのかもしれない。
 志郎に続き、続々と駆け付ける仲間達。ようやく、10人の開拓者が全員揃った。
「志郎君の言う通りだ。彼女には生きる道を与え、必ず救ってみせよう」
 駆け付けたエマが、琥珀の体を診る。怪我は無いが、肉体への負荷は少なくない。彼女を癒すため、エマは周囲の精霊に干渉して優しい風を起こした。それが琥珀を包み、全身を癒していく。
 千理は琥珀の近くで片膝を突き、印を結んだ。数秒もしないうちに、琥珀の体に淡い光が宿る。それが体内の精霊力を活性化し、治癒の力を強めた。
「みんな、来てくれたか…よくこの場所が分かったな」
「琥珀を追ってきたら、風葉と理心サンが居たんだ。で…あのアヤカシが今回の黒幕か!」
 理心の疑問に答え、江流は視線をアヤカシに向けた。琥珀を利用し、悲しみを振り撒いた元凶…その姿を見ているだけで、怒りと闘志が湧いてくる。
「小娘の弱味を利用するとは、巧い方法を考えたものだな。褒美を取らせてやろう…この符でな?」
 ニヤリと笑い、光紀は符を投げ放った。言葉の通り、彼はアヤカシの手口に感心していたりする。
 だからと言って、素直にご褒美を渡すワケが無い。符が蜘蛛のような節足動物と化し、アヤカシの右腕に喰らい付く。そのまま骨を噛み砕き、一瞬で右腕を喰い尽くした。
「お前だけは逃がさん…ここで消えて貰うぞ!」
 鋼介の怒りに呼応するように、炎が兵装を包んでいく。地面を蹴って一気に距離を詰め、太刀を全力で横に薙いだ。燃える切先がアヤカシの左脚を斬り飛ばし、瘴気に還していく。
『ぐっ…たかが小娘1人のために、何故ここまで戦う!?』
 開拓者達にとって、琥珀は肉親でもなければ友人でもない。赤の他人のために、何故戦うのか…アヤカシは、それが気になっていた。
 戦う理由は、人それぞれ違う。わざわざ敵に教えてやる義理は無いが、劫光はゆっくりと口を開いた。
「約束したからだ。『必ず人として連れ帰る』と、琥珀の母親にな。それに…」
 一旦言葉を切り、符を取り出して練力を送り込む。ほんの数秒で、大型犬サイズの白龍が召喚された。
「人間の弱い部分に付け込む魔。俺は…それこそが一番許せない!」
 怒りの叫びと共に、式が飛来。神々しい姿とは裏腹に、獰猛な獣の如くアヤカシの左肩に噛み付いた。傷口から瘴気を送り込み、内部から破壊していく。
 白龍が消えるのと同時に、狼の唸り声に似た音が周囲に響いた。直後、ジョハルが狼のようにアヤカシに突撃。蒼い炎を纏った曲刀を薙ぎ、敵の肋骨を砕き斬った。
「苦しんでる子供の心に付け込みやがって…消えろ外道っ!」
 叫びながら、江流は刀を抜き放つ。相手がアヤカシなら、手加減は一切必要ない。瑠璃色の精霊力を纏わせ、全力で振り下ろした。剣閃が敵を両断し、切断面から瘴気が一気に吹き出す。
 骨自体も瘴気と化す中、両断された頭蓋骨が地面に落下。そのまま転がり、理心の足にぶつかった。
 軽く舌打ちし、理心はそれを踏み付けた。何の感触も無く、頭蓋骨は瘴気と化して空気に溶けていく。依頼は達成したが、理心は苛立っていた。
(他人の為に戦うってのが、そんなに良いものか…下らん。やはり、俺には分からんな)
 琥珀や仲間達の姿が、思い出したくない記憶を刺激する。大きく溜息を吐き、理心は一足先に帰路についた。
 アヤカシの消滅を確認し、琥珀に駆け寄る開拓者達。懐中時計やスキルで瘴気を探るが、琥珀からは瘴気の反応がない。呼吸や脈は正常で、間違いなく『人間として』生きている。
「今度は、救う事が出来たか。琥珀…今は、安心して眠れ」
 鋼介は安堵の表情を浮べながら、琥珀の頭をそっと撫でた。彼等を祝福するように、朝日が顔を出す。暗い夜が終わり、新しい一日が始まった。


 アヤカシを倒してから数時間後。開拓者の数人は、琥珀の部屋を訪れていた。彼女を送り届け、無事に目覚めるのを見届けるために。
 母親に状況報告をしている最中、その時は唐突にやってきた。ベットに寝ていた琥珀が目を開け、ゆっくりと体を起こす。
「琥珀…! 良かった…大丈夫? 気分、悪くない?」
 嬉しさのあまり、母親の目から涙が零れた。琥珀はまだ完全に目が覚めていないのか、眠そうに目をこすっているが。
「お母、さん…? 何だか…夢を見てた気がする。良く、思い出せないけど…」
 アヤカシに操られた一般人は、その間の記憶が無い。それは彼女も例外ではないようだ。
「あんたは、アヤカシに操られてたのよ。まぁ根源は叩いたから、もう安心だけどね」
 風葉の説明を聞き、小首を傾げる琥珀。状況を理解しているか怪しいが、『もう安心』という事は分かっているようだ。満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに頷いた。
(瘴気に侵され、連中の精霊力も受けた小娘…か。訓練して何らかの術が使えるようになったら、面白いかもしれんな)
 全ての観察を終え、満足そうに微笑む光紀。今回の事は数ある結末として記憶されたが、有意義な体験して、忘れる事はないだろう。
「寝起きの処、失礼するよ? 君が生きたいと願うなら、この手を取るんだ。私の誇りにかけて、治してみせよう」
 そう言って、エマは手を差し出した。医者として、体が弱い者は見捨てておけない。生きようとする者なら、尚更である。
「治すって…私の体、治るの? 外を走り回れるようになるの!?」
 身を乗り出し、エマを問い詰める琥珀。その瞳は、期待の光に満ちている。彼女の気持ちに応えるように、エマは大きく頷いた。
「天儀の医学で効果が薄かったのなら、他国の医学も試そう。私の患者になったからには、万全を尽くす…覚悟したまえ」
 彼女には、豊富な医療知識がある。それを総動員すれば、琥珀を治せる可能性が高い。万が一治せなかったら、エマは治療法を求めて世界を駆け巡りそうだ。
 琥珀は目に涙を浮かべながら、エマの手を強く握った。それは、誓いの握手。琥珀の体が治るまで、エマは彼女を見捨てたりしないだろう。
「また、お見舞いに来ますね? 貴女さえ良ければ…友達として」
 若干照れながら話す志郎に、琥珀は満面の笑みを返した。体が治る希望が見え、友達が1人増えた。今日という日を、彼女は一生忘れないだろう。